静かだった。 音がないわけじゃない。 空調の低い音も、外のわずかな車の気配もある。 それなのに。 二人の間だけが、異様に静かだった。 「……まだ、いるんですか」 優士が、先に言う。 背を向けたまま。 振り返らない。 和泉は、少しだけ間を置いてから答える。 「……うん」 それだけ。 理由は、言わない。 言えない。 帰るつもりでいた。 でも。 足が、動かなかった。 ——足りない。 あの感覚が、まだ残っている。 優士は、ゆっくりと振り返る。 目が合う。 それだけで、呼吸が浅くなる。 「……帰った方がいいです」 静かに言う。 強くはない。 でも。 はっきりとした線。 「……帰りたくない」 和泉は、即答する。 考える前に出た言葉。 自分でも、少し驚くくらい。 優士の視線が、わずかに揺れる。 それだけで、十分だった。 「……困ります」 また、その言葉。 でも。 前とは違う。 少しだけ、低い。 「……知ってる」 和泉は、小さく言う。 困らせているのは、わかってる。 それでも。 動けない。 「……じゃあ」 優士が、一歩、近づく。 ほんのわずか。 でも。 距離が、確実に変わる。 「どうしたいんですか」 問いかける。 逃げ場のない言葉。 和泉は、答えられない。 選べない。 でも。 一つだけ、確かなものがある。 「……ここにいたい」 それだけ。 優士の表情が、止まる。 その一言で。 空気が、変わる。 わずかに。 危うく。 「……それは」 言いかけて、止まる。 言葉が続かない。 代わりに。 もう一歩、近づく。 気づけば。 手を伸ばせば届く距離。 近すぎる。 逃げられない。 「……ほんとに」 優士の声が、少し低くなる。 抑えていたものが、わずかに滲む。 「それでいいんですか」 確認。 最後の線。 和泉は、答えない。 でも。 視線を逸らさない。 それが、答えだった。 その瞬間。 優士の手が、動く。 ゆっくりと。 迷いながら。 でも、確実に。 和泉の方へ。
最終更新日 : 2026-04-08 続きを読む