関係を進めるタイミングを、司狼は慎重に計っていた。焦れば崩れる。だが、遅れすぎても意味がない。美咲という存在は、待てば自然に近づいてくる類の人間ではない。だからこそ、外堀を埋めた上で、逃げ場の少ない場面を選ぶ必要があった。昼休み、同僚たちに囲まれたカフェという環境は、その条件に最も適していた。人目があるということは、拒絶の選択肢を鈍らせる。露骨な断りは、その場の空気を壊す。美咲の性格を考えれば、その“場”を無視してまで拒絶することはしない。だからこそ、そこを選んだ。「花邑さん」ほんの少しだけ、普段より低く落とした声で呼びかけた。雑談の延長ではない、意図的な響き。その変化に、周囲の注意が自然と集まる。隣の同僚、背後の客、近くの席の視線。すべてが、ほんの一瞬こちらに向く。その中で、司狼は迷わず言葉を置いた。「もしよかったら、友だちからでもいいので、付き合ってもらえませんか」静寂は、ほんの刹那だった。次の瞬間、空気が弾けるように崩れる。「え、なに急に!」「ドラマみたいじゃん」冷やかし、興味、面白がり、わずかな羨望。それらが混ざったざわめきが広がる。だが、その中心にいる美咲は、取り残されたように目を丸くしていた。予想外だったのだろう。計画通りだ、と司狼は内心で冷静に判断する。驚きは判断を鈍らせる。そして周囲の圧は、選択を限定する。美咲は一瞬だけ視線を逸らし、隣の同僚へと助けを求めるように目を向けた。だが返ってきたのは、背中を押すような仕草だった。逃げ道は、塞がれた。美咲は小さく息を吐き、観念したように視線を戻す。その顔には、困惑と、それでも状況を受け入れようとする意志が混じっていた。「……友だちから、なら」その言葉が落ちた瞬間、周囲が一層盛り上がる。歓声にも似たざわめきの中で、司狼は笑った。美咲が好む、屈託のない笑顔を、正確に再現して。「ありがとうございます」それだけで、十分だった。始まりとしては、理想的な形だった。だが、関係が始まったからといって、すぐに距離が縮まるわけではなかった。むしろ、美咲は慎重だった。連絡の頻度は増えすぎず、一定の距離を保ったまま。踏み込もうとすれば、柔らかく引かれる。だが完全に拒絶されるわけでもない。その絶妙な距離感に、司狼は違和感ではなく、納得を覚えた。(……そういうタイプか)事前に調べていた
最終更新日 : 2026-03-27 続きを読む