All Chapters of 再婚、そしてまた再婚......気づけば御曹司に溺愛された: Chapter 221 - Chapter 230

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第221話

天音が千鶴がいる家を訪ねてきた。千鶴はいつもどおり親しげに迎える。「あら、天音。うちの梨沙は昨日の夜、あなたと一緒だったの?」天音は冷笑した。「千鶴さん、自分の孫娘がどんな人か、まだ知らないんですね」千鶴は眉をひそめ、天音の顔を見た。今日は以前とはどこか様子が違う。声から親しみが消えた。「え?どういう意味だい?」天音は礼都に受けた屈辱も悔しさも、千鶴にぶつけた。「私はずっと梨沙さんのことを親友だと思っていたのに......あの人、私の男を誘惑したんですよ!本人も、秋谷家の人たちも、恥というものを知らないんですか?」千鶴は呆然とした。しばらく言葉が出ない。怒りで胸が痛み、息まで苦しくなる。そのとき、美琴が家の中から飛び出し、千鶴を背中にかばった。「それ以上でたらめを言ったら、ただじゃおかないわよ!」天音は声を上げて笑う。「大声を出せば正しいことになるの?美琴さんよね。あなたのことも知ってる。梨沙の従姉でしょう?あなたもまともな人には見えないわ。まさかだと思うけど、この家は娘を金儲けの道具にして暮らしているの?」千鶴は歯を食いしばった。「今すぐ出ていきなさい」「図星ですか?」天音は舌打ちした。「言っておきますけど、梨沙さんのことは絶対許しません。私の男を奪ったこと、一生忘れないから」「誰を許さないって?」戻ってきた梨沙の目に、その光景が飛び込んできた。天音が家まで来るとは思わなかった。祖母が心臓の手術を受けて、まだ間もないと知っているはずだ。祖母を死なせるつもりなのか。梨沙は冷たい顔で歩み寄った。天音は彼女を見る。戻ってくるとは思わなかったようでもあり、待っていたようでもある、複雑な目だった。天音が詰め寄る。「秋谷梨沙!昨日の夜、どこに泊まったか言える?」梨沙は天音に近づき、耳元でささやいた。「どこだと思う?」天音の目が大きく揺れる。梨沙は笑い、天音の襟元をつかんだ。信じられないという顔をする彼女に、一語ずつ告げる。「昨夜のあなたは、私のほかに誰を呼んだか、分かっているでしょう。そういえば、お礼を言わなくちゃね、天音」天音はすっかり固まった。「あなた一人で、あんなことを思いつくとは思えない。海渡に指示されたでしょう?本当にバカね。人に利用さ
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第222話

なのに出てきたのは明里だった。「どうしたの?」天音は目を真っ赤にして尋ねた。「海渡はどこ?会わせて」明里は目をむく。「彼は今会議中よ。用があるなら私に話して」天音は構わず2階へ駆け上がった。「あっ、ちょっと!」明里が追いかける。書斎の前で、明里は天音の腕をつかんだ。「会議中だって言ったでしょう。何をするつもり?」天音は扉を激しく叩く。「今すぐ出てきなさい!いるんでしょう?!答えてよ!私を駒として使ったの?ねえ!」明里も腹を立てた。「朝から人の家に押しかけて......どうかしてるんじゃない?」天音はもともと明里を見下していた。気持ちが乱れているところへ、横からあれこれ言われ、怒りがさらに膨らむ。「愛人のくせに、私に口出しする資格がないわ!目障りだから、私の前から消えて!」明里はかっとなり、天音の頬を強く平手で打った。天音は呆然とした。今日は立て続けに頬を打たれ、悔しさと怒りでいっぱいになる。「よくも打ったわね!この女......ただじゃおかないから!」二人はつかみ合いになった。そこへ海渡が現れる。「もうやめろ!」天音は彼を見た途端、明里のことなど構っていられなくなった。「海渡!」海渡は天音を一瞥する。「やり方は教えたのに、台無しにしたのはお前自身だろう。俺に何の関係がある?」天音は歯を食いしばった。「......やっぱり私を利用したのね。私を使って梨沙の写真を手に入れて......あの写真で土岐さんを脅して、自分の欲しいものを手に入れるつもりでしょう!」海渡は眉をひそめる。「お前の手元にも、俺と同じ写真がある。なのになぜ俺にはできて、お前にはできなかったのか考えたか?」「......」海渡は冷笑した。「お前が愚かだからだ」「バカにしないで!」「お前、土岐礼都をいきなり脅したんだろう?だから愚かだと言っている。あんな男が、お前みたいな小娘の脅しに屈するわけがない」「あなたって人は......私もお父さんももう支えないから!」「好きにすればいい」海渡のそっけない返事で、天音はようやくすべてを悟った。彼は、自分と父親の支援が必要なふりをしていた。そう思わせれば、天音は彼を味方だと信じきる。頼み事をされても、疑わずに従う
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第223話

海渡は梨沙と、二度の大晦日を一緒に過ごしていた。そのたびに彼女は、年越しに必要なものを前もってすべて用意し、彼の仕事を邪魔することはなかった。明里は、胸を強く殴られたような気がした。「今......何て言ったの?」海渡は眉間を押さえ、自分が何を口にしたか気づいた。言い直そうとした、そのとき。明里が突然、机に駆け寄った。両腕を振り払うように動かし、机の上のものをすべて床へ落とす。海渡のノートパソコンも一緒だった。重いものが次々と床にぶつかる音が響く。海渡の顔色が変わった。鋭い目で彼女を見上げ、一語ずつ言う。「パソコンを拾え、明里」冷えきった声に、明里の肩がびくりと震えた。だが、すぐにお腹を突き出してみせる。「何よ。私を殴るつもり?だったら、このお腹を殴れば?」海渡は黙って彼女を見た。取り乱して叫ぶ明里の姿に、幼い頃、小さな町で威張り散らしていた彼女の母親の若い姿が重なる。貧しい町から抜け出すことばかり考えて育った海渡は、初めて明里に嫌悪感を覚えた。人には、骨の髄まで染みつき、遺伝子に刻まれたものがあるのだ。二人はこれまで身体の相性こそよかったが、これほど長く一緒に暮らしたことはない。今になって、身体の相性がいいからといって、夫婦としてもうまくいくとは限らないと気づいた。従順な態度の裏に隠れていた明里の醜さが、見え始めていた。海渡は椅子の背にもたれ、彼女を見つめる。明里は頬を膨らませて近づいた。「私、怒ってるのよ。なだめてくれないの?」海渡は唇をわずかに動かした。「出ていけ」明里は固まった。反射的に自分のお腹を指さす。だが、海渡は一瞥もしなかった。「もう一度言う。出ていけ」明里は歯を食いしばり、身を翻して走り去った。海渡はため息をつき、床からノートパソコンを拾い上げて、仕事を再開した。――夕食の時間になっても、本邸から連絡はなかった。長い間スマホを見つめていたが、結局、自分から電話をかけることもしない。飛田悠吹......余命が長くないのだから、飛田家で最後の正月を静かに過ごさせてやろう。時計を見ると、すでに夜7時を過ぎていた。海渡は書斎を出て、台所へ向かった。冷蔵庫を開ける。冷蔵室にあるのは、ヨーグルトとビールが数本。それ以外は、数え
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第224話

だが、返ってきたのは、さらに低く沈んだ海渡の声だった。「俺は......後悔しているのかもしれない。梨沙......」明里のスマホが、手のひらからゆっくり滑り落ちた。露木浩一はなおも催促する。「海渡は結局、食事に来るのか?欲しい車があるんだ。2000万円ほどで、そう高くもない」明里は怒りをのみ込むように唾を飲んだ。浩一が眉をひそめる。「聞こえないのか?お前に話してるんだぞ」明里は勢いよく振り返って父親をにらみ、大股で自分の部屋へ戻った。扉が家中に響くほど大きな音を立てて閉まる。浩一は不機嫌そうに悪態をついた。そばで明里の母親がため息をつく。「昔はご近所同士だったのに、明里が梨沙の夫を奪ったなんて」浩一は冷たい顔で、妻の頭を平手で叩いた。「なら、昔の暮らしに戻りたいのか?」母親は首をすくめる。「それは嫌よ。明里についてきて、こんなにいい暮らしができると知っていたら、もっと早く来たわ」浩一は鼻を鳴らした。「男は、つかまえる力のある女のものだ。国のトップだって離婚できるんだ。海渡が離婚できない理由がないに決まってる」「それもそうね」母親は笑った。「今頃、秋谷千鶴は悔しくてたまらないでしょうね。小さい頃から育て、自分の息子の命まで犠牲にして助けた子が、今ではうちの娘婿になるんだから。しかも、私たちによくしてくれる」浩一は得意げに言った。「うちの娘に力があったからだろう。明里は昔から、やる子だと思っていた。それに比べて、あのばあさんのところの耳の悪い娘は駄目だ。貧相な顔をして、男まで不幸にしそうじゃないか」......大晦日の夜。千鶴は、琉生の席にも食器と箸を並べた。美琴がグラスを掲げる。「この一年、いいことも悪いこともあったけど、もう過ぎたこと。新しい年は家族みんな、元気に楽しく、たくさん稼げますように。私は好きな仕事を見つけて、梨沙の工房はますます繁盛。おばあちゃんは長生きして、琉生は早くよくなって、渚はすくすく育てられますように......乾杯!」千鶴は笑った。「お願い事、多すぎないかい?」「お正月なんだから、いいでしょ?」祖母と孫娘二人はグラスを合わせた。千鶴は梨沙を見る。「来年は、嫌な人も嫌な出来事も振り切って、楽しく暮らそうね」梨
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第225話

梨沙は少しも迷わなかった。「わかりました、すぐ出ます」電話の向こうで、礼都が言う。「今夜は今年最後の寒波が来る。暖かくしておいで」「はい」電話を切ると、梨沙は弾む気持ちで上階へ上着を取りに行った。居間にいた美琴は、その慌ただしい様子をぽかんと見ていた。「まるで恋人に会いに行くみたいね」梨沙は膝まであるダウンコートを抱えて、もう階段を駆け下りてきていた。玄関で靴を履き替えながら、美琴に頼む。「お姉さん、途中でおばあちゃんが起きて、私がいないことに気づいたら、用事があって少し遅く帰るって伝えてくれる?」美琴は頬づえをつき、しみじみと言った。「やっぱりそうなのね。今のあなたは恋人に会いに出かける人にしか見えないわ」梨沙の手が止まり、困った顔で美琴を見る。美琴は慌てて口に鍵をかけるしぐさをした。「はいはい、もう言わない。気をつけてね」「うん」梨沙はバッグを背負い、うれしそうに駆け出していった。美琴も心から笑った。梨沙が幸せなら、相手が誰だろうと、何だっていい。スマホの画面を消し、自分も上階で休むことにした。子どもが生まれてからというもの、夜通しぐっすり眠れることはめったにない。シャワーを浴びて出てくると、渚が気持ちよさそうに眠っていた。美琴はそばへ寄り、息子の小さな頬に口づける。明日、両親に新年の挨拶をする電話で、この子のことをどう話そうか。自分が黙っていても、千鶴のほうが、もうすぐ秘密にしておけなくなるだろう。美琴はため息をついた。スマホが鳴る。手に取って着信画面を見ると、目をむいて電話を切った。だが、すぐにまた鳴り出す。美琴はいら立って電話に出た。「あんた、どうかしてるの?」尾崎快成(おざき かいせい)が軽く咳払いをする。「よいお年を」「何が『よいお年を』よ」「明日、予定ある?一緒に出かけないか?」「誰があんたと出かけるのよ」「せっかく新年の挨拶をしようと思って電話したんだ。もう少し優しく話してくれよ。それに、お前にあんなことをしたのは俺の両親で、俺じゃないだろう?そもそも、俺たちは正式に別れていないよな?」美琴は吐き捨てるように言った。「いい加減にして。もっといい家の娘と結婚したいなら、もう電話してこないで。これからは別々の道を行
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第226話

快成が自分と付き合った大きな理由は、美琴の顔が文乃に少し似ていたからだという。あの男は、自分を憧れの人の代わりにしていたのだ。――何様のつもりなのだろう。美琴はすぐに快成へ別れのメッセージを送り、海外へ行って子どもを授かった。その後、仕事を辞めて実家に戻り、出産を待った。ところが都北へ戻ってから、快成がまた付きまとい始めた。おそらく、望んでいたお見合いがうまくいかなかったのだろう。――冗談じゃない。そんな男とよりを戻す女がどこにいる。もう一度、同じ目に遭いたいなら別だが。美琴は梨沙に「先に寝るね」とメッセージを送り、息子を抱いて眠った。――梨沙が花火の会場に着くと、大勢の人でにぎわっていた。礼都たちを見つけるのは難しそうだと思った、そのとき。「ママ!」うれしそうな小さな声が背後から聞こえた。急いで振り返ると、望が礼都と手をつなぎ、跳ねるように駆けてくる。梨沙の前に着くなり、望は礼都の手を放し、彼女の胸へ飛び込んだ。梨沙はしゃがみ、両手で望の頬をそっと触った。気のせいかもしれないが、少し痩せたように見える。望を強く抱きしめた。「望、明けましておめでとう」望は彼女の肩に甘えるように頬を寄せる。「ママも、明けましておめでとう」礼都は二人の前に立ち、押し寄せる人の流れから守っていた。梨沙が立ち上がると、彼が言った。「ここは人が多い。あっちに行こう」「はい」梨沙は礼都について、花火がよく見える場所へ向かった。その瞬間、花火が空へ上がり、開いた。自分がデザインした花火が、大勢の視線を集めながら夜空を彩っている。周りの人たちが口々に感嘆し、褒める声を聞いて、梨沙は思わず笑顔になった。望が服の裾を軽く引く。「ママ、これもママが考えた花火?」梨沙がうなずくと、望は目を輝かせた。「わあ、すごいよ、ママ!」それから礼都を見上げる。「おじさんも、ママはすごいと思う?」梨沙は耳まで熱くなった。「何言ってるの。土岐さんのほうが、ずっとすごい人よ」だが、礼都は言った。「すごいと思うよ」望は自分が褒められたかのように得意げだった。やがて、何千もの風船が一斉に空へ放たれた。望は顔を上げ、うれしそうに見つめる。人工内耳を通して聞こえる音は、普通の聴
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第227話

――香城か。あまりにも遠い。交通の便がよくなった今でも、会いに行くのは簡単ではない。離れているのは、道のりだけではなかった。梨沙は深く息を吸い、無理に笑顔を作った。「望が土岐さんのそばにいるなら、安心です」「どうして?」梨沙は目元をほころばせて笑った。窓の外では、ときおり花火が上がっている。その光が瞳に映り、鮮やかに揺れた。礼都は彼女をじっと見つめる。「寿永さんと同じ、優しい土岐さんならきっと、望を大切にしてくださると信じていますから」優しい、か。礼都は口元にかすかな笑みを浮かべた。そのとき、彼のスマホが鳴る。「悪い」梨沙がうなずくと、礼都は席を立たずに電話に出た。「青依?」受話口から聞こえる青依の明るい声は、梨沙にも届いた。彼女は無意識に耳を触り、気まずくなって窓の外へ目を向ける。「礼都さん、明けましておめでとう」「ああ。明けましておめでとう」礼都も、かすれた声で返した。「送ってくれたお正月の品、全部届いたよ。言われたとおり、お母さんには話してない。お父さんが亡くなってまだ間もないから、家の中は寂しいままで......お母さんは早く寝たし、私は一人で年を越したの」「大変だったね」「ううん、私がやらなきゃ。お兄ちゃんもいない今は、私が家を支えないと」青依は笑ってから尋ねた。「それで、礼都さん。私、いつから礼都さんの会社で働けばいい?」「詳しいことは唐沢から連絡させるよ」青依は少し間を置き、遠慮がちに聞いた。「礼都さん、私を秘書にしてもらえないかな?ほかの仕事だとうまくできなくて、周りに迷惑をかけそうで怖いの......」礼都は率直に答えた。「ごめん。正月が明けたら、しばらく香城へ行くんだ」「えっ、どうして?いつ戻るの?」「わからない。仕事の都合だよ」青依がさらに何か言おうとすると、礼都はその前に話を終えた。「まだ用事があるんだ。もう遅いし、君も早く休んで」「......うん」電話が切れ、礼都はスマホを置いた。梨沙はようやく振り向いた。「もう遅いですし、望も眠っています。今日はここまでにしませんか。望と一緒に年を越せて、本当にうれしかったです。今日はありがとうございました」「近くに部屋を取ってある。君と望で泊まって」梨
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第228話

窓ガラスには、二人の姿が映っていた。礼都が先に口を開く。「望のことで、ほかに伝えておきたいことはある?」梨沙は少し考え、首を振った。「特には。土岐さんが望を大切にしてくださると分かっていますから」「離婚の手続きが終わるのはいつ?」「今月には終わると思います」礼都はうなずいた。二人の間に沈黙が広がる。数秒後、彼が再び言った。「時間があるときに、友達のふりをしている人とは距離を置いたほうがいい。誰もが善良だと思っていると、利用されるよ」梨沙は強くうなずく。「ありがとうございます。そうします」礼都は焼酎を飲み干し、もう一杯注いだ。深い目の奥に、何かの感情が少しずつ浮かんでくる。「困ったことがあれば、いつでも電話して」梨沙ははっとした。礼都のその約束が、どれほど大きな意味を持つか分かっている。都北で彼の助けを得たい人は大勢いるだろう。今の言葉は、強力な切り札を手渡されたも同然だ。梨沙は目を伏せ、唇を結んだ。まず礼を言い、それから「分かりました」と答える。礼都の眉間に、少しずつしわが寄った。「それから、君から俺に、何か言うことはないのか?」「え?」考えた末に、梨沙は唇を開いた。「......お達者で」「......」こんな言葉を贈られたのは、ほとんど初めてだった。飾り気がなく、どこかおかしくもある。けれど、お達者でいることは、彼にはできないかもしれない。礼都は深く笑った。「ありがとう」梨沙は一杯飲み終える頃には、頭がぼんやりしていた。目の前にいる彼の整った顔も、二重に見える。白い頬がぽっと赤らんだ。彼女は首を振る。「すみません、私......少し酔ったみたいです。もう望のところへ戻りますね」テーブルに手をついて立ち上がり、バルコニーの扉へ歩いていく。「秋谷」「ん......」振り返らないまま返事をすると、腕をつかまれた。酒のせいで反応が遅れる。気づいたときには引き寄せられ、背中がガラス扉に触れていた。目の前に立つ礼都の大きな身体が、彼女に差す光を遮る。急に暗くなったように感じ、梨沙は思わず顔を上げた。その瞬間、シダーウッドの香りと焼酎の気配をまとった唇が、強く重なる。角度を変え、唇を押しつけ、深く口づける。胸の中の空気
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第229話

飛田家の本邸。真希子が悠吹の部屋を訪ねた。「少しは落ち着いた?」悠吹は笑った。「長年暮らした家だよ。数年離れていただけだから。母さんこそ、まだ寝ないの?」真希子は目元をこすり、小声で言った。「最近、嫌な予感がするの。何か起きるんじゃないかと心配で」悠吹は立ち上がって母親の後ろへ回り、肩をもんだ。「きっと大丈夫だよ。母さんは気を張りすぎなんだ。お正月くらい、会社のことは忘れて」真希子は息子の手の甲を押さえた。「用心に越したことはないわ。海渡が、このまま引き下がるとは思えないの。あの子のことはよく知ってる。簡単に諦めるような人間じゃない。執念深くて、一度食らいついたら離れない相手よ」海渡の名を聞いて、悠吹の頭に浮かんだのは梨沙の姿だった。彼はかすかに笑う。「そういえば彼、もうすぐ離婚するんだっけ?」「ええ」「奥さんとは幼なじみで、苦労も一緒に乗り越えてきたと聞いたけど。どうして離婚することになったの?」真希子は皮肉っぽく笑い、ため息をついた。「それは、海渡が自分を偽りすぎたのよ。梨沙が一度結婚していたことを本当は気にしていたくせに、自分で作り上げた『恩を忘れない男』という評判のせいで、不満をのみ込んで結婚した。結婚してからの2年間は、梨沙に聴覚障害があるのをいいことに、露木明里という女と好き放題に浮気をしていた。今になって発覚し、梨沙が離婚を求めた。株主たちにも迫られて、海渡は応じるしかなかった」真希子の目が鋭くなる。「結局、あなたのろくでもない父親と同じ。悠吹はあんな男になっては駄目よ。私がいい家のお嬢さんを何人か探すから、その時は気に入った人を選びなさい。そして、その人と末永く仲よく暮らすのよ」悠吹は困ったように言った。「母さん、俺は今、会社をきちんと経営することしか考えていないよ。結婚はまだいい」真希子は首を振り、たしなめるように言う。「それでは駄目なの。家庭を持ち、仕事を築くのは大切なこと。あなたも、もうそういう年齢でしょう。海渡の相手が先に妊娠でもしたら......厄介になるわ」悠吹は笑ったが、何も言わなかった。真希子はあくびをする。「......もう寝るわ。あなたも早く休みなさい」悠吹は母親を部屋の入口まで送った。そのとき、主寝室のほうを見て尋ねる。
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第230話

礼都は部屋を出て、向かいの主寝室へ行き、扉を軽く叩いた。しばらくして、パンツ一枚の望が目をこすりながら出てきた。「おじさん、ママがどこに行ったか知ってる?」礼都は眉をひそめ、扉を押し開ける。主寝室のベッド脇には、書き置きが一枚残されていた。目を落とすと、整った文字が目に入る。【土岐さん、望には私が先に出かけたと伝えてください。朝食はキッチンに用意しました。温かいうちに食べてください】望は背伸びをして、礼都の腕を引っ張った。「これ、ママが書いたの?」礼都が紙を渡すと、望は何度も裏表をひっくり返し、弱々しい声で言った。「おじさん、僕、字が読めないよ......」「......ママは用事があって先に出たそうだ。朝ごはんも作ってくれた」望はたちまち笑顔になった。「やっぱり、ママが僕を置いていなくなるわけないよね。おじさん、朝ごはんは僕のために作ったって書いてある?それとも僕たち二人のため?」礼都の胸に、小さな波紋が広がった。静かな水面に小石が落ちたような、ほんのかすかな揺れ。それでも消えずに、いつまでも心に残る。望はぴょんぴょん跳ねながら手を振った。「おじさん?」「......」望がさらに話しかけようとすると、礼都はキッチンへ向かって歩き出した。望は慌てて追いかける。「おじさん、一人で全部食べちゃ駄目だよ!ママが僕に作ってくれたんだから!」――朝食後、望は車の後部座席にあるチャイルドシートに座り、運転する礼都をずっと見つめていた。視線が気になり、礼都はルームミラー越しに望を見る。「何見てるんだ」望は唇を結び、小さな手で上唇をつまんだ。「おじさん、今日なんだかいつもと違う」「どこが?」「うれしそうなのに、すましてる」「......」望は目をぱちぱちさせる。「いいことがあったの?」「少し黙って」望はため息をついた。「おじさん、いつもそう。答えにくいことを聞くと、すぐ黙るんだ」礼都のこめかみがぴくりと動いた。「これ以上言うなら、タブレットもスマホも使わせないよ」望は気まずそうに、手で口を押さえた。――土岐家に着くと、礼都は望の手を引いて居間に入った。桂川家の人たちがそろっていた。「帰ってきたか」義隆が笑う。礼都
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