地方支社で、元セフレの部下になりました のすべてのチャプター: チャプター 1 - チャプター 8

8 チャプター

1.金曜の夜のはずれ

金曜の夜の東京は、どこまでも明るかった。再開発されたばかりの街区を囲うガラスの壁面は、夜になっても昼の名残を手放さない。高層ビルの低層階にはまだ人の気配が満ち、エントランスの白い床には、行き交うスーツ姿の影が硬質な光の中に薄く映っていた。遅い時間だというのに、ロビーの空気は整いすぎていて、温度まで管理されているようだった。少し甘いルームフレグランスの匂いと、磨かれた床の乾いた清潔さが、ここが“ちゃんとしている人間”のための場所だと無言で告げている。その自動扉を抜けたとき、三沢陸斗はようやく背中に入っていた力を少しだけ抜いた。もっとも、抜いたつもりになっただけで、実際には肩のあたりに張りついた緊張はほとんど落ちていなかった。ネクタイの結び目はきれいな形を保っているのに、喉元には一日中締めつけられていた痕のような鈍い圧迫感が残っている。会食の席ではうまく笑った。先輩の話にも適度に相槌を打ち、部長の何気ない冗談には柔らかく笑い、グラスが空きかければすぐに気づいたふりをした。新人として正解に近い振る舞いを、ひとつも外さなかったはずだった。けれどビルの外へ出た瞬間、口角だけで持ち上げていた笑顔は、あっさり落ちた。夜気はまだ春の名残を残しているのに、都会の空気らしくどこか乾いていて、頬に当たると紙で撫でられるような感触があった。大通りにはタクシーのライトが途切れず流れ、信号待ちの人々は皆、それぞれに行く場所が決まっている顔をしている。見上げれば、ガラス張りの高層階にはまだいくつもの執務室の灯りが残っていた。ついさっきまでそこにいたのだと思うと、胸の奥に細い疲労が刺さる。本社に配属されて、まだ日が浅い。それでも周囲は、もう彼を“新人だから仕方ない”とは見てくれなかった。期待されているという言い方はきれいだ。だが実際には、隙を見せる猶予が最初から少ないということでもある。資料の理解が早いこと、受け答えが整っていること、空気を読めること。そういう扱いやすい長所が先に見つかれば見つかるほど、その次に失望される余地も大きくなる。陸斗はそれを、配属から数週間で嫌というほど覚えた。誰かに露骨に責められたわけではない。むしろ皆、驚くほど親切だった。「三沢くん、飲み込み早いね」「助かるよ、気が利くし」「その感じなら、すぐ戦力になるんじゃないか」その言葉のひとつひとつは
last update最終更新日 : 2026-04-22
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2.静かな男

店内の暗さに目が慣れるまで、陸斗は入口のすぐ内側で一度だけ立ち止まった。外の路地にあった色つきの灯りよりも、ここはさらに明るさが低い。完全に暗いわけではないのに、光が物の輪郭をはっきりとは結ばず、人の顔も体も、どこか曖昧なまま浮いている。低く流れている音楽は、曲として耳に入るというより、空気の粘度を少しだけ上げるために流れているようだった。酒と香水と、布越しの体温が混じった匂いが、外よりも近い距離で肌に触れてくる。来てしまった、という自覚は、扉を閉めた瞬間よりも、その暗がりの中で自分が見られていると気づいた瞬間に強くなった。何人かの男がいた。思っていたより多くはないが、少なくもない。カウンターに寄りかかっている者、壁際に立ったまま周囲を見ている者、誰かと低く言葉を交わしている者。露骨に値踏みするような視線もあれば、逆に見ていないふりをしながら追ってくる視線もある。そのどれにも慣れている人間の空気があった。陸斗はそれだけで、自分の肩がまた少し硬くなるのを感じた。外では匿名になれた気がしたのに、扉の内側に入った途端、その匿名性は別の意味を帯びる。誰も自分の名前を知らない。けれどその代わり、ここでは顔と体つきと、立ち方と、目の泳ぎ方で、何もかもを判断される。ネクタイは少しだけ緩めたものの、スーツのままだった。会食帰りの空気をまだ脱ぎきれていない。きちんと整えられた髪も、革靴の先も、この場では少し浮いて見えるかもしれない。そう思った瞬間、引き返したい気持ちが喉元まで上がる。だが、今さらそれを顔に出すほうが余計に惨めだった。陸斗はなるべく平然とした顔で、店の奥へ視線を流した。一人ひとりの表情まではよく見えない。だが近づいてくる欲望の方向だけは、妙にはっきり分かる。あからさまに品定めするような目。向こうから寄ってきて、選ぶ手間を省いてやると言わんばかりの空気。そういうものが、暗い室内のそこかしこに薄く漂っていた。その中で、ひとりだけ、温度の違う男がいた。最初は、そこにいること自体に気づかなかった。視線の流れから少し外れた壁際に、その男はいた。動いていないわけではない。けれど、周囲の男たちが互いを測る
last update最終更新日 : 2026-04-23
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3.帰るなら、今でもいい

男はそれ以上、何も急かさなかった。それがかえって厄介だった。店の奥まったほうへ視線を流し、戻してくる。その一連の動作に無駄がなく、陸斗へ何かを強いる気配もないのに、次にどちらへ動くかはもう決まっているように見える。先に歩き出したのは男のほうだったが、それは陸斗を引っぱるためではなく、こちらがついてくるかどうかを待てる速度だった。陸斗は一瞬だけ、その背中を見た。広すぎないが、薄くも見えない肩。コートの背に無理な皺がなく、歩幅は一定で、急がない。人を待たせることにも、追わせることにも慣れている歩き方だった。焦りがない。ここで誰かを捕まえなければならない男の速度ではない。そのくせ、陸斗は置いていかれる感じがして、二歩遅れてから結局あとを追った。店内の通路は狭く、壁際の照明は低い。さっきまで正面から受けていた視線が、二人で動き出した途端に薄く遠のくのが分かった。もう誰もこちらを露骨に見ない。相手が決まった人間への関心の引き方まで、この場所には一定の作法があるらしい。そのことに、陸斗は少しだけ安堵した。一方で、胸の奥には奇妙な物足りなさも残った。名前も知らない、何者かも分からない男の背中についていく。その状況は十分に危ういはずなのに、相手はあまりに当然のように何も聞かない。さっきから交わした言葉は片手で足りるほどだ。出身も、年齢も、仕事も、ここへ来た理由も、何ひとつ探られない。その聞かなさが、この場所の前提なのだとしても、陸斗には少し拍子抜けだった。普通なら、せめて何かひとつくらいは聞くのではないかと思う。軽い冗談でも、雰囲気を和らげるような一言でもいい。ところがこの男は、必要な確認以外を削ぎ落として、最初から曖昧なままの距離を崩さない。それは陸斗にとって、都合がいいはずだった。本当に名前を聞かれたら困る。仕事の話など、なおさらされたくない。昼間の自分をここへ持ち込みたくなくて、わざわざ明るい通りから外れてきたのだ。今さら、会社員らしい肩書や、人当たりのいい新人の仮面に戻されるのは願い下げだった。なのに、いざ何も聞かれないと、こちらの輪郭ごと曖昧なまま扱われることに、妙な空虚さが混
last update最終更新日 : 2026-04-24
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4.見抜かれる熱

部屋の扉が閉まってから、しばらくどちらも動かなかった。外の路地では湿った夜気がまとわりついていたのに、室内の空気は整いすぎるほど整っている。空調の効いた静けさの中に、真っ白なシーツの匂いと、洗いたてのタオルの乾いた匂いが薄く混じっていた。遠くで車が走る音がして、それがかえってこの部屋の密閉された静けさを際立たせる。陸斗は入口の内側で立ったまま、肩から力を抜かないようにしていた。ここまで来たのだから、今さら怯んだ顔はしたくない。そう思うほど、喉の奥は乾いていく。緩めたネクタイの結び目を、また無意識に指先でいじってしまう。自分で決めたのだ。帰らないと答えたのも、自分だ。そう言い聞かせるたびに、むしろそれが必要なほど落ち着いていないのだと知らされる。男は扉の前に立ったまま、すぐには近づいてこなかった。コートを脱ぎ、椅子の背へ静かに掛ける。時計を外す。そのひとつひとつの動作に急ぐ気配がない。ここまで来れば、たいていはもっと分かりやすく距離を詰めるものだと陸斗は思っていた。だがこの男は違う。触れる前の一拍を、必要以上に長く取る。その待ち方が、妙に圧になる。陸斗は耐えきれず、先に口を開いた。「……ずいぶん慎重なんだな」少し笑ってみせたつもりだった。軽く、余裕があるふうに。けれど自分の声がわずかに硬いことは、言い終えた瞬間に分かった。男はそれを指摘しない。ただ、短くこちらを見た。その視線に、陸斗はまた腹の奥がざわつく。欲望が剥き出しの目ではない。値踏みする目でもない。静かに見ているだけなのに、自分のどこへ力が入っているかまで正確に掴まれている気がする。「怖いか」低い声が、無造作に落ちてくる。問い詰める言い方ではない。ただ事実を確かめるような声だった。だからこそ、陸斗は反射的に否定したくなる。「別に」即答した声は、思ったより少しだけ鋭かった。男はそれに小さく目を細めたように見えた。笑ったわけではない。けれど、軽く受け流された気がして、陸斗は余計に意地になる。「そうい
last update最終更新日 : 2026-04-25
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5.名前のない朝

薄い光で目が覚めた。夜のあいだは曖昧に沈んでいた室内が、朝になると急に輪郭を持つ。カーテンの隙間から入り込む白んだ光が、ベッドの端も、散らした衣類も、枕の皺も、何ひとつ見逃さない顔で照らしていた。昨夜は柔らかく見えた白いシーツが、朝の光の下ではひどく無機質だ。体温の残りかたまで冷静に示してくるようで、陸斗はしばらく目を開けたまま動けなかった。喉が乾いている。頭はぼんやりしているのに、体の感覚だけが妙に近い。触れられた場所や、息の近さや、あの静かな視線の温度が、思い出そうとしなくても肌の内側から勝手に浮いてくる。熱の名残というより、昨夜の自分を思い出してしまう恥ずかしさのほうが強かった。隣は空いていた。けれど、完全に冷えてはいない。ついさっきまで誰かの重みがあったことを、シーツの皺と、少し残った温度が無言で教えてくる。その気配に、陸斗は胸の奥をきゅっと掴まれたような気がした。浴室のほうから、水音がかすかに聞こえていた。規則的な音だ。蛇口をひねる音、グラスか何かの触れ合う小さな音、そしてまた短い水音。生活の延長みたいなその音が、昨夜の出来事を急に現実へ引き戻す。ここは夢の中ではなく、ホテルの一室で、外ではもう朝が始まりかけている。金曜の夜の勢いも、路地の湿った空気も、暗い店の匿名性も、全部ここで一度終わってしまったのだと、その水音だけで分かる。陸斗は枕へ顔を少し埋めた。こういう朝を迎えるつもりではなかった。いや、そもそも朝までの輪郭をきちんと考えていなかったのかもしれない。昨夜はただ、明日に持ち越さないために踏み込んだのだ。誰にも知られず、明日にはなかったことにできる夜。その条件にしがみついてここまで来た。なのに朝になった今、何ひとつなかったことにできる気がしない。起き上がると、白いシーツがさらりと擦れた。自分の動きだけがやけに大きく聞こえる。床へ落ちたシャツを拾い上げようとして、指先が一瞬止まった。昨夜のままの衣類が、やけに生々しい。ネクタイは椅子の背に掛かっていた。きれいに掛けられていることが、少しだけ腹立たしい。雑に脱ぎ捨てたままのほうが、まだ軽く済んだかもしれないのに。
last update最終更新日 : 2026-04-26
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6.新潟駅の冷たい風

新幹線が減速しはじめると、窓の外の景色が、ゆっくりと輪郭を持ちはじめた。東京を出たときから、空の色は少しずつ変わっていた。晴れているわけではないのに明るさだけはある、あの乾いた白さではない。もっと低く、鈍く、湿り気を含んだ白だ。遠くに見える建物の色も、駅へ近づくにつれて少しずつ沈んでいく。四月に入ったばかりのはずなのに、春の軽さより、冬の名残のほうがまだ街に近い気がした。車窓に自分の顔がうっすら映る。眠れていない目だった。昨夜は早めにベッドへ入ったはずなのに、実際にはほとんど眠れなかった。寝返りを打つたび、天井の白さが妙に近く感じられて、頭の中では同じ言葉ばかりが何度も巡っていた。異動。配置転換。現場理解。経験になる。そんなふうに整えられた言葉を、思い出すたびに胃の奥が重くなる。ネクタイの結び目を指先で軽く押さえる。降りる前に結び直したそれは、鏡で見たとおり崩れていない。シャツの襟も、コートの肩も、見た目だけなら問題ない。ひどく疲れているようには見えないだろう。少なくとも、そう見えないように整えてきた。発着を知らせるアナウンスが車内に流れる。平板な声なのに、東京で聞くそれより少し低く響く気がした。陸斗は膝の上に置いた鞄の持ち手を握り直し、ひとつ息を吐いた。本当に来てしまったのだと思う。その感覚は、東京のマンションを出たときより、車内で駅名を見たときより、こうして減速する車体の揺れの中でいちばんはっきりした。もう後戻りはできない。日帰り出張でもなければ、研修でもない。東星マテリアル新潟支社。そこが今日から自分の職場になる。窓の向こうを流れるホームは、東京駅や品川駅のそれとは少し違って見えた。人の数が少ないわけではない。ただ、動きがいくらか緩やかで、音が空へ逃げていく。密集した熱気で押されるような感じがない。その代わり、外の空気の冷たさだけが、ガラス越しにも伝わってくる気がした。ドアが開き、陸斗は立ち上がった。荷物を肩に掛ける。スーツの上からコートを整え、周囲とぶつからないように気をつけながら通路へ出る。そういう動作はもう染みついていた。どんなときでも、まず自分を整えて、人に不快を与えない顔をする。東京本社に配属されてから
last update最終更新日 : 2026-04-26
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7.預かり物の席

自動ドアが開いた瞬間、外の冷たさとは別の空気が頬に触れた。暖かい、というほどではない。春先の朝を相手に、暖房を完全に切るにはまだ少し早い、そんな中途半端な温度だ。外から入ってきたばかりの冷気と、室内に溜まった乾いたぬくもりが混ざり合い、境目の曖昧な空気になっている。東京本社のロビーみたいな、管理された清潔さはない。その代わり、人が実際に働いている場所の匂いがした。紙とインク、湯を沸かしたあとの金属の気配、届いたばかりの荷物の段ボール、朝いちばんのコーヒーの薄い香り。そういうものが、わずかに入り混じっている。正面に受付らしいカウンターはあるが、本社ほど厳格ではない。人を止めるための場所というより、誰が来たかをすぐに把握するための位置にあるだけのように見えた。その向こうには事務スペースが続いている。電話の音が短く鳴り、コピー機が用紙を吐き出し、誰かが低い声で納期の確認をしている。別の場所では、荷物を受け取ったらしい社員が軽く礼を言っていた。どの音も大きくない。だが静かすぎることもなく、仕事と人の気配が近いまま混ざっている。陸斗は一歩中へ入り、その空気に包まれた。広さの問題ではないと思う。東京本社はもっと人が多く、もっと音もあった。それでもあちらは、人と人との間に透明な仕切りが何枚も立っているような感じがした。視線も声も整えられていて、誰もが必要以上には踏み込まない。その整い方が、かえって冷たかった。ここは逆だ。物理的な距離より先に、人の視線と仕事の流れが近い。誰が入ってきたか、どんな顔をしているか、何を持っているか。そういうものが、会話の端や視線の流れの中で自然に拾われていく場所なのだと、立った瞬間に分かった。見られている、と陸斗は思う。露骨ではない。誰もあからさまにじろじろ見るわけではないし、足を止めてこちらを窺うような真似もしない。ただ、それぞれが手元の仕事を続けながら、一度は陸斗の存在を目に入れている。その自然さが余計に居心地悪かった。陸斗は鞄を持ち直し、軽く息を吸ってからカウンターへ近づいた。その動作ひとつにも、自分で分かるくらい気を使っている。歩幅、姿勢、口元の形。慌てて見えないように、けれど気取って見えないよう
last update最終更新日 : 2026-04-27
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8.成田部長

席に着いてしばらくしても、陸斗はまだこの職場の流れの中へ自分が入れていないことを、嫌というほど思い知らされていた。パソコンは立ち上がっている。支給された内線表も、フロア図も、今日の簡単な流れを書いた書類も机の上に並んでいる。名刺は左手側、筆記具は右、資料は手前から読む順に揃えた。整えすぎだと自分でも思う。思うのに、そうしていないと落ち着かない。手元の角度だけでも正しておかなければ、自分だけがこの場で浮いている感覚に耐えられなかった。曇り空の光が窓から白く差し込んでいる。春の明るさではあるのに、空気の色はどこか冷たい。フロアの照明と混じったその白さが、机の上の紙を平たく照らしていた。外の気温は低かったが、室内にはまだ暖房の名残が少しだけ残っている。乾いたぬくもりと、出入り口から入る薄い冷気が混ざって、落ち着かない温度になっていた。その中で、支社の仕事はもう普通に動いている。誰かが電話で納期を確認し、別の誰かが伝票の束を片手に通りすぎる。営業らしい男が、急ぎの資料を抱えてコピー機の前に立ち、事務の席からは受発注の確認らしい数字が短く飛ぶ。東京本社より部署の境目が曖昧だ。営業だけ、事務だけ、物流だけ、と綺麗に切り分けられている感じがない。紙の流れも、人の動きも、同じ場所で近く混ざっている。そのぶん、自分がまだどこにも接続されていないこともよく分かった。本社にいた頃なら、異動初日でも、まずは誰に挨拶し、どの会議室へ行き、何の説明を受けるかがもっと滑らかに決まっていた。整えられた導線があって、その流れに乗っていれば、とりあえず新人なり異動者なりの位置には収まれた。ここは違う。もちろん放置されているわけではない。必要な書類も揃っているし、水沢も感じよく案内してくれた。けれど、馴染ませるためのレールのようなものはない。席に着いた瞬間から、ここでどう動く人間かを見られている。そんな感覚が、静かにまとわりついて離れなかった。「その件、成田部長の確認待ちです」少し離れた席から、誰かの声が聞こえた。陸斗は反射的に顔を上げる。年配の男性社員が、電話の受話器を肩に挟んだまま、手元のメモへ赤ペンを走らせていた。声は
last update最終更新日 : 2026-04-27
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