ホテルの静かな廊下へと抜け出すと、張り詰めていた空気がふわりと緩む。分厚い絨毯が私たちの足音を吸い込み、周囲にはもう好奇の視線も陰湿な囁き声も存在しない。 私は大きく深呼吸をして肺に新鮮な空気を満たすと、隣を歩く智哉さんを見上げた。 「智哉さん。助けていただかなくても、私一人で十分に対処できましたよ」 私のその少しだけ強がった言葉を聞き、智哉さんは歩みを止めずにふっと息を吐き出した。 「あんな安い挑発を受けているのに、黙って見過ごすような愚か者がどこにいる」 確かに、彼の言う通りだ。 もしもあの場で智哉さんが静観を決め込み、私一人で紫苑さんを言い負かしていたとしたら。周囲の人間は篠原社長は婚約者が攻撃されても庇わないと、あることないこと邪推したに違いない。 「ふふっ。確かにそうですね。愛する人が理不尽な目に遭っていれば、当然腹が立つものですから」 その言葉に、智哉さんは満足げに私の肩を抱く手に力を込めた。 「あそこまで徹底的に自分の無様さを晒したんだ。とんだ底抜けの馬鹿でなければ、しばらくは身を潜めるだろう」 東条会長のあの絶望に満ちた蒼白な顔を思い出し、私は少しだけ哀れみすら覚えてしまった。 まともな思考回路を持っていれば、二度と私に近づこうなどとは思わないはず。 「智哉さんが味方として立ってくださったおかげで、彼女にも周囲にも、十分すぎるほどの牽制になったと思います」 感謝を受け止めながら、智哉さんはふと足を止め、廊下の柔らかな間接照明の下で私をじっと見下ろした。 「それで? お前はまだ、あんなくだらない連中が集まる社交サロンとやらへ行くつもりなのか?」 普通の令嬢であれば、あんな目に遭った直後に自ら敵地に乗り込もうなどとは思わないだろう。 智哉さんが引き留めたがる気持ちもよく分かる。
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