公園へと続く緩やかな坂道は、春の気配に満ちていた。 見上げれば淡い色の青空が広がっている。 私は陽菜の手を引いて、公園への道を歩いていた。 3月の乾いたアスファルトを、1台の白いミニバンが軽快なエンジン音を響かせて駆け上がっていく。「あっ。パパ!」 陽菜が声を上げた。 私たちのすぐ脇を通り抜ける際、窓の向こうでハンドルを握る和也の横顔が一瞬だけ見えた。 彼は一度もこちらを振り返ることなく、あっという間に視界の先へと消えていった。 排気ガスの匂いが、肺の奥まで入り込む。私は立ち止まり、その不快な匂いを追い出すように、深く息を吐いた。 走り去ったあの車は、私が地元の企業でフルタイムで働き、貯めたボーナスを頭金にして購入したものだ。 私の年収は400万円、和也は450万円。 共働きといえど、家計は楽ではない。 陽菜の将来の教育資金は貯めておきたいし、住宅ローンも残っている。 車の月々のローンだって、私の給与口座から引き落とされている。 それなのに、私には重いビールの買い出しを命令しておきながら、和也は自分勝手に車を使っている。「ママ、パパ、いっちゃったね……」 私の手を握る陽菜が、不安そうに顔を見上げてくる。 私は「そうね」とだけ答えて、彼女の小さな手を握り直した。 脳裏に、数分前の玄関での光景が蘇る。 私が「車を出す」と言った瞬間、彼は鼻で笑った。そして私が手を伸ばそうとした棚の上から、見せつけるようにひったくったのだ。 あの、金属のキーが擦れ合う冷たい音。「俺は一日中、外で戦ってんだよ。少しくらい自由を寄越せよ」 そう怒鳴った彼の体からは、ふだんの彼からは想像もできない、不自然に甘ったるい香水の匂いが漂っていた。 大学の友人に会うだけで、なぜあんなに準備万端でなければならないのか。 すれ違いざまの残り香が、今は何よりも不快な重荷となってまとわりついている。
Last Updated : 2026-04-03 Read more