All Chapters of 『RE:LAY ―幽霊となった伝説のモデルが妹をプロデュースする話―』: Chapter 41 - Chapter 50

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第41話《残された選択肢》

UTAHARA OFFICEの小会議室。 ガラス越しに、先ほどまでいた応接スペースが見える。 南条は外に残っていた。和人もいる。代理人が間に入り、こちらへ入ってこないよう話をしているのが見えた。 室内にいるのは、彩と良太だけ。 そして、彩には見えない黒いドレス姿のレイラ。 良太は古い鞄を机の上へ置いた。 擦れた角。少し歪んだ持ち手。安物の金具。 この事務所には似合わない鞄だった。 けれど、その中には、レイラが生きている間に残したものが入っている。 良太は口を開けた。 封筒。 通帳。 印鑑。 契約に関する書類。 不動産の名義を確認できる資料。 ひとつずつ、机の上へ置いていく。 彩は黙って見ていた。 書類に並んでいる言葉は難しい。 契約。 贈与。 登記。 名義。 十五歳の彩には、それぞれの意味よりも、自分の知らないところで姉が何かを準備していたという事実の方が先に入ってきた。 良太が一枚の書類を彩へ向ける。 「これは、レイラさんが生前に用意していたものです」 「……お姉ちゃんが?」 「はい」 彩は書類を見る。 「まず、マンションがあります」 「マンション?」 「今、彩さんが住んでいるところとは別です」 彩が顔を上げた。 良太はレイラから聞いたことを思い出しながら、できるだけ分かりやすく続ける。 「親権のことが片づいたあと、レイラさんと一緒に暮らし始めましたよね」 「……はい」 「でも、今までレイラさんが住んでいた家は、もともと一人で仕事をする前提で使っていた場所だったそうです」 彩にはすぐ分かった。 衣装。 仕事の資料。 身体を整えるための道具。 レイラの生活は、モデルという仕事と切り離せない。 彩が一緒に暮らし始めてから、自分のための空間も作ってくれた。 けれど、最初から姉妹二人の家として選ばれた場所ではなかった。 良太が言う。 「だから、新しく買ったそうです」 彩の目が止まる。 「……買った?」 「はい」 少し間を置く。 「彩さんと、これから先も一緒に暮らすために」 彩は何も言わなかった。 良太が書類の一か所を指す。 「学校にも通いやすくて、仕事にも動きやすい場所だそうです。最初から彩さんの部屋も用意されています」 彩の視線が、その先で止まった。 そこには自分
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第42話《誰にも渡さない》

UTAHARA OFFICE・応接スペース。 小会議室の扉が開いた。 最初に出てきたのは彩だった。 胸元には、通帳と書類。落とさないようにというより、誰にも取られないようにするように、両腕で抱えている。 その後ろから良太が出てくる。 応接スペースにいた全員の視線が、一斉に二人へ向いた。 和人が真っ先に立ち上がる。 「何だったんだ」 返事を待たず、彩の胸元を見る。 「それ、見せろ」 彩の腕に力が入った。 「何を渡された?」 答えない。 和人の声が一段強くなる。 「彩」 昔から知っている声だった。 怒っているときの父親の声。 「父親に隠すことじゃないだろ。見せろ」 和人が一歩近づく。 彩は反射的に一歩下がった。 その間へ、南条が入った。 「和人さん」 「どけ」 「どきません」 声は穏やかだった。 けれど、身体は動かない。 和人が南条を睨む。 「お前に関係ないだろ」 「あります」 南条は彩を一度だけ見た。 「彩さんが嫌がっています」 「俺は父親だぞ!」 その瞬間だった。 黒いドレス姿のレイラが言う。 「違う」 良太も心の中でほとんど同時に思った。 《違うだろ》 そして南条が、現実の声で言った。 「それと、今ここで彩さんのものを自由に扱えることは別です」 和人の顔が止まった。 南条は感情的にならない。 だからこそ、その言葉は重かった。 「以前の手続きで、和人さんたちが彩さんについて親として自由に決められる状態ではなくなり、レイラさんが未成年後見人になりました」 和人の眉が歪む。 「それはレイラがいたからだろ」 「ええ」 南条は頷く。 「そしてレイラさんは亡くなりました」 一拍置く。 「でも、だからといって、和人さんが今日から当然に元の立場へ戻るわけではありません」 「俺は実の父親だ!」 「それは事実です」 南条の返事は短い。 「ですが、彩さんの生活や財産について、今この場であなたが全部決めていいという意味ではありません」 和人が言葉を詰まらせた。 そのとき、代理人が口を開いた。 「和人さん」 「何だよ」 「少し落ち着いてください」 「俺は父親だぞ」 「今は、その感情ではなく手続きの話をしています」 代理人の声も淡々としていた。 彩の味方として言っている
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第43話《五百万の条件》

UTAHARA OFFICE・小会議室。 机の上には、さきほどまで彩が胸に抱えていた通帳が置かれている。 残高、五億円。 彩はもう、その数字が何を意味するのか知っていた。 自分の名義で用意されたマンションがあること。 この金も、姉が生きている間に自分のために分けていたこと。 そして、それを誰にも勝手に渡さないと、自分の口で言ったこと。 けれど、知ったからといって重さが消えるわけではない。 五億円。 十五歳の彩が、自分のものだとすぐに受け入れられるような数字ではなかった。 向かいには良太が座っている。 先ほどより、なぜか落ち着かない。 膝の上で手を組んではほどき、また組み直している。 その横には、黒いドレス姿のレイラ。 彩には見えない。 声も聞こえない。 それでも、ずっと妹を見ていた。 彩が通帳へ目を落とした。 「……まだ、変な感じがします」 「はい」 「私の名前なのに、私のものって言われても……全然そう思えません」 良太は頷いた。 「当然だと思います」 紙はただの紙だった。 印字された数字にも温度はない。 なのに、それを姉が用意したのだと思うと、彩の胸の奥だけが熱くなる。 「お姉ちゃん、ここまで考えてくれてたんですね」 「……はい」 「私が困らないように」 その言葉に、レイラが少し目を伏せた。 「違うわ」 良太だけが聞く。 《違う?》 「親のことが片づいたら、それで大丈夫だと思いたかったの」 レイラは彩を見た。 「一緒に暮らして、学校の話して、ご飯食べて」 少しだけ笑う。 「たまには喧嘩して」 その笑みが、すぐに薄くなる。 「そういうのが続くと思うでしょう」 良太は何も返さなかった。 「でも、私がいなくなる可能性だけは、なくせなかった」 レイラは窓の外へ目を向ける。 「だから残したの」 そして、本当に小さな声で付け加えた。 「まさか、本当に必要になるなんて思わないじゃない」 良太には返せる言葉がなかった。 彩は何も知らないまま、通帳を見ている。 ただ、姉が残したものだけを受け取っている。 「……お姉ちゃん、すごいですね」 「はい」 「私の知らないところで、ずっと私のこと考えてた」 良太は少し間を置いた。 「そうだと思います」 レイラは何も言わなかった。 今、
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第44話《名前を売った日》

夜。 空港へ向かう車のフロントガラスを、小雨が細く流れていた。 赤信号。 運転席には赤西。助手席には陽子。 二人とも前を向いたまま、ほとんど会話をしていない。 後部座席には、陽子が日本から姿を消すために用意した荷物が置かれていた。 これから先の暮らしに必要な金と、最低限の身の回りのもの。 娘を失った母親の荷物にしては、あまりにも少なかった。 赤西がハンドルを握ったまま言う。 「……向こうへ行けば、しばらくは暮らせます」 陽子は答えない。 「生活に困ることも、たぶんありません」 「……そう」 乾いた声だった。 少しして、赤西が続ける。 「心音の手術費と、家族が生きていくためのお金は受け取りました」 指に力が入る。 「俺には……これくらいしかできません」 陽子は後部座席を見る。 自分がこれから生きるための荷物。 逃げた先でも暮らしていけるだけの金。 それだけが残った。 「あなた」 「……はい」 「最初から、父親だったのね」 赤西は答えなかった。 答えられなかった。 娘を救うために踏み越えた。 何をしたのか分かったうえで、それでも最後には娘のところへ帰る。 陽子とは違う。 赤信号が青に変わった。 車がゆっくり動き出す。 陽子は窓の外を見る。 最初から分かっていたのかもしれない。 この男は、自分を選ばない。 選べない。 帰る場所があるからだ。 娘がいる。 家族がいる。 罪を背負ってでも帰ろうとする場所がある。 陽子には、 もうなかった。 * 国際線ターミナルは、夜でも明るかった。 巨大なガラス。 白い照明。 絶え間なく流れるアナウンス。 スーツケースの車輪が床を滑っていく。 陽子は一人で歩いていた。 目立たない服装で、人の流れに紛れる。 誰にも声をかけられないように。 誰にも、 歌原レイラの母親だと気づかれないように。 けれど、人目を避けるほど、陽子自身が何者なのか分からなくなっていった。 スマートフォンを開く。 国外でも使えるよう整理された資産。 桁の大きな数字。 十億円を超える。 一生働かなくても、困らないだけの金だった。 レイラが死んだあとに手元へ残ったもの。 陽子は画面を見つめる。 欲しかったのは、 こんなものではなかった。 そのはずなのに、
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第45話《一人にしないための線》

昼。 新築マンション、一二〇七号室。 大きな窓から入った光が、まだ生活の匂いの薄いリビングに広がっていた。 家具は少ない。 白いテーブルと数脚の椅子。 その上には、何枚もの書類とスマートフォンが置かれている。 画面にはニュース速報。 『HORIZON、UTAHARA OFFICE買収を正式発表』 『歌原レイラ関連事業・ブランド資産を継承』 『古巣HORIZONによる大型買収』 彩は、その文字をしばらく見つめていた。 隣には南条圭介。 向かいには与那嶺良太。 テーブルの端には、スーツ姿の弁護士が座っている。以前、彩を両親から切り離し、レイラを未成年後見人とする手続きにも関わった人物だった。 そして良太の横には、黒いドレス姿のレイラが立っている。 もちろん、彩にも南条にも弁護士にも見えていない。 ニュース動画の中で、HORIZON本社の巨大なビルが映る。 かつてレイラが所属していた、日本最大手の芸能事務所。 彩が小さく言った。 「……買われたんですね」 良太が頷く。 「はい」 少し迷ってから続ける。 「少なくとも、今までのUTAHARA OFFICEは、もうありません」 彩は目を伏せた。 倒産したわけではない。 名前が消滅しただけでもない。 それでも、姉が自分で作り、姉を中心に人が集まり、姉の判断で仕事が動いていた場所は終わった。 レイラは画面を見ながら腕を組む。 《まあ、そうなるわよね》 良太が心の中で返す。 《平気なのか?》 《私がいなくなって、人まで抜けた。会社として残っているのは、名前と権利と過去の仕事が中心よ》 少し間を置く。 《HORIZONが見逃す規模じゃない》 南条が苦笑した。 「それにしても、動きが速すぎますけどね」 スマートフォンを見る。 「まあ……HORIZONならやるか」 彩が顔を上げる。 「みんなは、どうなるんですか」 南条の表情から少しだけ笑みが消えた。 「残る人もいると思います。別の仕事へ行く人もいます」 一度言葉を切る。 「でも、チームレイラは……もう解散ですね」 彩は黙った。 南条も、ごまかさなかった。 「あれは会社の部署というより、レイラさんのために集まったチームでしたから」 黒いドレス姿のレイラが静かに目を伏せる。 《そう》 あの場所
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第46話《必要な場所》

玄関のドアが閉まった。 弁護士を見送ったあと、一二〇七号室には再び静けさが戻った。 白いテーブル。 HORIZONによるUTAHARA OFFICE買収の記事が表示されたままのスマートフォン。 南条の署名が入った確認書。 そして、彩、良太、南条。 良太のそばには、誰にも見えない黒いドレス姿のレイラがいる。 しばらく誰も話さなかった。 最初に口を開いたのは南条だった。 「……俺も入ります」 良太と彩が同時に顔を上げる。 南条は冗談を言っている顔ではなかった。 「広報も、SNSも、メディア対応も、ブランド管理もできます」 少し間を置く。 「前の会社でやってきたこと、全部使えます」 その声には熱があった。 チームが崩れた悔しさもある。 レイラを失った悔しさもある。 それでも彩だけは残った。 だから今度は、自分が支えたい。 「レイラさんが守ろうとしてたものを、俺も守りたい」 南条は彩を見る。 「彩ちゃんを支えたいです」 彩はすぐには答えられなかった。 嬉しくないわけではない。 南条は、姉が信頼していた人だ。 自分のために残ってくれた人でもある。 けれど、その瞬間。 良太の横でレイラが言った。 「断って」 良太がわずかに眉を動かす。 《……え?》 「今じゃない」 《いや、待て》 良太は南条を見る。 優秀なのは、自分にも分かる。 むしろ今の自分たちに足りないものを、ほとんど持っている。 SNS。 メディア。 ブランドとの接点。 業界の信用。 入ってもらえるなら、ありがたいに決まっている。 《断る理由ないだろ》 レイラは首を横に振った。 「あるわ」 《何だよ》 「強すぎる」 良太には、すぐには意味が分からなかった。 それでもレイラの顔を見て、何か理由があることだけは分かった。 良太は小さく息を吐く。 「……南条さん」 「はい」 「さっきお願いした協力者としては、これからも力を貸してください」 南条が頷く。 「もちろんです」 「でも」 良太は一度言葉を止めた。 「今、こっちに入ってもらうのは違うと思います」 南条の眉が動いた。 「違う?」 「はい」 良太自身も、まだ言葉を探していた。 横からレイラの声が入る。 「今の彩に、完成した広報はいらない」 良太はそ
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第47話《選べる未来》

昼。 一二〇七号室のリビングには、まだ片づけられていない書類が残っていた。 南条が署名した確認書。 未成年後見人の選任申立てに関する説明資料。 資産管理についてのメモ。 その横では、スマートフォンの画面にHORIZONによるUTAHARA OFFICE買収の記事が表示されたままになっている。 さっきまでいた南条の足音も、もう聞こえない。 部屋に残ったのは、彩と良太。 そして、誰にも見えない黒いドレス姿のレイラだけだった。 しばらく、時計の秒針だけが小さく進んでいた。 やがて良太が口を開く。 「……もう一つ、確認しておきたいことがあります」 彩が顔を上げた。 「はい」 良太はテーブルの上にある資産資料を見る。 「彩さんには、住む家があります」 少し間を置く。 「生活していけるお金もある」 彩は黙って聞いている。 良太は一度息を吸った。 「正直に言います」 彩を見る。 「五億円あれば、きちんと管理して普通に暮らしていく限り、今すぐ生活のために働かなきゃいけない状態ではないと思います」 彩の目が少し動いた。 良太は続ける。 「だから、モデルを続けなくてもいいです」 その瞬間。 レイラが良太を見る。 《……は?》 「無理して働く必要もありません」 《ちょっと待ちなさい》 レイラの眉が上がる。 《何を言い出すのよ。この子はモデルになりたいの。そのために私は――》 良太は構わず続けた。 「だから聞きます」 一拍。 「彩さんは、どうしたいですか」 レイラの言葉が止まった。 数秒。 やがて、その表情が少しだけ変わる。 《……あ》 良太を見る。 《そういうこと》 逃げ道を先に置く。 モデルをしなくても生きられる。 姉のために続けなくてもいい。 金のために働かなくてもいい。 そのうえで、 本人に選ばせる。 レイラが小さく笑った。 《……ずるいわね》 良太には聞こえている。 けれど返さなかった。 部屋が静かになる。 彩は俯き、制服の裾を指先でつまんだ。 考えている。 けれど、 答えに迷っているわけではなかった。 「……モデルです」 良太が顔を上げる。 彩も顔を上げた。 「モデルをやりたいです」 即答に近かった。 「お姉ちゃんが言ってくれたんです。私なら、モデルにな
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第48話《はじまりの登録》

朝。 一二〇七号室には、まだ生活が始まりきっていない匂いが残っていた。 大きな窓から朝の光が入り、広いリビングの床を白く照らしている。二人で使うはずだった食卓には椅子が二脚あり、その片方だけが空いていた。 開けられていない段ボールもある。 使われていない部屋もある。 本来なら、ここには二人で暮らす未来があった。 歌原レイラ。 歌原彩。 けれど今、食卓にいるのは彩だけだった。 良太は少し離れたところから室内を見ている。 そして黒いドレス姿のレイラも、誰にも見えないまま同じ部屋を見ていた。 彩が口を開く。 「……ここ、使いませんか」 良太が振り返る。 「ここ?」 「はい」 彩は部屋を見回した。 「事務所です」 良太の表情が止まる。 「ここを?」 「お姉ちゃんが残してくれた家です。でも、一人で住むには広すぎるし……使ってない部屋もあります」 この家は5LDKだった。 彩の部屋。 レイラの寝室。 仕事部屋。 トレーニングルーム。 ゲストルーム。 それに、大型のウォークインクローゼットが二つ。 姉妹二人の生活と、二人のモデルとしての仕事まで見越して、レイラが選んだ家だった。 今は彩の部屋しか、生活のためには使われていない。 レイラの寝室には、まだ誰も入っていない。 仕事部屋も、トレーニングルームも、ゲストルームも、本来の役目を与えられないまま残っている。 彩が続けた。 「仕事部屋、お姉ちゃんが使う予定だったんですよね」 良太が黒いドレス姿のレイラをちらりと見る。 レイラが小さく頷く。 「そうよ」 もちろん彩には聞こえない。 彩はそのまま言った。 「だったら、そこを事務所にしたいです」 少し間を置く。 「仕事をする場所にもして、ここは……ちゃんと私が帰る家のままにしたいです」 良太はすぐには返事をしなかった。 広い家だ。 家賃もない。 新しく事務所を借りるより、金もかからない。 合理的ではある。 けれど、それだけで決めていい話ではない。 「……一つ確認していいですか」 「はい」 良太は椅子へ座らず、彩と少し距離を取ったまま話した。 「ここを仕事場にするなら、僕も出入りすることになります」 彩は黙って聞いている。 「でも、彩さんは十五歳です」 一拍置く。 「僕は親族じゃな
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第49話《代表の言葉》

夜。 一二〇七号室。 リビングの白いテーブルには、会社印と名刺、それから法人登記の完了を知らせる書類が並んでいた。 株式会社 UTAHARA MODEL OFFICE。 良太は、その文字をしばらく見つめている。 数日前まで無職だった。 今は、代表取締役。 頭では分かっていても、まだ現実味が追いついてこない。 「……慣れないな」 彩が紅茶をテーブルへ置いた。 「社長ですから」 「そうなんだよな」 良太は小さく頷いた。 少し考えてから、椅子に座り直す。 背筋を伸ばし、着慣れないシャツの襟元を直した。 「よし」 彩が不思議そうに見る。 「……何ですか?」 「今日から、ちゃんと社長として振る舞おうと思う」 「はい」 良太は真面目な顔になる。 そして、 「彩」 と言った。 彩が瞬きをした。 良太自身も、言ってから少し固まった。 数日前までずっと「彩さん」と呼んでいた。 十五歳とはいえ、ほとんど初対面の相手だったし、世界的モデルの妹でもあった。何より、五億円とマンションを持つ少女に突然現れた無職の男が、いきなり呼び捨てにする勇気などなかった。 彩が首を傾げる。 「……今、彩って」 「うん」 良太は一度咳払いした。 「そこも今日から変えようと思って」 「どうしてですか?」 「一応、理由があります」 良太は自分の名刺を指で押さえた。 「今日から彩は、この会社の所属モデルになる」 次に自分を指す。 「僕は代表」 一拍置く。 「仕事の場で毎回『彩さん』って呼ぶと、なんというか……代表と所属モデルの距離として、ちょっと他人行儀すぎる気がして」 彩は黙って聞いている。 良太は少し言いづらそうに続けた。 「だから、仕事では彩と呼ばせてもらいたい」 少し間を置いて、 「もちろん、嫌ならやめる」 と付け加える。 その瞬間、黒いドレス姿のレイラが横から言った。 《そこまで前置きして呼び捨てにする人、初めて見たわ》 良太が心の中で返す。 《大事だろ。十五歳の女の子だぞ》 《社長になった初日に、呼び方の許可を取る代表》 《悪いか》 《悪くない》 一拍。 《ただ、ものすごく良太らしい》 《どういう意味だよ》 《褒めてないわ》 彩は、二人のやり取りなど知らない。 少しだけ考えてから言った。
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第50話《流行の顔》

午前。 CM撮影スタジオ。 白い壁。 大型照明。 反射板。 床を這うケーブル。 スタッフたちが、慌ただしく動いている。 「本番五分前です」 「商品、もう一回拭いて」 「カメラ位置、少し右」 中央には、一人の若い女優が立っていた。 十九歳。 白いワンピース。 手には清涼飲料のボトル。 事務所が今、売り出そうとしている新人だった。 モニターには、撮ったばかりの映像が流れている。 女優が笑う。 その直前。 ほんの一瞬だけ、目が止まる。 笑顔になる前に、静けさが残る。 相沢七瀬は、その瞬間を見ていた。 三十代前半。 短い髪。 黒い服。 必要以上の装飾はない。 スポンサー担当者がモニターを見ながら、眉を寄せた。 「……違いますね」 周囲の動きが止まる。 ディレクターが顔を上げた。 「違う、というのは?」 「もっと可愛くしてください」 スポンサー担当者は、モニターの女優を指す。 「若い女性向けの商品なんです。親しみやすくて、今っぽい感じが欲しいんですよ」 七瀬は何も言わず、画面を見ている。 「目元をもっと華やかにして。涙袋とか。リップも艶があった方がいいですね」 「要りません」 即答だった。 スポンサー担当者が七瀬を見る。 「……はい?」 「この子は、そこを足す顔じゃないです」 女優本人の肩が、わずかに縮こまった。 マネージャーが困ったように口を挟む。 「相沢さん……」 七瀬はモニターから目を離さない。 「この子の良さは、笑う前です」 「笑う前?」 「はい」 一拍置く。 「笑顔そのものじゃない。笑う直前に、ほんの一瞬だけ目が止まる」 七瀬は映像を巻き戻す。 そこ。 笑顔になる直前。 「この静けさです」 スポンサー担当者が首を振った。 「飲料CMで静けさは求めてないんですよ」 「だから目立ちます」 「もっと分かりやすく可愛くしてください」 「分かりやすくしたら、どこにでもいる顔になります」 スポンサー担当者の眉がさらに寄る。 「韓国メイクっぽくていいんです。今、そういうのが刺さるので」 「似合いません」 「可愛らしく」 「この子は、可愛いに寄せる顔じゃないです」 女優の表情が少し硬くなる。 七瀬は続けた。 「可愛いに寄せると、安く見えます」 一拍。
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