保乃香ちゃん?直樹は何秒か考え込み、ようやく意味を理解した。彼の記憶が呼び起こされる。結婚して2年目、自分と真奈美はお互いを深く想い合っていた。絢香の話さえ出なければ、それは幸せな日々だった。会社が農村支援のプロジェクトを計画したとき、自分は真奈美を連れて現地視察に向かった。広がる黄金色の稲穂を見て、自分は穂を編んで束にし、真奈美に贈った。のちに、真奈美はその穂をデザインの中心に据え、国際コンクールで見事特等賞を獲得した。直樹は、ようやく絢香が勘違いをしていることに気づいた。「保乃香」ではなく、「穂花」だ。まだ若く向こう見ずだった頃、たしかに直樹は絢香に、将来子供ができたら「ほのか」という名前にしようと約束したことがある。だが、同じ約束を違う女二人にするはずなんかない。二人は違う存在なのだから。「絢香、勘違いだ」直樹は静かに言い放った。「俺の妻は真奈美しかいないから」「でも、あなたは本当に彼女を愛しているの?」直樹は表情を硬くした。頭の中に、真奈美の顔が浮かぶ。自分を心配する顔、期待に満ちた瞳、失望した横顔、つらそうに堪える表情……自分の中ですでに、真奈美という存在が大きな比重を占めていることに、彼は気づいた。「当たり前だ。俺は彼女を愛している」それだけ伝えると、直樹は席を立った。絢香の横を通り過ぎようとすると、彼女が腕を掴んできた。潤んだ瞳、やつれた顔。だが絢香が放った言葉に、直樹は背筋が凍った。「でも、あの女はもうあなたを愛してなんかない。だって、私はあの女に言ったから。保乃香ちゃんって名前は、私とあなたの未来の約束の証だって!」直樹は雷に打たれたような衝撃を受けた。人生で初めて絢香に対して冷酷な感情が浮かび、しがみついてくる彼女の指を一本ずつ引き剥がす。そして、振り返ることもなく、大股で歩き去った。ここ数日、直樹は真奈美が外で羽を伸ばしていて、気が済めば戻ってくるだろうと高を括っていた。以前までは、いつもそうだったから。だが今夜、子供の名前にまつわる事実を聞き、不安が胸を駆け巡った。あれほど子供を望んでいた真奈美が、あんな「真実」を聞かされれば、どれほど傷ついたことか。以前なら泣き喚いて離婚だなんだと騒いでいたはずだが、今回は一言の問い詰めもなかったのだ。
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