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All Chapters of SWEET×SWEET: Chapter 131 - Chapter 140

150 Chapters

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「手抜きだ、不調だと言っても、美味いぞ、このお好み焼き」 事実、お好み焼きは美味いのだが、気をつかって啓太郎が言うと、裕貴は実に憎たらしい返答をした。「啓太郎って、なんでも美味そうに食うから、楽でいいよ。食わせるほうとしては」 「……可愛くない」 ぼそりと啓太郎が洩らすと、ふふ、と声を洩らして裕貴は笑う。「冗談だよ。おれがいままでメシを作って食わせたのは、父さんと兄さんと、啓太郎だけだけど、啓太郎が一番美味そうに食ってくれる」 そんなふうに言われると、急に食べにくくなる。が、嬉しそうに見つめてくる裕貴の眼差しに応えないわけにはいかない。  啓太郎はガツガツとお好み焼きを掻き込み、マリネにも手を伸ばす。いつの間にか置かれていたお茶を飲み干し終えたところで、裕貴が土産の日本酒の瓶を取り上げた。「飲む?」 「お前は日本酒飲めるのか」 「少しだけなら……」 「なら、先に風呂だ」 もらった入浴剤の一つを取り上げて啓太郎が言うと、意味をわかりかねたように裕貴は首を傾げる。「えっと……、おれの部屋の風呂に入るわけ?」 「俺の部屋の風呂でもいいぞ。どうせ広さは一緒だし、手間も一緒だ。俺の部屋に来るなら、お前、パジャマも持ってこいよ」 ここでやっと、裕貴は驚いたように目を丸くした。「もしかして、おれも一緒に入るわけっ?」 「俺に温泉気分を味わってほしいんだろ」 「一人でいいじゃん」 「温泉は、誰かと一緒に入ると楽しいもんだぞ」 激しく拒絶するかと思った裕貴だが、理由にもなっていない啓太郎の言葉を聞くと、数回まばたきを繰り返してから、立ち上がって食器を片付け始める。「裕貴?」 「おれが片付けている間に、啓太郎は風呂に湯を張って、自分の部屋から着替え持ってきなよ。あっ、おれ、お湯は温めね」 はい、と反射的に返事をした啓太郎は、キッチンに立って洗い物を始めた裕貴の後ろ姿をちらりと見て、唇を綻ばせる。 啓太郎はすぐに裕貴の部屋のバスルームに行くと、バスタブに湯を溜め始める。その間に自分の部屋に戻ると、スーツからスウェットの上下に着替え、また裕貴の部屋へと戻る。  すでに洗い物を終えたらしい裕貴は、バスタブの縁に腕をかけ、湯を掻き混ぜているところだった。すでに入浴剤を入れたらしく、湯は白く濁っている。「あー、さすがに温泉らしい匂いがするな」
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 まずは自分の泡をシャワーで洗い流してから、啓太郎は丁寧に裕貴の髪に湯を当てていく。指で髪を濯いでやるたびに、くすぐったそうに裕貴は首をすくめ、口元を綻ばせた。「啓太郎って、実は子持ちじゃない? 妙に洗い方が上手いよ」 「いるわけないだろ」 「だったら、彼女と一緒にお風呂入って、よく洗ってあげてたとか」 「こういう酔狂につき合ってくれる恋人はいなかった」 「ほんと?」 パッと目を開いた裕貴の眼差しが強烈で、湯当たりしたわけでもないのに、啓太郎は軽いめまいを覚えていた。 髪の泡を流し、体に残っている泡もてのひらを使って洗ってやる。素直にされるがままになっている裕貴を眺めながら、啓太郎は思わずこんな質問をしていた。「――……お前は妙に、王子様っぷりが板についてるよな。洗われ慣れてるっていうか」 裕貴は一瞬、無表情となったが、次の瞬間には屈託ない笑顔を見せた。「おれ、心臓が悪かった頃は、兄さんと一緒に風呂に入ってたんだ。一人で平気だったんだけど、風呂で発作を起こしたらどうする、って言われたら逆らえなくてさ」 「お前の王子様っぷりを作ったのは、博人さんということか。まあ、なんとなく予測はついてたけどな」 「甘やかされても、こんなに素直ないい子に育つっていう、見本みたいだろ?」 啓太郎がわざと返事をしないでいると、裕貴にシャワーヘッドを奪い取られ、顔に湯をかけられる。奪い返すと、わざとらしく声を上げた裕貴はバスタブに勢いよく逃げ込み、溜まった湯が一気に溢れ出した。 シャワーの湯を止め、啓太郎もあとに続く。バスタブは、一人で入る分にはそれなりに余裕があるのだが、さすがに成人した男二人が入るには少々窮屈だ。こうなると、座り方を工夫するしかない。  湯に浸かった啓太郎は、すかさず裕貴の体を片腕に捉えて引き寄せる。大きく湯が揺れ、またバスタブから溢れた。「――温泉に行って、こんなふうに入ってる人なんていないよ」 背後からしっかり裕貴を抱き締めると、腕の中で笑い声を洩らしながら裕貴が言う。それでも嫌がる素振りは見せず、素直に啓太郎の胸にもたれかかって体を預けてくれた。  裕貴の濡れた髪を撫でてから、啓太郎は唇を押し当てる。「結局お前、大浴場には入らなかったのか? 夜中とかだと、そう人も入ってないだろ」 「……夜中、一度だけ入ったよ」 「一人で
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「親戚連中と一緒に行ったこともあるし、大学時代は友達とも貧乏旅行のついでに、温泉に入ってたな。あと、最近だと、社員旅行。これは、肩が凝った。上司も一緒だから」 「親戚つき合いがなくて、引きこもりのおれには、知らない世界だね」 裕貴の言い方に、啓太郎は苦笑する。確かに、裕貴の言うとおりかもしれない。そう思った啓太郎は、半ば本気でこう言っていた。「だったら、まとまった休みが取れたら、俺と入りに行くか?」 「……啓太郎の仕事で、まとまった休みなんて取れるとは思えないけどなあ……」 そんなことを言いながらも、裕貴は目を輝かせて笑う。ふいに、片手が伸ばされてきたかと思うと、啓太郎は頭を引き寄せられ、唇に軽く噛みつかれた。それがキスだとわかったとき、今度は啓太郎が裕貴の頭を引き寄せ、熱心に唇を貪る。「啓太郎、すごく興奮してる」 笑いを含んだ声で裕貴に指摘される。なぜ裕貴にそれがわかるかと言うと、当然二人とも何も身につけていないため、裕貴の腰の辺りに、啓太郎の欲望は直に触れているのだ。「興奮しすぎて、貧血起こすかもな」 「バカ」 呆れたように言った裕貴が上半身を捩るようにして、首にしがみついてくる。そんな裕貴の背を撫でてやりながら、啓太郎は奇妙な感慨深さに浸っていた。  知り合ったばかりの頃に比べて、本人の意思かどうかは別として、ずいぶん裕貴の活動範囲が広がったと思ったのだ。  近所に散歩に連れ出すことさえ苦労していたのに、今では、家族で温泉旅行に半ば強引とはいえ、出かけるまでになったのだ。 このまま裕貴が外の世界に順応したとき、自分たちはこんな関係を保てるのだろうかと考えた途端、啓太郎の胸はざわつく。  もしかすると、博人とともに出かける裕貴を見送っていたときに感じた嫌な予感とは、このことを示唆していたのかもしれない。「啓太郎? なんか顔が怖いよ」 啓太郎の胸に上半身を預けてきながら、裕貴が見上げてくる。そんな裕貴の額に自分の額を押し当てながら、少し身構えて啓太郎は問いかけた。「――外に出かけるの、少しは平気になったか?」 裕貴は困ったような顔となってから、啓太郎の腰に腕を回し、肩に顔をすり寄せてきた。その行動はどことなく、庇護を求める子供のようにも感じられる。「兄さんも父さんも、引きこもりの扱い方を知らないんだよ……。おれはどこかに連
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**** クライアントプログラムを起動させたはいいが、実はまだやるべきテストは残っていた。「正しく動いてくださいね、と」 口中で呪文のように唱えながら、啓太郎はポンッとキーボードを叩く。目まぐるしく動くモニターを呆けたように眺めていたが、凄まじい勢いで眠気に引き込まれそうになる。そのまま瞼が落ちそうになったが、寸前のところでスマホが鳴った。 特別な相手のみ登録した着信音に、意識しないまま啓太郎の口元は綻ぶ。あっという間に眠気はどこかに行き、デスクの上のスマホを取り上げた。 相手は確認するまでもない。啓太郎が特別な着信音を設定してあるのは、裕貴だけだ。『今日は帰ってこられそう?』 いつもと変わらない内容のメッセージだが、仕事でずっと根を詰めている啓太郎にとっては何よりも安らぐ一瞬だ。 大丈夫、と返信すると、すぐにまた返信が来る。『なんか食いたいものある?』『お前に任せる。無理して手の込んだものじゃなくていいぞ』『いつもそんなこと言わないくせに』 その文面にドキリとする。裕貴が旅行から戻ってきてすでに一週間経っているのだが、いまだに啓太郎は、裕貴の体調を気にかけてしまう。 別に、裕貴が体調が悪いと訴えたわけではないのだ。ただ、旅行先で不特定の人間と接したことで、裕貴が精神的なバランスを崩したのではないかと、過剰な心配をしてしまう。 一方の裕貴は、すでにいつもと変わったところは何もない。啓太郎に甘えてくるかと思えば、次の瞬間には憎たらしいことをいい、それでいて憎みきれない笑顔を向けてくる。つまり啓太郎は、相変わらず裕貴に振り回されているのだ。むしろ、自ら望んで。『じゃあ、思いきり手が込んだもの食わせろ』 自分の心配をうかがわせないよう、そうメッセージを送ったところ、返事はいかにも裕貴らしいものだった。『いいけど、いつもより高めの料金をいただきます』 社員たちが何事かとこちらを見る中、顔を伏せた啓太郎は肩を震わせて笑ってしまう。 裕貴は心配ない、と啓太郎はこのとき確信した。**** 出勤前、啓太郎はいつものように裕貴の部屋に立ち寄る。しっかりパジャマを着込み、その上からカーディガンを羽織った裕貴は、寝乱れた髪を掻き上げながら出迎えてくれた。 ちなみに裕貴が羽織っているカーディガンは、正月休み中にホットカーペットを買い
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 テーブルについた啓太郎の前にコーヒーの入ったカップを置き、裕貴があくびをする。思わずこう言っていた。「俺のことはもういいから、ベッドに入れよ」 「ダメだよ。ベッドに入ったら、夕方まで寝そう。今日は、ちょっと値動きが激しそうな株がいくつかあるんだ」 裕貴が単なるゲーム好きの引きこもりではなく、生活費全般を稼ぎ出すネットトレーダーでもあることを、いまさらながら思い出す。普段、啓太郎がいる前では、裕貴はゲームをする以外では、パソコンの前に座る姿をほとんど見せたことがないのだ。「食べたら、声かけてよ」 そう言って裕貴はテレビをつけたまま、ホットカーペットがある部屋へと行ってしまう。 あまり時間がないこともあり、急いでサンドイッチを食べられるだけ腹に収めた啓太郎は、コーヒーを飲み干すと、相変わらずテーブルの上に置かれている貯金箱にメシ代を入れる。裕貴は本当にお札は返してくれ、今貯金箱に入っているのはメシ代である小銭だけだ。 この貯金箱がいっぱいになるのは、どれだけ裕貴に世話になってからだろうかと、頭の片隅でちらりと思ってから立ち上がる。「おい、裕貴――」 部屋を覗くと、裕貴はクッションを枕に、ホットカーペットの上に転がっていた。両手を腹の上で組み、じっと天井を見上げている。眠そうにしているのかと思っていたが、裕貴の表情は冴え冴えとしていた。  裕貴のその様子を見た啓太郎は、自分の確信が実はまったく外れていたことを痛感した。 旅行から戻ってきた裕貴の様子が少しおかしかったのは、決して疲れていたせいではない。おそらく、もっと別の、深刻な何かがあったのだ。  そして裕貴は、その『何か』をまだ払拭できていない。 啓太郎の視線に気づいたのか、やっと裕貴がこちらを見て笑いかけてくる。「食べた?」 「……ああ」 裕貴が体を起こす気配がないので、啓太郎が傍らに座り込み、顔を覗き込む。「裕貴、何かあったのか? 様子がおかしいぞ」 啓太郎の深刻な声での問いかけに、裕貴はちらりと苦い表情となる。「眠いせいかな。でもおれ、寝起きはいいんだよ」 「そういうことじゃない。本当は、旅行から帰ってきたお前を見たときから、なんか妙な感じはしてたんだ。ただそのときは、旅行疲れかと思ってたんだ。だけど今のお前を見ていたら、そうじゃないみたいだな」 裕貴はじっと天井を見
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「何があった。言ってみろ?」 「なんでもない。ただ、これからちょっと、忙しくなるかもしれないと思ったら、憂鬱で」 体を起こした裕貴は、ホットカーペットの上にぺたりと座り直す。本当に憂鬱そうにため息をつき、くしゃくしゃと髪を掻き乱した。「何かあるのか?」 啓太郎の言葉にうな垂れるように頷いた裕貴に、いきなり腕を取られる。腕時計を見てから、裕貴が顔を上げた。「啓太郎、そろそろ出ないと遅刻するよ」 「あ、ああ……」 離れがたいという気持ちが表情に出たらしい。裕貴がイタズラっぽく笑いかけてきた。「そんな顔しないでよ。それに、何かあるときは遠慮なく啓太郎を頼るから。――すぐに、わかるよ。おれ、啓太郎を巻き込むって決めてるんだ」 「……何?」 「はい、会社に行って、行って。おれに貢ぐために、啓太郎にはいっぱい稼いできてもらわないといけないんだから」 半ば強引に部屋から追い出され、ダイニングへと戻った啓太郎はコートを着込む。「おい、お前のさっきの言葉はどういう意味だ」 アタッシェケースを手にしたところで、たまらず問いかけたが、裕貴は答える気はないらしく、芝居がかった仕種で手を振ってきた。「――いってらっしゃい、啓太郎」 裕貴に逆らえない啓太郎としては、この場は黙って出かけるしかなかった。** 裕貴が言っていた意味深な言葉の意味を、啓太郎は二日後には知ることになる。 前日、なんとか日付が変わる前に帰宅できた啓太郎は、貴重な日曜日の午前中を、睡眠に費やしていた。  しかし、その至福の時間は突然打ち破られることになる。 いきなりインターホンが連打され、寝ぼけた状態ながら条件反射で飛び起きた啓太郎は、ふらつく足取りでダイニングに行き、インターホンに出る。「どちら様――」 『啓太郎、おれ』 寝ぼけていても、裕貴の声はすぐに判断できる。こちらから誘わない限り、啓太郎の部屋に来ることのない裕貴がどうしたのかと思い、慌てて鍵を解いてドアを開ける。  部屋の前には、ダッフルコートをしっかり着込み、ニットキャップにマフラー、手袋をした裕貴が立っていた。「お前、その格好……」 「啓太郎、つき合って」 突然の言葉に面食らい、啓太郎は目を見開く。裕貴は不機嫌そうな表情のまま玄関に入ってきた。「これから出かけなきゃいけないんだ。だから啓太郎につき合
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**「――で、いい加減どこに行くのか、教えてくれないか」 車を走らせながら啓太郎が口を開くと、裕貴はメモ用紙を手渡してきた。ちらりと視線を落とす。何があるのか、ただ住所が書いてあった。「ここに行けばいいのか?」 「うん……」 この住所に何があるのか尋ねる前に、裕貴は憂鬱そうなため息をつく。車に乗ってから、こんなため息ばかりついている。よほど、行きたくないのだ。「――……この間まで、父さんが帰ってきてただろ?」 ようやく裕貴が話し始めたので、啓太郎は前を向いたまま頷く。「どうしてこんなことになったのか知らないけど、急に実家のリフォームをするって言い出したんだ」 「建て替えか?」 「そう大げさなことじゃなくて、内装を変えるみたい。あと、水廻りも」 「で、言い出した当人は、もう日本にいないと」 裕貴は大きく頷き、苛立ちを含んだため息をまた洩らす。こうやって、裕貴は父親に振り回されてきたのかと思うと、悪いと感じつつも笑ってしまいそうになる。「そりゃ大変だな。よりによってお前に任せるなんて」 「いや、任されたっていうか……」 珍しく裕貴が口ごもり、うかがうように啓太郎の顔を覗き込んできた。「どうした?」 「ううん。……これから行くところ、ショウルームなんだ。そこで、いろんなものを見られるみたいで、一度自分の目で見ておくほうがいいかなって」 「お前一人で選ぶのか? 責任重大だな」 何げなく言った啓太郎の言葉に、裕貴は返事をしなかった。 その理由を、大きなショウルームの一階に足を踏み入れて、やっと啓太郎は理解した。「――裕貴」 一階に置かれたソファに腰掛けていたスーツ姿の博人が、裕貴の姿を見るなり立ち上がる。そして、裕貴の背後にいる啓太郎の存在に気づき、驚いたように目を見開く。ただ、驚いたというなら啓太郎も同じだ。  博人の存在は、悪いが頭からストンと抜け落ちていた。だが冷静になって考えてみれば、いくら実家のこととはいえ、引きこもりの裕貴が自らの意思で精力的に動き回るはずがない。 自分の髪を掻き乱した啓太郎は、裕貴のため息の意味がやっとわかり、天を仰ぎ見る。  大手メーカーのショウルームは、大きいだけでなく、非常に明るくて客が多かった。裕貴にはさぞかし居心地が悪いだろう。ボディーガードを二人も必要とするほど。 視線を戻すと、
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 先を歩く博人の背を見つめていると、軽く腕を引っ張られる。見ると裕貴が、らしくなく申し訳なさそうな顔をしていた。「……そんな顔するぐらいなら、最初から正直に言えばよかっただろう」 からかうように啓太郎が言うと、裕貴はぎこちなく笑う。「兄さんが待ってるって言ったら、啓太郎来てくれないかと思ったんだ」 「どうして」 「兄さんのこと、苦手だと思ってるだろ」 裕貴の鋭い指摘に、啓太郎はドキリとする。確かに、博人の怜悧な雰囲気は少し苦手だ。何より、裕貴に甘すぎるほど甘い兄に対して、啓太郎はどう接すればいいのかわからない。おそらくこの気持ちは、裕貴と関係を持っていることに対する罪悪感の現れだ。 他人の大事なものに、啓太郎は手を出している最中なのだ――。  こういう表現はまるで自分が泥棒になったようで嫌なのだが、博人の前に立つと、どうしてもそんな気持ちに陥ってしまう。  啓太郎のそんな気持ちを察したのか、手袋を外しながら裕貴はなんでもないことのように言った。「無理ないと思うよ。おれが絡むと、兄さんは誰に対してもあんな感じだから」 「あんな感じ?」 「なんか嫌な感じ」 裕貴の言い方に、思わず啓太郎は短く噴き出す。「お前、自分の兄さんだろ」 「弟だから、こうはっきり言ってあげるんだ。だけど、いくら言っても治らない。……多分、ずっとあのままなのかな」 裕貴の横顔が怖いほど真剣なものになり、博人の背を見つめている。啓太郎はそんな裕貴の横顔に見入ってしまう。啓太郎の視線に気づいたのか、すぐに裕貴は腕を取って引っ張ってくる。「ほら、行こう」 裕貴に引っ張られるまま、三人でまず向かったのは、地下一階にある内装材のコーナーだった。ダイニングの壁と床を張り替えるらしく、係員の案内の元、裕貴と博人は何か話し合っている。  啓太郎は数歩後ろに下がって見ていたが、裕貴は他人と話すのが嫌らしく、豊富な種類が並ぶ壁材の見本を見ては、手元のカタログを指差し、博人にだけ話しかける。すると博人が、まるで裕貴の言葉を翻訳するように係員に伝えていた。 この兄弟は、ずっとこんな形で他人と接してきたのかと思うと、疎外感よりも、二人が作り上げた世界を素直に羨ましいと感じる。他人である啓太郎では、どう逆立ちしても兄弟の世界に入り込むことは叶わない。 裕貴は、床や壁にはさほど興味がな
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 それに気づいた係員が声をかけようとして、すかさず博人が、しばらく自由に見させてやってほしいと声をかけた。  啓太郎はなんとなく、博人と並んで裕貴の姿を目で追いかける。「――裕貴から聞きましたか、家のリフォームのこと」 急に博人に話しかけられ、内心身構えながらも啓太郎は頷く。「ええ。言い出した本人である親父さんは、もう日本にいないと」 「旅先で父親と話していたら、人が住んでいなかったせいか、実家が荒れてきていると言い始めたんですよ。それはわたしも感じていたので、床と壁を張り替えて、ついでに水廻りも裕貴が使いやすいようにしてやろうということになったんです。どうせ料理は、裕貴しかしませんし」 「けど、リフォームしたって、誰も住まないのに」 そう言ったのは、収納の扉を開けていた裕貴だ。挑むような強い眼差しを博人に向けると、当の博人は軽く肩をすくめる。「そうは言うが、またお前が住むかもしれないだろ。父さんだって、お前の好きなようにリフォームしろと言ってくれたんだ。この機会に手を入れるのが一番いい」 「……金だけ出して、面倒なことはみんなおれと兄さんに押し付けるんだから、父さんはズルイよ」 「今に始まったことじゃない。それに父さんはズルイんじゃなくて、何もかも息子たちが処理して当然と思っているんだ。――諦めろ。それが俺たちの父さんだ」 やけに説得力のある口調で博人が言い、裕貴も本気で腹が立っているわけではないのか、今度は昇降フードの高さを確かめ始める。  その様子を見つめながら啓太郎は、寸前まで兄弟が交わしていた会話を頭の中で反芻していた。 誰も住まない家をリフォームするということは、よく考えてみれば奇妙だ。いくら父親が言い出したとはいえ、先延ばしにすることは可能だろう。裕貴が実家に戻ると言い出したときに取り掛かればいいことだ。 少なくとも裕貴は実家に戻る気はなさそうだが、博人のほうは――。 横目で博人を見ようとしたとき、スッと博人が足を踏み出し、裕貴に歩み寄る。「色は、白はありがちだから、パステル系のイエローとかブルーとかが明るくていいんじゃないか」 「男しかいない家なのに、パステルカラー?」 「なら、木目は」 「……黒もいいかなあ」 「向こうに色見本があるから見てこよう」 博人の手がさりげなく裕貴の肩にかかり、見ていた啓太郎のほ
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** どこかで食事をしないかという博人の誘いを断った裕貴は、啓太郎とともに帰路につきはしたものの、車の中で口を開こうとはしなかった。何かを考え込むように唇を引き結び、じっと前を見据え続けていたのだ。 そんな裕貴は両腕で、大判の封筒をしっかり抱えている。ショウルームでもらったカタログに、作ってもらったプランの用紙が入っていた。見積りをしてもらう前に、変更したいことがあったらいつでも連絡してこいと言って、博人が渡したものだ。「裕貴、パン屋か弁当屋に寄って帰るか? お前も今日は疲れただろうから、買ったものを食って休めばいい」 「……啓太郎と兄さんて、考えること同じだよね。食い物でおれを釣ろうとする」 返ってきた言葉の内容云々より、裕貴が口を開いたことに啓太郎はほっとする。 信号待ちで車を停めると、片手を伸ばして裕貴の頭に触れる。「わからないからだろ。お前が本当は何が好きなのかとか、どんな言葉を言ってほしいのかとか。大人はズルイからな。手っ取り早い方法を取りたがるんだ」 「オヤジみたいな言い方……」 お前なあ、と苦々しく洩らした啓太郎だが、次の瞬間にはうろたえてしまう。頭にのせた啓太郎の手を取り、裕貴がしっかりと握り締めてきたからだ。「裕貴……」 「別に啓太郎に、気の利いた言葉なんて期待してないよ。啓太郎は、そこにいてくれたら、それだけで楽しいんだ」 「楽しい、か?」 素直に喜んでいいのだろうかと考えていると、スッと手が離される。前を見ると、車が進み始めているところだ。  再び車を走らせた啓太郎は、裕貴の機嫌が少しはマシになったのを感じ、思いきって気になっていることを尋ねてみた。「――お前、今日のことどう思った」 「今日の、こと?」 「お前の実家のリフォームのことだ。なんで今なのか、ってな」 裕貴は小さく声を洩らしてから、膝の上に置いた封筒に指先を這わせた。「よく、わからない。リフォームのことは、おれが寝ている間に決まったみたいなんだ。確かにおれも、疑問には感じるよ。兄さんが進めればいいのに、っていう意味で。別におれだけの実家じゃないんだから、兄さんが好きにしても文句なんて言うつもりはないんだ。ただ、あの女さえ家に入れなければ……」『あの女』とは、博人の妻である千沙子という女性のことだろう。裕貴の周囲には、それ以外に女性の存在はな
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