Lahat ng Kabanata ng 雪が降り、君はもういない: Kabanata 1 - Kabanata 10

32 Kabanata

第1話

天才経営者と称される白橋優弥(しらはし ゆうや)は生まれつき身体が弱かった。少し歩けば息が上がり、走ると咳き込み、一時間でも薬を切らせば喀血して倒れてしまう――そんな体だった。それでも、海川市界隈の名家において、誰一人として彼を軽んじる者はいない。理由は簡単だ。優弥のそばには、常に私、上杉美琴(うえすぎ みこと)がいたからだ。私は――彼のために働く、最も鋭い剣。十七歳のとき、私はまだ九歳だった優弥を連れて敵の追跡をかいくぐり、命からがら逃げ延びた。二十三歳になる頃には、彼の地位を脅かす相手をすべて排除し、二十八歳では、白橋家のために数百億規模の案件を獲得して、没落しかけていた家を再び名門の頂点へ押し上げた。気がつけば十一年、私はずっと彼のそばにいた。幼い頃からの、唯一の友人として。彼の身代わりになって三発の銃弾から守ってあげた恩人として。そして――彼の欲望が暴走しそうになった時の、捌け口として。周囲の人間には、私たちが闇の中で絡み合うイバラのようだと言われてきた。いつ婚約が発表されても不思議ではない――そう思われていた。あの女、斉藤ひより(さいとう ひより)が現れるまでは。彼女は秘書として優弥の前に現れ、彼を外の世界へ連れ出した。夜の街を走り抜けるドライブも、バンジージャンプも、一万メートル上空からのスカイダイビングも、雪山でのスキーも――それまで優弥が一度も経験したことのなかった刺激を、次々と彼に教えていった。私は最初、それを深く気にしていなかった。長いあいだ狭い世界に閉じこもっていた彼の遊びたい気持ちが、くすぐられていただけなのだろうと思っていたからだ。けれど――優弥とひよりが海で溺れたというニュースが速報に上がり、私は救助のため現場へ向かった。そしてそこで、信じられない光景を見ることになる。異性との接触を極端に嫌っていたはずの優弥が、岸辺で目を真っ赤にしながら、何度も何度もひよりに人工呼吸を続けていたのだ。私は思わず、自分の手元を見下ろした。十一年という長い年月の中で、私は一度も、彼の手に触れたことがない。思わず、乾いた笑いがこぼれた。――そうか。彼は身体的接触が嫌いだったわけじゃない。血にまみれた私の手に、触れたくなかっただけなんだ。……気づけば、優弥の人工呼吸に助け
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第2話

優弥だったのだ。その声に、私は思わず動きを止めた。どうして優弥がここに?けれど考える暇はなかった。振り返りながら、私は思わず声を張り上げる。「優弥様、兄さんはもう息が――!」しかし優弥は、表情一つ変えずに言葉を続けた。「動くなと言ったはずだ。俺の命令に背くつもりか?」私は兄のほうを見る。酸欠で唇はすでに紫色に変わりかけていた。身体が、考えるより先に動く。「申し訳ありません、優弥様。今回の命令には……従えません」男を蹴り飛ばし、そのまま兄のもとへ駆け寄って呼吸を整えさせる。その瞬間――病室の空気が一気に張り詰めた。優弥の表情が、さらに暗く沈む。「……いい度胸だな、美琴。やはり兄妹そろって、裏で手を組んでいたというわけか」意味がわからず、私は思わず振り返る。「優弥様……何を仰っているんですか?」優弥は冷たく笑い、果物の入ったバスケットを床に放り投げる。「ひよりがサーフィン中に海水を飲んで、苦しそうにしてたから、念のため病院に連れて来た。だが回復しかけたところで、突然激しく嘔吐して、そのまま意識を失った。その直前に病室を訪ねてきたのは――君の兄だ」私は息を呑む。優弥の声がさらに低くなる。「君が嫉妬心に駆られ、兄に毒を盛らせたんじゃないのか?美琴、今すぐ解毒剤を出せ」その言葉を聞いた瞬間、兄がふらつく身体で私の前に立ち、はっきりとした声で言った。「白橋社長、命にかけて誓います。私は毒など入れていません。斉藤さんがあなたのご友人だと聞いたから、見舞いに果物を持って行っただけです。この件は妹とも無関係です。どうか誤解を解いてください」兄の性格は、誰より私が知っている。子どもの頃、自分が空腹で苦しんでも、道端の物乞いに食べ物を分け与えるような人だった。報復を受け、視力を失い、デザイナーになる夢まで奪われた今でも、誰かを恨む言葉を一度も口にしなかった。そんな人が、理由もなく誰かに毒を盛るはずがない。けれど優弥は、ただ薄く笑っただけだった。「つまり、俺の勘違いだと?」そう言って彼はポケットから、小さな銀の鈴を取り出して、軽く振った。「ちりん」と、その音が響いた瞬間、私の腹の奥に激痛が走った。まるで無数の蟻が内側から血肉を噛み裂いていくような痛み。思わず悲鳴が漏れ、膝
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第3話

その場の空気が、一瞬で変わった。真相が明らかになり、私は腹を引き裂かれるような痛みに耐えながら、大きく息を吐いた。――よかった。けれど次の瞬間、背後で兄の身体が大きく震え、黒い血が吐き出される。「兄さん?」慌てて彼を抱き起こした私は、その異変に気づいて凍りついた。兄の体内にも――毒虫がいるのだ。私は優弥に振り向く。「優弥様……もう誤解は解けたはずです。どうして兄にまでこんなことを?」しかし優弥は、ただ鼻で笑った。「命は許してあげてもいいが、罰はきちんと受けてもらう。余計な物を持って行かなければ、ひよりがあんな目に遭うこともなかった。今回は、その罰として、体内の毒虫の一部を刺激しただけだ」私は言葉を失った。目の前にいる優弥が、まるで知らない人のように見える。七年前、私は彼のために、一人で敵対一族の屋敷へ乗り込み、彼らを皆殺しにした。その夜から私は「血染めの薔薇」と呼ばれるようになった。残党は復讐として放課後の兄をさらい、硫酸で両目を焼いた。兄はそのときさえも、優弥を一度も責めなかった。むしろ優弥の肩に手を置いて、「あなたのせいじゃない、自分を責めなくていい」と慰めていた。なのに今――優弥は、知り合って三ヶ月もないひよりのために、兄を苦しめている。胸の奥で何かが切れた。気づけば私は、もう主従関係などを忘れて叫んでいた。「何も見えない兄が、悪意を持って斉藤さんを傷つけるはずがないでしょう?仮に果物かごにマンゴーが入っていたとしても、兄は見えません。でも、斉藤さんは見えるでしょう?自分が何にアレルギーがあるかくらい分かっていたはずです!」優弥の表情が一瞬だけ止まった。けれど次の瞬間、空気がさらに冷えた。「美琴、最近ずいぶんと言うようになったな。自分の立場を忘れてないか?白橋家の当主はこの俺だ。そして君は、俺が飼っている犬に過ぎない。君に、俺の判断に口出しする資格はないのだ」それだけ言うと、優弥は振り返ることもなく病室を出ていった。――私は、彼が飼っている犬に過ぎない。その言葉が胸の奥に落ち、私は思わず苦笑いした。七年前、三発の銃弾を彼の代わりに受け、手術室で意識が途切れかけていたとき、優弥は泣きながら言った。「美琴、死なないでくれ……頼む……君だけが頼りなんだ。君がいなくなったら
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第4話

病室の中で、かつて異性との接触を極端なまでに嫌っていたはずの優弥が、口に含んだ液剤を、そのまま唇を重ねる形でひよりへ少しずつ飲ませていた。それはもう、上司が部下を気遣うという範囲を明らかに越えていた。次の瞬間、優弥が私に気づき、視線が一気に冷えた。「美琴、何をしに来た。またひよりに何かするつもりか?」胸の奥が締めつけられる。けれど私はその場で膝をついた。「優弥様……先ほど、失礼なことを言って申し訳ございませんでした」床に額が触れる。「どうか……兄を助けてください」もう一度、床に額を打ちつける。「お願いします……」鈍い音が響く中、優弥は何も言わなかった。やがて、ベッドに座っているひよりが、わざとらしく小さく息をついた。「優弥さん、もういいんじゃないですか?私はもう平気ですし、上杉さんだって長い間優弥さんを守ってきた人なんでしょ?これまで尽くしてくれたことに免じて、お兄さんのこと、許してあげましょ?」その言葉に、優弥は優しくひよりの額を指先で弾いた。「君は本当に甘いな。人を疑うことを覚えないと損をするぞ」そう言ってから、懐から鈴を取り出して軽く振ると、冷たい目で私を見た。「今回だけだ。もしも次があったら……どうなるか君ならわかるはずだ」それだけ言うと、優弥は果物を洗いに、隣の部屋に入った。その背中が消えた瞬間、ひよりが私に向かって笑う。「あんた、白橋家で一番鋭い剣なのに、ずいぶんと落ちぶれたものね。お兄さんって、そんなに大事?目が見えなくなっても平気だったって聞いたけど――もし鼓膜まで潰されたら、どうなると思う?」その言葉を聞いた瞬間、頭の中が真っ白になった。気づけば私は立ち上がり、ひよりの胸元を掴んでいた。「斉藤さん、兄に指一本でも触れてみなさい。あなたの両手を斬り落とし、兄を狙ったことを一生後悔させてやります」けれどひよりは、少しも怯えなかった。むしろ楽しそうに笑う。「あら、脅してるつもり?」次の瞬間――彼女はベッド脇のマグカップを掴み、中の熱い湯を自分の足へ浴びせた。「っ……!足が……!」その声が聞こえた優弥がすぐ戻ってきた。「ひより!どうした?火傷か?」ひよりは顔を歪めながらも、なお私を庇うような声を出した。「優弥さん……私は大丈夫だから、上杉さんのこ
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第5話

悩んでいる暇がなく、私はすぐに立ち上がり、白橋家の本邸へ向かった。やがて雨の向こうに、見慣れた大きな屋敷の輪郭が浮かび上がる。この家に来たばかりの頃、私と兄は歓迎されていたわけではなかった。むしろ使用人の中には、面と向かって私たちを「厄介者」と呼ぶ者さえいた。ある日、兄のたった一つのおもちゃをある使用人の息子に奪われ、そのまま井戸へ投げ捨てられたことがある。私は抗議したが、息ができなくなるほど胸を蹴られていた。――寄る辺のない子供なんて、所詮こんなものだ。あの頃の私は、本気でそう思っていた。けれど、そこへ優弥が駆け込んできてくれた。まだ幼く、綺麗な洋服を身に纏っている彼は、小さな獣みたいな勢いで飛び込んできた。その少年を蹴り倒すと、馬乗りになって、鼻血が飛び散るほど容赦なく殴りつけた。その後、優弥は私に手を差し伸べ、真っ直ぐな瞳で私を見ながら言った。「お姉ちゃん、誰かにいじめられたら、ちゃんとやり返すんだよ。君は白橋家の人間。君に手を出すってことは、俺に喧嘩売るのと同じだ」あの瞬間、胸の奥に沈んでいた劣等感も、不安も、全部吹き飛んだ。あの子は――私を救ってくれた。だから私は決めた。彼のために強くなると。格闘も射撃も、戦うために必要なものは全部覚えた。いつか必ず、彼の剣になって、邪魔者をすべて排除できるように。あの頃の優弥は、異性を嫌ってなどいなかった。変わったのは、九歳のあの事件からだった。突然の事故で優弥は両親を失い、祖父の康二も衝撃のあまり倒れて昏睡状態に陥った。家は混乱し、敵が一斉に押し寄せた。その混乱の中、白橋家に恨みを持つ投資家の一人が優弥を誘拐し、売り飛ばそうとしていた。私が駆けつけたとき、優弥はベッドに縛りつけられ、年老いた女性が服を脱ぎながら笑って彼に近づいていた。私は迷わず刃を振るった。混乱の隙に優弥を連れ出し、どうにか救い出した。体に傷ひとつなかった彼だったが、心に深い傷が残った。それ以来、優弥は女性との接触を極端に嫌うようになった。私でさえ例外ではない。……気がつくと、タクシーは本邸の門前に停まっていた。私は料金を払い、すぐに車を降りて康二の書斎へ向かう。書斎の奥で、康二はゆったりした服装のまま椅子に座っていた。顔色はまだ青白いが、意識ははっきりしているようだ。
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第6話

駆け込んできた優弥は、血だまりの中に倒れている康二の姿を見て、その場で凍りついた。「早く……早く救急車を!」屋敷の中が一気に騒然となった。そんな混乱の中で、優弥は突然、私の襟をつかんだ。「美琴、これはどういうことだ?」答えようと口を開いたその瞬間、背後からひよりの震えた声が響く。「優弥さん、全部……上杉さんがやったんです。さっき、おじいさまが私たちの婚約を認めてくださって……それで上杉さんが怒って、おじいさまを突き飛ばしたんです!」その言葉に、私の胸の奥が一気に熱くなった。「斉藤さん、でたらめを言わないでください!」けれどひよりは怯えたふりをして、優弥の背中に隠れた。「優弥さん、助けて!今度は私まで殺されちゃう……」その瞬間、優弥は怒りをあらわにし、机の上にあった湯呑みを掴んでは、私の額に叩きつけた。「美琴、いい加減にしろ!おじいさまをあんな目に遭わせておいて、今度はひよりまで狙うつもりか!」鈍い音とともに、熱い茶が血と混ざって額を流れ落ち、視界が赤くにじむ。私は優弥を、十一年間、命を懸けて守ってきた相手をまっすぐに見つめた。そして、奥歯を噛みしめながら聞く。「優弥様……この私は、信用できないというのですか?」優弥は一瞬だけ黙った。けれど次の瞬間、冷たい笑みを浮かべる。「ああ、信用できないな。最近の君はつくづく卑怯で見苦しい。気に入らない相手なら、誰でも排除するつもりか?今日こそ、白橋家の当主として、君という狂犬の牙を抜いてやるよ」直後、優弥の命令で黒服のボディーガードたちが一斉に部屋へなだれ込み、私を取り囲んだ。幼い頃から鍛えられている私は、七、八人くらいなら余裕に勝てる。けれど体内の毒虫の影響がまだ残っていた。身体が思うように動かず、気づけば、床に押さえつけられていた。優弥は静かに言った。「美琴。君は白橋家で育ってきた。ならば――白橋家の掟に従って裁くのが筋だろう」そう言って使用人に命令する。「鞭を持ってこい」使用人が持ってきたのは、無数の棘が埋め込まれている、黒い革の鞭だった。本来なら、それは裏切り者にだけ使われる刑具で、一撃で相手を気絶させられるほどの威力を持つ。それを知りながら、優弥はためらわずに鞭を振り下ろした。背中に激痛が走り、肉が裂ける感触が伝わる
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第7話

映像の中では、あの連中が下卑た笑い声を上げながら、兄をいたぶっていた。目的は一つ。私と優弥の居場所を吐かせること。あれは、兄の人生を変えてしまうほどの出来事だった。明るくて、自信に満ちていた兄は、あの日を境に、別人のように口数が少なくなった。「やめて!」気づけば私は叫んでいた。全身の力で拘束を振りほどき、そのままテレビに飛びかかって拳を叩きつけた。画面が割れるのを確認すると、周囲のボディーガードが持っていた端末を奪い取っては叩きつけ、一つずつ壊していく。けれど――それは無駄な足掻きでしかなかった。優弥は最初からすべてを手配していたのだ。その映像は同時刻、この屋敷だけではなく、街中の大型ビジョンにも、駅のモニターにも、路地裏の小さなテレビにまで流されていた。兄の人生でいちばん苦しくて、いちばん尊厳を踏みにじられた瞬間が、街中に晒されている。優弥が私の前に歩み寄ると、自分のスマートフォンを突きつけた。映っていたのは、動画のコメント欄だった。【誰だこのイケメン?随分大胆だな】【七年前の映像?趣味変わってんな】【男でもここまで綺麗なのかよ。俺も仲間を呼んで一緒に行くから、場所教えてくれよ】その言葉の一つ一つが、棘みたいに胸に刺さる。優弥は満足そうに言った。「ほら見ろ。俺に逆らうと――こうなるんだ」その瞬間、心にある何かが完全に切れた。私は優弥を突き飛ばし、そのまま頬を打った。優弥は数歩よろめき、信じられないものを見るように、私を見つめている。「冗談だろ、美琴……君、俺に手を上げた?」私は何も答えなかった。そのまま屋敷を飛び出し、まっすぐ兄が入院している病院近くの公園へ向かった。兄が気持ちを落ち着けたいとき、いつも一人で来る場所だ。やはり――そこに兄が数人の男に囲まれている。髭面で、ガラの悪そうな連中が、兄の顔をスマートフォン画面と見比べながら笑っていた。「動画のやつ、やっぱりお前じゃねえか」「俺たちと来いよ。動画より気持ちよくしてやるからさ」「兄さんから離れて!」私は叫ぶと同時に彼らに飛びかかり、何発も拳を叩き込む。あっという間に全員が地面に転がった。兄が私の声に気づき、一瞬だけ顔が明るくなる。けれどすぐに拳を握りしめ、苦しそうに言った。「美琴……ごめんな。また私
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第8話

封筒の中に入っていたのは、二通の書類だけだった。一通は、当時、白橋家が私たち兄妹を正式に引き取った際の法的書類。そしてもう一通は、康二の署名が記された護衛任務解除届だった。ここに私が署名すれば、その瞬間から私は白橋家と何の関係もなくなる。今までの私への報酬として、四億円が入った口座と、兄の目を治療してくれる海外の医療機関の紹介状まで用意されていた。つまり――康二は最初からすべてを読んでいたのだ。私は迷わずペンを取り、任務解除届の署名欄に自分の名前を書いた。続けて、兄から渡されていた瓶を取り出し、中の薬を一気に飲み干す。薬が体の奥へ入ってしばらく経つと、長年体内に巣食っていた毒虫が、少しずつ弱っていくのがはっきり分かった。長い間私を縛り続けていたものが、静かに消えていく。念のため、私はその足で弁護士のもとへ向かい、任務解除届をその日のうちに公証してもらった。これで終わりだ。もう私は、誰かの剣でもなければ、誰かの犬でもない。私は私として、兄と二人で生きていく。すべてを終えたあと、私はこれまで暮らしていた小さな家へ戻った。古びた建物だが、優弥と逃げ回っていたあの頃の記憶が、すべて詰まっている場所でもあった。彼が初めて貯めたお金で買ってくれたネックレス。私が銃弾を受け止めたとき着ていた、穴だらけの血まみれの服。それらには手をつけなかった。私はただ、冬物の衣類をいくつかだけ選び、静かにスーツケースへ詰めた。極圏に近い国の冬はずっと寒く、こちらよりずっと早く来るから。荷造りを終えたそのとき、扉がいきなり開き、優弥が入ってきた。ここしか行く場所がないとでも思ったのだろう。私の手元のスーツケースを見て、彼はわずかに眉を寄せた。「……何をしてる?」私は淡々と答えた。「冬のための支度です」それを聞いて、優弥は少しだけ表情を緩めた。そしてカバンの中から鍵を取り出し、私に差し出す。「俺が持っている別荘の鍵だ。お詫びに君にプレゼントする」少しだけ言いにくそうに続ける。「お兄さん……危ない目に遭ったって聞いた。感情に流されて、俺は少しやりすぎてしまった。動画はもう全部下げさせたから、安心しろ」一呼吸置いてから、彼は続けた。「こんな古い家、もう限界だろ。お兄さんと一緒にあっちへ移れ。警備もしっかりしてるか
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第9話

康二の意識が戻ったという知らせは、すぐ優弥のもとに届いた。彼がスマートフォンの画面を見てぼーっとすると、そばにいたひよりは、すぐ心配そうに声をかける。「優弥さん……どうしたんですか?会場の配置、気に入らなかったんですか?」優弥は一瞬だけ言葉を失いかけたが、すぐに首を横に振った。本当は、康二が目を覚ましたと伝えるつもりだった。だが、なぜかその言葉は喉の奥で止まり、なかなか出てこない。「いや、違うんだ。会社のほうで急ぎの用事が入ってな、悪いけど、少し外してもいいか?」それを聞いて、ひよりはようやく安堵したように笑った。「もちろん、ここは任せてください。ちゃんと仕上げておきますから」優弥は軽くうなずくと、そのままホテルを飛び出した。車に乗り込み、病院へ向かってアクセルを踏み込む。どうして嘘をついたのか――自分でも分からなかった。ただ胸の奥に、説明のつかない不安だけが残っていた。まるで大事な何かを失いかけているような、そんな感覚だった。……病院に到着すると、優弥は病室へ駆け込んだ。扉を開け、強い消毒液の匂いが鼻を刺す。「おじいさま、気分はどう?」康二はベッドに横たわっていた。顔色はまだ紙のように白く、酸素マスクもつけたままだったが、その目ははっきりと開いていた。ゆっくりと視線が動く。部屋の中を探すように見回して、最後に優弥のところで止まった。そして、唇がわずかに動いた。だが声はかすれて、ほとんど聞き取れない。「おじいさま、何だ?」優弥はすぐに身をかがめ、耳を口元へ寄せた。「……美琴は?美琴はどこだ?」その名前を聞いた瞬間、優弥の表情が一気に硬くなった。さっきまで浮かんでいた安堵は跡形もなく消えていく。彼はゆっくりと体を起こし、不機嫌そうに言い放った。「おじいさま、今そんなやつの話をする必要ないだろ。あいつ、おじいさまを突き飛ばして、危うく命まで奪いかけたんだぞ。だから、一族の掟にしたがってちゃんとケジメをつけさせた。ついでにあの盲目の兄貴にも、一生忘れられない罰を与えておいた。今ごろあいつは、どこかで兄貴を抱えて泣いてるんじゃないか」その言葉を聞いた瞬間、康二の濁った瞳にはっきりとした焦りが浮かんだ。彼は体を起こそうとするが、点滴の管やモニターのコードに引かれて動けない。「お
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第10話

康二の言葉を聞いた瞬間、優弥はまるで雷に打たれたような衝撃を受けた。一瞬で思考が止まり、彼は祖父の顔を見つめたまま動けなくなる。そして反射的に、否定の言葉が口を突いて出た。「……そんなはずない。おじいさまの見間違えなんじゃないのか?優しくて、ずっと家のことも気遣ってくれてたあの人が、そんなことするはずがないだろ?きっと……美琴の動きが早すぎて見えなかっただけだ。そうだ、そうに違いない」その言葉を聞いた康二は怒りよりも先に、呆れたような笑いを漏らした。それは、乾いた、やりきれない笑いだった。「見間違えただと?優弥、私は年を取っただけだ。目はちゃんと見えているし、頭もまだぼけてはいない」そして続ける。「どうかしてるのはお前の方だ。ひよりにいったい何を吹き込まれたかは知らないが、あんな、相手によって態度を変えるような女のどこがいいっていうのだ?あいつは、美琴の足元にも及ばないんだぞ!」祖父の叱責を受けても、優弥の胸の内には反発しか湧かなかった。自分が白橋家のために思い、尽くしてきた。それなのに、どうして責められなければならないのか。そして何より――もし美琴が無実だったとしたら、自分がしてきたことすべてが、取り返しのつかない過ちになる。その事実だけは、どうしても受け入れられなかった。優弥は思わず言い返した。「美琴はおじいさまが引き取った子だから、庇うのも当然だろ。結局のところ、ひよりの出自が気に入らないだけなんじゃないのか?金目当てで俺に近づいたって思ってるんだろ?」そう言われ、康二の表情が変わった。悔しさと怒りが一気に込み上げ、ベッドを強く打ちつける。「私が美琴を庇っているんだと?この恩知らずが、よくもそんなことが言えたな!お前が九歳のとき、人さらいに連れて行かれたことがあるだろ?美琴が命がけで助け出さなければ、お前はとっくに死んでいる。私が彼女を庇ったって当然だ!それだけじゃない。私はあの子の潔白を証明する。そして――お前を目覚めさせてやるんだ」その言葉に、優弥の体がわずかに揺れた。九歳のあの日の記憶は、彼にとって一生触れたくない悪夢だ。だがそれでも、彼は一歩たりとも譲らない。「それとこれとは別の話だ。助けてもらったことは認める。でも、おじいさまを突き飛ばしたのも事実だろ」「もういい」康二は
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