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第691話

「んっ……」凛は慌てて目を見開いた。美穂子もいるし、ここはダイニングだ。海斗は凛の唇を軽く噛んでから、柔らかな声で言った。「これからは、何でも凛の言うことを聞く。凛が決めていい」少し間を置き、こう付け加える。「だから怒らないで」反則だ。普段の海斗とは、まるで別人だった。人前では、必要がなければ口を開かないし、話せば話したで、平然と相手を黙らせる。そんな男が、自分にだけはこんなふうに優しくなる。好きな人から特別扱いされて、嬉しくない人なんていない。好きも愛も、結局は天秤がどちらへ傾くかだ。誰をより大事にするか、その重さがすべてを物語る。凛は耳を赤くしたまま、平静を装って海斗の頬を軽く押しのけた。伏せたまつ毛がかすかに震えている。「座って。ご飯食べよう」頬に触れた凛の手は、驚くほど柔らかかった。まるで綿菓子みたいで、ほんのり甘い香りまでしそうだ。海斗は凛に触れられるだけで、本当にどうにかなりそうだった。それが手でも、視線でも、少し交わるだけで、全身にアドレナリンでも流れ込んだように血が熱くなる。海斗はグラス一杯の水を飲み干して、なんとか自分を落ち着かせた。その時、あることに気づいた。「凛。さっきの『座って。ご飯食べるよ』って、ダイトとコマキにも言ってなかったか?」凛自身、一瞬固まった。確かに言ったことがある。一瞬の沈黙。「そういう意味じゃないから」「別に気にしてない」海斗は妙に寛大な顔で答えた。凛はとうとう吹き出した。今日ずっと、何でもないようでいて、二人の間に薄く残っていたわだかまり。それが、その瞬間きれいに消えた。食後、海斗は瑶子から電話を受けた。「茂がまたA市に来たみたい。ちょっとおかしいわね。利明くんには自分で苦労させるって決めてたんだから、彼のために来たとは思えないの」「母さん。最近、凛と茂さんの家に何か関係があるのか調べてる。まだ何も確定してないけど、凛にはもう言ったから」「わかった。凛さんは大丈夫?あの子、繊細なくせに頭もいいでしょう。でも自分の気持ちを外に出すのが苦手だから、抱え込みすぎるのよ。海斗で無理なら日和を呼べばいいわ。あの子、あなたより役に立つわよ。人を怒らせるのも得意だけど、機嫌を直させるのも得意だから」海斗はしばらく言葉に詰まった。ソファに座ったばか
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第692話

凛が公安調査庁に捜査協力を申請してからは、毎日のように進捗報告が入るようになり、警察と関係当局が連携して捜査を進めた結果、ほどなくして決定的な証拠が見つかった。そして、智也が提出した録音が、柚葉の量刑を左右する重要な証拠となったらしい。なぜなら、傷害罪で済むのか、殺人未遂に問われるのか……その鍵を握るのは、柚葉に殺意があったかどうかだったからだ。そして、智也が提出した録音には、柚葉自身の声がはっきり残っていた。「あの女のせいで、私の家族はめちゃくちゃになったし、帰る家までなくなったのよ。だったら、死んで当然じゃない?」この発言は、柚葉が凛を傷つけようと思ったのではなく、殺害の意思があったことを示している。傷害未遂と殺人未遂では、罪の重さがまるで違う。柚葉が連行されたのは、柊病院だった。利明がベッドの上の柚葉にお粥を食べさせていたところへ、警察官が入ってきて、そのまま柚葉の身柄を確保した。柚葉は反射的に声を荒らげる。「どうして私が連れて行かれるの?証拠は!?」警察官は淡々と告げた。「動機は明確。証拠も揃っています」柚葉の目が大きく見開かれた。恐怖で顔を引きつらせ、必死に抵抗しようとする。今の彼女に残された唯一の頼みは、利明だった。「利明!助けて!お願い、助けて!」しかし、利明が前へ出ようとすると、警察がそれを制した。「あなたが我々の邪魔をするというなら、公務執行妨害で逮捕することになりますよ」そんなことを言われては、利明も動けない。「弁護士を呼びます!」利明は慌てて叫んだ。「それはご自由にどうぞ」柚葉は昼間の病院から、そのまま連れていかれた。最後まで「私はやっていない」と叫ぶか、振り返って利明に助けを求めるか、そのどちらかだった。利明も後を追いながら必死に言う。「必ず何とかする!僕が何とかするから!」「利明……絶対に助けて。お願い、助けて……」「分かってる。分かってるから」利明は柚葉を乗せたパトカーが去るのを見送ると、すぐさま両親がいるホテルへと向かった。自分の父さえ動いてくれれば、解決できるはず。ホテルのスイートルームへ入ると、父と母は離れた場所に座り、美雪がその間に挟まれている。茂がA市へ来てから、どうも家族の空気がおかしい。だが、今はそれどころではなかった。利明は茂の元へ駆け
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第693話

彰菜の表情が固まった。利明が口を挟む。「凛さんは無事だったし、海斗の怪我ももう治ってる。賠償が必要なら、僕たちが……」「黙れ!」茂が初めて強い声を出した。立ち上がり、利明をまっすぐ見る。「この件には二度と関わるな。あの女が投獄されようが、早紀さんが誰と結婚しようが、お前には関係ない」「どうして関係ないなんて言えるの?」最後の一言には、彰菜がすぐ反論した。「折原家との縁談がまとまれば、利明の将来はずっと楽になるのよ?私たちの家は、ただでさえ一族の本流から外れかけているのに、ここで利明までこの縁談を逃したら、この先ずっと商売だけして生きていくっていうの?秀明さんなんてB市で市長までやっているのよ!それなのに私たちは、家の立場があるから、商売だって好き勝手には広げられない。大きくしたくても、大きくできないのよ?」彰菜は深く息を吸った。自分でも声を荒らげすぎたと思ったのか、少し落ち着きを取り戻す。そして茂に真剣な目を向けた。「全部、もう決めていたでしょ?利明にはまず法律を学ばせて、弁護士として経験を積ませる。それで、30歳を過ぎたら国家試験を受けて、司法行政の道へ進ませるって。そうすれば、私たちの家もまた一族の本来の道へ戻れるから。美雪は身体が弱いから、会社は一族の誰かに任せて、美雪は配当を受け取りながら、何不自由なく穏やかに暮らせばいい……すべて決めてあったでしょ?茂」彰菜は夫の手の甲に、自分の手を重ねた。「お願いだから、もうこれ以上は何も変えないで。私、これ以上何かが変わるのは耐えられないわ」その最後の一言で、茂は昔を思い出した。美雪が生まれたばかりの頃、彰菜は精神的にひどく不安定になり、ぼんやりしているか、自分を傷つけようとしているか、そのどちらかだった。もともとの彼女は、こんな人ではなかった。自分と結婚し、一族の中へ入り、子供を産んでから変わってしまったのだ。茂は小さくため息をつき、妻をそっと抱き寄せた。それでも、答えは変わらない。「柚葉さんの件に、俺は関わらない」彰菜だって柚葉が好きなわけではないが、ただ息子の将来が心配だった。彰菜が何か言う前に、茂が続ける。「皆忘れているようだけど、柚葉さんが手を出したのは凛さんという、国から保護されている研究員なんだぞ。それに、凛さんをかばって負傷したのは海斗くんだ。
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第694話

柚葉は、一度に二人の大きな相手を敵に回してしまった。一人は、つい先日国家レベルの賞を受賞した研究者である凛。そして、もう一人は、絶大な権力を持つ竹内家の当主の海斗だ。政界だろうが財界だろうが、こんな案件にわざわざ首を突っ込む者はいない。まして政治家なら、自分の経歴に傷がつくような真似をするはずがなかった。柚葉の殺人未遂については、動機も証拠も揃っているため、実刑判決は避けられない。利明は弁護士だ。有罪を免れられないとしても、まだ打つ手がないわけではないと、すぐに気づいた。刑が一定の範囲に収まり、情状が認められれば、執行猶予がつく可能性は残されている。だが、それを自分一人の力で勝ち取るのは難しい。しかし、父の茂は曲がったことが何よりも嫌いな人間であるため、絶対に手を貸してくれないだろう。となれば、頼れるのは自分を甘やかしてくれる母だけだ。利明は、彰菜の前にひざまずき、もし柚葉の執行猶予を勝ち取れるなら、今後は二度と柚葉と連絡を取らず、弁護士として誠実に生き、試験に専念し、そして早紀と結婚すると誓った。彰菜は二つ返事で引き受けた。その後、彰菜が手を尽くしたり、柚葉が犯行を認めて反省の態度を示していることや、前科がないことなど、さまざまな事情が考慮されたりしたものの、一審では実刑判決が言い渡された。それでも利明は諦めなかった。控訴して、今度こそ執行猶予を求めるつもりだ。そのためには、少しでも有利な事情を積み上げる必要がある。本人の反省や更生の見込みはもちろん、被害弁償や示談の成立も重要になる。そして何より大きいのが、被害者である凛の嘆願書だった。凛が柚葉を許し、厳しい処罰を望まないという意思を示してくれれば、執行猶予を求めるうえで大きな材料になる。最初の4つはどうにでもなるが、問題は最後の1つだ。凛が、柚葉のために嘆願書を書くはずがない。二人の間にある確執はあまりにも深かった。智也をめぐる一件は、表面上はもう終わっているが、二人の過去から消えることはない。あのときの裁判でさえ凛は柚葉に情けをかけなかった。それでも利明は、頼んでみるしかないと思った。凛のもとへ向かおうとしたところで、茂に止められた。「凛さんに嘆願書を書いてもらうつもりか?」「ああ」「行くな」茂は言った。「一審の判決でも十分すぎるほど
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第695話

「隆さんは今、瑶子と一緒か?」「いや。俺は今、子供たち3人と一緒にいる」「子どもたち3人?」「ああ、凛さんもいる」その名前を聞いた途端、茂の意識はそちらへ引き寄せられた。しばらく黙り込み、何かを聞こうとしたが、結局は言葉にしなかった。「茂さん、来るなら場所を送る」そうして茂は、隆たちのもとへ向かった。そこで彼は、妻と息子が会いたがっていた人物である凛と顔を合わせることになった。一方、彰菜のほうは海斗にも凛にも会えず、待っていたのは瑶子一人だった。彰菜は眉を寄せたものの、すぐに笑顔を作って席につく。「瑶子さん、一人だけ?海斗くんも来るって聞いていたんだけど」彰菜が会いたかったのは、瑶子と海斗だ。凛ではない。凛がすでに海斗の恋人なら、恋人やその母親から言われれば、さすがに無視はできないだろう。「私に用があるんでしょう?だったら、子供を連れてくる必要なんてないじゃない。それに、もう二人とも30近いんだから」瑶子は分かっていながら、あえてそう返した。その視線が、彰菜と美雪の顔を順に行き来する。そして、先日海斗から聞いた話を思い出していた。やっぱり、美雪ちゃんは神谷家の人たちと似ていない。しかし、DNA鑑定はしている。もしその結果が正しいのなら、凛は茂の婚外子ということになるのだろうか?けれど、夫の婚外子を見ただけで逃げ出す正妻なんて、瑶子は聞いたことがない。どうにも辻褄が合わなかった。突然じっと見られ、美雪は内心ひやりとした。瑶子は頭の切れる人だ。何かを見抜かれるのではないかと不安になる。たとえば、凛が彰菜の実の娘だと、自分がすでに知っていること。そして、美雪と彰菜との血縁関係が否定されたことなど……自分は凛の居場所を奪っている。偽物なのは、自分の方だった。結果を知った瞬間、美雪はDNA鑑定書を破り捨て、そのまま灰になるまで燃やした。鑑定を頼んだ友人も、二つの検体が誰のものかまでは知らない。美雪は水を一口飲み、動揺を必死に隠す。瑶子は彰菜の目的をあえて問いたださず、何事もないように食事を続けた。先に耐えきれなくなったのは彰菜だった。話題を少しずつずらし、ようやく本題へ持っていく。「うちの利明ったら、柚葉さんに何を吹き込まれたのか知らないけど、どうしても助けるって聞かな
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第696話

瑶子の言葉に、彰菜は一瞬身体をこわばらせた。だがすぐに我に返り、わざと不思議そうな顔をする。「どうして私が凛さんに会うのを怖がるの?それに、彼女は私より年下よ」瑶子はしばらく彰菜を見つめ、それから静かに言った。「でも、凛さんは只の年下じゃないわ。もし海斗の彼女じゃなかったとしても、神谷家や草壁家、竹内家との関係を考えるのであれば、敬意を込めて『博士』と呼ぶべき相手よ。単なる年下扱いはできないと思うけど」博士号を持っているだけなら、名家や権力者の中には特別視しない者も多い。だが、凛は違う。国から功績を認められた研究者だ。周囲が彼女を「博士」と呼ぶのも、まだ若く、これから正式な肩書きが増えていく途中だからにすぎない。同じ博士でも、その立場には大きな差がある。彰菜も否定はできなかった。凛の後ろには国がついているため、竹内家との関係がなくても、会えばそれ相応の敬意を払わなければならない。自分たちが一方的に年長者を名乗れる相手ではなかったのだ。瑶子は彰菜が黙ったのを見て、さらに続ける。「彰菜さん、はっきり言っておくわね。たとえ凛さんが嘆願書を書いたとしても、竹内家は小林さんをこのままにはしない。今回の判決にあなたが手を回したことは知っているわ。それでも、私と隆が何も言わなかったのは、3年だろうが4年だろうが大した違いじゃないからよ。無期懲役でもないわけだしね。でも、利明くんがそれを利用して執行猶予まで取ろうとしているなら、それは無理」「どうして?」彰菜は眉をひそめた。「瑶子さん、あなたは昔から人を追い詰めるようなことをする人じゃなかったでしょ?」「これは追い詰めてるんじゃないわ」瑶子は淡々と見つめ返す。「この事件の加害者は小林さんで、被害者は凛さん。あなたが息子のために私のところへ来て、凛さんに嘆願書を書かせようとするなら、私だって息子のために小林さんの執行猶予を阻止する。それだけのこと。お互い、自分の子供のために動いてる。条件は同じでしょ?」ゆっくり茶を口にし、柔らかく微笑んでいる瑶子は、話し方も穏やかで、知的で上品だった。けれど彰菜はよく知っている。瑶子は代々政界に深く関わる家で育った。あの環境で育った人間は、皆、自分の考えを持ち、決断も早い。海斗は父親の隆に似ていると言われることが多いが、実際には瑶子の気質も色濃く受け継い
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第697話

店を出たあと、美雪がそっと尋ねた。「お母さん、あんなふうに瑶子さんと別れて大丈夫なの?」彰菜も、冷静になればよくなかったことは分かるが、ただ、その場では感情を抑えられなかったのだ。周囲から見れば、名家に嫁ぎ、政治家の妻として尊敬され、何不自由なく暮らしてきたように見えるのだろう。けれど、政治家の妻というのはそう簡単ではない。資産家の妻でいるより、よほど気を遣う。しかもB市には、同じような立場の夫人などいくらでもいる。瑶子は隆と結婚してから、実業家の妻になった。実家の背景もあり、夫の立場もある。政治と財界、両方のつながりを持つ瑶子を、誰も簡単には敵に回せない。彰菜も後には実業家の妻という立場になったが、だからといって暮らしが楽になったわけではなかった。彰菜は長く息を吐いた。「瑶子さんは根に持つ人じゃないから、少しすれば忘れるわ」「じゃあ、お兄ちゃんのことは?」その一言で、彰菜はまた頭を抱えたくなった。本音を言えば、柚葉に執行猶予などつけたくないが、そうしなければ利明はいつまでもこの件に執着し続ける。美雪は母親の悩みを見抜き、静かに提案した。「お兄ちゃんが柚葉さんを助けようとしてるのって、まだ諦めきれてないからでしょ?でも、もし柚葉さんが、本当に救いようのない人だって分かったら……お兄ちゃんも目が覚めるんじゃないかな?」彰菜が美雪を見つめる。「どういう意味?」美雪にとって、柚葉はもう使い道のない駒だった。それどころか、残しておけばいつ爆発するか分からない危険物。いつか自分のことまで暴露されたら、割に合わない。なら、切り捨てたほうがいい。柚葉の過去を兄に知らせるなら、自分からではなく母親を通すのが一番自然だ。美雪はわずかに目を細め、曖昧に答える。「私もよく分からないけど……柚葉さんからはお兄ちゃん以外みんな離れていったでしょ?だから、そこまで周りに嫌われるって、やっぱり本人にも相当問題があるんじゃないかなって」「ふん。まともな女なわけないわよ」彰菜は鼻で笑った。「確かに、一度ちゃんと調べたほうがいいわね。いったいどんな女なのよ。うちの息子をここまで夢中にさせて、家族全員に逆らわせるなんて」美雪は微笑んだだけで、何も言わなかった。すると彰菜が娘へ目を向ける。美雪の横顔をしばらく見つめたあと、心配そうに口を開
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第698話

竹内グループでは毎年12月初旬、定例の株主総会が開かれる。議長を務めるのは会長である、隆だ。隆は普段こそ経営の第一線から退き、ほとんど海斗に任せているが、年に一度の株主総会だけには必ず自ら出席する。例年なら、各事業の報告や決算の振り返りなど、決まりきった議題が中心だったが、今年は違った。トライドメイン・プロジェクトを中心に進められていく。進捗状況、今後の計画、株主からの質疑――そのすべてを海斗が一人で取りまとめ、回答していった。父と息子であっても、仕事の場では私情を挟まない。隆が問い、海斗が答える。会議は終始、張り詰めた空気の中で進んだ。海斗の説明は簡潔で無駄がなく、論理にも隙がない。プロジェクトの優位性、リスク管理、今後の収益見通しまで、どの質問にも明確に答えていく。落ち着き払った態度と、誰にも否定できない実力。それは社内の不安を抑えるだけでなく、海斗が竹内グループの中心にいることを、改めて全員に認識させるには十分だった。今年の株主総会には、どこか力を見せつける意味合いまであった。特に最後、海斗はわざわざ禎へ目を向けた。「何か質問はありますか?」禎は一瞬の間を置き、笑った。「いや、ないよ。よくやってる」そのまま海斗をひとしきり褒める。総会が終わると、海斗はもう一度尋ねた。「禎さん、駆はもう決めましたか?」「決めたよ。やっぱりクラウドルートに行かせる。本社で海斗くんの手を煩わせることもないだろうからな」「そうですか」「じゃあ、先に失礼するよ」「お疲れ様でした」禎が他の株主たちと一緒に去っていくのを見送り、海斗は父へ向き直った。隆は無言で息子の肩を軽く叩く。言葉はなかったが、十分な賛辞だった。これが昔から変わらない、父子なりのやり取りなのだ。「まだ時間あるな。少しお茶でもするか」隆は海斗に言った。「ああ、母さんが戻ってくるまでちょうどいい」海斗は頷くと、「凛にも聞いてみる」と言った。「聞いてこい」海斗は電話をかけるのではなく、そのまま研究室へ向かった。凛に「今、忙しい?」と聞く。「そうでもないかな」そう返されると、海斗は当然のように彼女の手を取って連れ出した。凛は何度か目を瞬かせ、少し慌てて研究室を振り返る。しかし、中の研究員たちは全員、黙々と作業を続けていて、誰もこちらを見ていない。
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第699話

二人が向かったのは、竹内グループ本社の向かいにあるカフェだった。隆はすでに席についていて、二人が座って10分もしないうちに、日和もやってくる。そして開口一番、日和は凛の前に犬のキーホルダーを置いた。「大学の前に新しいお店ができてて、可愛かったから2つ買ったんです。凛さんにはワンちゃん、私はネコ」日和は自分のバッグにつけたネコのキーホルダーを見せる。「可愛くないですか?」凛は笑ってそれを受け取った。「なんで凛が犬なんだ?」と、海斗が横から聞く。「だって二人、犬2匹飼ってるじゃん。それにお兄ちゃんも結構、犬っぽいし」海斗は唖然とした。しかし、凛は妙に納得してしまい、キーホルダーを丁寧にしまった。「ありがとう、日和さん」「どういたしまして。もう家族みたいなもんですから」凛は話題を変えた。「ロボットのデータ、早めに整理しておいてね。こっちはもうすぐ一区切りつくから」「え、もう!?お兄ちゃんに急かされたんですか?」隆が淡々と口を挟む。「海斗にそんなことができると思うか?」「確かに」4人でしばらく過ごしていると、茂から隆へ電話が入った。ほどなくして、本人が姿を見せる。再び目の前に現れた、穏やかで品のある茂。そして、自分とどこか似ているかもしれない人。凛の胸中は複雑だったが、それでも、いつも通り呼びかける。「茂さん、こんにちは」茂も凛を見た瞬間、表情にわずかな複雑さを浮かべた。海斗が何気ない口調で尋ねる。「茂さん、この前戻ったばかりなのに、またA市へ?」茂は苦笑した。「子供のことでね。みっともないところを見せてしまって申し訳ない」隆は言った。「親が子供のことで頭を悩ませるのは普通だ」日和はスイーツを食べながら様子を見ていた。何か違和感を覚えたが、大人の話には首を突っ込まないほうがいいので、黙々と食べ続ける。凛は視線を落とし、スプーンをデザートに入れた。けれど、すくって口へ運ぶ気にはなれない。それに気づいた海斗が声をかけようとしたそのとき、先に茂が尋ねた。「口に合わないかい?」突然気遣われ、凛は顔を上げた。「いえ、大丈夫です」海斗が自然に助け舟を出す。「凛は辛いもののほうが好きなんです」海斗が自然に助け舟を出す。「G県育ちなら、確かに辛いものが好きな人は多いね。俺も最初にG県へ行った
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第700話

凛の言葉に、茂はしばらく黙り込んだ。テーブルを囲むほかの面々も、息を詰めるようにして二人のやり取りを見守っている。凛は事実を口にし、自分の考えを伝えたうえで、茂に答えを求めた――あなたは、どう思っているのか?ここで何と答えるかが、そのまま茂の意思を示すことになる。だが、茂は答えなかった。「すまないね。このあと用事があるから、また今度」それだけ言って、この話から逃れるように席を立った。茂が去っていくのを見送りながら、凛の気持ちは静かに沈んでいった。そのとき、手の甲に温かな手が重なる。凛は隣の海斗を見て、かすかに笑った。「大丈夫」日和は、凛と茂が似ているという話を知らなかった。けれど、さすがに何も気づかないほど鈍くはない。さっきからのやり取りをつなぎ合わせれば、おぼろげながら事情が見えてくる。凛さんと茂おじさん……何か関係がある?いやいやいや……まさか……日和は心の中で呟いた。頭の中は疑問だらけだったが、今ここで聞くべきではないことくらいはわかる。そもそも、まだ何ひとつはっきりしていない。大人たちだって核心には触れず、互いに探り合っているだけだ。ここで、事情も分からない自分が口を挟むことは、避けたほうがいいだろう。だから、日和は話題を変えることにした。「もうすぐお正月ですけど、凛さんはG県に戻るんですか?それともこっちに残りますか?もし凛さんが残るなら、私も今年はお母さんの実家に行くのを遅らせようかなって思ってます」凛は我に返り、気遣うように自分を見ている日和に胸が温かくなった。「G県に帰るよ。院長先生とも約束してるから」「なるほど。凛さん、私も一緒に付いて行きましょうか?」その瞬間、途端に海斗の目が冷たくなった。「何でお前が?どんな立場で?」日和は負けじと言い返す。「十分すぎる立場があるでしょ!」「どんな?」日和は腰に手を当て、もう片方の手で堂々と自分を指した。「私は凛さんの親友!」海斗が何か言おうと口を開くが、それよりも先に日和が続ける。「それに凛さんの彼氏の妹!凛さんの未来の義妹!」海斗は口を閉じた。後半の二つは悪くない。「わかったから、騒ぐな」自分だってそこまで言いふらしていないのに、日和のほうがよほど嬉々として宣伝している。日和は勝ち誇ったように顎を上げ
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