All Chapters of 死ぬほど大嫌いな幼馴染と、政略結婚することになりました。: Chapter 101 - Chapter 105

105 Chapters

第101話 新婚旅行編⑦

「え……? アメリカの、大学院?」 驚きを隠しきれず、思わず冴の横顔を凝視する。 アメリカ。確かに目指しているとは言っていたけれど、有言実行するなんて、俺は一度も相談されていない――。 俺の動揺を察したのか、冴は少しだけ眉を下げ、目を細めた。 「美森、まだ話していなかったな」 「……本当だよ。俺、何も聞いてないんだけど」 少しだけ声が尖ってしまったかもしれない。 驚きと、ほんの少しの寂しさが胸を掠める。 冴は俺の左手をテーブルの下でそっと包み込み、耳元で低く囁いた。 「すまない。隠すつもりはなかったんだ。ホテルに戻ったら、詳しく話す」 その真摯な瞳に見つめられると、それ以上は何も言えなくなる。けれど、向かいの席のツッコミ担当がそれを逃すはずがなかった。 「おいおい新婚初日から重大な密約かよ! 報連相がなってないぞ、旦那さん!」「やめろ、茶化すな」 玲央がニヤニヤしながらすかさず突っ込んでくる。さらに苑真が、大袈裟に両手を頬に当てて悲鳴をあげた。 「え〜! 冴もアメリカ行っちゃうの!? 玲央と二人でニューヨーカー気取り? ずるい、俺も混ぜてよ! ベルリンで一人ぼっちにされたら、寂しくて死んじゃう!」 「お前は寂しがりのウサギか。つーかアメリカのどこだよ、国が広すぎるわ!」 玲央が間髪入れずに叩くと、冴は淡々と答えた。 「玲央の声は州を跨いでも届きそうだな」 「なにそれ、わざわざデンマークに来てまで俺のこと馬鹿にすんの!?」 声を揃えて突っ込む玲央と苑真の姿に、胸の奥のモヤモヤが一瞬で吹き飛んでいく。 冴がアメリカに行く。その事実にはまだ驚いているけれど、冴が自分の未来を、そして俺たちの未来をどう描いているのか、後でじっくり聞けばいい。 場所が変わっても、俺たちはそれぞれ違う空の下で生きていても、こうして集まれば一瞬で高校時代のあの距離に戻れる。その絶対的な安心感が、今の俺にはたまらなく愛おしかった。 『Her er vores klassiske æbletærte, serveret med hjemmelavet vaniljeis.』 (当店自慢のリンゴタルトと、自家製バニラアイスクリーム添えでございます) デザートに運ばれてきたのは、リンゴのタルトにバニラアイスクリーム。薄切りにされたリンゴが、まるで大輪
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第102話 新婚旅行編⑧

ホテルへ戻る道は、冴と二人きりで静かに歩いた。 先ほどまでいたレストランの横を流れる運河の前で、玲央と苑真とは別れたからだ。 「明日また、容赦なく観光に連れ回してやるからな」 「美森たちに構いすぎるな。少しはふたりきりにしてやれ」 玲央が少し呆れたようにたしなめている。そんなふたりの賑やかな掛け合いが、コペンハーゲンの冷たい夜の街に溶けて遠ざかっていく。 それを背中で聞きながら、俺たちは街灯に照らされた石畳の道を、互いの歩調を合わせるようにゆっくりと進んだ。石畳の継ぎ目を踏むたびに、靴底から微かな振動が足へと伝わってくる。 運河沿いに立ち並ぶ建物の窓から漏れる橙色の光が、濡れた石の上に幾つもの小さな水溜まりのような反射を作っていた。人の声はもうどこにも聞こえない。聞こえるのは、自分たちの息の白さと、遠くの水面がかすかに波打つ音だけだった。 不意に、冴の手が自然な動作で俺の指先を掠め、そのまま包み込むようにして手を繋ぐ。 「冴?」 「もう、婚姻関係になったんだ。それに、この国だったら誰にも白い目で見られない。香月の家だとか、後堂のブランドだとか。そういうしがらみがなく、過ごせるだろう?」 「……うん、そうだね」 冴の声は静かで、言い訳でも確認でもなく、ただ事実を口にしているような響きだった。俺は彼女の横顔をちらりと見た。街灯の光の中で、冴は正面を向いたまま、どこか遠くを見ているようだった。 あの後も、俺たちはお互いの実家と何も連絡を取っていない。 たまに、俺は雲雀兄さんから、冴は嶺さんから近況報告のような便りが届くことこそあれど、それ以上深入りしないというか、過度な接触はしないようにしていた。二つの家の間にある、言葉にならない距離感を、俺たちはまだどう扱えばいいのか、答えを出せずにいる。それでも今夜くらいは、そのことを考えずにいてもいいだろうと思った。 本当だったら、お互いの家族に囲まれて、それこそあの日の結納のように、たくさんの人の祝福を受けることこそが「家にとって」の幸せなのかもしれない。けれど、たった四人しかいない結婚式だったとしても、冴と俺は十分に満たされていた。 (……いつか、冴のお母さんの墓前でも、すべてを報告しなくちゃ。きっと冴自身も、胸のどこかでそれを考えているはずだ) その思いが脳
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第103話 新婚旅行編⑨

「……一緒に来てほしい、ついて来てくれるか。美森」「うん」俺は小さく笑って、彼の目を見つめ返した。「行くよ。どこへでも」返事は一言、ただそれだけだった。これからの人生を決める約束にしては、あまりにも短く、あまりにも呆気ないやり取り。けれど、冴がどこの国へ行くか、何を学ぶかよりも、冴の隣に俺がいるということの方が、俺にとっては最初から当たり前の、世界のルールのようなものだったから。「ありがとう。……本当に」冴の手が伸びてきて、俺の後頭部を包み込むようにして、ゆっくりと自分のほうへ引き寄せた。 請われるままに彼の肩に額を預けると、仕立てのいいスーツの生地が、夜気の残りでほんの少しひんやりと冷たくなっている。けれど、そのすぐ奥にある彼の体温は、驚くほどにあたたかくて、鼓動が静かに波打っているのが伝わってきた。「……お前に、ずっと苦労をかけている気がしていたから。正直自信がなかった」「してないよ」「している。しかも、俺の勝手に付き合わせてばかりだ」「俺が好きで付き合ってるんだから、そんなの苦労って言わない」冴はしばらく何も言わなかった。返事の代わりに、俺の髪を撫でる大きな手が、愛おしさを確かめるようにゆっくりと動く。窓の外では、コペンハーゲンの夜がまだ静かに、美しく続いていた。 今日、この異国の地で俺たちは結婚して、帰国して生活が落ち着いたら、今度はふたりでアメリカへ行く準備を始める。そう考えると、人生というものは思ったよりもずっと、誰かの指先ひとつで、劇的に動いていくものだなと思った。でも、目の前にいる人、隣で体温を分け合ってくれる人が変わらないなら、それだけでいい。「はぁ……っ、冴……」俺が小さく息を吐き出すと、冴の手が俺の顎に触れ、ゆっくりと顔を持ち上げさせた。 自然と、視線が至近距離で交錯する。冴の瞳の奥に、いつになく熱く、深い光が灯っているのが見えた。ネクタイを外した彼の鎖骨のあたりから、微かに香る男らしい匂いが、鼻を掠めて部屋の中にふわりと広がる。「美森」名前を呼ぶ声が、いつの間にか熱を帯びて低くなっていた。 冴の顔が近づき、お互いの吐息が触れ合うほどの距離になる。彼の唇が、俺の唇に優しく求めるように重ねられた。一度、二度、角度を変えて深く貪るようなキスが交わされるたび、ソファの上の空気が一気に甘く、濃密なものへと変貌してい
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第104話 新婚旅行編⑩

「待って、苑真のプレゼント……」 「後でいいだろう」 「でも、冴も幸せになれるって、苑真が」 そう言うと、冴はちょっとだけ苛立った顔で苑真の紙袋を俺に渡してくれた。 ムードは満天だったのに、申し訳なさもある。けど、その……店を出る前に苑真に耳打ちされたのだ。 "冴と初夜を迎える前に必ず開けてね" 最初はその言葉の意味こそわからなかった。なんかいやらしいものでも入っていたら、と思うけれど、あの苑真が空港の荷物検査もあるのにそこまでして、茶化すようなものを入れ込むとも思えない。 紙袋をそっと開くと、中に入っていたのは透けるオーガンジーで出来た、目を見張るような―― 「…………ウエディングヴェール?」 そう。花嫁が、新郎にキスの前にそっと持ち上げて貰う結婚式のあれだ。 ぽかん、として両手の中にふわりと揺れるそれを見つめて、息をのむ。俺、男なんだけど、とかいうより何より、そこに刺繍された繊細なレースが、苑真からの友情を物語っていた。 「これ……」 「どうしたんだ」 冴が少し身を乗り出して、俺の手元を覗き込む。 「四葉のクローバーと……」 指先でそっとなぞりながら、刺繍を辿っていく。白い糸で縫い取られた細やかな模様たちが、オーガンジーの上にひっそりと息づいていた。 「マートル……花嫁が持つハーブで、真実の愛、って意味で。白いバラは、純粋な愛と新しい始まり。スズランは……幸福の再来、かな。それから、こっちはオレンジブロッサム。永遠の愛と多幸、だ」 言葉にするたびに、じわりと目の奥が熱くなっていく。 「全部、俺たちへの……」 最後まで言えなかった。喉が、うまく動かない。 苑真のやつ。あんな顔して、あんな口ぶりのくせに。玲央と笑いながら騒ぎ立てていたくせに、こんなものを――たった四人の、誰にも知られない小さな結婚式のために、こんなに細やかなものを用意していたのか。 ヴェールを持つ手が、微かに震えた。 冴が何も言わずに、俺の隣でそれを見ていた。 「……苑真らしい」 やがて、冴がぽつりと言った。批評でも皮肉でもなく、ただ、そのままの事実として。その声が、思いのほかやわらかかったから、俺はますます泣きそうになった。 冴が俺の手からヴェールを受け取り、そっと被せてくれる。 薄い生地が視界に落ちてくる瞬間、世界がひとつ、遠くなった。
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最終話

――アメリカ・ボストン。凍てつくような冬の厳しい空気と、歴史の重みを湛えた古き良き伝統が同居するこの街で、俺たちは古い煉瓦造りのアパルトマンの一室に身を寄せ合って暮らしはじめた。重い格子の窓の外では、夕暮れ時の淡い琥珀色の光が、白樺の街路樹の影を長く斜めに伸ばしている。隙間風を防ぐための古いサッシのあわいから、時折ひゅっと忍び込んでくる風は肌を刺すほどに冷たい。けれど、一歩この部屋の境界を跨げば、そこはスチームヒーターの放つ頼もしい熱気と、俺たちがここで積み重ねてきた愛おしい日々の匂いで満ちていた。珈琲の残り香、微かに残る花の葉の青さ、そして洗いたてのファブリック。 玄関のドアを開けた瞬間、「あぁ、自分たちの家に帰ってきた」と、身体の芯から安堵の溜息を漏らせるようになったのはいつからだろう。それが、冴と俺の関係が幼馴染、恋人、婚約者という名前を経て――名実ともに「家族」になったことを何よりも雄弁に物語っている気がした。ふたりでこの街に引っ越して間もない頃、慣れない英語で店員とやり取りしながら選んだ、シェードの形が丸みを帯びている間接照明。そこから零れる柔らかな飴色の光が、リビングの琥珀色のフローリングの上に、まるでふたりの記憶の残像を映し出すかのように、ゆらゆらと穏やかな影を落としていた。今日は自宅のリビングを解放して開いているフラワーアレンジメント教室で、個人レッスンをつけている小学生の男の子のレッスンの日だった。 数ヶ月前、開講して間もない頃は、それこそ文字通り閑古鳥が鳴いていた。異国の地で、実績もない日本人の男が始める教室だ、当然と言えば当然だった。けれど……冴が築いてくれた現地の人脈や、根気強く通ってくれた最初の生徒さんの口コミが、少しずつ、けれど確実に街の細い路地を伝うように広がっていった。 今では週に五日間、午後のクラスはどの年代も満席になるほどの人気ぶりだ。 おそらく、本物の日本の華道の家系に生まれ、その技術を基礎に持っているという事実が、この街の芸術を愛する人々にとって一種のエキゾチックなブランドになっているのだと思う。 けれど、俺は「香月」というその歴史ある姓を、ここでは極力伏せるようにしていた。それは自分が看板の重みに頼らず、この異郷の地で、自分の腕一本で生活をしていく上での覚悟の証明でもあった。そして何より、もうあの伝統という
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