All Chapters of 元カレの宿敵の腕で幸せになります!: Chapter 281 - Chapter 290

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第281話

咲夜はガレージの隅から、すっかり埃をかぶった「ミドリ」の電動バイクを引っ張り出した。その横に立つ千暁は、ミニサイズの電動バイクを見つめながら、長い脚をどう収めればいいのか困っている。……本当にこれでいいのか?一向に動こうとしない彼を見て、咲夜は後部座席を軽く叩く。「なに?まさか嫌なの?この『ミドリ』は瞳が抽選で当てて、わざわざ私にプレゼントしてくれたの。あの子も『ピンク』っていうお揃いを持ってるんだ。あなたがミドリとピンクをバカにしてるなんて知ったら、きっと泣いちゃうよ」そう言われた途端、千暁の耳には、病院で聞いた瞳のすすり泣く声が蘇った。頭が痛い。本当に頭が痛い。そう思いながら、千暁は素直に電動バイクの後ろに腰を下ろした。車体があまりにも小さいせいで、行き場を失った長い脚は窮屈そうにステップに収まり、片手で咲夜の服の裾をそっとつまむ。その仕草に気づいた咲夜は、彼の腕を取って自分の腰に回させた。「いっそ腰をしっかり抱いててよ。私、電動バイクに乗るのは初めてなんだから。そんなふうに服だけつまんでたら、もし左腕をどこかにぶつけちゃったらどうするの?」正直なところ、自分の運転にはまったく自信がなかった。その言葉を聞くや否や、千暁はためらうことなく彼女の腰を抱き寄せ、軽く咳払いをする。「これでいい。行こう」これ以上ぐずぐずしていたら、自分の脚のほうが限界だった。咲夜は片手でブレーキを握り、もう片方でアクセルを回す。電動バイクはゆっくりと走り出した。だがその瞬間、咲夜は何とも言えない気まずさを覚えた。……遅すぎない?想像をはるかに超える遅さだった。アクセルはすでに全開。それなのに、車体はのんびりとした速度でしか進まない。咲夜は心の中でため息をつく。……考えすぎだった。この速度で「千暁の左腕を何かにぶつけたらどうしよう」なんて心配する必要なんてない。この遅いスピードなら、本当に何かにぶつかったとしても、千暁の反応なら余裕で避けられる。咲夜は心の中で必死に自分に言い聞かせた。――自分さえ気にしなければ、気まずいのは他人のほうだ。そんなこんなで、ようやく詩乃の家に到着した。咲夜は両足を地面につけて言う。「着いたよ」心の中では「お願いだから早く降りて……!」と何度も繰り返し
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第282話

咲夜は詩乃に声をかけた。「今夜はうちでご飯を食べよう。母が料理を用意してくれるの。今日は新居のお祝いだから」今は咲夜の家に身を寄せているうえ、自分では料理ができないため、真奈美は花江家の料理人を咲夜の家に呼び寄せていた。毎日食事の前にやって来て料理を作り、料理を作り終えれば、花江家に戻るという生活だ。詩乃は、このところ何かと咲夜に世話になりっぱなしだと思っていた。そんな中で、新居祝いまで開いてくれると聞き、ますます恐縮してしまう。「本当は私のほうが皆さんをお招きしなきゃいけないのに」その言葉を聞いて、咲夜は詩乃がまた遠慮を始めたことをすぐに察した。咲夜は笑顔のまま言う。「そんなこと言うなんて、私のことを友達だと思ってないの?もう家では全部準備してあるし、それにこれから私のファッションショーで詩乃さんにはたくさんお世話になるんだから。だから今回は、私にもお祝いさせてよ」そこまで言われてしまえば、これ以上断るほうがかえって野暮というものだ。詩乃は最後にうなずき、ありがたく申し出を受けることにした。咲夜は詩乃と一緒に部屋の片づけを手伝い、一段落したところで千暁とともに帰ることにした。帰り道、千暁のスマートフォンに真澄から電話が入る。杏奈は救命処置によって一命こそ取り留めたものの、衝撃があまりにも大きく、現在はICUで治療を受けているという。しかも、意識を取り戻せる可能性は限りなく低かった。その話を聞いた咲夜は、すぐに悟った。――植物状態になる可能性が高い。肝心の人物がこのタイミングで証言できなくなり、重要な手がかりはここで途絶えてしまった。森崎家が裏で糸を引いていることは分かっていても、それを証明する術がない。咲夜は声を落として尋ねた。「ひき逃げした運転手は見つかった?」もっとも、見つかったところで大した意味はない。殺意があったことは証明できても、それが英樹の指示だったことまでは証明できない。それに、英樹の性格を考えれば、ここまで堂々と事を起こした以上、調べられても問題ないよう、とっくに手を打っているはずだった。現実もまさに咲夜の予想どおりだった。運転手の身柄はすでに確保されていたが、英樹とのつながりを示す証拠は何一つ見つからなかった。警察の発表によれば、その運転手は末期がんを患っ
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第283話

千暁は、自分の言葉を咲夜が素直に受け止めてくれたのを見て、ふっと穏やかな笑みを浮かべた。「森崎家のことなら、必要だったら俺が向こうに少し厄介ごとを増やしてやってもいい」少なくとも、英樹が咲夜ばかりに目を向け、執拗に狙う余裕はなくなるはずだ。咲夜は口元を緩めて笑った。「あなた、森崎家に十分すぎるくらい面倒をかけてるじゃない。聞いたよ。晴南は毎日飲み歩いて泥酔してるのに、夜になると路地裏に連れ込まれて袋をかぶせられたまま何度もボコボコにされてるみたいだね。それに森崎青音の件も……あなたがやったんでしょう?」晴南と青音姉弟のことを知ったとき、咲夜の頭に真っ先に浮かんだのは千暁だった。こんなやり方で森崎家の姉弟を懲らしめそうなのは、彼くらいしか思い当たらない。千暁は少し気まずそうに笑う。「だって、あの二人が見る目がなさすぎるんだから」そう。全部、自分がやった。だから何だというのだ。咲夜の鬱憤を少しでも晴らしてやりたかった。それのどこが悪い。少なくとも千暁自身は、これっぽっちも間違っているとは思っていなかった。そんな彼の露骨に嫌そうな表情を見て、咲夜は思わず吹き出す。「確かに、見る目はなかったね」とにかく今の晴南と青音が散々な目に遭っていると思うと、咲夜の気分もずいぶん晴れた。もともと青音をどうやってもっと苦しめてやろうか考えていたところだったが、千暁がまとめて片づけてくれた。これ以上ないくらいありがたい。千暁は笑みを浮かべたまま、咲夜の後ろについて屋敷に向かった。「家で一人でいても退屈だし、お父さんの相手でもするよ」そう言いながら、包帯を巻いた左腕を少し持ち上げる。その姿を見た咲夜は、何か言おうとしていた言葉を飲み込み、結局何も言わなかった。千暁は一度自宅に戻り、紙袋を一つ持って再びやって来た。二人が家に入ると、真奈美はキッチンで夕食の支度をしており、雅紀は車椅子に座って膝の上に本を広げていた。「雅紀さん、将棋でも指しませんか」千暁は手にした袋を軽く揺らしながら、雅紀の前に歩み寄る。最近というもの、千暁が何かと家に来ては自分の前をうろうろするのが、雅紀にはどうにも気に入らなかった。目障りというか、鼻につくというか。とにかく、このやたら自己主張の激しい若造が気に食わない
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第284話

詩乃が手掛けたデザインは、文句のつけようがないほど完成度が高かった。デザインコンセプトの説明を聞いているだけで、咲夜はすっかり引き込まれてしまう。すべての作品について説明を終えると、今度は咲夜が自分たちのデザイン案を取り出した。「この三点、見てもらえる?どこか直したほうがいいところがあれば教えてほしいの」咲夜は静かに尋ねた。三つのデザインには、それぞれ『煙雨』『半夏』『宵薔薇』というタイトルが付けられていた。いずれも咲夜が作品を見ながら、その場で考えた仮の名前だ。何より咲夜が知りたかったのは、作品としてまだ改善できる部分があるかどうかだった。詩乃はデザイン案を受け取ると、一枚一枚丁寧に目を通し、気になった箇所をいくつか軽く指摘する。そして微笑みながら言った。「どれも十分よ。タイトルもデザインコンセプトによく合ってるし、咲夜さんのチームも全然引けを取ってない。自信を持っていいわ」三点のデザイン案を見るだけでも、咲夜が育て上げたチームの実力は十分伝わってきた。自分のチームと比べても、決して見劣りしない。その言葉を聞いて、咲夜の表情がぱっと明るくなる。これでデザイン案は正式に決定した。あとは急いでパターンを起こし、サンプルと完成品を制作し、ショー当日に最高の形で披露するだけだ。咲夜たちも、ここからは一気に作業のペースを上げなければならない。仕事の話を終えたあとも、二人はしばらく近況を語り合い、それから詩乃は席を立って帰っていった。千暁も夕食を済ませると、自宅に戻っていた。咲夜が階下に降りると、窓際には雅紀が座っていた。目の前には、今日千暁が持ってきた将棋の駒が並べられている。その様子を見る限り、すっかり気に入ってしまったらしい。その時、スマートフォンが「ピロン」と通知音を鳴らした。取り出してみると、千暁から一枚の写真が送られてきている。写真には、左腕に包帯を巻き、肩を露わにした千暁が写っていた。【あの……片手じゃ薬をうまく塗れなくて。悪いんだけど、こっちに来て薬を塗り直すのを手伝ってもらえない?】写真を見ると、包帯にはすでに血がにじんでいた。咲夜はすぐにスマートフォンをしまう。そして雅紀に声をかけた。「お父さん、ちょっと出かけてくるね」そう言い終えるや否や、雅紀が「
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第285話

千暁は医療用の綿棒を手にし、右手を背中のほうへ必死に伸ばしていた。その時になって初めて、咲夜は彼の背中にも広範囲の擦過傷があることに気づく。その場所では、本人では到底手が届かない。「私がやる」咲夜は足早に千暁の後ろに回り込み、彼の手から綿棒を受け取った。近くで傷を見ると、その広範囲に及ぶ擦過傷に思わず息を呑む。――こんなにひどかったなんて。胸が締めつけられるような思いだった。痛々しい背中を見つめるだけで、心が苦しくなる。千暁は体を少し横に向けた。「悪い、頼む」咲夜はテーブルの上の消毒液を手に取り、消毒しようとしたところで、ふとあることに気づいた。「えっと……その前に、背中を拭いたほうがいい?一度薬を塗っちゃうと洗い流せなくなるし」確か、以前誰かが言っていた。千暁はかなりの潔癖症だ、と。千暁は小さく笑う。「拭きたいのは山々だけど、水洗いはまだできないから」「じゃあ……濡れタオルで拭こうか?」反射的に口をついて出たその一言に、咲夜は一瞬で顔を真っ赤にした。――私、何言ってるの!?心の中で悲鳴を上げる。けれど、言ってしまったものは取り消せない。咲夜は照れ隠しに視線を逸らした。千暁は素直にうなずく。「それなら助かる。タオルは二階の主寝室のバスルームにある。部屋の場所は知ってるよね」その一言で、咲夜の頬はさらに真っ赤になった。自分が酔いつぶれたあの日のことが頭をよぎる。「じゃ、取ってくる」逃げるように階段を駆け上がる。浴室でお湯を張った洗面器とタオルを用意し、それを持って階下に戻ると――千暁はすでにシャツを脱ぎ、ソファに腰掛けて待っていた。上半身は何も身につけていない。その鍛え上げられた体つきを目にした咲夜は、思わずその場で固まった。ごくりと唾を飲み込む。……この人、スタイルが良すぎるでしょう。あちこち見てしまいそうになる衝動を必死で抑えながら、咲夜は洗面器を置き、彼の後ろに腰を下ろした。タオルを固く絞り、擦り傷を避けるよう細心の注意を払いながら、やさしく背中を拭いていく。指先の動きは驚くほど慎重だった。ようやく背中を拭き終え、洗面器を持って水を捨てに行こうとしたその時――「前は拭かなくていいの?」千暁が口を開いた。そう言いながら体の向きを変
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第286話

咲夜は慌てて手を伸ばし、千暁の口を塞いだ。これ以上好き勝手なことを言わせたら、自分のほうが恥ずかしくなって逃げ出してしまいそうだ。「黙って」咲夜は目の前の男を睨みつけ、きつい口調で警告した。――これ以上一言でも余計なことを言ったら、容赦しない。口を塞がれているというのに、千暁はなおも何かをぶつぶつとしゃべり続けている。咲夜は手を伸ばすと、彼の脇腹を軽くつねった。その瞬間、千暁の表情がわずかに変わり、最後には両手を上げて降参の意思を示した。咲夜自身は、その程度につねったくらいで何か問題があるとは思っていなかった。あと二、三回つねっていたら、耐えられなかったのはむしろ自分のほうだっただろう。千暁が素直に降参したのを見て、咲夜はようやく胸をなで下ろした。しばらくじっと彼を睨んでから、タオルを固く絞り、彼の胸を拭き始める。できるだけ早く終わらせようと、咲夜は半ば雑に手を動かした。千暁も今度は彼女を困らせるつもりはなかった。だが、咲夜の手が彼の下腹部を拭いた瞬間だけは、体がぴくりと強張る。「もういい」彼は慌てて制止した。これ以上続けられたら、本当にまずいことになる。咲夜は何か察したらしく、顔を上げてにっこりと笑った。「もういいの?」千暁が頷いて「大丈夫」と言おうとした、その瞬間――咲夜はタオルを握り直し、わざと力を込めて彼の腹をごしごしと二度拭いた。腹部をぐっと押され、千暁は危うく飛び上がりそうになる。それでも、どうにか必死で堪えた。彼は右手で咲夜の手首を掴み、先に白旗を上げる。「本当に悪かった。ちゃんと反省する。だから頼む、手加減してくれ」その言葉に満足した咲夜はようやく手を引っ込め、洗面器とタオルを持って再び二階に上がっていった。階段を上っていく彼女の後ろ姿を見送りながら、千暁は視線を落として自分の体を見つめ、心の中で苦笑する。――自業自得とは、まさにこのことだ。彼は何度か深呼吸を繰り返し、ゆっくりと気持ちを落ち着かせた。咲夜が再び階下に降りてきた頃には、千暁もようやく体の熱を抑え込んでいた。彼女の手には黒いシャツが一枚ある。彼の前まで歩いてくると、口を開いた。「後ろ向いて。薬を塗るから」千暁は素直に従い、背中を彼女に向けた。咲夜は丁寧な手つきで、彼の背
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第287話

咲夜は白いシャツを指差した。すると千暁はそれを無造作につまみ上げ、そのままゴミ箱に放り込む。「捨てればいい」咲夜は思わず千暁に向かって親指を立ててしまった。「でも、あなたのウォークインクローゼットって白いシャツばかりだよね。そんなに白が好きなの?」あのとき、ずらりと並んだ白いシャツを見て、咲夜は本気で驚いたのだ。実際、千暁は黒いシャツを着ると、それだけで威厳が漂い、人を圧倒するような雰囲気になる。今まさにそうだった。黒いシャツ姿の彼は、笑みひとつ浮かべない厳格なイメージを咲夜に与えている。千暁は意味ありげな眼差しで彼女を見た。「君が好きなんじゃなかった?」「私が?」咲夜は自分を指差し、信じられないという顔をする。「私、いつあなたに白いシャツが好きなんて――」そこまで言いかけて、ふいに口をつぐんだ。……あれ?そういえば、そんなことを言った覚えがある。きっかけは、あの日、瞳と一緒にいて、琉安の服装について話していたときだった。詳しい流れはもう思い出せないが、いつの間にか話題が千暁に移った。当時の千暁は濃い色の服ばかり着ていて、咲夜は何気なく「ちょっと老けて見える」と口にした。それに、「あんなに無表情なんだから、白いシャツを着たほうがいいよ。白なら柔らかいイメージになるし、表情が冷たい千暁にはちょうど似合う」とも言ったのだ。もともと「冷徹な閻魔様」とまで呼ばれるほど無表情で、滅多に笑顔を見せない男だった。黒を基調とした装いも相まって、その姿はいっそう冷酷で近寄りがたいイメージを与えていた。咲夜は額に手を当てた。「あれは本当に何気なく言っただけだったのに……まさかそんなに素直に聞くなんて思わなかったよ」理由を思い出し、さらにクローゼット一面の白いシャツまで頭に浮かぶと、思わず苦笑してしまう。千暁は少しも迷わず答えた。「妻の言うことを聞いて、何か悪い?」その言葉が口をついた瞬間、彼も咲夜も同時に固まった。……しまった。つい本音がそのまま出てしまった。これで咲夜を驚かせてしまったらどうしよう。一方の咲夜も、千暁が「妻」と口にするのがあまりにも自然だったことに驚いていた。彼女はその深い瞳を見返し、軽く咳払いをしてから言う。「じゃあ、私が『ピンクが似合う』って言ったら、本当にピン
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第288話

翌朝、出勤前に咲夜は千暁にメッセージを送った。【会社まで送りましょうか?】千暁からはすぐに【悪い、お願い】と返信が返ってくる。朝食を済ませると、ちょうど千暁がやって来た。その腕には、一束のチューリップが抱えられている。咲夜の姿を見つけると、彼はその花束を差し出した。「おはよう」咲夜は受け取りながら、不思議そうに首をかしげる。朝から、どこでこんな花を手に入れたのだろう。そんな彼女の疑問を見抜いたように、千暁が説明した。「夜が明ける前に、祖父母が家の使用人に届けさせたんだ」もちろん、それは表向きの話だった。実際には、真澄がわざわざ荻野家の本家に行き、庭のチューリップを摘んで千暁の家まで届けたのである。それを千暁自身が一本一本切りそろえ、花束に包み直した。左手を怪我しているせいで、よく見ればラッピングは少し不格好だった。本来なら、この日は真澄が迎えに来て送迎する予定だった。しかし咲夜からメッセージが届くと、千暁はすぐ真澄に連絡し、「家で待機していろ。俺が出たあとに会社に向かえ」と指示を出した。そのとき真澄は、思わず天を仰いだ。社長は恋愛を始めてから、なんだか少し頭が悪くなった気がする。結局、自分は社長の「女性を口説く作戦」の歯車の一つでしかないのだ。咲夜は花束を後部座席に置き、笑いながら千暁を見た。「千暁のおじいさんもおばあさんも、朝早くからこんなことまでしてくれて……よく頼めたね」千暁はシートベルトを締めながら首を横に振る。「それは違うよ。あの二人はもともと朝が早いんだ。祖父なんて四時には起きて農場の世話を始めるし、鶏やアヒルやガチョウの世話で大忙しだ。祖母も遅くても五時には起きて畑の手入れをしてる」だからこそ、当時あれほど広い土地を買ったのだ。本家には基本的に祖父母二人しか住んでいない。千暁の両親は、あの動物たちがうるさいと言って、ずいぶん前に別の屋敷に引っ越してしまった。一方で、瞳と千暁はよく本家に帰り、祖父母と時間を過ごしていた。もっとも最近の千暁は、咲夜に想いを伝えることばかりで忙しく、本家に帰る回数も減っている。だが、千暁がようやく「女性を口説くようになった」と知った祖父母は、大喜びした。今にも祝賀会でも開きそうな勢いだった。中でも祖母は本当にお茶目だった。千暁
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第289話

昨夜は咲夜をからかうことに夢中で、結局その結果を聞きそびれてしまっていたのだ。咲夜は頷く。「決まったよ。今日はトワルを作る予定。問題がなければ、モデルさんに採寸してもらって、そのまま本制作に入れるわ」理論上は、よほどのトラブルでも起きない限り、スケジュールには十分間に合う。その言葉を聞いた千暁は、静かに念を押した。「森崎家には気をつけて」今回のファッションショーは、咲夜が花江グループを引き継いでから迎える、極めて重要なチャンスだった。成功すれば、このショーをきっかけに花江グループの知名度を一気に押し上げることができる。英樹が、その重要性に気づいていないはずがない。必ず何らかの妨害を仕掛けてくるだろう。千暁の忠告を聞きながら、咲夜はハンドルを握る手にわずかに力を込めた。実のところ、自分もずっと森崎グループの動向を警戒していた。静香の件では、洸がまだ口を割っておらず、青音は今や完全に世間から袋叩きにされる存在となっている。青音名義のブランド「L.V.E」は評判が完全に崩壊し、会社も近く破産申請を行うという話だった。一方の晴南は、表面上は比較的静かだった。清治と手を組み、仮想通貨のコンバージョン事業を進める予定だったが、実行直前になって突然中止している。噂では、清治が土壇場で考えを変え、晴南と激しく対立し、二人は殴り合いにまで発展したらしい。おそらく清治は、何かよくない情報を耳にしたのだろう。現在の清治はスタジオを滅茶苦茶にし、質の低い案件まで次々と引き入れているという。さらに、この数日、晴南は手元の株式を安値で売り払おうとしているとも聞いていた。だが共同経営者が清治である以上、その株式を買おうとする者はほとんどいない。そして英樹――以前、雅紀に接触しようとして咲夜に阻止されて以来、目立った動きは一切見せていなかった。それでも、千暁の忠告はもっともだ。咲夜はもともと森崎家に対して警戒を怠っていない。「うん、気をつける」そう答えた。ところが、その忠告を受けた直後から、咲夜たちの仕事は思わぬところで足止めを食うことになる。ショーへの出演が決まっていたモデルたちが、一人、また一人と辞退を申し出てきたのだ。理由はさまざまだったが、結論は同じだった。――花江グループの仕事は受
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第290話

咲夜がカフェに着くと、予約していた個室で三十分以上待ち続けた。だが、待ち合わせの相手は現れない。携帯電話も電源が切られたままだった。咲夜は何度か電話をかけ直してみたが、結果は同じだった。――電源が入っていない。その時点で、彼女はすぐに悟る。相手はもう来ないのだ。席を立って帰ろうとしたそのとき、個室の扉がゆっくりと開いた。咲夜は顔を上げる。入ってきた人物を見た瞬間、浮かべていた笑みはすっと消え、代わりに冷たい表情が宿った。英樹はゆっくりと歩み寄り、咲夜の向かいに腰を下ろす。「少し話そうか」その姿を見た瞬間、咲夜はすべてを察した。待ち合わせの相手は、おそらく彼が手を回して来られなくしたのだろう。咲夜は動じることなく英樹の向かいに座り、口元に皮肉な笑みを浮かべた。「英樹さんは本当に情報が早いですね。私が人を探した途端、すぐ手を打ってくるなんて」たとえ英樹が否定したとしても、咲夜は信じるつもりなどなかった。その言葉を聞いた英樹は淡々と返す。「君が俺の息子や娘に手を出した。俺は反撃しただけだ。咲夜、この争いを始めたのは君だろう?俺に反撃するなという理屈はないんじゃないか?」それは、かつて咲夜自身が口にした言葉だった。咲夜はそれを聞くと、小さく笑う。「もちろん、反撃しちゃいけないなんて言ってませんよ」ただ、ここまで動きが早いとは思っていなかっただけだ。彼女は冷ややかな眼差しで英樹を見据える。「でも英樹さん、たとえプロのモデルを全部囲い込んだところで、 それに何の意味があるんですか?プロがダメならアマチュアのモデルにすればいいだけのことですから。最悪、私が自分でランウェイを歩いたっていいんです。こんなことに時間もお金も使うくらいなら、家で少しは心を落ち着かせたらどうです?もういいお歳なんですから、そんなにカリカリしてると生活習慣病になりますよ」咲夜は笑っているようで笑っていない表情のまま、少しも怯むことなく英樹の視線を受け止めた。英樹は無表情のまま、しばらく彼女を見つめ続ける。やがて静かに口を開いた。「咲夜。花江家と森崎家は、本来ここまで争う必要はなかったはずだ。両家にとって、被害を最小限に抑える方法はいくらでもある。……そう思わないか?」咲夜が花江グループを引き継いだ当初、
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