《元夫の後悔をよそに、天才妻は御曹司と溺愛婚》全部章節:第 291 章 - 第 300 章

456 章節

第291話

柚葉は、爪が食い込むほど強く手を握りしめた。そんな馬鹿な。智也が会いに来たのは自分であって、凛なわけがない。智也が上がってくると、柚葉は笑みを浮かべて駆け寄った。「智也」そこで初めて、智也は柚葉もいることに気がつく。なぜ今まで気づかなかったのか、智也は自分でも不思議だった。まあ、いい。今はそんなことどうでもいいのだ。その場を離れようとしていた凛だったが、智也に名前を叫ばれ足を止める。「凛!」智也は柚葉の横をそのまま通り過ぎた。無視された柚葉の瞳に、失望が浮かぶ。そんな柚葉を見ていた利明は、胸を痛めた。凛と智也がすでに離婚していることを、柚葉に伝えるべきなのだろうか?教えれば、柚葉もこんなに思い悩む必要はなくなるのでは?皆が見守る中、凛に向かって歩いていった智也だったが、横から海斗が割って入ってきて、行く手を遮られた。海斗が凛を背中で庇う。「谷口社長、場をわきまえてくれるか?」男の低い声が響き、その鋭い警告とも取れる視線が智也に向けられた。今日は竹内グループの祝賀会で、3階の甲板には竹内グループの社員及び凛のプロジェクトチームの人々が大勢歩き回っている。上に立つ者は、常に威厳と信頼を保たなければならない。それに、私的な問題を同僚や社員の前に持ち込まないのは、経営陣にとって暗黙のルールでもある。ましてや、この大勢の前で騒ぎ立てれば、恥をかくのは間違いなく智也の方だ。浮気をしたのは、ほかでもない彼なのだから。智也は少し声を抑えて言った。「凛、話したいことがいっぱいあるんだ。終わるまで待ってるから、一緒に帰ろう」凛が答える。「嫌」あまりに冷ややかな拒絶に、智也は呆然と立ち尽くした。「ちゃんと話さなければならないこともあるんだ」「私たちの間に、何か話さなきゃいけないことなんてあるの?もう全部はっきりしてると思うけど」この見慣れた顔を見るたび、凛は吐き気がこみ上げた。「小林さんのことが好きなんでしょ?だったら、私のことなんて気にせずに、大切にし続けてあげて。誰も止めないから」いや、正確には違う。智也の母は、全力で阻止するだろう。「凛!」智也は目を見開いた。まさか、凛がこんなことを言うなんて!自分は、彼女の夫だというのに……焦りのあまり、一瞬にして智也の目頭が熱
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第292話

しかし、柚葉はまだ信じようとしなかった。なぜなら、智也が心変わりなどするはずがないのだから。「智也、ここで凛さんを待つつもりなの?」柚葉は智也に近づき、自分に言い聞かせるように言った。「凛さんに、私へ投資したことや、お金を貸してくれたことを話したいんでしょう?でも、外は寒すぎるから、中で待とうよ」智也がこれまで自分にかけてきた金銭の返済など到底無理だと分かっていた柚葉は、口裏を合わせた通りに言葉を翻し始めた。しかし、智也は甲板で凛を待つと言って譲らない。凛が南山ヒルズ20号棟に住んでいることを知った今でも、一旦引き返すことなどできなかったのだ。同じ船にいることで、少しだけだが、智也は気が休まる気がした。「外は寒いから、お前は神谷弁護士と先に帰っていてくれ」柚葉は自分の耳を疑った。智也が自分に、別の男と帰れと言ったのか?少しも嫉妬しない?利明も言った。「柚葉、船着場に着いたら、俺たちはもう帰ろう」船上にはたくさんの人がいて、柚葉も体裁を保つため、ここで騒ぐわけにはいかなかった。「そうね」と微笑んで答える。ところが、智也に背を向けたその瞬間、柚葉の視線が甲板の柵に向けられた。近づいていく。そして、悲鳴を上げた。バシャッという音と共に、冷たい川の中へと消えていく体。そばにいた利明も、何が起きたのか理解できなかった。あんなに普通にしていた人が、どうして転落なんかするんだ?「誰か落ちたぞ!人が落ちた!」利明と陸が手すりにまで駆け寄ると、水面で柚葉がもがいていた。「助けて!智也!ゴボッ……助けて!」利明が柵を乗り越えようとしたが、陸はその腰を抱きかかえた。「お前、気は確かか?この高さだぞ。それに、水も凍るほど冷たい」「柚葉は泳げないんだ!」「お前になんか助けを求めてなかっただろ?利明、あいつが自分から飛び込んだところを、俺は見ていたんだからな!」陸は利明の腰を掴む腕に、力を込める。異変に気づいた智也も、急いで駆け寄ってきた。最悪の事態が頭をよぎり、結局は溺れる柚葉を助けずにはいられなかった。バシャッ!再び激しい水しぶきが上がる。飛び込んだ智也は、骨まで染みるような冷たい水に溺れかけながらも、必死に柚葉の方へと泳いだ。利明は下の階へ走って行き、船の乗組員を呼ぶ。3階
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第293話

利明は、智也と一緒に車には乗り込まなかった。先ほどのことは、利明にとってかなり衝撃的だったのだ。甲板から水面まではかなりの高さがあるうえ、この時期の川の水は刺すように冷たい。そこまでする必要があるのか?そうしなければならなかったのだろうか?今の柚葉は自分の知っている彼女とは別人に見える。海外にいた頃の柚葉は、どうやってプロジェクトを成功させるか、帰国後はどうキャリアを築くか、そんな話ばかりしていたのに。それが、男に自分を見てもらうために、自分自身を傷つけるような真似をするなんて。陸は利明を見てため息をついた。「ホテルまで送るよ。あの子を引き上げたから、お前までびしょ濡れだ。ホテルに戻ったら、すぐにシャワーを浴びろよな。じゃないと、風邪引くぞ。柚葉さんのことは心配しなくていいんじゃないか?谷口社長だって、わざわざ助けに飛び込んだんだ。放っておくことはないだろうよ」陸は、なぜ利明がこれほどまで深入りするのか理解できなかった。柚葉のどこがそこまで魅力的だというのだ?神谷家の長男で弁護士である利明なら、いくらでも選び放題のはずなのに。気になった陸は、利明に尋ねてみた。「どうして、そこまでして柚葉さんに関わるんだ?竹内社長まで絡んでるし、お前の父親だって草壁家とは親しいんだろ?もしかして、柚葉さんに命でも救われたのか?」利明は窓の外を見つめながら答える。「まあ、そんなところだ」国内でドラッグに手を出すのは単純な欲求だが、ドラッグを手に入れるだけなら女に癒やしを求めるようなものだ。海外で手を出せば、国内では誰もが毛嫌いする禁忌に触れることになる。一度手を出せば、死ぬまで終わらない自分自身との戦いが始まるのだ。陸はその言葉を聞いて、もう何も言えなくなった。話題をそらそうと、陸は「凛さんって、誰かに似てると思わないか?」と聞こうとした。しかし、利明の目の前でそんなことを言えば、彼の父親が浮気をしていたと疑っているように聞こえる気もする。やはり、聞かないほうがいいだろう。……真っ青な顔で智也の胸の中にいた柚葉。利明は、なぜ彼女がそこまでして智也の関心を引こうとするのか理解できなかった。しかし、柚葉にはそうするしかないのだ。智也が自分の味方をしてくれなければ、あの巨額の負債はどうなる?
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第294話

柚葉は飄々と返した。「足を滑らせちゃって」足を滑らせた?智也は信じなかった。柚葉が智也の目を真っ直ぐ見て続ける。「智也、私が泳げないこと知ってるでしょ?そんな私が自分から飛び込むなんて……」「泳げないって知ってて、何であんなことしたんだ!」智也の声には苛立ちが滲んでいた。柚葉はふわりと笑う。「私のこと、心配してくれてるのね」何か言おうとして口を開いた智也だったが、何も言わずにその口は閉じられた。諦めたように智也は言った。「柚葉、もう二度とこんな真似はしないでくれ。俺たち……」はっきりさせなければいけないことがあるのに。だが、真っ青な顔をしている柚葉を見ると、今夜ではない気がした。「ゆっくり休め」そう言って、智也は立ち上がった。柚葉も身体を起こし、智也に尋ねる。「どこ行くの?」「家に帰る」智也は視線を下に向け、濡れている自分の服を見た。軽く絞ってはいたが、濡れた生地が肌に張り付いてやはり不快だ。柚葉は彼を引き留めたかったが、その勇気はなかった。もし引き留め、誰かに写真でも撮られたら、それこそおしまいだ。「智也、明日また来てくれる?」柚葉は小さく咳き込む。智也は目を逸らした。「何とも言えない。もし何か不便なことがあったら、松田家の使用人に連絡して、連れて帰ってもらえ」そう言い残し、智也はドアを開け、そのまま去って行った。車に備えてあった服に着替え、再び港に戻ると、クルーズ船がちょうど着岸したところだった。竹内グループの関係者がぞろぞろと降りてくる。どうやら祝賀会は終わったらしい。目を皿のようにして探したが凛はおらず、代わりに胡桃が目に入った。胡桃は周囲を見渡し、誰かを探している様子だ。智也は車から降りた。胡桃も智也を見つけ、小走りで駆けてくる。「お兄ちゃん、なんでここにいるの?」智也は同じ質問を返した。「お前こそどうしてここに来たんだ?」「柚葉さんに会いに来たの」母の言ったことが事実なのか、確かめなければならない。川沿いの埠頭で待ち続けていた胡桃だったが、クルーズ船は予定の時間になっても姿を見せなかった。その後、人が川に落ちたため、別の埠頭でしばらく足止めされていたと聞いた。凍えるような寒さの中、長いこと待ったのに、それは徒労に終わった。船が戻ってきてから、中
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第295話

「いい加減にしろ」智也は胡桃を送り届けると、そのまま南山ヒルズへ車を走らせた。そこに智也のものはなかったが、凛がいる。車を南山ヒルズ20号棟の前に停めると、明かりはついていた。しかし、浩が言っていた洗濯物や漬物が見当たらないところを見ると、凛が片付けてしまったのだろう。そして、門は開いていた。智也は庭を進み、玄関のカメラの横でインターホンを鳴らす。しかし、何度押しても、扉が開くことはなかった。「凛、聞こえてるか?」智也はカメラに向かって懇願するように言った。「ちゃんと会って話し合おう。それに、今月からは、俺の稼ぎをすべてお前に渡すから。家計の主導権も全部お前に任せるよ。凛、俺たちは随分長い間、まともに会ってないよな。じっくり話もしてないし、一緒に食事もしてない」智也はこの4年間を心から懐かしく思っていた。「柚葉とは……」智也の声が少し震える。「あいつとは本当に何もないんだ。全部噂に過ぎない。もし俺と柚葉が近すぎるって思うなら、もう会わないと約束する。お前が中に入れてくれさえすれば、何だってするよ」返ってきたのは静寂のみ。だが、この智也の言葉は、美穂子には届いていた。智也がインターホンを鳴らした瞬間、美穂子に通知が入り、門のカメラ映像が彼女の携帯に転送されていたのだ。懺悔に満ちた智也の言葉を聴きながら、美穂子は呆れて首を振った。なんて、中身のない言葉ばかりなのだろう。それから、その録画データを海斗の携帯に送った。その時、海斗と凛はクルーズ船から戻ったところだった。少し酒を飲んだ日和が、凛の腕にまとわりついているのを見て、海斗は日和が凛の服に涎を垂らさないか気が気ではない。「もうその辺にしろ」海斗が呆れて言った。「節操がない」日和はあくびをしながら「お兄ちゃんは羨ましいだけでしょ?男のお兄ちゃんに、こうはできないもんね」と言い放つ。海斗は少し黙った。こいつは何を言っているんだ?「だから、お兄ちゃんは凛さんと友達になれないんだよ」誰が友達になんかなりたいって?海斗は目を閉じている凛を見た。彼女は一晩中、上の空だった。智也という男には、とことん虫酸が走る。海斗は日和に言った。「静かにしろ」日和も大人しく頷き、そのまま凛の肩に寄りかかって眠りについた。海斗は車の
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第296話

だから、まずは彼女が水辺に近づくのを怖がる気持ちを、尊重してあげなさい。それからそっと水辺へ誘い出し、そこで迷ったり、何かを確かめようとしたりする彼女を見守ってあげるの。幼い頃からずっと育ててきたんだもの、あなたにはそれだけの忍耐があるわ。たっぷりと愛を注ぐ心も、もちろんあなたにはある。お父さんとあなたたちを望んでいた頃から、その愛情はずっと変わっていないわ。お母さんはいつだってあなたの味方よ。たとえ、いきなり修羅場へ挑むようなことになってもね】……翌朝。凛が目を覚ますと、日和はまだ眠っていた。凛は布団をめくって静かにベッドを降り、顔を洗ってリビングへ降りると、美穂子が朝食の支度をしていた。「凛さん、おはようございます。いつもの時間に起きてくるって思ってましたよ。朝ごはんももうできますからね。日和様は朝が苦手ですから、凛さんは先に召し上がってください。日和様が起きたらまた用意しますので」凛は席に着く。「ありがとうございます」「いいえ」美穂子は微笑みながら、最後に切り分けたフルーツを並べ、少し躊躇うように切り出した。「ところで、いつ引っ越される予定ですか?最近、南山ヒルズに猿が住み着いたらしくて、暇さえあれば騒ぎ回って、本当に煩わしいんですよ」南山ヒルズに猿がいるはずがない。美穂子は誰かのことを例えているようだ。美穂子をここまで不機嫌にさせる相手といえば、海斗の関係者か凛に関わる人間しかいない。凛に関わる人間と言えば、昨晩この周辺で身勝手に喚き散らしていた智也のことだろう。「それって智也のことですか?」美穂子は悪戯な笑みを浮かべた。「凛さんには隠し事が出来ませんね」「なんであの人がここに?」昨夜は深く考えもしなかったが、智也はこの住宅地へと自由に出入りできるだけでなく、他人の家にまで押しかけてきて、自分の名前を呼んでいたのだ。「お金を持ってきてくれたんです」そう言った瞬間、美穂子はしまったとばかりに自分の口を軽く叩く。凛は不審な表情で美穂子を見た。美穂子は正直に答える。「谷口社長は南山ヒルズの家を借りたんです。でも、ここを開発したのは竹内グループですから、海斗様にお金を持ってきてくれたようなものですよね」凛は頷くと、続けて尋ねた。「それで、なんで他人の家に来て私の名前を叫んだり
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第297話

「そんなに!」梨花は改めて座り直した。凛はこう説明した。「智也にはもともとかなりの稼ぎがありました。特にIT関連では、ホシゾラ・テクノロジーの社長になる前、すでにプロジェクトマネージャーだったので、成果報酬やボーナスもかなりの額だったんです。だから、社長になってからの役員報酬なんて数ある収入源の一つにすぎません。ただ、そのことを私たちが知らなかっただけ」妻も両親も、妹も知らなかった。ただ一人、知っていたのは柚葉だけ。しかも知っていただけではなく、それを一人で食い潰していた。呆れてものも言えない。とはいえ、自分も人のことは言えない。なぜなら4年も馬鹿みたいに騙され、何も知らなかったのだから。梨花の顔は怒りで真っ赤になっていた。「裁判沙汰にするしかないの?」凛は淡々と答える。「小林さんを訴えるだけで、智也のことは訴えません。なのに、何を心配してるんですか?」。「もしこのことが公になったら、谷口家の顔に泥を塗ることになるじゃない!そんなことになったら、息子はどうやって世間に顔向けすればいいの?プロジェクトに失敗して、株主も怒っているのに、プライベートまで騒ぎになれば、皆が息子を突き上げにかかるわ」働いたことのない梨花だったが、男性同士の企業内での争いは女性の諍いよりも遥かに陰湿だと、健吾から耳にタコができるほど聞かされていたのだ。それに、谷口家には智也しか頼れる存在がいない。梨花はあまり納得していないようだった。「よく考えてください。20億円です」と、凛はもう一度伝えた。それでも、梨花が反論する。「20億を取り戻しても、結局は私たちの手には入らない。だって、あなたたちはすでに離婚済みだから、全部あなたの取り分になってしまうんでしょ?まあ、離婚していなければ共有財産だったんだけど」どうやら、しっかりと調べてきているようだ。凛は静かに梨花を見つめた。「どの程度分けてほしいですか?」梨花の瞳が一瞬にして輝く。「3対7。こっちが7で、あなたに3。だって、もともとは息子のお金でしょ?ねえ、凛。あなたが頷いてくれさえすれば、すぐにでも証拠を探してくるから。あなたが離婚後に、智也と会っていないのは知っているし、会ったとしても何も話さない。そんな状況で、自分で証拠探しってなっても、あなただって気が乗らないでし
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第298話

梨花は立ち上がると、そのまま店を出ていった。こうなった以上、必死に証拠を集めるしかない。決定的なものがなければ、自分は一銭も手に入れられないのだから。梨花がタクシーに乗り込んで走り去るのを見届けた凛は、再び椅子に腰を下ろし、冷めてしまったお茶を一口飲む。このままここで、しばらく静かにしようと思ったその時、ふっと一つの影が凛を覆った。凛は顔を上げる。そこには、鼻息を荒くした胡桃がいた。「さっきお母さんと何を話してたの?お金の話も聞こえたけど、あれって一体何のこと?」凛は驚きながら胡桃を見つめた。「どこに隠れてたの?」「隠れてなんかないから!そこの隅の席に座ってたのよ!」実のところ、胡桃は梨花を尾行して店に入り、他の客の陰に隠れて様子をうかがっていたのだった。もっとも、少し席が遠かったため、梨花が声を荒らげた「そんなに!」という部分しか聞き取れなかったのだが、梨花がそんなに反応するということは、確実にお金に関する話だと思ったのだ。それに、昨日クルーズ船まで行ったものの柚葉とは話ができず、そのあとも智也に家へと送り返された胡桃は、柚葉の住所も知らない今、八方塞がりだった。「もしかして、お兄ちゃんが柚葉さんに貸したあのお金のこと?」胡桃は凛の正面に座ると、前のめりになって返事を待ち構える。「貸した?」凛は背もたれに体を預け、胡桃から少し距離を取った。彼女から漂う香水の匂いが、まさに柚葉のものと同じもので、気分が悪くなりそうだったのだ。「誰がそんなこと言ったの?智也?」「お兄ちゃん」胡桃の答えが、凛の問いに重なった。「智也は妹のあなたさえ平気で騙すなんて、あなたよりも小林さんのことがよっぽど大事みたいね」と、凛は冷たく切り捨てた。胡桃が悔しげに凛を睨みつける。「あなただって、お兄ちゃんの心の中では柚葉さんに敵わないじゃない」「今の私にとって、そんなことはどうでもいいの」胡桃は鼻で笑った。そんなこと、あるわけがない。だったら、なぜずっと離婚を先延ばしにしているのだ?「それより、さっきの言葉ってどういう意味?お兄ちゃんが私を騙してる?」「あれは貸したんじゃなくて、智也が柚葉に貢いだお金」凛はチラリと胡桃を見た。「あなたにも分け与えずにね。これであなたが留学に行けなくなった理由が分かったでしょ?
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第299話

日和は凛の手を引き、人目につかない少し離れた場所まで下がると、花壇の角に立つ大きな木の陰へ身を隠した。そっと顔だけを覗かせ、様子をうかがう。「凛さん、胡桃に何を言ったんですか?興奮であんなに震えちゃってますよ?」「小林さんとあの子のどっちが智也から大切にされてるかって、比べてあげたの」他人と比較されることは、心が傷つくものだから。日和は驚いて言った。「そんなの比べられるんですか?胡桃は谷口社長の妹で、柚葉さんは愛人。そんなの、比べようがないと思いますけど」「胡桃は自分こそが智也に一番愛されるべきだと思ってる。彼が結婚しても、奥さんより自分の方が大事にされるのが当然だと思ってるぐらいだったから」そのことは、凛が身をもって痛感していた。日和は呆れた表情を浮かべる。「家族を大事にするのはいいけど、結婚したら自分の家庭ができるってことだし、奥さんの方をより大切にするのは当然のことなのに。奥さんよりも、自分のことを大切にしてもらいたいっていう胡桃のその考え、私には到底理解できませんね」日和が首を横に振った。凛は日和の腕を軽く叩き、顎を少ししゃくる。「小林さんが出てきたわ」日和も興味津々で手をこすり合わせた。今や戦闘態勢の胡桃が、柚葉とひと騒動起こさずに済むとは思えない。凛と日和は食い入るようにその様子をのぞき込んだ。下に智也の姿がなく、胡桃一人だと確認した柚葉が怪訝そうに、胡桃へと話しかける。「胡桃ちゃん?智也は?」「お兄ちゃんは来てないよ」胡桃は柚葉の顔をじっと睨みつけた。こんな綺麗な肌を維持するには、どれだけの高級化粧品を使ったのだろう?一体いくら美容にお金をかけたのだ?今着ているシンプルなルームウェアでさえ、高級ブランドの物。自分に向けられた冷ややかな視線と値踏みするような眼差しに、柚葉は嫌な予感を感じて眉をひそめる。「じゃあ、胡桃ちゃんは私に用事があって来たの?」それでも、柚葉はいつも通りの態度で胡桃に接し、さらには胡桃の髪の毛を整えてあげた。だが、智也が全財産を柚葉に貢いでいたことを、谷口一家が既に知っているとは、柚葉は夢にも思っていなかった。以前会った時も、胡桃は凛の文句を言っており、智也の金はすべて凛が管理していると思い込んでいたのだから。「お兄ちゃんはずっと、給料を全部あなたに貢いでて
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第300話

「本当にヤンキーだったの?」「うん」おでこを腫らした柚葉は耐えきれなくなり、胡桃が一息ついた隙を見て立ち上がった。「いい加減にして!何も話を聞いてないのにいきなり殴りかかってくるなんて、どれだけ馬鹿なの?」日和は呆気に取られた。「まさか、柚葉さん……胡桃をうまく丸め込もうとしてるの?」柚葉は証拠がない限り、簡単には認めない女だということを、凛は知っている。「凛さん、お兄ちゃんが作った資料持ってたんですか?」凛は鞄から薄い資料を取り出した。「たくさんは持ってきてないけど、これだけあれば十分だと思うから」「本当に持って来てたんですね!」これは、谷口家の人間に会うとき、凛が必ず持っていくものだった。日和が手を伸ばしたが、凛はそれを日和には渡さない。「私が届けるよ。胡桃は、敵味方関係なく殴るから、日和さんが殴られちゃわないか心配なの」胡桃は自分より弱そうな人間が相手なら、髪を掴んだり殴ったりなんて当たり前にするのだった。「だったら、尚更一人で行かせるわけにはいきませんよ」まだ胡桃に何かを言おうとしていた柚葉だったが、物陰から凛と日和が現れ、近づいてくるのに気づいた。よく見知った資料が、凛の手に握られている……凛だったのか!「あなたが胡桃ちゃんをたきつけたんですよね?」柚葉が凛を睨んだ。「今度はどんな嘘で私を貶める気なんですか?」凛は柚葉の目の前で、胡桃に資料を差し出した。「これを見て。まあ、もうたくさんの人が見たんだけどね」「毎月6000万って話……本当だったのね」胡桃の手が震え、怒りの眼差しが再び柚葉に向けられた。「本当に最低!この恥知らずが!どんだけくずなの!」胡桃は柚葉の髪をひっ掴むと、そのままビンタを浴びせた。対する柚葉は、喧嘩慣れしていないようで、叫ぶことしかできていない。日和と凛は、自分達まで返り血を浴びないように、後ろへ下がった。二人が離れたところで、取っ組み合いは地面にまでもつれ込んだ。胡桃は柚葉に馬乗りになり、何度も平手打ちを食らわせ、口では「最低」「このくずが!」などと、柚葉を罵っている。まるで修羅場そのものだった。誰が見ても、これが智也の妹だとは思わないだろう。日和は驚きながら、こっそり凛に尋ねた。「本当に私たちが知ってる胡桃ですか?」「うん
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