All Chapters of バ先のダウナー男子に、気付けば毎日溶かされています。: Chapter 91 - Chapter 100

104 Chapters

【番外編】モブ腐男子からみた佐伯×小瀧⑧

数時間後。「ふぇっくしょい!」 爆音が響いた。深夜の静寂を切り裂く、小瀧のくしゃみ。 叩き起こされた俺は、半分寝ぼけたまま壁掛け時計を見る。時刻は午前三時過ぎ。それなりにしっかり寝ていたらしい。 次の瞬間、布が擦れる音がして、俺と佐伯の間にいたはずの小瀧が、ころん、と俺の方へ転がってきた。 ……いや、待て。 そのまま、小瀧は寝ぼけたまま俺の浴衣を掴む。「澄人、さむい……布団いれてよ~……」 声が甘い。酔いも完全に抜けていない。 てゆーか、モロ下の名前で呼んでるし。 あーあ、こりゃあ明日は祭り確定。モブ美たちに教えてやらんと、と思っていると、すりすり……と頬を浴衣越しの腕に摺り寄せてきた。 いやいやいや。まてまてまてまて。違う違う違う。 俺はそういうポジションじゃない。間男枠でも、代替品でもない。 頭の中で即座にシミュレーションを回す。 触らない。声を出さない。自然に戻す。 これが最適解。 ――なのに。 小瀧は俺の腕に擦り寄ってくる。完全に俺を佐伯と間違えている。 背中に、温泉で流したはずの汗がじわっと滲んだ。 これはまずい。俺は一端のモブだが、一応男だし、身体的にも、精神的にもこんな風に擦り寄られてナニが反応しないこともない。 仕方ない、追加の毛布でも掛けて転がすか……と決断した、その瞬間だった。 暗闇から、ガッと伸びる手。 次第に俺の首元に絡みつこうとする小瀧を、正確に、強引に制止する手だった。 反射神経と判断速度が、普通じゃなかった。 ――佐伯だ。 佐伯は一切の躊躇なく、小瀧の体の下に腕を差し込み、当然のようにお姫様抱っこ。 そして何事もなかったかのように立ち上がり、自分の布団へ運んでいく。 俺は横向きのまま、即座に目を閉じた。 寝たふりスキル、最大出力。 薄目を開ければ、月明かりで部屋の影がぼんやりと見える。 佐伯は布団に小瀧を寝かせると、慣れた手つきで、その髪を撫でていた。 ……え。 ……え、ちょっと待って。 そんな甘い仕草、佐伯が出す?? 普段の、効率厨・毒舌・合理主義の佐伯と、今ここで静かに髪を撫でている男が、同一人物だと? そして――俺が完全に夢の世界へ行った、と二人が疑いもしなくなった頃。 その油断を合図にしたみたいに、空気が変わった。「南緒」
last updateLast Updated : 2026-06-02
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【番外編】モブ腐男子からみた佐伯×小瀧⑨

……あ。俺のスマホだ。こんな非常識な時間に送ってよこすのは、モブ美たち以外、あり得ない。 その一瞬の光に、二人はぴたりと動きを止めた。 しかし、グループラインが盛り上がり続けるせいか、一向に画面が暗くならない。「……やっぱ無理」 佐伯はそう言うと、むすっとしているのであろう小瀧を宥めるように、何度か頭を撫でていた。「触るだけもダメ?」「ダメ。流石にそこ触られると俺も止まる自信ない」 結局は互いの体温を確かめるみたいに、同じ布団の中に収まっていく。 ほどなくして、静かな寝息が聞こえてきた。 ――終了。 未遂。ギリギリの理性勝ち。 なおその夜、俺はほぼオールで一睡もできなかった。 精神的にも、物理的にも、色んな意味でギンギンだったことを、ここに正直に記しておく。 しかし、本当の美味しい場面は二人が目を覚ましてからだった。*** 最初に目を覚ましたのは、小瀧だった。 むくり、と上体を起こし、ぽやんとした顔で一度天井を見つめる。 状況把握がまだ追いついていないらしく、眠たそうに目を擦りながら、きょろきょろと部屋を見回していた。 どうやら昨夜の泥酔が若干、尾を引いているらしい。 慰安旅行で旅館に泊まっている、という現実が、脳内で完全に同期できていない顔だ。 そのまま視線が、隣へ。 横向きで眠っている佐伯を見つけた瞬間、迷いは一切なかった。 するりと距離を詰め、自然すぎる動作で体を寄せ、顔を近づけていく。「澄人」 静かな部屋に落ちたその声は、あまりにも甘ったるくて、 どう聞いても「家で迎える朝」のテンションだった。 職場モード? 何それ知らない、という感じで、 小瀧は佐伯の髪を指で軽くすくい、耳にかける。 そして、音も立てずに頬へ――ひとつキスを落す。 ありゃ、ふたつ。 ……オアァ、鼻にもいった。 おーーーーい。おいおいおいおい。まだ朝の六時前ですよーーーー!? 俺の脳内で、勝手にゴングが鳴った。 カーン。第二ラウンド開始の合図です。 小瀧は、とんとん、と佐伯の肩を軽く叩く。 けれど佐伯は微動だにせず、完全に熟睡中。 それを見て、小瀧はふっと微笑んだ。 布団の中の恋人を見つめる、その目が、あまりにも柔らかい。「……今日も大好き」 当然、自分しか聞いていないと思っている声量
last updateLast Updated : 2026-06-03
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【番外編】モブ腐男子からみた佐伯×小瀧⑩

パタン、と静かにドアが閉まる。 さて、そろそろ俺も起きたフリをして、腐女子ーズにLINE返すか……と思った、その瞬間。 タッチの差で、佐伯が俺より先に起き上がった。 そして、先程まで小瀧が噛みついていた自分の腕を見下ろし、めちゃくちゃ小さい声で、ぽつり。「…………最悪。何なのアイツ、マジでさぁ……」 ――はい、全て察しました。 そりゃそうだよな。 朝っぱらから恋人にあれだけチュッチュされて、 向こうは起きてると知らずに「大好き」連呼して、 唇はむはむされて、挙句に腕まで甘噛みされて。 勃って 当 然 です 。 佐伯は額と目元を片手で覆い、無言でしばらく固まっていた。 素数かフィボナッチ数列でも数えてるのか、という沈黙。 ……しばらくしてから、立ち上がった。 どうやら鎮火したらしい。 ――三十分後、大浴場を満喫してきた小瀧が戻ってきた。 浴衣から私服に着替え、上機嫌。「あ、モブ太郎くん。おはよー」「ハワ……オハヨッス」 もはやまともに人間の言葉で会話することが出来ない。 そして、俺は気付いてしまった。 シャツの襟が、中に折れ込んでいる。「小瀧、襟……折れて中に入っちゃってるよ」「え、マジ?」「そっちじゃない、ここ……」 そう言って触れかけた瞬間、 俺は反射的に、瞬足で手を引っ込めた。 ……見てしまった。 襟足に、くっきりとした“歯形”。 思いっきり上下の歯の跡。 言い逃れ不可能なレベル。 振り返ると、小瀧はポカンと首を傾げている。 どうやら自覚、ゼロ。 いや、普段どんなプレイしてるんですか?? 佐伯さん??? どういうことなの…… 独占欲? 印ってこと? キスマだけじゃ物足りないということ?? 支度を終えた佐伯が戻り、俺たちは旅館を後にした。 モブ美たちからの鬼LINEは止まらないが、今は無理だ。 致死量のイチャイチャを浴び、 匂わせどころか直嗅ぎさせられ、完全にキャパオーバー。 極めつけは、土産物コーナーでの二人の会話だった。「南緒。これ、理緒に買ってけば」「あ、いいね。父さんと母さんの分はどうしよっかな」「真緒さんはこの菓子好きそうだろ。 ……お義父さんは地酒でいいんじゃね。 宅配でまとめて送るか。俺が払うから、南緒が伝票書いて」
last updateLast Updated : 2026-06-04
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第84話 いつも通りのはずだった

「俺と高橋でレジ締め二台やっとくから、小瀧と橋本で清掃しといて」 佐伯から飛んできた指示に、橋本くんと俺はほぼ同時に返事をした。「はーい」 「わかりました」 無事に今日の営業も終了し、時刻は21時を少し過ぎたところ。 佐伯と高橋は、それぞれレジ金の入った重いトレーを抱えて、慣れた足取りで金庫がある奥の事務所へ。 残された俺と橋本くんは、店の外扉に「CLOSED」の看板を下げ、客の気配が完全になくなった静かな店内に戻った。昼間のざわつきが嘘みたいに、エアコンの低い音と、モップの柄が床に触れるかすかな音だけが響いている。 ふきんとアルコールスプレーを手に取って、テーブルを担当する俺。 橋本くんはモップを持って、通路側からゆっくりと床を拭き始めた。「そういえばさ、橋本くん。高橋とは最近どうなの?」 軽い雑談のつもりで投げた言葉に、橋本くんは一瞬だけ手を止めて、それから少し照れたように笑った。「あ、この前、俺の誕生日で。サプライズでお祝いしてもらって……欲しかったお財布、買ってもらいました」 語尾が少し上ずっていて、隠しきれない嬉しさが滲んでいる。 ふふ、と小さく笑ってから、制服のエプロンのポケットに手を入れ、スマホを取り出した。「じゃーん♪ コレです」 画面に映ったのは、シンプルだけど一目でわかる有名ブランドの財布の画像。「えっ……これ、めっちゃ高いやつじゃない?」 思わず声が裏返ると、橋本くんは困ったように、でも誇らしそうに肩をすくめた。「そう、俺もびっくりしたんですけど。前に、いつか欲しいなって言ってたの覚えててくれたみたいで。アルバイト代、貯めて買ったって言ってました」 そう言ってスマホをしまい、またモップを動かし始める。 その横で、俺はテーブルの表面をアルコールで丁寧に拭き上げた。指先にひんやりした感触が残る。「高橋ってばメロメロじゃん。まぁ、橋本くん可愛いし、貢ぎたくなるのわかるけど」 冗談半分に言うと、橋本くんは「そんなことないですよ~」と言いながらも、耳が少し赤い。「小瀧さんは? 佐伯さんは、あんまそういう事しなさそうですよね」 「うーん……回数自体は多くないんだけどさ」 ふきんを折り畳みながら、自然と最近の出来事が頭に浮かぶ。「一回の金額が凄いんだよね」 この前、久しぶりに二人で出かけた日の
last updateLast Updated : 2026-06-05
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第85話 不穏な客

「あのぉー、すいませぇ〜〜ん!」 静まり返った店内に、不釣り合いなほど大きな声が響く。 鍵のかかった自動ドアの向こうから、間延びした叫び声が反射して届き、俺と橋本くんは同時に手を止めた。 一瞬、何が起きたのか分からず、思わず顔を見合わせる。「……え?」 振り返ると、ガラス越しに見えたのは男性二人組だった。 どちらも顔が赤く、肩を寄せ合って笑っている。 片方は面白がるように、バンバンとガラスのドアを叩いていた。「ちょっと助けてもらっていいですか?」 やけに軽い調子の声。 橋本くんはわずかに眉をひそめながら、手にしていたモップを壁に立てかけた。 警戒を滲ませつつも、ゆっくりと鍵を外し、ドアをほんの少しだけ開ける。 身体は中に残したまま、隙間から声をかけた。「……どうかされましたか?」「いやー、西口のEDENってゆう飲み屋に行きたくてさ。歩いてたんだけど、マップの矢印がここで動かなくなってー」 差し出されたスマホの画面には、確かに同じ場所をぐるぐると指し続ける地図が映っていた。「どっち行けばいいか、教えてもらえないかなぁ?」 声は無駄に大きく、距離も近い。 橋本くんは一歩だけ後ろに下がりながら画面を覗き込み、指で方角を示した。「この道をまっすぐ行って、二つ目の角を右です」「おー、サンキュー!」 ……と、そこで終わればよかった。 だけどその間、俺はずっと、もう一人の男が橋本くんから視線を外さずにいることが気になっていた。 値踏みするような目つき。 嫌な予感が、じわじわと胸に広がる。「てかさ、ここ何屋さん? クレープ?」 「いえ、アイス屋です」 「へぇ。制服、可愛いね。もっと見せてよ」 男は舐めるように視線を上下させながら、ドアにかけていた手にぐっと力を込めた。 半ばこじ開けるように身体をねじ込み、そのまま勝手に店内へ踏み込んでくる。「あ、あの……困ります! もう閉店してるので」 「ゴメンゴメン。俺らちょっと酔いすぎちゃっててさ〜。水とかもらえない? 出してくれたら、すぐ出ていくから」 もう一人の男の視線が、カウンター奥にいた俺へと向いた。「あ、もう一人可愛いのいるじゃん。ねぇ君、水二つくれない? お願い〜」 水道を指差され、内心で舌打ちする。 それでも表情を崩さず、俺は普段ドリン
last updateLast Updated : 2026-06-06
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第86話 本当の目的

踏ん張る間もなく、気づけば二人の男に挟まれる形になっている。 視界の端で、片方の男が後ずさろうとした橋本くんの肩を掴み直すのが見えた。 逃がさない、と言外に告げるような力を込めて引き寄せながら、低い声で囁く。「ねぇ、君。今そっちに逃げようとしたでしょ」「とんでもねぇ店だな。ほら、『申し訳ありませんでした』って頭下げろよ」 橋本くんは震える手で、エプロンのポケットからスマホを取り出した。 助けを呼ぼうとした、その瞬間。 背後から伸びた手が、その手首を掴む。 乱暴に引き寄せられ、身体が仰け反った拍子に、スマホが床へと落ちた。 硬い音が響いた、次の瞬間。 男は手にしていたカップを振り上げ、躊躇なく、水を浴びせるように橋本くんの顔へ投げつけた。「あっ、ごめんごめん。手が滑ったわー。冷たいね? 濡れちゃったねぇ」「っ……何なんですか!? 本当にやめて、離してください……!」 濡れた前髪から水が滴り落ちる。 橋本くんは必死に身をよじらせ、何度も抵抗するが、屈強な体格差はどうにもならない。「脱いで謝ってくれれば、許してあげてもいいよ~?」 ふざけた調子で言いながら、男の手が橋本くんの身体をなぞるように触れた。 襟から胸、さらに下へと這うように伸びていく手。「ご、ごめんなさい!謝るので、謝るので許してくださいっ……触んないで……!」 橋本くんが涙を目に溜めるのを見た瞬間、もう、我慢できなかった。 とにかく気色が悪い。こんなの、悪酔いで済まされるレベルじゃない。 このままじゃ、今店に残ってる佐伯も、高橋も、みんな危険な目に遭う。 そんな確信が、胸の奥から湧き上がった。 咄嗟に橋本くんの腕を強く引き、カウンターの中へ押し込むようにして逃がす。 そのまま一歩前に出て、男たちの前に立ちはだかった。「橋本くん、危ないから逃げて!ドア、鍵かけていいから!」 自分でも驚くほど大きな声が出た。 切羽詰まった叫びに、橋本くんの肩がびくりと跳ねる。「で、でも……それじゃあ小瀧さんが……っ」 涙をいっぱいに溜めた目で、こちらを見上げてくる。 その視線が、胸の奥をきつく締めつけた。「いいから! 早く!!」 語気を強めると、橋本くんは唇をぎゅっと噛みしめ、一瞬だけ俺を見つめた。 そして踵を返す。 乱れた靴音。扉が開
last updateLast Updated : 2026-06-07
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第87話 誰か助けて

次の瞬間、テーブルの角に後頭部を打ちつけ、そのまま床に崩れ落ちる。 鈍く、重い衝撃。骨の内側まで響くような痛みが走った。「……痛…っ…」 視界が、ぐわん、と大きく揺れる。 音が遠のき、照明が滲み、天井が歪んで見えた。「うわ、お前、それは流石にやりすぎじゃねーの」「あ? 別に大したことなくね? コイツ頑固すぎんだもん。これくらいしねぇと、鍵渡さねえだろ」 その会話は、まるで水の中から聞こえてくるみたいだった。 現実感が薄れ、自分の身体が自分のものじゃないような感覚に陥る。「はは、痙攣しちゃってんじゃん。可哀想」 自分がどうなろうと、もうどうでもよかった。 扉の奥で、震えながら息を殺しているであろう橋本くんの姿が浮かぶ。 ――高橋たちのところに……ちゃんと逃げられたかな。 ぐらぐらと揺れる視界の中、床に手をついて身体を起こそうとする。 けれど、腕にまったく力が入らない。「ほら、起きろよー。それとも意識ないままヤられる方が好きか?」「はは、それこの前襲ったカフェの店員じゃん」「結局な、防犯カメラさえぶっ壊せば泣き寝入りだから。余裕余裕」 言っていることも、やっていることも、普通の人じゃないと思った。 それが酒のせいなのか、それとも、もともと半グレのような人間なのか――もう、どうでもよかった。 安い酒の匂いが混じった吐息を顔に吹きかけられ、反射的に顔を背ける。 腰元のカラビナには、束になった店の鍵が付いている。 それを取られたら、橋本くんが掛けた鍵も意味をなさない。 それだけは守らなければ、と、必死に身体を丸めた、その時。 バックヤードのドアが、勢いよく開く音。 続けて、カウンターの扉が叩きつけられるように開く音が、店内に響き渡った。 一瞬で、空気が変わった。 それだけは、はっきりと分かった。 男たちの視線の先。そこに立っていたのは――息を切らしながら立つ、佐伯の姿だった。「何、お前? どっから湧いたん?」「あー、さっきの奴が助けでも呼んだ感じかな?」「……警察呼ばれたらダルいし。こいつもボコって、さっさと行こうぜ」 状況を把握した男が、佐伯に向かって拳を振り上げるのが見えた。「っ、や……やめ……!」 反射的に手を伸ばし、止めようとする。 けれど、その動きを封じるように、もう一人
last updateLast Updated : 2026-06-08
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第88話 通報と救助

「今、店長と責任者が向かってる。勿論、警察も」 遠くから、微かにサイレンの音が重なる。 その音を聞いた瞬間、男たちの顔から一斉に血の気が引いた。 じわじわと距離を取ろうとする二人に対して――佐伯は一歩、前に出る。 威圧するでも、急かすでもない。 ただ、逃げ道を「当然のように」塞ぐ位置に立つ。「被害届を出して、弁護士も付けて。示談って言葉がまだ浮かぶなら、相場だけ教えてやるよ。慰謝料、治療費、弁護士費用込みで――ひとり二百万。つまり、二人合わせて解決金は四百万」 一拍置く。「……まぁ、この状況じゃ無理だけどな。会社も、被害者の親も、示談を選ぶ理由が一つもない」「脅してんのか、てめ――」 言葉を遮るように、佐伯は小さく首を傾げた。「……それを“脅し”だと思える時点で、終わってる。ここまでやっておいて、何で未だ交渉の席に座れてるつもりなの?」 視線を落とし、男たちを順番に見た。「今までは相手が泣き寝入りしてくれたんだろ。弁護士も雇えず、警察も動かず、なかったことにして。でも今回は違う。着手金と成功報酬、二人分で二百万。親が出せなきゃ、俺が出す」 ほんの一瞬、声を落とした。「……まぁ、そもそも、そこが理解できる頭があったら、閉店後の店に侵入して、逆上した挙句にレイプしようなんて考えないか」 感情は乗せない。ただ事実を並べていた。「二人がかりでイキり散らかして。年だけ重ねて、中身は空。喧嘩は弱い、頭は雑魚、判断力はゴミクズ同然」 佐伯は視線を指先に落すと、その一本一本をそっと折り曲げる。「建造物侵入。不退去。威力業務妨害。傷害。それと――“体を触られた”って証言が入れば、強制わいせつ未遂」 男たちが黙り込むのを確認してから、首を傾げた。「……現行犯。証拠も完璧。役満じゃん?」 そこで初めて、ほんのわずかに笑った。「おめでとう。留置場とブタ箱から始まる人生、永久保存版の前科付きだな」 逃げようとした男たちに佐伯は掴み掛かると、そのまま手首を捻るようにして床にねじ伏せた。 その瞬間、店の外から慌ただしい足音が重なって聞こえてくる。ドアが勢いよく開き、私服姿の店長と、ヨレヨレのスーツに身を包んだスーパーバイザーが、息を切らして駆け込んできた。「小瀧くん、佐伯くん! 大丈夫!?」 照明の下で名前を呼ばれて、ようやく現実に引き
last updateLast Updated : 2026-06-09
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第89話 朦朧とする意識

「ち、違う。全然大丈夫だから。それより、橋本くんの方が……怖かったでしょ」 橋本くんは下唇を噛みしめながら、何度も首を横に振る。「でも……小瀧さんが、守ってくれたから……」 その一言で、胸の奥がほんの少しだけ緩んだ。 本当に、良かった。心の底から、そう思う。 けれど、隣で高橋が、苦しそうな表情のまま言った。「……唯を守ってくれて、ありがとう」 その言葉が、どうしようもなく胸に刺さる。 俺は慌てて笑顔を作った。 守れたのか、守れていなかったのか――分からない。 だって、俺の目の前で、橋本くんが身体を弄られたのは、紛れもない事実なのだから。「……橋本くんが連れて行かれなくて、本当に良かったよ。親切心につけ込んでくる、ああいう卑怯な奴っているからさ。今度から気をつけなきゃね。それより今日の夜シフト、女の子たちがいなくて本当に良かっ――」 言い切る前に。 横から、両手をぎゅっと包み込まれた。 思わず言葉を失って、二度、ゆっくり瞬きをする。 顔を上げると、佐伯が俺をじっと見つめていた。「もう喋んな」 静かな声だった。 目を逸らさず、冗談も混じらない、真剣な表情。「……手、震えてる。怖かったんだろ。あんなの、怖くて当たり前だ。隠すなって」 その一言で、初めて気づいた。 自分の手が、指先が、小刻みに震えていること。 肩も、呼吸も、全部がまだ緊張したままだったこと。「あ……」 喉が詰まって、それ以上言葉が出てこない。 顔を上げることも、できなかった。 そのタイミングで、警察官が事情を聞きたいと、橋本くんと高橋を呼びに来る。 二人は何度もこちらを振り返りながら、廊下へ出ていった。 バックヤードに残ったのは、俺と佐伯だけ。 ドアが閉まる音。 外の喧騒が一枚の壁を隔てたみたいに、少し遠のく。 その瞬間、佐伯は何も言わず、一歩近づいて――ぐっと、俺を引き寄せた。 胸に顔が埋まる。 腕が回されて、逃げ場のないほど近く、包み込まれる。 心の底から心配されているのが、その動作だけで痛いほど伝わってきた。 眉の寄せ方も、視線の揺れも、俺から一瞬たりとも離れない必死さも。 それを感じるほど、申し訳なさが込み上げてくる。 安心させたくて、口を開こうとした。 「平気だよ」とだけ、言えばいいはずだった。
last updateLast Updated : 2026-06-10
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第90話 病院のベッドで

目が覚めたら、白い天井があって、ベッドの上だった。 あの後の記憶は、ほとんど残っていない。 救急車に乗ったことも、病院に運ばれたことも、断片的なイメージがぼんやりと浮かぶだけだった。 実家から新幹線で慌てて駆けつけたらしい母さんが、ぽつぽつと状況を教えてくれた。 俺はあの時、後頭部と首を強く打ちつけたことで脳震盪を起こし、さらに頸椎を捻挫していたらしい。 吐き気が出たのは、毛細血管に傷がついたことが原因だという診たてだった。 幸い、命に関わるような大事には至らなかった。 けれど、あと二センチずれていたら、目の神経が傷ついていた可能性もある、と医師に言われたそうだ。 退院後も、自宅で二週間ほどは安静にしていなければならない、とも。「……佐伯くんがね」 母さんは、少し言いづらそうに視線を落とした。「おとといの夜、すぐに電話をくれて。ここに着くまでも、着いてからも、何度も謝られたわ」 その声には、ためらいが混じっていた。「『リーダーとして指示した自分が悪い、助けに行くのが間に合わなかった自分のせいだ』って……謝罪と、その言葉ばっかり、繰り返して」 母さんにとっても、その時の佐伯の様子は強く印象に残ったらしい。 小さくため息をつき、肩を落とす。 佐伯は、悪くないのに。 誰よりも早く動いて、誰よりも守ろうとしてくれたのに。 それでも佐伯は、自分を責め続けていたらしい。 母さんがどれだけ「あなたのせいじゃない」と否定しても、頑なだったと聞かされて、胸の奥がきゅっと縮んだ。「……大学には事情を説明してあるから、しばらく休むとして」 母さんは、話題を切り替えるように続けた。「本当は、実家に連れて帰りたいところなんだけど……先生が言うには、負担になるから、長距離の移動はしちゃいけないらしいのよ」 少し困ったように、眉を下げる。「でも、私もこれ以上仕事を休めないし、父さんと今は一緒にいる理緒も……すごく不安がってるから……」 その言葉に、胸がちくりと痛んだ。 自分のことで、家族にまで負担をかけている。それが、どうしようもなく申し訳ない。 俺は、できるだけ明るく見えるように、母さんに笑顔を向けた。「俺は平気だから。もう帰って、理緒の側にいてあげて? 自分の部屋で、大人しくしてるからさ。また具合が悪くなったら、タクシ
last updateLast Updated : 2026-06-11
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