All Chapters of 死ぬために嫁がされた私、二度目の転生で冷酷御曹司と運命を変えます: Chapter 121 - Chapter 130

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第121話 約束を破る夜③

 私の言葉を聞いた瞬間、透の瞳に、深い、底知れない恐怖の色が浮かび上がった。「やめろ……!」 彼は火傷でもしたように私の手を乱暴に振り払った。 バシッ、という音が踊り場に響く。「僕と一緒になんて、絶対に言うな! 母さんと戦う? 君が? 正気か!」 透は私を睨みつけ、荒い息を吐きながら叫んだ。「君は母さんの恐ろしさを知らない! 逆らう者がどうやって壊されていくか、その目で見ていないからそんなことが言えるんだ! 理沙も、前の女も、そうやって僕のそばにいて……死んだんだぞ!」 彼の言葉は、私を守りたいという必死の願いでありながら、同時に、彼自身を縛り付ける呪いの鎖の音でもあった。「僕が君を巻き込んだ。僕の呪いが、僕の弱さが君を殺す!……僕はもう、誰かが僕のせいで燃やされていくのを見たくないんだ!」 それは、彼が何十年も抱え込んできた、孤独で残酷な自己否定の叫びだった。 自分が近づけば人が死ぬ。だから、誰とも関係を持たず、自分一人で罰を受け続ける。 その彼なりの「優しさ」が、私の胸の底で、強烈な怒りの炎を巻き起こした。 私を守るという言葉で、私の意思だけがまた削り落とされている。前世の会議室で、私の言葉の前後の流れが切り捨てられた時と同じだ。今度は、透の優しさが、私の選択を勝手に切り取ろうとしていた。「私を守ると言いながら、私の意思だけをまた切り取るの?」 声が、怒りで震えた。「あなたが決めた安全な場所に私を置いて、それで私が生きたことになると思うの?」「……それは、私を守っているんじゃありません」 私の声は、ひどく低く、冷たく響いた。 透の言葉が、ピタリと止まる。「あなたが、二度と自分が傷つきたくないから。これ以上、自分が誰かの死に責任を持ちたくないから……私を遠ざけて、見えない場所へ追い払おうとしているだけでしょう!」 透の顔が、強烈な平手打ちを食らったように歪んだ。「違う&he
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第122話 約束を破る夜④

「僕の自己満足だろうが、逃げだろうが、構わない。……僕は君を、これ以上この家に置いておくつもりはない」 彼は私を一瞥することもなく、階段を上がり始めた。「明日の朝。必ず、水科の家へ帰れ。裏帳簿の件は……僕が、なんとかする」 言い終えた直後、透の右手がほんの一瞬だけこちらへ伸びかけた。封筒を受け取るためなのか、私の肩に触れるためなのか、彼自身にもわかっていないような中途半端な動きだった。 だが、その指先は空中で止まり、やがて固く握り込まれた。彼は触れることさえ自分に禁じるように、拳を脇へ落とした。 すれ違いざま、彼の肩が私に触れることはなかった。 彼が「なんとかする」と言ったその言葉の裏に、彼自身が美津子に対してどんな致命的な取引を持ちかけるつもりなのか、私には痛いほどにわかった。 彼は自分を生贄にしてでも、母と刺し違えてでも、私をこの仕組みから切り離すつもりだ。 これ以上、私が何を言っても、彼には届かない。 彼が一人で抱え込み、扉を閉ざしてしまった以上、彼を説得することは不可能だった。 私は彼が階段を上り切り、暗い廊下の奥へ消えようとするその背中に向かって、口を開いた。「……そうですか。あなたがそこまで私を遠ざけたいなら」 透の足が、一瞬だけ止まる。「明日の朝、この屋敷を出ます」 透は振り返らなかった。だが、彼が小さく、本当にかすれた息を吐き出す音が聞こえた気がした。安堵と、取り返しのつかない喪失感が混じり合ったような、重い溜息。 そのまま、彼は自分の部屋へと姿を消した。 踊り場に一人残された私は冷たくなった茶封筒を両手で強く握りしめた。 彼との約束を守って、水科の家へ帰る。 けれど、それは彼が望んだ「安全な場所への逃亡」ではない。 透が美津子と刺し違えて潰れる前に、私が天野家の隠蔽の仕組みを破壊するための、物理的な武器――佳乃が隠し持っている『古い帳簿の原本』を、私の手で直接回収するための帰還だ。 彼が私を信じないと言うのなら、私が証拠を突
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第123話 黒瀬の告白①

 分厚い遮光カーテンの隙間から、夜と朝の境界を曖昧にするような、ひどく青白い光が絨毯に滲み出していた。 暖炉の火はとうに消え、室内の空気は氷水のように冷え切っている。 私は私室の中央に置かれた黒い革製のトランクの前にしゃがみ込み、冷たくなった指先で金属の留め金を押し込んでいた。 カチャン、という硬い音が、静まり返った部屋に響く。 水科の家へ帰るための、最低限の荷造り。 持っていくのは、佐伯から渡されたライターと、事実の前後の流れを時系列にロックしたあの革張りのメモ帳。そして、数着の地味なドレスだけだ。 透が個人資産で借金を清算し、私をこの屋敷から切り離そうとする前に。水科の離れの蔵にある「古い帳簿」を回収し、美津子が守ってきた隠蔽の壁を、物理的に壊さなければならない。 時計の針は、午前五時を指そうとしていた。 あと数時間もすれば、屋敷が目覚める。 そのとき。 コン、コン、コン。 部屋の扉が、三度、低く叩かれた。 使用人のノックのルールとは違う。一定のリズムを保とうとしながらも、どこか切羽詰まったような、不規則な響き。 私は床から立ち上がり、カーディガンをきつく羽織り直した。「……どなたですか」「黒瀬でございます」 扉の向こうからのくぐもった声は、いつもの完璧に感情を削ぎ落とした執事のそれよりも、ほんの一瞬だけ高く、擦れていた。 私は警戒しながら扉に近づき、ひやりとした真鍮のドアノブをゆっくり回した。 廊下のフットライトの薄暗い光の中に、漆黒のスーツを着た黒瀬が立っていた。 けれど、彼の様子は明らかに異常だった。 常に左の小脇に抱えているはずの、あの黒革のバインダーがない。手ぶらで、両手を身体の脇に真っ直ぐ下ろしているが、その黒い革手袋に包まれた拳は、指の形が浮くほど強く握り込まれていた。 彼の氷のように透き通った瞳には、いつもの冷徹な凪はない。深海のように濃く暗い澱みが、激しく渦を巻いている。「……こんな朝早くに、何の御用かしら」 私
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第124話 黒瀬の告白②

「……騙し取る?」 私は思わず低く笑い声を漏らしそうになった。「あの方が、自分の意志で私を切り捨てようとしたのに。それを私の責任にして、あの人は何をどうするつもりなの」 黒瀬は私の視線を真正面から受け止めたまま、一歩だけ、私の方へ距離を詰めた。 彼からほのかに漂う、糊の効いたシャツの匂いと、冷や汗のような緊張の気配。「お嬢様がこのまま屋敷を出ようとすれば、奥様は水科家の『裏帳簿』の件を直ちに警察へ回します。天野のダミー会社への資金移動は、すべて水科の当主が主導した横領事件として、完璧な証拠とともに処理されるでしょう」「私が帰っても、帰らなくても、美津子様は水科を潰すつもりなのね。私という生贄を失う代わりに」「いいえ」 黒瀬の瞳孔が、かすかに収縮した。「奥様は、あなたをこの屋敷から『生きたまま』出すおつもりはありません」 その言葉の絶対的な重さが、私の首筋に冷たい刃を突きつけた。「……どういう意味」「過去の、お嬢様方と同じです」 黒瀬は絞り出すように言った。 彼の握りしめた拳が、小刻みに震えているのが見えた。「理沙様も。その次の方も。……彼女たちは、奥様の『完璧な箱庭』の中で、少しずつ息ができなくなっていった。誰も味方がいない孤立感と、主治医の『お薬』によって、確実に精神を破壊されていったのです」 私は彼から目を逸らさなかった。「知っているわ。あなたが管理している書庫の記録を見たから」 私の言葉に、黒瀬は驚く素振りを見せなかった。 彼がわざと落としていったあの真鍮の鍵。私がそれを使って入室記録を見たことを、彼は最初から確信していたのだ。「なら、おわかりでしょう」 黒瀬の呼吸が浅く、不規則になっている。「彼女たちが夜中に幻覚を見て叫んだこと。食事に手をつけなくなったこと。……そのすべての『異常』を、私は毎日、克明に記録し、奥様にご報告していました。それが私の、執事としての職務でしたから」
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第125話 黒瀬の告白③

 手を下したのは役員たちだ。だが、その材料を揃え、都合の良い形に整えて提出したのは、会社という組織に飼い慣らされた、実務担当者たちだった。 黒瀬はそちら側の人間だ。 権力者の意思に従い、自分の手は汚さずに、記録という暴力で人を殺してきた男。「……あなたは、知っていて見殺しにしたのね」 私の声は、ひどく冷たく、静かだった。 怒りよりも、広報としてその仕組みの残虐さを理解できるがゆえの、冷徹な響き。「助けを求める彼女たちの声の文脈をすべて切り落とし、『精神の異常』という結果だけを美津子様に提出した。……それで、今更私に何を伝えに来たの? 懺悔のつもりなら、相手を間違えているわ」 黒瀬は私の糾弾から逃げなかった。 彼は深く目を閉じ、そして再び開いた。「懺悔など、する資格もありません」 彼の声は、ひび割れていた。「理沙様が、深夜に絨毯を掻きむしりながら連れ出されていった時も。次の方が、幻覚に怯えながら窓枠に足をかけた時も。……私は廊下の隅でそれを見ているだけでした。自分は手を出していない。これは奥様のご意思だ。そう自分に言い聞かせて」 黒瀬は一歩だけ私に近づき、そしてその場で、ゆっくり片膝をついた。 深紅の絨毯の上に、漆黒のスーツの膝が沈み込む。 彼の頭が、私を見上げる角度で固定された。「ですが……あなたを見て。自分の言葉を切り取られまいと、必死に前後の流れを残そうとするあなたの強さを見て。……私はもう二度と、自分の記録で誰かが死ぬのを見過ごすことはできないと、そう思い知らされたのです」 彼の瞳の奥にあった澱みが、今は確かな、血を流すような覚悟の光に変わっていた。 彼もまた、自分が加担してしまった罪の重さに、何年も押し潰されそうになりながら生きてきたのだ。 透が過去の火災で手を伸ばせなかった自分を呪っているように。 黒瀬もまた、記録という刃で人を殺した自分の手を、呪い続けていた。「&hellip
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第126話 黒瀬の告白④

 もし私が彼の言葉に従い、部屋に引きこもれば、美津子の計画は狂う。だが、それは同時に、黒瀬が私に情報を漏らしたことが美津子に露見するということだ。「私を助ければ、あなたは美津子様を裏切ることになるわよ」 私は彼の覚悟の底を試すように、冷徹な事実を突きつけた。「天野家からの解雇。いいえ、それだけじゃない。あなたがこれまで隠蔽に加担してきた事実を、すべてあなた個人の罪として被せられ、社会的に抹殺されるかもしれないわ」 黒瀬は一瞬の迷いも見せずに答えた。「私はもうこれ以上、記録を削りたくないだけです」 その言葉は、私の中にあった彼への疑念を、静かに、確実に溶かしていった。 彼は正義の味方になったわけじゃない。 自分の過去の罪から逃げることをやめ、その罪を背負ったまま、最後の最後で「記録者」としての本当の役割を果たそうとしているのだ。 私はゆっくり息を吐き出した。「……ありがとう、黒瀬さん。あなたの警告は、受け取ったわ」 私がそう言うと、黒瀬は深く頭を下げ、静かに立ち上がった。 彼は元の無表情な執事の顔に戻り、足音一つ立てずに廊下の闇へと溶けていった。 私は部屋の扉を閉め、鍵をかけた。 窓の外では、夜が明け、鈍い灰色の朝の光が空を覆い始めている。 トランクの前に戻り、私は短く考えた。 黒瀬の言う通り、ここに引きこもっていれば、美津子の直接的な攻撃は避けられるかもしれない。 けれど、それでは何も解決しない。 透が一人で美津子と刺し違えようとしているのを止めることも、佳乃が守ってくれている水科の裏帳簿を手に入れることもできない。 私はカーディガンのポケットから、あの革張りのメモ帳と、佐伯のライターを取り出した。 これらがあれば、戦える。 私が私自身の言葉を切り取らせず、美津子の支配の仕組みを物理的に粉砕するための、最強の武器。 そのとき。 コン、コン。 部屋の扉が、再び叩かれた。 今度は、黒瀬のような不規則なリズムではない。使用人による、完璧に訓練さ
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第127話 母の庭①

 自室の扉を背にした千尋は私の声を聞いてもすぐには動けなかった。 彼女の肩は小刻みに震え、両手はエプロンの前で、指先が白くなるほど強く握りしめられている。「……ご案内なさい、千尋さん」 私はもう一度、声のトーンを極限まで柔らかくして、彼女を促した。 千尋はビクッと身体を強張らせ、深々と頭を下げてから、逃げるように廊下を歩き始めた。 私はその背中を、足音を殺して静かに追った。 内ポケットの奥深く、心臓のすぐ近くで、革張りのメモ帳とプラスチックのライターの硬い感触が、私の肋骨を内側から支えるように張り付いている。 西翼の廊下を、さらに奥へと進む。 昨日、黒瀬が立ちふさがっていた『書庫』の分厚いオーク材の扉を通り過ぎた。その先は、この屋敷に来てから一度も足を踏み入れたことのない領域だった。 空気が、明らかに変わった。 これまでの、完璧に空調が効き、微かな防虫剤と清潔なリネンの香りが漂う「客間」の空気ではない。 温度が数度低く、そして何よりも、ひどく濃厚で、頭の芯を麻痺させるような香水の匂いが、廊下の壁から滲み出してくるように充満していた。 ジャスミンと、重いアンバーの香り。 第一応接室でのサロンの時、美津子が纏っていたあの匂いだ。 千尋の歩調が、目に見えて遅くなる。彼女の靴の裏が絨毯を擦る音が、恐怖で不規則に乱れていた。 突き当たりに、真鍮の細工が施された、ひときわ重厚な扉が現れた。 千尋はその手前で立ち止まり、私に向かって深く一礼した。「……この先が、奥様のご私室へと続く『奥の庭』でございます」 彼女の声は、かすれるような囁きだった。「私はここまでしか……」「ありがとう、千尋さん。もう下がっていいわ」 私は彼女の怯えを責めることなく、静かに頷いた。 千尋は何かを言いかけ、唇を震わせたが、結局言葉を紡ぐことはできず、逃げるように来た廊下を戻っていった。 一人残された私は重厚な扉の真鍮のドアノブに手をかけた。
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第128話 母の庭②

「いらっしゃい、凛花さん」  赤い薔薇のアーチの向こうから、鈴を転がすような、高く澄んだ声が響いた。  石畳の小道を進むと、庭の中央に置かれた白いアイアンフレームのテーブルセットが見えた。  そこに、天野美津子が座っていた。  彼女は雪のように白いカシミヤのコートを羽織り、首元には大粒のパールのネックレスを光らせていた。  テーブルの上には、湯気を立てるティーカップが二つ、完璧な対称を成して置かれている。 「おはようございます、お母様」  私は足の震えを意志の力で押さえ込み、音を立てずに彼女の向かいの席へと歩み寄った。 「お招きいただき、ありがとうございます」  私が頭を下げて腰を下ろすと、美津子はふわりと、花が綻ぶような微笑みを浮かべた。 「朝早くから、ごめんなさいね。どうしても、あなたと二人きりで、静かにお話がしたかったの」  彼女の瞳の奥には、怒りも、焦りもない。  自分の所有する箱庭の中に迷い込んだ小さな虫を、どうやってピンで留めてやろうかと観察するような、冷酷で無邪気な光があった。 「さあ、お紅茶をどうぞ。今朝は冷えるから、温かいものがいいでしょう」  美津子が、自分のカップの取っ手に指をかける。  私は目の前に置かれたティーカップを見下ろした。  琥珀色の液体から、あのサロンの時と同じ、強すぎるダージリンの香りが立ち昇っている。  主治医の『お薬』。  二人目の花嫁が、幻覚を見るようになるまで少しずつ盛られ続けたという、あの薬が、この中に入っているのだろうか。  私はカップの縁にそっと指を添え、持ち上げるふりをして、そのままソーサーの上に音を立てずに戻した。 「ありがとうございます。ですが、先ほどお白湯をいただいたばかりで……少し、胸が一杯なのです」  私が飲むのを拒否した瞬間、美津子の微笑みが、ほんのコンマ数ミリだけ、ピクリと硬直した。 「……そう。それは残念ね」  美津子は自分のカップに口をつけ、ゆっくり一口飲んだ。 「お顔色が、あまり優れないようだけれど。昨夜は、よく眠れなかったのかしら?」 「い
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第129話 母の庭③

「……立派な決断?」 美津子は小首をかしげて私を見た。 その瞳から、偽りの慈愛が抜け落ち、底知れない冷たさが剥き出しになっていた。「凛花さん。あなた、何もわかっていないのね」 美津子の言葉が、氷の刃となって無音の庭に響き渡る。「あの子はね、あなたを救おうとしたのではないわ。……ただ、自分が傷つきたくないから、あなたを目の前から見えない場所へ追い払おうとしただけよ」 私の呼吸が浅く止まる。 それは、昨夜の階段の踊り場で、私が透に向かって感情のままにぶつけた言葉そのものだった。 なぜ、彼女がそれと同じ論理を、こんなにも冷酷に使いこなせるのか。「あの子は、本当に脆いの。昔からそう。少しでも自分に関わる人間が傷ついたり、泣いたりするのを見ると、自分のせいでそうなったのだと思い込んで、勝手に心をすり減らしてしまう」 美津子は庭の赤い薔薇へ視線を移し、愛おしそうに目を細めた。「過去にいらしたお嬢様方の時もそうだったわ。あの子は、彼女たちが重圧で心を病んでいくのを見るのが耐えられなくて、最後には部屋に引きこもってしまった」 私の胸で、嫌悪感が渦を巻いた。 過去の花嫁たちを精神的に追い詰め、主治医を使って狂人に仕立て上げたのは、美津子自身だ。それなのに、彼女はそれを「重圧で心を病んだ」とすり替え、透が心を痛めたことを「あの子の脆さ」として語っている。 自分が原因を作り出しながら、その結果だけを嘆いてみせる、完璧な自己正当化。「だから、わたくしが守ってあげなければならないの」 美津子はゆっくり私に向き直った。「あの子の視界に入る、すべての『ノイズ』を排除して。あの子が傷つく理由になるものを、一つ残らず、この完璧なお庭から摘み取らなければならないのよ」 ノイズ。 排除する。 その言葉が、明確な殺意となって私の皮膚を粟立たせた。「このお庭の薔薇、どうかしら」 美津子は立ち上がり、すぐそばで咲き誇る一輪の赤い薔薇に真っ白な指先を伸ばした。「わたくしが、毎日手
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第130話 母の庭④

「ええ、そうね。あなたはとても強いお嬢さんだわ」 美津子は私の言葉を優しい声で叩き割った。「だからこそ、あの子は勘違いをしてしまった。自分の個人資産を投げ打ってでも、あなたを自由にしてあげられるのだと。……本当に、愚かなこと」 美津子はゆっくり私に顔を近づけた。 強烈なジャスミンとアンバーの香水が、私の鼻腔を塞ぎ、酸素を奪っていく。「凛花さん。あなた、お父様からお電話をいただいたでしょう?」 私の心臓が大きく脈打つ。「水科のお家は、天野の支援がなければ、明日にも消えてなくなるのよ。あなたがここで透に離縁状を叩きつけられて、実家に逃げ帰ったとして。……お父様が、あなたを温かく迎えてくださるとでも思って?」 逃げ場はない。 美津子は私が実家に帰れないこと、水科の父が天野の裏帳簿の共犯者として首根っこを掴まれていることを、すべて把握した上で、私をこの無音の庭に呼び出したのだ。「あなたは、行き場のない可哀想な小鳥なの」 美津子の冷たい指先が私の頬にそっと触れた。 氷のような、体温の一切ない感触。「透の身勝手な優しさは、あなたを救わないわ。逆に、あなたをさらに追い詰めるだけ。……これ以上あの子を惑わせるなら、わたくしは、お父様の『あの件』を、すべて公にするしかないわね」 それは、究極の脅迫だった。 透が私を逃がそうと動けば動くほど、美津子は水科家を人質に取り、私をこの屋敷に縛り付ける。 私が反抗すれば、水科家ごと潰す。 私が黙って服従すれば、このまま『心を病んだ娘』として、時間をかけて処理する。 どちらを選んでも、出口は塞がれていた。 前世の会議室で、私の言葉を切り取った役員たちよりも、はるかに残酷で、逃げ道のない完璧な論理の檻。 息ができない。 肺に酸素が入ってこない。 美津子の香水の匂いと、無音の空間の圧迫感が、私の五感を少しずつ麻痺させていく。「……私は」 私の声は、ひど
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