転生ショコラティエは白銀の騎士にとろける恋を捧げる のすべてのチャプター: チャプター 81 - チャプター 90

97 チャプター

遠くから見るだけの距離

夜会は、いつも通りの華やかさだった。音楽、談笑、政治的な笑顔。だがレオニスの視線は、自然と一箇所に引き寄せられる。 ――真琴。 淡い色合いの正装に身を包んだ青年。線は細いが、頼りないわけではない。むしろ、柔らかな所作が周囲の空気を和らげている。(……男、なのに) 思考が、そこで止まる。 知っている、知ってはいた。それでも実際に公の場で見ると、理解が追いつかない。 その隣に立つのが――リオン・ヴァルハート、王国最強騎士。静かに立っているだけで、空間の重心がそちらへ傾く男。 だが真琴が何かを言うと、ほんの一瞬、リオンの表情が緩む。それを見ただけで、レオニスの喉がひくりと鳴った。(……ああ) 護っているのではない。誇示でもない。隣にいるのが、当然だという顔だ。 男同士で。しかも、これほどの力の差がありながら。自分が奪おうとしたのは、ただの「伴侶」ではなかった――“選ばれた側”だ。 胸の奥が冷える。 あの日の記憶が、鮮明によみがえる。抱き寄せた腕。近づいた距離。そして――背後に現れた気配。 剣も抜かれず、魔力も解放されず、ただ向けられた視線。リオンがこちらを見るほんの一瞬、その一瞬で十分だった。 ――覚えているな。 あのときを思い出す視線を向けられただけで、そう言われた気がして、レオニスは反射的に視線を逸らした。(違う……) 何もされていない。ここは夜会、公の場。それでも足が動かない。 柱の陰に身を寄せて再び視線を向けると、リオンはもう真琴だけを見ていた。 真琴が笑う。それだけで空気が変わる。(……奪えるはずがない) ようやく、はっきり理解する。あれは所有物ではない。身分という力で奪える関係でもない。選び合った結果として、そこにあるものだ。 レオニスは、静かにその場を離れた。 もう近づかない。視線も向けない。男であることすら関係ない。 ――あの騎士にとって、“真琴であること”そのものが、絶対なのだから。 *** 夜会は、平穏だった。音楽、会話、杯の触れ合う音。王城の広間に漂う、いつも通りの空気。 ――ひとつを除いて。(……いるな) 視線の先、柱の影に近い位置。レオニスがこちらを見ている。正確には――真琴を見ている。 真琴は気づいていない。誰かと話しながら、少し楽しそうに笑っている。(それでいい。気づく必要は
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リオンが弱る日

最初に違和感を覚えたのは、朝だった。「……リオン?」 声をかけても、返事が少し遅い。いつもなら即座に反応する人が、半拍遅れてこちらを見る。そして気づいた。その瞳に、いつもの鋭さがない。「いつもより……顔が赤い」 「問題ない」 即答。でも声が低くて、少し掠れている。迷うことなく額に触れた瞬間、全部わかった。「……熱があります」 リオンは一瞬だけ目を伏せた。氷のような碧眼が、静かに閉じられる。その仕草だけで、胸がきゅっとする。「任務は休んでください」 「支障は――」 「あります」 言い切ると、さすがに反論はなかった。 ベッドに座らせて、上着を脱がせる。それだけで距離が近くなって、心臓がうるさい。「……世話を焼かれるのは、慣れていない」 「今は、慣れてください」 濡れタオルを額に乗せると、リオンが小さく息を吐いた。「……そばにいろ」 不意打ちみたいな一言に、僕はすぐさま答える。「もちろんです」 ぎゅっと手を握ると、リオンの指先が驚くほど熱い。「……離れるな」 その声は、命令じゃなかった。どこか不安を隠しきれていない感じが伝わってくる。「大丈夫ですよ」 そう言ったら弱ったはずの腕が、ぐっと僕を引き寄せた。「ちょ、ちょっと!」 バランスを崩して、半分ベッドに乗り上げる。「……真琴」 低い声。でも、いつもよりずっと近い。「……触れるなとは、言っていない」 ずるい。こんなの、看病してる側が動揺するに決まってる。 結局そのまま、肩を貸す形で落ち着いた。リオンは、僕の匂いを確かめるみたいに小さく息を吸う。「……落ち着く」 それだけで、胸がじんわり温かくなる。「ちゃんと休んでください」 「……努力する」 数分後、規則正しい呼吸。眠った顔は、驚くほど無防備だった。(……今日は僕が、守る番なんだ)*** ――回復魔法を使えば、すぐに立てる。それは事実だ。体内の魔力循環も把握している。骨に異常はない。内臓も問題ない。熱と倦怠感は、過労と軽い感染症状――魔法で弾ける程度だった。 だが私は、回復魔法を使わない。理由は単純で、そして誰にも言わない。「……だから、離れてくださいってば……」 布団の中で、真琴が小さく身をよじる。その動きが、実に無防備だ。「離れる理由がない」 「あります! 看病してるんです! 患
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翌日のあたふた看病

「熱が高い……回復魔法をかける」 真琴の額に触れ、静かに宣言する。すると、布団の中から弱々しい抗議がなされた。「……だめ……」 「なぜだ」 「……昨日……使わなかったの、リオンです……」 ぐ、と言葉に詰まる。「状況が違う」 「……違いません……」 真琴は薄く目を開けて、じっとこちらを見る。「……ズルして……甘えて……熱移したの……誰ですか……」 「……私だ」 「じゃあ……」 真琴が指先で、私の袖を掴む。「責任、とってください……」 その言葉が胸に直撃する。「責任は取る。そのための回復魔法だ」 「リオン……それ、楽なほうです」 「何?」 「ちゃんと……看病して……」 「……している」 「もっと!」 その一言で、完全に追い込まれた。「真琴……私にどうしろと」 「……そばにいて」 「いる」 「……撫でて……」 「……」 「昨日みたいに……」 真琴は辛そうに目を閉じたまま、ぽつりと続ける。「……あったかいの……好き……」(抗えるわけがない。こんなの、完全に反則だ――)「頼む。回復魔法を使えば、すぐ楽になる」 「ねぇ……リオンは……すぐ楽になりたかった?……昨日」 「……」 痛いところを突かれた。私は昨日、楽になどなる気がなかった。むしろ、あの時間を引き延ばした。「卑怯だな」 「ふふっ……お互い様です」 真琴はどこか嬉しそうに、小さく笑う。熱で赤い頬と、少し潤んだ瞳を見ているだけで。(くそっ……魔法など使えるか)「……分かった」 魔力を集めかけていた手を握りしめながら、ゆっくり下ろす。「今回は使わない」 「……ほんと……?」 「ただし」 真琴の額に軽く触れる。「無理をしたら、即座に使う」 「……はーい……」 どこか満足そうな返事に、苦笑を浮かべた。「……リオン……」 「なんだ」 「……怒ってる?」 「……自分に」 「僕じゃなくて……?」 「君には、とことん甘い」 正直に言うと真琴は少し目を丸くして、それから微笑んだ。「……知ってます」 「……」 「だから、使わなくていいです……」 布団の中から腕が伸び、私の手を抱き込む。「……あったかい……」 「馬鹿だな」 「……はい」 静かな呼吸が、少しずつ落ち着いていく。(――結局、私が負けるのか。だが悪くない敗
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王国最強騎士、私情で魔法を封印する

副団長が復帰したのは、三日後だった。いつも通りの姿勢、いつも通りの無表情、いつも通りの無敵感――ただし、ほんの少しだけ機嫌が良い。 それが、団員たちの逆鱗に触れた。「副団長」 朝の点呼後、若手の一人が恐るおそる声を上げる。「先日の欠勤ですが……回復魔法を使えば、即日復帰できたのでは?」 場の空気が、一瞬で凍った。その事について、誰もが思っていた。だが、口に出す者はいなかった。 団長は額に手を当てて、内心で叫んだ。(やめろ……やめてくれ!) だが遅い。リオンは眉一つ動かさず、淡々と答える。「使えたが、使わなかった」 「……え?」 「魔力的にも戦力的にも問題はなかった。あれは軽症だ」 さらに追撃するように、言葉が続く。「療養の判断は、私自身が下した」 あまりにも堂々としている。正論の顔をした確信犯に、皆が呆気にとられた。 団員の一人が、思わず声を荒げる。「ですが! 副団長ほどの魔力をお持ちなら、回復魔法を使って休む必要は――」 「ある」 即答だった。「伴侶が看病を申し出た」 ――沈黙。皆の理解が追いつかない。「……それって、私的な理由では?」 「私事と職務の線引きは、理解している」 リオンは静かに言い切った。「だが私は命に関わらぬ範囲で、伴侶の意思を尊重する」 団員たちは完全に黙った。誰もが察した。これは戦略でも判断ミスでもない。ただの選択だ。 その瞬間、団長はこめかみを押さえた。(ああ……これはダメだ……) 副団長は規則を破っていない。虚偽報告もない。戦力低下も起こしていない。つまり――叱れない。「団長」 リオンがこちらを見る。「問題があるなら、処分を」 平然、あまりにも平然。団長は乾いた笑みを浮かべ、震える声で答えた。「……いや、問題は……ない……」 胃が、きりりと痛んだ。団員たちはその様子を見て悟る。(副団長より、団長のほうがダメージを受けている……) その日の午後。団長は医務室で、胃薬を処方された。 一方その頃、副団長は――。「真琴、無理はするな。今日は私が夕食を作る」 何事もなかったように、平穏な家庭を営んでいた。 なお後日、「回復魔法を使わず休むのは、前例として認められるのか」という議題が会議に上がり、団長は議事録を閉じたまま、深く天を仰いだという。 ――副団長の策士ぶりは
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真琴の嫉妬騒動!

他国から派遣された女騎士は、とても真面目だった。構えは悪くないし、筋もいい。だが、力に頼る癖がある。「肩の力を抜け」 「はいっ!」 背後に立ち、手首を軽く支える。指示を出せば、すぐに飲み込み、何度でも繰り返す。悔しさを隠さず、強くなりたいとまっすぐに剣を振るう。「違う。この場合は剣を振るのではなく、流す」 細い指が緊張で固くなっている――真琴なら、どうだろう。 そう思った瞬間、わずかに胸が温む。 もし真琴が剣を持ったなら、きっと無茶はしない。力ではなく、考えるだろう。必死な顔で、真剣に私の言葉を聞いて剣を振る。 ああ……見てみたい。「肩に力が入っている」 女騎士の背後に立ち、肩と腰に軽く触れて軸を正す。「ここを意識しろ」 距離は近い。必要だからだ。だが心は、微動だにしない。触れても、何も揺れない。真琴に触れるときの、あの熱は一切ない。「副団長、今日は随分熱心ですね」 傍で鍛錬している団員の囁きが耳に入るが、気にしない。 女騎士が汗を滲ませながら踏み込む。「違う。足の運びが遅い」 手を添え、腰の位置を修正する。「近い……っ」 女騎士が息を詰める。「戦場で距離を気にするな」 淡々と告げる。内心は冷静だ。私は、真琴以外に欲情しない。触れても、何も揺れない。 ――だが。(これを見たら、真琴はどう思うだろうな) ほんの少しだけ、意地の悪い考えがよぎる。 訓練の休憩時には、団員たちが明らかにざわついていた。「副団長、本気ですね」 「距離近すぎません?」 「噂になりますよ」(――真琴が知ったら、どうするだろうな) 嫉妬するだろうか。拗ねるだろうか。「リオンは僕のだ」と言うだろうか。 それを思っただけで、胸の奥がわずかに熱を持つ。私は黙って指導を続けた。噂が広がるのを、あえて止めなかった。*** お昼休憩を使って店に来ていた団員たちが、噂話をしていた。「団長命令で副団長が、他国の女騎士殿に剣技を直々に指導しているらしい」 最初は、誇らしかった。だってリオンは王国最強だ。その技を学びたいと言われるのは当然で、団長命令ならなおさらだ。 ……でも。「手を添えて、構えを直してやっていたそうですよ」 その一言で、胸の奥がきゅっと縮む。 手を添えて? どこに? どのくらい近く? どんな顔で? 想像が勝手に膨ら
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女騎士の来訪!

有給休暇を使って、アルセリアの王都の石畳を踏みしめながら、私は胸を高鳴らせていた。 副団長リオン殿、王国最強の騎士。あの静謐な剣。あの無駄のない所作。「弟子にしてください」と言うために、わざわざ訪ねてきたが、その前にアルセリアの名物になっている菓子の店に足を運ぶ。「いらっしゃいませ」 出迎えたのは、柔らかな笑みを浮かべた青年だった。店内は甘い香りで満ちている。そして奥でエプロン姿の副団長が、何かを刻んでいた。「副団長⁉」 「……何故ここにいる」(え、店を手伝っている? 騎士団の副団長が?) 混乱している私に、あの青年――噂になっている副団長の伴侶だとすぐ分かった。驚きを隠せない私に向かって、にこりと笑う。「遠いところから、ありがとうございます。今日はどうされました?」 空気が、少し冷えた気がした。私は背筋を伸ばす。「副団長に、正式に弟子入りをお願いしたく参りました!」 一瞬だけ伴侶の笑みが、ほんのわずかに深まる。「……弟子、ですか」 なぜだろう。背中がぞくりとした。副団長は淡々と答える。「断ったはずだ」 「諦めきれません!」 言い切ると、横から声をかけられる。「まずは、アルセリア名物のチョコをどうぞ」 目の前に皿が差し出される。完璧な笑顔なのに、なぜこんなに圧を感じるのか。*** (――リオンの弟子?) 内心驚く僕の目の前で、女騎士はリオンに熱い視線を飛ばす。それだけで胸がじりじりと焼けた。 わざわざ他国から? うちの店まで? リオンが手伝っている日に? 偶然なわけがない、きっと狙ってやって来たに違いない。しかも、リオンは普通にチョコを刻んでいる。いつもの無表情で。(まったくもう、止めてよ。そういうとこ!) 絶対に悪気がないのが、余計に腹立つ。でもここは店だ。そして僕は店主という立場にいる。接客をするために、笑わなければならない!「どうぞ。カカオ70%、王都限定ブレンドです」 にっこりほほ笑んでいるけれど、内心は――。(――近づくな。僕の騎士に) 女騎士は一口食べた。途端に目が見開かれる。「……おいしい。こんな味、初めてです」 さっきまでリオン一色だった瞳が、今はチョコに向いている。「これを作られたのは……?」 「僕です」 女騎士が、がばっと頭を下げた。「あなたもすごい! 副団長
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副団長戦闘不能事件

「……副団長が、戦闘不能?」 軍務局の会議室が静まり返った。報告書を持っているのは若い書記官。対面に座るのは騎士団長・ラディス。「戦闘中ではありません。非番の日、菓子工房にて」 「……は?」 団長の声が低くなる。書記官が恐るおそる続けた。「菓子職人・清水真琴殿が、飴細工用の小刀で指を切った際……副団長がそれを見て顔面蒼白、膝をつき、そのまま――」 「――崩れ落ちた、と?」 「はい」 会議室が、しん……と静まる。――その日の工房「……あ」 真琴の指先が、すっと切れた。飴細工用の刃は鋭い。ほんの小さな傷だが、赤い雫がじわりと滲む。「大丈夫、大丈夫。浅いし」 僕は止血するための布を探そうとしていると――。「真琴」 低く呼ぶ声に振り返ると、リオンが立っていた。今日は非番で、制服ではなく私服。それでも姿勢は騎士のまま。「怪我か」 「うん、ちょっとだけ。ほら、たいしたこと――」 僕が笑おうとした瞬間、彼の視線が僕の指先の赤に固定された。そこで彼の動きが止まる。完全に――呼吸も、瞬きもしない。「……リオン?」 切れた指先を見せたまま、一歩だけ近づいたら。「……やめろ」 リオンの声が震えている。「止血しろ。今すぐ。今!」 「え、うん、だから布を――」 彼は青ざめた顔で、思いっきり膝をついた。「……は?」 そのまま床に手をつき、額に汗を浮かべる。その顔は蒼白、きっと戦場でも見たことのない顔色だと思う。「……リオン?」 僕は目の前に慌ててしゃがみ込む。「真琴……血が」 「え、これ? これ?」 ほんの指先だよ? と見せた瞬間、両手で顔を覆い隠す。「見せるな!!」 叫びに近い声。そして本当に、ぐらりと体が傾いた。「ちょ、ちょっと待って! リオン?」 副団長、戦闘不能。原因:恋人の小さな切り傷。 ――後日・軍務局会議「副団長は戦場で致命傷を負っても、その場に立ち続けた男だぞ」 事実を告げた団長が腕を組む。「それが、指先の怪我で崩れる?」 「……伴侶だからでは」 誰かがぽつりと呟いた。団長の眉がぴくりと動く。「本人の弁明は?」 書記官が紙をめくる。「『敵の血と真琴の血は別だ』とのことです」 会議室、沈黙。「『敵は殺意を向けてくる。真琴は向けない』」 「『守る対象の損傷は想定外だ』」 「『想定外
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真琴、記憶喪失事件

その日は、真琴が騎士団の会議で出すチョコレート菓子を作っていた時だった。焼き上がったタルトの甘い匂いが、店内を優しく包み込む。「リオン、味見してくれる?」 振り向いた真琴の目が、少しだけぼんやりしているように見えた。「真琴?」 「えっと……あの、あなたは誰?」 その場の空気が凍る。洗い物をしていた私の手が止まった。指先から、血の気が引いていくのが分かる。「……何を言っている」 「ごめんなさい。失礼だけど――」 真琴は困ったように笑う。「どこかでお会いしましたか?」 それは魔術事故だった。王都で暴発した記憶撹乱の残滓。真琴はそれに、偶然巻き込まれた形になる。平和なアルセリア王国で、そんな事故が起こるとは思わず、防御魔法の結界を店に張っていなかった私のミスだった。 困った顔をした真琴の手を引き、慌てて騎士団の医務室に駆け込む。真琴を診た医官の診断は冷酷だった。「特定個人に関する記憶のみ、欠落しています」 「特定個人とは?」 医官が目を伏せる。「副団長、あなたです」 あまりのショックで、返事ができなかった。*** 肩を落としたまま、団長室で先ほどの報告をする。「……は?」 淡々と言葉を並べる私に、団長が驚いた様子で椅子から立ち上がった。「真琴殿が、リオンだけを忘れたというのか?」 「はい」 報告を正確に伝えた瞬間、部屋の温度が明らかに下がった。団長はそれ以上、何も言わない。私にかける言葉が出なかったのだろう。 報告の後、真琴と一緒に騎士団から店に戻った。「ええと……副団長様?」 距離がある上に敬語。真琴の笑顔は変わらないが、“恋人を見る目”ではなかった。そのせいで私の喉がひりつく。「真琴……頼むから敬語はやめてほしい」 「失礼でしたか?」 「違う」 脇にある両手の拳が震える。この状況は、戦場よりも怖い。“自分だけが消えた世界”なんて、今まで想像すらしなかった。「僕、あなたに何か失礼を?」 丁寧で柔らかい口調だが、他人行儀なことに呼吸が乱れる。「……覚えていないのか」 「何をでしょう?」 私を見つめる、無垢な瞳が刃だった。それが思っているよりも鋭くて、深い傷を負わせる。
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真琴、記憶喪失事件2

*** 騎士団会議室で、団長は王宮魔術師に問いかける。副団長が目の前にいる状況なのに、訊ねずにはいられない。「副団長の様子はどうだ?」 「それが……彼の中にある魔力が、かなり不安定です。暴走すれば、王都半壊の恐れが」 ガックリと肩を落としている、副団長をまじまじと見つめた団長はこめかみを押さえ、深く息を吸ってから低く言う。「リオン、国を消すな」 かけられた言葉に反応するように、副団長の目がゆっくりと動く。「……努力はする」 静かに告げられたセリフで、団長は思った。(怖い。努力で済ませるなよ……)*** 夜になり工房で真琴は一人、帳簿を整理している。そこへ静かに現れる影を見た途端に、真琴の面持ちが曇った。「帰ってください、副団長様」 「帰らない。君の隣が、私の帰る場所だ」 「申し訳ありませんが、僕は――」 「真琴」 遮る声が低く震える。「私は君の伴侶だ」 真琴の目が驚きで揺れる。「その証拠は、どこにあるのでしょうか?」 それは悪意ではなく、純粋な確認だった。言葉が喉で止まった。伴侶である証明を、どうすればできるか考える。私は左手の薬指に嵌められた揃いの指輪を見せてから、懐より小さな包みを出す。 それは昨日、真琴が焼いた少し焦げたクッキーだった。「君は、これを失敗作だと言って捨てようとした」 真琴が小首を傾げながら、目を瞬かせる。「私は美味いと言った」 「……」 「それで君は、嬉しそうな顔で言ったんだ。『リオン、ありがとう』って」 私の記憶がない真琴――昨日のことを告げてもそれが伝わることなく、空気だけが揺れる。「君が覚えていなくてもいい」 絞り出すような声になった。「私は覚えている。真琴の全てを」 ぎゅっと握りしめた拳が白くなる。「君が好きだ」 視線を逸らさずに、必死な表情で告げられたセリフで、真琴の胸がちくりと痛んだ。知らないはずなのにこの声を聞くと、なぜだか胸が締めつけられる。「……副団長様」 真琴は恐るおそる、一歩だけ近づく。「そんな顔をさせる人を、僕が好きじゃないわけないと思うんです」 「思う?」 「はい。確信はないけど」 少しだけ、照れたように笑う。「僕もう一回、アナタを好きになります」 それは、迷いのない声だった。その言葉で、膝が本当に崩れた。今度は恐慌ではない、安堵の
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真琴、記憶喪失事件3

***  ――王都結界塔・深夜「原因が特定できました」 団長室に現れた王宮魔術師が、青ざめた顔で告げる。「記憶撹乱の残滓ではありません。個人を狙った意図的な術式です」 眼鏡の奥にある、団長の目が細くなる。「……誰だ」 「王国で指名手配している、黒魔術師エヴァルド。現在、国外逃亡中」 個人攻撃――王国最強騎士の伴侶を狙った時点で、国に反旗を翻したことがわかる。リオン・ヴァルハートは何も言わなかった。ピリついた空気を感じながら、身を翻して団長室を出て行く。「待て、単騎で行くな」 団長の制止でも止まらない。「副団長!」 その場で立ち止まり、ゆっくり振り返る。蒼い瞳が静かに燃えていた。「団長、これは国家への攻撃です。私の手で犯罪者を処理します」***  国境外にある廃教会は闇が濃い。黒魔術の気配が大きく渦巻く。そのおかげで、場所が特定できた。 防御魔法で身を包み、廃教会に足を踏み入れる。黒魔術師エヴァルドの弟子たちがリオンに向けて、黒魔術の攻撃をしかけた。 攻撃を受けながらも反撃せずに、ひたすら奥にある祭壇を目指す。中には高位魔法を使った攻撃もあり、リオンは徐々に傷だらけになった。 それでも歩みを止めずに、完全詠唱を口ずさむ。 そして立派な扉に辿り着き、思いきって開ける。祭壇の前に立つ男と目が合う。「ほう……来たか」 黒魔術師エヴァルドが嗤う。「王国の守護犬が、傷だらけじゃないか。情けない」 リオンは剣を抜かない。代わりに、魔力が身体中に満ちる。「貴様が」 一歩だけ足を前に進ませると、地面が軋む音を立てた。「真琴の記憶を奪ったのか」 エヴァルドが薄ら笑いしながら、ひょいと肩をすくめる。「なんて事ない実験だ。恋人の記憶だけを削る術式は成功した。面白いだろう?」 「それなら、もっと面白いものを見せてやる。王国最強騎士の私は、表向きは剣の達人ということになっているが――」 次の瞬間、空間が裂ける。上級魔法の展開、リオンの頭上で魔法陣が三重に重なる。通常、複数展開は禁忌だったが、彼は止めない。「私の魔力が人並み以上のせいで、全力を出すことができない」 本来なら、王都の結界塔と連動しなければ許されない。「やめろ、その規模では王都が――」 「だが真琴の記憶を奪った貴様に向けて、叩き込んでやる!」 轟音とともに、光が
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