嘘つきに騙された哀れな夫にさよならを のすべてのチャプター: チャプター 1 - チャプター 10

12 チャプター

第一話「結婚記念日に、夫は初恋の人と会う」

冷たくて固い床の上で、私の手足は冷えていった。その地下室の扉は、私、有浦木香(ありうらこのか)がゴミ同然に叩き込まれるまで、長らく開かれていなかった。そこでは、壊れてしまった古い家具や、破れて染みがついた絨毯が、埃を被っていた。愛した夫は、きっと今頃、私との結婚記念日にはキャンセルしたレストランで、食事を楽しんでいることだろう。──彼の、初恋の相手と一緒に。さっき投与された堕胎薬が、お腹の子供の命を奪っていくのが分かる。この子を産んで、育てたかった。本当は、幸せな家庭を築きたかった。それも、私のわがままで済まされてしまうの?もう、声を上げる力もなくなった。お腹の子が死んでいくのを、感じている他になかった。第一話結婚記念日、半年前から予約していたフレンチのレストラン「モンクール」の席で、私は一人座っていた。夫の有浦理人(ありうらまさと)は、約束の時間になっても来ることはなかった。メッセージにも返信がなく、電話も繋がらない。私の胸は、心配よりも落胆に満たされていた。大切な約束を忘れられることなど、これで何度目かわからない。私の様子を気に掛けたウェイターが、「最初のお料理をお持ちいたしましょうか?」と尋ねに来た。私は、最後の強がりで「夫を待ちますので」と答えた。その瞬間、携帯が震えた。理人からの着信だ。震える手で電話を取ると、理人の低い声が聞こえた。「仕事中は連絡してくるなと言っただろ。一体どうした?」一体どうした。その言葉は、まるで私との約束など、覚えていないようだった。大切な日だから、14時には仕事を終わらせると、言っていたのに。その言葉を飲み込み、平静を装って答えた。「お疲れ様。……先に着いてるわよ」「着いてる? どこに?」心の底に広がる冷たい絶望に震えながらも、微かな希望に縋るように、理人の質問に答えた。「レストラン。結婚記念のお祝いに、半年前に予約してたでしょ? 今日──来てくれるのよね?」ほんの数秒の沈黙の後、理人は取り繕うように言った。「ああ……明日だと勘違いしてたよ。すまない。このところ、忙しくしていたから」確かに、理人はこの国を代表する大企業の社長だ。いつも忙しそうに走り回っているのを、五年前に結婚した当初から見て、知っている。それでも、ほんの一年前までは、記念日を忘れることも、すっ
last update最終更新日 : 2026-04-23
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第二話「すべて消えた携帯電話」

その日の夜、理人が帰宅したのは1時を回ってからだった。私は、小さなケーキを買って、キッチンの椅子に座って待っていた。暗い部屋で待つ私の姿を見て、理人は驚いた声を上げた。「まだ起きてたのか。遅くなるから先に寝ろと言っただろう」「……どうしても今日、お祝いしたかったの」テーブルの上の小さなケーキを見ると、理人は眉を顰めた。「それはあてつけか?」そのささやかな願いも、理人は、予約をすっぽかされた腹いせだと解釈した。「違うの……だって、今日は大切な日でしょう?」私の縋るような言葉も、理人には届いていなかった。「埋め合わせならすると言っただろう。食事なら別の日に改めてしよう。今日はもう休む」理人は、寝室に消える前に私を一瞥して言った。「同情を誘おうとするのはよせ。みっともない」そして、音を立てて扉は閉まった。希望を断ち切られた私は動けずに、出番のなくなったケーキを見つめた。もう彼は、私のことなど愛してはいない。ささやかなお祝いすらも強く拒絶するほどに。体の不自由な詩織を気にかけるのは、仕方がないと思おうとしていた。それだけ彼が優しい人なのだと。しかし違った。彼の優しさは、もう、私のものではない。詩織ただ一人だけのものなのだ。何気なく携帯を開くと、詩織のSNSが更新されているのが目に入った。『私たちが再会できた記念日。サプライズで素敵なケーキを貰っちゃった!』その写真には、豪華なケーキが写っていた。たくさんのフルーツが宝石のように盛り付けられ、細かく細工されたチョコレートやクリームが、芸術品のようにあしらわれている。……こんなケーキ、プレゼントされたことなんてない。理人は、昔からサプライズが苦手だった。結婚記念日のケーキも、私がレストランに頼んだものだ。この写真一枚で、理人が本当に詩織を喜ばせたかったのだと分かる。胸の奥で張り詰めていた糸が、切れる音がした。──離婚しよう。力を込めていた両腕を、だらりと下に垂らした。──翌朝。いつも通り、丁寧に朝食を用意して、コーヒー用のお湯を沸かした。コーヒーは、AAグレードのキリマンジャロの深煎りを中挽きにする。これ以外のコーヒーだと不機嫌になるからだ。理人が起きてきて、食卓を見て言った。「朝食はいらない」私は、コーヒーを淹れる手を止めた。「……どうしたの?」
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第三話「悲しみの新しい命」

翌朝になっても、理人は帰って来なかった。精神的なストレスからか、体調が優れない。嘔吐感に苛まれ、トイレに駆け込んだ。そして、そこで気付いた。──最後に生理が来たのはいつ?私は、寝室の棚に妊娠検査薬があるのを思い出した。恐る恐る検査してみると……陽性だった。……理人との子供を妊娠している。離婚を決意した私にとって、あまりにも重い事実だった。理人に連絡を取ろうと思ったが、携帯が初期化されたままなので、メッセージが送れない。部屋中を探して、電話番号のメモを見つけ、電話を掛けた。しかし、いくらコールしても繋がらなかった。仕方なく、もう一つの番号……理人の職場に電話を掛けた。数コールの後、電話が繋がった。『お待たせいたしました。有浦グループの堤(つつみ)が承ります』堤の名前は聞いたことがあった。理人の秘書だ。実際に会ったことはないが、とても腕が立つ秘書だと聞いている。「あの……有岡理人はいますか?」『社長ですか? 失礼ですが、間柄をお伺いしても宜しいでしょうか』「……妻です」数秒の沈黙があった。「奥様……ですか?」「はい。有岡木香と申します。夫に休養があって」「申し訳ございません。社長は外せない用事があり、現在お繋ぎすることができません」「用事って何ですか?」「……セキュリティ保護の観点からお答えできません。それと」堤の声の調子が、ほんの少し変わった。「本当に奥様なら、社長に直接連絡を取られてはいかがですか?」それは私を威圧するような、どこか嘲るような声だった。私のことを、妻を名乗る不審人物だと確信している声だ。「……私は本当に、理人の妻です」胸の奥に冷たい感覚が広がり、ほんの少し息が上がる。しかし、堤は声の調子を変えずに続けた。「社長は今、奥様と一緒にいらっしゃいます」……え?頭が真っ白になる。かける番号を間違えたのかとすら思った。しかし、彼は確実に、有岡商事を名乗った。この番号は、確実に理人の会社の番号だ。「何かの間違いでは? 私は本当に──」「お繋ぎはできません。続けておかけになるようでしたら、それなりの対応をさせていただきます。それでは。」そうして、電話は切れてしまった。その晩、ようやく理人が帰ってきた。私の顔を見るなり、理人は怒鳴りつけた。「あんなに電話してくるなんて、お前に
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第四話「新しい命の価値」

「有浦木香さんは、妊娠しています」理人と訪れた産婦人科で、医師は簡潔に述べた。予想外の結果に、理人は目を見開いた。「それは本当か?」「はい、間違いありません。おめでとうございます」医師が少し微笑んだ。理人は言葉を失い、私の方を見た。その顔は、喜んでいるようには見えなかった。「ありがとうございます。……理人、行こう」少しは喜んでくれるかという淡い期待も潰えた。私は軽く頭を下げて、診察室を出た。病院を出る時に、後ろで看護師たちの声が聞こえた。「あの人たち、子供ができたっていうのに、ずいぶん暗い顔をしてるのね」「喜んでるようには見えなかったわ」「不倫なんでしょ。よくあることよ。これから大変になるわね」不倫、という言葉が胸を貫いた。私が、本当に、理人の妻なのに。誰にも、認めてもらえていない……。「待て」先を歩く私の腕を、理人が掴んだ。私は振り向いて、理人の目を見た。「これで分かってくれた?妊娠は本当。あなたが選んだ病院でしょう。まだ疑える?」理人は唇を結んで、数秒黙っていたが、また口を開いた。「本当に俺の子か?」「……え?」あまりに予想外の言葉に、言葉を失った。結果を見れば、少しは気持ちが変わってくれるかと思ったのに、それすら、私の高望みだったようだ……。「あの一回で妊娠するなんて、おかしいと思わないか?」「まさか、私が浮気をしたと、疑ってるの?」「そうじゃない。ただ、信じられないだけで」「じゃあ、それも調べてもらう?」私の強気な言葉に、理人はもう何も言えなくなった。「それで……少しは、嬉しいと思ってくれるの?」それでも私は、まだ縋り付くような気持ちで、尋ねた。しかし、理人が迷いながら口を開くと同時に、理人の携帯が鳴り響いた。……詩織だ。『理人……! お願い、病院に来て……!』「どうした!? また熱が出たのか!?」『飛行機事故の夢を見たの……! 私、怖い……理人がそばに居てくれないと、死んじゃいそう……!』「すぐ見舞いに行く。待っていろ」理人は、私の横を通り過ぎようとして、一瞬だけ立ち止まった。「話はあとでする」もう、引き止める気持ちすら残っていなかった。私の妊娠を芝居とまで疑って、妊娠の検査すら渋っていたのに、詩織が悪夢を見ればすぐに駆けつける。それが今の理人だ。非情な現実に目の前が
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第五話「地下室に囚われて」

「理人……そばにいてくれてありがとう……」詩織は、病院のベッドの上で、理人に汗を拭いてもらいながら、か細く言った。「詩織がそれで気が楽になるなら、なんてことないさ」「でも、きっと木香さん、怒ってるよね……私たちのこと、疑ってるみたいだし……」詩織は、理人と一緒にカフェにいる写真を撮られた時から、木香への警戒を深めていた。従順な奥さんだと、理人から聞いていた。詩織が理人とべったりになってからも、文句を言うこともなく、顔を合わせれば暗い顔で会釈をする程度。きっと自分が理人を奪ったとしても、何かを起こす度胸などないと思っていたのに。詩織は、歯を強く噛み締めた。「詩織が気にする事じゃない。木香には俺が言っておく。困ったらいつでも俺を呼べばいい」「理人……」目を潤ませながら理人の顔を見上げる詩織は、とても儚げだった。そよ風が吹いても倒れそうなほっそりした身体を抱いて、理人は髪にキスをした。詩織はくすぐったそうに笑いながら、不意に口を尖らせた。「ところで、今朝はどうしたの? 来てくれなかったから不安になっちゃった」まるで、デートに遅刻された彼女のような言い方だった。「……病院に行ってたんだ」「病院? 理人、どこか悪いの?」「いや……俺じゃない」理人は言おうかどうしようか悩んだ後、口を開いた。「木香の妊娠検査だ」────私は、自分の名前を書いた離婚届をテーブルの上に置いて、家を出た。もう理人とは、顔も合わせたくなかった。初期化されたままの携帯を握りしめて、なんとか知り合いとコンタクトが取れないかと、街を歩いた。……そういえば、学生時代の友人が、このあたりのバーで働いていたはずだ。卒業してからも連絡を取り合い、時々お茶やショッピングに行く仲だ。会えれば、相談に乗ってくれるかもしれない。記憶を辿りながら路地を歩いていくと、店はすぐに見つかった。今はまだ明るい時間だから開いてない。夜になったら、もう一度来てみよう。そう思って引き返そうとすると、突然、後ろから口を塞がれた。「!?」ハンカチを口に当てられて、声が出せない。独特な甘い匂いがした。薬が仕込まれていることに気づいた時には、もう意識が遠のき始めていた。「赤石(あかし)。早く連れて行って」その鋭い声の主は、詩織だった。赤石とは、おそらく私の口を押さえている人
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第六話「兄の帰国」

冷たくて固い床の上で、私の手足は冷えていった。堕胎薬が、お腹の子供の命を奪っていくのが分かる。まっすぐ、理人を愛し続けてきた。愛が返ってこなくなっても、妻としての役割は全うしてきたつもりだ。その結果が、冷たい地下室で、子供を奪われることなのだとしたら、あまりに酷すぎる。子供を産んで、幸せな家庭を築きたかった。詩織が現れる前なら、それができると信じられた。だけどもう、望みはない。声を上げる力も残っていない。その時、鍵の開く音がして、細い光が差し込んだ。扉の方へ目をやると、男性の黒い影が見えた。「……理人?」背格好は理人によく似ていた。「誰かいるのか?」しかしその声は、理人のものではなかった。ドアが大きく開き、その人物が姿を現した。「木香?」その人物は、私を見て目を丸くした。「もしかして……宏樹(ひろき)……?」宏樹は、理人の兄だ。何度か会ったことがある。確か、長らく海外に行っているはずだった。背格好は理人によく似ているが、宏樹の方が少しだけ背が高い。温かみのある茶色がかったスーツが良く似合っていた。「木香! 一体これはどういうことだ!?」宏樹が慌てて私に駆け寄り、手足を縛っていたロープを解いてくれた。「病院に連れて行って……お腹の子が……」助けを求める言葉を聞いて、宏樹は顔色を変えた。私のことを軽々と抱き上げ、別荘から連れ出し、車に乗せてくれた。車に乗る前に周囲を見渡すと、そこは綺麗な湖の畔だった。青い空の色を反射し、青々と輝く木々に囲まれていて、こんな状況でなければ本当に素敵な場所だった。……詩織は、ここに連れてきてもらっていたのね。ぐっ、と瞼に力が入った。「苦しいかい?」そんな私に、宏樹は優しく声をかけ、大きな手でひたいに触れてくれた。その優しげな手つきに、ほんの一瞬方の力が抜けた。「大丈夫」私はそれだけ呟くと、倒した背もたれに身を預け、目を閉じた。宏樹は、着ていたジャケットを何も言わずに私の体に掛けると、車を発進した。──次に気がついた時には、病院のベッドの上だった。「気がつきましたか」心配気な医師の顔が私の顔を覗き込んだ。この人は……妊娠検査の時に、私を診てくれた先生だ。私は体を起こし、医師に尋ねた。「あの、子供は……!?」医師は眉を寄せて、私に言った。「……先ほど摘
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第七話「非常な現実」

「え……?」私は顔を上げて、宏樹の目を見た。優し気で、真剣な眼差しだった。「辛いことを話してくれてありがとう。……ここには、俺と君しかいない。泣いたって……誰にも馬鹿にされないよ」心の中を全て見通したような言葉に、初めて、涙が溢れてきた。理人には、ずっと、泣いて人の同情を誘うなと言われてきた。有浦に嫁ぐ者として、人前で弱いところを見せるのは恥だと。しかし、その有浦の宏樹から、泣いてもいいと言われた。初めて、許されたような気持ちだった。宏樹は、私が泣き止むまで、黙って側にいてくれた。その時、バン!と音がして、病室のドアが開いた。「木香!」理人だった。声を荒げた様子に、少しは心配してくれたのかと思ったが、そうではないらしかった。「今度は一体何なんだ!? 病院を使ってまでこんな芝居をして……何がそんなに気に入らない!?」「理人」私に詰め寄る理人に、宏樹が鋭く声を掛けた。「……宏樹?」理人の動きが止まる。宏樹の目の奥は、笑っていなかった。「木香がこんな目に遭っているのに、その態度は何だ?」「何で宏樹がここに……!?」「俺の話はいい。木香のことは聞いているのか?」理人は、宏樹の強い口調に一瞬たじろいだが、私の方を一度見て、再び続けた。「こいつがが病院に駆け込んで、俺を呼んだんだろう?」「違う、お前の別荘の地下に、薬を打たれて監禁されていたんだ」「まさか! そんなの、こいつの虚言に決まって……」「俺が見つけた」理人は絶句した。信じられない、という顔をした。おそらく、理人は詩織がやったことを知らない。だとしたら、なぜこんなことになっているか、分からないのは当然だ。「……木香」理人が私の隣に歩み寄った。「本当なのか?」私は、目を赤くして答えた。「あなたは、一度も私を信じてくれないわね」理人は私の顔を見て、驚愕した。もう何年も……理人の前ですら、こんな風に泣いたことはなかったからだ。しかし、理人の言葉はあまりにも冷酷だった。「……その涙で、宏樹を騙したのか」言葉も出なかった。理人は、宏樹のことすら、私が騙していると思っている。どれだけ詩織に対して盲目になれば、こんな言葉が出てくるのだろう。「理人!」宏樹の制止に、理人は食ってかかった。「宏樹、こいつは嘘つきだ。俺と詩織のことを疑い、あの手この
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第八話「捻じ曲げられる真実」

「何を、言っている?」「本当に何も聞いてないのね」私は、口角を上げた。理人が、こんなにも愚かな人だとは思っていなかった。「堕胎薬を打たれたわ。……子供は死んだ。もう摘出されて、バケツの中よ」理人の顔が青くなった。「まさか……」「本当よ。お医者さんに聞いてみたら?」理人は硬直したまま動かない。緊迫した空気が続く中、それを破るように、病室のドアが開いた。そこには、車椅子に乗った詩織の姿があった。「詩織! なぜここに?」理人が振り向いて、詩織に駆け寄った。「木香さんに謝りに来たの……」詩織は、悲しげな顔で言った。「理人さんと、木香さんの時間を邪魔してごめんなさい。私が邪魔だから……木香さんは、こんなことをしたのよね?」詩織が何を言っているのか、分からなかった。地下室に閉じ込めて、堕胎薬を打った、正に犯人だと言うのに。「よく来れたわね」腹が煮え繰り返るようだった。子供を殺した張本人が、のうのうと目の前に現れたからだ。「木香! 何だその言い方は!」「理人。お腹の子を殺したのはそいつよ」その言葉を聞いて、理人は激昂した。「ついに狂ったか!? 詩織はずっと俺といた!」「私が堕胎薬を打たれたのは、あなたが槙原さんと食事をする前よ。あれから私はずっと、地下室にいたわ」すると、詩織は目に涙を浮かべた。「木香さん、やめて。理人との時間を邪魔したのは謝るわ。……だけど、そんな自作自演をしたって、自分の首を絞めるだけよ」自作自演?実際にお腹の子供を殺されて、冷たい地下室に閉じ込められて……それを自作自演だと言ったの?私は、怒りでどうにかなりそうだった。「どうして私が自作自演で、子供を堕ろす必要があるの!?」詩織は、悲しそうに続けた。「ごめんなさい。さっき、車椅子がぶつかって……木香さんの鞄を落としてしまったの。中からこれが出てきたわ」詩織が取り出したのは、……私が打たれた堕胎薬。ご丁寧に、空になった注射器まで一緒だった。「木香、どういうことだ……?」理人の顔が怒りに満ちる。詩織は続けた。「木香さんの鞄から出てきたんだから、自分で打ったんでしょう。嘘をついて……お医者さんを騙したんじゃないかしら」怒りで呼吸がうまくできない。冷静に反論したいと思っても、口から漏れるのは荒い呼吸だった。「木香さん。私を犯人にしよ
last update最終更新日 : 2026-04-23
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第九話「始まる反撃」

「確かめる方法?」その場にいる全員が、宏樹の方を向いた。「ああ……理人。あの別荘には確か、監視カメラがついていたよな?」監視カメラという言葉に、詩織の肩がぴくりと跳ねた。「そういえばそうだ。カメラの映像を見れば、木香、お前が嘘をついていることが分かるぞ」理人は勝ち誇っているが、これは好機だった。そのカメラの映像には、詩織が映っているはずだ。それを見せれば、言い訳はできないだろう。ちらりと見ると、詩織は明らかに青い顔をしていた。「監視カメラのデータを取りに行かないといけないな。俺が行こう。この中で、最も中立に近いだろう?」宏樹が言った。「どうだろうな。宏樹は木香に騙されてる。証拠を消すようなことがあったらどうする?」理人の言葉に、宏樹は笑った。「理人の言う通りなら、カメラの映像を見て決めるさ。データは必ず持ち帰る。行って戻ってくるまでの時間で、改ざんなんて無理だろ?」理人はまだ納得いかないようだったが、詩織の方を見た後、頷いた。「わかった。すぐ行ってきてくれ」詩織は幾分顔色が悪く見えた。自分の悪事の証拠が、これから暴かれようとしているのだから、当然だ。しかし理人は、しおりの顔色の悪さを心配して、ここに残ることを選んだんだろう。「宏樹……」私は宏樹に視線を向けた。正直、行って欲しくなかった。ここにいる私の味方は、宏樹だけだからだ。そんな私を見て、宏樹は私にだけ見えるようにウィンクをした。大丈夫、と口の動きだけで言った。「それじゃあ、行ってくるよ」宏樹が病室を後にした。それに続くように、詩織が言った。「あの……私、少しお手洗いに行ってもいいかしら? 気分が悪いの……」その様子に、私は思わず口を開いた。「逃げるつもりなの?」詩織が何かを言う前に、理人が制した。「木香、いい加減にしろ! 具合が悪い詩織を、手洗いにも行かせないつもりか!?」病院からの連絡さえ無視した理人が言うのだから、滑稽だった。子供を奪われたばかりの私よりも、少し顔色が悪いだけの詩織の方が心配らしい。「詩織、木香の言うことは気にするな。付き添おうか?」「……大丈夫よ。外に赤石が来てくれてるの。理人は、木香さんのそばにいてあげて」「お前……自分が犯人に仕立て上げられそうだと言うのに、木香に気を遣うのか?」「木香さんがこんなことをしたの
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第十話「悪女は味方を失う」

「理人……何を言ってるの?」宏樹が口角を上げて立ち上がった。後頭部から血が流れ落ち、首筋を通って、スーツを濡らした。「当然、データは送信済みだよ。木香の端末にも、……理人の端末にも」詩織は目を見開いて、口元を抑えた。「さっきまでの会話の映像も、全てリアルタイムで理人の端末に送っていたんだ。タブレットを壊されるその瞬間まで」詩織は、理人の足元に縋り付いた。「嫌! 違うわ! この狂人が私を嵌めようとしてるの! こいつは木香の協力者よ! 理人のお兄様だから油断してたの……さっきまでの映像も全部フェイクだわ! 理人! 理人は私を信じてくれるわよね!?」詩織の必死な様子を見て、理人の胸は痛んだ。詩織の言葉を信じてしまいたかった。彼女の悲痛な様子は、嘘をついているようには思えなかった。少なくとも、理人の目にはそうだった。理人は屈んで、詩織を抱き上げた。詩織は泣きながら、理人の首に抱きついた。「理人……!」理人は詩織の髪を撫でると、低い声で言った。「戻ろう。全て説明してくれ。……お前を疑うのは辛い」────理人の腕に支えられながら、詩織が戻ってきた。ふらふらとした様子ではあったが、もう車椅子には乗っていなかった。「……槙原さん。芝居はやめたのね」私が冷たい口調で言っても、もう理人は止めなかった。不機嫌そうな顔で、ただ口を結んでいた。詩織が、どさりと椅子に腰を下ろした。「違うの、誤解しないで……あの映像は作られたものよ。宏樹が……木香さんに唆されて、嘘の動画を作ったの……」肩を震わせながら涙を落とす様子は、何も知らない人の目には、無実の罪で虐められているように見えただろう。……理人は、これに騙されてきたんだ。病室のドアが開いた。頭に包帯を巻いた宏樹が、しっかりとした足つきで戻ってきた。「宏樹!」私は思わず声を上げた。「大丈夫だよ」宏樹が笑った。「ところで理人。監視カメラの管理アプリは持ってるだろ?」宏樹にそう言われて、理人ははっとした。長らく別荘を放置していたため、カメラの存在も、それを確認するアプリケーションがあることも、すっかり忘れていたようだ。理人がアプリを起動し、パスワードを入力した。「パスワードまでは忘れてなかったようだね」宏樹が苦笑した。理人の端末には、確かに、宏樹から送られてきたものと同じ
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