All Chapters of 我が子より他人の子?産後ワンオペ妻の離婚: Chapter 371 - Chapter 380

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第371話

やばい、まずいことになった。二人の男は車から飛び降り、再び奈緒を車の中に引き摺り込もうとする。「お願い!助けてください!連れ去られそうなんです!警察を呼んでください!」切羽詰まった奈緒の叫び声に、何人かの男性客やガソリンスタンドの従業員が駆け寄ろうとした。ところが、なんと男の一人が突然拳銃を取り出したのだ。黒い銃口が照明を鈍く反射し、その場の空気が一瞬で凍りつく。「止まれ!動くな!こいつは俺の女だ、揉め事にかかわるな!俺たちの揉め事に首を突っ込むんじゃねえ!状況が悪化したと見た犯人たちは、形相を変え、拳銃を突きつけて周囲を威嚇した。さすがに銃を目の前にしては、誰も動けない。助けようとしていた人たちも、恐怖に顔を強張らせながら後ずさった。奈緒がもう一度助けを求めようとしたそのとき、冷たい銃口がこめかみに押しつけられた。「黙れ!これ以上騒いだら、今ここで殺すぞ!ったく、余計なことをしやがって!」男は悪態をつきながら、奈緒の腹を思いきり蹴りつけた。「っ……!」強烈な痛みに、奈緒は思わず身体を丸める。額に冷や汗が浮かび、息を吸うことすら苦しい。誰の助けも得られぬまま、奈緒は犯人に荒々しく車内へ引きずり込まれた。今度は口に布を押し込まれ、手足まで縄で縛られる。もう一人の男はすぐさま車を発進させ、逃げるようにガソリンスタンドを飛び出した。車が猛スピードで走り出す。その最中、男は再び電話をかけた。「ちょっとまずいことになりました……こいつ、薬が効きにくかったみたいで途中で起きて、ガソリンスタンドで助けを求めやがったんで。かなりの人数に見られました。どうしましょう?誰かが警察呼んでたら……」「この役立たずが!ったく、女一人まともに扱えねえのか!もう警察が動いてると思え!倉庫には連れてくるなよ、こっちまで足がつくからな。人気のない場所で、そのまま片づけろ。最初から最後まで全部、動画と写真に収めろ。いいな?今度失敗したら、ただじゃ済まさねえぞ!」それだけ言うと、電話は切れた。奈緒の背中を冷たい汗が流れた。どうやら相手の目的は、最初から殺すことではない。自分を徹底的に辱め、その証拠まで残すつもりなのだ。どうする?このまま本当に……そう考えた瞬間、奈緒は絶望するように目を閉じた。
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第372話

ちょうど奈緒が助けを求めて叫んだとき、充たちもちょうどそのガソリンスタンドを通りかかっていたのだ。奈緒の声は、充にはすぐ分かった。そして、奈緒を乗せた車が猛スピードで走り去るのを見て、充は何も考えずに追いかけていた。そのとき、頭にあったのは一つだけ――奈緒に何かあってはいけない。ただ、それだけだった。だが相手の車は、どんどん人気のない道へ入っていく。このままでは、奈緒がどこへ連れていかれるか分からない。だから充は覚悟を決め、あえて犯人の車の後部に自車を追突させて、相手を強制的に停車させたのだった。胸が締めつけられるように痛む。充は美紀の手を振りほどくと、車内の隠しスペースから拳銃を取り出した。「妻が目の前で連れ去られるのを黙って見てるつもりはない!」充はそう言うと、迷うことなくワゴン車へ近づいていく。ワゴン車の中には煙が充満していた。運転席の男は追突の衝撃でフロントガラスに頭を打ち、流血して意識を失っていた。もう一人の男が、状況を確認しようと車から降りようとしたその瞬間……こめかみに冷たい感触が当たった。黒い拳銃が、ぴたりと向けられている。充の表情は冷え切っていた。「お前らは誰だ?なぜ俺の妻をさらった?答えろ!」「妻?」男の声が震えた。目の前にいる人物は高そうなスーツ姿で、どう見てもただの一般人ではない。さらに後ろを見れば、前部が大きく凹んだベントレー。自分たちはただ命令されたとおりに女を連れ去っただけ。ただ、「女を連れ去って楽しめ」と言われただけだったのに。まさか、女に指一本触れる前にその旦那が追いかけてくるとは思ってもいなかった。「俺は……知らない。ただボスに連れ去ってから、襲って写真や動画を撮れって言われただけで……」男は両手を高く挙げ、恐怖に震えながらすべてを白状した。充の口元が冷たく歪む。「お前に指示を出しているのは誰だ?答えろ!」充の恐ろしい眼差しに押され、犯人は強張った表情で口ごもった。「それは……その……」男が名前を口にしようとしたとき、背後から美紀の叫び声が聞こえた。「充さん!助けて!」冷ややかに振り返った充は、目を見開く。もう一人の犯人が車から出てきており、今度は美紀の額に銃口を押し当てていたのだ。充の顔から完全に表情が消えた。「彼
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第373話

犯人たちがもともと狙っていたのは奈緒で、美紀は巻き込まれただけ。だったら、まず美紀を解放させて、自分が残って交渉すればいい。そして、美紀を人質にしている男を見据え、ゆっくり口を開く。「彼女を離せ。先に逃がしてやれ」やっぱり、充が選んだのは美紀だった。今回も、何一つ変わらない。奈緒は不思議なくらい、驚かなかった。「いいだろう。お前がそう決めたんだからな」男は嫌な笑みを浮かべると、美紀のこめかみに押しつけていた銃を下ろした。美紀は待ってましたとばかりに、その場から飛び出す。しかし、美紀と男の視線が交わった一瞬、二人の目に同じような満足げな色が浮かんだことに、誰も気づかなかった。美紀が100メートルほど走って振り返ると、充はその場に留まっており、去ろうとはしていなかった。遠くからでも、充の声ははっきり聞こえた。「お前たちのボスが誰で、なぜ俺の妻を狙うのかは知らない。でも、金が目的なら、妻より俺のほうが持っている。だから俺を連れて、妻のことは解放しろ」美紀は耳を疑った。充は自分を助けただけではなく、奈緒まで何としてでも守ろうとしている。どうして?黎が自分の娘ではないと知ったはずなのに、それでもまだ、奈緒を手放せないというの?いつから奈緒が、充にとってこれほど大切な存在になったというのだ?美紀は悔しさに足を踏み鳴らした。そして唇を噛みながら、再び充のもとへ走っていく。「充さん!狙われてるのは奈緒さんで、私たちじゃないでしょ!なのに、なぜこんなことに関わるの?早く逃げなきゃ、間に合わなくなるよ!」美紀は、何としてでも充をここから連れ出したかった。犯人たちの注意も、一瞬そちらにそがれる。じっと好機をうかがっていた奈緒は、まさにこの一瞬を見逃さなかった。地を蹴って跳ね起きるやいなや、奈緒は油断していた男の手から銃を鮮やかに奪い取った。続けざまに相手の股間を強烈に蹴り上げると、その勢いで握りしめていた石を、もう一人の男の腕に向けて全力で投げつけた。相手が激痛に顔をしかめた隙に、銃が手から落ちる。驚いた充だったが、素早く反応し、転がってきた銃を拾い上げた。だがその時、奈緒の逃走を阻もうとして、美紀が奈緒に突然飛びかかり、その足にしがみつこうとした。しかし、奈緒が反射的に身
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第374話

充の冷え切った声が落ちる。「俺の妻から離れろ」「頭おかしいんじゃないの?」仁哉と奈緒の声が、ほぼ同時に重なった。奈緒は充を冷たく睨み、そのあと地面に倒れている美紀をちらりと見る。「充、私のことは放っておいて、大事な美紀の手当てでもしたら?」奈緒には、さっきの選択がまだ鮮明に残っていた。二人のどちらかを選べと言われたとき、充は迷わず美紀を選んだ。思い出すだけで、吐き気がする。「奈緒さん、大丈夫?ケガは?病院には行く?」仁哉が心配そうに尋ねる。奈緒は小さく微笑み、首を振った。「大丈……」そう言いかけた瞬間、身体の奥から、突然妙な熱が込み上げてきた。どこかで覚えのある感覚。これは、キャンプ場で薬を盛られたときと、ほとんど同じ……まさか?奈緒の顔が急激に青ざめ、心中穏やかではなくなる。さっきの二人組に打たれた薬は、あの時と同じものなのだろうか?奈緒は不安げに仁哉を見つめる。異変を察した仁哉が声をかけようとすると、奈緒の顔は次第に赤く染まり、その瞳は潤んで焦点が合わなくなっていた。まずい。前回の出来事を思い出し、仁哉はすぐに状況を理解した。一瞬の迷いもなく、奈緒を抱き上げようとする。しかしその時、背後に銃口が突きつけられた。充のしゃがれた声が響く。「仁哉、そこまでだ!奈緒は今も俺の妻だ!そこから離れろ!」仁哉は動きを止め、呆れたように首を振った。今の状態で奈緒を充に任せるなんて、羊を虎の檻に投げ込むようなものだ。奈緒がどれほど離婚を望んでいるか、仁哉は知っている。「銃を下ろせ。奈緒さんの様子がおかしいから、今すぐ病院へ連れていく」仁哉は冷静に言った。しかし、充は銃を下ろすどころか、そのまま仁哉の脇から前へと回り込んだ。そこでやっと、奈緒の頬が赤く染まり、目も潤んでいるのを見て、充もようやく異変に気づいた。その表情がさらに険しくなる。「俺は奈緒の夫だ。病院へ連れていくなら俺が連れていく。仁哉、渡せ!」仁哉は冷ややかに見返した。「充、今は揉めてる場合じゃない」充も一歩も引かない。「早く俺に渡せ。三つ数える。1……2……」その頃には、奈緒の中で薬が一気に回り始めていた。全身がひどく熱い。身体の内側を無数の虫が這い回るような、耐えがたい不快感が押
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第375話

仁哉はためらうことなく、奈緒を抱き上げた。すぐに車に運び込み、ロックをかける。発進しようとしたその時、狂ったように追いかけてきた充がドアを激しく叩き、開けろと叫んでいた。だが、その頃には奈緒の身体に回った薬が完全に効き始めていた。まるで血管の中に、煮えたぎる溶岩を流し込まれたように、全身が焼けるように熱い。肌は異様なほど敏感になり、服が擦れるわずかな刺激にさえ耐えられず、苦しそうに身をよじる。「あ……っ、熱い……」あまりの苦しさに、声は泣き声まじりになっていた。普段の奈緒からは想像もつかないほど、甘くか細い声。両腕が意志に反して仁哉の首へ伸びる。そのままセンターコンソールを乗り越え、仁哉の膝の上へ跨るようにして、身体ごとしがみついた。狭い車内では、仁哉も簡単に引き離すことができない。奈緒は少しでも冷たさを求めるように、仁哉のひんやりとしたシャツの襟元へ頬を擦り寄せた。熱に浮かされたまま顔を寄せ、少しでも身体の火照りを鎮めようとする。仁哉は驚きに目を見開いた。呼吸が一気に乱れる。一刻も早くこの場を離れ、奈緒を病院へ連れて行かなければならない。なのに、よりによってこんなときに、充が車の前に立ちはだかり、仁哉が奈緒を連れていくのを必死に阻もうとしている。車内には、薬に翻弄され、すでに理性を失いかけている妻。車外には、嫉妬に我を忘れて暴れ回る夫。ドラマ以上にひどい修羅場が、今まさに仁哉の目の前で起きていた。仁哉はたまらず何度もクラクションを鳴らした。「奈緒さん、頼むから動かないで。運転できない。僕の声が聞こえる?もう少しだけ我慢して。すぐ病院へ連れていくから」仁哉の声は張り詰めていた。クラクションを鳴らして充をどかそうとしながら、もう片方では、動き回る奈緒の腰を必死に支える。「ねえ……欲しいの……」薬が完全に回った奈緒に、まともな判断力など残っていなかった。意識は熱に浮かされ、何も考えられないほど朦朧としている。潤んだ目で顔を上げ、赤く火照った唇をわずかに開く。その指先が仁哉の喉元をなぞり――次の瞬間、シャツの襟を掴んで引いた。熱い吐息が、仁哉の顎にかかる。今の奈緒には、目の前にいる男が誰なのかさえ分かっていなかった。分かっているのは、この苦しさの中で唯一すがることのできる存
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第376話

額には青筋が浮かび、汗と埃にまみれた姿は、ひどく狼狽し、狂気すら感じさせる。だが車内の二人は、まるで外界から切り離された世界にいるかのようだった。奈緒は理性を失い、全身を熱く焦がす衝動に襲われていた。無意識のうちに襟元を引っ張り、少しでも身体を楽にしようとする。指がシャツの一番上のボタンにかかり、そのまま強く引いた。プツンッ――ボタンが弾け飛び、白い肌とすっきりした鎖骨が覗く。「駄目だ……奈緒さん。しっかりして」仁哉の声は低く、ほとんど掠れていた。こんなふうに激しく迫られた経験など、仁哉にはもちろんない。しかも相手は薬で自分を見失っている奈緒だ。唇を押し離してもすぐに手が絡みつき、両腕を封じても足が腰に巻きついてくる……仁哉は汗だくになり、息を切らしながら、ただひたすら奈緒を落ち着かせようとしていた。閉め切られた車内には熱気がこもり、窓ガラスが次第に白く曇っていく。その外では、充がまだ車に体当たりを続けていた。身体はとっくに痛みの感覚すら失っている。この車ごと焼き払ってしまいたい――という衝動に駆られた瞬間だった。曇った窓ガラスに、細い手が触れた。くっきりと手形が残る。そしてその直後、その手に重なるように、大きな手が添えられた。まるで映画のワンシーンのように。ガンッ……充の世界は、音を立てて崩れ落ちた。窓ガラスに重なって残る二つの手形を見つめながら、胸の奥で何かが粉々に砕けていくのが分かった。真司がボディガードたちを引き連れ駆けつけたときには、充は心臓の負担に耐えかね、その場に力なく倒れ込んでいた。ほどなくして、パトカーと救急車のサイレンがけたたましく響き渡る。充と美紀は、相次いで救急車へ運び込まれた。車が解錠され、降りてきた仁哉と奈緒は、まるで水をかぶったように汗びっしょりだった。髪まで濡れ、全身に汗がまとわりついている。仁哉の首元には、いくつもの赤い跡が残っていた。そして彼のシャツは奈緒の肩に掛けられ、その身体をすっぽりと覆い隠している。仁哉が救急隊員に手短に事情を説明すると、奈緒もすぐさま担架に乗せられ、そのまま救急車で病院へ搬送されていった。真司と仁哉も、急いであとを追う。病院ではすぐに鎮静剤が投与され、点滴による処置も行われると、ほどなくして、奈緒はよう
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第377話

廊下の青白い照明が、充の顔を照らしていた。ただでさえ血の気を失っているその顔は、今にも嵐が来そうなほど険しく曇り、ぞっとするほどの迫力を放っている。仁哉は深く息を吸い、胸の奥に込み上げる苛立ちを押し殺すと、冷ややかにその視線を受け止めた。「なんだ?」充は答えず、仁哉の目前まで詰め寄った。互いの息遣いさえ感じられるほどの距離。「お前……奈緒に何をした?」声はひどく掠れている。つい先ほど意識を取り戻したばかりなのだろう。顔色も悪く、身体にもまだ力が戻りきっていない。仁哉は鼻で笑った。その目には隠しようもない皮肉が浮かんでいる。「充、それは美紀に聞くべきだと思うぞ。奈緒さんが連れ去られ、薬まで盛られた。心当たりがあるんじゃないのか?」「俺が聞いてるのは、お前が奈緒に何をしたかってことだ!」充は声を荒らげ、額に青筋を浮かべて仁哉の襟首を掴んだ。「車の中で……二人で何をしてたんだ?どこまでやった?答えろ!」先ほど目にした車内の光景を思い出した途端、充の目が再び血走った。あの光景が焼き印のように脳裏へ刻み込まれ、どうしても離れない。仁哉は、完全に我を失っている充を見て、呆れるしかなかった。彼は充の手を淡々と払いのけ、説き伏せるように言い放った。「奈緒さんが薬で理性を失ってたから、僕は一刻も早く病院へ連れていこうとしたのに、それを君が外から邪魔したんだろ?僕は最初から最後まで、奈緒さんにやましいことは何ひとつしてない。ただ……」仁哉が言い終わる前に、充が遮った。「俺はこの目で見た!奈緒がお前の膝の上に跨って、唇を重ねていたところをな!何もなかったっていうなら、どうして窓を開けなかった?どうしてドアを開けなかったんだよ!お前は……奈緒が正気じゃないのをいいことに……仁哉の顔から、すっと表情が消えた。あまりにも話が通じない。「薬で意識を失って、目の前にいる僕に必死ですがった。それだけの話だ。そんなことも理解できないのか?充、勝手な妄想はいい加減にしろ。そんな無駄な話に付き合ってる暇はないんだ。全ては奈緒さんが目を覚ましてから、本人が判断すること。今は奈緒さんを休ませたいから出ていってくれ」真司もまた、厳しい眼差しで充を牽制する。「青木社長、お引き取りください」仁哉と真司のまるで自分
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第378話

自分の身体がおかしいと気づいたあの瞬間、奈緒は最後に残った理性で、あの状態の自分を託すなら、充ではなく仁哉を選んだ。それは、意識が途切れる寸前の奈緒自身が下した選択だった。だから、奈緒には仁哉を責めるつもりなど微塵もない。あの時の状況はあまりに混沌としていて、どうしようもできなかったのだから。充に連れ去られることへの本能的な拒絶が、奈緒を仁哉の元へ向かわせた。車に乗ったあとのことは、ほとんど記憶に残っていない。だが、自分がどんな状態だったのかくらいは分かる。でも、仁哉だって、巻き込まれただけなのだから、仮に何か行き過ぎたことがあったとしても、奈緒には彼を責める気はなかった。ましてや、充には仁哉を責める資格などない。一体、何が「夫」だ?自分が危険にさらされるたび、いつだって美紀を選んできた男が、今さら夫を名乗るなど、笑わせてくれる。「奈緒、お前……あいつが車の中で何をしたか分かってるのか!?」充は信じられないという顔で声を荒らげた。「お前が朦朧としている隙にその体を弄んだ男だぞ。それを責めるどころか、かばうって?奈緒、感謝する相手を間違えているんじゃないか?あのとき危険を承知でお前を助けに行ったのは……俺だろ!」充は胸を押さえた。刺すような痛みに、体は震え、姿勢を維持することすらままならない。奈緒は冷ややかな笑みを浮かべ、ようやく視線を彼に向けた。妻を愛していると必死に訴えるその姿を見ても、胸が揺らぐことはなく、ただ皮肉としか思わない。「あなたが危険を冒して助けたのは、美紀でしょ?私じゃない」奈緒の唇に嘲るような笑みが浮かんだ。「充。私は最初から、あなたが助けてくれるなんて期待してないし、命懸けで助けてもらおうとも思ってない。だって、私たちはもうとっくに終わってるから。残ってるのは、離婚届を提出することだけ」奈緒は深呼吸をし、残る力を振り絞って病室のドアを指さした。「出て行って。あなたの顔を見るのも嫌なの」充は諦めきれず、目を赤く充血させて叫んだ。「俺はお前の夫だ!ここにいる権利がある!奈緒、お前……どうして俺にだけそんなに残酷になれるんだ?ほかの男にはいくらでも優しくできるくせに、どうして俺にだけ?」「夫?」奈緒は乾いた笑い声を漏らした。「妻が命の危険にさらされるたび、いつも
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第379話

奈緒は少し言葉を切り、最後にこう締めくくった。「本当に大切なのは、嵐が来たとき、迷わず相手のために傘を差し出してくれるかどうか。背を向けて立ち去って、たった一人で嵐の中に置き去りにするような人じゃない」仁哉の胸が、ぎゅっと締めつけられた。水の入ったコップを持つ指先に、無意識に力がこもる。「……」奈緒の目に、再び涙が浮かんだ。あまりにも痛く、苦い経験の末にたどり着いた答えだった。「本当の責任感って、お金をどれだけ与えてくれるとか、心を満たしてくれるとか、そういうことじゃないと思うの。家に帰ったとき、その人が本当に妻と子どもの支えになれるか。いざというとき、迷わず妻を一番に選べるか。損得を天秤にかけてあれこれ迷うんじゃなくて……大切な人のために、迷わず動けるかどうかってこと」奈緒は顔を上げ、仁哉を見つめた。その瞳には、隠しきれない傷が滲んでいる。「最初はね……私も充のことが大好きだったし、尊敬もしてたの。この人なら私を守ってくれる、どんな嵐が来ても、私の盾になってくれるってそう信じてた。でも、黎を産んでようやく分かった。あの人は私を嵐から守ってくれる人なんかじゃなくて、あの人自身が、私の人生で一番大きな嵐だったんだって。私がつらいのは、充を失うからでも、あの人との恋が終わるからでもない。ただ……私が信じてた『愛』ってものを、全部あの人に壊されたことが、つらいの」奈緒は鼻をすすり、頬を伝っていた涙を乱暴に拭った。その仕草とともに、今にも崩れそうだった表情が少しずつ消えていく。代わりに宿ったのは、これまでにない強さだった。「だからもう決めた。これから先の人生、恋だの愛だのなんて二度と信じない」仁哉の目がわずかに揺れた。「そこまで決めつけなくてもいいんじゃないか。いつか本当に合う相手と出会ったら……」「合う相手?」奈緒はまるで冗談でも聞いたように、乾いた笑いをこぼした。ベッドの背にもたれながら、どこか吹っ切れた顔をする。「充との離婚手続きが終わったら、家族を連れて3人で静かに暮らす」そこで一度言葉を切ると、奈緒は仁哉へ意味ありげな視線を向けた。「それに……こっちが本気になったところで大切にしてもらえないなら、もう愛なんて信じるお人好しになる必要もないでしょ?それに、蛍が前に言ってたの。男は
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第380話

「私たち、いい大人でしょ?あなたが気にしない、私も気にしないってことで、この話はおしまい。これからも今までどおり、仕事ではいいパートナー、プライベートではいい友達。それでいいよね?」仁哉は、恥ずかしがっているくせに必死で平静を装う奈緒を見つめた。胸の奥が、ふっと軽くなる。なるほど……散々遠回りして、あんな突拍子もないことまで言い出したのは、結局、自分が気に病んでいないか心配していたのだ。このことが原因で気まずくなり、自分から距離を置かれてしまうことを恐れていたようだ。強気で豪快に見えて、その実、驚くほど人の気持ちに敏感な女性だ。「わかった」仁哉は唇を結んだ。ふっと気持ちも軽くなり、目の奥には柔らかな笑みが滲む。「気にしてないし、変に考えてもいないよ。だって奈緒さんの言うとおり、あれはどうしようもない状況だったから」一拍置いてから、仁哉は熱のこもった眼差しで奈緒を見つめ、少しばかり冗談を混ぜてこう言った。「ただし、男は遊び相手で十分っていう考えには賛成できないな。世の中ろくでもない男も多いから、下手な相手を選んだら、結局傷つくのは君だからね」奈緒がぱちぱちと瞬きをする。「じゃあ、どうしろっていうの?一生男なしで生きろって?」仁哉が低く笑った。落ち着いた、耳に心地よい声。「こうしよう。離婚したあと、どうしても男遊びをしてみたい。でも変な男に引っかかるのは嫌だっていうなら……」仁哉は自分を指差した。その目は冗談めいているようでいて、不思議なほど真っすぐだった。「僕をお試し相手にすればいい。僕なら素性も分かってるし、変な過去もない……何より絶対安全だからね」奈緒の瞳が大きく見開かれた。瞳を揺らし、繕っていた余裕が完全に崩れ去った。頬はたちまち真っ赤に染まり、耳まで熱くなっていく。仁哉とこんなにも砕けたプライベートな会話をするのは、これが初めてだった。そもそも自分があんな話をしたのは、仁哉に余計な負担を感じてほしくなかったから。だからわざと「私は全然気にしてない」と見せつけるように、男なんて遊びで十分だとまで言ってみせたのに、まさか仁哉のほうが一枚上手だったとは……奈緒の突拍子もない発言を笑うどころか、冗談とも本気ともつかない調子で乗ってきたのだ。完全に不意を突かれた奈緒は、しどろもどろになる。
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