翔平は息をのんだ。目の前に立つ、化粧を施した凛の落ち着き払っている姿に。凛が淡々と言った「おはよう」の一言で、翔平の全身から力が抜けていくようだった。言いたいことは山ほどあったのに、喉に詰まって言葉にならない。やっとの思いで口を開こうとした時には、凛はもう哲也の高級車に乗り込んでいた。エンジンが唸りをあげ、車は佐藤家を飛び出していった。どこへ行くのか尋ねる暇もなかった翔平は、夢中で車を追いかけた。車が止まった場所を見て、翔平は驚いた。凛は自分を役所まで連れてきたのだ。「凛、な……なんで俺をこんなところに?」翔平の声は震えた。「離婚するためだよ。離婚届には、あなたもサインしたでしょ」凛はハイヒールを鳴らし、迷いのない足取りで歩いていく。「離婚なんてしない!凛、あれは君に騙されてサインしたものだから、法的な効力なんかない。お互い弁護士なんだから、そんなこと一番よく分かってるはずだろ?」「離婚しないって?」凛は眉を上げ、鼻で笑うと、翔平に携帯をひらひらと見せた。「この中にはね、あなたが不倫した証拠と、私を騙して百合にお金を渡していた証拠が入ってるの。お互い弁護士なんだから、この証拠があったら離婚裁判でどっちが有利かなんて、言うまでもないよね?」そこへ哲也がタイミングよく割って入り、翔平に笑いかける。「この件、俺が引き受けてやろうか?松本先生が満足いく結果にしてやるよ!」翔平は怒りと焦りで、その場から逃げ出そうと背を向けた。しかし、その時、携帯が鳴った。電話の相手は父親の松本恭平(まつもと きょうへい)で、その声はいつものように威圧的だった。「午後、家に来なさい。その時に、離婚したという証明も持ってこい。凛に証拠をばらまかれては困るからな。お前の事務所がどうなろうと構わんが、松本家の名誉が傷つけば、お前には責任が取れんだろう」翔平が硬く握りしめる拳には、血管が浮かび、今にも張り裂けそうだった。役所へと続く階段は僅か10段ほど。しかし翔平にとっては、まるで一生をかけて歩いているかのように、遠く感じられた。離婚届に受理印が押された瞬間、翔平の心にも、まるで血のように赤い烙印が押された気がした。翔平は受理された離婚届を見ることができなかった。凛は職員によって処理済みの箱に入れられた離婚届をしば
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