昼前の支社は、普段より少しだけ静かだった。静かと言っても、音がないわけではない。電話は鳴るし、コピー機は一定の間隔で紙を吐き出す。給湯スペースでは湯の注がれる音がして、水沢が総務の席と営業の島のあいだを小走りで抜けていく。久住の少し大きい声も、物流側の奥から一度だけ聞こえた。いつもの支社の朝と同じ要素が揃っているのに、それぞれの音の輪郭がどこか硬い。本社が来る。たったそれだけのことで、空気は目に見えない薄い膜を張る。誰も露骨には構えない。斎賀も、水沢も、久住でさえ、普段より声が半音ぶっきらぼうになるだけだ。資料の並べ方が少し丁寧になり、会議室のテーブルの位置がいつもより几帳面に揃えられ、誰が先に何を説明するかだけが、ごく当たり前の顔で確認される。それくらいの変化なら、外から見ればただの来客対応にすぎない。だが陸斗の身体は、それより先に反応していた。胃の奥が朝から薄く固い。パソコンの画面へ目を落としていても、肩がどこか落ち着かない。頭では、今は違うと思っている。自分はもう本社の会議室で椅子に浅く座って、誰かの言葉尻ひとつで居場所を測られるだけの立場ではない。朝比奈フーズ案件では、実際に手を動かし、考え、支社の中で役割を持っている。それはもう事実だ。それでも、本社が来るというだけで、身体は昔のまま警戒する。資料の角を揃え、メモを右側へ寄せ、印刷した確認事項の順番を無意味にもう一度並べ直す。整えれば落ち着く気がして、実際にはたいして落ち着かない。その癖が余計に自分を苛立たせた。「三沢さん、その会議室の分、こっちで置いておきますね」水沢がファイルを抱えたまま言う。「ありがとうございます」返事は普通にできた。少なくとも声は揺れていないはずだ。水沢はそれ以上何も言わず、会議室のほうへ入っていく。その背中を見送りながら、陸斗は自分の掌がわずかに乾いているのに気づいた。緊張しているときの感じだと分かって、さらに腹が立つ。来る前からこんなふうに身構える必要はない。今さら怯むのは、自分でもみっともないと思う。そう思うほど、身体のほうが先に昔を思い出す。
Terakhir Diperbarui : 2026-05-20 Baca selengkapnya