All Chapters of 追放された名家の令嬢ですが、最恐の黒竜様は私なしでは息もできません: Chapter 31 - Chapter 40

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第31話 現代家電に敗北する最強の竜③

 バシッ!「あっ……!」 指先で軽く触れるだけのタッチパネルを、黎は親の仇でも討つかのような勢いで強打した。メキッ、と液晶画面の表面が危険な音を立てて内側へたわむ。 しかし、洗濯機は微かなエラー音を鳴らすだけで、全く作動する気配を見せない。「……反応せんぞ。やはり壊れているじゃないか」 黎の黄金の瞳に再び危険な光が宿る。今度は指先ではなく、丸太のような拳が握り込まれ、完全にパネルを粉砕する気満々のフォームに入った。「違います、違います! 叩いちゃだめです!」 私は咄嗟に両手を伸ばし、黎の太い右腕に飛びつくようにしてしがみついた。 岩のように硬い筋肉の感触。そして、火傷しそうなほどの熱が手のひらから伝わってくる。 黎の動きがピタリと止まった。「力じゃなくて、そっと触れるだけでいいんです。スマートフォンと同じですよ」 私はしがみついた手を滑らせ、黎の巨大な手のひらを下から支えるように包み込んだ。彼の指先をパネルにゆっくりと誘導し、緑色のアイコンの真上に置く。「こうやって、軽く……」 ピッ。 澄んだ電子音が鳴り響き、ドラムの内部に水が勢いよく流れ込む音が聞こえ始めた。ウィーンというモーター音がユーティリティルームを満たす。「ほら、動きました」 ホッと息を吐き出して顔を上げる。 その瞬間、黎の視線が私の手元に釘付けになっていることに気がついた。 彼の大きな手を取り、私の両手で包み込むように握ったままの姿勢。「あっ、すみません……!」 弾かれたように手を離す。 黎は無言のまま、私の手が触れていた自分の右手をゆっくりと持ち上げ、その手のひらをじっと見つめた。縦に割れた瞳孔が微かに収縮し、口元が引き結ばれる。「……人間の機械は、ひどく繊細で脆い。少し力を入れただけで壊れやがる」 低く呟くその声には、怒りよりもどこか不貞腐れたような響きが混じっていた。 圧
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第32話 現代家電に敗北する最強の竜④

 黎は巨大な両開き冷蔵庫の前で立ち止まり、勢いよく扉を開け放った。中には、昨夜の業者が気を利かせて詰め込んだと思われる、高級な肉のブロックや新鮮な野菜、色とりどりの果物が所狭しと並んでいる。 黎はその中から、分厚いベーコンの塊と卵のパックを鷲掴みにすると、ドンッと乱暴にカウンターの上に置いた。 そのままIHコンロの正面に陣取り、ガラスの天板を厳しい顔つきで睨みつける。 長い指を鳴らしてみたり、天板の表面を爪先でコツコツと叩いてみたりしているが、当然のことながら火が噴き出すわけがない。「……どうなっている。ここは台所だろう」 黎が低い声で呻く。「ガス管の匂いがしない。下界の人間どもは、火も使わずにどうやって肉を焼くんだ。まさか、生で食えというのか」 苛立ちが再び頂点に達しつつあるのが、彼の背中の筋肉の強張りから伝わってくる。今度こそ天板が叩き割られそうな気配を感じ、私は慌ててキッチンカウンターの内側へと回り込んだ。「黎様、それは火が出ないんです。IHといって、電気の力で熱を発生させる仕組みなんですよ」「火が出ないのに焼けるわけがないだろう。目に見えない熱など信用できるか」 完全に理不尽なクレーマーのような言い分だった。 私は深い溜息を飲み込み、引き出しを開けてIH対応の重いフライパンを取り出した。それをガラス天板の円の模様の上に正確に置く。 電源ボタンを押し、火力を中火に設定する。「これで、数秒待てばフライパンの底が熱くなりますから」 黎は疑り深い目でフライパンを見つめている。やがて、火傷を恐れる様子もなく、平手で直接フライパンの底に触れようとした。「あ、危ないです! 本当に熱くなってますから!」 私が制止する声よりも早く、黎の手のひらが金属の表面に触れる。「……ほう。確かに熱を持っているな」 黎は全く熱がる素振りも見せず、感心したように喉の奥で音を鳴らした。彼自身の体温の高さのせいか、フライパンの熱程度では痛みも感じないらしい。 だが、安堵したのも束の間だった。 黎は空
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第33話 現代家電に敗北する最強の竜⑤

 彼から肉の塊をそっと受け取り、まな板の上に置く。 シフォンのドレスの袖が汚れないように少しだけまくり上げ、包丁を引き出しから取り出した。 トントン、トントン。 静かなキッチンに、包丁がまな板を叩く軽快な音が響き始める。ベーコンを少し厚めのスライスに切り分け、フライパンの上に等間隔に並べていく。 ジューッ……。 脂が溶け出し、香ばしい肉の焦げる匂いが空間に広がっていく。 卵を二つ割り入れ、綺麗な目玉焼きを作る。白身の縁がチリチリと音を立てて波打ち、黄色い黄身が鮮やかに中心で膨らんでいく。 私はフライパンの柄を握り、焦げ付かないように小刻みに揺らしながら、ふと視線を感じて顔を上げた。 黎が、少し離れたカウンターの端に寄りかかり、腕を組んで私の手元をじっと見つめていた。 黄金の瞳に浮かんでいるのは、獲物を狙う猛獣の威圧感ではない。純粋な好奇心と、迷いのない手際に対する微かな感心の色だった。 視線がぶつかると、彼は少しだけ気まずそうに目を逸らした。 フライパンから立ち上る湯気の向こう側で、漆黒の巨体が所在なさげに佇んでいる。(この人……私が教えなかったら、本当に何もできなかったんだ) 昨夜、私を「命綱」と呼び、圧倒的な暴力と財力でタワマンに閉じ込めた恐ろしい化け物。 外の世界への未練を金と物で塗り潰してやると傲慢に言い放った、冷酷な支配者。 そんな彼の姿が、今の私には少し違って見えていた。 洗濯機のボタン一つ押すことができず、火の出ないコンロに腹を立て、肉の塊をそのまま焼こうとする。 何千年も生きてきた神話の竜だというのに、現代の生活環境の中では、まるで見当違いの方向に力を振り回して苛立つだけの、ひどく不器用で危うい存在。 彼は私がいないと呼吸ができないと言った。 でも、それだけじゃない。 私がいないと、服を綺麗にすることも、温かいご飯をまともに食べることもできないのだ。 今まで抱えていた「役に立たないなら捨てられる」という恐怖や、ただの道具として扱われることへの
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第34話 現代家電に敗北する最強の竜⑥

「もうすぐ焼けますよ。お皿を出してもらってもいいですか? そこの上の棚に入っているはずです」 私が自然に指示を出すと、黎は文句を言うこともなく、無言で長い腕を伸ばして戸棚を開けた。真っ白な陶器のプレートを二枚、大理石のカウンターの上にコトンと置く。 その素直な動作がなんだか可笑しくて、私は再び笑みを噛み殺しながら、ベーコンと目玉焼きをお皿の上へと滑らせた。 広いダイニングテーブルの向かい合わせの席に、二つのプレートが並べられた。 黎は椅子に深く腰を下ろし、備え付けられていたシルバーのフォークを手に取る。 だが、その様子もまた、ひどくぎこちないものだった。 丸太のように太い彼の指には、人間用の繊細なカトラリーは小さすぎるのだ。洗濯機のパネルを壊しかけた学習効果なのか、あるいは手加減が難しいのか、黎はフォークの柄を親指と人差し指で変に突っ張るようにして握っている。 力を入れすぎないように慎重にベーコンを刺し、口へと運ぶ。 サクッ、という軽快な音が静かな部屋に響いた。 黎はゆっくりと咀嚼し、喉の奥で一度だけ嚥下した。「……悪くない」 短くそう呟くと、黎は次々と皿の上のものを平らげていく。フォークの使い方は不器用なままだが、食べるペースは恐ろしく早い。 私は自分の分の目玉焼きを少しずつ切り分けながら、目の前の巨体を見つめていた。 胸元で重く冷たく輝くサファイアの感触は、確かにそこにある。 私がこの豪華な鳥籠に閉じ込められているという事実も変わらない。 だが、目の前で私の作った不格好な朝食を黙々と食べている彼の姿を見ていると、この空間を満たしている空気が、昨夜の凍りつくような冷たさから、ほんの少しだけ柔らかく、温かいものへと変化しているように思えた。 フォークが皿に触れる微かなカチャッという音。 香ばしいベーコンの匂い。 私は、口の中に広がる確かな塩気を味わいながら、小さく息を吐き出した。 ただの道具としての役割だけじゃない。私にできることが、まだこの鳥籠の中にはあるのかもしれない。 テーブルの向こう側から
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第35話 厄介払いの祝杯と、白々しい涙の会見①

 スポンジに含ませた柑橘系の香りのする洗剤が、真っ白な陶器のプレートの上で細かな泡を立てる。 指先に伝わる温かいお湯の感触が、焦げ付いたベーコンの脂を滑らかに洗い流していく。蛇口から流れ落ちる水音が、広々としたペントハウスのキッチンに静かに響いていた。 ほんの数日前まで、冷たい雨に打たれ、埃まみれのコンクリートの床で膝を抱えていたことが、まるで遠い昔の幻だったかのように思える。 洗い終えた二枚のプレートを水切りラックに立てかけ、蛇口のレバーを下ろした。ピタリと水音が止むと、背後から一定のリズムで繰り返される重く力強い呼吸音が、再び鼓膜に届く。 タオルで手についた水滴を拭き取りながら、そっと振り返った。 ダイニングテーブルの席には、漆黒のシャツを着込んだ巨体が、先ほどと全く同じ姿勢で座り続けていた。テーブルの上に両肘を突き、指先を軽く組んだまま、じっとこちらの動きを目で追っている。縦に割れた鋭利な黄金の瞳孔が、瞬きすら忘れたかのように真っ直ぐに突き刺さっていた。(ずっと見られてる……。まだ、何か足りなかったのかな) 満腹にならなかったのだろうか。あの分厚いベーコンの塊と卵をあっという間に平らげてしまったのだから、人間の基準で食事量を測ってはいけなかったのかもしれない。 私は布巾をカウンターに置き、少しだけ躊躇いながら声をかけた。「あの、足りなかったですか。冷蔵庫にまだお肉が残っていたと思うので、もう少し焼きましょうか」 問いかけに対し、黎は組んでいた指を解き、短く息を吐き出した。「いや、いい。腹は満たされた」 地鳴りのように低い声が、静かな室内に空気を震わせて届く。 彼はそのまま椅子の背もたれに深い背中を預け、長い脚を無造作に投げ出した。黒いスラックスの生地が張り詰め、規格外の筋肉の起伏が露わになる。 沈黙が落ちた。 窓の外から差し込む朝の光が、大理石の床に四角い影を落としている。ホコリ一つない完璧に清潔な空間の中で、黎の放つ獣のウールのような匂いと、微かな鉄錆の匂いだけが、ここがただの高級マンションの一室ではないことを主張していた。 視線を外す
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第36話 厄介払いの祝杯と、白々しい涙の会見②

 それなのに、彼は今、日々の食事という生活の根幹を、私に委ねようとしている。  胸の奥で、冷え切って固まっていた何かが、じんわりと熱を持ち始めるのを感じた。必要とされること。誰かの生活の一部を担うこと。それは、有栖川家でただのゴミのように扱われ、雑用を押し付けられていた時の「義務」とは全く違う、温かい重みだった。 「……はい。分かりました」  私が小さく口角を上げて頷くと、黎はフイッと露骨に視線を逸らし、パノラマウィンドウの外に広がる高層ビル群へと顔を向けてしまった。漆黒の前髪の隙間から覗く耳の端が、ほんの僅かだけ赤みがかっているように見えた。 「食後のコーヒー、淹れましょうか。豆が棚にあったので」  少しだけ軽くなった足取りでキッチンカウンターの内側に戻りながら提案する。  黎は窓の外を見たまま、怪訝そうな低い声を出した。 「コーヒーだと?」 「はい。飲んだこと、ありませんか」 「泥水のような色の液体のことか。あんなものが美味いとは思えんが」 「泥水って……」  私は思わず苦笑いを漏らし、戸棚を開けた。  買い置きされていた茶色いクラフト紙の袋を取り出す。ハサミで封を切った瞬間、深く焙煎されたコーヒー豆の香ばしい匂いがふわりと弾けた。キッチンに残っていたベーコンの脂の匂いを塗り替えるように、濃厚でビターな香りが空間を満たしていく。  引き出しからペーパーフィルターと陶器のドリッパーを取り出し、慎重にセットする。ガラス天板のIHコンロに細口のケトルを置き、電源を入れる。数分も経たないうちに、シュンシュンという小さな沸騰音が鳴り始めた。  挽かれたばかりの粉の中央に、細く一筋のお湯を落とす。  粉がふっくらとドーム状に膨らみ、表面に細かな泡が弾ける。シューッという微かな音と共に、さらに強い香りが立ち上った。  背中越しに、強烈な視線を感じる。黎が首だけをこちらに向け、私の手元を食い入るように観察しているのが、振り返らなくても肌で分かった。  二つの真っ白なマグカップに、熱いコーヒーを注ぎ分ける。  湯気を立てるカップを両手で持ち、ダイニングテーブルへと歩み寄る。黎の目の前に、音を立てな
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第37話 厄介払いの祝杯と、白々しい涙の会見③

 私は堪えきれずに吹き出しそうになるのを必死に飲み込み、冷蔵庫からミルクの入った小さなピッチャーを取り出した。さらに、戸棚から砂糖のたっぷり入った陶器のポットを取り出し、彼の前に並べる。 「ごめんなさい、ブラックは少し刺激が強すぎましたね。これを入れてみてください。甘くなりますから」  黎は疑り深い目を私に向けた後、スプーンを手に取った。  砂糖を山盛りにすくい、カップに放り込む。一杯、二杯、三杯。底に沈んだ砂糖の山に、ミルクを並々と注ぎ込む。真っ黒だった液体が、完全に白茶色になるまで執拗にかき混ぜる。カチャカチャというスプーンの音がせわしなく鳴った。  もう一度、恐る恐るカップに口をつける。  今度は顔をしかめることなく、ゆっくりと飲み込み、喉を鳴らした。 「……悪くない」  ぼそりと呟いたその一言に、私は心の中で小さく息を吐き出した。  湯気の向こう側で、不器用にカップを傾ける巨体。  大理石の床に落ちる日差しと、コーヒーの香り。  ここにあるのは、冷たい暴力でも、理不尽な命令でもない。ただの、少しおかしくて温かい朝の風景だった。 ◇ 同じ頃、都内にある有栖川家の本邸。  広大な南庭に面した日当たりの良いサンルームで、天井まで届く巨大なガラス窓から強烈な陽光が降り注いでいた。白いレースのカーテンが空調の微かな風に揺れ、磨き上げられた大理石の床に複雑な影の模様を描き出している。  部屋の中央に置かれたガラステーブルの上には、透き通った赤褐色のダージリンティーが注がれた高級磁器のカップと、三段重ねの豪奢なケーキスタンドが鎮座していた。 「お母さん、このマカロンすっごく美味しい。どこのお店?」  淡いピンク色のフリルがあしらわれたドレスを着た麻里亜が、マカロンをかじりながら高い声を上げた。彼女の細い指先には、光を反射してギラギラと輝く複雑なラインストーンのネイルアートが施されている。 「銀座に新しくできたパティスリー。あなたがベリー系のスイーツを好きだと思って、お父さんに頼んで買ってきてもらったの」  向かいの席に座る継母が、カップの縁に口をつけながら優雅に口角を上げた。
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第38話 厄介払いの祝杯と、白々しい涙の会見④

 継母の言葉には、失踪した義理の娘を案じる響きなど微塵も含まれていない。そこにあるのは、目障りな存在が視界から消えたことに対する純粋な安堵と、冷たい嘲笑だけだった。 「警察には、まだ家出のままにしておくの?」 「お父さんが上手く立ち回ってる。下手に事件に巻き込まれたなんてことになればスキャンダルになるから、あくまで自発的な家出か、不慮の事故ということで処理を進めているはず」 「ふーん。まあ、どこで野垂れ死のうとどうでもいいけど。それより明日、理恩様とデートなんだ」  麻里亜はパッと顔を上げ、自慢げに目を細めた。 「どこへ行くの?」 「六本木に新しくできたフレンチレストラン。理恩様が直々に予約してくれたの。あのお姉ちゃんじゃ、一生縁のないような高級店なんだから」 「それは素晴らしい。獅子王家の次期当主の心を、今のうちにしっかり掴んでおくのよ。あの子が勝手にいなくなったおかげで、婚約の枠があなたに回ってきて本当に運が良かった」 「当然でしょ。理恩様には私みたいな華やかな相手がふさわしいの。あんな地味で暗い女、理恩様だって本当はずっと嫌がってたんだから」  麻里亜が誇らしげに胸を張ったその時、部屋の隅に控えていた若いメイドが、新しい紅茶のポットを持ってテーブルに近づいてきた。  メイドは極度の緊張で肩を強張らせ、手元を微かに震わせながら、麻里亜の空になったカップにお茶を注ごうと腕を伸ばす。  カチャッ。  銀製のポットの注ぎ口が、磁器のカップの縁にほんの僅かに触れてしまった。 「ちょっと!」  麻里亜の甲高く鋭い声が、サンルームの空気を切り裂いた。 「ひっ……も、申し訳ございません!」  メイドが血相を変え、ポットを胸に抱え込むようにして深く頭を下げる。 「何やってるの! カップに傷がついたらどうするつもり? これ、いくらすると思ってるの!」 「す、すみません、すぐに新しいものを……」 「もういい、下がって! ほんっと使えないんだから!」  麻里亜はイライラと爪を噛み、メイドを親の仇でも見るかのような冷たい目で睨みつけた。メイドは逃げるように足早に部屋から退出していく。
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第39話 厄介払いの祝杯と、白々しい涙の会見⑤

 ◇ 無数のカメラのフラッシュが連続して焚かれ、視界が真っ白に飛ぶ。
 シャッターの乾いた音が、まるで雨霰のように降り注ぎ、ホテルの地下にある巨大な会見場を埋め尽くしていた。照明機材の放つ熱気と、密集した報道陣の人いきれで、空間の酸素が薄く感じられるほどの熱を帯びている。  林立するマイクの束が置かれた長机の前に、黒のオーダーメイドスーツを隙なく着こなした有栖川宗隆が立っていた。  彼は深く頭を下げ、数秒間その姿勢を保つ。フラッシュの光が、彼の整えられた白髪混じりの頭頂部を容赦なく照らし出す。  ゆっくりと顔を上げた宗隆の表情には、深い疲労と悲哀の色が完璧に張り付いていた。目の下には、プロのメイクによって作られた意図的な隈の影すら見える。 「この度は、私どもの家庭の事情により、世間の皆様に多大なるご心配をおかけし、誠に申し訳ございません」  マイクを通した低く沈痛な声が、広い会場の隅々にまで響き渡った。 「報道されております通り、私の長女である瀬理亜が、数日前から行方不明となっております。警察には捜索願を提出し、全力で捜索していただいておりますが、未だ有力な手がかりは見つかっておりません」  記者席から、次々と手が挙がる。 「有栖川さん、失踪の理由について心当たりはありますか」  最前列の記者が、遠慮のない大きな声で質問を投げかけた。 「……確たる理由は、分かりません」  宗隆は伏し目がちに答え、マイクのスタンドを両手で包み込むように握りしめた。関節が白くなるほどの強い力で。 「ただ、あの子は最近、少し思い詰めるようなところがありました。私どもの愛情が、あの子にしっかりと伝わっていなかったのではないかと……父親として、今更ながらに深く悔やんでおります」  宗隆の言葉の端が微かに震える。  彼はスーツの胸ポケットから真っ白なハンカチを取り出し、目頭をそっと押さえた。レンズ越しに見れば、涙を堪えきれなくなった父親の悲痛な姿そのものだ。 「先日、獅子王グループの理恩氏との婚約破棄が発表されましたが、それが失踪の引き金になったのではという見方もあります。ご家族間で何らかのトラブルがあったのではありませんか
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第40話 厄介払いの祝杯と、白々しい涙の会見⑥

 ◇ 会見場の裏手にあるVIP用の控室。  重厚な防音扉が完全に閉まった瞬間、フラッシュの眩い光も、記者の怒号のような喧騒もすべてが遮断され、耳鳴りがするほどの冷たい静寂が部屋に落ちた。  空調の効いた無機質な空間の中央で、宗隆は手に持っていた白いハンカチを、サイドテーブルの上に乱暴に投げ捨てた。 「……忌々しい」  低くドス黒い声が、喉の奥から這い出るように漏れる。  彼は首元のシルクのネクタイを荒々しく引き剥がすように緩め、シャツの第一ボタンを外した。額に浮いた薄っすらとした汗が、照明の光を反射して嫌なテカリを放っている。  部屋の隅に控えていた秘書が、無言で歩み寄り、冷たい水の入ったグラスを差し出す。  宗隆はそれをひったくるように受け取ると、一気に飲み干した。氷がグラスの底でカラン、と高い音を立てる。 「あの出来損ないのせいで、私がこんな猿芝居を打たねばならんとは」  奥の革張りのソファに座っていた継母が、静かに立ち上がって近づいてきた。コツ、コツというヒールの音が冷たい床を叩く。 「お疲れ様。とても素晴らしい会見だった。世間はすっかり、娘を案じる可哀想な父親に同情しているわ」 「当然だ。有栖川の株価や信用に傷をつけるわけにはいかない。獅子王家との結びつきも、麻里亜が理恩の相手に収まったとはいえ、世間の風評次第ではどう転ぶか分からんのだからな」 「ええ、本当に。あの子は昔から、私たちを苛立たせ、家の名に泥を塗ることしかしない子だった。……いなくなってまで迷惑をかけるなんて」  宗隆は革張りのソファにどかと腰を下ろし、深く息を吐き出した。体重で革が軋み、重い音が鳴る。 「死ぬなら死ぬで、どこか人知れず野垂れ死んでくれればいいものを。下手に生きていて、週刊誌にスキャンダルでもすっぱ抜かれる方がよほど厄介だ。パパ活だの駆け落ちだのと騒がれてみろ、有栖川の面目は丸潰れだ」 「探偵の手配は、どうなっているの」 「すでに裏で動かしている。警察の捜索とは別にな。万が一どこかで見つかったら、直ちに身柄を確保し、口封じのために地方のサナトリウムにでも幽閉してやる。二度と世間の目には触れさせない」
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