Semua Bab 壊したいほど好きだから、: Bab 91 - Bab 100

112 Bab

第3章:003

 ※ ※ ※ 翌日、十二月二十四日。クリスマスイブ。 二人で協力して残りの荷物を片付け、ようやく部屋が落ち着いた頃には、外の空気がうっすらと夕闇を帯び始めていた。 夕方前ということもあり、まだ陽の光は残っているものの、窓の外には師走独特の冷たい静けさが漂っている。冷蔵庫の中では、玲が事前に予約し、届いていたクリスマスケーキが二人で囲む夜を待つようにひっそりと冷やされていた。「お腹空いたね。あ、引っ越し蕎麦、俺が作るよ」 玲がキッチンに立ち、手際よく準備を進め始める。トントンと包丁の心地よい音が響くその背中に、渚は照れくさそうに声をかけた。「ねえ……明日から、毎朝お弁当作ろうか?」「本当? 嬉しいな」 玲は心底嬉しそうに振り返り、口元を緩めた。自分が作るお弁当を彼が食べてくれるのだと思うと、渚の胸の奥もじんわりと温かくなる。「あっ。明日、出勤ついでにスーツをクリーニングに出したいんだ。忘れないために玄関に置いておいてもらえる?」「うん、いいよ」「紺色のジャケットのやつ」「おっけー」 渚は「ちょっと持ってくるね」と言ってキッチンを離れ、ウォークインクローゼットへ向かった。 ポケットに何も入っていないか確かめようと、渚は上着のポケットへ滑らせるように手を差し入れた。 指先に、小さく固い感触が触れた。 ゆっくりと、つまみ出してみると、それは鈍く光る、女物のピアスの片方だった。 息が止まる。見覚えがあった。以前、玲の鞄から出てきて、密かに自分が捨てたはずのデザインとまったく同じものだった。(なんで……? もう片方は、確かに捨てたのに) どうして、また同じものがここに入っているのだろう。 渚が手にしているジャケットが、体調を崩して病院へ行くと言っていた日に羽織っていたものだったことを渚は思い出す。 そっと、ジャケットの袖に鼻先を近付ける――あの夜は生乾きの臭いと香水が混ざっていたが、時間が経ったせいか、今はもう匂いが消えていた。(誰の
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第3章:004

 ※「本気で来て」 何を言われたのか一瞬理解できず、玲は手にした空の器を真新しいシンクへそっと置いた。「えっと……本気って?」 振り向いて渚の顔を覗き込むと、彼女は酷く不安そうな表情を浮かべていた。なぜそんな顔をしているのか、玲にはさっぱり分からない。引っ越して二日目。そして今日は、二人にとって大切な記念日でもあるというのに。 渚からの返事はなく、沈黙だけが流れる。戸惑いながらも、玲は空の器を持ったまま固まっている渚へ歩み寄ると、彼女の手からそっと器を受け取ってシンクへ置いた。「渚、どうしたの――」 そう声をかけて向き直った瞬間、渚が正面から玲へ抱きついてきた。 突然のことに一瞬驚いたものの、彼女の体温が胸に伝わるとすぐに愛おしさが込み上げ、玲も引き寄せるように強く抱き返す。「……普通に、セックスしたい」「え……?」「今まで……私に気を遣って、ずっと遠慮してくれてたでしょ?」「そんなこと――」 そんなことない、大事にしたいからだ――と否定しようとした玲の言葉を遮るように、渚は玲の胸元をぎゅっと掴み、真っ直ぐに見つめてきた。「私が……もし怖がっても、やめないでほしいの。玲となら、乗り越えたいから」 渚が突然言い出した理由を、玲は深く考えなかった。 玲は渚を抱き上げると、そのままソファの上に彼女を押し倒した。 渚が今日履いてきたロングスカートの裾から、すっと手を滑り込ませる。(履き慣れないスカート……手を入れるのが、こんなにも簡単だ) そんな考えが頭をよぎりつつも、怖がらせないよう、丁寧なキスと羽根で撫でるようなフェザータッチで、彼女の身構えた緊張をほぐしていく。「今日、記念日だって覚えてる?」 唇を離した玲が静かに訊ねる。「クリスマスイブ……?」「惜しい。俺たちが初めてエッチ
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第3章:005

 ※ 足の付け根から滑り込んできた玲の指先を感じながら、渚は目を閉じ、彼の首元へ強くしがみついた。 重ねられる深いキス。息が詰まりそうなほどの熱と優しさに包まれていても、そこに嫌悪感は一切なかった。 どこまでも慎重で、自分を傷つけないように触れてくれる手つきは、普段とは変わらない。でも、性急さはあるように感じた。やっぱり玲は、ずっと自分に気を遣ってくれていたのかもしれない――そんな思いが脳裏を掠める。(お願い……この不安を消して……) ポケットの中にあるピアスの冷たい感触を打ち消すように、渚は玲の背中の服をぎゅっと強く握り締めた。『ピロン、ピロン、ピロン』 一回きりかと思われたその通知音は、一度途切れたかと思うと、狂ったようなテンポで鳴り響き始めた。『ピロン、ピロン、ピロン、ピロン、ピロン、ピロン、ピロン、ピロン、ピロン、ピロン、ピロン、ピロン、ピロン、ピロン、ピロン、ピロン、ピロン――』 止まらない。 異常な密度の連続通知音に、部屋の空気が一瞬で凍りつく。「……ごめん、玲。ちょっと、携帯見てもいい?」 渚が息を整えながら声をかけると、玲は離れがたそうにしながらも、ゆっくりと体を起こした。 渚がソファの上に体を起こすと、玲は後ろから逃がさないようにそっと自分の腰に腕を回して抱き寄せてくる。その温もりに包まれたまま、渚はテーブルの上の携帯電話に手を伸ばした。 画面を点けると、目に入ってきたのは画面を埋め尽くす大量の通知。 見たこともないメッセージの連投。それは、一度も登録した記憶のない――まったく知らない相手からのメッセージだった。 画面を開いた渚の瞳が、凍りついた。 トーク画面には、数十件もの動画ファイルが並んでいた。サムネイルはどれも暗い部屋の映像。 意味が分からず、一番最後の動画を再生しないように、長押しした。 青白い画面に、誰かの顔が大きく映し出された。歪んだ笑みを浮かべているが、どうしてか――その顔に見覚えがあった。
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第3章:006

  ※ まるで二人を引き裂くように鳴ったメッセージの通知音で、渚がトイレへ立ち去ってしまった。玲はソファにポツンと一人残され、手持ち無沙汰に自分の指先を弄り始めた。(渚が帰ってこない――もしかしたら、俺が性急過ぎて怖がらせちゃったかな……)『今日、本気で来て』『普通にして。気を遣わないで』 この言葉たちを免罪符に進もうとしたことが仇となったかもしれない――渚に触れた幸せが残る指先から、冷たさがじわじわと全身へ広がっていく。 玲は静かに立ち上がり、足音を立てずトイレの前で立ち止まった。 扉に耳を当て、様子を窺うと、微かな嗚咽が扉を隔てて玲の耳に届く。(やっぱり、俺が急過ぎたんだ) これが原因で嫌われてしまう――玲は一呼吸置いてドアを静かにノックした。「渚……大丈夫?」 息を詰めたような音がした。 玲は両目を閉じて、額を扉に押し当てる。小さな声で「ごめんね」と漏らした。渚のトラウマを自分の行いで呼び覚ましてしまったかもしれない、その後悔に胸を押し潰されそうだった。 玲の唇が震えた。「俺、怖がらせちゃったよね。無理させてごめん」 玲はそう声をかけた――トイレの中からは何の反応もない。「……ごめん」 静かな廊下に玲の声だけが虚しく落ちた。 直後、扉の向こうから水が勢いよく流れる音が響いた。続けて、蛇口が回され、手を洗う水の音が聞こえる。キュッと蛇口が締められ、静寂が戻った。 玲は安堵からか肩の力が抜けた。 ラッチが外れるカチャリという音が鳴る。玲は静かに数歩後ろへ下がった。 ギィと音を立てて扉が開き、中から渚が出てきた。 その顔には全く血の気がなかった。目元は赤く、頬には涙の痕がはっきりと残っている。 それを見た瞬間、自分が与えてしまったものの大きさに言葉を失った。「渚……っ! ごめん、ひどいことした! 怖がらせてごめんね、本当にごめん! もう二
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第3章:007

 「えっ、なにこれ……?」 玲の口から、困惑しきった声が漏れた。 アダルトな動画や画像が極度に苦手なはずの渚が、なぜこんな動画を画面に表示させているのか、まったく理解が追いつかない。渚の顔と小さな画面へ、何度も視線を行き来させる。「なんで、そんなの持ってるの?」「よく見て。この動画の男の人……玲だよ」「な、何言ってるの? 俺のはずないよ」 玲は意味が分からず、画面を凝視した。 だが、動画に映り込む薄暗い部屋の家具の配置、見覚えのある照明――そして、メッセージアプリのアイコンに写る女の後ろ姿。それらは全て、玲の記憶にあるものだった。 戸惑いを隠すため、玲は笑みを浮かべた。「違うよ、これは俺じゃない」 その瞬間、画面の中の動画が切り替わり、男の顔がアップで映し出された。 快楽に顔を歪めて淫らに笑う、その男の顔――紛れもない、自分自身だった。 自分が性行為に及んでいる時の醜く歪んだ表情を突きつけられ、玲の胃の底から一気に酸っぱいものが込み上げてくる。玲はそれを強引に飲み込み、必死で喉の奥へと戻した。「玲のセフレですって。もう何年も関係してますってメッセージが送られてきたよ」「そ、そんなの嘘だよ! スパムか何かだって!」「中学一年生の頃から関係を持ってるって」「い、いや! 嘘だよ! そいつの言ってること全部デタラメだ! だって俺、渚としか関係持ってないよ!?」「玲の右足の付け根に小さな黒子があるって言ってる。私でも知らない情報を知ってるみたい」 自身の身体でありながら、自分さえ知らない特徴。それをあの女が知っているという事実に、玲の頭の中が真っ白になる。「毎週木曜日、玲は彼女の家に行ってたんだね。送られてきた動画には、日付と曜日も全部書いてある。ここ最近は、木曜日以外にも行ったんだね……」 渚が乾いた笑みで「金曜日とか」と小さく呟いた。「違う……全部、デタラメだよ」「玲の帰りが遅かった金
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第3章:008

  玲は大きく両手を広げ、必死に渚へ訴えた。「誰かが俺を嵌めようとして、捏造したんだ! 俺は、渚しか愛してない……信じてくれよ!」 縋るように渚の目を見る。しかし、彼女の瞳には何の光も宿っておらず、ただ昏い闇が広がっているだけだった。 やがて、その昏い瞳にじわじわと涙が浮かび上がってくる。それを見た玲は、喉を詰まらせて息を呑んだ。「こっちの玲の方が……楽しそうだよ」 渚から漏れたのは、冷え切った呟きだった。「ちがう! ちがう、ちがうんだ!!」 楽しいはずがない。他の女を抱いても、いつも考えるのは渚のことばかりだった。「私の目には、玲にしか見えないよ」「俺じゃない、違う……」「私、玲をずっと見てたから。だから、これが玲だって分かるよ」「俺じゃない……俺は、渚にこんな顔しない……っ」 玲は首を振りながら同じ言葉を繰り返し続ける。「俺じゃない……っ!」「私には、AIに見えないよ」 渚は、俺の何を見ていたというのか?『私、玲をずっと見てたから。だから、これが玲だって分かるよ』 今まで隠していた本性が、自分自身が気付かないうちに滲み出ていたとでも、いうのだろうか――。「私じゃ、満足できなかったんでしょ?」「違う、違う、違うんだ!!」 満足できなかったんじゃない。 渚を壊してしまうのが怖くて、どうでもいい女で発散していただけで――……。「違うんだ……」「セフレと、楽しかった?」「違う、違う、違う」「楽しそうに笑っているのに?」 言葉にならなくなった思いが、熱い塊となって玲の胸の奥で暴れた。「俺の話を聞けよ!」 爆発した感情のまま、右拳を全力で壁へ叩きつけた。 ドカンッ、と乾いた重い打撃
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第3章:009

 自分でも頓珍漢なことを言っていることは、理解していた。話が噛み合っていない――分かっていながらも、目の前の渚を失いたくないという想いだけで行動していた。 渚が小さく息を吐き出した。 見えない境界線を張られたような気がした。「……私を、ずっと騙してたんだね」「渚――」「セフレ以外にも……マチアプで一夜限りの女性とも寝ていたんだね」 次々と暴かれていく事実に、自分の仮面がボロボロと剥がれ落ちていく。「距離を置きたい」「距離? 距離ってことは、別れないってことだよね? 俺、リビングで寝るよ。渚をソファで寝させるわけにはいかないから――」 距離を縮めようと一歩踏み出し、渚の肩に触れようと手を伸ばす。しかし、渚から手を払いよけられてしまった。「顔も見たくないの!」 渚が今日初めて声を荒げた。 狭い廊下の中で響いた声は、玲の鼓膜まで一気に届いた。「セフレとは縁を切った! 俺には渚しかいない! だから、だから、顔を見たくないなんて言わないでくれよ!」 必死に縋りつく玲の言葉に、渚は絶望の滲む瞳で静かに首を振る。「縁を切ったから、って……なかったことにはできないんだよ?」「渚――」「玲が、どうやって縁を切ったかまでは知らないけど……これを私に送り付けてきたってことは、あったことを私に知らせるためでしょ?」「俺は渚と暮らすんだ! だから、セフレはもう必要ない、だから縁を切った、もういらない! 俺には渚しかいらないんだよ!」「私しかいらないなら……どうしてセフレなんて作ったの? マチアプで会ったりしたの? それって、私じゃダメだったからでしょ?」「そういうわけじゃない! 俺は、渚が一番で……だから……っ」 一番だから……一番愛しているから、閉じ込めたかった。 渚を誰の目にも触れないよう、
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第3章:010

 呆然と玄関前に立ち尽くす玲の身体を、渚が強く押し除けた。靴棚の上に置いてあった車の鍵を引ったくるように手に取り、そのまま玄関のドアノブへ手をかける。 その光景を目にした瞬間、玲の中で踏みとどまっていた最後の何かが、完全にパチンと音を立てて弾け飛んだ。 女性専用の住居は解約した。 渚の家はここしかない。 実家は遠い。 そんな渚が、どこへ「帰る」つもりなのか――。自分以外の居場所があることに玲の理性は焼き尽くされていく。 新幹線で窓に映り込んでいた男か? あの声の持ち主の場所か?「待てよ……っ!」 玲の手が素早く伸び、渚の細い手首を激しく引っ張り戻す。勢い余って、彼女の体をそのまま玄関の冷たい床へと力任せに押し倒した。「嫌……っ! やめて、玲!」 暴れる渚の抵抗など意にも介さず、玲は彼女の両手首を片手でひとまとめに掴み上げ、頭上へ縫い止める。もう片方の手で、着ていたシャツを力任せに引き裂いた。破れる布地の音とともにブラジャーを乱暴に捲り上げると、白く形のいい胸が露わになる。(どの女よりも……渚の胸が一番きれいだ) 先端に浮かぶ小さなピンク色の突起を、吸い付くように口の中へ含んだ。渚の口から切り裂くような悲鳴が上がったが、錯乱した玲の耳にはそれが甘い歓喜の喘ぎ声のように聞こえていた。 舌先でちろちろと弄り、吸い上げる。(かわいい、かわいい、かわいい……俺の渚) ふと、下で暴れていた渚の動きがピタリと止まった。 玲は空いた手で、ロングスカートの裾から躊躇なく手を潜り込ませる。本当に手を入れやすい服だと思いながら、ショーツのクロッチ部分へ指を滑り込ませた。 ――濡れていない。 指先に触れる乾いた感触に、玲はハッと息を呑み、ようやく真下にいる渚の顔を視界に収めた。 彼女は全身を激しく震わせていた。 見開かれた瞳は絶望と底知れぬ恐怖で満ちていた。 そんな目をさせてしまっているのが
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第4章:001

   真っ暗な部屋で唯一光を灯すのは、小さな四角の画面だけだった。 ノートパソコンのディスプレイが発する蒼白い光が、暗闇の中で一人の女の顔立ちをぼんやりと浮かび上がらせている。 静まり返った室内に響くのはキーボードの音と、時折混ざるマウスの短いクリック音だけ。 画面を見つめる女――真央は、親指の爪を小刻みに噛み千切りながら、喉の奥で小さく笑った。 タタンっ! と最後にエンターキーを押して、真央はノートパソコンを閉じた。 真央は両手で顔を覆い隠し、掌に重い息を吐いた。 玲がシャワーを浴びている間に彼の携帯を操作して手に入れたのは、メッセージアプリに登録された渚のプロフィールと連絡先だった。それを自分の携帯へ送った。 二人のトーク履歴は、真央にとっては平凡そのもので、何の起伏もない世界が広がっていた。たとえ、その場所に自分の知らない玲が存在し、自分には一度も向けられたことのない言葉が並んでいたとしても――。 画面をスクロールする指が、一瞬だけ止まった。 真央は鼻で笑う。 こんなもの、何でもない。 いつ崩れてもおかしくない砂の城の住人たちに対して、湧き上がるのは優越感だけだ。 どれほど甘い言葉を並べたてようと、玲が自分を抱く時に見せるあの狂おしい表情も、生々しい喘ぎも、刻み込まれた肉体の記憶も、全てを知っているのは自分なのだから。 部屋の至るところに忍ばせた隠しカメラは、天井から部屋全体を映すものもあれば、正面から玲の顔を捉えるものもあり、さまざまな角度から二人の行為を撮り続けてきた。 元々は、こんなふうにリベンジポルノとして使うつもりじゃなかった。毎週木曜日しか訪れない玲を思い出すため――そして、自らを慰めるための道具だった。 ――それが、あの日壊れた。『もう来ない』『渚と同棲する』 セックス後の最低なピロートーク。彼はいつものように振り返りもしなかった。 性欲処理でもいい、いつか自分を選んでくれると信じて都合のいい女を演じ続けてきた。それなのに――玲は渚と何事もなかったかのように、幸せになろうとしてい
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第4章:002

  ※ 玄関で、玲の手は虚しく空間を彷徨っていた。 彼女を追い掛けるように伸ばされた指先が掴めたものは、ただの空気だけで手の中には何も残らない。やがて、伸ばし続ける力を失った腕が、重力に逆らえずにドサリと床に落ちた。 関節を打ちつけた強い痛みが走るはずなのに、感覚は遠い。 玄関の向こうに消えていった渚の背中が、網膜の裏側に焼きついて離れない。 生涯をかけて癒すと決めたはずだった。 この命がある限り、一生をかけて償う。 自分が約束を破ったせいで、渚はあの傷を背負った。 そして、自分が重ねてきた裏切りが明るみに出たことで、その傷の上へ新たな傷を重ねてしまった。 内臓が裏返るような吐き気に襲われる。 壊したくなかった、傷つけたくなかった。渚を自分の底なしの執着から守るために、別の女に手を伸ばし、それを「身代わり」にしていた。 そして最後には、あの一番見たくなかった恐怖の目を自らの手で渚にさせ、彼女の小さな身体を力任せに押し倒した。(俺の本性を知られてしまった) 守るどころか、癒すどころか。 トラウマの上に、更なる絶望という暴力的な傷を、他ならぬ自分自身が深く刻み込んでしまった。 どうしようもなく惨めだった。「あ……が、っ……」 喉の奥が引き攣り、言葉にならない呻きが漏れ出る。 もう、二度とあの柔らかい手で触れてもらえることはない。『玲』と、愛おしそうに名前を呼んでもらえることもない。「……………………いやだ」 失いたくない。 俺のことを許さなくていい。 それでも、傍に居てほしい。 憎しみに満ちた瞳の中でさえ、俺だけを映してほしい。 自分がどれほど身勝手で、どこまでも独り善がりな思考をしているかなど、嫌というほど分かっていた。 それでも、渚のいない世界で生きて
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