転生ショコラティエは白銀の騎士にとろける恋を捧げる のすべてのチャプター: チャプター 71 - チャプター 80

97 チャプター

番外編 騎士団緊急会議

議題:副団長から真琴殿を守れるかどうか「……では、始める」 団長が深く溜息をつきながら、会議室を見渡した。「本日の議題はただ一つだ。副団長から、真琴殿を守る方法を検討する」 一瞬の沈黙、そして――。「それ無理では?」 誰かが、正論を口にした。「却下」 団長が即答する。「“無理”という結論に至るまでの過程を、記録する必要がある」 「ひどい……」 現状を確認するために、書記が淡々と読み上げる。「現状報告。副団長リオンは、真琴殿の半径三メートル以内を維持。魔力探知常時展開。視界から消えると即時捕捉。逃走未遂一回、即確保」 「保護というより監禁では……?」 「言い方に気をつけろ」 「副団長に聞かれたら死にます」 「では対策案一。副団長と真琴殿を別の建物に配置する」 団長、首を振る。「却下。副団長は壁を越える」 「建物ごと来ますよね」 「来る」 「対策案二。真琴殿本人に“過保護すぎる”と伝えてもらう」 会議室が一瞬で凍った。「……それ、誰が言うんです?」 「真琴殿以外、即死案件では?」 「いや、真琴殿が言っても副団長が静かに壊れそう」 団長が頭を抱える。「実際、以前言われた時はどうなった?」 「副団長、微笑んだまま一晩眠らなかったそうです」 「怖っ」 「では対策案三。団員が交代制で真琴殿を看病し、副団長を休ませる」 その瞬間、扉の外から声がした。「……必要ない」 低く落ち着いた声に、全員が固まる。扉が開き、リオンが入室する。静かに、だが圧が強い。「真琴は私が看る」 「え、あ、はい……」 「副団長……会議の内容、聞いてました?」 「魔力探知で」 「常時展開やめてください!」 「ふ、副団長……その……真琴殿にも自由が……」 リオンが首を傾げる。「自由?」 首を傾げただけなのに、圧が倍増する。「君たちは勘違いしている。私は、真琴が苦しまない自由を確保しているだけだ」 「理屈が強すぎる……」 団長が、ゆっくりと結論を述べた。「……本会議の結論」 全員、姿勢を正す。「副団長から真琴殿を守ることは不可能」 満場一致。「よって、今後の方針は――副団長の機嫌を損ねない範囲で、真琴殿を守る」 「守る対象が変わってません?」付記 書記が小声で付け足す。「なお、真琴殿が副団長に『ありが
続きを読む

番外編 騎士団緊急会議2

*** 真琴は、夜になると考えてしまう。店の奥、灯りを落とした寝室。リオンは隣にいる。呼吸も体温も、確かに近い――近すぎるほどに。「……リオン」 「どうした、真琴」 即座に返る声。少しも間がない。そのことが、逆に胸に刺さる。「……疲れてない?」 「私は問題ない」 きっと嘘じゃない。むしろ誇らしげなくらいの声だった。だからこそ、僕は目を伏せた。(……また、だ) また、こうやって、リオンは自分のことを後回しにしている。護衛、仕事、騎士団――全部こなしたあとで、なお自分に全力を注ぐ。 ――それが、当然だという顔で。「……ねえ、リオン」 「何だ」 「僕が……もう少し、しっかりしてたら……」 言葉が、途中で詰まる。リオンの腕が、ぴくりと動いた。「……何を言い出す」 「だって……」 リオンにする大事な話――僕は、ゆっくりと言葉を選ぶ。「僕が驚いたり、固まったり、変なところで立ち止まったりするから……」 護衛が必要になって。 気を張らせて。 心配させて。「僕が、普通だったら……リオンは、こんなに……」 重くならなかったんじゃないか。 そこまでは、言えなかった。 リオンの動きが止まった、次の瞬間――。「……真琴」 低く、静かな声が耳に落ちる。「それは、私を侮辱している」 「……え?」 「私は、君を守りたいから守っている」 腕に、力が入る。「君が弱いからでも、迷惑だからでもない」 額に、額が触れた。「君が、私の伴侶だからだ」 告げられた言葉に、喉がきゅっと鳴る。「でも……騎士団のみんなも……会議まで開いて……」 「知っている」 「……僕のせいで……」 その瞬間、リオンの声がはっきりと強くなった。「違う。会議が必要になっているのは、私が重いからだ」 「……!」 「そして、それを止めるつもりはない」 それは、迷いのない声だった。「だが」 少しだけ、リオンの口調が柔らかくなる。「君が自分を責める理由には、一つもなっていない」 それでも思ってしまう。(……僕がいなければ、リオンはもっと自由だったんじゃないかって……) 思考は、夜になると悪い方向へ進む。 昼間の団員たちの視線。 ひそひそ声。 冗談めいた、でも本気の心配。 ――副団長を、誰も止められない。その“原因”が、自分だと
続きを読む

番外編 自覚して、さらに重くなる朝

私は、真琴が距離を取っていることに気づいていた。気づかないはずがない。 呼吸の間・ 歩幅・視線の向き――ほんの一歩、ほんの一拍。それだけで、私には分かる。(……ああ) 胸の奥で、静かに何かが沈んだ――やはり、そう来たか。 私は昨夜、確かに言った。「私は重い、それでもやめるつもりはない」 あれで、終わったと思っていた。いや、思いたかった。だが、真琴は優しすぎる。優しすぎて――自分を削る方向にしか進まない。「リオン」 店の奥から、真琴が声をかけてくる。少し、遠慮がちな声が耳に落ちた。「……朝食、もうすぐできるよ」 「分かった」 私は立ち上がり、自然に隣へ行こうとして――ほんの一瞬、真琴が身を引いた。ほんの、指一本分。私は、その距離を見逃さなかった。「……真琴」 「な、なに?」 少し強張った声。それだけで胸が軋む。「寒いのか?」 「え? ううん、大丈夫」 嘘だ。今の季節で、あの反応はしない。私はそれ以上、詰めなかった。(……今ここで触れれば、真琴は笑う。そして、後で一人で自分を責める) それが分かっているから、私は敢えて一歩引いた――この選択が、どれほど危険か分かっていながら。 朝食の席。真琴は、いつもより静かだった。 笑って頷く。そして話題を振る。でも、私を見ない。(……やはりだ) 私は、箸を置いた。「真琴」 「……なに?」 「何か、私に言いたいことはあるか」 一瞬、真琴の指が止まる。「……ないよ?」 嘘。分かりやすいほどの嘘。「そうか」 私は、それ以上追及しなかった。代わりに、静かに告げる。「私は、君が離れるのは許容しない」 真琴の目が、驚きに見開かれる。「え……?」 「だが」 声を落とす。「君が“自分が悪い”と思っているなら……その考えを、私は全力で否定する」 「リオン……」 戸惑いと罪悪感。そして――少しの安心。全部、見える。(……私は重い) それは事実だ。真琴が息をするたび、私の世界は輪郭を持つ。真琴が不安になれば、私は国を敵に回す覚悟ができる。 ――それでも。(君が自分を責めるくらいなら、私はもっと重くなる――) 真琴が「迷惑だ」と思う前に。「負担だ」と決めつける前に。離れる選択肢そのものを消す。 それが、私の結論だ。「……リオン」 真琴が、恐るおそる言う。「そ
続きを読む

番外編 見たら終わり案件(大騒ぎ)

事件は、静かに起きた。場所は、騎士団詰所の裏手。書庫へ向かう細い廊下。私たちは、ただの業務中だった。「副団長に渡す急ぎの書類、もう届けた?」 「いや、今から――」 角を曲がった、その瞬間に見た。副団長リオン様が立っていた……しかも、真琴殿を壁際に追い込んでいる状況に、私たちは息を詰まらせる。(――――――) 私たちの時間が、そこで止まった。「……真琴」 副団長の声は、低く柔らかい。仕事中に聞く声とは全く違う。(――やばい) (――声が完全に“私人”)「今、離れようとしただろう」 「え……? そ、そんなつもりじゃ……」 真琴殿の声は、困惑に満ち溢れていた。副団長の手が、そっと壁に添えられる。それゆえに逃げ道なし。現場にいた団員全員、無言で後退した。「私は言ったはずだ」 「……?」 「無理をするな、と」 「……うん……」 真琴殿が小さく頷く。副団長は、ため息をひとつ吐いた。「君が倒れたのを見て、私が何を考えたか……わかるか?」 真琴殿、首を横に振る。「……正直、国ごと隔離する案まで浮かんだ」(――隔離!) (――国ごと!) (――発想が終末!!)「ちょっ……リオン、それはさすがに……」 「本気だ」 即答。しかも、優しい声で即答。団員の誰かが、喉を鳴らした音が聞こえた。「私は君がいなくなる可能性に、一切耐性がない」 副団長が、真琴殿の額に額を寄せる。「だから――」 耳元で囁く。「逃げる選択肢は、最初から存在しない」 静かで甘い。そして――。(――すごく重い!!) 真琴殿は、真っ赤になって俯いた。「……ご、ごめんなさい……」 「謝る必要はない」 副団長の手が、そっと腰に回る。団員全員、反射的に目を逸らした。(――無理!!) (――見ちゃいけない!!) (――でも、見た!!) その瞬間、副団長がこちらを見た。正確には、こちらの“気配”を認識した。目がばっちり合う――その場にいた全員が終わった。「……」 副団長は何も言わない。ただ、“把握した”という視線を私たちに向けた。団員たちは困惑の表情を露わにしながら、一斉に後ずさる。「……あ、あの……」 誰かが、震える声を出す。副団長は、穏やかに言った。「早く業務に戻れ」 逆らえる者はいなかった。 数分後、団員会議(非公式)が、即座に開か
続きを読む

番外編 見たら終わり案件(大騒ぎ)2

*** 騎士団宿舎で過ごす夜。私は、静かに扉を閉めた。部屋の中、真琴はソファに座って本を読んでいる。「……団員たち、今日は妙に視線が優しかったね」 「そうか」 私は上着を脱ぎ、彼の前に立つ。「真琴」 「なに?」 私は膝をつき、視線を合わせた。「部下たちに、私は“丸くなった”と思われているらしい」 「……え?」 真琴が瞬きをする。「よかったじゃない?」 「よくない」 即答しながら私は彼の手を取り、指先に口づける。「私は、何一つ変わっていない」 「……リオン?」 「いや、正確には――」 少し、声を落とす。「変わったのは、我慢をやめたことだけだ」 真琴が、息を詰めた。「ちょ、ちょっと……?」 「安心しろ。逃がさないだけだ」 「それ安心じゃ――」 私は彼を引き寄せ、抱きしめる。強くはない。だが、完全に包む。「……団員たちは勘違いしている」 「なにを?」 「優しくなった、と」 私は、耳元で囁いた。「違う。必要なくなっただけだ」 「なにが……?」 「抑制が」 真琴の身体が、ぴくりと跳ねる。「昼も夜も、私は君の夫だ」 「……っ」 「隠す理由がない」 静かに、しかし確実に私は彼の腰に手を回し、絶対に離さない。その瞬間、真琴の体温が私の胸に染み渡る。甘い息が耳にかかり、抑えていた欲求が静かに目覚める。 私は彼の顎を優しく持ち上げ、唇を重ねた。優しいキスから始め、ゆっくりと深く舌が絡み合い、互いの味を確かめ合うようにくちづけを交わした。真琴の息が漏れ、唇が震えるのを感じて、心が甘く溶ける。「ぁん……リオン……」 彼の声が、甘く響く。私の手が背中から腰へ滑り、布地越しに引き締まった曲線をなぞる。真琴の体がびくりと反応し、抱きつく力が少し強くなる。ソファから立ち上がり、ベッドへ導くように移動する。 寝間着を優しく脱がして、露わになる肌に指を這わせる。胸板から腹へ、敏感な部分をやんわり刺激したら、真琴の体が弓のようにしなる。「あっ……リオン、そこ感じすぎて……声が出ちゃう」 「大丈夫だ、防音の結界を張ってる。感じてる君の声、聞かせてくれ」 私は、低い声で真琴に強請った。唇が首筋に触れ、軽く吸いながら下へ。真琴の硬くなったものを優しく握り、ゆっくりと扱く。滑らかな動きに彼の腰が浮き上がり、甘い吐息が部屋に広が
続きを読む

番外編 王国が再設計された日

変わり映えしないいつもの朝、騎士団本部は異様な静けさに包まれていた。「……副団長、今日も普通ですね」 「うん、“普通”だな」 「逆に怖いんだが」 廊下の端でひそひそと声を潜める団員たちを、私は一瞥もせず執務室へ向かう。真琴は今日は店番だ。だから落ち着いている。問題は、落ち着きすぎていることだが。 書類を確認して署名を終え、次の案件へ。すべてが完璧で効率的、無駄がない。「……副団長」 意を決したように声をかけてきたのは、若い団員だった。「何だ」 「その……伴侶殿の体調は」 一瞬で空気が凍る。「良好だ」 私は即答した。「昨夜も今朝も問題ない。念のため、栄養と休息は十分に取らせている」 数名の団員が、無言で後ずさった。「そ、そうですか……」 「他に用は?」 「い、いえ! ありません!」 逃げるように去っていく背中を見送りながら、私は首を傾げる。なぜ皆、最近こんなに怯えるのだろう。 昼過ぎ、団長室から呼び出しがかかった。「リオン」 「はい」 「……お前、自覚はあるか」 「何の、でしょう」 団長は机に突っ伏したまま、低く呻いた。「お前と真琴殿が結婚してから、敵国三つが不可侵宣言を出した」 「良いことでは?」 「理由がな……『副団長夫妻に関わると精神がもたない』だ」 私は少し考えた。「……真琴が何かしましたか」 「してない。してないのが問題なんだ」 団長は顔を上げ、真剣な目で言った。「結論を言う。この国はもう、お前たち夫婦を前提に回る」 「理解しました」 「早いな!」 「私が変わるつもりはありませんし、真琴に制限をかけるのは不可能でしょう」 団長は力尽きたように椅子に沈んだ。「……せめて、抑える努力は」 「しています」 「どこがだ!!」 その瞬間、廊下がざわついた。「真琴殿だ!」 「え、今日来るって聞いてない!」 「副団長が――」 私は立ち上がった。扉の向こうから聞こえる足音。その気配だけで、胸の奥が緩む。 扉が開き、真琴が顔を覗かせた。「リオン、お昼――」 言葉は、そこで止まった。なぜなら団長を含め、室内の全員が一斉に距離を取ったからだ。「……?」 真琴が困惑したように瞬きをする。私は彼の元へ歩み寄り、自然な動作で肩を抱いた。「どうした」 「えっと……皆の視線が……」
続きを読む

番外編 老年のリオンと真琴

朝の鐘が鳴るより少し早く、店の裏口が開く音がした。「……おはようございます、真琴」 低く、落ち着いた声。かつて戦場で数千を率いた副団長の声は、今では店の一日を始める合図になっている。「おはよう、リオン。今日は仕込み早いね」 真琴は年を重ねても、相変わらずだ。柔らかく笑って火を起こし、香草を刻む手つきは迷いがない。 店は小さな街角の菓子と茶の店。名前はただの《マコトの店》――派手さはないが、いつも人が絶えない。理由は簡単だった。味がいい・空気が穏やか。そして、奥にいる老紳士が“とても感じがいい”。 リオンは今、エプロン姿だ。それを見て騎士団時代を知る者は、必ず一瞬固まる。「……副団長殿?」 「今は店員です。ご注文をどうぞ」 にこり、と微笑む。剣を持たなくなっても、その所作には無駄がなく、背筋はまっすぐだ。 棚の整理、帳簿付け、客の誘導。すべてが完璧すぎて、自然と店の回転が良くなる。 結果:繁盛。「リオン、休憩しないと」 「大丈夫です。君の隣にいる方が、私は楽ですから」 「……それ、お客様の前で言う?」 「事実なので」 真琴は呆れたように笑い、常連客は「はいはい、ごちそうさま」と肩をすくめる。 ──だが初めて来た客は、なぜか背筋を正し、無意識に言葉遣いが丁寧になる。 老いてなお、オーラが消えない。 午後。街の子どもたちが店に集まる。「おじいちゃん!」 「リオンさん!」 リオンは自然に膝を折り、目線を合わせる。「今日は何にします?」 その様子を見て、真琴は少しだけ目を細める。「……騎士団にいた頃より、柔らかい顔してる」 「そうですか?」 「うん。いい顔」 リオンは一瞬だけ黙り、それから指輪を撫でる。何十年経っても、外さないそれ。「君がいるからでしょう」 夕暮れ、店を閉める頃。二人で並んで椅子に腰掛け、同じ湯気の立つ茶を飲む。「戦が減った理由、結局なんだったんだろうね」 真琴がぽつりと言う。リオンは、少し考えてから答えた。「……愛です」 「即答だね」 「ええ。剣より強く、命令より確実で、国境すら越える力でした」 真琴は苦笑して首を振る。「自覚なかったんだけどな」 「でしょうね」 それでも、リオンの手は自然と真琴の腰に添えられる。老いても変わらない、その距離。 その店の噂は、今も残っている。
続きを読む

ショコラトリエ・アルセリアの惨劇(未遂)

午後の陽光が差し込む店内。甘いカカオの香りと穏やかな午後。その日、リオン・ヴァルハートは不在だった。そしてそれが、悲劇の始まりである。 最近、店によく通うようになったアルセリアの若き貴族。白金の髪とエメラルドの瞳を持つ、まさに絵に描いたような優男だった。「今日も素晴らしいですね、真琴殿」 「ありがとうございます」 真琴はいつも通り、柔らかく笑う。数週間かけて築かれた信頼――何気ない会話と笑顔。 そして今日、タイミングよく店内には客が途切れていた。「……真琴殿」 貴族の口調が甘く変わる。真琴は不思議そうな表情で小首を傾げた。「私は、あなたに心を奪われました」 「えっ」 一歩、距離を詰められた真琴は、必然的に後退りした。「その笑顔も、その優しさも――」 真琴がこれ以上逃げないように、貴族は腕を取る。「ちょ、ちょっと待ってください」 貴族の腕の中に抱き寄せられた真琴はもがいて、必死に抵抗をした。「どうか、私の――」 顔が近づくその瞬間――扉の鈴が鳴った。 ちりん。 音は穏やかだったのに、店内の温度が一気に落ちた。ゆっくりと、扉が閉まる。 そこに立っていたのは――リオン・ヴァルハート。 蒼い瞳が静かに光る。それだけで空気が軋み、貴族の背筋を氷水が走った。真琴を抱きしめた腕が、瞬間的に凍りつく。 リオンは一歩、足を踏み出す。それだけで、棚のグラスが微かに震えた。「……離せ」 声は静かで、異様に低い。怒鳴らない上に叫ばない。だが殺気が、物理的に存在している。 貴族の顔色が真っ白になった。「こ、これは誤解――」 リオンの視線がわずかに細まった刹那、床板にひびが入る。メリメリっという異音が店内に響き渡る。「ひっ……!」 貴族は真琴を放し、体を震わせながらよろめく。「出ていけ」 短い命令に、貴族は抗う気力などあるはずもない。白金の貴公子は、ほぼ転がるように店を飛び出した。 扉が激しく閉まり、チョコの甘い香りだけが取り残される。 そして始まる、真の修羅場――。「……真琴」 静かで低い声――明らかに怒気を含む雰囲気が、リオンから発せられる。「な、何もされてないです! 本当に!」 「抱き寄せられていた」 「それは、その、びっくりして……!」 リオンは目を閉じ、深く息を吐く。怒りは真琴にではなく、貴族に向いてい
続きを読む

もう、奪えなくなった男の話

他人のものを奪う瞬間が、好きだった。地位、名声、恋人。大切にされているからこそ、そこに手を伸ばす価値がある。奪った相手の恋人や伴侶の自信が崩れる、その一瞬の表情を見るのが……何より甘美だった。 だから、あの店に通い始めたのも、最初はただの気まぐれだった。 小さなショコラトリー。店主は穏やかで少し警戒心が薄くて、それでいて芯がある。既婚者だと知った瞬間、胸の奥がくすぐったくなった。(――ああ、これは奪える) 何度も通った。他愛のない会話を重ね、彼との距離を縮めて、笑顔を引き出す。 彼は疑わなかった。まさか“王国最強の騎士”の伴侶に、こんな真似をする愚か者がいるとは。 そしてあの日。強く抱き寄せて、唇に触れようとしたその瞬間――空気が死んだ。 扉が開く音。足音は静かだったはずなのに、全身が一気に硬直した。 ――来た。 視線を向けた瞬間、理解してしまった。あれは人じゃない、理性を纏った災厄だ。 金髪の騎士が、そこに立っていた。抱き合う俺たちを見て声も荒げず、剣も抜かない。ただ、蒼い瞳で見るだけ。 なのに、心臓が潰れるかと思った。骨の奥まで冷え切り、膝が笑い、呼吸ができなくなる。(……奪う? 俺が? ――彼を?) 無理だと理解するより先に、本能が逃げろと叫んでいた。私は情けなく踵を返し、貴族としてあるまじき速さで逃げ帰った。 それからだ。 誰かの恋を壊そうとすると、あの視線が脳裏に浮かぶ。静かで冷たくて「次はない」と告げる蒼い目。 ――奪う喜びは、恐怖に変わった。 今では、夜会で誰かが噂話をしていると思う。(……知らない方がいい) (王国最強の騎士の“本気”を、あれ以上――) あの店の灯りを見るたびに、胸が少しだけ痛む。もう近づくことはない。奪う資格など、最初からなかったのだ。 ……ああ、本当に。人のものを奪う趣味は、あの日で終わった。
続きを読む

王国最強騎士の殺気についての正式抗議

アルセリア王国騎士団団長室。団長は、その手紙を三度読み返した。そして四度目で、机に額を打ちつけた。「……は?」 手紙の差出人は、グリューンヴァルト侯爵家。内容は簡潔だった。先日、我が嫡男レオニスが騎士団副団長リオン・ヴァルハート殿より、不当な威圧・精神的圧迫を受け、いまだ夜間に震えが止まらぬ状態である。正式な説明と謝罪を求める。 団長は天井を仰いだ。「不当……?」 副官が恐るおそる訊ねる。「その、原因は……」 「分かっている」 深いため息を吐き、それにのせるように呟く。「ショコラトリエだ」 「ああ……」 副官も遠い目になる。団長は、気だるげに椅子に背を預けた。「状況報告は受けている。副団長は剣を抜いていない」 「はい」 「当然、暴力もない」 「はい」 「殺気のみだ」 「……はい」 それ以上、団長は言葉を続けることができなかった。副官も沈黙を貫く。そして――。「なぁ殺気のみ、とは何だと思う?」 副官は答えない。答えられない。団長は手紙を机に叩きつけた。「“精神的圧迫”だと?」 団長は眼鏡を押し上げながら、低く唸る。「リオンの伴侶に抱きついて唇を奪おうとした挙句、当人が威圧されたと訴えるとは、どの口が言う!」 副官がぽつりと漏らす。「事実関係は、どう返答されますか」 「事実のみを書く」 団長は、さらさらと筆を走らせた。『当該事案において副団長は剣の使用、魔力行使、物理的接触を一切行っていない。発生したのは“視線および気配による威圧”のみである。なお、発端は貴家嫡男による、既婚者への不適切な接触未遂である』 ほかに伝えたいことも書き終え、筆が止まる。団長はゆっくり顔を上げた。「これを送ればどうなる」 「……侯爵家の面子が潰れます」 「だろうな」 団長は目を閉じた。「しかし謝罪はしない。副団長は何もしていないんだから」 「……何も?」 「何もだ」 言い切るが、団長の声に疲労が滲む。副官が言いにくそうに小声で聞く。「副団長に注意は……」 「した」 「なんと?」 団長は遠い目をした。「“市街地では規模を抑えろ”と」 「副団長の返答は?」 「“承知しました。今回は抑えています”だってさ」 副官、沈黙。「……抑えて?」 「抑えてだ」 団長は再び天井を見上げた。「私は、何と戦ってい
続きを読む
前へ
1
...
5678910
コードをスキャンしてアプリで読む
DMCA.com Protection Status