《元夫の後悔をよそに、天才妻は御曹司と溺愛婚》全部章節:第 281 章 - 第 290 章

456 章節

第281話

智也は踵を返し、菜々子にはっきり聞くことにした。すでに全てを話し終えたと思っていた菜々子だったが、どうやらこの救いようのない男には伝わっていなかったようなので、もう一度はっきりと教えてやることにした。「谷口さん。あなたは他の女と浮気をしながら、自分の奥さんにはヨガだ、育児講座だ、栄養管理やメンタルヘルスだなんて、手当たり次第に講座を申し込みましたよね?そんな同時進行、本当に……」と、菜々子は露骨に嫌悪感を露わにする。「だから妊娠を望んでいない凛さんが、講座を別の誰かに譲るのなんて当たり前じゃないですか?それに、子供が生まれたら、あなたは子供を盾に凛さんを縛り付けますよね?ということで、私が講座に出ていたんです。それに、凛さんがあなたにこのことを伝えていないとなると、もうあなたへの愛情は冷めきってますね」感情をぶつけてくるうちはまだ挽回の余地がある。しかし、無言で去ってしまったとなれば、未来は絶望的だろう。菜々子は、表情を次々と変える智也を見つめながら続けた。「私も凛さんの活躍に関する記事を読みました。他の人がどう思うかは知りませんが、彼女にあなたは少し不釣り合いだと思います。育ってきた環境は違っても、28歳の今、彼女の未来はあなたのもの以上に明るいし、あなたの手の届かないところにいますよ。あなたが凛さんを妻にし、その愛を得られたのは、孤児として育った彼女の寂しさや家族を求めた心につけ込んだからにすぎません。あなたの存在は、単に彼女の心に空いていた穴を埋めただけ。凛さんは、やっと手に入れた家というものを失うまいと、必死にあなたとの結婚生活を守ろうとしたはずです。でも、残念です。壊れたものは接着剤で直しても亀裂が残るし、汚れたものは洗ったとしても、目にするたびに汚れていた事実を思い出す。かなりの苦しみですよね」菜々子は智也を、汚物であるかのように表現した。羞恥心と怒りで智也の顔が真っ赤になる。菜々子は智也に反論の隙も与えず、微笑んで言った。「でも、私は谷口さんに感謝すべきですよね。こんな何十万もする講座は、自分の経済力で受けることはできなかったし、今の言葉だって以前の私だったら言えませんでした。講師から教わったピアジェの発達段階とエリクソンの発達理論は、本当に実生活でも役に立ちました。子どもに限らず、人間の一生そのもの
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第282話

智也はこれまで必ず連絡を返してくれたし、たとえ忙しい時でも、あとで連絡すると必ず一言あり、暇を見つけては一通ずつ丁寧に返信してくれていた。今回、わざと利明と食事へ行くと伝えたのに、智也はそれにさえも返事をくれなかった。少し前までは、パーティーで男の同伴をすると言っただけで、激怒していたというのに。智也はもう、自分をどうでもいい存在だと思っているのか?いや、そんなはずはない。今夜、利明と食事をする際、インスタに写真を投稿して刺激してやる。男なんて、こちらから焦らせないと、危機感を持たない生き物なのだから。……鏡の前でネクタイを選んでいた海斗のもとに、恵から一本の電話が入った。「どうした?」「谷口社長から南山ヒルズ11号棟を借りたいと、連絡がありました」南山ヒルズには物件が20棟ある。うち3棟は竹内家の所有物で、海斗名義のため、本人は1号棟に住み、残りの2棟は空き家となっていた。恵は海斗の資産管理をした際、空き家が多すぎるのを見て、稼げる時に稼がないと損だという考えから、海斗に活用した方がいいと提案した。それに、海斗から「好きにしろ」と言われたので、使っていない物件を賃貸に出していた。南山ヒルズ11号棟も、その中のひとつ。普段ならいちいち賃貸の件を海斗に報告はしないが、今回の物件見学者の名前は浩だったので、そういうわけにもいかない。浩といえば、智也の秘書だ。かなりの値段がする南山ヒルズ11号棟。そんな物件の家賃を、雇われの身である浩になど払えるはずがないため、上司である智也の命令で動いているのは明らかだろう。大抵、社長が動きにくい用件は側近や秘書たちが代わりに処理するが、智也の絡む話とあっては、海斗への報告が必須だ。智也だと聞いた瞬間、海斗はすぐに相手の目的を察した。凛に会うために決まっている。恵が報告を続けた。「しかもかなり急いでいるらしく、今日すぐにでも内見したいとおっしゃっております」海斗はすでにネクタイを選び終えていた。今日はシャツがワインレッドだから、ネクタイは黒にしよう。「内見に来させろ」「承知いたしました」恵との通話を終えた海斗は、そのまま日和に電話をかけた。「なに?」と、電話の向こうから不機嫌な声が響く。しかし、海斗は淡々とした声で告げた。「そ
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第283話

ようやく午前中に起こったことに対して、気持ちの整理がついていたのに、ここでもまた海斗にこんなことを言われるなんて。智也は怒りで、呼吸もままならなくなりそうだった。「何兆円もの資産を持つ竹内社長も、家を貸し出したりするんですね」普通、資産家は物件を空にしておきこそすれ、貸しに出したり売ったりはしない。もし、そうしたならば、それは資金繰りに苦しんでいる証拠となり、外部に漏れれば、多かれ少なかれ影響が出るのだ。「空き物件が多いんだ。それに、贈る相手もいないからな」智也の目に、苛立ちが浮かぶ。だがそれは、結局見当違いの怒りに過ぎない。海斗は眉を少し跳ね上げ、鼻で笑った。「谷口社長、借りるのか?」智也がここに来た目的は凛を見つけること。借りるかどうかは、部下の浩の調査結果次第だ。「家を貸し出すんだったら、見学くらいさせてほしいものですけどね。竹内社長?」明らかな時間稼ぎだ。海斗が美穂子に目配せをし、美穂子はドアの鍵を開けた。すると、智也が大股で中へと入っていく。海斗と美穂子の二人はそのまま庭に残った。美穂子が小声で言った。「海斗様、凛さんの古い服と、彼女が先ほど作った漬物は20号棟へ移動しておきました」20号棟も、海斗が南山ヒルズで所有しているもう一つの邸宅なのだ。海斗が20号棟の方へ視線を向けると、浩がそろそろ20号棟を一回りして戻るところだった。智也が見学している11号棟に戻ってきた浩は、多忙な海斗がのんびりと11号棟の庭に立っているのを見て、自分の目を疑った。今日、竹内グループの祝賀会があるんじゃなかったのか?「こんにちは、竹内社長」浩は丁寧に頭を下げた。それからすぐに、物件の中から智也が大声で浩を呼ぶ声が聞こえたので、浩は慌てて中へ入り、報告した。「谷口社長、ここからは少し離れていますが、奥様は20号棟に住んでいるようです」「間違いないか?」浩は言い切った。「間違いありません。きちんと手入れされた庭には、奥様の服が干してありましたし、奥様がつくる漬物の容器も庭先に置いてありました。秋口になると奥様がよく作っていた、社長がお好きだったあれです」すると、何かを思い出したのか、智也が感慨深げに呟く。「ああ、あれか。中学の時は好きすぎて、学校にまで持って行ってたらしい」ちょうど中に入ってき
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第284話

葛城と森田を急がせよう。海斗は、凛が学生時代に学校へ持っていくほど好きだった「漬物」というものについて、美穂子に尋ねた。「漬物ってどんなものなんだ?」貧しい家庭で育った美穂子は、当然知っている。「野菜を瓶に詰めて塩漬けにした保存食ですよ。お金もかからないし、塩気が強いからご飯がどんどん進むんです。ひとつまみで、お茶碗半分の白米を食べられますよ」海斗は眉をひそめた。凛は中学生のころ、そんなものを食べていたのか?海斗に漬物を説明しながら、美穂子は心から痛ましく思った。凛のこれまでの境遇は苦労の連続だったし、あげくの果てにはあんな酷いくず男と結婚してしまったのだから。すると、海斗が美穂子にカードを一枚渡した。「足りなければこれを使ってくれ。それと、早く引っ越しをするよう、凛さんを促せ」美穂子は大きくうなずく。「任せてください。週末には荷造りを済ませ、運送会社を手配しておきますので」そこで、海斗は重要なことを聞いた。「で、どこに引っ越すんだ?」首を横に振った美穂子。「まだ分かりません」まったく役に立たない。美穂子は海斗が呆れているのに気づき、すぐにやり返した。「海斗様、早く祝賀会のクルーズ船に向かったらどうですか?遅れたら、凛さんは他の男に目をつけられてしまいますよ。そしたら、海斗様が落とす前に、他の男に取られてしまうんですからね!」それでも海斗は依然として、焦る様子がない。そして、車に乗り込むと、落ち着いた様子で運転手に告げた。「急げ」……胡桃は柚葉のインスタを見ていた。豪華なクルージング船と、整った顔立ちの男たち。どれも、胡桃の心を浮き立たせる。すぐにソファから飛び起きた胡桃は、柚葉とのラインを開いて、遠回しにどこで遊んでいるのか、友人たちとの集まりなのかを尋ねた。胡桃がこのような行動をとることを予想していた柚葉は、少ししてから返信をした。【友人とね。もしよかったら、胡桃ちゃんも来る?】もちろん、とすぐ打ち込んだ胡桃だったが、やはりその文字を消し、【いいの?】と謙虚な返信を送る。柚葉から許可の返事がくると、胡桃は自室に飛び込んで準備を始めた。インスタを見る限り、ハイスペックかつ気品があるイケメンたちがたくさんいた。さらに、身につけている物も、かなり高級感があった。あのような人たち
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第285話

「お母さん、何馬鹿なこと言ってるの?」柚葉の優しさを誰よりも知っている胡桃は、その言葉を信じなかった。だって、今まで柚葉さんは自分に、服、鞄、靴、何だってプレゼントしてくれたんだから。それに、ネイルサロンにいけば、本物のダイヤモンドでデコレーションさせてくれた。お兄ちゃんと揉めた時だって、いつも柚葉さんは自分側に立ち、お兄ちゃんを叱ってくれた。すごい人を祖父に持ち、容姿も美しく、仕事も……まあ、それは凛さんに及ばないとしても、それがどうしたっていうのだ。女がそんなに秀でてしまっては、男のプライドを傷つけるだけに決まってる。そんな胡桃の様子を見て、梨花はさらに腹を立てた。「私が馬鹿なことを言ってるって?あなた、すっかり柚葉に洗脳されてるわよ。今回智也が落札に失敗したのだって、智也が柚葉にとんでもない金額を渡していたことを調べたせいなんだから!それも、賄賂だって言われてる。こんなことがなければ、あんな賢い智也だもの。入札に負けるわけないでしょ?あの女は我が家の天敵よ!疫病神!はあ……本当に、腹が立って仕方ない……」考えれば考えるほど腹がたち、梨花はお茶を一気に飲み干した。「今、考えてみれば不自然なところがいっぱいあったのに。昇進した智也は、真っ先に家の買い替えと、あなたのためのマンション購入を提案してくれたけど、その後は、家に一銭も入れなくなった……」胡桃が顔をしかめた。「それは凛さんのせいじゃなかったの?」梨花はすぐさま否定する。「その時、智也は凛と結婚して半年以上も経ってたのよ!」それでも信じられないようで、胡桃は唇を尖らせていた。「ありえるわけないでしょ?てか、そもそもお母さんは誰から聞いたの?凛さんがお母さんに嘘を吹き込んで、家族の仲を壊そうとしてるんじゃないの?そんなのに、私は騙されないからね」「あなたって子は……」梨花は胡桃の額に指を突きつけて、悔しそうに言った。「信じざるを得ない証拠を見せられたの。じゃなきゃ、私が病院に運ばれたりするわけがないでしょ!智也は柚葉に月々6000万円も払ってたのよ!6000万よ!」梨花の指先は震えている。「あの女は帰国後、智也が稼いだお金で生活してた。家も智也も生活が苦しくなっていってたのは、柚葉に智也のお金を全部使われていたからだったの。海外留学?そんなお金どこにあ
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第286話

だが、今ではすべてが水の泡。何もかもが無くなった。「うちの家族はみんな、あの女の正体に気づいていなかった。智也なんてすっかり手玉に取られて……全財産まで巻き上げられちゃった。なんて馬鹿なの!」「それって本当なの?」胡桃は半分以上信じ切った様子で、憤りに肩を震わせた。「私、柚葉さんを問い詰めてやるわ。お兄ちゃんのお金が柚葉さんに流れてるなら、絶対に許さないんだから!」梨花はそれを止めることはなく、凛から渡されたメモを取り出し、そこに書かれた番号へ電話をかけた。「もしもし、どちら様ですか?」相手が大体誰か見当はついていたものの、凛は知らない番号を眺め、あえてそう問いかける。「私よ」電話から響いた梨花の声。これから自分と手を組んで、智也がこれまで柚葉に貢いできた金を回収する覚悟を、梨花が決めたことを凛は悟った。これだけの金額だ、一部を梨花にあげたって何も問題はない。「今夜は都合が悪いので、また明日連絡します。その時、直接会って話しましょう」「ええ、なるべく早く頼むわね!」焦っている梨花の様子に、凛は口角を上げると、そのまま通話を切った。甲板にいた日和が、首を傾げて尋ねる。「誰ですか?」「智也のお母さん」「ああ、あの性格が最悪なお義母さんですね」美穂子から何度も梨花の話を聞いていた日和は、自然とそう口にした。「凛さんに何の用だったんですか?また意味不明な八つ当たりで、怒鳴り散らしてきたんじゃないですよね?」「利害が一致しただけ」そう答えた凛は、甲板の手すりにもたれかかる。冷たい海風を受けながら、今日は厚着をしてきて良かった、と思った。「あの人も、小林さんからお金を取り返したいの」日和は手を打った。「ちょうどいいじゃないですか!谷口社長の母親が味方なら、彼の携帯から証拠を出すのも簡単ですよね?弁護士さんから、どんな証拠を用意すべきか指示はあったんですか?」「うん、葛城先生から教えてもらった」「葛城さん?それは面白いことになりそうですね」日和はくすっと笑った。「小林さんには利明さんっていう敏腕弁護士がついてるけど、葛城さんには勝てないと思いますよ。だって、離婚分野は利明さんの専門じゃないですし」ちょうどこの話をしている時、下の階の甲板に知っている人影を見つけた。「利明さんに小林さん?」まさか
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第287話

凛は視線を戻した。「一昨年施設に戻った時、13歳の子がいたんだけど、急にその子の親戚がやってきて、退所手続きをしたの。その子の身の上はちょっと複雑だったから、何かあった時のために、私の番号を渡しておいたんだ」日和はうなずき、眉を寄せた。「谷口社長は本当に迷惑ですね。凛さん、外は寒すぎますから、中に入りましょう」「うん」凛がそう答え、二人が体を向けたその時、柚葉も顔を上げた。柚葉の視線がぴたりと止まる。「凛さん?」「ん?」利明も柚葉の視線の先を目で追ったが、甲板の上には誰もいない。「さっき、あそこに凛さんがいた気がしたの。それに、一緒にいたのは竹内家のご令嬢だと思う」船の3階はフロアごと貸し切られていると聞いていた柚葉は、利明に聞いた。「3階を貸し切った人が誰だか、知ってる?」利明は知らなかったが、友人の誰かが絶対に知っているはず。しかし、それを知っている人物なら間違いなくいる。「陸たちがもう到着しているはずだから、そっちに行こう」二人が個室に入ると、案の定利明の友人である黒川陸(くろかわ りく)が男女の友人を一人ずつ連れて待っていた。女の方は知らなかったが、男の方を柚葉は知っていた。そして、相手も柚葉を知っている。策だった。柚葉の笑みが一瞬にして強張る。なぜよりによって、この男が……「久しぶりだな、利明」「何言ってるんだよ、陸。ほんの数ヶ月ぶりだろ?」陸は利明と軽く挨拶を交わすと、友人を紹介した。「こいつは千石策。子どもの頃からの腐れ縁で、こう見えても医者なんだ」そう紹介された策は、笑いながら陸に蹴りを入れる。「お前に言われたくないわ」「こっちは景山千晴。景山グループの令嬢で、俺の友人」さらに陸は利明を、千晴と策に紹介する。「かの有名な敏腕弁護士、神谷利明だよ。俺たちは親同士も知り合いだから、遠い親戚みたいなもんなんだ。まあ、家同士の関係は複雑なところもあるけど、俺たちが友達なことに変わりはない。で、そちらの方は?」陸は利明に目配せをして言った。「利明、彼女を紹介してくれないのか?」すると、利明は柚葉の横に立ち、自信満々に紹介した。「小林柚葉だ。海外出張先で知り合った友人だよ」しかし、柚葉が利明のコートを羽織っている姿は、ただの友人というには距離感が近すぎる。
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第288話

策は千晴をちらりと見て言った。「竹内社長相手だから、仕方ないさ」千晴は呆れて言い返した。「彼があんなことしてなかったら、結果は分からなかったわよ」策が続ける。「ホシゾラ・テクノロジーがボロを出さなければ、竹内社長にだってつけ入る隙はなかったんじゃないのか?」何も言えなくなった千晴は、柚葉の方へと視線を移した。笑みを浮かべたままやり過ごそうとしている柚葉だったが、内心では怒りでどうにかなりそうだった。利明はそんな柚葉を一瞥し、この場に彼女を連れてきたことを少し後悔していた。「陸が戻ったばかりなんだから、ずっとそんな話をしてるなんて、あんまり良くないんじゃないか?」そう言いながら、利明は千晴と策を見る視線に威圧感を滲ませる。そこまで利明のことを恐れてはいなかったが、これ以上は陸の面目をつぶしてしまうと、千晴と策は理解していた。一同は軽くグラスを掲げた。もう柚葉のことなど話題にするつもりはなかった千晴と策だったが、陸がふと口を開く。「柚葉さんはその雰囲気からして、ダンサーか何かなの?」策は思わず吹き出しそうになった。千晴が策を睨む。「落ち着きなさいよ」策は表情を戻し、陸に教えた。「小林さんは、研究職についてるんだ」陸は驚いた。すかさず、千晴が付け加える。「過去形だけどね」意味が理解できない陸は、怪訝な表情を浮かべていた。「ごめん、陸。僕と柚葉は少し用があるから、先に帰るよ」柚葉を心配した利明は、その場を離れることにした。しかし、柚葉は今にも泣き出しそうな瞳で利明を見つめると、首を振り、大丈夫という素振りを見せた。それを見た千晴は、皮肉な笑みを浮かべる。陸も険しい表情になり、千晴と策の二人を睨みつけた。「お前たち、俺のことを少しは考えてくれよ」「これでも考えてる方だと思うけど?」千晴は相手の顔色など気にしない性分だったので、その顔からもすぐさま笑みが失われる。「陸、もう付き合いの長い私たちだから、正直に言わせてもらうね。ホシゾラ・テクノロジーが入札で竹内グループに負けたのは、この小林さんも関係してるの。当然、智也と小林さんにも関係がある。だって、彼女は既婚者である智也の愛人なんだから」策は口を結んだ。こういう役は、やはり千晴に任せよう。陸は言葉を失っていた。彼は、千晴が以前、
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第289話

千晴を追いかけて、策も部屋を出ていた。千晴が立ち止まり、策に聞く。「戻るの?」「俺は上の階に行くよ」海斗から祝賀会に誘われていたが、陸が戻ったばかりだったので、策はあえて上がらずにいたのだ。「それなら私は帰るね」と千晴が言った。策はさりげなく尋ねる。「一緒に行くか?」「殺す気?うちと竹内グループはライバル同士なのよ。なのに景山家の長女が竹内グループの祝賀会に出たら、格下だと認めるようなもんでしょ?」千晴は吐き捨てた。「やっぱり、あなたってろくなこと考えないわね。だから竹内社長の専属医なんかやってるのよ」本当、誰も彼も同類で嫌になっちゃう。策は何も言わなかった。人がせっかく気を使ってやったのに。策が上がろうとしたその時、ちょうど階段を降りてきた凛とぶつかりそうになった。「凛さん?」「策先生」凛という名前を聞いて、千晴は足を止めると、そのまま振り返った。この人って、智也の妻では?「どこ行くの?」「携帯を落としてしまって」凛はさっき甲板で電話に出ようとしたとき、不意に海斗が現れて驚き、携帯を下の階に落としてしまったのだ。凛が言い終えたそのとき、海斗が階段の踊り場に現れ、その長い脚をゆったりと運びながら、ゆっくりと下りてきた。彼の冷徹な視線が策に突き刺さる。「陸と一緒だったんじゃないのか?」「陸と神谷さんは話があるようだったから、先に出てきたんだよ」そう答えながら、海斗が無表情のまま、凛の後ろをストーカーのように追っているのを見て、策はすっと横にどき、凛を通した。千晴の視線が凛と海斗の二人を行き交う。女の直感が告げていた。竹内社長は、智也の妻に下心がある!「じゃあ、竹内社長。俺は先に上がってるから、ごゆっくり」あんたたちの邪魔なんかしないよ。すると突然、腕を組まれた。策は振り返り、怪訝そうに千晴を見つめる。千晴が微笑みながら言った。「連れてってくれるんでしょ?」千晴は智也と海斗の二人に愛されている女が、一体どれほどのものか確かめたかったのだ。策は千晴が海斗にふられ、その後智也のことを好きになったが、最後にはまた駄目だったことを知っている。「千晴、頼むから変な真似だけはやめてくれよ。もし騒ぎを起こしても、お前は景山家が守ってくれるだろうけど、俺のことは誰も庇って
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第290話

「君の履歴はずっと機密扱いで、聞けなかったが、どこの出身なんだ?」「G県です」凛がそう答えたとき、ちょうど陸と利明、そして柚葉の三人が個室から出てきた。川の両岸はまばゆい灯りに彩られ、高層ビル群の光が夜空を照らしている。クルーズ船がゆっくりと水面を滑るたび、川面には幾重もの波紋が静かに広がっていった。お互い相手の存在に気づく。陸は海斗の姿を見つけるなり、すぐに駆け寄って挨拶をした。「こんばんは、竹内社長」「陸さん」陸は海斗を見るたび、つくづく思った。年齢はそう変わらないというのに、海斗は20代前半で経営者の座についた。一方の自分はもうすぐ30歳だというのに、父親がいまだに後を譲ってくれないため、未だに黒川社長とは呼ばれない。比べると本当にため息が出る。天才と謳われる海斗は、多くの御曹司たちにとって、憧れでもあり嫉妬の対象でもあった。挨拶を終えた陸は、海斗の横にいる凛に視線を向けた。その瞬間、陸の表情が明らかに固まったが、すぐに偶然だろうと思い直した。この世の中、不思議なことがあるものだ。しかし、先ほどのことがあるだけに、陸は深読みをやめ、礼儀正しく問いかける。「こちらの方は?」海斗も真面目な顔で答えた。「取引先の方です」そう言いながらも、海斗は視線の端で、ちらりと凛の反応を窺う。彼は以前、凛に言われた「取引相手」という関係を今でも忘れていなかった。凛も静かにうなずいた。その瞬間、陸の凛を見る目が変わった。竹内グループの取引相手となれば、ただ者ではない。「お名前を伺ってもよろしいですか?」そう言いながら、手を凛へと差し出した。しかし、凛が手を差し出そうとすると、海斗からの静かな警告のような冷たい視線を感じたため、陸は慌てて引っ込める。手を差し出していた凛の手が、宙に浮いたままになり、少し気まずい空気が流れた。すると、海斗の視線に警告だけでなく、殺気まで漂い始める。陸はもうどうしたらいいか分からなかった。竹内社長、頼むからどっちかはっきりしてくれ。「凛です。名前で呼んでいただければ、結構ですので」特に気にしていなかった凛は、そのまま手を引っ込め、柚葉と利明の二人に視線を向けた。さっきから二人とも、じっとこちらを見ている。陸は続けて聞いた。「どんなプロジェクトをしてるん
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