All Chapters of 社長、離婚した奥様が世界的トップモデルになっています!: Chapter 71 - Chapter 80

82 Chapters

第71話 襲いかかる不安と孤独

それから海外撮影はまだまだ続いて行った。綾乃やモデル仲間から小さな嫌がらせはあったものの、特に目立った大きな事件になるほどのことはなかった。そしてAKIさんとは、特にあれから距離を縮めることもなく、かといって、一弥さんとは、前よりもっと気まずい空気が流れ、明らかに距離を感じるほどになっていた。だけど、仕事のパートナーとして、必要最低限の仕事上の言葉を交わすことをしていた私たちは、ある意味今の関係としては特に不自然なことでもなかった。ただいきなり私との距離を置き始めた一弥さんが、少なからず気になってしまうこと。なんだかんだ言って、彼とつかず離れずの元夫婦であることで生まれる独特の慣れた空気感や距離感に、無意識で私は心のどこかで安心していた。だけど、それを彼がどう接してこれば、どう変われば、私は今の違和感が拭えるかもまだわからないでいた。そして、それらは、最後の撮影が終わるまで、もう何も変わらないと、そう思っていた。──けれど。事件は、ふとした時に起きた。その日は、いつもとは違う人里離れた簡素な山奥での撮影だった。その撮影は全員参加でもあり人数もスタッフも大人数で、持参するセットも大掛かりで、移動や運ぶだけでも、どれだけの数が動いているのかわかりにくいロケだった。しかも今回はいくつもの場所での撮影。ブランドもカメラマンもスタッフも最初に比べ随分人数も増えた状態。至る所で何グループにも分かれ、一つ連絡をミスれば確認しづらいほどの状況にもなっていた。私はそのロケの途中、同じ撮影に参加していたモデル仲間に、私たちのグループはある場所で撮影があるからと聞かされ、一緒に移動した。そのあとで、なかなかスタッフが呼びに来ないことを不思議に思ったそのモデル仲間は、携帯が繋がらないという理由で、別のグループが近くにいるから確認してくると言い、この場を離れた。その場に残されたのは、気付けば私たった一人。かなりの時間が経ったことで、私は少し不安になり、携帯を手に取る。無意識に連絡先を知っている一弥さんの名前を画面に表示させるも、その瞬間、電波が繋がらないことに気付く。気が付けば辺りは少しずつ暗くなってきていた。山奥なだけに暗くなるのもこの辺りでは早い。その上、すぐに撮影を始めると言われていたせいで、衣装も薄着のままだった。少しずつ肌寒くなってく
last updateLast Updated : 2026-06-05
Read more

第72話 胸騒ぎ

【一弥side】それはモデルたちが一斉に撮影していた日に起きた。いつもなら撮影場所には、スタッフも関係者も全員一緒にいるが、今回の撮影は、グループに分かれ、モデルも撮影隊もいくつも分散していく。待機場所が十分になかったり、いろんな場所に移動していくため、今回は関係者はそこには同行しないことになった。そのため俺はホテルで待つことになり、モデルの仕事とは関係ない仕事を部屋ですることにした。正直自分の中でタイミング的に好都合ではあった。ここ数日、杏華への態度をどう接すればいいか自分の中でわからなくなっていたからだ。この海外撮影に同行してから、俺は杏華と接すると、どうも自分自身が制御出来なくなってしまう。他の男と絡むとどうしようもなくイラついたり、かと思えばなぜかあいつに近づきたくなってしまう。今までなかったいくつもの自分でもよくわからないこの感情に、正直俺は自分自身戸惑ってしまっている。綾乃にも他の女にも一切感じないこの感情。自分で自分の感情に振り回されるなんて俺の中であってはならないことだ。そんなことを考えていたら、杏華と今までどうやって接していたのか、そしてこれからどうやって接していけばいいのかわからなくなって、気が付けば、杏華との距離を取ってしまっている自分がいた。きっと今の俺はまたあいつに接すると、苛立ちを抑えられなくなってしまう。この前セルフプロデュースの際に見せた杏華の姿が、俺の中で今もまだくすぶっている。最初やそのあと見せたモデルを意識しているからこそ見せた杏華の姿とはまったく違うあの姿。メイクもせずにいつも着ている服を着て、それは俺が何年も近くで見てきた姿だった。その姿は見慣れていたはずなのに、あのとき現れた杏華は、確かにあの瞬間、別人に感じた。それにあんな着飾らない地味な姿が良く見えるはずなんてないのに、どうしてかあのときの杏華は輝いて見えた。今まで一度もあいつの前で言葉にしたことのない”綺麗だ”という言葉を、俺は不覚にもまた心の中でそう思ってしまった。何も着飾ってないそのままの姿なのに。あの姿は今まで俺だけが見ていた姿だったのに。それをまた大勢の前で、そしてあの男の前で抵抗もなく見せている姿に、俺はまた苛立ちを覚えた。あの男とあんなにも見つめ合って、あんなにも俺に見せたことのない笑顔でいきいきと笑っている
last updateLast Updated : 2026-06-06
Read more

第73話 激しく昂る感情

【一弥side】「え!?」「杏華は戻ってないのか!?」「え、はい……! 杏華さんだけまだ確認取れなくて……」胸ぐらを掴まれているスタッフは、少しおどおどしながら答える。「は!?  お前たちは何をしている! なんでそんなことになった!」「いや、なんか彼女だけはぐれちゃったみたいで!」「はぐれた!?  確か今日のスケジュールはあの山奥だったはずだろ!」「そ、そうです……!」「この大雪だぞ! そこで、あいつ一人はぐれたっていうのか!」俺は抑えきれない怒りを堪えられず、目の前のスタッフの胸ぐらを力任せに掴み続け、杏華のことを確認していくたび、どんどんとその力が強くなっていく。「あの、同じグループのモデルの子たちがそう言ってて……! うっ! 苦しい──!」気が付くと、俺は首を絞めそうな勢いで、その胸ぐらを掴む手も顔も怒りに満ちていた。「そのモデルたちはどこだ!」「あ、あっち──!」と、奥のモデルたちをそのスタッフが苦しくなりながら指し示す。俺はようやくそのスタッフから手を放し、今度はそのモデルたちの所までその勢いのまま向かって行く。「杏華はなぜ一緒にいない!」「えっ!?」「君たちと同じグループだったんじゃないのか!」「えっ、そ、そうです」「ならどうして君たちは今ここにいて、あいつが一緒にいないんだ!」「そ、それは……」頭ごなしに責める俺にモデルたちは怯えながら答える。そんなもん知るか!今ここにいない杏華のことを考えたら、この女たちが俺をどう思うと知ったこっちゃない!「ほら。だから言ったじゃない……あんなこと止めようって……」「だって、まさかいなくなるなんて思わないじゃない……」「ちょっと困らせようとしただけなのに……」少し後ろにいたモデルたちが、こそこそと小さな声で話しているその会話に、俺は素早く反応する。「おい!  お前らそれどういうことだ!」俺はその女たちに怒りのまま叫ぶ。「キャッ! どうしよう、聞こえちゃった!」「もうそんなこと言ってる場合じゃないよ」まだこそこそと話しているそいつらにどんどん怒りが込み上げる。「お前らの仕業か……」「……え?」「お前らがあいつを陥れたのか……」その言葉を口にするだけで、腸が煮えくり返る。「陥れたって……そんな……」「ただ一人その場に置いていっただけだし……
last updateLast Updated : 2026-06-07
Read more

第74話 誰よりも

【一弥side】「一弥お兄ちゃん! 待って!」ホテルを出ようとした瞬間、勢いよく引っ張られながら声をかけられる。「綾乃」「危ないよ! この大雪だよ!?  今から山奥に探しに行くなんて無謀すぎる!」「だからって放っておけっていうのか!」「時間経ったらお姉ちゃんのことだから平気な顔して帰ってくるよ」「帰ってこなかったら!?」「──だけど、こんな危ない状況で、一弥お兄ちゃんが行く理由ないじゃない!」「理由? そんなのどうでもいい!」「探しに行くなら別に一弥お兄ちゃんじゃなくてもスタッフさんが行けばいいじゃない!」「そんなの他の奴に任せてられるか!」俺は綾乃が止めようとする言葉にすべて反論する。「あいつがどこにいるか、そいつらにはわからないだろ!」「じゃあ一弥お兄ちゃんはわかるっていうの!?」「……それは」綾乃に言い返され、俺は一瞬躊躇する。俺はあいつの何を知っている……?今まで散々あいつに興味を示さなかった俺が、今こんなことを言ってるなんて自分でもおかしいとわかっている。「お兄ちゃん、行かないで……? ここで一緒に帰ってくるの待ってよ?」綾乃が俺を見つめながら、ギュッと掴んだ手を俺を引き止めるかのように握り締める。「綾乃……」「行かせない……」強い眼差しで、俺の腕を更に力強く掴み引き止める。俺は綾乃を見つめながら、その手にゆっくりと手を重ねる。「お兄ちゃん……」それに反応し、一瞬安心したような表情になり微笑みかける綾乃。しかし俺はその手を、ゆっくりと外す。「お兄ちゃん……?」「それでも、あいつのことは、誰より俺が一番知っている。こんな状況で、俺はあいつを放っておけない」そういって、俺は綾乃に背を向け、勢いよく駆け出した──。タイミングよく、ポケットの中に車のキーと財布を入れていた俺はそのまま駐車場に向かい、移動のために用意してあった車に乗り込む。そして事前にもらっていたスケジュールから今日行く予定をしていた山の場所の地図を携帯で探し出す。ナビを入れるとすぐ俺はその場所まで勢いよく車で向かう。車のワイパーだけでは追いつかないほど降りしきる雪。この吹雪の中、こんな山奥で車を走らせているだけで危機感を感じる。そんな中あいつは今たった一人で耐えているっていうのか……。高速のワイパーが勢いよく動く速さと同じ
last updateLast Updated : 2026-06-08
Read more

第75話 失う怖さ

【一弥side】俺は一瞬でも杏華の姿を見逃さないように必死に目を凝らして周りを見る。すると、吹雪いていた雪が少しずつ落ち着いてきて、さっきよりかは見えやすくなる。杏華がいるであろう山に入り、車を走らせるも、杏華がどこにいるかもわからない。とりあえず思いつくまま杏華の足取りを辿っていくしかない。最初に杏華が置いて行かれた場所に到着し、杏華がいることを願いながら、辺り一面探し回るも、どこにも杏華の姿は見当たらなかった。どこに行ったんだ、杏華……。こうなるともう完全に手がかりはない。だが、俺の中で、そこで諦める選択は一切なかった。絶対あいつを見つけ出してみせる。俺はまた強く気持ちを持ち、今度は必死にあいつの行きそうな場所を考えた。この場所にいないということを考えれば、ここから移動したとしか考えられない。となると、杏華はこの山奥へ登って行ったということか……?もしかして、あの山奥の建物に向かって行った……?ここに来るまでに先に調べていた山奥に、ある建物があったことを思い出した。しかし、かろうじてここまでは車で来ることが出来たが、その建物まではこの先車で移動出来る道ではなかった。狭い山の奥に続く細い道。この道を進んで行くしか、もう方法はない。オレは車をその場に置き、その道を進むことにした。足場が悪くて雪もどんどん降ってくるこの険しい道を杏華が進んで行ったとなると、のんびりしてはいられず、気持ちも向かう足取りも焦る。普通なら最初の場所にいる方が賢明なはずなのに、杏華はあそこにはすでにいなかった。せめて、そのままそこにいれば連れて帰れたのに、あいつはまた手間かけさせやがって──!そう思いながらも、ここに辿り着くまでに、なんとなくそんな予感はしていた。あいつは、ただ大人しくその場で待っているような女じゃない。自分が何か気にかかれば、自ら動くタイプだ。他の人間に気を遣わせないよう、余計な手をわずらわせないように、最低限自分に出来ることをする。そしてそれは自分のことを後回しにし、自らを犠牲にするほどの……。昔、そんなことがあったのを俺はそのとき思い出していた。俺が体調悪かったとき、先に調子が悪かったことをあいつは隠し、賢明に俺の看病をしたことがあった。身体にいい食事を用意し、熱が下がるよう、何度も俺の元へ来ては看病をしていた。
last updateLast Updated : 2026-06-09
Read more

第76話 切実な願い

【一弥side】抱き締めた杏華の身体は、すでに冷たくなり始めていた。「杏華! しっかりしろ! 俺がわかるか!?」俺は更に杏華の名前を呼びながら、身体をゆさぶり意識があるかを確認する。ぐったりとした杏華を見ながら、どんどん俺の顔は険しくなってくる。どうか反応があってくれと願いながら、杏華の顔をじっと見つめる。すると、杏華の表情がぴくりと動き少し反応する。「杏華!」俺の声に反応するように、杏華の閉じていた瞼が少しずつ開く。「一……弥……さん……」うっすら開いた目で、俺を確認し名前を呟く。「そうだ!」「どうして……一弥さん……」「お前は一体何やってるんだ!」「……ごめん……なさい……」まだ意識が朦朧としている杏華に俺はつい勢いで怒鳴りつけてしまう。そのせいで杏華がそんな状態の中、謝ってくる。別に謝らせようとしたわけじゃないのに、俺の中で優しい言葉をかけるなんて感情は生まれてこなかった。俺をこんな気持ちにさせたことや一人で無茶したこと、こんな状態までになっていること、いくつものことが重なり、気付けばその感情がそのまま溢れ出ていた。杏華に意識があって心底ホッとしたのに、どうしてこんなときまで俺は優しく出来ないんだ……。だが、意識が戻ったはずの杏華の瞼がまた、ゆっくりと閉じそうになる。ダメだ! こいつを今すぐどうにかしないと!このまま放っておいたら、本当にどうなるかわからない。とにかくここにこのままいるのも危険だ。そう思いながら辺りを見回すと、探していた建物らしきものが見えた。「杏華。立てるか。すぐ近くの建物まで移動するぞ」その声に、杏華が反応し、とりあえず、その場所まで運ぶため、身体を起こした杏華を支えながら、ゆっくりとその場所まで足を進めて行く。それからなんとかその建物まで近づく。そこは小さな山小屋のようだった。ここなら誰かいるかもしれないと、期待しつつ、その扉を叩く。「すいません! 誰かいますか!?」だが、いくら叩いてもそこから返事は返ってこない。くそっ! 最後の望みだったのに!本当に誰もいないのか!気持ちが焦り、ドアのノブをガチャガチャと動かすと──。えっ、開いた……?するとまさかの扉が開く。俺は杏華を片手で支えながら、ゆっくりとその扉を開けていく。無人の山小屋か──?中を見渡すと、一枚の毛
last updateLast Updated : 2026-06-10
Read more

第77話 心が求めて

どんどん降り積もる雪の中で倒れたあの瞬間、どうしてか一瞬一弥さんが頭の中に浮かんだ。そんなときに無意識で呼んだ彼の名前。朦朧としていた中、現れたのは、まさかの彼だった。“助けて”と心の中でも口に出して叫んだとしても、絶対助けてくれなかった彼が、今私を助けてくれ、こんな場所に一緒にいるなんて……。朦朧としている中、彼が私の名前を呼ぶ声は、なぜだかしっかり私の耳に響いた。目を開けていなくてもわかる、その声。こんなにも心配そうな声で必死に私の名前を呼び気にかけたことなんて、今まで一度もなかった。そんな彼は別人かと思うほど──。だけど、私はこの人の声を、存在を感じたとき、あんなにも安心して嬉しいと思ってしまった……。正直あの雪の中、倒れた時、もうダメかもしれないと思った。こんな場所にまで、誰も私のことなんて助けには来てくれないのだと。最悪なところまで考えていた。なのに、どうしてこの人は、またこんな場所でも私を見つけてくれるの……?前にプールで溺れて助けてくれたことを彼に尋ねたとき。ただの偶然かのような言葉を彼は告げた。ただ目の前で溺れていたから助けただけだと。なら、今は……?どう考えても、こんな場所に彼が偶然通りかかったなんてことも不自然だ。だとしたら、どうして……?もしかして私を探しに来てくれたの……?その理由を問いかけようと思うも、またあのときみたいに冷たい言葉が帰ってきそうで怖い。そう思うと、なかなか彼にかける言葉が見つからない。だけど、またこの場所に一枚しかなかった毛布を私にだけかけてくれた。ただそんなことでさえも、それは今まで私が経験したことのない彼の優しさだった。こんな状況に一人取り残されて心も身体も弱っている私は、そんな小さなことでも心が温かくなって嬉しくなる。彼にこんな感情抱くなんて思いもしなかった。彼が優しいだなんて、今まで一度だって感じたことなかったのに……。そんな彼なのに、私はあの頃、ずっと恋焦がれ、どんな彼でもこの心をすべてを尽くした。それほど今までの私は彼がすべてだった。だけど、今明らかに違う彼との関係。私の気持ちに応えてもらえることはなかったけど、彼と今の関係になって、こんな小さな優しさを知って、あの頃のような気持ちをまた想い出してしまうなんて、私はまだまだこの感情を手放せていないとい
last updateLast Updated : 2026-06-11
Read more

第78話 抱き締められる強さ

彼がどうしてそんな険しい顔をしているのかはわからなかったが、それほど私の行動は彼を怒らせてしまったのだと胸が痛む。彼はこんなに怒っているのに、私といえば、昔の彼とのことを想い出しながら、心を切なくさせていただなんて……。恥ずかしい……。私はそんな彼に気付くと、恥ずかしさで視線を外し、そのまま俯いてしまう。こんな私に彼がどんな言葉を浴びせるのか、彼にどんな感情を与えてしまったのか、また怖くなってしまう。すると、その瞬間彼が私の上にかぶさっていた毛布に手をかけ、そのまま私を見下ろす。また彼の行動とこの状況が理解出来ない私は思わずそんな彼を見上げてしまう。そして彼はその毛布の中に自分も入り、私の隣にドカッと腰を降ろした。え……!?今度は呆然としながらすぐ隣に座った彼の横顔を見つめてしまう。すると今度は背中から彼の腕が回り、グイッと私の肩をそのまま隣から抱き締める。えっ!?  えっ!?一体何が起きてるの!?ギューッと抱き締められたこの現状に、私はパニックになりそうになる。「えっと……、あの……、この状況は……!」思わず私は彼に尋ねてしまう。「寒いんだろ……。こんな場所で強がるな」彼はやっぱり気付いていた……。「少しでも肌を触れ合わせていれば寒さは和らぐはずだ。今はこれで我慢しろ」彼はボソッと私の言葉に答える。私と視線を合わすこともなく、まっすぐ前を向いたまま呟く彼だけれど、その言葉は今までとは違う穏やかな口ぶりだった。「でも、それだとあなたが……」私がもし風邪をひいてしまっていたら、彼にうつしてしまうかもしれない。そして何より彼がこんな状況に不服でしかないのではないかと、そう一瞬言おうとしたけれど──。「なんだ」抱き寄せられながら、私の言葉に反応した彼がすぐ近くで私の方に顔を向ける。すると、あまりにも近いその数センチほどの距離で彼と視線が合い、ドキッとしてしまい胸が高鳴る。「いえ……」その状況に動揺した私は視線をそらし、そのままその言葉を飲み込んでしまう。どうしてか私は、今この状況を変えたくないと思ってしまった──。私が何か彼に伝えて、彼がその言葉を意識して、この手を放し、また素っ気なく私のそばから離れてしまうのが、嫌だと感じてしまったのだ。私はこの二度とこの先味わえないかもしれないこの彼の優しさやぬくもりを、
last updateLast Updated : 2026-06-12
Read more

第79話 急変

【一弥side】翌朝。山小屋の窓から差し込む朝の光の眩しさに気が付き、目を覚ます。いつの間にか眠ってしまったのか……。こんな場所でこんな状況で一晩過ごせるのか不安ではあったが、なんとか一晩過ごせてよかった。しかし、昨日は、俺自身が自分で驚いてしまうまさかの行動をしてしまった。普通とは違うこの状況だということもあったが、とにかくあのまま杏華を放っておくことが出来なかった。どう見たって寒さで震えてるくせに、なんでもないと言い張る。こいつはいつもそうだ。俺が何かを聞いても、いつだって同じような言葉で返してくる。だから俺はこいつが何を考えているのかわからなかったんだ──。俺には必要以上のことを伝えようとせず、一人で何かを堪えて自分だけでそれを抱える。だけど、何かを言おうとして口をつぐんだ杏華を見て、今思えば、あの頃俺があいつに何も話せない雰囲気を作ってしまっていたのかもしれないと、ふと気付く。そうか……。あいつは俺に何か言いたくても言えなかったということか……。きっと今までの俺なら、こんなときまで意地を張って強がる杏華に、またイラついていただろう。だが、不思議と昨晩はそんな気持ちは起こらず、それよりもそんなことも言わない杏華に、なぜか少し悲しく感じた……。そう思ってからは、俺は無意識に身体が動いていた。気付くと俺はあいつの隣に座り同じ毛布に入ると、あいつを抱き寄せていた。それに別に深い意味なんてもちろんない。ただ寒そうにしていたあいつを仕方なく温めてやっただけだ。そう思いながら、あいつに接し、その場で寒さをしのいでいたけど、案外その二人での時間は苦痛に感じることはなかった。それどころかこの静寂の中、ただ隣に杏華がいることに、今まで感じたことのない安心を感じていた。すると、いつの間にか杏華も気付くと俺によりかかり、静かに寝息を立てていた。それに安心して俺も案外穏やかに眠れた。そして朝になり、昨晩よりも寒さは和らいだように感じて、外の様子を見に行くため、寄りかかっている杏華をゆっくりその場で横にさせ、上から毛布をかけ直し寝させてやる。それから俺は山小屋の外に出て、帰りの道が雪の影響で問題ないかどうかを少し先の方まで確認しに行く。なんとか雪も解けたし、これなら大丈夫そうだ。俺は安心して山小屋へ戻る。すると、中で寝ていたはず
last updateLast Updated : 2026-06-13
Read more

第80話 困惑

【一弥side】「もしもし俺だ! 今すぐこの街一番の名医がいるデカい病院を手配してくれ! どれだけ金がかかっても構わない!」電話の相手に緊急だと伝え、連絡があるのを待つ。俺が切羽詰まっているのを察し、すぐに要望通りの病院を手配出来たと報告が入った。幸いこの場所からもそう離れてはいない場所だったため、急いで車でその病院に向かう。病院に着くと、駐車場で待機している病院の関係者。俺はそれを確認すると、現地で通じる言葉で杏華に起こった一連の流れを説明する。外国語はどんな言葉でも得意としていることで、言葉の壁はなかったものの、気が動転していた俺は、いつものように余裕で流暢な言葉でなぜか説明することが出来なかった。どう説明すればいいのか上手く言葉が出てこなくて、自分でもそれで動揺しているのだとわかった。そしてすぐに診察室へと運ばれ医者に杏華を任せる。そこから医者の診断結果を待つ時間が、やけに長く感じた。病院に連れて来れば、万が一のことはないだろうと思いながらも、さっきまでの苦しそうにしている杏華の姿を思い出すと安心出来ず、ずっと落ち着かない。結婚していたときは、俺の前で杏華は一切弱いところも見せなければ弱音も吐かない女だった。だから正直あいつを心配するという概念さえもなかった。だが、ここ最近の杏華といえば、今みたいな追い込まれる状況ばかりだ。どうしてこいつだけがこんなことが急に起きる……。そのことに違和感を感じながらも、これからあいつにまだ何か起きてしまうような──、どうしてかそんな嫌な胸騒ぎを感じた……。それからようやく診断が終わり、医者に呼ばれる。今は杏華は病室で静かに眠っているという。杏華がいない別の診察室に呼ばれた俺は、医者に杏華との関係を尋ねられた。医者には、杏華を自分の妻だと伝えた。こんな状況で、わざわざ元妻だと説明するのも面倒だったし、夫婦だということにしておけば今の状況だけでいえば、事が運びやすくなると思ったからだ。そして俺の中で、杏華と”他人”だと言葉にすること自体が、どうしても受け入れることが出来なかった……。その状況だったことで、医者は俺に対して「気をしっかり持ってほしい」と伝えてきた。急に心臓が激しく胸を打つ。医者が口を開く瞬間、息を呑む。「奥さんが、妊娠されているのはご存知ですか?」「はい──」
last updateLast Updated : 2026-06-14
Read more
PREV
1
...
456789
SCAN CODE TO READ ON APP
DMCA.com Protection Status