All Chapters of 社長の子じゃありません――でも、逃がしてもらえない: Chapter 421 - Chapter 430

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第421話

店員は彼女が気に入った様子を見て、すぐに付け加えた。「さっきもお二人のお客様がご覧になって、少し考えてからまた戻ってきますとおっしゃっていたので」「じゃあ、これにします」三久はバッグを開け、スマホを取り出そうとした。そこへ、指に挟んだブラックカードがすっと差し出され、彼女の目の前で店員へと渡される。「このベビーベッド、私が買うわ」三久が顔を上げると、薄紅色のネイルを施した指先。紫織のものだとすぐに分かった。店員は戸惑った様子で言った。「あの、こちらのお客様がすでにお決めになっていて」紫織は言った。「決めたっていうのは、まだ買ってないってことでしょ?お金だって払ってないじゃない」「それは……」店員は困惑した表情を浮かべた。「若奥様の目に留まるような品ではないでしょう。私に張り合うためだけに、お金を無駄になさる必要はないかと」このベビーベッドは十六万円。三久は値段を見て、少し胸が痛んだ。けれど高崎家にとっては、十六万円のベビーベッドでも痛くも痒くもないだろう。紫織がこんな真似をするのは、ただ三久に張り合いたいだけに違いなかった。「そんなわけないでしょ」紫織はカードを店員の手に押し付け、三久に向かって無理に笑ってみせた。「あなたにプレゼントしようと思って買うのよ」三久は一瞬、面食らった。「会計してきて。それでこのベビーベッド、こちらの早坂さんのお宅に届けてね」紫織は店員をちらりと睨みつける。店員はようやく我に返り、カードを持ってレジへと向かった。「結構です」三久は止めようとしたが、紫織に遮られてしまう。「前にあなたの秘密をバラしたことへの埋め合わせってことにしておくわ。でも、この前の謝罪は取り消すけどね。だってメディアの報道、間違ってなかったし。義母があなたと仲良くしろってうるさく言ってこなかったら、あなたなんて相手にする気もなかったんだから」紫織は皮肉げな笑みを浮かべ、はち切れそうなほど大きく膨らんだお腹を抱えていた。両手でお腹を支え、これ以上ないほど得意げに言い放つ。「うちの義母があなたに何を負い目に感じてるのか知らないけど、こっちが頭を下げたのだって、所詮は体裁のためよ。私のお腹の中にいるのは双子で、高崎家の跡取りになる子たちなんだから。腹が立っても、黙って我慢してなさい
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第422話

男の声は低く、艶を帯びながらも、生来の威圧感を漂わせていた。一瞬にして店内の空気が張り詰め、店員も息をするのをためらうほどだった。三久が振り返り、由樹の姿を目にした瞬間、心臓が抑えきれずに早鐘のように高鳴った。けれどすぐに落ち着きを取り戻し、目を伏せて一歩後ろに下がる。紫織は由樹とまともに向き合い、すっかり気圧された様子だった。「……酒井社長、どういうおつもりですか?」「事実を言っただけだ」「彼女の肩を持つんですか?」紫織はふんと鼻を鳴らした。「千歳に言いつけても構わないんですか?」「ご自由に」由樹は横目で三久を見た。彼女は淡いピンクのニットワンピースを着ていた。色もデザインも、着る人を選ぶものだった。それがまるで誂えたかのようによく似合っていて、なだらかな肩のラインから、女性らしい柔らかなシルエットが浮かび上がっていた。華奢でありながら、どこか女性らしいふくよかさを感じさせる体つきだった。明るい淡色が、白くきめ細やかな肌をいっそう引き立てていた。いかにも気が弱そうに見える。これでは誰にでもいいようにされるのも無理はない。「あなた……っ」「あの、お客様」店員は不穏な空気を感じ取り、意を決して割って入った。「このベビーベッドは早坂様に差し上げるということでしたら、また別の一台をお選びしましょうか?」そう言うと、店員は今度は三久に尋ねた。「早坂様、ご主人もいらっしゃったことですし、それでもご自宅までお届けした方がよろしいですか?」――ご主人?由樹が?三久だけでなく、紫織もすぐには意味を飲み込めずにいた。けれど由樹の反応は早い。「いや、俺の車まで運んでくれればいい」「かしこまりました。駐車位置の番号を教えていただければ、倉庫の者に直接お運びさせます」店員は再び紙とペンを取り出した。「あなたたち、そんなに堂々としてていいわけ?」紫織はようやく我に返った。由樹が何一つ弁解しようとしないのを見て、サッと青ざめた。由樹は彼女をちらりと一瞥すると、三久の手首をつかみ、そのまま連れて立ち去った。完全に無視されたことに、紫織はますます腹を立て、スマホを取り出すと千歳に電話をかける。「酒井社長を見かけちゃった。三久の出産準備の買い物に付き合ってたの。千歳、これであなたが黙って我慢す
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第423話

「高崎家と何か揉め事でもあったのか?」三久は一瞬戸惑い、思わず眉をひそめた。「紫織さんに一方的に目の敵にされている以外は、これといった関わりはありません」もし高崎家が紫織のために体面を保とうとしているだけなら、こうして調べ回る必要などないはずだ。父親不明とされているこの子の件を弱みにされたら、三久には手の打ちようがなかった。「なら、よく考えてみろ。高崎家との関わりの中で、何か引っかかることがなかったか」由樹はすでに哲朗に高崎家を見張らせていたが、それでも念を押した。「今のお前は、普段とは事情が違う。付け入られないように気をつけろ」付け入られる……?彼が言っているのは、このお腹の子のことだ。気をつけるべきなのは、もう自分一人の身ではない。お腹の中には、小さな命がある。常に気を配り、どんな些細な違和感にも備えなければならない。三久は黙って頷き、彼の気遣いによって胸に広がった小さな波紋を押し殺した。「社長、高崎家が私を調べる理由は分かりませんが、若奥様が私を目の敵にしている理由なら分かっています」視界の端に、物陰でこそこそと動く人影が映る。三久の表情がすっと冷たくなった。「社長は村上さんともうすぐご結婚されます。私たちは、無用な誤解を招くような真似は控えるべきかと」由樹の喉が、ぐっと詰まった。三久の淡々とした無関心な表情が、彼の胸をちくりと刺す。彼はとっさに言った。「俺と千歳は……」「お二人がどのようなご関係であろうと、私には関わりのないことです。どうか、けじめをつけていただければと思います」三久はすかさず由樹の言葉を遮った。由樹と千歳の仲がどれほど良いのか、何度喧嘩をしたのか、そんなことは知りたくもなかった。由樹の顔に薄い怒りの色が差した。はっきりと拒絶の壁を突きつけられたようで、胸の奥で苛立ちが燻り始める。「三久、お前は本当に人の好意が分からない女だな」彼は本気で腹を立てていた。少し離れたところで、店員がエレベーターから出てきた。カートの車輪の音が、静かな駐車場に響く。「早坂様、当店のベビーベッドには配送・組み立てサービスがございますが、ご主人とお二人で組み立てられますか?それとも係の者にお任せになりますか?」三久は由樹をすり抜け、店員の方へと歩み寄った。「すみません、配送と組
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第424話

「誤解です。彼の子ではありません」三久は懸命に否定した。「由樹と離婚して半年経ってから、この子を身ごもったんです」摩美は怒りのあまり、逆に笑い出した。「は?あんたの腹黒さには恐れ入るわ。私があんたを絶対に認めないって分かってたから、わざと離婚して私の警戒を解いた上で、子どもを盾に酒井家へ戻り込もうって魂胆でしょ」一体どこからそんな妄想が湧いてくるのか、三久にはあまりにも突拍子もなくて、かえって笑いがこみ上げてくるほどだった。とはいえ、こんな話が世間に広まれば、名家の人々は本気で信じてしまうだろう。何しろ名家の人間特有の優越感が、自分たちに近づく者は皆、何か目的があるに違いないと思わせるのだ。「私はあなたが思うほど、お金や地位に執着していませんし、ましてや由樹のことをそこまで深く愛しているわけでもありません。彼のそばにすがりつくために、そんな手の込んだ芝居を打つ気もありません。この子は由樹とは関係ありませんし、酒井家とはなおさら関係ありません」三久は一方的な怒鳴り声をしばらく聞き流してから、淡々と事実だけを告げ、電話を切った。摩美はもう一度かけ直したが、数回鳴ったところで切られてしまった。もう一度かけても、今度はつながらなくなっていた。まさか、三久が自分を着信拒否にしたというのか。摩美は目の前が暗くなるほど腹が立った。ソファに座ったまま数秒気持ちを落ち着けると、スマホを手に取り、千歳に電話をかけた。「おばさん……うぅ……」千歳の泣き声が聞こえてきた。「早坂さん、本当にひどいです。由樹さんだって、きっと世間に知られたくないから、仕方なくあの人の言うことを聞いてるだけなんです!でも……私たち、これからどうしたらいいんですか?結婚のことだって……」「泣かないで、千歳ちゃん。大丈夫よ。私が今すぐ深川に行って、きちんと片をつけてあげるから」摩美はそう言って宥めた。「このことで由樹と喧嘩したりしちゃだめよ。あなたの言う通り、あの子にも酒井家や会社の立場があるんだから。少しだけ分かってあげて」千歳はしゃくり上げながら答えた。「は、はい……分かってます。おばさん、安心してください。由樹さんの邪魔になるようなことは絶対にしません。酒井家に迷惑をかけるようなこともしませんから!」摩美はほっと息をついた。「
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第425話

三久は首を横に振った。「考えてないよ。高すぎるもん。もう手頃でいいところを見つけたから」「そうなの?」梨々香は目をくるりと動かして尋ねた。「予算はどれくらいなの?」「ネットで見つけた、一ヶ月六十万円のところ」ここ数日、三久の関心はずっと子どものことに向いていた。家から一歩も出ずに出産準備のほとんどに目処をつけ、手が回らない部分は徹底的に調べ尽くしていた。その産後ケア施設は、何度も比較検討した末に選んだところだった。梨々香は鼻を鳴らす。「じゃあ今度見に行こうよ。ついでに、あたしが用意したサプライズも見せてあげるから」「サプライズ?」三久は口に運ぼうとしたパイナップルを止め、慌てて噛んで飲み込んだ。「何なの?」「そのとき分かるよ」梨々香はウインクした。「でも、あんまり感動しすぎないでよ。あたし泣きたくないから」三久は思わず笑みをこぼした。出産の準備で頭がいっぱいだったこともあり、摩美からのあの電話のことはすぐに忘れてしまった。翌日、三久は梨々香と一緒に産後ケア施設の見学に出かけた。六十万円という料金は、深川の相場で言えばごく標準的な部類だった。けれど、ここの環境とサービスの質は、ヴェリア産後ケア施設に匹敵するほどだ。唯一の難点は、郊外にあって市街地から遠いことだった。三久と梨々香は、車で二時間近くかけてようやくたどり着いた。道中、梨々香は何度も文句をこぼした。「こんなに遠いって知ってたら、最初から却下してたのに」「遠くても大丈夫だよ。どうせ入所したら、毎日行き来するわけじゃないんだから」三久自身は、ここが遠いことをすでに承知していた。ネットの口コミも、揃って市街地から遠すぎるのが玉に瑕だと書いていた。「じゃあ、あたし、何度も様子を見に来なきゃいけないじゃない」梨々香はジト目を向けた。「あなた一人を産後ケア施設に置いとくなんて、安心できないから!」三久は少し考えて言った。「一ヶ月くらい我慢してよ。産後ケアが終わって戻ったら、梨々香だってまた忙しくなるんだから。今のうちに一ヶ月くらいゆっくりしてなよ」その頃には、産後ヘルパーも雇うつもりだった。けれど子どもがまだ小さいうちは、どうしても手が離せず、梨々香に頼ることも多くなるはずだ。梨々香には蒼汰もいるし、仕事もある。そうなればきっ
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第426話

二時間後、車がヴェリア産後ケア施設の前で停まった。三久はいつの間にか眠っており、梨々香に起こされる。目を開けて周囲を見回すと、どこか見覚えがある気がして、しばらくしてからようやくここがどこか思い出した。「なんでここに連れてきたの?」梨々香はバッグからカードを取り出し、眉をくいっと上げてみせた。「お金はもう用意してあるから。産後ケア、ここに決まりね!」彼女は車を降りると三久側に回り、ドアを開けた。「降りて。中に入ってお金払ってくるから」「行かない」三久は車から降りようとしなかった。「こんなにお金かける必要ないから」梨々香はじれったそうに足をバタつかせた。「あなたのためを思って言ってるんだよ。ここなら病院も近いし、産後は体調が急変することだってあるんだから。万が一のことがあったら間に合わなくなるかも」言い終わらないうちに、自分の口を叩いた。「めっ!縁起でもないこと言っちゃダメね。何も起きないから。でも、ここは本当にいいところなんだって」「あっちだって医療スタッフはいるし、リスクが高いのは高齢出産でしょ。私はまだ若いんだから」三久はドアを閉めようとした。「車に乗って。帰るよ」「もうここには話を通してあるんだから」梨々香はドアにしがみつき、閉めさせまいとする。「せめてあたしの顔を立ててよ、降りて見るだけ見てって」三久は取り合わず、車を降りようとしなかった。「あたしたち、今はお金に困ってないんだから。心配しなくていいって」梨々香は説得した。「今はお金あるってだけで、ずっとあるとは限らないでしょ。お金は使うべきところに使わなきゃ、分かる?」三久にも、梨々香が自分のためを思っていることは分かっていた。けれど、今は良くても、それがこの先もずっと続くとは限らない。二人分の子どもの出費は多く、前もって備えておかなければならない。「あたしはただ、最初で最後になるかもしれない出産でしょ。西戸の方がもっと物価も高かったのに、もっといいところを選んであげられなかったこと、自分でも申し訳なく思ってるくらいなあって。だから今度は、あなたにまで同じ思いをさせたくないの」梨々香はしょんぼりとうなだれた。「うちの子は父親のことを公にしてないし、あなたの子は酒井家の子でしょ。父親と同じような贅沢はさせられな
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第427話

梨々香は口を開きかけ、「はい」と言おうとした時。「すみません、急用ができてしまって、今日はこれで失礼します。また改めてご連絡します」三久が先に口を挟むと、久留美へと小さく頭を下げた。「久留美さん、お邪魔いたしました。それでは失礼します」「もうすぐお昼じゃない。一緒にご飯でも食べましょうよ」久留美は時計を見ながら、熱心に誘った。「それに、紫織のことで、少し話したいこともあったし」その誘い方は、まるで長年の知り合いで、たまに会えば必ず食事をするのが当たり前だとでも言うようだった。「本当に、まだ用がありますので」三久はもう一度繰り返した。久留美はようやく、彼女に用事があることを思い出したらしい。「あら、うっかりしてたわ。じゃあ用事を済ませてね。また時間があるときにでも、一緒にご飯食べましょう」三久は小さく頷くと、梨々香を促して車へと戻らせた。梨々香はまだどこか未練がありそうだ。三久はいっそのこと彼女を助手席に押し込むと、自分は運転席へと回った。窓を閉めながら、梨々香は小さくぼやいた。「あのスタッフの目つき見た?あたしたちが言い訳してるって一発で見抜かれてたよ」三久はアクセルを踏み、車を発進させた。実際、スタッフは小声でこぼしていた。「久留美様、あのお二人、前にも一度いらしてるんですよ。多分予算が合わなくて、利用したくても難しいんじゃないでしょうか。放っておいて構いません。それより、若奥様には千二百万円の最上位プランをご用意しますか?こちらでお手続きいたしましょうか?」「高い、って?」久留美は振り返り、その言葉を訝しげに復唱した。「そうですよ、前回いらしたときも、一番安いプランはいくらかって聞かれましたし。久留美様にとっては千二百万の最高プランなんて造作もないでしょうけど、普通の方には二百万円の一番手頃なプランでも十分高いですから」スタッフは持っていた伝票を取り出した。「まずは二百万円の手付金をお預かりできればと思いますが」久留美は少し考え込むと、三久たちが去っていった方角へと目をやった。「最高プランを二つお願い。もう一つは早坂三久さんの名前で」スタッフは一瞬呆気にとられた。「早坂様の分もご用意されるんですか?」久留美はすっと目を細めて彼女を見据えた。「何か問題でも?」「
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第428話

三久はパジャマに着替えながら、彼女をじろりと睨んだ。「黙って予約とかしたら、絶交するからね」梨々香は口を尖らせる。「さっき会ったあの人、前にも会ったことなかった?なんか見覚えあるんだけど」「前に産後ケアセンターを見に来たとき、一度会ってる」三久はそう教えた。梨々香は思い出した。「あ、前あなたがあの人に偶然を装って会うために、あの産後ケアセンターまで行ったんだっけ。仲いいの?」「ただの取引先」三久は首を横に振って否定した。「ただ、あの人、なんか変な感じがするの」「変な人なんていくらでもいるでしょ、気にしなくていいわよ」梨々香は久留美の妙な様子には興味を示さなかった。「それより、あたしの気持ち、分かってくれるよね?」梨々香が言いたいのは、三久のためを思ってここまでした自分の気持ちを分かってほしい、ということだった。三久は彼女を睨んだ。「分かりたくない、行かない、その話はおしまい」そう言ってくるりと背を向け、リビングへ戻り、蒼汰の相手を始めた。二人の帰りは遅くなってしまったが、青木はちゃんと昼食を用意しておいてくれた。温め直してくれたものを、三久と梨々香は食卓で食べた。食べ終えると、三久は自分の家へと戻る。朝早くから起きていたので、昼寝をするつもりだった。横になる前に、玄関のドアを激しく叩く音がした。仕方なく起き上がり、ドアを開けに行く。「みくちゃん、早く開けてー!」梨々香だった。慌てふためいた様子で、忙しなくドアを叩いている。三久はドアを開けた。「どうしたの?」「あ、浅野さんが来たの」梨々香は温子からの電話を受けて走ってきたのか、少し息を切らしていた。「どうして急に深川へ?」三久の表情が曇った。「施設の子どもたちは、誰が見てるの?」梨々香は首を横に振った。「分からない。急に電話かかってきて、もう深川に着いたから、今夜一緒にご飯を食べようって」ここ何年も、三久の記憶にある限り、温子が西戸を離れたことなど一度もなかった。自分たちが深川に来て間もなく、温子も後を追うようにやってきたことになる。「どこでご飯食べるの?」三久は尋ねた。梨々香はスマホを指差す。「住所送ってって言われたの。家に来てご飯食べたい、あなたと赤ちゃんの顔も見たいって」すでに住所を打ち込んで、送信する寸
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第429話

「俺に聞いてるのか?」哲朗は言葉を失った。高崎家の三久に対する態度は、明らかに不自然だった。とはいえ、調べるにも方向性がなければ、手のつけようがない。「お前が思いついた可能性を、一つ残らず洗ってみろ」由樹は薄い唇をわずかに開閉させただけで、哲朗に丸投げにした。哲朗は何度か泣き言を口にしかけたが、結局は無駄口を飲み込む。言ったところで無意味だと分かっていたからだ。自分がどれだけ疲弊しようと由樹は気にも留めない。由樹が見るのは結果だけだった。「……かしこまりました」オフィスのドアがノックされ、由樹は電話を切ると、低い声で一言告げた。「入れ」理紗がドアを押し開けて入ってきた。どこか慌てた様子だった。「社長、酒井摩美さんがいらっしゃいました」「誰だ?」由樹は眉をひそめ、振り返った。理紗はもう一度繰り返した。「酒井摩美さんです」その言葉が終わるやいなや、摩美が半開きのドアを押し開け、大股で入ってくる。「あら、母さんが来たのに歓迎してくれないの?」由樹が目配せすると、理紗はそれより先に退室した。「いらっしゃるなら、一言おっしゃってください」摩美はオフィスに立ったまま、ぐるりと見回す。「アポなしで抜き打ちチェックよ。悪いことしてないか、見張りに来たの」由樹の瞳がわずかに動いた。デスクの前に腰を下ろす。「俺が何をするって言うんですか」「悪いことしてないなら、なんで深川から動かないのよ?」摩美は彼の向かいに腰を下ろした。「結婚式の準備は幸子さんとほとんど済ませたのに、自分だけ深川に来てのんびりしてるし。聞いた話じゃ……千歳ちゃんが来てもろくに食事も一緒にしてないそうじゃない、どういうこと?」「仕事が忙しいので」由樹はそれだけ答えた。「忙しいって、どれだけよ。三久には産休取らせてるし、大きな案件だって文則に任せてるじゃない。支社だって別に忙しいわけないでしょう」「その案件が彼の手にあるからこそ、俺自身が目を光らせているんです」由樹は淡々とした様子でそう説明した。嘘をついているようには見えなかった。「由樹、一つだけ聞かせて。千歳ちゃんとのこの結婚、本当にする気があるの、ないの!?」摩美は探るような眼差しで息子を見つめた。けれど由樹の淡々とした表情からは、何を考え
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第430話

三久と梨々香は目を見交わし、互いに同じ疑念を抱いた。「知ってます」三久はスマホをいじりながら、うつむいたまま何食わぬ顔を装って答えた。温子は身を乗り出し、声を少し落とす。「関わったことあるの?」三久は画面をいじる手を止め、スマホを閉じて温子を見た。「用があるなら、はっきり言ってください」「なんでそんなにもったいぶるのよ?」梨々香は苛立ちを抑えきれなくなった。「何、あんた高崎家の人なの?」温子は首を横に振った。「まさか、違うわよ。ただ、高崎家の人間には近づかない方がいいって言いたいだけ」「理由は?」「理由なんてないの。私があなたたちを害するはずないでしょう」温子は、いかにも「あなたたちのためよ」と言いたげな顔をした。「二人とも、本当に言うこと聞かないんだから。言っても聞かないなら、もう知らない。いざ高崎家の機嫌を損ねたって、私には助けようがないんだからね」梨々香はジト目を向ける。「あたしたちが何であの家の機嫌を損ねるのよ。回りくどい言い方やめてくれない?」「あなたたちが機嫌を損ねるんじゃなくて、高崎家があなたたちの存在を知ったら、向こうから目をつけられるってことよ」温子はテーブルを軽く二度叩いた。「あなたたちは、高崎家と因縁があるのよ」梨々香は言葉を失った。「私たちの生まれについて、何か知ってるんですね」三久は思わずそう口にした。温子は一瞬固まり、慌てて首を横に振った。「……っ!し、知らないわよ!」「知らないのに、どうして私たちが高崎家と因縁があるなんて言えるんですか?私たち、生まれてから今まで深川に来たのは初めてです」梨々香は急に表情を一変させた。「一体どういうことなの?」「もう」温子は数秒黙り込み、眉をひそめて言った。「実はね、私が高崎家と因縁があるの。だからあなたたちを高崎家の人間に近づけたくなかっただけよ」三久はすかさず切り込んだ。「そんなの信じません」「信じないなら、勝手にしなさい!」温子は見抜かれたことに動じる様子もなく、苛立った顔で立ち上がった。「急に用事を思い出したから、今日のご飯はまた今度にするわね」そう言うと、彼女はそのまま席を立って出ていく。あまりの速さに、三久と梨々香が反応する暇もなかった。「あの人、どういうつもりなの?」梨々香は「生まれ」という
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