All Chapters of 元カレの宿敵の腕で幸せになります!: Chapter 811 - Chapter 820

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第811話

星奈も、このタイミングで鷹司家の人たちの話を持ち出すのは、あまり適切ではないと分かっていた。それでも、彼女は雅紀と真奈美に事情を話した。それを聞いた雅紀と真奈美は顔を見合わせた。二人はしばらく互いを見つめたあと、同時に咲夜へと視線を向ける。星奈も二人につられるように咲夜を見た。咲夜は、両親が構わないと思うのなら、自分も問題ないと言おうとした。しかし、彼女が答えるより先に、真奈美が星奈に向かって口を開いた。「星奈、もう少し待ってもらえないかしら。私もまだ、急にこんなことになって、気持ちの整理がついていないの。星奈は私の子だし、咲夜も私の子よ。私は咲夜がどんな決断をしても、その気持ちを尊重したいの。鷹司家の人たちといつ会うかは、咲夜自身が決めることよ。私たちが代わりに決めることじゃないわ」真奈美は小さくため息をついた。「星奈も私たちも同じでしょう。突然こんな事実を知らされて、みんな戸惑っている。血のつながった家族だと言われても、お互いどうすればいいのか分からないのよ。どんな態度で接すればいいのかも分からない。あまりに親しげに振る舞えば、かえって嘘っぽくなってしまうし、短い時間で本当の家族のように打ち解けるなんて、きっと無理よ。でも、血のつながった家族である以上、ずっとよそよそしいままでいるわけにもいかない。きっと今は、みんな心の中に何とも言えないわだかまりを抱えているんだと思う」そう言って真奈美は星奈を見上げ、穏やかに微笑んだ。「だから、咲夜を困らせないであげて。咲夜にも、私たちにも、それから星奈たちにも、少し時間をちょうだい。ね?」真奈美の言葉を聞き、星奈は一瞬、言葉を失った。星奈も認めざるを得なかった。真奈美の言葉は、まさに星奈自身が心の奥で感じていたことでもあった。実際、彼女も雅紀や真奈美とどう接すればいいのか分からなかった。何より、まだお互いのことをほとんど知らない。血のつながりこそあっても、二人との間には、まだ大きな距離が残っていた。こんな状況では、お互いに多少ぎこちなくなるのも当然だった。むしろ、誰もがどう振る舞えばいいのか分からず、戸惑っていると言ったほうが正しい。星奈は頭をかきながら、気まずそうに笑った。「そう言われてみれば、確かにそうですね。じゃあ、向こうには私からそう伝えておきます」
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第812話

星奈は、花江家の意向を家族に伝えた。その頃、ホテルで待っていた鷹司家の両親は、かなり気を揉んでいた。紗智子は勢いよく立ち上がった。普段の知的で優雅な面影は、そこには微塵もなかった。彼女は苛立った表情で香織を見つめた。「咲夜がその気になるまで待つって、どういうこと?あの子が受け入れられないなら、私たちだって簡単に受け入れられるわけじゃないでしょう?どうして私たちにあの子を会わせてくれないの?」明らかに感情が昂っている義姉を見て、香織はなだめようと一歩前へ出た。しかし紗智子はすでに、傍らにいる夫へと視線を向けていた。「あなたからも何か言ってよ。花江家はいったいどういうつもりなの?あの子を自分たちのところに囲い込んで、鷹司家に帰らせないつもり?」以前、香織から星奈が自分たちの実の娘ではない可能性を告げられ、咲夜の写真を見せられたときから、紗智子はその事実をなかなか受け入れることができなかった。それは花江家の両親も同じだった。二十数年もの間、何の疑いもなく育ててきた娘が、実は自分の子ではなかったなど、どう考えても理解が追いつかなかったのだ。初めのうち、紗智子は信じようとしなかった。だが、DNA親子鑑定の結果を目の前に突きつけられ、さらに自分と瓜二つと言っていいほどの咲夜の顔を見れば、もはや認めないわけにはいかなかった。その日、紗智子は星奈の部屋を訪れ、夜が明けるまで二人でじっくりと話をした。紗智子自身、突然降って湧いたこの事実をどう受け止めればいいのか分からなかった。その夜は星奈の部屋に泊まり、娘と一緒に眠った。星奈はいろいろなことを話してくれた。たとえ将来、桜ノ宮市を離れて景浦市で暮らすことになっても、紗智子という母親のことを決して忘れない、と。そして、自分はとても幸せなのだとも言った。母親が二人もいる。一人は自分を産んでくれた母親で、もう一人は自分をここまで育ててくれた母親だ。星奈は、自分も咲夜も本当に恵まれていると思っていた。それぞれ二組の両親がいて、そのぶんたくさんの愛情を受けられるのだから。そんな星奈の言葉を聞くうちに、紗智子も少しずつ混乱から抜け出し、冷静さを取り戻していった。そうなのだ。すでに起きてしまったことは変えられない。たとえ星奈が本当に自分の産んだ娘ではなかったとしても、幼い頃から
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第813話

咲夜は自分の娘なのだ。二十数年もの間、離れて暮らしてきたのだから、本当に平静でいられるはずがない。川治はため息をついた。「花江家にも咲夜にも、少しは時間をあげないといけないだろう。ここへ来る前、君だって焦らずゆっくり距離を縮めたい、いきなり会ってあの子を驚かせたくないって言っていたじゃないか」本当のところ、紗智子は今すぐにでも咲夜に会いたかった。だが、この件を急いではいけないことも分かっている。さっきは自分が焦りすぎてしまったのだ。咲夜がまだ自分たちと会う心の準備ができていないと聞き、もしかしたら自分を母親として受け入れたくないのではないかと不安になった。そのせいで一時的に感情が昂り、誤解を招きかねない言葉を口走ってしまったのだ。紗智子は、咲夜や花江家の人たちの前であの言葉を口にしなかったことを心から幸いに思った。もし本人たちに聞かれていたら、どれほど言葉を尽くしても誤解を解くのは難しかっただろう。紗智子は深く息を吸った。「そうね。焦っちゃだめよね。私、気持ちばかりが先走っちゃったわ。こんな私を咲夜が見たら、きっとあの子を怖がらせてしまうもの」そう言うと、彼女はすぐに気持ちを落ち着かせた。その様子を見て、川治もほっと息をつく。紗智子が冷静さを取り戻したのを確認してから、香織がゆっくりと口を開いた。「お義姉さん、そんなに焦らなくても大丈夫よ。真奈美さんも昨日、この件であまりにショックを受けて倒れてしまったそうだから、もう少し時間をあげましょう」真奈美が体調を崩したことは、鷹司家の人たちもすでに知っていた。そもそも紗智子自身も、真実を知ったときは相当なショックを受け、その日のうちに微熱を出し、その微熱がなかなか引かなかったのだ。川治も香織を見て言った。「ただ、いつまでもこのままというわけにもいかない。知りたいのは咲夜自身がどう考えているかだ。俺たちと一緒に桜ノ宮市へ帰る気があるのかどうか、それを知りたい」咲夜が鷹司家の娘であることは、DNA親子鑑定ですでに確認されている。ならば当然、いずれ鷹司家に戻ってくるべきだと川治は考えていた。ただ、彼が心配しているのは、咲夜が景浦市を離れたくないのではないかということだった。何より、自分を育ててくれた両親と離れることなどできないのではないか。もちろん、これまで誰も真実
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第814話

咲夜は病院を出たあと、香織からの電話を受けた。結局、彼女は千暁からスマホを返してもらうことにした。「返して。いつまでもこうしてるわけにはいかないから」千暁は咲夜を見つめたものの、最後には何も言わずスマホを差し出した。咲夜は少し離れた場所へ移動して電話に出た。電話の向こうで、香織は咲夜と一度きちんと話がしたいと簡単に用件を伝えた。咲夜も最終的にはその申し出を受け入れた。そのことを千暁に話すと、結局彼が自ら咲夜を約束の場所まで送り届けることになった。待ち合わせ場所は、香織が滞在しているホテルの一階にあるカフェだった。香織はわざわざ個室を取っていた。咲夜が到着したとき、個室にいたのは香織だけだった。彼女の姿を見ると、香織はかすかに笑みを浮かべた。「咲夜、来てくれたのね」そう言って、咲夜に座るよう促した。咲夜が席につくと、香織はコーヒーを淹れ、彼女の前へ差し出した。「ブルーマウンテンよ。飲んでみて」香織に見つめられながら、咲夜はほんの少し口をつけた。それからカップを置き、香織を見つめたまま、自分から話を切り出そうとはしなかった。先に口を開いたのは香織だった。「突然こんなふうに呼び出してしまって、ごめんね。気を悪くしないで。星奈から、もう一通り聞いているでしょう?咲夜は今回のことをどう考えているの?」もし咲夜がまだ受け入れられないというのなら、それでも構わない。鷹司家としては、もう少し待つこともできると香織は考えていた。咲夜は正直に答えた。「特にどうとも……あまりにも突然のことで、今でも私と星奈さんがどうして入れ替わってしまったのかさえ分かっていません。私は……」少なくともすべての事情が明らかになるまでは、まず花江家の両親の気持ちを考えたい。そう伝えたかった。しかし、その先の言葉がうまく出てこなかった。香織はずっと、咲夜が続きを話すのを待っていた。だが、彼女が言葉に詰まっているのを見ると、自らその続きを引き取るように口を開いた。「咲夜と星奈が取り違えられたのは、実は偶然じゃないの。誰かが故意に入れ替えたのよ」「え?」咲夜は驚愕して香織を見た。鷹司家はもう、そこまで調べ上げているのだろうか。香織は頷いた。「当時のことを調べるのは、実はそれほど難しくなかったの。この件は鷹司家にも深く関わる
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第815話

つまり澄江は、いかにも昔風の派手なおくるみを見ただけで、その赤ん坊を貧しい家の子だと思い込んだのだ。そして嫉妬に駆られた彼女は、二人の赤ん坊を入れ替えてしまった。おそらく、死んだ澄江でさえ想像していなかっただろう。その赤ん坊は決して貧しい家の子などではなく、桜ノ宮市の鷹司家の娘だったのだ。今泉家と肩を並べるほどの名家である。もし今になってその事実を知ったら、あまりの衝撃に棺桶から飛び出してきてもおかしくない。香織の話を聞き、咲夜もようやく事情を理解した。すべての元凶は澄江だった。だが、その女はもう何年も前に死んでいる。今さら責任を追及しようにも、その相手すらこの世にはいなかった。そう思うと、咲夜は心の中でため息をつかずにはいられなかった。本当に、運命とは皮肉なものだ。香織は咲夜の顔をじっと見つめた。「初めてクルーズ船で咲夜を見たとき、本当に驚いたの。この世に、こんなに義姉にそっくりな人がいるなんて思わなかったから。星奈よりも咲夜のほうが、ずっと兄夫婦の娘に見えた。本当なら疑うべきじゃなかったんでしょうけど、それでも疑わずにはいられなかったの」そう語る香織の声には、申し訳なさが滲んでいた。「本当にごめん。咲夜にも花江家にも、こんな大きな騒ぎにしてしまって」けれど、あのときの香織には、じっくり考えている余裕などなかった。どうしても真相を確かめたかったのだ。咲夜は俯いたまま、何も言わなかった。そんな彼女を見ながら、香織は続けた。「兄と義姉は、ただ咲夜に会いたいだけなの。それ以外に何かしようとしているわけじゃない。咲夜にも星奈にも、この事実を受け入れるには時間が必要だって、私たちも分かっているわ。花江家が小さい頃からずっと咲夜を大切に育ててきたことも知っている。星奈だって同じよ。兄と義姉はあの子を本当に可愛がってきたから、自分たちの娘ではないと突然知らされたときは、二人ともすぐには受け入れられなかった。「だからこそ、兄たちにも咲夜を育ててきたご両親の気持ちは分かるの。このことは焦らず、ゆっくり進めていくべきだって、二人とも思っている。今回わざわざここまで来たのも、まずは咲夜や花江家のご家族と少しずつ話をして、距離を縮めたいと思っただけなのよ」そこまで話したところで、香織は自分の言葉が
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第816話

真奈美の気持ちが落ち着いてから、咲夜はようやく、香織から持ちかけられた顔合わせの話を二人に伝えた。雅紀と真奈美は互いに顔を見合わせた。しばらくして、雅紀が小さくため息をついた。「咲夜、お前はどうしたい?会ってみたいか?」咲夜の様子を窺いながら、優しい声で続ける。「まだ心の準備ができていなくて、会いたくないなら会わなくていい。父さんも母さんも、お前が幸せでいてくれればそれでいいんだ。たとえ本当に鷹司家の娘だったとしても、お前が父さんと母さんの大切な娘であることに変わりはない。星奈もお前も、私たちの娘だ」その言葉には、咲夜がどんな決断をしても、二人は尊重するという思いが込められていた。鷹司家へ戻りたいというのなら、それでも構わない。そうなっても、咲夜が雅紀と真奈美の娘であることに変わりはない。戻りたくないというのなら、それも構わない。花江家でこれまでどおり暮らしていけばいいのだ。二人は星奈にも同じことを伝えていた。花江家へ戻りたいのなら、両親として心から歓迎するし、これまで一緒に過ごせなかった分まで、できる限りのことをしてやりたい。けれど、星奈がこれからも鷹司家で暮らしたいというのなら、その気持ちも理解し、尊重するつもりだった。たとえ鷹司家に残ったとしても、星奈が二人の娘であるという事実は変わらない。今は交通の便も良く、会いたいと思えばいつでも会いに行ける。少なくとも、離れて暮らしたからといって、会えなくなるわけではなかった。両親の言葉を聞きながら、咲夜は考え込んだ。そして長い沈黙のあと、ようやくゆっくりと口を開いた。「それなら……一度、会ってみようかな」もともと咲夜が心配していたのは、鷹司家がどうしても自分に会いたがっているのは、自分を鷹司家へ連れ戻したいからではないかということだった。しかし改めて考えてみれば、少し身構えすぎていたのかもしれない。鷹司家だって、必ずしも自分に戻ってきてほしいと考えているとは限らない。それでも、今日の香織の話を聞いて、それまで張り詰めていた咲夜の気持ちがいくらか楽になったのは確かだった。鷹司家も、何が何でもすぐに自分を娘として取り戻そうとしているわけではない。それなら、一度くらい会ってみてもいいかもしれない。雅紀と真奈美の了承を得たあと、両家の顔合わせは
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第817話

「お母さん、まずは咲夜さんを離してあげて」星奈が前に出て紗智子をなだめた。「そんなふうにしたら、びっくりさせちゃうよ」そう言ってから、星奈は申し訳なさそうに咲夜を見た。「ごめんね。母、咲夜さんに会えて感極まっちゃったみたいで」咲夜が今、かなり戸惑っていることは、星奈にも見て取れた。その言葉を聞いた咲夜は、少しぎこちない笑みを浮かべた。「う、ううん……大丈夫」ただ、紗智子の背中を軽く撫でる手つきは、先ほどよりもいくらか自然になっていた。川治は半ば強引に紗智子を咲夜から引き離すと、今度は妻を自分の腕の中へ抱き寄せ、優しく言い聞かせた。「ほら、ここへ来る前に話しただろう?咲夜には時間をあげようって。そんなことをしたら、驚かせてしまうよ」そう言いながら、川治は横目でそっと咲夜の様子を窺った。あまり露骨に見つめることはできなかった。自分まで妻と同じように咲夜を怖がらせてしまっては困ると思ったからだ。咲夜も、そんな彼の遠慮がちな視線に気づいていた。彼女は川治に向かって、かすかに微笑んだ。すると、傍らにいた千暁がすぐに場を取り持つように口を開いた。「ひとまず個室に入りましょう。義父と義母も中で待っていますから」その一言で、気まずくなりかけていた空気を和らげた。香織もすぐに同調した。「そうね。まずは中に入りましょう。あまり長く待たせるのも失礼だもの」星奈も頷いた。「行きましょう」紗智子も、先ほどの自分があまりにも感情的になりすぎていたことに気づいていた。目尻の涙を手で拭ったものの、その視線は相変わらず咲夜から離れなかった。その頃、咲夜は千暁に腰へそっと手を添えられ、二人で先頭を歩いていた。背後から紗智子の熱い視線が注がれているのが、嫌でも伝わってくる。あまりにも見つめられるものだから、咲夜は緊張のあまり、危うく右手と右足を同時に出して歩きそうになった。幸い、隣には千暁がいた。彼は咲夜の耳元に顔を寄せ、小さな声で囁いた。「大丈夫。緊張しなくていい。俺がいるから」たったそれだけの言葉なのに、不思議なほど咲夜の動揺も少しずつ収まっていった。彼女は顔を上げ、隣を歩く千暁を見つめると、ようやくほっと息を吐いた。そうして、どうにか一行を個室まで案内した。一方、個室で待っていた雅紀と真奈美も、内心
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第818話

とはいえ、香織が自ら場を取り持ったことで、先ほどまでのような気まずい空気はだいぶ和らいだ。紗智子もようやく気持ちを落ち着かせ、真奈美のそばへ寄ると、二人でそれぞれの娘が幼かった頃の話をし始めた。雅紀は引き続き川治と話をし、星奈と香織も時折その会話に加わった。しばらくすると、千暁まで雅紀と川治の話に加わり、いつの間にか場には打ち解けた雰囲気が漂っていた。その光景を眺めながら、咲夜はそっと安堵の息をついた。彼女も時折、香織から話を振られれば答えていたが、やはり個室の空気にはまだ馴染みきれなかった。そこで千暁にトイレへ行ってくると一言告げ、個室を出た。本当のところ、咲夜は少し外に出て息をつきたかっただけだった。まさか、この望月亭で瞳に会うとは思ってもいなかった。瞳はどうやら、取引先の接待でここを訪れていたらしい。ちょうど客を個室の前まで見送っているところだった。相手は明らかにかなり酔っており、顔を真っ赤にしながら、秘書に支えられるがまま立っていた。それでも口からは次々と酔いに任せた取り留めのない言葉がこぼれている。瞳は終始笑顔を崩さず、根気よく相手に付き合っていた。ようやく相手をなだめると、その秘書にも笑顔で別れを告げた。秘書に支えられた相手の姿が完全に見えなくなってから、瞳はようやく顔から笑みを消した。ずきずきと痛むこめかみを指で押さえ、その表情には疲労の色が滲んでいた。千暁が荻野グループを去ってから、天志は念願どおり荻野グループの実権を握った。しかし、これまでグループを実質的に取り仕切っていたのは千暁だった。天志はグループを引き継ぐと、大規模な人事改革に乗り出し、千暁を支持していた古参社員を大勢解雇した。中には、プロジェクトチームごと整理対象になったケースさえあった。もちろん、天志はこれまで自分が育ててきた人材を次々と要職に据えたものの、新しい体制が軌道に乗るまでには時間がかかる。次から次へと問題起こり、誰もが目の回るような忙しさに追われていた。古参社員たちはあまりにも急に会社を去ったため、業務の引き継ぎも十分に行われていなかった。そのせいで、多くのプロジェクトを新しい社員が十分な引き継ぎもないまま担当することになり、あちこちでトラブルが続出していた。こうなると、忙しくなったのは天
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第819話

咲夜は視界の端で、瞳が椅子に座り、天井を仰いでいる姿を捉えた。わざとなのか、それとも本当に疲れ切っているのかは分からない。瞳は目を閉じたまま、しばし体を休めているようだった。咲夜はすぐに視線を戻すと、そのまま足早に個室の前を通り過ぎた。そして、咲夜の姿が見えなくなったのとほぼ同時に、瞳は勢いよく目を開いた。鋭い眼差しが個室の入口へ向けられる。そばにいた若いアシスタントはその視線に気づき、恐る恐る声をかけた。「瞳さん……」その呼びかけで、瞳は我に返った。アシスタントへ視線を向けると、すぐに指示を出す。「咲夜がどうしてここにいるのか、調べてきて」咲夜は今、金に困っているのではなかったのか。望月亭は、とても今の咲夜が気軽に利用できるような店ではない。瞳の指示を聞いたアシスタントは少しもためらわず、すぐに事情を調べに向かった。個室には、瞳一人だけが残された。彼女は静かに天井を見つめた。このところ、あまりにも忙しかった。忙しすぎて、かつて親友だった咲夜の存在すら、瞳は忘れかけていたほどだ。先ほど、咲夜がまるで自分など知らない人間であるかのように振る舞っていた姿を思い出した瞬間、瞳の眼差しがすっと冷たくなった。その眼差しには、苛立ちと軽蔑が滲んでいた。自分はまだ何もしていないというのに、咲夜のほうが先に他人のふりをするなんて。考えれば考えるほど腹が立ち、瞳は勢いよく立ち上がった。目の前のグラスを手に取り、苛立ちをぶつけるようになみなみと酒を注ぐと、そのまま一気にあおった。しかし、あまりにも勢いよく飲んだせいで、瞳はむせてしまった。身を折るようにして激しく咳き込んだ。胸元を押さえながら咳を続けているうちに、いつの間にか涙まで滲んできた。涙が目尻からゆっくりと頬を伝っていった。ようやく咳が治まった頃には、瞳の顔はすっかり涙で濡れていた。顔を真っ赤にしたまま、彼女は乱暴に手で涙を拭い、心の中で自分を罵った。――情けない。たかが友達一人じゃない。いなくなったって何も変わらない。何をそんなに腹を立てているの?何がそんなに気に入らないの?友達なんていくらでもいる。合わなければ、また別の友達を作ればいい。誰があんな子のことなんて気にするものか。そう考えているうち
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第820話

咲夜は、瞳と偶然会ったことをそれほど気に留めてはいなかった。個室へ戻ってからは、どこか上の空になっていた。千暁はそんな彼女の様子に気づき、心配そうに尋ねた。「何か気になることでもあるのか?」隣にいる千暁を見て、咲夜は首を横に振ると、小さな声で答えた。「さっき外で瞳に会ったの」千暁はもう一度尋ねた。「また君に八つ当たりでもしたのか?」そう言うなり、その表情が一段と険しくなった。もし瞳がまた理不尽に咲夜を責めたのなら、今度こそ自分が直接話をつけに行かなければならない。咲夜はいつも、瞳にはまだ子供っぽいところがあるからと、いちいち咎めないでほしいと彼女を庇っていた。だが咲夜がこれほど瞳のことを思いやっているというのに、当の本人はその気持ちをまるで分かっていない。瞳が咲夜に向ける態度を思い出すだけで、千暁は腹が立った。考えれば考えるほど苛立ちが募っていった。そんなときだった。彼の手の上に、小さな手がそっと重なった。咲夜は千暁の感情の変化に気づき、彼の手を握って無言でなだめた。「何もされてないよ。瞳はあきの妹なんだから、瞳のことをそんなに悪く思わないで」咲夜は穏やかな声で、千暁を宥めた。ただ、瞳との友情がここまで壊れてしまったことを思うと、やはりやるせない気持ちになるだけだった。今でもふとした瞬間に思い出せば、咲夜の胸は痛んだ。瞳は、絢子が亡くなったのは自分のせいだと思っている。そのことについては、今の瞳に何を言っても意味がなかった。瞳自身がいつか気持ちを整理し、真実を受け入れない限り、自分がいくら言葉を尽くしたところで意味はない。だからこそ咲夜は、自分のせいで千暁と瞳の兄妹関係まで悪くなってほしくなかった。千暁は咲夜と目を合わせると、仕方なさそうにため息をついた。「分かったよ。ただ、次にまた何かあったら、そのときは俺も黙っていないからな」彼も咲夜を困らせたくはなかった。その言葉を聞き、咲夜は小さく頷いた。一緒に食事をしたことで、鷹司家と花江家の距離もかなり縮まった。そのうち、今夜集まった全員で家族のグループチャットを作ろうという話になった。星奈はすぐにスマホを掲げた。「私が作る、私が作る!咲夜さんとはもう友だち登録してるから」そう言うと、星奈は手早くグループを作った。
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