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第381話

瞳は違った。彼女はこれまで琉安に、少なく見積もっても数千万円はつぎ込んできた。もっとも、その金額を細かく計算したことは一度もない。恋人だった頃、自分が納得して使ったお金なのだからと、気にも留めていなかったのだ。でも、琉安がわざわざ自分を不快にさせようというのなら、こちらだってやり返しても文句は言わせない。咲夜は、瞳がかつての情を引きずって琉安に手を出せないのではないかと少し心配していた。だが、瞳が即座に反撃したと聞いて、思わず手を打って喜んだ。「よくやった!」「いい気になって、私の前で調子に乗って気持ち悪いことしてくるんだから」瞳は深く息を吸い、気持ちを落ち着かせようとした。「ダメ。このムカつき、まだ収まらない。買い物でもして気分転換しないと」琉安の、あのいかにも未練たっぷりな芝居がかった顔を思い出すだけで、吐き気が込み上げてくる。前までは、恋をすると周りが見えなくなるのは咲夜のほうだと思っていた。けれど今になって思えば、自分だって人のことは言えなかった。幸い、二人ともようやく目が覚めたのだ。ちょうど千暁へのプレゼントを買いたいと思っていた咲夜は、もちろん瞳の提案を断らなかった。二人はワールドトレードタワーに着くと、真っ先にメンズフロアに向かった。「これ、お兄ちゃんに服を買うつもり?」咲夜が真剣な表情で服を選んでいる姿を見て、瞳は驚いたように尋ねた。――二人、そんなに急接近してたの?私、一体何を見逃してたんだろう。咲夜はすでに鮮やかな色合いのカジュアルウェアを何着も選び終え、今はネクタイを手に取って品定めをしていた。口元を緩めながら言う。「彼、服が黒と白、あとグレーばっかりで、ちょっと地味すぎるのよ」フォーマルな場ならスーツだから構わない。でも、千暁は肌が白いぶん、その三色ばかり着ていると実年齢より大人びて見えてしまうと咲夜は思っていた。まだ二十六歳にもなっていないのに。そう言われてみると、瞳も兄のワードローブには思わず苦笑してしまった。瞳は咲夜の腕を引っ張りながら、兄の服装について散々あれこれ言いながら、その勢いで他の色の服も次々と選んでいく。最後に咲夜が選んだのは、最新モデルの星空デザインの腕時計だった。有名ブランドが「十二刻」をモチーフにした限定コレクションで、
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第382話

買い物を終えたあとも、瞳は咲夜を連れて食事まで済ませた。その席で、千暁がすでに咲夜の家に引っ越してきたと聞いた瞬間、瞳は目を丸くする。――さすがは、うちの腹黒なお兄ちゃん。策士っぷりは相変わらずだね。もうちゃっかり同棲までこぎつけてるなんて!二人が咲夜の家に戻ると、ちょうど千暁が、この家の主人であるかのようにリビングのソファに悠然と腰掛けていた。「やっほー、最愛のお兄ちゃーん」瞳はにこにこと笑いながら声をかける。千暁は露骨に嫌そうな目を向けた。「お前のリフォームした家はもう完成しただろ。ここにお前の居場所はない」――つまり、空気を読んでさっさと帰れ。俺と咲夜の二人きりの時間を邪魔するな、ということだ。瞳は笑顔を引っ込めると、ひらひらと手を振った。「はいはい、分かってますよ。邪魔者にはなりませんって」そう言いながらも彼女は千暁の隣に腰を下ろし、片手を差し出した。「口止め料ちょうだい」千暁は横目で彼女を一瞥する。「前に渡したカード、灰原に一億振り込ませてある」そのカードは、まだ瞳が持ったままだ。その言葉を聞いた途端、彼女の表情は一変した。「やっぱり、お兄ちゃんが一番優しい!」さっきまでの態度はどこへやら、彼女はすっかりご機嫌になり、甘えるように千暁の肩をぽんぽんと叩く。「じゃあ私は帰るね。ちゃんと空気読むから。お兄ちゃんと咲夜のラブラブタイムは邪魔しないわ」……咲夜が部屋着に着替えて階下に降りてくると、すでに瞳の姿はなかった。彼女は水を一杯注ぎ、千暁の隣に腰を下ろす。「瞳、帰ったの?」「ああ」千暁は頷いた。「あいつ、騒がしすぎる。頭が痛くなる」口ではそう言いながらも、その声には妹を甘やかすような優しさが滲んでいる。瞳が賑やかな性格なのは事実だ。千暁が呆れるのも本心だが、それ以上に瞳を大事にしているのもまた本当だった。それに――ようやく咲夜と恋人同士になれたばかりなのだ。今は少しでも二人きりで過ごす時間が欲しい。咲夜は少し考えた末、琉安の件を千暁にも話すことにした。瞳本人は平気そうに振る舞っていたが、それでも彼女は心配だった。話を聞き終えた千暁は、眉をひそめる。「向井家は最後の最後まで、恥というものを捨てたみたいだな」以前から彼は瞳に、琉安みたいな男はやめておけと言って
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第383話

千暁は、咲夜が自分の口をぎゅっと塞いだままでも、その手を振り払おうとはしなかった。彼女の言葉を聞きながら、ただ優しく微笑む。抵抗するどころか、その眼差しには限りない愛しさが宿っていた。耳元では咲夜が不満そうにぶつぶつと文句を言い続けている。彼女がようやく一通り言い終えると、千暁はそっと彼女の腰を抱き寄せ、そのまま自分の口を覆っていた彼女の手のひらに、そっと口づけを落とした。咲夜が手を離すと、彼はくすりと笑ってからかうように言う。「何だよ。男を見る目がなくてあんな相手を選んだのは自分なのに、第三者である俺が口を挟むことすら許されないのか?花江さん、それはさすがに横暴じゃない?そうだよ。俺は嫉妬してた。ああでもしなきゃ、君に振り向いてもらえないと思ったから」そう囁いてから、彼は咲夜の唇の端に軽くキスをする。「結果的に成功しただろ?こうして今、君の隣に立って、君の恋人にもなれた。これは俺が先を読んで、自分で勝ち取った立場なんだから。だから、ちゃんと誇りに思ってる」そのどこか得意げな表情に、咲夜は思わず笑みをこぼした。ほんの数言で、彼はあっという間に彼女の機嫌を直してしまう。咲夜は両手で千暁の頬を包み込み、じっと見つめた。「うん、うん。千暁の言うとおり。その立場は、自分で頑張って勝ち取ったものだもんね。好きになってくれてありがとう。諦めずにいてくれて、本当にありがとう。最低な人と出会ったあとに、こんなに素敵な千暁と巡り会えた。神様は私を見放してなかったんだね。千暁、私、本当にあなたが大好き。大好きで、大好きで……一生、ずっとあなたと一緒にいたい」この機会に、咲夜は胸の内を素直に打ち明け、千暁に自分の想いを伝えた。愛とは、どんな瞬間でも相手に自分の気持ちを伝えたいと願うものだ。一度は恋に傷つき、苦い別れを経験した自分が、再び誰かを心から愛せる日が来るなんて――咲夜自身も思っていなかった。だからこそ彼女は、自分の愛情を言葉にすることをためらわない。とりわけ、その相手が千暁なら、なおさらだった。咲夜から愛の言葉を向けられるたび、千暁は胸がいっぱいになる。燃えるような眼差しで彼女を見つめ、深い想いを込めて口を開く。「俺も、君を愛してる。咲夜……約束してくれ。これから何があって
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第384話

日々は穏やかに過ぎていき、あっという間に、ショー当日を迎えた。咲夜は朝早くから目を覚まし、会場に向かった。前夜、香織をもてなした際につい酒が進み、少し飲み過ぎてしまったせいで、こめかみが鈍く痛んでいる。それだけではない。朝目を覚ました瞬間から、心臓が何度も大きく脈打ち、理由の分からない胸騒ぎがしていた。そして、その嫌な予感は現実になる。時間に余裕を持って家を出たにもかかわらず、朝から道路は大渋滞だった。幸い、詩乃はすでに会場に到着している。ところが、高架道路で足止めを食っている最中、今度は後続車に追突されてしまった。咲夜はその場で保険会社に連絡し、事故対応の手続きを進めていた。変形してしまったリアバンパーを見つめながら、咲夜は思わずため息をついた。気持ちを切り替え、ようやく事故処理を終えると、千雪に電話をかけ、修理工場のスタッフに車を引き取りに来てもらうよう頼む。自分はそのままタクシーを拾い、急いで会場に向かった。幸い、ショー会場には詩乃が自ら陣頭指揮を執っていたため、大きなトラブルは起きていなかった。咲夜はまずバックステージを一通り確認し、その後メイン会場に足を運ぶ。その時、えんじ色のスリットドレスをまとった香織が、ゆっくりと咲夜の前に歩み寄ってきた。「咲夜」「鷹司さん」咲夜は笑顔で応じる。「お席までご案内します」会場で最も見やすい席は、香織のために確保してあった。席まで案内すると、咲夜はしばらく隣に腰掛ける。やがて、真奈美と雅紀も姿を見せた。雅紀はこのところ治療の成果が目に見えて現れており、杖をつけばゆっくり歩けるまで回復していた。もっとも、今日は人も多い場だ。無理はせず、車椅子に乗り、真奈美に押されながら会場にやって来た。咲夜は香織に一声かけると、両親のもとに向かう。そして真奈美に代わって車椅子を押し、両親を香織の隣の席まで案内した。「お父さん、お母さん。この方が鷹司さんです。以前、足りなかった生地を譲ってくださったんですよ」雅紀と真奈美は、すぐに香織に挨拶をした。香織も軽く頷く。「初めまして、鷹司です」咲夜にはまだ他の来賓を迎える仕事が残っていたため、軽く挨拶を交わすとその場を離れていった。咲夜の後ろ姿を見送りながら、香織は真奈美に視線を向け、自然
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第385話

香織は笑みを絶やさず、真奈美と一緒に咲夜のことを褒め続けた。咲夜に向ける眼差しは、見れば見るほど、その眼差しは慈しみに満ちていた。雅紀は、そんな香織をしばらく黙って見つめていた。わずかに眉をひそめる。どうにも彼女は、話題をことあるごとに咲夜に持っていこうとしているように思えた。どこか不自然だ。だが、香織の言葉遣いも態度も、そのどれもが「本当に咲夜を気に入っている」という気持ちを隠してはいない。――自分の考えすぎなのだろうか。その頃には香織と真奈美はすっかり打ち解け、咲夜の今の話から、小さい頃がどれほど愛らしかったかという思い出話まで花を咲かせていた。しまいには、咲夜がどこの病院で生まれたのかという話題にまで及ぶ。香織は熱心に耳を傾けながら、今度は自分の息子の話を始めた。母親同士ということもあり、互いに共感するところが多いのだろう。二人は夢中になって、それぞれの子どもの話を語り合う。その様子を見て、雅紀もようやく警戒心を解いた。最初は、香織に何か別の目的があるのではないかと疑っていた。話を聞けば聞くほど、彼にはある考えが浮かんできた。――これ、もしかして息子さんのお嫁さん探しに来てるんじゃないか?そんな気がしてならなかった。今にも息子の写真を取り出し、「どう?うちの息子、なかなかいいでしょう?」と真奈美に勧め始めそうな勢いだった。香織はまだその話を続けている。「咲夜にはお付き合いしている方はいらっしゃるんですか?うちの息子、なかなかいい子なんですよ。一歳年下ですけど。最近は年上彼女と年下彼氏のカップルも珍しくないでしょう?ただ、咲夜に恋人がいるのかどうかだけが気になって。そういえば、この前お隣に男性がいらっしゃって、咲夜はとても大切にされているように見えましたよ」香織が口にしたのは、千暁のことだった。真奈美と雅紀は、その意図をすぐに察する。真奈美は笑顔を崩さず答えた。「咲夜の恋愛については、私たち親が口を出すことではありませんから」とりわけ、晴南との一件を経験したあとではなおさらだ。真奈美も雅紀も、今は咲夜が幸せでいてくれれば、それだけで十分だった。千暁も二人の前で、咲夜への想いを真っすぐ伝えてくれている。あの出来事を経て、真奈美は娘自身の選択を尊重しようと
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第386話

「準備はどう?」と、千暁が尋ねた。「何か手伝えることはある?」「大丈夫。もう全部準備できてるから」咲夜はそう答えた。これくらいのことまで千暁の手を借りるようでは、さすがにもったいない。いつもの冷徹な雰囲気とは打って変わり、今日の千暁は終始穏やかな空気をまとっていた。その変化ぶりに、今回ショーで初めて彼を見た関係者たちは一様に目を丸くする。中には「本当に本人なのか」と疑う者までいた。あの氷のように冷たい千暁が、どうして咲夜の前ではここまで優しくなれるのか――誰もが信じられなかったのだ。そもそも咲夜とは、かつて千暁が大勢の報道陣の前で、堂々と批判した相手なのだ。あの時、千暁は何と言ったか。「そんな男を好きになるなんて、本気で目がおかしいんじゃないか。眼科で診てもらったほうがいい」そんなふうに、本気とも冗談ともつかない口調で言ってきた。すると咲夜は、視力検査で最高評価を示す「視力5.0」の画像を送りつけて反撃。その直後、千暁はSNSに「目が節穴だ」をネタにしたネットミームを投稿した。当時は野次馬たちが「これは面白くなってきた」とばかりに、二人のやり取りを面白そうに眺めていた。しかし結局、それ以上騒動が大きくなることはなかった。咲夜は千暁の子どもじみた挑発に付き合う気などなく、完全に無視を決め込んだからだ。――それなのに。今、目の前にいる二人は、本当にあの頃と同じ二人なのだろうか。会場の誰一人として、かつてのような一触即発の空気は感じていない。それどころか、二人の間には甘い空気さえ漂っていた。この恋人さながらの甘い雰囲気は、一体何なのか。誰もが首をかしげ、理解できず、そして深く考えることをやめた。千暁も今回のショーに招待されたゲストの一人だった。咲夜は彼を雅紀と真奈美の隣の席に案内する。その後、咲夜は最後の確認のため、バックステージに向かった。しかし、その途中で思いがけない人物と鉢合わせる。晴南だった。晴南は数日前に退院したばかりだった。退院した翌日には、風一が一族会議を開き、後継者を選び直そうとしたという話も耳にしている。それに真っ向から反対したのが、英樹と晴南の父子だった。だが、風一は最後まで考えを曲げなかった。さらに一族の傍系の者が、「晴南はもう
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第387話

だが晴南も、自分には今の二人を引き止める資格などまったくないことは、痛いほど分かっていた。咲夜は思わず白い目を向けた。「久しぶりも何もないわ。お願いだからさっさと消えてくれない?視界に入るだけで目が汚れるんだけど」ここまで自分を客観視できない人間がいるものだろうか。いったいどれだけ図々しければ、平然と自分の前に立っていられるのだろう。咲夜は視線を逸らし、これ以上晴南と関わる気などないと言わんばかりに言い放つ。「どけよ。いい加減、人の邪魔しないで。ゴミまで道を塞ぎに来るなんて、本当に迷惑」咲夜にとって、晴南はまさにゴミ同然だった。晴南は彼女から目を離さず、じっと見つめる。「一度は本気で愛し合った仲じゃないか。咲夜……そこまで険悪にならなくてもいいだろ」彼はあえて、二人がかつて恋人同士だったことを正面から口にした。自分が咲夜を傷つけるようなことを数え切れないほどしてきたことも分かっている。だからこそ償いたい。だが咲夜は、その機会を一度たりとも与えてくれなかった。恋人には戻れなくても、別れた後に友人になることくらいはできるのではないか。以前の咲夜なら、こんなにも突き放す人間ではなかった。いったい、いつからこんなにも変わってしまったのだろう。変わり果てた彼女は、晴南にはあまりにも遠い存在だった。「うっ……」咲夜は胸元を押さえ、吐き気をこらえるように顔をしかめる。「もうやめて。晴南。今となっては、あんたを好きだったことが人生最大の黒歴史なの。絶対に消せない前科みたいなものよ」その声には嫌悪しかなかった。「私の人生で一番の汚点は、あんたと付き合ったこと。あんな悪夢みたいな恋愛をしたなんて、本気で後悔してる。お願いだから少しは身の程を知って。これ以上私を気持ち悪くさせないで」今日がこれほど重要な場でなければ。今回のファッションショーを台無しにできないという事情がなければ。わざわざ目の前まで殴られに来たような晴南を、咲夜は何発も平手打ちにしていただろう。それほどまでに、彼の存在が生理的に受けつけなかった。ようやく殴りたい衝動を抑え込むと、咲夜は改めて冷たく告げる。「よく覚えておいて。私とあんたはもう何の関係もない。晴南、私は今、千暁と付き合ってるの。まともな元恋人っていうのは、死んだみたいに一切
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第388話

咲夜が視線を向けると、そこにいたのは長い間姿を見せていなかった洸だった。洸は真っ赤なノースリーブのワンピースを身にまとい、ゆっくりと晴南の隣まで歩み寄る。そのまま自然な仕草で彼の腕に自分の腕を絡ませると、笑みを浮かべて咲夜を見た。「咲夜さん、久しぶりね。元気にしてた?」洸に腕を取られた瞬間、晴南の目に一瞬だけ苛立ちがよぎる。それでも彼は珍しく、その手を振り払わなかった。咲夜もそのわずかな不機嫌さには気づいていた。晴南なら洸を冷たく突き放すと思っていたが、どうやら自分は洸を見くびっていたらしい。咲夜は洸を一瞥しただけで、すぐに視線を外した。この二人がどうなろうと、自分には何の関係もない。興味すらなかった。洸も、そんな咲夜の冷淡な態度にはすっかり慣れているようだった。背筋をすっと伸ばし、顎を高く掲げる。まるで勝者を気取るような態度で、咲夜に挑発的な笑みを向けた。「そうそう、咲夜さんにはお礼を言わないとね。身を引いてくれたおかげで、私と晴南さんは結ばれることになったの。私たち、二週間後に結婚するのよ。ぜひ結婚式に来てね」そう言ってバッグから招待状を取り出し、咲夜へ差し出した。洸と晴南が結婚するという話は、本人の口から聞くまで咲夜の耳には入っていなかった。咲夜はさりげなく横目で洸を見る。――本当に成功したのか。もちろん招待状を受け取るつもりはない。ただ、洸が一体どんな手を使って晴南に結婚を承諾させたのか、それだけは少し気になった。それだけではない。静香と英樹まで説得しなければならないはずで、それこそが最大の難関だったはずだ。洸は招待状を差し出したまま、笑顔を崩さずに言う。「心から招待してるの。顔を立てて来てくれない?」「悪いけど、あなたたちとは親しくないし、ご祝儀なんて一円たりとも払いたくないわ」咲夜は笑顔のまま答えたが、その目は笑っていなかった。「そんなお金があるなら、野良猫や野良犬に餌でもあげたほうがよっぽどマシ」結婚式に招待されて、ご祝儀まで包む。そんな光景を想像しただけで虫唾が走る。もちろん、洸や晴南に遠慮する理由などどこにもなかった。洸もすぐに言い返す。「あら、ご祝儀なんていらないわよ。だって咲夜さんは私と晴南さんのキューピッドみたいな者だもん。むしろ私たちから大き
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第389話

洸が言い終わるや否や、晴南は顔を険しくし、怒りをあらわにして彼女を振り払おうとした。しかし洸は彼の腕をしっかりと掴んだまま離さず、笑みも崩さない。「どうしたの?そんなに怒らなくてもいいじゃない。本当のことを言っただけなのに、それで逆上するなんて」そう言うと、洸は何かに気づいたように目を丸くした。「ああ、分かった」口元を押さえながらくすりと笑う。「咲夜さんの前で本当のことを言われて、恥ずかしくなっちゃったのね?でも当の咲夜さんは、そんなこと全然気にしてないわよ」そう言って、再び咲夜に視線を向けた。「ねえ、咲夜さん。そうでしょう?」そう言って、洸は咲夜に答えを委ねた。一方、晴南の顔色はみるみる青黒く変わり、洸を見る目には剥き出しの殺気が宿っていた。だが洸はまるで意に介さない。むしろ晴南が怒れば怒るほど、彼女の機嫌は良くなっているようにさえ見えた。これまではいつも洸のほうが低姿勢で晴南の機嫌を取っていた。それなのに今は、いったい何をしたのか、晴南はここまで屈辱を味わいながらも、怒りをぶつけることすらできない。咲夜は冷たく言い放った。「私を巻き込まないで。私には関係ないから」その声は冷え切っており、眼差しにも嫌悪しかなかった。それを聞いた洸は嬉しそうに晴南を見上げる。「ほら、聞いたでしょ?咲夜さんは晴南さんのことなんて全然気にしてないの。自分を買いかぶりすぎよ。晴南さんは彼女の中では、もう何でもない存在なの」その言葉は、容赦なく晴南の胸を抉った。次の瞬間、晴南は洸を乱暴に突き飛ばすように振り払い、その首を掴み上げた。「洸」陰鬱な声で警告する。「いい加減にしろ。これ以上調子に乗るな。本気で俺を怒らせたら……君も俺も、ただじゃ済まない」その目には強い殺意が宿っていた。今にも洸を絞め殺しそうなほど冷酷な眼差しだった。だが口ではそう言いながらも、首を締める手にはほとんど力が入っていない。目の中の殺意だけは隠そうともしていなかった。その様子を見ていた咲夜は、心底呆れてしまう。目の前の二人は、あまりにも歪でちぐはぐだった。こんな茶番を見せられることに、これっぽっちも興味はない。何が目的であろうと、咲夜からすれば、二人ともどこかおかしい。洸は晴南の手を自分で首から外すと、何事もなかったかの
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第390話

バックステージに入ると、モデルたちは手際よく衣装を着替え、メイクを直し、限られた時間でリハーサルを進めていた。咲夜は詩乃の指揮で問題なく進んでいることを確認すると、再びランウェイの客席に戻った。彼女は千暁の隣に腰を下ろし、その耳元に身を寄せると、晴南と洸が結婚することになったと小声で伝えた。「結婚?」千暁も、その知らせには明らかに驚きを隠せなかった。晴南が結婚するという話は、これまで外部にはまったく漏れていなかったのだ。彼はふと、以前に風一が一族会議を開き、後継者を交代させようとした件を思い出す。千暁は声を潜めて言った。「前に森崎家は後継者を替えようとしていたけど、結局うやむやになった。たぶん、白羽洸が現れたことで、その膠着状態が崩れたんだろう」だが、洸はいったい何をしたのだろう。風一までもが譲歩せざるを得なくなるほどの何かを。咲夜は、先ほど目にした光景を思い返す。あれは明らかに、洸が原因だった。晴南は洸を絞め殺したいほど憎んでいる。それなのに、本当に手を下すことだけはできずにいた。まるで、何か致命的な弱みを洸に握られているかのようだった。洸は姿を消していたあの期間、一体何をしていたのだろう。戻ってきた途端、森崎家の人間全員をあっさり自分の掌の上で転がしてしまうとは。その点については、咲夜も純粋に興味があった。千暁は咲夜の手を握り、静かな声で言う。「森崎家のことには、君を巻き込みたくない。咲夜、俺の言いたいことは分かるよな」今の森崎家は、すでに泥水をかき回したような状態だ。もはや澄み切ることはない。森崎家の命運は、もう決まってしまっている。だからこそ彼は、森崎家で何が起ころうとも、咲夜だけは自らその渦中に飛び込まないでほしいと願っていた。その言葉を聞いた咲夜は、少し意外そうな表情で千暁を見つめた。しかし、彼の目を一度見ただけで、ふっと微笑む。「うん」そう答えると、咲夜は再びランウェイに視線を向けた。すでに舞台の照明は調整を終え、司会者が最後のチェックを行っている。問題がなければ、ショーは予定どおり開幕する。森崎グループの出番は三番目、花江グループは最後から二番目だった。咲夜はパンフレットをめくりながら、千暁と他ブランドのコレクションについて小声で感想を交わして
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