All Chapters of その結婚お断り~イケメンと三角関係になり結婚をお断りしたらやばいヤンデレ爆誕して死にかけた結果幸せになりました~: Chapter 21 - Chapter 30

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8 誘拐事件 1

 新年のお祭りだからと、パレード待ちする人でごったがえす街路にナディアは連れ出されていた。新年初日は古書店も休みであり、首都で新年を過ごすのは初めてだと言ったら、「新年名物銃騎士隊パレードを一緒に見に行こう!」と張り切るエリミナに連れ出された。 あたりは人、人、人。人間ばっかり。パレードに群がる人垣を見回しても、やっぱり首都に獣人なんてそうそういない。  もしもここでナディアが獣人であることが周囲の人間たちに知れ渡れば、きっと確実にボコボコにされるだろう。 最初に首都に飛ばされた時こそ、正体がバレたらどうしようと不安に苛まれたものだったが、今ではそんな不安もどこかへ飛んで行ってしまった。 獣人としての華やかな容姿を持たず、むしろ人間の中では中くらいの平凡な容姿に位置づけられ、どこにでもいそうな冴えない見た目のナディアが、実は獣人だなんて勘ぐるものはこれまで誰もいなかった。(それはそれで悲しいけど)「ああっ! ゼウス様が! ゼウス様が行ってしまわれた! このままじゃアテナ様のサインをゼウス様に頼めない!」 パレードの見物人でひしめく人々の中、隣で焦ったような声を出しているのは松葉杖姿のエリミナだった。この場にアテナ様本人がいないのに姉のサインを弟に頼んでどうするのだろうと思ったが、アテナ様の写真集をゼウス様に預けて自宅でサインをして来てはもらえないかと頼むつもりだったらしい。  お礼に父親経由で入手した超人気舞台のプレミアチケットを渡すつもりで。 沿道には警邏隊による規制線が引かれているが、時折その隙間から飛び出して銃騎士の元まで走り、握手やサインをしてもらったり、プレゼントを渡していたり、わざわざ写真機を持ち出して共に写真を撮っている者たちもいる。 エリミナは人垣の合間を縫ってパレードの先頭を追おうとするが、人が多すぎて進むどころか逆に押されよろけてしまう。  片脚を怪我しているせいで踏ん張れずに倒れそうになったエリミナを、ナディアが手を出すよりも先に黒髪の青年が支えた。 性別は男だが、どちらかといえば少動物のような可愛らしい顔つきをした彼こそが、エリミナの婚約者である『アーくん』ことアーヴァイン・サングスターだった。アーヴァインはナディアたちより一つ年上だが、小柄で華奢な体格をしていて、一見すると年下にも見える。 アーヴァインはエリミナの
last updateLast Updated : 2026-03-21
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9 誘拐事件 2

 室内の壁紙は破れかけ、埃が舞っているような荒れた部屋の中、服がビリビリに破かれて意識のないエリミナに群がる三兄弟と、縛られて床に転がっているアーヴァインがいた。アーヴァインはエリミナと違い意識はあるようだったが、暴行を受けたようで服は汚れ頬は腫れて口から血を流し、涙も流している。(愛する者の前で女を犯すのはシドもたまにやっていたけど、人間もえぐいことをするみたいね) エリミナの片膝あたりが布で雑に巻かれて血がかなりにじんででいた。この場の残り香を探れば、薬品による失神から目を覚ましたエリミナは逃げようとして、けれど三兄弟の一人に銃で足を撃たれてしまったようだった。エリミナは再び薬品を嗅がされて眠らされている。 ベッドの上には大きな箱型の写真機も置いてあった。卑猥な写真でも撮って脅すつもりだったのだろう。   「駄目だメリッサ! 逃げろ! 誰か助けを呼んで来てくれ!」 ためらいなく部屋に侵入するナディアに向かってアーヴァインが叫ぶ。 警邏隊を呼ばれたらたまらないとでも思ったのか、兄弟の三男がベッドから飛び降りてナディアに向かってくる。 ナディアは三男の腹部に一発重めの拳を叩き込んだ。グオッ、と蛙が潰れたような声を出した三男の目の焦点が失われ、直後に白目を向いた彼は床に倒れ伏した。「お、おい! お前っ! 何しやがった!」 三男が倒れるのを見た次男が驚いたような声を上げたあと、ナイフを抜いてナディアに襲いかかってくる。ナディアは振り上げられたナイフをスッと避けた。  ナディアはかなりギリギリの所で避けているので、あと一歩と思って何度もナイフを振り回す次男は、ナディアがナイフを余裕を持って避けているとは思っていない。 たとえ武器を持っていようと、戦闘訓練も積んだことがないようなひょろひょろの人間相手にナディアが負けるわけがなかった。 ナディアは攻撃に転じた。次男の顔を数回殴りつけ、最後に勢いをつけて回し蹴りを決めると、次男はくるくると回転しながら壁に激突した。壁が破壊され、大きな穴が空いて隣室と続き部屋になる。 直後、ゴキッと嫌な音と共に、絶叫と銃声が響き渡った。 銃弾はナディアではなく天井を通過している。ナディアは銃を向けられていることにいち早く気づき、長男の手首を掴んであらぬ方向に折っていた。骨折の痛みにわめき続ける長男の腕がさ
last updateLast Updated : 2026-03-21
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10 義妹じゃないわよ

 あの事件のあとエリミナはしばらく入院していたが、見舞いに行っても彼女は事件の衝撃から回復していない様子で、ずっと放心状態だった。脚を銃で撃たれて強姦されかかったのだから無理もない。とてつもない恐怖を感じたのだろうと思った。 退院の時にも元気がなさそうで、ナディアはとても心配していたが、数日後に自宅療養中のエリミナを訪ねた所、暗い雰囲気は影を潜め、彼女は明るさを取り戻しつつあった。 退院後、エリミナのことで大きく変わったことが一つあった。 エリミナにはアーヴァインの匂いが強くまとわりついていた。 二人はずっと清いままだったが、思う所があったのか絆を結び合ったようだ。 この国では、「恋人になれば婚前交渉当たり前、婚約者ともなればまさに」という風潮がある。エリミナは以前、そういう雰囲気になるとアーヴァインがいつも鼻血を噴き出してしまうので進展しない、と言っていたが、ついに男を決めたらしい。 アーヴァインと一緒にいるエリミナはとても幸せそうだ。辛い経験はしたが、彼女ならきっとそれを乗り越えていけるだろうと思った。 友人二人の幸せを喜びながらも、ナディアの胸には少しばかりの寂しさが生まれていた。(私も恋したい……) そんなことを考えて、一瞬だけあのいつもヘラヘラと笑っていた陽気な男のことが頭に浮かんでしまったが、すぐに追い出す。(ないないない。中身変態だから無理) 故郷に帰れなくなったナディアは人間社会で生きていくしかない。元々自分の番は人間になるのだろうと思っていたので、むしろ望む所なのだが、ナディアの場合は彼女が獣人であることを了承してくれる相手でなければならない。  現状、生きるために正体を隠して人間だと偽っているわけで、好きになれそうな人と出会った所で超マイナスからのスタートだ。 しかも人間たちは獣害を防ぐために早くから男女交際を望む者が多く、年頃で性経験のない者を探すのはかなり困難に思えた。 獣人は異性と関係したことのある相手は恋愛対象外になる。稀に父のような例外もいるが、ナディア自身はそうではないようだった。 実はナディアはアーヴァインと最初に会った時、大きな黒目がくりくりしていて可愛いなと思っていた。  アーヴァインはエリミナの婚約者なので奪うなんてことは考えもしなかったが、実際問題として空き家でアーヴァインに抱きつかれた時、彼
last updateLast Updated : 2026-03-22
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11 恋の芽 1

 混沌とする最後尾から離れて、ナディアはパレードの進行方向に沿って進む。先程エリミナたちと別れた場所を通り過ぎてしばらく行くと、嗅ぎなれた匂いの人間たちがいるのに気づく。 もう少しでパレードの先頭に辿り着くという場所で、見知った青年がうずくまっていた。周りをその従者たちが取り囲んでいる。 ナディアは何かあったのだろうかと、エリミナを背負ったまま膝をついているアーヴァインに慌てて近づいた。アーヴァインは気温の寒さに反比例するかように、汗をだらだらと掻いて頬が上気している。「どうしたの? 具合でも悪いの?」「あっ、メリッサ」 戸惑ったような顔でエリミナが振り返る。「それがね、その――」「大丈夫だっ、もう少しだから!」 エリミナが説明しようとする言葉を遮って、アーヴァインが気合いを入れ直すように声を上げて立ち上がろうとする。 しかし膝が真っ直ぐに伸び切る直前にアーヴァインは崩折れてしまい、護衛が手を差し伸べるよりも早く、ナディアが手を出して彼がよろけるのを支えた。少し痛むのか彼は腰に手を当てている。「ちょっと、大丈夫? 一回エリーを降ろしたら?」 ナディアの提案にアーヴァインは首を振る。「もうちょっとだから! このくらいの距離を妻を背負って歩けないようじゃ、夫なんて務まらない!」 そう言いながらも体力の限界なのか、アーヴァインはうずくまったまま肩で息をしている始末だった。 てっきりもう用事はすませたのだろうと思っていたが、要するに、未だ先頭には辿り着けず、アーヴァインが途中で力尽きてへばっているようだった。「無理しないで、私が――」 ナディアは自分が代わりにエリミナを背負って運ぼうかと思ったが、言いかけてやめた。それだと夫の面目丸潰れなのかもしれない。 それに獣人だと疑われそうな行動もできるだけ慎んだ方がいい。男でもないのに同年代の女性を苦もなく担いでいたら、あれ? と思う者もいるかもしれない。(たださえ一回やっちゃってるし)「アーくん、私降りるよ」「駄目だっ!」「アーヴァイン様、力仕事は我々にお任せください」「自分の婚約者が他の男に担がれている様をただ黙って見ていることなんてできるかぁ! 俺は強い男になるんだ!」「しかしアーヴァイン様、人には向き不向きがございまして……」 確かにアーヴァインは小柄で線が細く、見た目通りあま
last updateLast Updated : 2026-03-22
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12 恋の芽 2

 ゼウスは微笑みを浮かべていたが、心の中は殺気立っていた。  馬にまたがってゆるゆると進むゼウスとレインの周囲には、わらわらとご婦人方が集まってしまっていた。前半のゼウスの仏頂面もあったせいか、途中までは規制線を越えて先頭のゼウスたちの元へ来る者はいなかったが、パレードも終盤に差しかかってくると観客たちも焦りがあったようで、一人が規制線を突破すると雪崩を打ったように次々と後に続き、結果ゼウスは女性たちに囲まれる始末になった。 「危ないから下がって!」と警邏隊員がすぐ近くで進行を阻むように立ち塞がり叫んでいるが、彼女たちは何のその、怖気づくどころか勢いを増して、「サインを!」「写真を!」「プレゼントをどうぞ!」と迫ってくる。  レインに無下にはするなと視線で促されて仕方なく出来る範囲で応じているが、写真を共に撮ろうとすれば体をベタベタと触ってきたり、馬に乗ろうとしたりするような者までいたし、サインに至っては婚姻届を出されてサインしろと言われて以降は恐ろしすぎて全て断った。プレゼントなんてもう爆弾でも詰まっているのではないかと錯覚してしまう。 (去年は新人一年目であまり顔が知られていなかったからか、ここまで酷くはなかったのに)  ゼウスは困ったような微笑みを浮かべて彼女たちから距離を取ろうとしたが、中でもゼウスの熱烈なファンたちは引き下がらない。 「好きなんです! つき合ってください!」  ――無理。 「お願いします! 結婚してください!」  ――無理。 「愛しています! 抱いてください!」  ――無理。 破れかぶれの笑顔だけで断り続けるが、彼女たちもゼウスの潔癖ぶりには慣れている。むしろ近くでご尊顔を拝見できたことで、落ち込むどころか目を爛々と輝かせて獲物を狙う狩人のように迫り来る。 (もういい。モテなくていい。お腹いっぱい)  ゼウスも思春期の真っ盛りの男子ではあるが、彼女たちを見ていると恋人を持ちたい願望が急速に萎えていく。例えば彼女たちの中から誰かを選んで恋人になるだなんて、全くもって考えられない。  隣を見ればレインも似たような状況だが、中には男性もいて、彼らから「兄貴!」と呼ばれていたのにはちょっとげんなりした。  人の波が引くかパレードが終わるかして、早くこの時間が終わらないかなと魂を彼方へ飛ばしかけていると
last updateLast Updated : 2026-03-22
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《デート編》1 運命

 ゼウスは古書店に足を踏み入れた。 店の中はいかにも「書店」という感じで木製の棚にたくさんの本が並べられている。古書店だというが新書の取り扱いもあるようだ。入口の近くには雑誌も置かれているが、なぜかその一角には姉のアテナが表紙を飾る雑誌ばかりが置かれていた。 アテナが表紙に起用されるようになった数年前のものから最近のものまで、雑誌はびっしりと揃えられていて、写真集はもちろんのこと、アテナ関連の書籍でかなりの場所を占められていた。 そばの壁には当然のようにアテナの全身ポスターがあるし、書籍の周りには「我らが美の女神様! アテナ様降臨!」というちょっと恥ずかしい見出しも、女性らしき可愛らしい字体と共に飾られている。(姉さんのファンは彼女の友人だと言っていたけど、もしかすると彼女もそうなのかな?) アテナの書籍が占拠する場所を通り抜け、ゼウスは客がちらほらといる店内を見回しながら奥に向かう。首都で暮らすようになって数年経つが、この店に来たのは初めてだった。 ゼウスが会いたかった人物――メリッサ――は一人、会計台の前で接客をしていた。「ありがとうございました」 本を購入した客を見送るメリッサと目が合った。「あ、持って来てくれたんですね。わざわざすみません」 いつも近づいてくる女たちとは違う、媚を売るわけでもなく憑かれたような熱を持っているわけでもない自然な笑顔を向けられて、ゼウスも釣られたように笑顔になった。彼女の表情を見て胸がほわりと温かくなったゼウスは、嬉しさをいつもより増量させた満面の笑みになっている。 ゼウスは目立つ。特に今は仕事帰りで隊服を着ていたので、銃騎士が一人で書店に何の用だろうと客に目で追われていた。近くにいた女性客はゼウスの弾んだような眩しい笑顔に、はうっとなって顔を赤らめているが、メリッサに特段の変化はない。「家で姉にサインを入れてもらっただけだから、このくらいどうということもないよ。もし何か他にやることがあれば力になるから、何でも言って」 ゼウスが職務以外で女性の頼まれ事を進んで行うことなど奇跡に近い。自分から何かすることはないかと尋ねることも―― もしこの発言をゼウスのファンたちが聞いていたら、唖然としていたことだろう。「大丈夫ですよ。写真集を持って来て頂けただけで充分です。本当にありがとうございました」 メリッサは
last updateLast Updated : 2026-03-22
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2 デート準備

 ゼウスとの約束の日の午後、いつもよりも早い時間帯に学校帰りのエリミナが自宅の馬車に乗って古書店に現れた。エリミナは誘拐事件以降、下校時にも馬車に乗って店に来るようになった。 エリミナは松葉杖に代わって簡易的な杖を使いながら店の中に入ってきた。膝の傷が完全に治るのにはまだ時間がかかるらしい。  エリミナは背後に使用人らしき女性を二人連れていた。「エリー、学校が早く終わったの?」「早退してきた!」「え?」「だってほら、メイクもヘアセットも全部こっちでやるって話だったでしょ? うちのプロを連れてきたから任せて!」 確かにそう言われてはいたが、約束の時間まではまだあるし、わざわざ学校を早退してくるほどのことではないと思うが――「友達の結婚相手が決まるかもしれない勝負の時に、学校なんか行っている場合じゃないでしょ!」「……それはちょっと大袈裟すぎない?」「ゼウス様は真面目だからきっとお付き合いすることになったら婚約まではすぐよ! 仕事なら私が代わりに入っておくから、メリッサは今日のデートを成功させることだけに集中して! ゼウス様を落とすために身だしなみを万全に整えていきましょう!」 エリミナは自分がデートするわけでもないのに、今回のナディアとゼウスのデートにかなり気合いが入っているようだった。  ******  エリミナにゼウスと一緒に舞台を観に行くことになったと告げた時、彼女は嬉しそうに受け取って家宝にするとまで言った写真集をその手から取り落とした。「エリー?」 ナディアが床に落ちたアテナ様のサイン入り写真集を拾ってエリミナに差し出しても、彼女は雷にでも打たれたかのように硬直してその場に立ち尽くしたままだった。「山が……」「山?」「山が動いた……」 エリミナいわく、女を寄せつけない鉄壁のゼウス様が女性をデートに誘うなんて、天変地異の前触れか、もしくは宝くじに高額当選するほどの幸運なのだと言う。「ゼウス様は昔、幼馴染の恋人を獣人に殺されて亡くしていて、それっきりその恋人のことをずっと思っていて、女性とは距離を置いて誰ともつき合おうとしなかったの」「そうなんだ……」(獣人に殺された……)「でも考えが変わったんだわ! ゼウス様がメリッサを見初めたのよ! きっとそうに違いないわ!」「えー、そう……? 一緒に行く人がなかなか見つからな
last updateLast Updated : 2026-03-22
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3 「失われた古(いにしえ)の古武術使い」

 エリミナが連れてきた使用人によって、ナディアはメイクとヘアセットを完璧と言ってもいいほどに美しく施された。鏡を見ればいつもと雰囲気の違う自分がいた。 里にいた頃、ナディアは自分の容姿に自身がなくて落ち込むこともたくさんあったが、今の姿を見れば自分もまだ捨てたものではないと自信がついた。おしゃれをすると何だかうきうきと気分が上がるような気がする。 使用人二人の手腕は見事なものだった。ナディアの魅力を最大限引き出すような素晴らしい仕上がりだ。ナディアは要所要所でメイクの仕方を教えてもらいながら、使用人の手技をできるだけ自分のものに出来るよう努めた。 二階から下りると、会計台の前に座っていたエリミナがナディアを見るなり顔をほころばせた。「メリッサ、すごく綺麗よ! 今日のあなたは最高だわ! これならゼウス様もイチコロよ!」 エリミナはベタ褒めだった。ナディアは容姿を褒められた経験があまりないので、とてもこそばゆい。 エリミナは隣で古ぼけた本を読んでいるリンドにも同意を求めているが、リンドはちらりとこちらを見るとぶっきらぼうに「ああ」と言っただけで、すぐに視線を元に戻してしまった。 リンドは最近、古書の買取の仕事もナディアに任せてくれるようになった。客がまばらな時間帯などは地下の書庫で趣味の歴史研究をしながら一人で過ごすことが多いのだが、今は足の悪いエリミナを気にして彼女のそばについているようだ。 ゼウスが誘ってきた人気舞台のペアチケットは日時指定のものだった。ちょうど店の営業日に当たっていたので、仕事を早退するのも悪いと思ったナディアは最初断ろうとした。しかし――『行ってくればいい。お前一人くらいいなくても何とかなる』 どこからやりとりを聞いていたのかわからないが、とにかく地下の階段から現れたリンドの鶴の一声により、ナディアはゼウスと観劇デートをすることが決まったのだった。 会計台にリンドを残したまま、エリミナが店の入り口まで見送りに来てくれる。 「本当は私も一緒に行きたいけど、邪魔になっちゃうから、大人しくおじいちゃんと店番してるね。デートがどうだったか気になるから、明後日詳しく聞かせてね」 明日は店の定休日なので、次にエリミナに会えるのはおそらく明後日だ。 手を振るエリミナと別れて、ナディアは使用人二人と共に近くの乗り合い馬車の停留所まで歩
last updateLast Updated : 2026-03-22
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4 貴婦人たちの企み

 今日は観劇デートの日だ。午後になり、約束の刻限が近づいてくる。  ゼウスは本来であれば時間で仕事を抜けるつもりだった。早退の届けも出して一番隊長の許可ももらっていたのだ。しかし実際は、ゼウスは仕事から抜けられずにいた。 季節外れの花々が咲く温室の中、目の前では優雅にお茶会を繰り広げる令嬢たち。ゼウスはお茶会の護衛に駆り出されていた。 本当はお茶会の護衛の仕事自体つきたくなくて、別の者に代わってほしかった。けれどそれは無理だった。  なぜなら、本日同時間帯に催されるお茶会の数が多すぎて、一番隊の隊員のほとんどが出払っているからだ。皆が働いているのに一人だけ任務に当たらないわけにはいかない。 高位の公爵家から下位の男爵家の女性たちはもちろんのこと、地方遠方に住む貴族令嬢や夫人たちが、わざわざ示し合わせたかのようにこの日に大勢やってきて、小規模な茶会をいくつも開催した。  首都にいる一番隊は首都近郊に住む貴族を守るためには充分な人員を確保しているが、全国からやってきた数多の貴族たちも含むとなると、手に負えない。 貴婦人たちが結託して同時多発茶会を企てたのは明らかだった。 現在ゼウスたちが護衛するお茶会に参加している令嬢は四人と少人数だが、他のお茶会では二人のみで開催しているようなものもある。  まとめてやってくれないかと打診してみても、彼女たちは必要だからこうなったのだと銃騎士隊の意見を頑として聞き入れなかった。 ゼウスをデートに行かせないためには、必要なことなのだろう。 茶会の日時は狙ったかのように本日の午後に集中している。一番隊長はゼウスのデートを妨害するためだろうと分析した。 ゼウスはまさかと思ったが、彼女たちならやりかねないような気がした。 ゼウスとしては、ただ、気になる女の子と二人で観劇に行きたかっただけなのに、なぜこれほどまでに過剰反応されて妨げられなければならないのだと憤った。 どう考えても不必要としか思えないような茶会を開いて他の隊員にも迷惑をかけてしまっている。  ゼウスへの悪意的なものまで感じるが、これまで彼女たちがいくらデートに誘ってきても応じてこなかったことへの意趣返しなのかもしれない。 もしかしたら、なぜ自分たち貴族女性ではなくて、よりにもよって平民女を選ぶのだという気持ちもあるのかもしれない。 ゼウスは絶対に
last updateLast Updated : 2026-03-22
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5 奇遇ですね

 ゼウスは仕事から抜けたあと一度本部に戻り、隊服から私服に着替えてデートに向かうつもりだったが、「定刻になっても自分が本部に戻らなかった場合はお願いします」と彼に頼んでおいたのだった。「やあ、この温室の花々の如く可憐で麗しきお嬢様方、突然ですまないが失礼するよ」 気障なことを言いながら現れたのは隊服に身を包んだ爽やかなおじいちゃん、ではなくて、一番隊長ジョージ・ラドセンドとその副官、そしてジョージのお友達である退役銃騎士数名だ。「まあ…… ラドセンド卿…… 一体どうなさいましたの?」 お茶会の主催者である侯爵令嬢が驚きながらも声をかける。一番隊長の登場に幾分戸惑ったような口振りだ。ジョージのような上役の者が令嬢のお茶会の護衛に出ることは通常稀であり、まさか一番隊長自身が直接現場にやって来るとは思っていなかったようだ。 ゼウスは打たれて泣き寝入りするような性格ではない。  そっちが行かせないように仕向けてくるのならば、何がなんでも行ってやるぞこんちくちょうという気持ちになるものである。 もしもの場合は応援に来てほしいとジョージに頼んだのはゼウスだが、隊のトップを平の銃騎士の希望で動かすとは、相手によっては叱責ものである。しかしジョージは快く引き受けてくれたのだった。  人数がいた方が良いだろうと知り合いの退役銃騎士たちにも声をかけ、何か起こった場合は対処できるように、本部には副隊長が残っている。 今回の乱立お茶会はかなり想定外のものであるのだが、令嬢たちのお茶会以外にも他の貴族たちの通常の護衛任務は続行されているし、万が一不足の事態が起こった時のため、顔の広いジョージは退役銃騎士たちから本日の仕事を手伝ってくれる有志を募っていたのだった。「今日はいささか人手が足りなさすぎていてね。私のような老いぼれも働かなければ首が回らないような状態なのだよ。さあ、我々のことは気にせずお茶会を続けてくれたまえ」「いえ、ラドセンド卿をずっと立たせておくわけにはまいりませんわ。すぐに支度をさせますので、どうぞこちらへ……」 侯爵令嬢は使用人に、ジョージたちのために人数分のお茶と椅子を用意するよう指示した。「では折角なのでご相伴にあずかろうかね。たまにはうら若き乙女たちと交流を持つのも嬉しいことだね」 ジョージは笑顔を浮べながら侯爵令嬢にウインクをして
last updateLast Updated : 2026-03-23
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