お腹が空いて倒れそうだった時に与えられた、あの甘い一口。 泥だらけだった身体を包んでくれる、温かいお湯と清潔なシャツ。 不器用ながらも、痛みを和らげようと塗ってくれた薬。 そして、この雲のように柔らかいベッド。 生まれてから今日まで、「誰かに大切に扱われる」という経験をしたことがなかった。役に立たないからと殴られ、地下室に捨てられた私が、どうして今、こんなにも贅沢で温かい空間で息をしているのだろう。 「……ひっ、うぅっ……」 声を押し殺そうと両手で口元を覆うが、一度堰を切った涙は止まることを知らなかった。シーツに顔を押し付け、しゃくり上げる肩の震えを必死に抑え込もうとする。 「……おい」 すぐ隣から、ひどく戸惑ったような低い声が降ってきた。 肩をガシッと掴まれ、強引に仰向けにされる。 上から覗き込んできた黎の黄金の瞳が、信じられないものを見るように見開かれていた。 「なぜ泣いている。どこか痛むのか。薬が目にでも入ったか」 彼の大きな手の中で、親指の腹が私の頬を乱暴にこする。涙を拭おうとしてくれているのだろうが、力が強すぎて少し痛い。 「ちが、違います……っ」 首を横に振りながら、私はボロボロと涙をこぼし続けた。 「痛くないのに、なぜ涙を流す。意味がわからん」 黎の眉間には深い皺が刻まれ、その整った顔には本気の狼狽が浮かんでいた。千年という果てしない時を生きてきたであろうこの男が、人間の流すたった数滴の涙の理由が理解できずに、心底うろたえているのだ。 「嬉しいんです……っ」 鼻をすすりながら、私は震える声で告げた。 「こんなに……ふかふかのベッドで寝るの、久しぶりで……お湯も、温かくて……」 言葉にすればするほど、惨めでちっぽけな理由だ。 黎はぽかんと口を半開きにして、私の顔を見下ろした。 「……ベッドが柔らかいだけで、泣くのか。人間というのは、つくづく理解不能な脆い構造をしているな」 心底呆れたような、しかしどう扱っていいかわからない困惑が入り混じった溜息を吐き出す。 その不器用な戸惑いがなんだか可笑しくて、私は涙と鼻水で顔をグシャグシャにしながら、ふふっと笑ってしまった。 黎の大きな手のひらが、頬から後頭部へと移動した。 そのまま、グイッと強い力で首根っこを引き寄せられる。
Last Updated : 2026-03-28 Read more