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All Chapters of 100日後に離婚する嫁: Chapter 11 - Chapter 20

71 Chapters

11

「あー、もう! 負けたじゃねえか! クソッ!」 画面の中でキャラクターが倒れたのか、和也が怒鳴り声を上げた。 そして。  自分の裾を掴んでいた陽菜の小さな手を、和也の右手が無造作に、払いのけるように動いた。 ペチッ。 リビングに、嫌な音が響いた。  陽菜の手が弾かれ、不意を突かれた小さな体がぐらりと揺れる。  陽菜はそのままフローリングの床に、ドスンと尻もちをついた。「……っ!」 私は一気に血の気が引いていくのが分かった。「え……ええーん! パパ、いたい、いたいよう……!」 一拍おいて、陽菜が火がついたように泣き出した。  3歳の子供にとってお尻を打った痛み以上に、大好きなパパに拒絶されたショックは計り知れない。  大きな瞳から涙がボロボロとあふれて、真っ赤になった頬を濡らしていく。 けれど。  その泣き声を聞いてもなお、和也はスマホを握りしめたまま、忌々しそうに舌打ちをした。「……チッ、いきなり泣くなよ。うぜえな」「和也! 今、何したの!」 私は叫ぶように言いながら、キッチンを飛び出した。  床に座ったまま泣きじゃくる陽菜を、慌てて抱きしめる。「はあ? 見りゃ分かんだろ。俺はただ、邪魔だから手を退かそうとしただけだ。勝手にバランス崩して転んだあいつが悪いんだよ」 和也は、悪びれる様子もなく言い放った。  床で泣いている娘の方を見ようともせず、手元のスマホをリセットするように操作している。「子供相手に、何てことするのよ……。陽菜、大丈夫? 痛かったね、ごめんね」「いたい……。パパ、こわい……っ」 陽菜の声が震えている。抱きしめた体は頼りない。  3月の夜の寒さのせいじゃない。これは、恐怖による震えだ。 しかし和也はまたしても舌打ちをした。「怖いだって? 怖くさせたのは誰だよ。俺は疲れて帰ってきて、1人でゆっくりゲームもさせてもらえないのか? 何のためにこの家を買ったと思って
last updateLast Updated : 2026-03-29
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12

 今日の朝、玄関でゴミ袋を避けられた時。  私はまだ「今夜、ちゃんと向き合って話せば分かってくれるはず」なんて、おめでたいことを考えていた。 ちゃんと言葉を尽くせば、この冷え切った空気も春の陽気みたいに解けるかもしれない。 そんな、お花畑のような希望を抱いていた。 けれど、それは私の独りよがりな幻想でしかなかった。    家事が見えていないだけなら、教えればいい。  育児の大変さが分からないなら、伝えればいい。 そう思っていた。 でも、あの男は違う。  自分のゲームの楽しみのために、無邪気に甘えてきた実の娘を、汚れたゴミ袋と同じように「邪魔なもの」として払いのけたのだ。  娘の涙も私の痛みも、この人にとってはゲームの邪魔をするノイズに過ぎない。 私に負担がかかるのは、まだ耐えられる。 私は大人だからだ。 でも陽菜は、まだたったの3歳。 こんな小さな子を、実の娘を守ってやらなくてどうするのか。 陽菜を傷つける人間は、誰であろうと許せない! 喉の奥がヒリヒリと熱い。  けれど不思議と涙は出なかった。  ただ心の芯の部分が、急速に冷えていく感覚だけがあった。  さっきまであった怒りが、もっと静かでもっと深い虚無へと変わっていく。「……いいよ、陽菜ちゃん。もう、泣かなくていいからね」 私は陽菜を抱きしめたまま、優しく一定のリズムで背中をさすった。  陽菜の震えが少しずつ収まっていく。「パパ……いっちゃった?」「ええ、あっちに行ったわ。もう大丈夫。ママがずっと、そばにいるからね」 私は陽菜の涙を指でそっと拭った。  泣きはらした赤い目が、私を見上げている。  この子を二度と、あんな男に脅かさせたりはしない。    今まで、私は和也に対して「どうすれば分かってくれるんだろう」という方向にばかりエネルギーを使っていた。  けれど、そんなのは時間と気力の無駄遣いだったのだ。
last updateLast Updated : 2026-03-29
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13

 私はキッチンに置いていたスマートフォンを手に取った。  いつもなら、これを手に取って和也に「早く片付けてよ」とメッセージを送っていただろう。 でも、今日は違う。 私はカメラを起動した。  画面には現在の日付と、20時16分という時刻が表示されている。 パシャリ。 乾いたシャッター音が、静かなリビングに響いた。    まず1枚。脱ぎ捨てられた靴下が転がっている様子。  続いてもう1枚。和也が下げなかった、食卓の上の油汚れのついた皿。 そして最後に。  陽菜が突き飛ばされて、ブロックが散乱したままのフローリングの床。(これは、単なる片付けのための記録じゃない) 私の人生から、この男の存在そのものを切り離すための作業だ。 朝、ゴミ捨て場で私は「やり直そう」と決めた。  でも、もういい。私は違う方法で、陽菜との暮らしをやり直す。    私はメモアプリを開き、今日の出来事を淡々と書き連ねた。『20時16分。和也、育児の協力拒否。娘を突き飛ばす』『食事の準備、片付け、入浴の準備をすべて妻に強要』『泣いている娘を放置して、寝室に閉じこもる』 言葉にすればするほど、私の心は驚くほど冷静になっていく。  今まで感じていたドロドロとした怒りが、不思議なほど消えてなくなった。  期待するのをやめただけで、こんなにも心がクリアになるなんて。 和也は変わらない。変えることなんてできない。  だったら、私が変わるしかないのだ。    明日からも、私は妻の顔をして、食事を作るだろう。  おはようと言い、和也の脱ぎ捨てた靴下を拾うだろう。  けれどその裏側で私は、着実に日々の欠片を積み上げていく。 この30年ローンを組んだ家。  私の独身時代の貯金、頭金500万が詰まった、私たちの城。  でもここはもう、私にとってもはや安らぎの場所ではない。  いつかこの家を娘と一緒に笑って出ていく
last updateLast Updated : 2026-03-30
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14:休日の朝

 3月の土曜日の朝は、冬の名残をまだ少し含みながらも、春らしい柔らかさを帯びていた。街路樹の桜は少しずつつぼみを膨らませて、目の前までやって来た春を喜んでいるように見える。 けれど私の心の中に春が訪れる気配は、これっぽっちもなかった。 午前7時のこと。 週末の朝くらい、せめてあと1時間、いや30分でいいから眠らせてほしい。 そんな切実な願いは、横から飛んできた小さな怪獣によって無残に打ち砕かれた。「ママ! おっきして! おっはよー!」 陽菜が私の顔をペチペチと叩き、お腹の上でぴょんぴょんと跳ねる。3歳児の元気は、朝一番からフルスロットルだ。「……おはよう、陽菜ちゃん。まだ早いよ、もうちょっとだけねんねしよう?」「だめ! おなかすいた! パン、たべるの。ジャムのパン!」 陽菜は私のお腹の上から離れようとしない。 娘の無邪気さに苦笑いしながら、私は重い体を布団から引きずり出した。 ふと隣を見ると、和也は大きな寝息を立てて熟睡している。陽菜がこれだけ騒いでいても、彼が目を覚ます気配は少しもない。「しーっ! 陽菜ちゃん、パパまだねんねしてるから、小さい声でお話ししようね。静かにリビングに行こう?」「パパ、ねんね? いっしょに遊ばないの?」「パパはお疲れなんだって。さあ、キッチンに行こうか」「……ん。わかった」 私は陽菜の口元に人差し指を立てて、足音を殺して寝室を出た。 この前の夜のことがある。陽菜も父親にそれ以上近寄ろうとせず、私と一緒に部屋を出た。 子供の純粋な元気ささえ、この家では夫の機嫌を損ねる起爆スイッチに聞こえる。 朝一番から神経を削るこの感じ。休日という言葉の定義を、もう一度辞書で引き直したくなった。 ◇  リビングのドアを開けると、そこには昨夜の「残骸」がそのままの姿で鎮座していた。 ソファの前のテーブルには、半分中身の残
last updateLast Updated : 2026-03-31
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15

 私はキッチンカウンターに置いてあった、スマートフォンを手に取った。 カメラを起動し、日付と時刻が表示されていることを確認する。 パシャリ。 乾いたシャッター音が、静まり返ったリビングに響いた。 ビールの缶、スナックの破片。ついでに丸まった靴下がスマホの画面に収まった。。 角度を変えて丁寧に、けれど心は極限まで冷静に。「はい、いい撮れ高。本日の1枚目、収穫完了」 これは、私が私のために残す『事実』だ。 記録しておかないと、いつかまた「私がもっと我慢すればいいだけなのかも」なんて、自分の感覚を疑ってしまいそうだから。(本当にひどい有り様だわ。今日だけじゃない、いつもこう) こうして写真で記録しておくことで、私はかろうじて、自分の心が壊れないように繋ぎ止めていられる気がした。 そう思えば、汚れた靴下を拾い上げる惨めさも、ほんの少しだけ和らぐような気がするから不思議だわ。 ◇  朝食の準備を終える頃には、午前8時近くになっていた。 陽菜は朝からやっている子供番組のテレビをつけて、熱心に踊っている。 とてもじゃないが、大人にはあんなエネルギーはない。大したものだとつい感心してしまった。「陽菜ちゃん、ごはんできたよ」「わーい!」 陽菜はくるっとテレビの前でターンして、食卓に駆け寄ってきた。「あっ! いちごのジャム!」 イチゴは陽菜の好物だ。果物のイチゴはもちろんのこと、ジャムやお菓子もイチゴ味の虜である。 陽菜にジャムたっぷりのトーストを食べさせた。 デザートはイチゴ味のヨーグルト。陽菜はヨーグルトを口の周りにつけながら、楽しそうに笑っている。「ママ、おいしいね!」「よかったね、陽菜ちゃん」 陽菜の笑顔は、この砂漠のような家の中で唯一のオアシスだ。 この子がいるから、私は頑張れる。「さて。和也が寝ているうちに、片付けちゃわないとね
last updateLast Updated : 2026-03-31
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16

「陽菜ちゃん、あんまり大きな声出すと、パパびっくりしちゃうからね」「パパ、びっくり? おばけ?」「ふふ、そうね。ある意味、おばけより怖いかもしれないわね」 冗談めかして言ったけれど、私の目は笑っていなかったと思う。  第二弾の洗濯物を干し終えて、時計を見るともう11時を回っていた。 最後は、リビングの掃除機かけだ。 ◇  家にホコリは容赦なく溜まる。  平日は時間がないから、コロコロとモップで誤魔化している。けれど、土曜日はしっかりと掃除機をかけたい。 散らかった陽菜のおもちゃと、片付けられていなかった和也の晩酌の残骸は、既にきれいにしてある。  あとは掃除機をかければ、土曜日の家事は一区切りだ。(午前中に終わらせられそうで、ラッキーだったわ) 私はクローゼットから掃除機を取り出した。スイッチオン。 ――ブォォォォォ……。 モーター音がリビングを満ちる。  陽菜はそれを見て、「ひなも、ブォォォンだよ!」と、おもちゃの掃除機を持って私の後ろを追いかけてきた。 最近のおもちゃの掃除機は、ちゃんとスティックタイプだったりする。  私が子供の頃はキャニスタータイプだった気がするのだが、時代は進歩するものだ。 2人で連なってリビングを練り歩く。陽菜の楽しそうな笑い声が、掃除機の音に重なった。    掃除機のノズルが廊下の突き当たり、主寝室のドアのすぐ外を通り過ぎた。  その瞬間。「……おいッ!」 ドアが乱暴に開いて、顔を歪ませた和也が姿を現した。  寝癖で髪を爆発させ、だらしないスウェット姿のまま、彼は私を射抜くような目で睨みつけた。 私はとっさに掃除機のスイッチを切った。  急激に訪れた静寂の中で、陽菜がビクッと肩を揺らし、持っていたおもちゃを床に落とした。カランと音が鳴る。   「……和也、起きたの?」「起きたの、じゃねえよ! 掃
last updateLast Updated : 2026-04-01
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17

「陽菜も、朝からバタバタさせるなよ。真由美が甘やかすから、図に乗って騒ぐんだろ。少しは静かにさせろ」 和也の矛先が陽菜に向いた。  陽菜は顔を引きつらせ、私の後ろに完全に隠れてしまった。 私は陽菜の小さな手を握り返し、自分でも驚くほど冷めた声で言った。「わかったわ。掃除機はもうやめる。……お昼ご飯、食べるでしょ?」「当たり前だろ! 腹減ってんだよ。早くしろよ。掃除なんていいから、飯だよ飯。お前、自分が主婦だって自覚、ちゃんとあんのか?」 和也は吐き捨てるように言うと、リビングのソファにドカッと座り込んだ。  挨拶も陽菜への声かけも一切しないまま、テーブルに置いてあったスマホを手に取り、慣れた手つきでゲームを始めた。 ◇  私は掃除機をクローゼットに戻し、無言でキッチンへ向かった。 以前の私なら、ここで涙を流していただろう。「私だって疲れてるのに」「陽菜を怒鳴らないでよ」と、言い返して激しい喧嘩になっていただろう。 けれど、今の私は違う。  私は冷蔵庫を開けるふりをして、キッチンの死角でスマホを取り出した。メモアプリを開く。『――3月14日(土) 11:45 正当な理由(家事・清掃)による音を「雑音」と断じ、威圧的な言動(怒鳴り声)で中断を強要。 娘(3歳)の通常の遊び声を「バタバタさせるな」と否定。恐怖を与える怒声あり。 一方的な食事の即時提供を要求。家事への無理解を「主婦の自覚」という言葉で正当化……』 文字にすればするほど、私の心は凪の状態に戻っていった。  和也が何を言おうと、どんな態度をとろうと、それは私にとって記録すべきデータの一つに過ぎない。  感情を殺してただ記録する。  それが、この不満だらけの日常を生き抜くために私が見つけた、唯一の武器だった。「……ママ、お手伝い、おわり?」 足元で、陽菜が不安そうに私を見上げている。  私はスマホをポケッ
last updateLast Updated : 2026-04-01
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18:お出かけ

 3月の土曜日の午後は、春の柔らかな日差しがたっぷりと注ぐ日になった。 お昼ご飯の片付けを終えたリビングには、春の気配が満ちている。 窓の外では、近所の子供たちがはしゃぐ声が風に乗って聞こえてくる。本来なら、家族で穏やかな午後の時間を過ごすのに最高のシチュエーションのはずだった。 けれど、この家の中を支配しているのは、窓の外の明るさとは無縁の、重苦しくよどんだ空気だけだった。「おんも! ママ、おんもいこ! おすべり、しゅーってするの!」 陽菜が、玄関の方を指差しながら私のスカートを力いっぱい引っ張る。 彼女はもう、自分でお気に入りのウサギの靴下を履こうと必死になっていた。 まだ上手く指が収まらないらしく、「んーっ、んーっ!」と声を上げながら、顔を真っ赤にして小さな踵を踏ん張っている。 無邪気で一生懸命な姿は、私の心を芯から温めてくれた。 陽菜は普段、保育園に預けられて寂しい思いをしている。 だから休日くらいは、親子で目一杯遊んであげたかった。  私は、視線をソファの方へ向けた。 そこには、昼食の残骸が散らかったテーブルを背に、スマホを操作し続ける和也の姿があった。 ピコピコ、ピコピコと、電子音が途切れることなくリビングに響いている。 彼は陽菜の呼びかけにも、私が食器を洗う音にも、一度も反応を示さなかった。 ……試してみよう。  彼に対して抱いていた「期待」はすべて捨てたと決めた。 けれど、それでも心のどこかに、わずかな、本当にわずかな希望の火種が残っているのかもしれない。 私は努めて、穏やかな声を絞り出した。「ねえ、和也さん。たまには一緒に公園に行かない? 陽菜、さっきからパパを誘いたそうにしてるよ。今日は暖かくて気持ちいいわよ」 和也の指が、一瞬だけ止まった。 でも彼は画面から目を離すことすらなく、鼻で笑うような声で即答した。「は? なんで休みの日にわざわざ疲れることしなきゃならないんだよ。俺は家でゆっく
last updateLast Updated : 2026-04-02
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「……そう。わかったわ。陽菜、パパはお疲れなんだって。ママと2人で行こうね」 陽菜は少しだけ寂しそうな顔をして、和也の背中を見つめた。 けれど、すぐに「ママ! おすべり!」と笑顔を作った。(この子はもう、父親の拒絶に慣れ始めているのかもしれない) そのことが、私の胸を刺すように痛めた。 私が陽菜を抱き上げて、玄関に向かおうとした時。「あ、おい。真由美」 和也がソファから顔も上げずに、不躾な声を投げた。「帰りがけにビール買ってきて。もうストックないから。ケースで頼むわ」 私は、陽菜を抱えたまま立ち止まった。 「ケースで? ……24缶入りのよね? かなり重いから車出すね。鍵どこ?」 当然の確認だった。 陽菜の着替えや水筒、おむつが入った重いバッグを既に肩にかけている。その状態でビールケースを抱えて歩くなんて、修行以外の何物でもない。 駐車場には、私たちが共有の名義で買った車がある。名義は共有だが、お金は私がほとんどすべてを出した。  ところが和也はソファからむっくりと起き上がると、リビングの棚に置いてあったキーを、ひったくるような動作で手に取った。「車は俺が使う。今日は大学の友達と会ってくるから」 耳を疑った。 「大学の友達? そんな予定、聞いてないけど?」 問い詰めると、和也の顔が一瞬で険しくなった。 彼は私を威圧するように一歩踏み出す。狭い玄関近くで声を荒らげた。「うるさいな! 予定を全部お前に言わなきゃ駄目なのかよ。俺にだって付き合いがあるんだよ!」 何だろう? 私は少しの違和感を覚えた。 和也はいつだって勝手だけれど、今日は妙に苛立っているように見える。「でも、ビールはケースで買ってきてって言ったのは和也さんじゃない。車がないと……」「とにかくお前は歩いていけよ! 近所のスーパーだろ。それくら
last updateLast Updated : 2026-04-02
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20

 喉まで出かかった言葉を、私は無理やり飲み込んだ。 不自然だ。あまりにも用意周到すぎる。 和也は元来、そこまでおしゃれに気を使う人間ではない。 普段の部屋着は着古したスウェットだし、近くのスーパーやコンビニくらいならそのまま出かけてしまう。 さすがに仕事着はちゃんとしたスーツを着るが……大学時代の友人と会うのに、あんなに身だしなみを整えるだろうか? 胸の奥に、違和感が確実な疑念となって広がっていくのを感じた。 だが、今の私には真実を突き止める気力も、確信を持てるだけの証拠もない。 ただ「嘘をついている」という確信だけが、私の心に刻まれた。「ママー、まだぁ?」「うん、今行くよ」 私は玄関の外で陽菜の靴を履かせ、自分もスニーカーの紐を締め直した。 和也が車に乗り込むまでの、わずかな数分間。 私はスマートフォンを取り出し、忘れないうちにメモアプリを開いた。 感情を込めてはいけない。ただの事実として、指先で画面を叩く。---3/14(土)14:10・公園に誘ったけど「疲れる」と拒否される。・なのに自分は動かず、ビール(ケース)買ってこいと一方的に言われる。・車使おうとしたら鍵奪われた。大学の友達と会う?聞いてない。・「歩け」と怒鳴られた。・急に着替えて香水。念入りに身だしなみ。怪しすぎる。--- 保存ボタンを押し、画面を閉じる。 背後で、ガレージから車が出ていく音がした。 和也の運転する車が、私たちを追い越していく。 彼は窓を開けて手を振ることも、陽菜に「いってきます」と言うこともなく、軽快なエンジン音を響かせて角を曲がっていった。 残されたのは、排気ガスの匂いと、静かな住宅街の空気だけ。「ママ? パパ、いっちゃった?」「そうね。2人で行こうか、陽菜ちゃん」 私は陽菜の小さくて温かい手を握りしめた。 期待を1つ捨
last updateLast Updated : 2026-04-03
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