All Chapters of その結婚お断り~イケメンと三角関係になり結婚をお断りしたらやばいヤンデレ爆誕して死にかけた結果幸せになりました~: Chapter 71 - Chapter 80

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5 遠距離 2

「ねえ、ゼウス…… よかったの?」 声をかけてきたのは、ゼウスを挟んでアランとは反対を歩いていたハロルド・シュトラウス――通称ハルだ。 ハロルドはゼウスの同期だが年は下だ。父親が昔銃騎士隊員だったそうが、怪我で退官し今は都内で時計職人をしている。  姉が上に六人いて、父親の希望によりやっと生まれた末の男の子だ。父親の熱望で養成学校の入校試験が受けられる年になって即受験し、一発合格した才子だ。 ハロルドは訓練をする時などは胸のあたりまである髪の毛を後ろで一つにまとめているが、今は真っ直ぐな薄茶色の髪をそのまま下ろしていた。 ハロルドはかなり小柄なのと中性的で綺麗な顔立ちをしているために、銃騎士養成学校に入校してすぐの頃は女男と言われて嫌厭されて、はぶられている姿を良く見かけた。 一人きりで暗い顔をしているハロルドにゼウスが声をかけているうちに、最初は手負いの野生動物のように警戒心全開だったハロルドもゼウスに懐くようになり、以降ずっと友人関係が続いている。 ハロルドの見た目はしおらしい印象が強く、姉六人の影響なのか実際に女子力も高いのだが、これで模擬戦をすると結構強い。ゼウスはハロルドとの対決では負け越している。「結婚のこと、ジョージ隊長に言ったほうがよかったんじゃないの? まだ報告してないんでしょう?」「え?! ゼウスお前結婚すんの?」 ハロルドの言葉を聞いたアランが驚いたように声を荒げて話題に飛びついてくる。 三人は他の隊員とは別れ、共用で使っているロッカー室に入ったばかりだった。「はい。つい最近、彼女とそういう話になったばかりなんです」 アランとは同じ年だが先輩だし、養成学校時代のクセが抜けないのもあって、ゼウスはアランには敬語で話している。「えー、何だよそれー、何でハルが知ってて俺が知らないんだよー、水くさすぎるよゼウスー」 アランは唇を尖らせてぶーぶー文句を言い始めた。「隊の中で結婚のことを話してあるのはハルだけですよ。俺だってアラン先輩があの彼女さんと別れたって知りませんでしたよ」 この先輩は悪い先輩ではないのだが、メリッサとつき合うようになってから時としてウザい絡み方をしてくることがあって、「彼女と結婚します」なんて言ったら余計に絡み方が酷くなる気がして、黙っていた。 少し気の弱い所があるハロルドは、メリッサを紹介すると
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6 誓い

「――ってわけなんだけど、ごめん! 結婚同棲その他準備も含めて諸々延期してもらってもいいだろうか!」「うん、いいよ」 本部を出たゼウスは一つの決意を胸にメリッサの勤める古書店へやって来た。大事な話があるから少しだけメリッサを借りたいとリンドに断りを入れると、奥の部屋を使えと二階の従業員用休憩室に通された。 ハロルドは、メリッサに転勤の話をするつもりだと言うと、自分も一緒に行くとついてきた。ハロルドはメリッサと会うのは初めてだが、どうしてもメリッサに言っておきたいことができたのだという。 メリッサは人数分のお茶を淹れようといていたが、時間がないからとそれを止めてゼウスは早々に話を切り出した。 急な辞令のことを話して謝ると、メリッサは二つ返事であっさりと結婚延期を了承した。彼女に嫌われないようにと色々なことを考えながら店にやって来たゼウスは、正直拍子抜けしてしまった。「そっか…… でも、そんなに遠い所へ行くとなると、なかなか会えなくなっちゃうね」 メリッサは結婚云々よりも、遠距離恋愛になってしまうことを憂いている様子で、悲しそうな表情を見せた。「メリッサ!」 ゼウスはガタリと音を立てて椅子から立ち上がると、テーブルの向かい側で名前を叫ばれて驚いているメリッサのそばに寄ってひざまずき、彼女の手を取った。「メリッサ! 結婚しよう!」「う、うん…… 結婚する、よ?」 結婚することは既に二人で決めたことだ。改めての宣言を疑問に思ったのか、メリッサはやや小首をかしげている。「俺が言っているのは、今日、今からすぐに婚姻届を出して結婚しようってことなんだ!」「えっ?」 自分の言いたいことが正確には伝わっていないと察したゼウスは、ここに来る途中でずっと考えた末に絞り出した決意を口にした。 結婚延期や遠距離恋愛になることにメリッサが少しでも悲しそうな顔をしたら、すぐにこの話をしようと決めていた。 転勤の話を少し前に聞いたばかりで自分でも少し直情的すぎるような気もしたけど、メリッサと結婚することはゼウスにとっての決定事項だった。 あるのは多少早くなるか遅くなるかだけの違いしかない。ゼウスはメリッサの不安が少しでも和らぐのならば、今すぐ婚姻届に署名することに何のためらいもなかった。 自分の生涯の相手はメリッサしかいない。メリッサと万が一にでも別れるよう
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7 同期と上官 1

「ハル!」  ハロルドの足はかなり早い。泣いていた理由が気になって後を追っていると、ハロルドは繁華街にそびえ立つ百貨店の中に入って行った。  一階の入口付近は化粧品売り場になっている。商品が並んでいる棚があって客もいるので、ゼウスは走る速度を緩めた。ハロルドの姿を探して歩くと、少し奥に行った所で藍色の隊服を発見した。  ハロルドはゼウスの姿を認めるとビクリと体を反応させたが、逃げることはしなかった。  ハロルドの涙は既に止まっていたが、目が赤くなっていて充血している。ハロルドは元々色白なのもあって、ウサギみたいだなと思う。  おどおどしているハロルドの手の中には買い物カゴがあって、そこにかなりの量の日焼け止め液が入った瓶が詰められていた。 「こんなに買うのか?」  突然泣き出したことにも驚いたが、一人で使うにはあまりにも多すぎる量の日焼け止めを購入しようとしていたのにも驚いて問いかける。 「だ、だって、南の島は日差しが強いと思うから、日焼けしないようにしないと」 「こんなに買わなくても、一、二本あれば充分じゃないか?」 「……ゼウスの分もあるから」  恥ずかしそうにうつむいたハロルドが呟く。 「いや、俺の分なんて別に――」 『いらないよ』と続けようとした言葉はハロルドによって遮られる。 「駄目だよ! 絶対駄目! イケメンだってみんな等しく平等に日焼けはするの! 油断してるとすぐにシミとかシワとかできちゃうんだから! ちゃんとお手入れしないと!」  ハロルドはうつむきがちだった顔を上げて真っ直ぐゼウスを見た。気弱な印象はどこへやら、ハロルドは美に関して妥協は許さない。 「うーん、そうだとしても自分で買うよ。っていうか現地でだって売ってるんじゃないか?」 「このメーカーのはすっごく品質がいいから日焼け止めなら絶対にこれなんだけど、あんな遠い所でも売ってるかはわからないからこっちで買っていくの!」  そう言いながらハロルドはさらに棚に手を伸ばし、既に充分すぎるほど入っている買い物カゴの中にさらに入れていく。ゼウスにはその様子がちょっとヤケクソ気味になっているように見えた。 「ちょ、ちょっと! 明日の移動で一度にこんなに持っていけるわけないし、買い占めすぎだよ! 荷物になるだけだから減らせって!」 「安心して! ゼウスの綺麗なお肌は俺
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8 同期と上官 2

「ユリシーズ主査」 ゼウスは振り返ってその人物の名を呼んだ。声をかけてきたのは同じ一番隊の上官であるユリシーズ・ラドセンドだ。 彼はジョージ・ラドセンド隊長の孫婿であり、隊長からの信任も厚く有能な男だ。十代で主査にまでなっている。ゼウスにとってはかなり頼もしい上官の一人だ。 ユリシーズは何期か上の先輩であり、普通ならば名字呼びをするべき間柄ではあるが、任務を通して親しく話すようになり、いつだったか彼の方から「名字呼びは堅苦しいので名前で呼んでほしい」と言われ、それまでは名字に階級をつけて呼んでいたものを名前に変えた。 ユリシーズはゼウスがメリッサとの初デートの日、突発的に遠い地へ帰る貴族令嬢の付き添い任務が発生した時に、自分が行くと申し出てくれた人だ。「ハルを訪ねてきたつもりだったんだけど、ゼウスも一緒にいるなら用件がまとまって助かるよ」 微笑むユリシーズは茶色の髪をした優しそうな雰囲気の青年だ。時々糸目の隙間から茶色の瞳が見える。「シュトラウス主査、お話を遮ってしまって申し訳ありません。二人に伝言がありまして、少しよろしいでしょうか?」「ああ、もちろん」 シュバルツはユリシーズに昔の階級で呼ばれて機嫌がよさそうだ。「明日の列車の出発時刻が変更になったから伝えに来た。貸切列車で行くことになったらしくて、出発は七時ではなくて五時だ」「五時ですか?」 ゼウスは驚いて聞き返した。「……では、まさか馬車の迎えが来るのは、四時、でしょうか?」 ハロルドも驚いた様子のまま質問する。「うん、そうだよ」 ユリシーズに動じた様子はない。あくまでもにこやかに。 ゼウスとハロルドの二人は絶句していた。 日頃から、翌日早朝からの任務が突然言い渡されることがないわけではないが、普段と違って隊服を着込み武器を持ってただ駆けつければいいわけではない。いつ戻れるかもわからない長期の任務に備え、持っていくものを吟味して自分の荷物をまとめておかなければならない。 四時に迎えがくるのならば、身だしなみを整えるためにも三時くらいには起きている必要があるかもしれない。 やはりシュバルツの有り難い話を聞いている場合ではなかったようだ。(今日、寝れるかな……)「万一にでも遅れるようなことがあってはならない。二人ともすぐに荷造りして今日は早めに寝なさい」 シュバルツ
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9 探る男

 ユリシーズは本部から出たゼウスとハロルドの後をつけた。 ゼウスとハロルドは真っ直ぐゼウスの恋人が働いている古書店に向かった。二人は彼女と店の奥に行ってしまったが、ハロルドもいるのだからおかしなことにはならないはずだ。 道路を挟んで反対側にある数軒離れた雑貨店に入り、店内を物色するふりをしながら彼らが出てくるのを待った。 隊服のままのユリシーズは目立つのだが、雑貨店の店員が何か言ってくるわけでもないし、ゼウスを含めた監視対象者たちにさえ気づかれなければ大丈夫のはずだと思った。 しばらくするとゼウスとハロルドとゼウスの恋人、それから店主らしき人物が軒先まで出てきた。 彼らは何事かを話していたが、何の前触れもなく突然、ハロルドがその場から脱兎の如く走り出した。 いきなりだったので一瞬何かの非常事態かと思ったユリシーズは、雑貨店から飛び出してしまった。「ハル! 待てって!」 ゼウスが逃げるハロルドを追いかけて消えていく。(あの二人、何かあったのか?) 二人の後を追おうとしたユリシーズは、ハッと視線を感じてその方向を見た。(ゼウスの恋人が、こちらを見ている) 雑貨店は古書店を挟んでゼウスとハロルドが消えた方向とは反対側にある。 ゼウスたちの背中を見送りこそすれ、全く反対側に視線を向けてきたことに違和感を覚えた。 彼女と視線が合ったのは数瞬だけだ。彼女はすぐにユリシーズから視線を外して、再びゼウスたちが走り去った方向に視線をやり、名残惜しそうにたたずんでいた。 ハロルドとゼウスの足が早すぎるので、こちらも見失わないように全速力だ。 道路を挟んではいるが古書店前の歩道を通り過ぎても、再度彼女がこちらを気にした様子はなかったが、ゼウスたちを追っていることを彼女に気づかれた。 ユリシーズは内心で失敗したかなと思っていた。 ――ハロルドの家でゼウスと別れたユリシーズは、ゼウスが自宅に入る所までを確認した後、再度古書店に向かった。 本当は明日の朝までゼウスに張りつき、恋人との接触に警戒する必要があるが、ユリシーズはもう一度だけ、彼女の様子を探りに行くことを選択した。 引っかかりを覚えたからだった。なぜあの時ゼウスの恋人が振り返ってこちらに気づいたのか、どうしても気になった。 ただ、たまたま周囲を見回した時に隊服を着ているユリシーズが目についた
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10 予知夢?

「メリッサ・ヘインズ! 俺は君との婚約を破棄する!」  隊服姿のゼウスが目の前でそう叫んでいる。ゼウスの表情にはどこか悲しさがにじんでいた。 「な、んで……」  ナディアは二の句が継げなくなっていた。自分が獣人であることがゼウスにばれてしまったのだろうか―― 「すまない! 君を愛していたのは本当だった! 君こそが俺の運命だと思った! しかしそれは間違いだった! 俺は南の島で本当の運命に出会ってしまったんだ! 彼女こそが俺の真の人魚姫だったんだ!」  そう言ってゼウスは背後を振り返った。周囲にはヤシの木や南国の花々が咲き誇っていたが、ゼウスのすぐ後ろには急に海が広がっていて、砂浜があるはずの場所にお花畑が広がっているというおかしな立地だった。  ザッパーン! と一際大きな波が打ち寄せて、その波に乗り巨大な真珠貝がゼウスの隣まで滑るようにやって来る。白い貝が開くと、中にいたのは上半身がほぼ裸で胸だけを白い貝殻で隠した、シャルロット・アンバー公爵令嬢だった。しかも下半身は魚である。  あるはずのない光景にナディアがポカンとしていると、人魚になったシャルロットは魚の下半身で器用に立ちながらゼウスの隣に寄り添った。ゼウスに腰を抱かれながら、ゼウスの腕を取ったシャルロットは勝ち誇ったような笑みをナディアに向けてくる。 「やはりあなたみたいに冴えない容姿の女では、ゼウス様には到底釣り合いませんわ。ゼウス様が最後に選ぶのはこの私よ」  顔だけは可愛らしいシャルロットがこちらを見下すようにして告げてくる。  確かに顔はナディアよりもシャルロットの方が美人だ。容姿にコンプレックスのあるナディアは、もしもゼウスが自分ではなくてやはり美人を選びたいと言うのなら、悲しいけれど彼の意見を尊重してもいいと思っている。  そもそもナディアは獣人だ。他に一緒になりたい人間女性がいるのなら、その人と結婚した方が絶対に上手くいく。 (でもシャルロット様はやめた方がいい。できれば他の女性を選んでほしい。だってシャルロット様は――) 「シャルロット様は他に良い仲の男性がいるではないですか! その相手と別れたのならまだしも、ゼウスとその人と二股するつもりですか!」  ナディアは嗅覚でシャルロットに特定の男性がいることを知っていた。例外はいるが、番になれば基本一夫一妻
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11 稀人

 まだ夜が明けきらない薄明かりの時間帯、普段はほぼ無人のため静けさに包まれているはずの早朝の駅は、旅立つ者や見送りのための人の姿があった。 出発時刻が早すぎることと、あまりにも急に決まった出立のために、見送りが一番隊の仕事仲間のみという者もいたが、中でもハロルド・シュトラウスを見送ろうとする人数は多い方だった。 一緒に暮らしていた両親と四番目から六番目の姉はもちろんのこと、四姉ヒルダの婚約者である年上の教師と、なぜか「銃騎士に憧れているからついてきた」という教師の甥っ子たちとその両親。 それから公爵家の次男に見初められて嫁いだ都内に住む三姉エマとその夫ケント・フォレスターと、エマのためにケントがつけた護衛やら従者たち。それから近衛隊副隊長でもあるケントの部下たちまでいる。 ケントは、心臓病を患っていておそらく出産が困難であろう姉エマを、事情がわかっていながらそれでもかまわないと婚姻を結んでくれた得難い人物である。 もっとも、帝王切開術を用いれば心臓に負担なく出産も可能と医師の判断は下りていたが、それでもエマが死亡する危険性はゼロではないと聞いたケントは、帝王切開術に乗り気になりかけていたエマに、「危険があるなら子を持つ必要はない」と説いていた。 貴族は子を成すことも重要であるはずだが、ケントは「兄や弟たちもいるから問題ない」と、最初はこの結婚に難色を示していた親族たちを説き伏せて、愛を貫いた。 ケントを含めた近衛隊員たちは、こんな早朝にも関わらず、近衛隊の正装である装飾も煌びやかでかっちりとした朱色の隊服を隙なく着こなして、見送りに来てくれた。 長姉と次姉は首都から少し離れた所に嫁いだために見送りには来られなかったが、他の姉同様に末の弟ハロルドを溺愛してしている姉二人には、挨拶もできずに急に遠方へ赴任してしまうことを詫びる手紙をしたためて、ヒルダに届けてもらうように託してある。「ハルちゃん」 すぐ上の姉アイシャとライシャと別れの包容をしていると、なかなか離れようとしない双子を見かねてエマが声をかけてくる。「これ、お餞別。向こうでも気をつけてね」 エマの従者が綺麗な木箱をハロルドに差し出した。 双子に抱きつかれたままハロルドはそれを受け取った。片手で持てるほどの大きさの木箱の中身は、何度ももらっているので知っている。毛染め剤だ。 ハロルド
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12 「彼女」との別れ

 発車一分前のベルが鳴っても、メリッサは姿を現さなかった。  ゼウスの足は動かない。出立する者たちが皆列車に乗り込んでしまっても、ゼウスはひたすら構内の入口に視線を向けている。 「ゼウス、もうそろそろ……」  見かねた姉のアテナがゼウスに列車に乗るように促してくる。 「次の休みにはきっと会えるわよ」  姉は悲しそうな雰囲気を醸し出しているゼウスの気分を上げようと、明るい調子で声をかけてくれるが、正直、いつこちらに戻って来られるのかは全くわからない。 「何やってんだエヴァンズ。置いてかれるぞ、乗れ乗れ」  列車の中から共に旅立つ先輩が声をかけてきた。もうすぐ発車してしまう。 (もう限界か。一緒に行く人たちに迷惑はかけられない) 「……行ってくるね、姉さん」 「うん、気をつけて!」  アテナは意気消沈しているゼウスの背中を数度叩き、気合いを入れるようにして弟を送り出した。  ゼウスが列車に乗り込むとすぐに入り口の扉が閉まる。再度ベルが鳴り響き、蒸気機関車がゆっくりとした速度で動き始める―― 「ちょっと待ってーーーー!!」  見送るアテナに手を振り返していたゼウスは、待ち望んでいたその人の声を聞いて、ハッとしてすぐにそばの窓から身を乗り出した。 「メリッサ!!」  構内の入り口からノエルと共に駆けてくる愛しい人の姿が見えた。  ゼウスは笑顔になったが、ちょっと泣きそうになってしまった。  列車は動き出したばかりでその速度は遅い。今ならまだ間に合う。ゼウスは最後尾の車両へと走り出した。 「ゼウス、ごめん! ごめんね! こんな大事な時なのに、遅くなっちゃって!」  最後尾の列車の窓を開けると、メリッサは既に追いついていた。彼女は泣いていた。 「いいんだよ、メリッサ」  ゼウスはすまなさそうに謝る彼女にそう言うと、窓から手を伸ばして、メリッサの頬の涙をぬぐった。 「最後に会えてよかった。ちゃんと戻ってくるから、待ってて」 「うん」とメリッサがうなずく。ゼウスは限界まで身を乗り出して、彼女の唇に触れるだけのキスをした。 「メリッサ、愛してる」 「私も、ゼウス」  繋いでいた二人の手が離れる。  列車の速度が増す。構内の端まで走ってきてそれ以上進めなくなってしまったメリッサは、そこで止まった。  彼女の姿は小さくなって、やが
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13 届かない頼り 

「あらあら、この程度でへばっちゃうの? 情けないわねぇ」 今日も今日とて、ゼウスは先輩のアランと共に、一番隊南西支隊での教育係であるショーン・ジュエル副主幹の訓練を受けていた。 まずは柔軟運動をしてから銃騎士隊名物地獄の特訓を行うのだが、腹筋、背筋、腕立て(または倒立腕立て)、懸垂を各三十回と走り込み十五回をやって一セットだ。 やっていることは地味だが回数を重ねるときついので、上官の指示次第では終わらない地獄と化すために、通称名が「地獄の特訓」になっている。二人はショーンから発破をかけられていた。 一番隊本隊にいた頃もやっていたが、せいぜいが一回から三回程度だったし、任務が立て込んでいればやらない日もあった。しかしショーンが毎日「百回やってから戦闘訓練するわよ」と言うので、まさに地獄だった。「申し訳ないけど一番隊本隊にいたのなら、もう少し体を作って使えるようにしとかないと、とてもじゃないけど獣人となんて戦わせられないわ。死んじゃうもの」  ショーンは鍛錬場に置かれた日傘つきのテーブルにいて、脚を組みながら一人優雅に紅茶を啜っていた。 ちなみにショーンは既に自分で課している三十回分を終了させている。 ショーンは時々休憩を挟んでくれて、彼やアランと共に日傘つきテーブルで休憩をした。 筋肉がよく育つという彼お手製ジュースと、小腹が空いた時用に筋肉にとてもよいという小料理などを用意して食べさせてくれた。 料理もショーンが作ったらしく、ゼウスは初対面では彼の特性に度肝を抜かれたが、女子力が高くて部下思いな人なのだろうと思った。 しかし、ショーンはアランに対してだけは少し当たりがきつかった。 原因に思い当たる節はある。訓練開始初日にショーンが地獄の特訓三十回分を小一時間ほどで終了させたのを見たアランは、ついうっかり「オカマゴリラ……」と発言してしまった。「乙女に対してオカマゴリラとは何事よーっ!」 小声だったのにも関わらずそれを聞きつけたショーンは憤慨し、アランの地獄の特訓の回数を百回から百二十回にしてしまった。 ゼウスは先人の尊い犠牲によって、ショーンにはそれらの言葉は禁句だと理解した。「ゼウスきゅん、百回お疲れ様。冷たい筋肉ジュースあるわよ」「……ありがとうございます。いただきます」 ゼウスはショーンから変な呼び方をされていたが、嫌と
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《首都からの撤退 前編》1 『メリッサ・ヘインズは獣人である』

 ――時は、南西支隊へ派遣される隊員たちが、ジョージの用意した特別列車に乗り込んで旅立った日。  列車の見送りから帰還したジョージを一番隊長執務室の前で待ち構えていたのは、ゼウスが早朝彼の自宅まできた迎えの馬車に乗り込むまでを見守り、何もなかったことを確認して無事に任務を終えたユリシーズだった。  しかし、思い詰めたようにも見えるユリシーズの顔色はすこぶる悪かった。  一晩中起きて見張っていたのだろう彼をねぎらい、休むようにと言葉をかけたが、「人払いの上で話したいことがあります」と深刻な顔をしたユリシーズに言われて、ジョージは副隊長以下を下がらせて執務室にユリシーズと二人きりになった。  向かい合わせでソファに腰かけるなり、ユリシーズは開口一番こう言った。 「単刀直入に聞きます。ゼウスの恋人であるメリッサ・ヘインズは、獣人ですね?」  ******  ゼウスが南西列島へ行ってしまってからしばらく経つ。ナディアはゼウスがいなくなって心にぽっかり穴が空いたようになってしまっても、日常は続く。ナディアはそれまでとあまり変わらない毎日を過ごしていた。   シリウスの家で一人きりで朝起床し、身の回りのことや身支度を整えて出勤し、日中は古書店で仕事をして夜に帰宅する。  それまでの休みの日は、ゼウスも休みを合わせてくれて一緒に過ごしていたが、今はいない。休日は結婚に備えてエリミナ宅を訪れて使用人に料理や裁縫を教わったり、店でいらなくなった結婚雑誌を持ち帰って、どんなドレスにしようかと考えることもあった。仕事もありそれなりに忙しい日々だったが、ふとした瞬間にため息が出てきてしまう。  ナディアはずっと元気がなかった。なぜならば、南西列島へ行ったゼウスから、一度も手紙が届かないからだ。  ゼウスは手紙を出すと言っていたけれど、もしかすると南の島で新しい出会いがあって、ナディアのことなんて忘れてしまったのかもしれない。  思い悩んだナディアはアテナの所へ行き、ゼウスが南西列島に住んでいる住所を聞いてこちらから手紙を出そうと思った。アテナの所へは一度だけ絵葉書が届いていたが、それ以降はサッパリだという。  アテナには「甲斐性なしの弟でごめんね」と申し訳なさそうに謝られてしまった。アテナは「私からもゼウスにちゃんと連絡するように手紙を送ってみる」と言って
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