浴室には、デッキブラシで床を擦る音だけが響いていた。 朝の掃除が始まってから十分ほど経つというのに、水琴は同じ場所ばかり磨いている。 泡はとうに流れ落ちているのに、手だけが無意識に往復を繰り返していた。 颯馬はそんな様子を横目で見ながら排水口の周りを掃除していたが、やがて手を止めた。「みー」 呼ばれても、水琴はすぐに返事をしない。 数秒遅れて、小さく「ん」とだけ返した。「そこ、もうきれいになってるけど」 その一言で、水琴はようやく我に返った。「あ……ほんまや」 苦笑しようとした口元は、うまく形にならなかった。 ブラシを持ち直して別の場所へ移ろうとする。 けれど、足が動かない。 何度も切り出そうとしては飲み込んできた言葉が、喉の奥につかえたまま残っていた。 昨日からずっとそうだった。 颯馬があの記事を信じず、水琴の言葉を信じてくれたこと。 みんなの前で自分をかばってくれたこと。 思い返すたびに胸の奥が締めつけられる。 こんなふうに信じてもらえる資格なんて、自分にはない。「昨日のこと、まだ気にしてる?」 颯馬はブラシを洗いながら尋ねた。「ネットの記事」 水琴は俯いたまま、小さく首を振る。「それもあるけど……」 そこで言葉が止まる。 颯馬は続きを急かさない。 水を止め、静かに水琴の方を向いた。「昨日さ」 水琴は床の水滴を見つめたまま口を開く。「颯馬くん、俺のこと『信じてる』って言うてくれたやん」「うん」「あれ、めちゃくちゃ嬉しかった。せやから余計に、もう隠しとくの無理やと思った」 颯馬の表情が少しだけ変わる。 水琴はゆっくり息を吸った。「……ごめん」 その一言を言うだけで、胸が苦しくなる。「俺、颯馬くんにずっと嘘ついてた」 浴室が静まり返る。 遠くで水道の雫が落ちる音だけが聞こえた。「最初から……颯馬くんと仲良うなるつもりやった」 颯馬は何も言わない。 続きを待っている。「でも、それは友達になりたかったからちゃう」 水琴は拳を握り締めた。「颯馬くんを、利用するためやった」 その瞬間、颯馬の瞳がわずかに揺れる。「利用……?」「うん」 水琴は頷いた。「颯馬くんに近付けば、炎さんのこと知れるかもって思って」 自分の口から出た言葉が、胸へ突き刺さる。 最低だ。 ずっと分かっ
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