All Chapters of その結婚お断り~イケメンと三角関係になり結婚をお断りしたらやばいヤンデレ爆誕して死にかけた結果幸せになりました~: Chapter 91 - Chapter 100

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12 命より大切なもの

 裏手にある従業員用通用口に回る。建物全体が火にまかれて扉を触ることも困難だった。 ナディアは木材が燃えてレンガが焦げる匂いの中に、油が燃えている匂いがかなり混じっていることに気づく。 古書店は料理屋ではないのだから、油が燃える匂いがこんなに混ざってるのはおかしい。(もしかしてこれ放火?) いぶかしく思いながら、ナディアは扉を思いっきり蹴り破って侵入経路を確保した。「リンドさん! いますか! リンドさん!」 建物の外壁の燃え方は酷かったが、中は本棚などに火が移っているものの、歩けないほどではない。 ナディアは袖で口元を覆ってできるだけ充満する煙を吸わないようにしながらリンドを呼び、店内を進んだ。しかしリンドの匂いを探ろうとしても煙の匂いが酷過ぎて探れない。煙の刺激で目がしぱしぱする。 とにかく二階へ行ってみよう、と思ったところで、そこまで遠くない場所からゴホッ、ゴホッ、と咳き込む声が聞こえた。ナディアは火を避けながら声がした方に進む。「リンドさん!」 地下へ続く入口の前あたりにリンドが倒れていた。「しっかりしてください! 大丈夫ですか!」「メリッ、サ……」 抱き起こすとリンドは閉じていたまぶたをゆっくりと開けてこちらの名を呼んだ。意識はあるようだ。倒れて低い位置にいたためにあまり煙を吸わずにすんだらしい。「もう大丈夫です! すぐにここから出ましょう!」 ナディアはぐったりとしたリンドを背中に背負って移動しようとしたが、何故かリンドは背負われることを拒んだ。「お前だけ逃げろ。俺はいい」 ここにいたら死んでしまうというのに、何を言っているのかとナディアは驚いてリンドの顔を見つめた。「下に大事なものがある。あれを置いては行けない」 リンドが言っているのは、地下室に置いてある歴史的価値のある古い蔵書群だとナディアはすぐに気づいた。「何言ってるんですか! 命より大切なものなんてありませんよ!」 リンドが倒れていたのは裏口の前ではなく地下室への扉の前だった。リンドは逃げるのではなくて、まず第一に、古い歴史書を取りに行こうとしたようだった。 しかし、あの蔵書全てをこの火事場で持ち出すなんて、弱りきったリンドにはとても不可能だろう。 リンドが古い歴史書をとてつもなく大事にしていたことは知っているが、今は危機的状況で、兎にも角にもここか
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13 後悔先に立たず

 燃え盛る古書店の前は騒然としていた。店員が取り残された店主を救出してきたところまでは良かったが、何故かまた火の中に戻ってしまい、なかなか戻って来ない。 救助されたリンドは地面にへたり込みながら真っ青な顔のままで古書店を見上げていた。 そのうちにやっと消防隊が到着して消火の準備を始めたが、この地区の水源は近くの学校のプールの水から取ることになっているので、ホースを長く準備する必要があり、未だ放水は始まらない。 そして炎に包まれた古書店から、盛大な音が響き渡った―― ****** 祖父の店が火事になったという一報を受けたエリミナは、晩餐を共にしていた母親と従兄で婚約者のアーヴァインと一緒に馬車に乗り、急ぎ現場へ向かっていた。父親は仕事で遅くなるとのことで同席はしていなかった。「そんな…… お店が……」 炎上する古書店を馬車の窓から視界に捉えたエリミナは絶句した。 慣れ親しんだ祖父の店が燃えている。「お父さん!」 エリミナの母親は馬車が停止するなり御者を待たずに自ら馬車の扉を開け、呆然と地面に座り込んでいる祖父リンドの所へと走り出して行った。 エリミナもアーヴァインと共に馬車から降りた。しかし、母親と同様に祖父の元へ向かっていたエリミナの足が途中で止まる。 ――古書店から盛大な音が響き渡った。 その光景を視界に入れたエリミナは目を大きく見開いた。 衝撃で固まるエリミナの手から杖が落ちて地面を転がる。ガクリと膝から崩れ落ちそうになるエリミナをアーヴァインが慌てて支えた。 人々の目前では、本がずっしりと詰まった重い金属製の本棚を背中に担いだ女が、燃える古書店を背に少しふらつきながら歩いていた。 盛大な音は、その女――ナディア――が、鍵のかかったガラス製の正面玄関を派手に蹴破った音だった。 ****** 店内では燃え盛る本棚が幾重にも倒れ、鍵の開いていた裏口への脱出経路が閉ざされてしまった。本棚を担いだナディアは、試行錯誤しながらどうにか正面玄関まで辿り着き、力技で突破してきたのだ。 あたりは建物が燃えて爆ぜる音が響く以外はしんと静まり返っていた。誰もが息を呑みナディアを見つめている。 どこからどう見たって、本棚は女性が一人だけで持ち上げられる重さではなかったし、そんな重いものを持ちながらガラス扉を派手に破壊して出て来られるなんて、通
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14 気づいた時には遅すぎた

 その後リンドは病院へ運ばれ、ナディアも手に火傷を負っていたので、やって来た救急隊と共に病院に連れてこられた。 リンドはずっと放心状態だった。病院についてきたエリミナもずっと泣いていて、その間アーヴァインが一時も離れずそばで付き添っていたが、ナディアはアーヴァインと目が合う度に責めるような視線を向けられた。 リンドは元々風邪を引いていたこともあるが、火事に衝撃を受けていると判断されてそのまま入院することになった。 ナディアも「念のため色々と検査して入院しましょう」と言われたが、以前シリウスから『人間社会では、血液を調べると獣人かそうでないかがわかる技術が進んでいるので、血液だけは絶対に取られないように』と注意されていたことを思い出し、すぐに断ろうとした。 けれど病院側は絶対に入院した方がいいと言って納得してくれなくて、困り果てていた所にエリミナの父ゴードンがやって来た。 ゴードンはエリミナやアーヴァインと同じく黒髪黒眼の実年齢よりは十歳くらい若く見える甘い顔立ちの男だが、なぜか商会の会頭というよりは「職業は結婚詐欺師です」と言ったほうがしっくりくるような軽快な遊び人風の雰囲気を持っている。 きちんとした仕立ての良いスーツを着ているのに、全身から漂う軽薄そうな空気感がぬぐいきれないという不思議な印象の人だった。 困るナディアを見て、入院したくないことを察してくれたらしきゴードンは、病院の人と話してナディアが入院しなくてもよいようにしてくれた。 ゴードンは娘のエリミナや甥のアーヴァイン以上に口が回るので、病院の人を丸め込むくらいはお茶の子さいさいのようだった。 しかしその後「リンドを救ってくれたお礼に家に招きたい」とゴードンに言われて、サングスター邸に宿泊させられそうになってしまい、慌てて固辞した。 リンドにエリミナ――それにアーヴァインだって、ナディアの正体に気づいている。 ナディアは『もう私はきっとこれ以上彼らと同じ場所にいてはいけない』と思った。 ナディアはこれからゼウスの所に言って自分が獣人であることを告白するつもりだから、真実に気づいている三人以外にも、いずれナディアの正体は知られることになる。 これ以上彼らと関係を深くしてはいけないと自分に言い聞かせて、ナディアは病院から去った。 ――ゴードンが、「せめてこのくらいはさ
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《首都からの撤退 後編》1 首都から出られない

ナディアは文机にしまい込んで一度も封を切らなかったシリウスからの手紙をすべて取り出し、中身を読んだ。それらはナディアへの愛の言葉で溢れていて、気持ちを返せないことを改めて申し訳なく思った。 未読の部分をすべて読んだナディアは、短かったシリウスへの手紙の内容を書き足した。 『もしかしたらあなたと共に歩む人生もあったのかもしれない。私たちは最初にボタンをかけ間違えてしまったのでしょう。もしあんな出会い方でなかったら、私はきっとあなたを好きになっていたと思う。 あなたは私に愛を告げてくれた最初の人だったのに、私はそれに見向きもしなかった。本当にごめんなさい。あなたの苦しみを今は理解しているつもりですが、それを知っても尚、私の胸には別の人がいて、あなたの手を取る選択はできません。本当にごめんなさい。今はただ、それしか言えません。 あなたが私から解放されることを真に願っています。私のことは忘れて、どうか幸せになってください。さようなら』 ナディアは書いた手紙と一緒に、シリウスから届いたたくさんの手紙も文机の引き出しにしまって、鍵をかけた。 ナディアの心は既に決まっていた。ナディアが選んだのはゼウスだった。 (ゼウスは私の人生にいなくてはならない人だ) ゼウスの所へ行って奴隷にしてもらってから、早めに抱いてもらおうと思った。 (そうすれば、オリオンの『番の呪い』だってきっと解けるはず……) 時刻は夜で、今から出発した所で乗れる列車があるかもわからなかったし、家の片づけもまだ不十分だった。ナディアは首都から出立するのは明日にしようと決め、住処の最後の掃除に戻った。 ――翌朝、シリウスの家の玄関前に立ち、包帯を巻いた利き手とは逆の手にトランク一つを持ったナディアの姿があった。ナディアは玄関に鍵をかけると、文机の鍵と一緒に郵便受けの中に落とした。 目指すは駅だ。忙しくて特に時間は調べていなかったが、とにかく南西へ向かう列車に乗ろうと思った。駅へ向かう途中で新聞の購読を止める手続きもしたし、ランスロットへの手紙も投函した。 ナディアは昨夜の火事は放火ではないかと思っていた。昨日は昼食のために台所を使用したものの、火の始末はちゃんとしたし、今の時期にリンド宅では火を使う暖房器具は使っていない。リンドは煙草も吸わないし、出火の原因に思い当
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2 受け入れる者

訪れる馬車を正面から待ち構えようとしていたナディアの手首を、リンドが掴んだ。 「こっちだ」 「え? あの」 「いいから来い」 ナディアはリンドに引っ張られるようにして地下に残された階段を下りていく。 「リンドさん、入院してたんじゃないんですか? まさか無断で抜け出してきたんですか?」 病院嫌いのリンドならばやりかねない気がしたが、手首を掴んでいるリンドの手はそこまで熱くはない。 「俺のことはいい、それよりもこの場をどう切り抜けるかだろう」 「昨日の今日なんですからゆっくり休んで無理しない方がいいですよ」 噛み合わない会話に、リンドはため息を吐き出した。 「……昨夜から婿の差し金で高価な薬を使われたり、よくわからん注射を打たれたりしたら、朝には熱もなく喉も痛くなくなっていた。店の様子を少し見に来ただけだ。お前がこの場を無事に切り抜けられたらちゃんと戻る」 ナディアはリンドの言葉を聞きながらニコニコと笑っていた。きちんと病院に戻って養生してくれるならそれでいいし、何より、リンドの言葉から彼がナディアの正体を丸ごと受け入れてくれたようだとわかって、嬉しかった。 「なぜ戻ってきたんだ。あのまま逃げてしまえばよかったのに。昨日の騒動はアーヴァインが上手く誤魔化したようだが、それでもお前の正体を勘繰る者はいた。俺が今日ここに来た途端、お前は何者なのだと商店街の奴ら何人かに聞かれた」 先程リンドが険しい顔をしていたのは、ナディアの正体をいぶかしむ者が近くにいることを危惧したからのようだった。 「列車に乗って首都から出ようとしたんですけど、乗るはずだった列車が故障して、出るに出られなかったんです」 「列車が駄目なら馬車でも何でもいいから、とにかく一刻も早くここから離れた方がいい。悠長に構えていると足をすくわれるぞ」 地下室も火が回ったようで色々なものが焼け焦げているが、レンガ造りの外壁はそのままで地下の空間を維持できていた。 リンドは今下りてきたばかりの地下階段へ続く入口を睨んでいる。 「お待ちなさい! 逃げようとしてもそうはいかなくてよ!」 階段通路からはシャルロットの楽しそうな声が聞こえてくる。リンドは舌打ちをした。 「あのまま素通りしてくれればと思ったが、そうはならないようだな。銃騎士隊ではなくて
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3 断罪劇?

 話を聞かせてもらいたいという数名の警邏隊員に連れられてナディアたちは地上に出た。引っ立てられるようにしてもっと乱暴に扱われるのかと思ったが、彼らの対応は丁寧だった。その場で獣人かどうか尋ねられることもなかった。 外に出ると、シャルロットと、やはりいつものように彼女のそばから離れないユトがいた。 ユトの姿を見たナディアはしまったと思った。ユトの存在を忘れていた。 ユトがいるのでは、リンドが気を引いている隙に逃げようとしても、おそらく彼の手によりすぐに捕まってしまうだろう。 ナディアはそれとなくリンドに目配せをして作戦の中止を訴えた。やるのであればユトがいない場所でなければ無駄に終わってしまう。 リンドは片眉を上げ、『なぜだ?』と言いたげな視線を一度だけ向けてきたが、ナディアの意を汲んだらしく、目だけでわかったと合図をしてきた。 リンドと意志の疎通は完璧である。自分たちは仕事上の良き相棒だった。もうちょっと一緒に仕事したかったなと思いつつ、リンドから離れることを残念に思った。 本日のシャルロットは友人知人も引き連れて来たようで、見るからに上等そうな衣服をまとった、貴族の令息や令嬢らしき者たちも連れていた。シャルロットを見れば彼女は余裕の笑みである。目の奥に堪えきれない喜びの色が垣間見えた。「こちらへどうぞ」 ナディアは警邏隊の馬車に乗るように促された。最初に警邏隊員たちから「本部までご同行を」と言われていたので、ナディアはそれに従うべく歩みを進める。 とにかくここは穏やかにこの場を離れるのが賢明だろうと思った。ユトから離れさえすればどこかに逃げ出す勝機はあるはずだ。「お待ちになって」 それを止めたのは、シャルロット・アンバー公爵令嬢だった。「わざわざ本部まで連れて行き懇切丁寧に話を聞く必要はございません。私がこの場でこの女の罪を暴いて差し上げますわ!」 ビシッとこちらを指差すシャルロットはどこか得意げだ。「アンバー公爵令嬢、その…… 本当にこの場でやるのですか? 冗談かと……」 答える警邏隊員はどこか及び腰である。「冗談ではありません! 私のゼウス様を卑劣な手段で寝取ったこの性悪女をいつまでものさばらせておくわけには参りませんもの! 証拠は揃っているのですから、この場で即逮捕してしまえば良いのです!」 証拠が揃っているという言葉に
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4 次期宗主ジュリナリーゼ・ローゼンとその婚約者

緩やかに車輪の回る音と蹄の音が心地よく響く。 暖かな日差しの下で揺れる馬車の中、次期宗主ジュリナリーゼ・ローゼンは寝転ぶ婚約者の頭を膝上に乗せていた。 久しぶりに会えた大好きすぎる人の整った寝顔を見つめることができて、ジュリナリーゼはこれ以上なく幸せだった。 さらさらな彼の白金髪の毛を指で梳いてその感触にうっとりとしていると、彼が突然ぱちりと瞼を開けた。宝石のようなキラキラしい紺碧の瞳と目が合う。 自分の方が年上なのだからしっかりしなければと思いつつ、彼と目が合うとそれだけで思いが込み上げてきて、心の中で希望の花が咲き乱れたような気持ちになり、嬉しくて顔をしまりなく緩めてしまう。 ジュリナリーゼは婚約者の名を呼んでから「おはよう」と声をかけた。 彼は寝たまま、ドレスの上からジュリナリーゼの太ももを撫でさすっていたので、狸寝入りなのはわかっていた。 けれど、大好きな恋人の目覚めを祝福するつもりで、ジュリナリーゼは自然とあふれる笑顔のままで挨拶をした。 「うん、おはよう」 彼もジュリナリーゼに負けず劣らずの極上の笑みを見せてくれた。それだけでジュリナリーゼの心は洗われる。 (好き。大好き。永遠に好き) 彼が起き上がり抱きついてきた。彼はジュリナリーゼの唇に軽い音を立ててキスした後、ドレスの胸元あたりに自身の顔をムギュッと押しつけてきた。 彼は顔面でジュリナリーゼの豊満な胸の感触を確かめながら、深い呼吸を繰り返して思うがままにジュリナリーゼから香る匂いを嗅いでいるようだった。 「リィ、デート中にごめんね。お願いがあるんだけど、聞いてくれる?」 「もちろんよ」 胸から顔を上げた婚約者が少し首を傾けつつ、やや甘えたような声を出してくる。ジュリナリーゼはお願いの詳しい内容を聞く前から、即肯定の返事をした。 ジュリナリーゼはこの恋人のためなら何でもする。何でも許す。 「ちょっと寄りたい所ができたから、行き先変更してもいい?」 ***** 「皆さん! あちらをご覧になって!」 そう叫んだ令嬢が通りを指差す。ナディアもつられて示された先を見た。貴族たちからは黄色い声が上がり始める。 「ローゼン公爵家の馬車だ!」 彼らが見つめる先では、薔薇の家紋があしらわれた四頭立ての立派な馬車が、こち
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5 義姉さんと呼ばないで

『助けに来たよ、義姉さん』 華麗なる二人を見つめるナディアの頭の中に、やや高めの少年らしい涼やかな声が響く。セシルはこちらに視線を向けながら精神感応で言葉をかけてきた。 何となくそうかなと思っていたが、ブラッドレイ家四男セシルもまた、兄たちと同様に魔法が使えるようだった。 彼はナディアを見ながら微笑んでいたが、特に『義姉さん』と伝えてきた声の中に、まるで面白い玩具でも見つけたかのような、楽しそうな響きがあったように思えたのは気のせいか。セシルからの視線はすぐにそらされた。「……」 ナディアはセシルからの言葉に咄嗟に何の反応も返せなかった。以前彼の兄ジュリアスに同じようなことを精神感応で呼びかけられた時は、すぐさま眼力で否定しにかかったが、今はそんな未来もあったかもしれないと胸が痛み、すぐには否定できない。「これは一体どうした騒ぎなのでしょうか?」 声を上げたのは次期宗主ではなくてセシルだった。可憐に微笑みつつ首をこてりと傾ける仕草があざとい。『これわざとやってるな』とナディアは何となく思った。セシルは自分の容姿の利用価値をよくわかっているのかもしれない。 ジュリナリーゼはセシルのそばに寄り添い周囲の状況を見守っているだけで言葉は発しない。まだ婚約者のままだとは思うが、夫唱婦随とでも言うのか、たたずむ二人からは長年連れ添った熟年夫婦感がにじみ出ている。 セシルからはジュリナリーゼへの深い愛情、ジュリナリーゼからはセシルへの強い信頼が感じられる。セシルが番を愛しているのはわかるが、ジュリナリーゼもセシルを思っている様子だ。(次期宗主を番にしちゃって…… 本当にどうするつもりでいるんだろう……) むー、と、ナディアは険しい表情から難しいことを考えている表情に変わった。『そんなに難しい顔しなくても大丈夫だって。何とかなるなる♪』(軽っ!) ナディアは今度は呆れ顔になった。 未来の宗主夫妻の出現に周囲はほがらかな表情を浮かべる者たちが多い。 銃騎士隊訓練生であれば職業的地位は警務隊員たちの方が上だが、次期宗主配であり、何より「超絶可愛らしくて庇護欲満載美少年がお尋ねになられている!」と警邏隊員たちは胸を撃ち抜かれながらそわそわしていた。 隊員たちはこの騒ぎのきっかけを作ったシャルロットに向かって一様に視
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6 天使か悪魔か

セシルは銃騎士隊の隊服に似た黒い訓練服の内ポケットに手を入れた。 「じゃじゃーん、これなーんだ」 どこかふざけたような調子で言ってからセシルが取り出したのは、結構な量の写真の束だった。 「これは何かしら? 男の人?」 隣にいたジュリナリーゼが優美な声で不思議そうに尋ねている。 「これは昨日この古書店に放火した犯人が、まさに犯行を行おうとしている時の写真だよ」 シャルロットの顔色がサッと悪くなる。 「な、何故そのようなものをセシル様がお持ちなのでしょうか?」 すかさず反応したのはシャルロットだった。困惑したような口調で尋ねているが、そんな写真をセシルが持っているのはおかしいと言いたいらしい。 「そうだね。何でだと思う?」 質問に質問で返されて、シャルロットは困惑を深めた。 「私に聞かれましても…… わかりませんわ、そんなこと」 「わからなくはないでしょう。あなたはアンバー公爵家のご令嬢なのだから」 セシルは次期宗主の婚約者ではあるが、立場的にはまだ平民である。次期宗主の婚約者となったセシルの立場を守るために、どこかの貴族の養子になるようにという働きかけもあったそうだが、ノエルの父であるアークが大反対して成されなかったと言われている。 そもそも以前は貴族と平民の結婚は御法度だった。婚約だけなら可能でもあったが、いざ結婚となる場合は必ず同じ身分でなければならなかった。 なので、アークの大反対により貴族の養子になれないセシルでは、ジュリナリーゼとの結婚の未来はないはずだった。 ところが、何が何でもセシルと結婚したいという強い意志を固めたジュリナリーゼは、父親である現宗主配と議会に働きかけ、貴族と平民でも結婚できるように法律を変えさせたのだ。 セシルの成人後に二人は挙式して夫婦となり、その際にセシルは入婿としてローゼン姓を名乗り貴族と認定される予定だ。 よって、現段階では公爵家の人間であるシャルロットがセシルに対して失礼な態度を取っても厳密には不敬罪は適用されない。 それがわかっているのか、シャルロットは眉を寄せてセシルを睨みつつ、意味がわからないという顔をしていた。 セシルはシャルロットの苛立ちを受けてもあまり気にした様子もなく、もったいぶったように間を置いたのちに、急に真顔になっ
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7 令嬢の悲鳴

「あなたのお父様とお兄様は俺のこと『ちんちくりん』とか言っていたらしいじゃない。ただの子供だもんねー、殺せるとか思っちゃうよねー。 あなたのお兄様ってリィに惚れてて本気で結婚するつもりだったんだよね? その気持ちについては俺はとても良くわかるよ。リィはすごく綺麗で優しくて唯一無二の最高の女性だからね。次期宗主とかそんなの関係なしに、一生をずっとリィと一緒にいられたら絶対に幸せだと思う。 でもお兄様はちょっとやり方を間違えたね。早めに色狂いを直しておくべきだったよ。リィが振り向いてくれないからって手を出して泣かせた女の数がちょっと多い。お金で解決はできるけど、人の思いはそんなに簡単に割り切れるものじゃない。 中には裏切られても、ずっと愛する人への思いを持ち続けてもがき苦しみ、やつれ果てて目も当てられないような状態になる人もいる。性豪なのは悪くないけど、相手を悲しませないようにしなきゃね。 リィと結婚すると信じてたから婚約者もずっと立てなかったんでしょ? だけど今更高位貴族で婿入りできそうな相手を探したけど上手くいかなくて、そのことで俺を逆恨みするとか筋違いでしょう。そりゃ二回りくらい年下の赤子同然のご令嬢の家くらいしか残ってないよ。 家柄とか年齢とか色々考えてリィの結婚相手は自分しかいないって慢心してたのかもしれないけど、本気だったのならそれなりの行動をすれば良かったんだ。いくら何でも、結婚したら多方面から槍でも飛んできて新聞社や雑誌社に話題をたくさん提供できそうな多情な相手をリィが選ぶわけないでしょ。 もし俺が死んでもあなたのお兄様が次期宗主配になることだけは絶対にないから、今後の身の振り方をよーく考えておいた方がいいよって、次会ったら伝えておいて」 シャルロットの三番目の兄が聞いていたら、恥ずかしさと怒りのあまり泡でも吹いて倒れそうな内容を、次期宗主配に内定している少年は朗々と語った。 シャルロットは発言の内容に戦々恐々としていた。セシルの言っていることが全く以てその通りだったからだ。 三兄は女好きであるにも関わらず、娼館の女たちは商売人っぽくて嫌だと言ってあまり利用せず、従順そうな平民女を引っ掛けては堪能した後に金の力で黙らせて切り捨て、時には性欲処理のために口の硬い使用人を夜の自室に引き込んだりもしていた。 三兄の素行は社交界でもあまり浸
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