不仲と噂された財閥夫婦ですが、今夜も愛されています のすべてのチャプター: チャプター 101 - チャプター 110

114 チャプター

第102話

一条櫻羅を連れ出した叶翔たちは、そのまま足早に会場を後にし、自分たちが宿泊しているホテルへと戻ってきた。夜の街は煌びやかだったが、誰一人としてその景色を楽しむ余裕はなかった。エレベーターに乗り込み、最上階へと向かう間も、言葉は少なく、それぞれが胸の内に様々な思いを抱えていた。やがてスイートルームに到着すると、重厚な扉が静かに閉まり、外の喧騒が完全に遮断される。広々とした室内には落ち着いた照明が灯り、柔らかなソファや大きな窓から見える夜景が、ようやく彼らに一息つく時間を与えた。櫻羅は部屋の中央で立ち止まり、しばらく動けずにいた。そんな彼女を気遣うように、叶翔は軽くソファを指し示し、颯真は無言で水の入ったグラスを差し出す。英士は既にテーブルの上を片付け、何か準備を始めていた。それからしばらくして、また扉が再び開いた。戻ってきたのは神楽坂悠臣だった。どこか余裕を感じさせる表情のまま、手にはグラスを持っている。「悠臣、やったのか!?」南條颯真が声を上げ、勢いよく悠臣に近づく。悠臣はその反応に満足げに口角を上げると、手にしていたグラスを軽く掲げた。「一条竜星のグラス、ゲット!!」その言葉に、部屋の空気が一気に動く。英士はすぐに反応し、あらかじめ用意していたビニール袋を取り出した。慎重な手つきでそのグラスを受け取り、指紋が残らないよう丁寧に袋へと入れる。そして、ペンを取り出し、袋の表面に『一条竜星』としっかり書き記した。その一連の動作には一切の無駄がなく、まるで最初からこうなることを見越していたかのようだった。英士は次に、叶翔と櫻羅へと視線を向けると、それぞれにビニール袋を手渡す。「髪の毛を引っこ抜け」淡々とした口調だったが、その言葉の意味は重い。「毛根が残ってないとダメだぞ」颯真も真剣な顔で付け加える。櫻羅は一瞬だけ戸惑いを見せたが、すぐに覚悟を決めたように自分の髪に手を伸ばした。そして、躊躇なく毛根から一本を引き抜く。その小さな痛みに顔をしかめることもなく、静かにビニール袋へと入れた。英士はそれを受け取ると、同じように名前を書き加える。その様子を見ていた叶翔は、どこか気まずそうに頭をかき、しばらく躊躇していた。だが、意を決したように自分の髪を掴み、ぐっと引っ張る。「痛って~!!」思わず大きな声が出た。しかし短く整えられた髪は、途中
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第103話

「よし、出前取るぞ」張り詰めていた空気を破るように、いきなり叶翔がそう提案した。そのあまりにも唐突な一言に、部屋にいた全員の視線が一斉に叶翔へと集まる。数秒の沈黙――そして次の瞬間、堪えきれなくなったように爆笑が起こった。「お前……出前って……もうちょっと言い方あるだろう」英士が腹を押さえながら言う。その言葉に、櫻羅もつられるように笑い出した。ついさっきまで涙を浮かべていたその目に、今度は笑い涙が滲んでいる。「なんだよ。何て言えばいいかわかんないだろ、その、ウーバーイーツとかあるのか?この国にも」叶翔は少しむくれたように口をとがらせて言ったが、内心では櫻羅が笑ってくれたことにほっとしていた。(やっぱ笑うと可愛いじゃん)ふと、そんなことを思ってしまった自分に、叶翔は一瞬だけ動揺する。だがすぐにそれを打ち消すように、何事もなかったかのように表情を整えた。その時、部屋の向こう側から、含み笑いを浮かべる悠臣と目が合う。何かを見透かされたような気がして、叶翔はわざと真面目な顔を作った。「英士、何か食いもの頼んでくれ」ぶっきらぼうにそう言い、話を打ち切る。やがて叶翔の言う「出前」が届き、テーブルの上には様々な料理が並べられた。温かい湯気とともに漂う香りが、部屋の空気を少しずつ和らげていく。五人はそれぞれ好きなものを取り分けながら、自然と今後の作戦について話し始めていた。「さっきのレオン・クロフォードと一条竜星、櫻羅の親父の会話からすると、一条はレオンの不正取引の内容などを知っているから、それをバラされたくないなら、櫻羅と結婚し、自分たちと親戚付き合いをしろと言ってたんだと思う」悠臣がナイフとフォークを器用に使い、小さく切り分けたステーキを口に運びながら言う。その声音は落ち着いていたが、内容は重かった。「それは、櫻羅を押し売りしたってことか?」叶翔が眉をひそめながら言い、悠臣の皿からステーキを一切れ奪う。そしてそれを何気なく櫻羅の皿へと乗せた。「ああ、そんな内容だった。でも…レオンの方は、一条とそんな付き合いをする必要は感じてない。しかも、自分を敵に回すとどうなるか……って、逆に脅してた」悠臣の言葉に、場の空気が再び引き締まる。櫻羅も静かに頷き、言葉を続けた。「レオンは、俺とは釣り合わないから、家へ帰れと言ってました」その言葉には、ど
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第104話

一条竜星はパーティー会場を出ると、誰にも声を掛けることなく、そのまままっすぐ自宅へと戻った。車の中でも一言も発することはなく、窓の外を流れる夜景を睨みつけるように見つめている。その胸の内には、レオン・クロフォードとの会話、そして櫻羅の姿が何度もよぎっていた。やがて屋敷に到着し、重厚な玄関扉が開く。足音も荒く中へと入ると、靴を脱ぐ間も惜しいかのように、すぐさま大声を張り上げた。「櫻羅!!どこに居る!!」静まり返っていた屋敷に、その怒声が響き渡る。するとすぐに、奥から執事や使用人たちが慌てて姿を現した。その中には、沙耶の姿もあった。「旦那様。櫻羅様はお戻りになっておりませんが……」執事が慎重に言葉を選びながら告げる。しかしその落ち着いた口調が、かえって竜星の苛立ちを煽った。竜星はゆっくりと視線を動かし、沙耶を見つける。その瞬間、目の色が変わった。「沙耶、ちょっと来い」低く抑えた声だったが、有無を言わせぬ圧があった。沙耶はわずかに眉をひそめながらも、何も言わずに竜星の後をついていく。二人はそのまま廊下を進み、書斎へと入った。扉が閉まると同時に、外の気配が遮断される。沙耶はその場で一息つくように小さく肩を落とし、疲れたような顔で竜星を見た。「今度は何なの?」そう言いながらソファに腰かけると、隠そうともしない嫌悪感をそのまま視線に乗せる。一方の竜星は、書斎の机の向こうにある椅子に腰を下ろした。だがその姿勢には落ち着きはなく、指先は机を小刻みに叩いている。そして、怒りを抑えきれない様子で口を開いた。「お前の兄の息子に、櫻羅を連れ去られた」その言葉に、沙耶は一瞬だけ目を見開いた。だがすぐに冷静さを取り戻し、皮肉めいた笑みを浮かべる。「なぜ、颯真が櫻羅を連れ去る必要があるの?」そう言い放つと、竜星を鼻で笑った。その態度が、竜星の怒りに火をつける。彼は勢いよく立ち上がり、机を回り込むようにして沙耶へと歩み寄る。「そんなことは俺が聞きたい!!お前が何か手引きしたんじゃないのか!?」怒鳴りつけるように言い、鋭い視線で沙耶を睨みつける。だが沙耶も一歩も引かなかった。ゆっくりと立ち上がり、同じように竜星を睨み返す。「いつも私のせいにするわね。櫻羅のことで、いつまで引きずるつもりなの?もう、あの子のことはいいじゃない。誤解だって何年言い続ければ信
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第105話

書斎の空気は重く沈んでいた。先ほど明かされた「資金ショート」という言葉の余韻が、沙耶の胸を強く締め付けている。「前回の宇宙探査機の入札プロジェクトで、資金がショートしたんだ」その言葉を聞いた瞬間の衝撃は、まだ消えていなかった。「……どういうことか、ちゃんと説明して」沙耶は静かに言ったが、その声には明らかな怒りが滲んでいた。竜星はしばらく黙っていたが、やがて観念したように口を開く。「一条家は、完全にゼロから宇宙ビジネスに参入しようとした」「……は?」あまりにも突飛な話に、沙耶は言葉を失う。竜星は続けた。「まずは小型衛星の開発から始めた。外部から技術者を引き抜き、AI制御や通信系の技術を集めた。次に、部品供給企業として宇宙機器の一部を請け負う計画を立てたんだ。本来ならそこから実績を積むべきだった……だが」竜星は苦々しく言葉を切る。「私は、探査機プロジェクト本体の入札に参加した」沙耶は目を見開いた。「正気なの!?実績もないのに!?」「わかっている!!」竜星が怒鳴る。しかしその声には、すでに余裕はなかった。「だが、あの案件は国家規模だ。取れれば一条家は一気に世界に出られる……そう判断した」結果は明白だった。「技術評価も、信頼性も、すべてで他企業に劣っていた。プレゼンの段階で勝負にならなかった……」竜星の拳が机の上で震える。「それでも準備に投じた資金は戻らない。研究設備、人件費、海外拠点……すべてが重荷になった」沙耶は信じられないものを見るように竜星を見つめた。「じゃあ……今の一条家は……」「資金繰りが間に合っていない」竜星ははっきりと言った。「このままでは、数ヶ月も持たない」その現実に、沙耶の背筋が冷たくなる。「だから……レオン・クロフォードなの?」竜星は目を閉じ、小さく頷いた。「あの男の資金力と国際ネットワークがあれば、一条家は延命できる。親戚関係になれば、資金も引き出せる」「そのために櫻羅を差し出すっていうの!?」沙耶の声が震える。「他に方法があるのか!!」竜星は叫んだ。その顔には、もはや当主としての威厳ではなく、追い詰められた人間の焦りが浮かんでいた。「すべては一条家を守るためだ……」その言葉に、沙耶はゆっくりと首を振る。「違うわ……あなたは、自分の失敗を隠すために、あの子を犠牲にしようとして
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第106話

深夜――。ホテルの高層階にある自室の窓際に立ち、叶翔は静かに街の夜景を見下ろしていた。遠くまで広がる無数の灯りは、まるで星のように瞬いている。だがその美しさとは裏腹に、彼の胸の中は妙にざわついていた。今夜聞いた話が、頭の中で何度も繰り返されている。自分の父親は、母のことをあんなにも愛している。誰が見ても分かるほどに、一途で揺るがない感情だ。そんな父が、南條沙耶に言い寄られたとしても、体の関係を持つハズがない――それだけは、叶翔には確信があった。だが現実には、櫻羅の父親である一条竜星は、その可能性を疑い続けている。二十四年もの間。その疑念を抱えたまま、実の娘である櫻羅を避けるように生きてきたという事実は、叶翔には理解し難いものだった。櫻羅の話では、母親である沙耶もまた、竜星の態度に強い不満を抱き続けているらしい。娘を認めようとしない父親と、それに反発する母親。二人の関係はすでに修復不可能なほどに悪化しているようだった。さらに、櫻羅に贅沢をさせないようにしていた理由も、単なる躾ではなかった。竜星が何かにつけて小言を言うため、あえて沙耶が櫻羅に厳しく当たっていた――その歪んだ配慮が、結果的に櫻羅を孤立させていたのだ。叶翔は、ふと目を閉じる。脳裏に浮かぶのは、先ほど見た櫻羅の横顔だった。どこか遠くを見つめるような、あの寂しげな表情。胸の奥が、じわりと痛む。自分はどうだったか。叶翔はゆっくりと目を開け、夜景から視線を外した。自分と妹の心春は、両親から惜しみない愛情を受けて育ってきた。物心ついた頃から、それが当たり前だった。愛されることに疑問を持ったことなど、一度もない。そして、それは他の三人――颯真や英士、悠臣も同じだ。財閥家の御曹司として生まれ、何不自由なく育ってきた。時にはその立場に甘え、傲慢で我がままに振る舞ってきたこともある。欲しいものはほとんど手に入り、一般家庭では到底手に入らないような物に囲まれてきた。今では、自分の判断一つで大金を動かすことができる立場にいる。そんな自分とは対照的に――。叶翔の脳裏に、初めて櫻羅を見たときの光景が蘇る。母親の沙耶とは比べものにならないほど質素な身なり。決して貧しいわけではないはずなのに、どこか遠慮するような、控えめな佇まい。あの時は気にも留めなかった違和感が、今になってはっきりとした意
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第107話

九条玲司は、息子である叶翔が、一条竜星と南條沙耶の娘、『櫻羅』に拘っていることを、すでに把握していた。発端は、南條圭からの一本の連絡だった。圭は淡々とした口調で、しかしどこか含みを持たせるように告げたのだ。自分の息子であり、叶翔の親友でもある颯太が、一条櫻羅を連れてパーティー会場を去った、と。その報告だけでも十分に興味深かったが、さらに不可解な情報が重なった。一条竜星が、九条玲司とノヴァ・テクノロジーズのレオン・クロフォードとの関係を知り、玲司が妨害のために叶翔を送り込んだのではないかと疑っているというのだ。玲司にしてみれば、まさに「寝耳に水」だった。叶翔はあくまでロケット開発事業のプレゼンテーションに赴いたのであり、一条の娘に会うためでも、ましてや誰かを妨害するためでもない。そもそも――一条とレオン・クロフォードの交友関係など、九条玲司にとってはどうでもいい話だった。興味の対象にすら入っていない。だが、その話題が浮上したことで、玲司の中に一つの疑念が生まれた。「……妙だな」そう呟いた玲司は、すぐに側近へ指示を出し、一条家の内情を極秘裏に調査させた。数日後、届けられた報告書は、予想外の内容を示していた。一条竜星は、ある時期に知り合った、宇宙工学を得意とする企業の代表に深く傾倒していたという。その人物の語る未来像――宇宙産業への参入、探査機開発、国際プロジェクトへの参加。そのすべてに、竜星は魅せられていた。もしも、自分の会社が宇宙を相手に活躍できたなら。このタイミングで参入できたなら。天文学的な利益が、自分の手元に転がり込む。そうすれば、これまで国内で自分を軽んじてきた企業の社長たちの鼻を明かすことができる。そして何より――自分の妻である沙耶が、頑なに竜星の娘だと言い張る櫻羅の出生について、最も疑念を抱いている男。九条玲司。その男の鼻を明かすことができるなら、それは竜星にとってこの上ない快感となるはずだった。報告書にはさらに、竜星の思考の断片が記されていた。この宇宙プロジェクトが成功した暁には、沙耶と櫻羅を玲司の元に返してやってもいい――そんな歪んだ優越感すら抱いていたという。玲司はそこまで読み進めたところで、ゆっくりと紙から目を離した。「……愚かだな」一長一短で宇宙に挑むなど、常識的に考えてあり得ない。莫大な資
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第108話

深夜の静寂の中、叶翔の頭の中では、父・玲司の言葉が何度も繰り返されていた。――「一条はもうダメだ」その一言は、まるで現実を突きつけるように重く、鋭く胸に残っている。そして玲司は、さらに続けてレオン・クロフォードについて語った。「お前たちが叶うような相手じゃない。本当に、一条の娘をレオンが要らないと言ったのか?」叶翔は、あのパーティーでレオン・クロフォードが口にした言葉を、そのまま玲司に伝えた。冷酷で、侮蔑に満ちたあの態度。櫻羅をまるで価値のないもののように扱った言葉。それを聞いた玲司は、意外にも小さく息をついた。「そこまで言うのなら、レオン・クロフォードの方は一条を切りたいんだろうな。しかし、レオン・クロフォードという男は、一筋縄でいくような男じゃないんだ。お前たちは、できるだけ接触しないようにしろ。アイツは裏の業界にも顔が利く。攫われたりしたら、もう二度と戻って来られないぞ」その声は低く、警告というよりも確信に近かった。「一条の娘を何とかしたいなら、一条竜星と話をしろ。それから言っておくが……」玲司は一度言葉を切り、わずかに考えるような間を置いた。「俺は、惚れた女を泣かせるようなことは絶対にない。しかも、南條沙耶は論外だ。それだけは忘れるな」そう言い残し、玲司は静かに電話を切った。通話が途切れた後も、叶翔はしばらくスマホの画面を見つめたまま動けなかった。自分の父親が、「惚れた女」という言葉を口にするのを聞いたのは初めてだった。あの冷静で感情を見せない男が、そんな言葉を――。それは、叶翔にとって意外であり、同時にどこか誇らしいものでもあった。もしかすると、自分のことを一人の大人として認めた上で話してくれたのかもしれない。そう思うと、胸の奥がじんわりと熱くなる。――翌日。英士は、前夜集めたそれぞれのDNAサンプルを持ち、一ノ瀬グループの関連企業へと向かった。検査の結果はすぐに出るものではないと分かっていたが、それでも少しでも早く事実を知るための行動だった。数時間後、戻ってきた英士は、わずかに肩をすくめながら言った。「たとえ専門機関でも、三日は待ってくれと言われた」その言葉に、全員が小さく息をつく。結果が出るまでの三日間――それは、短いようで長い時間だった。しかし、その時間をただ重苦しく過ごすことはしなかった。四人
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第109話

ノヴァ・エクスパンス・テクノロジーズ――その頂点に立つ男、レオン・クロフォード。彼は表向きには最先端宇宙技術を扱う企業の若きカリスマCEOとして知られている。しかしその実態は、単なる実業家という枠には収まらない。彼の本質を一言で表すなら――感情を排除した合理主義者(ただし倫理は無い)人間関係=取引。婚約=契約・担保。女性=所有物。協力者=使い捨て可能な資源。その価値観は徹底しており、揺らぐことはない。あの夜、パーティー会場で一条櫻羅に対して放たれた「要らないなら持っていけ」という言葉。それは単なる侮辱ではなく、彼の思想そのものだった。人間は感情を持つ存在ではなく、交換可能な資産でしかない――そう信じて疑わない男。レオンの非情さは、いくつもの層で構成されている。まず、社会的冷酷さ。彼は婚約者である櫻羅を公の場で無視し、紹介すらしなかった。それどころか、人前で平然と価値を否定する。相手の尊厳など考慮するという概念自体が存在しない。恥をかかせることすら、交渉の一手段に過ぎないのだ。次に、支配欲。彼にとって女性とは「所有物」であり、愛情の対象ではない。手元に置くのは、必要だから。不要になれば切り捨てる。それだけの話だ。だが厄介なのは、彼が物理的な拘束よりも心理的な支配を好む点にある。逃げられないと思わせることで、相手を縛り続ける。そして交渉の冷酷さ。一条竜星とのやり取りが象徴的だった。婚約という形すら、彼にとっては価値を測る材料に過ぎない。「報酬が足りない」と判断すれば、平然と拒絶する。脅しに対しても、逆に威圧で押し返す。主導権を渡すことは決してない。さらに――裏社会との繋がり。九条玲司の言葉が、それを端的に示していた。「裏の業界にも顔が利く」「攫われたりしたら、もう二度と戻って来られない」それは単なる噂ではない。レオンは、表では最先端企業のトップとして振る舞いながら、裏では違法ネットワークや闇取引にも関与する、二重構造の支配者だった。その力を使い、彼はライバル企業を容赦なく蹴落としてきた。まず、経済的締め付け。資金難に陥りかけた企業に対し、救済をちらつかせて契約を結ぶ。そして、徐々に条件を厳しくし、相手の自由を奪っていく。気づいた時には、経営の主導権はすべてレオン側に握られている。最後には吸収されるか、価値が無ければ切り捨
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第110話

「社長、只今入った情報です」静まり返った執務室に、秘書の落ち着いた声が響いた。差し出されたタブレットの画面には、最新の内部報告と外部からの動きが整理されている。レオン・クロフォードは、ゆっくりと視線を落とし、その内容に目を通した。そして――ほんのわずか、気づく者がいれば奇跡とも言えるほどの微細な変化として、口角が上がる。「おもしろい。一条竜星は、地の底を見たいようだな」その声音には、怒りも苛立ちもない。ただ純粋な興味だけが滲んでいた。そう言うと、レオンはタブレットから視線を外し、秘書を見やる。「一条家だけではなく、南條、そして、今回のロケットプロジェクトに参戦した、九条と一ノ瀬も巻き込んでやろう」ゆっくりとした口調で告げられたその言葉は、まるで次の一手を確認するかのような軽さだった。しかし、その内容はあまりにも重い。言い終えると、レオンは目を伏せる。秘書はその一瞬の仕草だけで、すべてを理解した。これ以上の指示は不要だった。彼の思考を先読みすることこそが、この場にいる者の役割である。一礼もそこそこに、秘書はすぐにドアを開けて外へ出ていった。レオン・クロフォードともなれば、部下にいちいち指示を出す必要はない。自分の望む結果を、言葉にしなくても周囲が整えてくる。そういう環境を築き上げてきたし、そういう人材だけを側に置いている。それが当然の世界だった。レオンはデスクの引き出しから葉巻を一本取り出すと、無駄のない動作で端を切り落とした。ライターの火を近づけ、ゆっくりと煙をくゆらせる。そのまま窓際へと歩み寄り、ガラス越しに広がる夜の街を見下ろした。無数の光が輝くその景色は、まるで巨大な盤上のようにも見える。――この街を仕切るのは自分だ。そう言わんばかりに、レオンはわずかに笑みを浮かべた。一方、その頃――。一条竜星は、レオン・クロフォードに冷たくあしらわれた後、逃げるようにして別の道を選んでいた。彼が向かったのは、ノヴァ・テクノロジーズの競合相手である企業だった。すでに資金繰りは限界に近く、一条家は破綻寸前。その状況を知った企業側は、表向きは救済の手を差し伸べる姿勢を見せながら、内心では別の思惑を抱いていた。――またしても、一条を利用しようとしていたのだ。だが、追い詰められた一条竜星には、それを見抜く余裕はなかった。自分を助けてく
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第111話

国内の南條財閥当主、南條圭の元に、一通の訴状が届いた。それは通常の業務書類とは明らかに異なる、重苦しい存在感を放っていた。海外から届いた正式な書類――差出人は遠くイギリス、ノヴァ・テクノロジーズ。封を切り、内容に目を通した圭の表情は、瞬時に険しいものへと変わった。そこに記されていたのは、社長レオン・クロフォードの婚約者を無断で連れ去ったとして、南條颯太を訴えるという内容だった。一瞬、思考が止まる。だが次の瞬間には、時差のことなど一切考えず、圭はすぐさまスマートフォンを手に取り、息子・颯太へと電話を掛けていた。コール音が数回鳴った後、ようやく繋がる。「……ん……」半分寝ぼけたような声が返ってくる。明らかに深夜の眠りを引きずった声だった。圭は構わず、手短に状況を説明した。その話を最後まで聞いた瞬間、颯太の意識は一気に覚醒した。「どういうことだよ!!あいつがもういらないから連れて行けって言ったんだ」怒りと混乱が入り混じった声が、受話器越しに響く。圭は小さくため息をついた。息子の言い分は理解できる。だが、相手が悪すぎる。「レオン・クロフォードというのはそういう男だ。しかも、婚約関係である櫻羅を連れ去るには、それなりの手続きを踏むべきだった」静かに、しかし諭すように告げる。その言葉を聞いた颯太は、愕然とした表情でスマホを強く握りしめた。自分たちの行動が、思っていた以上に危ういものだったと、今さらながら思い知らされる。圭はさらに続けた。「一旦、櫻羅をレオンの元へ返し、それから婚約破棄させないと、お前たちが誘拐したとみなされ兼ねない。イギリスの警察に駆け込まれたら、お前たちが逮捕されてしまう可能性も出てくるぞ」その現実的な指摘に、颯太の顔から血の気が引いた。だがすぐに、強い拒絶の感情が込み上げる。「でも、櫻羅をまたレオンの元に戻せば、今度は櫻羅の身がどうなるか………父さん!櫻羅は父さんにとっても姪だろ?何とかならないのか?」必死な声だった。その言葉に、南條圭はゆっくりと目を閉じた。頭の中で状況を整理する。だが、どこから見ても有利な要素がない。南條財閥といえど、主戦場は国内だ。海外の法制度や企業ネットワークに精通しているわけではない。海外で頼れる存在がいるとすれば――一条家。だが、その一条家自身が櫻羅を差し出した張本人である以上、
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