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All Chapters of 100日後に離婚する嫁: Chapter 51 - Chapter 60

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51:悪ガキ再び

 4月に入ったばかりの土曜日、午前10時。 雲1つないよく晴れた休日の朝だった。 リビングの大きな窓からは明るい日差しが差し込み、磨き上げられたフローリングを四角く照らしている。「ママ、みてー! たかーい!」「わあ、すごいね。陽菜ちゃん、上手に積めたね。一番上に赤いブロックを乗せてみる?」「うん!」 私はプレイマットの上に座り、3歳になる娘の陽菜と一緒にブロックを積んで遊んでいた。 陽菜は小さな両手で一生懸命に赤いブロックを掴み、背伸びをするようにしてタワーの一番上にそっと乗せる。 無事にブロックが乗ると、彼女はぱあっと花が咲いたような笑顔を見せ、短い手を叩いて喜んだ。 その愛らしい様子に目を細めながら、私は手元にあるスマートフォンへと視線を落とした。 画面には、インターネットのブラウザアプリが開かれたままになっている。 検索履歴に並んでいるのは、「共有財産の分割」「ペアローン 解消方法 揉める」「モラハラ 証拠の集め方 録音」といった言葉の数々だ。 あの醤油まみれの皿が割れ、黒い塩の雨が降った食卓の夜。 あの日を境に、私の頭の中は自分でも恐ろしいほどクリアになっていた。 彼らを理解しよう、理解してもらおうという甘い期待を完全に捨て去ったことで、思考のピントがぴたりと合ったのだ。 今の私にとって、和也は生涯を共にするパートナーではない。 いずれ法的な手続きを経て決別し、慰謝料と財産をきっちり回収すべき「相手方」でしかなかった。「……ふう」 息を吐き出しながら、ブラウザのタブを切り替える。 休日の朝だというのに、夫である和也はまだ2階の寝室から降りてこない。 平日は「仕事で疲れている」と文句を言い、休日は「せっかくの休みなんだから寝かせろ」と昼近くまでベッドにへばりついているのが彼の日常だった。 私は天井を見上げて、冷ややかな視線を送る。 今日も順調に、育児放棄という名の証拠を積み上げているわね。 そう心の中でつ
last updateLast Updated : 2026-04-22
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 休日の午前中に訪ねてくるような宅配便の予定はない。 嫌な予感がしてリビングの壁にあるモニターを確認すると、画面いっぱいに派手な柄の服が映り込んでいた。 カメラから少し顔を離したその人物を見て、私は深いため息を飲み込む。 そこに立っていたのは、義姉の晶子さんだった。 彼女の足元では、小学校低学年の甥っ子2人、あの悪童兄弟が落ち着きなくぴょんぴょんと飛び跳ねている。「ママ、だれかきたの?」「うん、ちょっと玄関に行ってくるから、陽菜ちゃんはここでブロックで遊んでてね」 陽菜に声をかけて、私は玄関へと向かった。 2階からは和也が起きてくる気配すらしない。チャイムの音が聞こえていないはずはないのに、完全に無視を決め込んでいるようだ。 ドアノブに手をかけ、ゆっくりと扉を開ける。「おはよー! 真由美さん!」 ドアの隙間から、強烈な甘ったるい香水の匂いが漂ってくる。 まったくもって朝の爽やかな空気にふさわしくない匂いだった。 晶子さんは、朝の閑静な住宅街に不釣り合いな出で立ちをしていた。 胸元にギラギラとしたスパンコールがあしらわれた黒いトップスを着て、ブランド物のロゴが大きく入った小さなショルダーバッグを肩から斜めにかけている。 とても子供を連れて公園に遊びに行くような服装ではない。「おはようございます、晶子さん。朝早くからどうされたんですか?」 私が尋ねる間も惜しむように、晶子さんは2人の息子たちの背中をドンッと押し出した。「ほら、あんたたち、さっさと入りなさい!」 突き飛ばされるようにして、泥だらけの靴を履いた甥っ子たちが我が家の玄関の土間に乱入してくる。「ちょっと、晶子さん! 急に困ります」「ごめんねー! 今日、駅前のパチンコ屋で新台入れ替えの日なのよ! どうしても朝イチから並んで整理券取らなきゃいけないから、夕方までこの子たちお願いね!」 晶子さんは早口で一方的に言い放った。 パチンコ屋。 つまり自分のギャンブル遊びの
last updateLast Updated : 2026-04-23
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 残されたのは、玄関で靴を脱ぎ散らかしている2人の悪ガキだけだ。「ヒャッホー! あそぼうぜー!」「ゲーム! かずやおじさんのゲームやるー!」 甥っ子たちは私の存在など眼中にないかのように、靴下姿のままリビングへと雪崩れ込んでいく。「こら、勝手に走らないの!」 私が慌てて後を追ってリビングに戻ると、すでに悲惨な光景が広がっていた。 甥っ子の1人が、陽菜がさきほどまで遊んでいたブロックのタワーを蹴り飛ばして崩している。 もう1人はテレビの棚を勝手に漁り、和也のゲーム機を引っ張り出そうとしていた。「あっ……! だめー! ひなのブロック!」 陽菜が声を上げてブロックをかばう。 私は急いで陽菜のそばに駆け寄り、その小さな体を抱き寄せた。 悪ガキどもは手加減を知らない。小さい陽菜が突き飛ばされでもしたら大変だ。「おいおい、朝からなんだよ。すげえうるさいな」 階段の方から、間延びした声が降ってきた。 和也だ。 パジャマ代わりのスウェットの上下というだらしない格好で、目をこすりながらのろのろと階段を降りてくる。 髪には寝癖がつき、大きなあくびをしながらリビングの惨状を見渡した。「和也。晶子さんが、パチンコに行くからって子供たちを置いていったのよ。私1人じゃ見きれないわ。注意してちょうだい」 私は彼に現状を伝える。父親として叔父としての対応を求めた。 しかし、和也の口から出たのは信じられない言葉だった。「あー、姉ちゃん新台打ちに行ったのか。あそこのパチ屋、今日からイベントだもんな。抜け目ないねえ」 和也は呑気に笑うと、テレビの前で暴れる甥っ子たちを見て肩をすくめた。「まあ、いいじゃん。子供は元気が一番だろ。お前もそんなにカリカリすんなよ」「カリカリするなって……。勝手に上がり込まれて、陽菜の遊び場もめちゃくちゃにされてるのよ?」「子供同士なんだから一緒に遊ばせとけば
last updateLast Updated : 2026-04-24
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54:破壊空間

 和也が「眠いから」という身勝手な理由で2階の寝室に引きこもってから、わずか数分後のことだった。 主を失ったリビングの空気は、完全に2人の悪童によって支配されていた。「いぇーい! この床、すげー滑る!」「競争しようぜ!」 彼らは泥遊びをした後のような薄汚れた靴下のまま、私が毎週末に水拭きをして磨き上げているフローリングの上を、スケートリンクのように滑り回っている。(そりゃ滑るわよ! 私が毎週、しっかり磨いてるんだから!) 私の心のツッコミなど、悪ガキどもに通じるはずもない。 部屋の隅に綺麗に整頓して置いてあった陽菜のおもちゃ箱は、あっという間にひっくり返された。 色とりどりの木製パズルやプラスチックのブロックが、床一面に散乱する。 彼らが無遠慮に踏みつけるたびに、ガチャガチャと耳障りな音を立てて床板に小さな傷をつけていく。「おい、これつまんねーな。赤ちゃんの遊びじゃんか」「もっとおもしろいもんないの?」 小学校低学年の兄の方が、足元に転がっていたブロックを乱暴に蹴り飛ばした。不満げに鼻を鳴らしている。 がしゃん。 ブロックは壁に当たって跳ね返り、陽菜がビクッと肩をすくめる。「おっ! あれ、おもしろそう!」 彼らは部屋の真ん中にどっしりと置かれた、3人掛けの大きなソファへと狙いを定めた。 兄が座面に飛び乗り、続いて弟もよじ登る。 2人はそのままソファの背もたれの上に立ち上がり、グラグラとバランスを取りながら壁に手をついた。 彼らの視線の先にあるのは、私がこの家を建てる時に何日もカタログをめくって選んだ、淡いベージュ色の壁紙だった。 光の当たり具合で微かに植物の模様が浮き出る、落ち着いたデザインのクロスだ。 私はこの壁紙がとても気に入っている。 シンプルな白い壁紙に比べると割高だったが、大事なマイホームのリビングのためだ。 少しばかり頑張って、この壁紙を選んだ。 私の独身時代の貯金である頭金500万円と、毎月私の口座から引き落
last updateLast Updated : 2026-04-25
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「ばぁばとママが、この家では何をして遊んでもいいって言ってたもん!」「そうだよ。真由美おばちゃんは僕らの言うことを聞く係なんだぞ!」(はぁ!?) 私の注意に対する返答は、あまりにもあまりなものだった。 義母と義姉が裏で孫たちにどんな教育を施しているのか。 私という存在をどのように見下し、それを子供たちに刷り込んでいるのか。 この短い言葉の中にすべての答えが詰まっていた。 自分勝手な特権意識を植え付けられた子供たちに、私の制止など通用するはずがなかった。 ビリッ。 ビリビリビリッ。 乾いた音を立てて、淡いベージュの壁紙が縦に長く剥がれ落ちていく。 彼らが腕を引くたびに、下地になっている真っ白な石膏ボードが無惨な姿を晒した。 剥がれた壁紙の残骸が、ひらひらと床に落ちていく。 私のお気に入りの壁紙が。 まだ新築3年目の、ちょっとお高い壁紙が!「やめなさいと言っているでしょ! 人の家のものを壊したら泥棒と同じよ!」 私は彼らを制止するべく、ソファに近づいた。 彼らは「うるせーな!」と笑い声を上げながら、さらに別の箇所の壁紙を剥がし続けている。 兄の方を捕まえて止めようとしたが、そうすると弟の方がこれみよがしに壁紙の破片を投げつけてくる。 弟を制止しようとすれば、今度は兄が私の足にタックルを仕掛けてきた。 小学校低学年とはいえ、元気いっぱいの悪ガキはそれなりに力がある。 私が思わずよろけると、兄弟はゲラゲラ笑った。「真由美おばちゃん、だっせー!」(この……!!) 悪ガキどもの蛮行もさることながら、私にはもう1つ許せないことがあった。 これだけリビングで騒ぎが起きていて、私が注意する声も響いている。 だというのに、2階からは何の音も聞こえてこない。 家長である和也は、一度も様子を見に来ようとしないのだ。 自分の甥っ子がこの家の財産を破壊していることにも
last updateLast Updated : 2026-04-26
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 その時、兄の方が床の隅に落ちていた1つのぬいぐるみに目を留めた。 陽菜が1歳の誕生日の時に私の両親からプレゼントされた、ピンク色のウサギのぬいぐるみだ。 陽菜はウサギをとても気に入っていて、毎晩寝る時に必ず大切に抱きしめている。 手触りの良い起毛素材で作られており、長い耳と丸い尻尾がついている。「なんだこれ、すげーダサいウサギ」 兄がウサギの片耳を無造作に掴み、逆さ吊りのような状態で宙に持ち上げた。「あっ……!」 私の足元に隠れていた陽菜が、小さな声を上げた。「おれにも貸せよ!」 弟が手を伸ばし、ウサギのもう片方の耳を力任せに掴む。「だめだよ、おれが見つけたんだから。お前はあっちのブロックでもやってろよ」「嫌だ、おれもそれで遊ぶ! 貸せよ!」 2人は向かい合うと、ウサギの耳をそれぞれの方向に思い切り引っ張り始めた。 相手から奪い取るために、力いっぱい引っ張っている。「どっちが強いか、引っ張りっこしようぜ!」 兄が新しいゲームのルールを提案するように叫んだ。 いい思いつきだ、と言わんばかりの笑顔で。 2人の容赦ない力が加わり、ウサギの小さな体が左右にピーンと張り詰める。 ブチッ。 ブチブチブチッ。 縫い目の糸が限界を迎え、嫌な音がリビングに響いた。 ウサギの首の付け根あたりが不自然に長く伸びる。 中に入っている白い綿が隙間から見え隠れし始める。 このまま引っ張り続ければ、耳が根元から完全に千切れてしまうのは誰の目にも明らかだった。 その時。 ずっと私の足元で怯えていた陽菜が、たまらず前に飛び出した。 自分の大切な宝物が、目の前で無惨に引き裂かれそうになっているのだ。 3歳の小さな子には、乱暴な小学生の男の子に対する恐怖よりも、大切なぬいぐるみを助けたいという必死な思いが勝ったのだろう。「だめ! かえして! ひなのうさぎさん!」
last updateLast Updated : 2026-04-27
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「あっ……!」 体格差と力の差は歴然としていた。「陽菜ちゃん!」 私は思わず叫ぶ。 突き飛ばされた陽菜の体は、後ろへ吹き飛んだ。 私は受け止めようと走ったけれど、間に合わない。 バランスを崩して、背中からフローリングの床に叩きつけられる。 ゴツンという鈍い音がした。 一瞬の沈黙。「痛いっ……うわぁぁぁぁん!」 恐怖と痛みで火がついたように、陽菜が泣き叫び始めた。 顔を真っ赤にして、手足をバタバタと動かしながら、床に寝転がったまま大きな声で泣き続ける。 その瞬間、私の中から証拠集めも何もかも吹き飛んだ。 彼らが他人の家の壁紙を破ろうが、おもちゃを壊そうが、それは後で晶子さんや義母に弁償させれば済む話だ。 いざとなれば証拠の映像を使って、徹底的に追い詰めることができる。 けれど娘への直接的な暴力だけは、絶対に許せない。 母親として、これを見過ごして録画を続けることなどできるはずがなかった。 私は床に倒れ込んだ陽菜の元へ駆け寄った。「陽菜ちゃん! 大丈夫!? どこ打ったの?」 床にひざまずき、泣き叫ぶ陽菜の体をそっと抱き起こす。(頭は打っていないはずだけれど!) そっと頭を触り、痛がったりたんこぶになったりしていないか確認する。 背中や腕の骨に異常はないか、素早く両手で触れて確認していく。 幸い血は出ていないし、骨折などの大怪我もないようだ。 しかし突き飛ばされた時の恐怖と、背中を強く打った痛みが彼女を完全なパニックに陥らせていた。 私は陽菜の頭を胸に抱き込み、「大丈夫よ、ママがいるからね。痛かったね」と何度も何度も耳元で言い続けた。 私が必死に娘をなだめている間も、2人の悪童からは謝罪の言葉1つ聞こえてこない。「あーあ、お前が突き飛ばすから泣かしたー」「違うよ、こいつが勝手に転んだんだろ。おれのせ
last updateLast Updated : 2026-04-28
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58:さらなる訪問者

 私は2人の悪ガキの前に立ち塞がった。 私の背後では陽菜が泣きじゃくっている。 悪ガキどもは自分たちが小さな女の子を突き飛ばしたという事実を前にしても、まったく悪びれる様子がない。 それどころか、泣き声を上げる陽菜を見下ろしてニヤニヤと薄ら笑いを浮かべている。「今すぐ陽菜に謝りなさい。それから、そのウサギのぬいぐるみも床に置きなさい」 私は一切の妥協を許さない、低く冷たい声で要求した。 私の普段とは違う気迫に押されたのか、2人の甥っ子は一瞬だけ顔を見合わせた。 けれど彼らはすぐにまたヘラヘラとした生意気な態度に戻ってしまった。「なんでおれたちが謝るんだよ! こいつが勝手に転んだだけじゃんか!」 兄の方が、あごを突き出して反抗的な言葉を投げつけてくる。 まだ小さいのに、意地悪な表情は義母そっくりだ。「そうだ、そうだ! 知らないもんね!」 弟の方も言い募る。 こちらは晶子さんそっくりの無責任さだった。「嘘をつかないの。あなたが手でドンと突き飛ばしたのを、私ははっきりと見ていたわ。それに、ローテーブルの上のスマートフォンにも全部録画されているのよ」 私がカメラのレンズを指差すと、彼らは一瞬だけテーブルの方へ視線を向けた。 赤いランプが点滅し、今この瞬間も彼らの顔を記録し続けている。 普通ならここで少しは怯むはずだ。 しかい彼らの口から飛び出したのは、私の予想を遥かに超える信じられない暴言だった。「ふん、別にいいもんね! ばぁばが言ってたもん!」 兄の方が、勝ち誇ったような顔で叫んだ。「この家は和也おじちゃんのお金で買った家だから、真由美おばちゃんは偉くないんだって! おれらの言うことを聞くお世話係なんだから、おれらが何をしたって怒る権利はないんだもんね!」 弟もそれに同調して声を張り上げる。「そうだよ! お世話係のくせに偉そうにするな! 和也おじちゃんに、養ってもらってるくせに!」 その言葉を聞いた瞬間、私の頭の奥で何か
last updateLast Updated : 2026-04-29
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(言葉が通じる相手じゃない。こいつらは、話の通じない侵入者) 子供だからといって手加減するべきではない。 他人の家を破壊し、小さな子供に暴力を振るい、反省の色すら見せない。 これ以上私が口頭で注意したところで、彼らは義母の言葉を盾にして反抗を続けるだけだ。(いっそ、このまま警察に通報しようか) 不法侵入ではないにしても、器物破損と暴行の事実はある。 警察官をこの家に招き入れ、彼らを補導してもらう。 年齢的に補導が難しくとも、親には責任を取らせる。 親である晶子さんをパチンコ屋から呼び出し、義母にも連絡を入れる。 それが一番確実で、彼らに現実を突きつける方法かもしれない。 私がスマホに向かって足を踏み出そうとした、その瞬間だった。 ――ピンポーン。 突然、玄関のチャイムが鳴り響いた。 甥っ子たちの騒ぎ声と、陽菜の泣き声が入り混じるリビングに、別世界からの合図のようにその音が響き渡る。 私は足を止めて、背後を振り返った。 陽菜はまだ床に座り込み、顔を涙と鼻水でぐしゃぐしゃにして泣きじゃくっている。 よっぽどチャイムは無視しようかと思った。 でも意外に早く晶子さんが戻ってきたのかもしれない。 だったらこの惨状を見せつけて、責任を取らせるチャンスだ。 では、こんな危険な無法地帯のリビングに、1秒たりとも娘を置いて玄関へ向かうわけにはいかない。 私はすぐに床にしゃがみこみ、陽菜の体を両腕でしっかりと抱き上げた。「大丈夫よ、陽菜。ママと一緒に行こうね」 陽菜の小さな体は恐怖でこわばっていた。 彼女は私の首に小さい腕を回して、シャツの襟元に顔を押し付けてしゃくり上げている。 娘の確かな重みと、高い体温が伝わってくる。 私は陽菜の背中を片手でしっかりと支えながら、壁に取り付けられたインターホンのモニターを確認した。 警察を呼ぶ前に、誰が来たのだろうか。 画面に映っていたのは、パチンコ屋に行ったは
last updateLast Updated : 2026-04-30
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 彼女の視線が、私の腕の中で泣きじゃくっている陽菜の顔に止まったのだ。 陽菜の目は真っ赤に腫れ上がり、ヒック、ヒックとしゃくり上げている。 さらに玄関の奥にあるリビングからは、男の子たちのドタバタと走り回る足音がする。「それよこせよ!」「やだね!」という大きな叫び声が筒抜けになって聞こえてきていた。 玄関では、悪ガキ兄弟が脱ぎ散らかした靴が転がっている。 泥だらけの靴下で上がり込んだせいで、廊下は点々と汚れがついていた。 香奈さんの顔から、柔らかな笑顔がスッと消え去った。 代わりに、知的な両目が鋭く細められる。「……お義姉さん。陽菜ちゃん、どうしてこんなに泣いているんですか。それに、奥で騒いでいるのは晶子お姉ちゃんのところの子供たちですよね」 香奈さんは事態の異常性を即座に察知したようだった。 声のトーンが一段階低くなり、相手を問い詰めるような響きを帯びる。 私は硬い表情のまま頷いた。「ええ。晶子さんがパチンコに行くからって、朝から突然子供たちを置いていったんです。あの子たち、リビングで暴れ回って、陽菜を突き飛ばして……」「突き飛ばした?」 香奈さんの眉がピクリと動いた。 彼女は「お邪魔します」と短い言葉を残すと、手早くパンプスを脱いで玄関を上がった。 手提げの紙袋を靴箱の上に置き、私の横を通り抜けて、迷いのない足取りでリビングへと足を踏み入れる。 私も陽菜を抱いたまま、香奈のすぐ後ろについてリビングへ戻った。 香奈さんはリビングの入り口で立ち止まり、部屋全体を見回した。 その視線は、まるで現場検証を行う捜査官のように冷たいものだった。 私も改めて部屋を見る。 床には、色とりどりのおもちゃが散乱している。 2人の甥っ子たちは今、ソファの上で跳ねながらクッションを投げ合っている。 彼らの足元には、首が不自然に伸び切ったウサギのぬいぐるみが転がっていた。 そして何より
last updateLast Updated : 2026-05-01
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