All Chapters of 『RE:LAY ―幽霊となった伝説のモデルが妹をプロデュースする話―』: Chapter 41 - Chapter 50

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第41話《名前のない事務所》

1.1207号室・昼 静かな部屋。 新築マンション、1207号室。 昼の光が、白い床に薄く広がっている。 まだ家具は少ない。 白いテーブル。 椅子が数脚。 置かれたばかりの書類。 その上に、スマホ。 ニュース画面が光っていた。 『HORIZON、UTAHARA OFFICE買収を正式発表』 『歌原レイラ関連ブランド・契約資産を継承』 『業界最大手による異例の即時吸収』 彩は、その文字を見ていた。 隣には南条圭介。 向かいには与那嶺良太。 テーブルの端には、スーツ姿の弁護士。 歌原レイラの親権裁判でも関わっていた代理人弁護士だった。 そして、その後ろに――誰にも見えない歌原レイラ。 沈黙。 ニュース動画の中では、HORIZON本社ビルが映っている。 巨大なガラス張りの建物。 日本最大手芸能事務所。 かつて、レイラが所属していた場所。 彩 「……買われたんですね」 小さな声だった。 良太は頷く。 良太 「はい」 一拍。 良太 「UTAHARA OFFICEは、もうありません」 彩は、少しだけ目を伏せる。 潰れたわけではない。 けれど、残らなかった。 姉が作った場所。 姉が守っていた場所。 姉の名前で人が集まり、姉のために動いていた場所。 それは今、HORIZONの一部になった。 レイラは静かに画面を見る。 レイラ(心) 《当然ね》 《あの規模の事務所を、空席のまま放置する会社じゃない》 《私がいなくなった時点で、あそこは“資産”になった》 南条が苦笑する。 南条 「動き、めちゃくちゃ速かったですね」 一拍。 南条 「まあ……HORIZONならやるか」 彩 「……みんな、どうなるんですか」 南条 「残る人もいます」 一拍。 南条 「でも、“チームレイラ”は、ほぼ解散です」 静かな言葉だった。 南条 「レイラさんのために集まってた人たちだから」 彩は何も言えない。 その言葉が、正しすぎた。 レイラは目を伏せる。 レイラ(心) 《そうよ》 《あそこは、“私が立つための場所”だった》 《だから、私がいなくなった時点で終わってる》 沈黙。 弁護士が、静かに書類を一枚、テーブルへ置いた。 弁護士 「歌原さん」 彩が顔を上げる。 弁護士
last updateLast Updated : 2026-05-19
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第42話《選べる未来》

1.1207号室・昼(続き) 白い部屋。 昼の光。 テーブルの上には、まだ片付けられていない書類。 保証協力者確認書。 未成年後見申立ての説明資料。 資産管理メモ。 そして。 買収ニュースが映ったままのスマホ。 『HORIZON、UTAHARA OFFICE買収』 『歌原レイラ関連資産継承』 静かな部屋。 残ったのは、 彩。 良太。 そして、誰にも見えないレイラ。 玄関の向こうでは、さっきまでいた南条の足音ももう消えていた。 沈黙。 時計の秒針だけが小さく進む。 良太が、ゆっくり口を開いた。 良太 「……もう一つ、確認したいことがあります」 彩が顔を上げる。 良太 「彩さんには、住む家があります」 一拍。 良太 「生活できるお金もあります」 静寂。 良太 「正直に言います」 彩を見る。 良太 「五億あれば、普通に暮らすだけなら、一生困らないと思います」 彩は何も言わない。 良太 「無理して働く必要はありません」 一拍。 良太 「モデルを続けなくても、生きていけます」 部屋が静かになる。 その言葉は冷たかった。 でも。 優しかった。 姉が残した条件。 逃げ道。 選択肢。 それは彩を縛るための金じゃない。 未来を失わせないための金だった。 良太 「だから聞きます」 一拍。 良太 「彩さんは、どうしたいですか」 沈黙。 時計の音だけが聞こえる。 彩は少し俯く。 制服の裾を指先で握る。 考えていた。 でも。 迷ってはいなかった。 彩 「……モデルです」 即答だった。 良太が目を上げる。 彩 「お姉ちゃんが言ったんです」 一拍。 彩 「私なら、モデルになれるって」 レイラは動かない。 ただ見ている。 彩 「だから……見てみたいんです」 小さな声。 でも逃げない声。 彩 「お姉ちゃんが見てきた景色を」 一拍。 彩 「世界とか」 「有名になるとか」 「お金を稼ぐとか」 「そういうのは、まだよく分かりません」 彩は少し笑う。 困ったみたいに。 彩 「たぶん、私はまだ子どもで」 「何がすごいかも、全部は分かってないです」 一拍。 彩 「でも」 顔を上げる。 彩 「服が好きなんです」 良太 「
last updateLast Updated : 2026-05-22
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第43話《はじまりの登録》

0.1207号室・朝高層マンション。1207号室。朝の光。広いリビング。大きな窓。二人用だった食卓。空いた椅子。まだ開けられていない段ボール。使われていない部屋。静かな空間。本来なら。ここには二人いた。歌原レイラ。歌原彩。姉妹で住むはずだった未来。でも。今いるのは彩だけだった。彩はリビングを見ている。良太も同じだった。部屋は広い。一人には広すぎる。レイラは静かに立っている。誰にも見えないまま。彩「……ここ」良太「はい」彩「使いませんか」良太「え?」彩「事務所です」沈黙。彩「お姉ちゃんが残した家です」一拍。彩「でも」彩「私一人だと広すぎるから」静かな声。彩「ここを」彩「UTAHARA MODEL OFFICEにしたいです」レイラが止まる。彩「仕事もできる場所にして」一拍。彩「私が帰る家にもしたいです」良太は部屋を見る。空いた椅子。余った部屋。使われない予定だった空間。良太「……確認していいですか」彩「はい」良太「ここを事務所にするなら」一拍。良太「僕も出入りすることになります」彩は黙って聞いている。良太「でも」良太は視線を落とす。良太「彩さんは未成年です」一拍。良太「女の子です」静かな部屋。良太「俺は親族じゃない」「保護者でもない」「男です」レイラが静かに見る。良太「だから確認します」一拍。良太「本当に、それでいいんですか」沈黙。彩は部屋を見る。レイラと住む予定だった家。二人用だった食卓。空いた椅子。彩「……構いません」良太が顔を上げる。彩「お姉ちゃんが残した場所だから」一拍。彩「でも今は、一人だと広すぎます」静かな声。彩「だから」彩「良太さんには来てほしいです」沈黙。レイラは良太を見る。レイラ(心)《……合格》良太(心)《何が》レイラ(心)《先に線を確認した》一拍。レイラ(心)《それ、大事》彩「一部屋、空いてます」良太「え?」彩「そこ使ってください」一拍。彩「机置いて」「書類置いて」「事務所にしましょう」良太は黙る。彩「ここ」静かな声。彩「お姉ちゃんと住む予定だった場所だから」一拍。彩「今度は」彩
last updateLast Updated : 2026-05-25
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第44話《代表の言葉》

1.司法書士事務所前・夕方 外へ出る。 夕方。 ビル街。 車の音。 信号待ちの人々。 彩は書類ファイルを胸へ抱えていた。 その表紙には、まだ仮印刷のまま。 株式会社 UTAHARA MODEL OFFICE と書かれている。 良太は、その文字を見る。 数日前まで。 存在しなかった名前。 まだ登記も終わっていない。 スタッフもいない。 事務所も無い。 それでも。 もう後戻りはできなかった。 良太 「……彩さん」 彩 「はい」 良太は立ち止まる。 彩も足を止めた。 夕方の風が吹く。 信号機の電子音。 遠くの車の音。 良太 「今日から、俺は彩さんの代表になります」 彩は静かに見上げる。 良太 「でも」 一拍。 良太 「正直、まだ実感ないです」 彩が見る。 良太 「昨日まで無職だったし」 レイラ(心) 《言わなくていい》 良太(心) 《いや大事だろ》 《五年無職、突然社長》 《字面終わってる》 レイラ(心) 《黙れ》 良太 「ただ」 一拍。 良太 「無職だった俺より」 「社長になった俺の方が」 「彩さん守れるなら」 一拍。 「そっちやります」 レイラが少しだけ止まる。 良太 「社長って」 「偉くなる仕事じゃないと思っています」 一拍。 良太 「先に責任を受ける仕事です」 「彩さんへ届く契約を見る」 「彩さんへ向く視線を選ぶ」 「彩さんを利用しようとする人間の前へ出る」 静かな声。 でも。 もう逃げていない。 良太 「だから約束します」 彩の指が、少しだけファイルを握る。 良太 「彩さんを売りません」 一拍。 良太 「歌原レイラさんの妹として消費させません」 「未成年のうちに名前だけ先へ走らせません」 「身体を壊す仕事は受けません」 「学業を削る仕事も受けません」 「本人が嫌だと思った仕事を押し切りません」 彩は黙って聞いている。 良太 「彩さんは看板じゃありません」 一拍。 良太 「彩さん自身の人生です」 沈黙。 レイラの表情が少
last updateLast Updated : 2026-05-27
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第45話《流行の顔》

1.CM撮影スタジオ・午前 白いスタジオ。 大型照明。 反射板。 モニター。 床を這うケーブル。 スタッフの声。 スタッフ 「本番五分前です」 スタッフ 「商品、もう一回拭いて」 スタッフ 「カメラ位置、少し右」 中央には、若い女優が立っている。 十九歳。 白いワンピース。 手には清涼飲料のボトル。 まだ名前は大きくない。 だが、事務所が売り出そうとしている新人だった。 モニターには、今撮ったばかりの映像が映っている。 女優が笑う。 派手ではない。 強くもない。 けれど、目を伏せる一瞬に、妙な静けさがある。 一度見たら、少し残る顔。 その顔を作ったのは、ヘアメイクの相沢七瀬だった。 三十代前半。 短い髪。 黒い服。 余計なアクセサリーはない。 手元のメイクボックスだけが、異様に整っている。 スポンサー担当者がモニターを見る。 眉間に皺が寄る。 スポンサー担当 「違いますね」 現場の空気が止まる。 ディレクターが振り向く。 ディレクター 「違う、というのは」 スポンサー担当 「もっと可愛くしてください」 一拍。 スポンサー担当 「今回の商品、若い女性向けなんです。親しみやすくて、明るくて、今っぽい感じが欲しいんですよ」 七瀬は何も言わない。 モニターを見ている。 スポンサー担当 「目元、もっと華やかに。涙袋とか。リップも艶が欲しいです」 七瀬 「要りません」 低い声だった。 強くはない。 だが、即答だった。 スポンサー担当 「……はい?」 七瀬 「この子は、そこを足す顔じゃないです」 スポンサー担当の顔が固まる。 女優本人が、小さく肩を縮める。 マネージャーが慌てて笑顔を作る。 女優マネージャー 「あの、相沢さん。スポンサーさんのイメージもありますので」 七瀬 「イメージで顔を潰すなら、別の人に頼んでください」 スタジオが静まる。 スポンサー担当 「潰す?」 七瀬はモニターを指差す。 七瀬 「この子の良さは、笑う前です」 一拍。 七瀬 「笑顔そのものじゃない。笑う直前に、一瞬だけ目が止まる。その静けさです」 スポンサー担当 「いや、飲料CMで静けさを求めてないんですよ」 七瀬 「だから目立ちます」 スポンサー担当
last updateLast Updated : 2026-05-29
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第46話《誰も触っていない顔》

1.第三スタジオ・午後 住宅街の奥。 小さなハウススタジオ。 白い壁。 木の床。 観葉植物。 大きな現場ではない。 照明も少ない。 衣装ラックは三本。 テーブルには、コンビニの紙コップ。 安い弁当の空き容器。 誰かが持ってきた差し入れの袋。 現場全体に、低予算の気配があった。 それでも。 服は丁寧に掛けられている。 生成りのワンピース。 深い紺のコート。 薄いグレーのシャツ。 派手ではない。 けれど、雑ではない。 相沢七瀬は、メイクスペースで道具を広げていた。 鏡。 ライト。 小さな椅子。 古いテーブル。 午前の現場とは違う。 誰も急かさない。 誰も派手さを求めない。 だが。 誰も期待していない。 それもまた、すぐに分かった。 七瀬はブラシを並べる。 パレットを置く。 スポンジを確認する。 瓶の位置を揃える。 メイクボックスの中身は、どの現場よりも静かに整っていた。 スタッフ 「相沢さん、モデルさんもうすぐ入ります」 七瀬 「はい」 短い返事。 スタッフは少しだけ気まずそうに笑う。 相沢七瀬。 腕はある。 だが扱いづらい。 スポンサーと揉める。 流行に合わせない。 現場を止める。 メイク担当なのに、メイクだけで終わらない。 そういう評判は、こういう小さな現場にも届いていた。 七瀬は気にしない。 気にしないふりではなく。 気にする時期を、もう過ぎていた。 扉の外。 足音。 ひとつはぎこちない革靴。 もうひとつは、軽い靴音。 入口が開く。 良太が入ってくる。 少し合っていないスーツ。 新しい名刺ケース。 緊張した顔。 良太 「UTAHARA MODEL OFFICEの与那嶺です。本日はよろしくお願いします」 名刺を出す手つきが、まだぎこちない。 スタッフが受け取る。 スタッフ 「ああ、新しいところですよね」 良太 「はい」 スタッフ 「歌原レイラさんの……」 言葉が途中で止まる。 言っていいのか。 悪いのか。 誰も判断できない空気。 良太は、少しだけ表情を整える。
last updateLast Updated : 2026-06-01
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第47話《正しすぎる手》

1.衣装前・午後 メイクが終わった。 彩は鏡の前から立ち上がる。 ほとんど変わっていない。 けれど、確かに整っている。 顔は前に出ていない。 目元も、唇も、肌も。 何かを主張していない。 それなのに、ぼやけてはいない。 七瀬は道具を片付けない。 次の調整に備えて、必要なものだけ手元へ残す。 良太は、まだ少し離れた場所に立っていた。 何が良いメイクなのかは分からない。 けれど。 彩を変えようとしていないことだけは分かった。 その横には、誰にも見えない歌原レイラが立っている。 レイラは、七瀬ではなく彩を見ていた。 彩は衣装ラックの前へ歩いていく。 生成りのワンピース。 深い紺のコート。 薄いグレーのシャツ。 触れてはいない。 ただ、見ている。 服の正面。 袖。 裾。 襟元。 布の落ち方。 それを、ちゃんと待っている。 七瀬 「……面白い子ですね」 良太 「彩がですか」 七瀬 「他に誰がいますか」 良太 「ですよね」 七瀬 「あの子、まだ自分を見せようとしてない」 良太 「それは、いいことなんですか」 七瀬 「モデルによる」 一拍。 七瀬 「あの子には、いい」 良太は彩を見る。 良太 「そうですか」 七瀬 「自分を見せたい子は、顔が先に出る」 「顔が先に出る子は、服を押しのける」 一拍。 七瀬 「あの子は、服が来るのを待ってる」 良太 「服が来るのを」 七瀬 「変な言い方ですけど」 良太 「いえ」 一拍。 良太 「なんとなく、分かる気がします」 七瀬 「なんとなくで十分です」 レイラが彩を見る。 レイラ(心) 《彩》 《ちゃんと残ってる》 《私がいなくても》 《まだ、残ってる》 その声は、誰にも届かない。 けれど。 彩は衣装ラックの前で、ふと顔を上げた。 何かを感じたわけではない。 ただ。 服を見る目が、少しだけ強くなった。 スタイリストが声をかける。 スタイリスト 「一着目、生成りのワンピースからお願いします」 彩 「はい」 彩は服の前に立つ。 生成りのワンピース。 派手ではない。 主張も強くない。 だが、布の柔らかさがある。 彩はそれを見て、少しだけ首を傾ける。 スタイリスト 「どうかした
last updateLast Updated : 2026-06-03
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第48話《顔を守る手》

1.控えスペース・午後 一着目の撮影が終わった。 予定より十五分押している。 だが、写真は明らかに良かった。 現場には、奇妙な空気が流れていた。 疲れ。 苛立ち。 納得。 期待。 その全部が混ざっている。 彩は水を飲む。 良太が近づく。 良太 「大丈夫?」 彩 「はい」 一拍。 彩 「でも、少し緊張しました」 良太 「七瀬さん?」 彩は小さく頷く。 彩 「見られている感じがしました」 良太 「それは、嫌だった?」 彩 「嫌ではないです」 一拍。 彩 「怖いです」 良太 「怖い?」 彩はメイクスペースにいる七瀬を見る。 七瀬は次の衣装に合わせて、リップとパウダーを選び直していた。 彩 「変に見られている感じじゃなくて」 一拍。 彩 「ちゃんと見られている感じです」 良太は少し黙る。 ちゃんと見られる。 それは救いにもなる。 けれど、逃げ場を失うことでもある。 良太 「無理なら言って」 彩 「はい」 良太 「俺はまだ、何が正しいか全部は分からないけど」 一拍。 良太 「彩が嫌だと思ったら、止める」 彩は良太を見る。 レイラも、良太を見る。 彩 「ありがとうございます」 良太 「うん」 レイラ(心) 《いいわ》 良太(心) 《何が?》 レイラ(心) 《止める基準を、現場の空気じゃなく彩に置いた》 良太(心) 《それでいいのか?》 レイラ(心) 《今はそれでいい》 一拍。 レイラ(心) 《彩の事務所なんだから》 良太は、静かに頷く。 その時。 少し離れた場所で、七瀬の声がした。 スタイリスト 「次、紺のコートです」 七瀬 「中のシャツ、変えた方がいいです」 スタイリスト 「え?」 七瀬 「その白だと、顔が浮きます」 スタイリスト 「でも、ブランド指定なので」 七瀬 「ブランドは、この子が着た状態を見て指定してません」 空気が止まる。 良太の背筋が伸びる。 良太(心) 《また始まった》 レイラ(心) 《まだ序の口》 スタイリストは困ったようにルック表を見る。 七瀬は衣装ラックから薄いグレーのシャツを取った。 七瀬 「こっちを中に入れてください」 ディレクター 「相沢さん」 今度は
last updateLast Updated : 2026-06-05
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第49話《お父さんの服》

放課後。歌原彩はマンションのエレベーターを降りた。十二階の廊下。 見慣れた1207号室へ向かう。その途中で足が少しだけ止まる。 玄関の向こうから、いい匂いがしていた。醤油。出汁。煮物の甘い香り。学校帰りの空腹を思い出させる匂いだった。彩は小さく息を吸う。少しだけ表情が緩む。鍵を開ける。「ただいま」玄関の向こうから声が返ってきた。「おかえりなさい」キッチンにはエプロン姿の女性がいた。五十代前半。栄養士資格を持つ家政婦の三浦和代。平日の昼間に訪れ、掃除や洗濯、作り置きの食事管理を担当している。コンロの火は止まっている。夕食の仕込みは終わっていた。キッチンにはまだ温かい料理の香りが残っている。「今日は早かったですね」「部活がなかったので」「それは良かったです」和代は冷蔵庫を閉める。「夕食は一番上です」彩が覗き込む。付箋が貼られていた。『鶏肉と野菜の煮物』『今日は体育があったので少し多めです』その隣。『良太さんの分もあります』彩が少し笑う。「ありがとうございます」「最近あの人、ちゃんと昼食べてるか怪しいので」和代も笑った。「だから少し多めにしておきました」 和代は鞄を持つ。 「それじゃあ失礼します」 「ありがとうございました」 玄関まで見送る。 ドアが閉まる。 部屋が静かになる。 彩はしばらく玄関に立っていた。 その向こう。 リビングでは与那嶺良太がノートパソコンを開いている。 レイラはソファの背もたれに腰掛けていた。 もちろん彩には見えない。 彩は制服のままキッチンへ向かう。 冷蔵庫を開く。 綺麗に並んだ保存容器。 食材。 付箋。 少し考える。 「良太さん」 「ん?」 「家政婦さんって、本当に必要ですか?」 良太が顔を上げる。 「何が?」 「私ならできます」「掃除も洗濯も」「料理も覚えればできますし」「お金もかかります」 良太は数秒黙った。 それから苦笑する。「いや、それ俺に言われてもなあ」「え?」「決めたの俺じゃないし」 彩が首を傾げる。「レイラが――」 そこで止まる。「あ」 しまった。 という顔。 ソファの背もたれでレイラが額を押さえる。(頭おかしい人だと思われたいの?) 良太は咳
last updateLast Updated : 2026-06-08
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第50話《見えている人》

展示会会場。 開場前日。 巨大なホールの中では各ブランドが準備を進めていた。 照明が組まれる。 ラックが運ばれる。 スタッフが走る。 有名ブランドのブースには人が集まっている。 スポンサー。 バイヤー。 スタイリスト。 メディア。 人の流れが絶えない。 一方で。 会場の隅。 Atelier SAKUMA。 佐久間圭介は一人で作業していた。 段ボールを運ぶ。 ハンガーラックを組み立てる。 服を並べる。 値札を確認する。 誰も手伝わない。 人を雇う余裕がない。 慣れていた。 こういう準備には。 その頃。 1207号室。 良太はノートパソコンを閉じた。 「来場申請終わった」 彩が顔を上げる。 「ありがとうございます」 送信完了。 展示会来場者一覧へ登録される。 歌原彩。 展示会の来場者一覧に。 その名前は静かに追加された。 明日。 初めて見る大規模展示会。 彩は少しだけ緊張していた。 良太は立ち上がる。 「まあ見学だしな」 「気楽に行こう」 彩は小さく笑った。 「はい」 二人とも知らない。 その展示会で。 一着の服との出会いが待っていることを。 ―――――――――― 翌日。 展示会、初日。 「先生、次どこ行きます?」 若いスタッフが声をかける。 桐島誠司は資料を閉じた。 「全部見る」 四十八歳。 業界トップクラスのスタイリスト。 その後ろを若手たちが追う。 最後尾。 高梨奏。 二十二歳。 スタイリストアシスタント。 黒を基調とした服装。 フリル。 レース。 控えめなゴスロリファッション。 仕事中でも好みは隠さない。 けれど仕事には持ち込まない。 資料を抱えて歩いていた。 有名ブランドを回る。 評価。 感想。 市場予測。 桐島は迷わない。 一目で判断する。 若手たちは必死にメモを取る。 その途中。 奏がおずおずと手を挙げた。 「すみません」 桐島が振り向く。 「何だ」 奏は少し言いづらそうに指を差す。 会場の反対側。 黒と白のフリルが並ぶブース。 ゴスロリブランド。 「ちょっと見てきてもいいですか」 桐島は数秒黙った。 そしてため息を吐く。 「好きだな」 奏は黙って頷く。 否定しない。 できない。
last updateLast Updated : 2026-06-10
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