All Chapters of その結婚お断り~イケメンと三角関係になり結婚をお断りしたらやばいヤンデレ爆誕して死にかけた結果幸せになりました~: Chapter 31 - Chapter 40

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6 公爵令嬢シャルロット

「ゼウス様」 シャルロットが特徴的な高めの声でゼウスの名を呼んだ。顔に笑みを浮かべているが、弧を描く唇の角度が心なしかいつもより深いような気がする。 ゼウスは何事もなかったかのように正面に向き直った。(気づかなかったことにしたい) けれどシャルロットを含む集団はシャルロットを先頭にゼウスに近づいてきた。(一難去ってまた一難か)「まあ、こんな所でお会いできるなんて、私たちはやはり運命なのかしら」 違うと思いますよ、と言ってやりたかったが、ゼウスはそのまま黙っていた。任務外なのだから相手をする義理はないし、失礼な男だと思ってさっさと嫌いになってほしいと思った。 ゼウスがこの日この時に観劇デートすることは多くの貴族女性たちの知る所なのだから、シャルロットが知らないわけがない。様子を見に来たのか邪魔しに来たのか知らないが、偶然でも運命でも何でもないはずだ。「おい、お前! シャルが話しかけてるのに無視するとはいい度胸だな!」 ゼウスの胸倉を掴みながら怒鳴ってきたのは、シャルロットのすぐ上の兄であるランスロットだ。彼は可愛い妹の交際の申し込みを何度も断り続けているゼウスが気に入らないらしく、何度か威嚇をしに来たことがある。 しかしここ半年ほどは姿を見せていなかった。聞いた話によると婚約者以外の令嬢を妊娠させてしまったとかで、元々の婚約を破棄され、相手方の子爵家に入婿になったらしい。  婿入り先の子爵家はかなり遠い場所にあるので、首都にはいなかったはずだが、今回の集団上京に便乗でもしたのだろう。「離して下さい」 ゼウスは睨みつけてくるランスロットを真っ直ぐ見据えて静かに言い放った。本当は思いっきりぶん殴ってやりたいが、護衛対象である貴族を銃騎士が傷つけるわけにはいかない。  それに意地の悪い奴だと、胸倉を掴んでいるのをやめさせようと触れただけの正当防衛的な行動でも、「銃騎士に害された!」と騒ぎ立てて面倒なことになったりする。  腹は立つがここはぐっと堪えて、言葉でやめるように促すしかない。「お兄様! おやめ下さい!」 シャルロットが涙を浮かべてランスロットの腕に取りすがる。「ゼウス様に手を上げないで下さい! 私の大切な方なんです!」「お前! こんな奴をかばうんじゃない!」「私がいけないのですわ! 冷たくされるとわかっているのに何度もゼウス
last updateLast Updated : 2026-03-23
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7 あなたはあの子に騙されているのですよ

「お可哀想なゼウス様。あなたはあの子に騙されているのですよ。早く目をお覚ましになって」 いつもの、可愛らしい自分を演出した媚びるような感じとは違う、他人を見下し嘲るような冷笑。  おそらくこちらがシャルロットの素に近いのだろう。思わず出てしまったという感じだ。いずれにせよ好きにはなれない。  しかし、ゼウスはその態度に違和感を覚えた。 (何だろう、胸騒ぎがする。いつも被っている仮面が剥がれかかっても気にならないほど、シャルロットにとって何か面白いことが起こっているのか? それは何だ?  俺が待ちぼうけを食らわされていることか? いや、メリッサがこの場に来ないということじゃないのか? (まさか…… メリッサは来ないんじゃなくて、来られなくなった?) 「あなたは…… まさか…… メリッサに何かしたんですか?」 「そんな、何かしたかだなんで、どうしてそんな酷い事をおっしゃるの?」  シャルロットは大きい瞳を潤ませて悲しそうな顔をしたかったのかもしれないが、その目元には未だに薄く笑みの形がある。  ゼウスは一瞬胆が冷えた後、全身の血液が逆流するかのような激しい怒りの感情を身の内に滾らせた。 それは義兄の亡骸を目撃した時、幼馴染のイザベラが瀕死の重症を負っていると知った時に感じたものと同等の、激しすぎる情動だった。 (彼女に何かしていたら絶対に許さない!)  ゼウスの美しい顔に怒りの形相が宿る。  それを見たシャルロットと控えていた従者がたじろいた時だった。 「お待たせしましたーっ!」  緊迫したその場の空気にそぐわない溌剌とした声が響き渡った。  ハッとしたゼウスは振り向いて、彼女の姿を目に入れた途端、心の底から嬉しそうな満面の笑みをあふれさせた。  表情変化の振り幅が酷い。 「ゼウスさんごめんなさい! すっかり遅くなってしまって! 乗り込む馬車を間違えてしまって、ここに辿り着くまでに時間がかかりすぎてしまいました!」 「いいんだ、メリッサ! 俺が迎えに行けば馬車を間違えたりなんてしなかったはずだ! 一人で来させてしまってすまなかった! 君が無事で本当によかった! ありがとう! 本当にありがとう!」  メリッサに駆け寄ったゼウスは感極まった様子で彼女に抱きついた。 「えっ?」  メリッサは抱きつかれてやや赤面しつつ困惑しているよ
last updateLast Updated : 2026-03-23
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8 一歩前進

「あの、今の人って貴族ですよね?」  ナディアはゼウスに手を引かれながら問いかけた。気にしなくていいとは言われたが、ナディアは先程の女性の匂いに引っかかるものを感じていたので、彼女の身分を確かめておきたかったのだ。  あの男たちは依頼主を「とあるお偉いさん」と言っていた。 (犯人はおそらく貴族……)  気になった匂いとは香水の匂いだ。レモングラスの香水――  あの男たちの財布の中身の何枚かの紙幣から同じ匂いがした。別に彼らからお金奪ったりはしなかったが、少し気になった。  彼ら自身からは香水の匂いはしなかったので、おそらく今回の依頼主の匂いなのではないかとナディアは推測を立てていた。  しかしレモングラスは人間社会に広く出回っている香水だ。犯人がその香水を使っているのはほぼ間違いないと思うが、レモングラスの香りを纏っているというだけで先程の女性を依頼主と決めつけることはできない。  ただ、里の友人に香水狂いがいたので聞いた話なのだが、レモングラスの香水はかなり安価でこの国では広く庶民が使うようなものだという。レモングラスの香り一つしかしないような単純な香水は普通貴族は使わない。もっと他の匂いも混ぜて複雑な香りを楽しむのだという。  華やかな衣装や高級宝飾品で綺麗に着飾った先程の貴族らしき女性ならば、もっと高価な香水を使っていても良さそうなのに、安い香水を使っているのはなぜだろうという疑問は浮かぶが、好みは人それぞれなのだろう。  つまる所貴族であの安価なレモングラスの香水を身につけている者は少数なのだから、彼女がやはり貴族ならば限りなく黒に近いのではという気がする。 「……ああ、貴族だ。でも放っておけばいい」  ゼウスは周囲の温度が一段下がったかのような、冷たく硬い表情をする。 (ゼウスさんはいつも私に対してはにこやかで晴れやかな感じがして優しいのに、こんな顔もするのね)  ナディアはゼウスの持つ別の一面を見たような気がした。 「……そうですか」  ナディアがゼウスの態度にやや戸惑った声を出すと、難しい顔をしていたゼウスは急にハッとしたような表情になった。ゼウスは足を止めるとナディアに向き直った。 「言っておくけど、俺と彼女の間には何もないから! ただの仕事上の護衛対象なだけで個人的なつき合いは一切ないから!」 「そ、そうなんだ―
last updateLast Updated : 2026-03-24
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9 一歩後退?

 ナディアたちの席は一階の中央あたりの、観劇には良好な場所だった。観客席にはなだらかな傾斜がついていて段差もあるため、ナディアの手をゼウスが引いて躓かないようにしてくれる。なんだかお姫様にでもなったような気分だと、ナディアは少し浮ついた気持ちになった。  ナディアは里において女性扱いされたことがあまりない。ほとんどの男共はナディアの容姿を蔑んでいた。  人間の男たちは獣人の支配する里で獣人に歯向かうような真似はしなかったが、だからと言ってナディアと殊更仲良くしようとする者もいなかった。『悪魔の花婿』になる場合は、獣人の美貌や色香に惹かれる部分もあるのだろうし、ナディアと一緒になってもその利点がなかった。 「今日は来てくれて本当にありがとう」  長時間座っても疲れないような仕様になっている、背もたれつきのフカフカ椅子に座ると、ゼウスが嬉しそうな笑顔と共に告げてくる。先程の冷たい表情は完全に消え失せていた。  ゼウスは美しい。実は獣人でしたと言われても違和感がないほどの美貌だ。「二人のうちのどちらかが実は獣人ですがどっちでしょう?」という質問を百人にしたら、百人中百人がゼウスだと答えるに違いない。 「ううん、こちらこそ遅れてしまってごめんなさい」  ナディアは案内役の男に天誅を下した後、物音に気づいた御者台の男もシメておいた。  御者台の男が馬車の扉を開けた瞬間に襲い、すぐに中に引っ張り込んだのでナディアの凶行を周囲には気づかれなかったはずだ。  男二人とも一発目で意識喪失したはずだから、自分の身の上に起こった事を完全には理解できていないだろう。できるだけ獣人とばれそうな行動は控えなければならないという、エリミナの誘拐事件からの教訓だ。  ナディアは動かなくなった男たちの体を彼らの荷物から拝借した縄でぐるぐる巻きにして、男たちが吐いた血を使って馬車内の壁に「私たちは性犯罪者です」と書き記しておいた。  男たちの体からはたくさんの女性の匂いがしたが、それを注意深く探ると、手籠めに近いような形で関係を結んだものもわりと多かった。きっとナディアのように人攫いの被害に遭った女性たちだろう。  余罪がたくさんありそうで、放置された馬車の中で縛られた男たちと共に不審な書き置きがあれば、警邏隊が事件の気配を感じ取って必ず捜査をするに違いないと思っての行動だっ
last updateLast Updated : 2026-03-24
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10 罠にはまってみる

 歌劇は恋愛もので、身分差の姫と騎士が様々な障害を乗り越えた末に結ばれるというよくある話ではあったが、有名な役者が出演していることや舞台装置が派手であることが見所だった。 クライマックスで、敵方の罠にはまり滝壺に落ちた姫を騎士が飛び込んで助けた末に結ばれるシーンでは、舞台上で本当に水を使った滝を再現していて、かなり迫力があった。「面白かったわ!」 ナディアは劇を見るのは初めてで、音楽に合わせて人が歌ったり踊ったりするのは心躍る感じがしてなかなかに楽しめた。話の内容も恋愛ものでナディアの好きな系統の話だったし、最終的に姫が騎士と結ばれて大団円だったのも良かった。 姫は途中、所々でチャラチャラした感じの美形魔法使いにちょっかいを出されていて、そちらを選んでしまいそうな雰囲気もあったのだが、魔法使いを選んだら魔法の国に連れ去られて二度と国に戻れなくなるという設定だったので、いくら顔が良くても魔法使いじゃなくて本命の騎士を選んで良かったと思った。本当に良かった。「そんなに喜んでくれたなら誘った甲斐があったよ。もし良かったら今度は別の劇を一緒に観に行かないか?」 舞台のあるホールを出て人の流れに乗りながら話していると、ゼウスがそんなことを言ってくる。劇は終わってしまったので後は帰るだけだ。敬語はやめたものの、友達と呼べるほど仲良くなれたかは何とも言えない所だったので、また一緒の時を過ごせるのはナディアも望む所だった。「いいわね、そうしましょう」 ナディアは笑ってゼウスの提案を受け入れた。二人は出口に向かう流れから外れて、劇場内のチケット売り場に向かった。ゼウスは移動中ずっとナディアの手を握っていたが、劇の公演予定の看板の前に二人で立って人の波に押される心配がなくなっても、ゼウスは手を離さず握ったままだった。 これは友情が育まれている証だわねと思ったナディアは、自分からも手を離さずそのままにしておいだ。「今回は指定された日時だったからお互い仕事を早退しなきゃいけなかったけど、次は休みが被る日にしようか」「そうね。でも公演はほぼ毎日あるから好きな演目を選べそうよ」 劇場は広く公演用ホールもいくつかある。今回は大ホールでの公演だったが、同じ大きさのホールがあと一つあり少ホールも何ヶ所かあるので、同日に別の演目の舞台も開演している。「メリッサはどれがいい?
last updateLast Updated : 2026-03-25
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11 偽装恋人

 シャルロットの後を追い、二人は先ほどの劇が行われた舞台上に登った。  今日はもう公演はないそうだが、明日のために舞台上には多くの人間たちがいて、舞台装置を動かしたり点検したりしている。 「こちらは奈落です。劇中の滝の水はここから奈落の底にある水槽に落ちるようになっていて、ポンプで汲み上げて循環させるようにしています。今は点検のために開けてありますが、落ちたら大怪我をしますので、気をつけてくださいね」  支配人だという壮年の男が案内役を努めてくれて、シャルロットの兄ランスロットやそのお友達も含めた貴族たちと一緒に説明を聞いて回る。  シャルロットは最初ゼウスの隣に位置取り腕を組もうとした。ゼウスが断っても耳に届いていないかの如く彼の腕を取ろうとしたのだからふてぶてしい。  ゼウスは離れないシャルロットにこう言った。 「やめて下さい。恋人の目の前で他の女性の腕を取るなんて出来ません」  ゼウスの恋人ってどこにいるのだと、ナディアは思わず周囲を見回してしまった。  当のゼウスは恋人だという相手ではなくてナディアをじっと見つめているし、ゼウスのそばのシャルロットは一瞬だけナディアに鋭すぎる視線を向けた。  シャルロットはすぐに感情を押し殺したように何食わぬ顔に戻っていたが、彼女のその視線に『殺ス』という明確な殺意が宿っていたように見えたのをナディアは見逃さない。 「恋人? それはまあ…… 私の知らない間にどこのどなたと恋仲になられたというのですか?」  シャルロットの口調は悲しそうで、まるで浮気した自分の恋人をなじるような口振りだった。  ゼウスはシャルロットの問いには答えないまま、何かを訴えるような強い眼差しでナディアを見ている。 「お前の恋人はこの女か?」  支配人と見学メンバーの全員がナディアとゼウスとシャルロットの三人を伺うようにして押し黙る中、沈黙を破ったのはシャルロットの兄であるランスロットだった。  ナディアは先ほどランスロットと彼に寄り添う美しい恋人に対面した時から、ずっと彼らのことが気になっていた。  なぜならば、「アン」と名乗り華やかに着飾っているランスロットの恋人から漂う匂いが、明らかに女性ではなく男性のものだったからだ。  アンは女装した男である。  だからと言ってランスロットが騙されているというわけではない。彼
last updateLast Updated : 2026-03-25
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12 国の歴史

 王族は血族結婚を繰り返していた影響なのか子が生まれにくく、元々数を減らしていた。処刑された最後の女王に次いで王位継承権を持っていたのは、最後の女王の叔母であるミカエラ姫だけだった。 しかしミカエラは病弱で車椅子生活をしていて、子が望めない体だとも言われていた。彼女は王位継承権を放棄して、平穏な人生を過ごすことを選んだ。 公爵家も臣籍降下などにより元は王家の血を継ぐ者が興した家だ。 王家の血を一番濃く引いているのが、バルト公爵家だった。そしてそのバルト公爵家の当主であるラファエル・バルトは時の宰相であり、最後の女王を断頭台に送った張本人だった。 彼は自分の王位を望まなかった。宰相の手により王政は廃止され、一気に民主化が進むかに見えた。 しかし、そこに二つの出来事が重なったことにより、この国の行末が決まってしまう。 一つは、最後の王族であるミカエラの懐妊だ。 ミカエラは三十代後半になっても未婚のままだったが、王位継承権を放棄するにあたり、バルト公爵の勧めで地方のローゼン伯爵家に降嫁した。婚姻し王族籍から抜けることで継承権を放棄させるという意味合いがあった。 ローゼン伯爵クラウス・ローゼンはミカエラよりも一回りほど年下だったが、権力欲のない温和な人物として知られていた。加えて死別した先妻との間に息子がいたので、無理に子供を作る必要もないだろうとの理由でミカエラの嫁ぎ先に選ばれた。 しかし子供が出来ないだろうという医師の診断に反して彼女は妊娠した。最初ミカエラの妊娠は秘されていたが、どこから漏れたのか、痩せ型なのにお腹だけがやけに膨れたミカエラを抱えて馬車に乗り込むローゼン伯爵の写真が新聞に載ってしまったのだ。 王家が続いていれば正当な後継者になるはずだった者の存在が世間に知れ渡ってしまった。 二つ目はバルト公爵の暗殺だ。 民主化の急先鋒だった存在がいなくなったことで、王政復古を願う者たちの発言力が増してしまった。 王の臣下であった貴族たちは、頭上に戴くべき王がいなくなれば役目はなくなり、存在意義を失う。 自分たちの既得権益が失われることを恐れた貴族たちは、何とか貴族制を維持しようと目論んだ。 バルト公爵によって既に王政は廃止されていたが、貴族制の廃止については貴族たちからの猛烈な抵抗に遭い、未だ改革の途中だった。 バルト公爵亡き後、貴族
last updateLast Updated : 2026-03-26
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13 病気かな

 ナディアは足場に近づいた。下を覗くと舞台上まで結構な高さがある。(でもまあ、このくらいなら獣人の私は落ちても怪我なくいけそう) ここでもし仕掛けてくるならたぶん黒だろうし、そうでなければナディアの思い過ごしだ。「俺が先に見てくるから」 ゼウスはナディアの前に見学を名乗り出た。彼は足場の周りを確認しながら滝の仕掛けの部分に辿り着き、何もないかを確認している。「たぶん大丈夫だと思うけど、怖いと思ったらすぐに引き返してきて。滑ったりよろけたりしないように気をつけるんだよ」「手摺りに掴まるから大丈夫よ。心配性ね」 ナディアはゼウスに微笑みを返してから歩を進めた。仕掛けの部分までは特に何事もなく辿り着く。 ナディアが仕掛けの大きな空洞を覗き込んだ時だった。 空洞の奥、数え切れないほどのホースがまとまって取りつけられている箇所から、変な音がする。『あ、やっぱり』と思った時には、既に幾つものホースから勢い良く水が吹き出し始めていた。「メリッサ!」 ゼウスの叫ぶ声がする。 ナディアは妙な音が聞こえたと思った時には空洞から体を離し始めていたが、あまり早く動きすぎると獣人だとばれてしまうので、彼女にしては実にゆっくりと動いた。 その為に肩や腕の一部が滝の直撃に遭い、よろけて足場から落ちる。 ナディアは両手で足場の縁を掴んだが、体は宙ぶらりんな状態になった。 きゃああああ! と、見学している貴族女性たちから悲鳴が上がる。「水を! 早く水を止めて!」「止めろ! 滝を止めろ! 一体どうなってる!」 ゼウスと、それからランスロットが叫んでいる声が聞こえた。 滝は放物線を描きながら落ちているので現状ナディアに直撃はしていない。けれどずっとこのままの状態だとものすごい腕力のある女だと疑われるかもしれないので、適当なところで手を離そっかな、なんて考えていると、視界に金髪の青年が映り込む。「メリッサ! メリッサ!」 ゼウスは滝の放物線の下に潜り込んで上手く滝に当たらないようにしながら、必死な様子でナディアの腕を掴んで引っ張り上げようとしてくる。「ゼウス! 危ないから手を離して! あなたまで落ちちゃうわ!」 獣人であるナディアは、きっとここから落ちても死なないだろう。当たり所が良くて奇跡的に無傷でしたとでも言っておけばいい。 でも人間であるゼウスは、
last updateLast Updated : 2026-03-26
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14 兄を応援するべきか、友を応援するべきか

 金髪碧眼の美しい青年が、長い茶色の髪を結った女性の肩を抱きながら、一流ホテルの門をくぐり中へと消えていく―― その様子を二人にばれないように少し離れた場所で眺めながら、騒ぐ女が一人。「ホ、ホテっ……! ホ、ホテ、ホタタテっ……」 噛みながら慌てた様子で二人が消えた方向を指差して何か言っているのは、灰色の髪に青い瞳をした二十歳前後くらいの女だった。 女は、「ホテル」と言いたいらしいが、全然言葉になっておらず、通行人から白い目で見られていた。「ああ、ホタテ、ですか? 焼くと香ばしい匂いがしてとても美味しいですよね」 連れの男も妙なことを言い始めている。女は男の言葉を受けて首をブンブンと横に振った。「お、おん…… な、ななな、なっ……!」「菜っ葉、ですか? 苦いのであまり好きではないですね」「ち・が・う!」 男があまりにも素っ頓狂な事を言い始めるので、女はカッと目を見開いて男に詰め寄る。「ゼウスが女の子をホテルに連れ込んじゃったわ! どうしたらいいのっ!」 女が男の肩をガクガクと揺さぶりながらあまりにも大声で叫ぶので、通行人の視線がさらに集まってくる。「ゼウスも男なんですからしょうがないんじゃないですか?」 女は男の発言に、愕然とした様子でその場に膝をついた。「……ゼウスに限って初デートでホテルに直行だなんてふしだらなことはしないと思ってたけど…… うちの弟もやっぱり年頃の男子だったのね……」 打ちひしがれたように呟く女の正体は、姿替えの魔法にかかったゼウスの姉、アテナ・エヴァンズだった。 そして、彼女のそばにいる金髪碧眼に平凡な顔立ちをした二十歳ほどに見える男こそが、アテナと自分自身にも姿替えの魔法をかけた張本人、アテナの現相棒であるノエル・ブラッドレイだ。「まあ、年頃の男の子だからって全員そうなるとは限りませんが…… ただ、ゼウスは嫌がる女の子に無理矢理致すなんてことはしないと思いますよ。どうにかなるならきっと合意の上だと思います」 ノエルは誰に対しても丁寧語を使うのだが、それは長兄ジュリアスの影響だった。 ジュリアスは銃騎士隊養成学校に入学して以降、銃騎士隊の上官である父親アーク・ブラッドレイに対してどんな時でも常に敬語で話すようになった。 ジュリアスにとっては父と一線を画そうとする一つのけじめだったのかもしれないが、ノエ
last updateLast Updated : 2026-03-27
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15 すれ違う会話

 あれよあれよと言う間にホテルで休憩する話がまとまってしまい、気づいたらゼウスと一緒にホテルの一室に来ていた。「とにかく体を温めようか」 ゼウスは浴室に消えてしまった。浴槽にお湯が張られているらしき音がする。 ソファに座ったナディアはきょろきょろと室内を見回した。 室内は広々としていて一人で使うのがもったいないくらいだった。テーブルや椅子は意匠が凝っていて一見して高級だとわかるものばかりだし、ナディアが今座っているソファも座り心地が最高だ。天井の照明や壁にかけられた絵画などの調度品に至るまで、この部屋にあるものはどれも品が良い。 彷徨っていたナディアの視線がベッドでピタリと止まる。(ベッドは一つなのに、枕が二つ仲良く並んでいる……) ふわりと、心地良く感じるようになってしまったゼウスの匂いが濃くなる。 ナディアがその方向に目をやると、浴室へ続く部屋の入口にゼウスがたたずんでいた。ゼウスは何か物言いたげな視線を真っ直ぐナディアにぶつけてくる。 二人はしばし無言で見つめ合った。「風呂、一緒に入る?」 ゼウスの言葉を受けたナディアは、ふふふっ、と笑った。「やあねもう、そんな冗談みたいなこと言って。こんな状況でそんなことするはずないじゃない」「そ、そうだよな、ごめん! 変なこと言って……!」 ゼウスはナディアから視線を逸らすと、耳まで真っ赤にして恥じ入っている。「お湯、もう少しでたまるから、そしたら止めて、ちゃんとあったかくしてよく休んで! じゃ、じゃあ、俺は隣の部屋にいるから、何かあったら呼んで!」 まくし立てるようにしてそれだけ言うと、ゼウスは逃げるようにして外へ出て行ってしまった。「あ、ゼウス……」 呼び止めようとナディアは立ち上がって声をかけたが、ゼウスはそれには応えず、廊下に続く扉がバタリと閉まる音がした。 ゼウスは知らない。 先程の誘い文句が、ノエルの魔法により、『風呂、一緒に入る?』ではなく、『マラソン、外で一緒に走る?』と変換されてナディアに聞こえていたことに。 ****** 隣の部屋に入ったゼウスは酷い自己嫌悪の中にいた。(一緒に入ろうって、何言ってんだ俺……) 頭の中はぐちゃぐちゃだった。 つき合ってほしいとさっき話はした。けど、メリッサは事件の衝撃のせいか、ぼーっとしていて心ここにあらずと
last updateLast Updated : 2026-03-27
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