All Chapters of 死ぬために嫁がされた私、二度目の転生で冷酷御曹司と運命を変えます: Chapter 141 - Chapter 148

148 Chapters

第141話 水科家への帰還④

 その一番下。 ライトの光が、その箱の前にしゃがみ込んでいる小さな人影を照らし出した。 スプリングコートを着た、継母の佳乃だった。 彼女は私の足音に気づくと、ビクッと肩を跳ねさせて振り返った。 その手には、桐箱の中から取り出したと思われる、黒い布で包まれた分厚い束が握られていた。「……凛花、さん」 佳乃の声は、カサカサに乾き、震えていた。「お母様」 私はライトを下へ向け、彼女の目を眩ませないようにしながら近づいた。「……外で、お父様の怒鳴り声が聞こえたわ。本当に、帰ってきてしまったのね」 佳乃は布の束を胸に抱きしめ、怯えたような瞳で私を見上げた。「ええ。もう、あそこに縛られる理由はありませんから。……約束のものを、いただきに来ました」 私が両手を差し出すと、佳乃の唇が小刻みに震えた。 これを渡せば、彼女もまた、水科家の破滅に加担することになる。彼女の生活の基盤であった家が、崩壊するのだ。「……本当に、これで……あなたが助かるの?」「私だけじゃありません」 私は彼女の震える目から視線を逸らさなかった。「私がこれを表に出せば、天野が隠してきたものは崩れます。過去に殺された人たちの無念も、そして……お父様の罪も、明るみに出ます」 佳乃の目から、ポロリと大粒の涙がこぼれ落ちた。 彼女は深く、深く息を吸い込み、そして。 震える両手で、その重い黒い布の束を、私の手のひらの上へと押し付けた。 ずっしりとした、古い紙の重み。「……持っていきなさい」 佳乃は泣きながら、それでもはっきりとした声で言った。「私は家を守るためとはいえ……お父様の罪から、ずっと目を背けてきた。あなたを身代わりにすることにも、黙って従った。……私には、これを燃やして捨てる勇
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第142話 透の拒絶①

 水科家の裏庭を抜け、錆びついた裏門を押し開けて外の舗装路へ出た瞬間、初冬の冷たい突風が真正面から吹きつけてきた。 私は佳乃から受け取った黒い布の束――天野家の資金洗浄を裏付ける水科家の古い帳簿――を、胸深くに抱え込むようにしてコートの前を固く掻き合わせた。 ずっしりとした、物理的な重み。 それは、過去の死者たちの声なき絶望と、私自身がこれから巨大な権力と刺し違えるための、重く冷たい爆薬そのものだった。 父のいる母屋には、もう二度と戻らない。 私は足早に、大通りへ向かってアスファルトの道を歩き始めた。 ヒールの底が硬い路面を叩く音が、冬の乾燥した空気に乾いたリズムを刻む。 時刻は午前八時を少し回った頃だろうか。住宅街の細い道には人影はなく、ただ私の白い吐息だけが、歩くたびに冷気に溶けて消えていく。 大通りへ出る角を曲がろうとした時。 視界の端に、鈍く黒光りする巨大な金属の塊が入り込んだ。 道幅を塞ぐようにして、一台の黒塗りのハイヤーがアイドリング音を響かせながら停まっていたのだ。 私の足が、ピタリと止まる。 そのハイヤーの横。冷たい冬の朝の光の下で、一人の男が立っていた。 天野透だった。 彼は完璧な仕立ての濃紺のチェスターコートを羽織り、両手をポケットに突っ込んだまま、彫像のように静止して私を見据えていた。 彼がなぜ、ここにいるのか。 黒瀬から、私が合意書にサインしてハイヤーで水科家へ向かったと報告を受けたのだろう。そして、私がこの家で大人しく「逃げる」ような人間ではないと予測し、先回りして退路を塞ぎに来たのだ。「……透さん」 私は胸の帳簿を抱え直したまま、彼に向かって歩みを進めた。 彼から数メートルの距離で立ち止まる。 彼の纏う空気が、昨夜の階段の踊り場で見せたような、苦悩や焦燥に満ちたものとは変わっていることに、私はすぐに気づいた。 絶対零度の、感情の死滅した凪。 彼が最も分厚い氷の装甲を被り、完璧な「天野の次期当主」として私に対峙しようとしている証拠だった。
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第143話 透の拒絶②

「え……?」「その程度の紙切れと、どこかの三流記者が集めた端切れのデータで、天野グループを揺るがせると本気で思っているのか」 透は一歩、私の方へ距離を詰めた。 冷たいシトラスの香りが、冬の外気と混ざって私の鼻腔を鋭く刺す。「それを世間に撒いて、どうなる。数時間で『出所不明の怪文書』だ。弁護士も広報も動く。警察にもメディアにも、天野の息のかかった人間はいる」 彼の言葉は、私が広報として一番恐れていた現実の壁を、正確に、無慈悲に突いてきた。「君が何を叫ぼうが、ただの『心を病んで婚約を破棄された哀れな娘』の被害妄想として片付けられるだけだ。……君の作った時系列表も、その帳簿も、ただのゴミ屑でしかない」 肋骨の内側で、ドクンと冷たい痛みが走った。 彼が言っていることは、事実だ。私の時限公開の仕組みは、美津子の箱庭にヒビを入れることはできても、天野という巨大な権力そのものを沈められる保証はない。 けれど、それでも。「だからって、黙って逃げろと言うの?」 私の声が、かすかに震えた。「あなたが一人で、全部背負って潰れるのを、安全な場所から見ていろと?」「そうだ」 透は一瞬の躊躇いもなく即答した。「君の存在は、もう僕には不要だ。君が中途半端な正義感で動けば動くほど、事態は複雑になり、僕の邪魔になる」 彼はコートの懐から、分厚い白い封筒を取り出し、私の足元のアスファルトに無造作に投げ落とした。 パサッ、という乾いた音が鳴る。「中に、海外への航空券と、当面の生活に困らないだけの金が入っている。今日の午後の便だ。……それに乗って、二度とこの国に戻ってくるな」 私は足元に落ちた白い封筒を見下ろした。 これは、彼からの最後通牒だ。 私をこの仕組みから、そして彼自身の運命から切り離すための、最も物理的で、最も冷酷な手段。 私は顔を上げた。「……私はあなたの足手まといですか」「そうだ。君はただの借
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第144話 透の拒絶③

 悲しいのではない。悔しいのだ。 私がこれほどまでに彼と一緒に戦おうと、記録を集め、証拠を掴み、自分の命を賭けてこの檻を壊そうとしているのに。 彼は私のその意思を「無価値だ」「目障りだ」という言葉で、否定した。 私を「守られるだけの弱い存在」として扱い、私の戦う権利を、私自身の運命を選ぶ権利を、彼が勝手に切り取って奪おうとしている。 前世の会議室で、私の言葉の前後の流れを切り落とした役員たちと同じように。 今度は、私が最も理解してほしいと願った人間が、私を一人にするために私の意思を切り捨てようとしている。「……透さん」 私の声は、震えていなかった。 ただ、ひどく静かで、空虚な響きを持っていた。「あなたは、私を守ろうとしてくれているのでしょう?」 透の肩が、かすかに跳ねた。「そのために、自分が全部悪者になって、私を遠くへ逃がそうとしている」「……」「でも、それは」 私は足元の白い封筒を拾うことなく、真っ直ぐに彼の瞳の奥の、最も柔らかく傷ついた部分を見据えて言った。「それは私を守っているんじゃない。私を一人にしているだけよ」 冷たい風が、二人の間を通り抜けた。 透の表情が、そのとき、音を立てて崩れそうになった。 彼の氷の仮面に、強烈なヒビが入り、その奥から血を流して泣いているような、痛切な青年が一瞬だけ顔を覗かせる。 彼がコートのポケットから手を出し、ほんの数センチだけ、私の方へ指先を伸ばしかけた。 だが。 彼はその手を空中で強く握りしめると、無理やり脇へと落とした。 彼は私に触れなかった。「……行け」 吐く息のように細く、擦れた声。 透は私から背を向け、ハイヤーの後部座席のドアノブに手をかけた。「二度と、僕の前に現れるな」 重い車のドアが開き、彼が車内へと身を沈める。 バタン、という密閉された音が、私と彼を物理的に、そして決定的に分断した。
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第145話 時限公開①

 吹きすさぶ冬の乾いた風が、大通りの雑踏のノイズを冷たく切り刻んでいた。 行き交う人々のコートの擦れる音、車の排気ガス、そしてどこかの店舗から漏れ聞こえる無機質な電子音。 天野本邸の、埃一つなく漂白され、コントロールされた無音の密室とはまるで違う。ここは、誰もが他人に無関心で、それぞれの生活という雑音にまみれた『外界』だ。 私は胸深くに抱え込んだ黒い布の束の重みを確かめながら、駅前の雑居ビルにひっそりと看板を出している、鍵付きの個室があるインターネットカフェへと滑り込んだ。 冷えた指先で受付を済ませ、薄暗い通路を通って指定された狭いブースへと入る。 扉を閉め、内側からロックをかけた瞬間、換気扇の低いモーター音だけが空間を満たした。 すぐには、バッグを開けられなかった。 私はまず、ブースの壁と天井を見回した。煙草のヤニが染みた薄い壁紙。使い古された合板の机。天井の隅にある丸い黒い点は、防犯カメラではなく古いネジ穴だ。換気扇のカバーには埃が溜まり、誰かがこちらを覗ける隙間はない。 それでも、背中の皮膚がざわざわと粟立っていた。 黒瀬の監視がここまで及んでいるのではないか。美津子が、私の行動をすでに読んでいるのではないか。受付の若い店員が、実は天野家の息のかかった人間なのではないか。 そう疑い始めれば、世界中の何もかも監視装置に見えてくる。 私は震えそうになる指先を、机の縁に押しつけた。 前世で、私は「自分の言葉を信じてほしい」と願うだけだった。今回は違う。信じてもらうために、疑う余地を一つずつ潰す。そのためにここへ来たのだ。 コートを脱ぎ、狭いデスクの上に黒い布の束を置く。 布を解くと、カビと古いインク、そして長年締め切られた蔵の湿気が混ざり合った、強烈な匂いが鼻腔を突いた。 水科家の裏帳簿。 父・惣一郎が天野家の資金洗浄に加担し、その事実を隠蔽するために私を人身御供として差し出す原因となった、すべての始まりの記録。 私は天野家から支給された真新しいスマートフォンを取り出した。 この端末の通信が黒瀬たちに監視されていることは、すでに織り込み済みだ。私は
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第146話 時限公開②

 目の奥が乾き、端末を持つ手のひらがじんわりと汗ばんでくる。 何十枚、何百枚という記録。 それらがすべて、ただの紙切れから、誰にも燃やすことのできないデジタルデータへと変換されていく。 一時間後。 最後の一枚を撮り終え、私は深く、肺の底から息を吐き出した。 すべての画像データを、クラウドの暗号化された指定フォルダへとアップロードする。進行状況を示すバーが、ゆっくり右へ進んでいく。 そのフォルダの中には、すでに私がこれまでに集めたすべての『弾薬』が詰め込まれていた。 書庫で撮影した、理沙が搬送される直前の入室記録。 二人目の花嫁に関する、主治医の『状態報告書』のコピー。 私が天野邸で署名させられた、あの免責事項を含む婚約契約書。 佐伯が送ってくれた、病院の搬送記録と救急の出動データ。 それから、私が毎晩、絨毯の上で震えながら、事実と解釈を明確に分けて書き記した、あの革張りのメモ帳の内容をテキスト化した『時系列報告書』。 バラバラだった点と点が、今、この一つのフォルダの中で、誰にも切り離すことのできない強固な『前後の流れ』としてロックされた。 私はアップロードの進行を待ちながら、紙のメモを一枚引き寄せた。 画面だけを見ていると、何もかもただのデータに見えてしまう。けれど、この一つ一つの記録の向こうには、誰かの呼吸がある。理沙が床に爪を立てた夜があり、二人目の花嫁が薬の匂いに気づきながら声を上げられなかった朝があり、千尋が布団を頭から被って震えた深夜がある。 私はメモの左端に縦線を引いた。 一列目に「日時」。二列目に「場所」。三列目に「見た人」。四列目に「聞いた人」。五列目に「公式記録」。六列目に「実際に起きた可能性」。 そこへ、これまで集めた事実を一つずつ落とし込んでいく。 理沙が奥の庭へ呼ばれた日。黒瀬の入室記録に空白が生じた夜。千尋が引きずる音を聞いた時刻。医師の診断書が作成された日付。消防の出動記録と、屋敷内の報告書の時刻のずれ。水科の帳簿に、天野のペーパーカンパニー名が初めて現れる月。 同じ出来事でも、見る角度が違えば言葉が変わる。
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第147話 時限公開③

 アップロードが完了し、画面に『100%』の文字が表示された。 私は最後にタイマーの設定画面を開いた。 その前に、公開文の下書きを開く。 最初に打ち込んだ一文は、あまりにも怒りに寄っていた。『私は天野家に殺されかけています』 違う。 これでは、読んだ人間が私の感情だけを拾う。美津子はきっと、「追い詰められた娘の妄言」として切り捨てる。 私はその一文を削除した。 次に打ったのは、『天野家本邸で、過去二名の女性が不審な死を遂げました』だった。 これもまだ弱い。事件の入口にはなるが、私自身が今どこに立っているのかが見えない。 三度目に、私は息を止めるようにして、キーボードを叩いた。『本データは、天野家本邸における過去の不審死および薬物投与の疑いについて、発信者である水科凛花が、契約書、帳簿、証言、消防記録、医療記録を時系列に照合した報告である』 ようやく、呼吸が少し戻った。 これは悲鳴ではない。 これは、私が私自身の声を、誰にも切り取らせないための報告書だ。 私は公開文の二段落目に、過去の婚約者たちの名前を書こうとして、いったん手を止めた。 理沙。二人目の花嫁。 名前を出すことは、彼女たちの存在を社会に戻すことだ。だが同時に、死者の痛みを、また別の消費の対象にしてしまう危険もある。前世で、私の名前が「広報のT」として消費されたように。 私は一度、書いた文を消した。『被害者である二名の女性については、遺族および関係者の尊厳を守るため、本データでは必要最小限の氏名および日付のみを提示する』 そう書き直す。 事実を隠すためではない。晒し者にしないためだ。 告発は復讐ではない。前後の流れを取り戻すためのものだ。そこを間違えれば、私は美津子とは別の形で、誰かの人生を自分の目的に利用してしまう。 私は公開文の最後に一文を加えた。『本報告は、特定個人への私刑を求めるものではなく、複数の死と薬物投与、資金流用の前後の流れについて、正式な捜査と検証を求めるものである』 少し硬い。けれど、こ
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第148話 時限公開④

 タップする直前、私はもう一度、登録した宛先一覧を確認した。 報道機関だけでは足りない。報道は止められる。警察の窓口だけでも足りない。上で握り潰される可能性がある。SNSだけでは、ただの炎上として消費される。 だから、全部に分散させた。 主要紙の社会部、経済部、調査報道チーム。警察庁と都道府県警の匿名通報フォーム。弁護士会の公益通報窓口。児童相談所の通報受付。医療監査に関わる行政窓口。佐伯が信頼すると言った数人のフリー記者。 それから、私自身のクラウドに設定した公開ページ。 一つの箱に入れれば、箱ごと潰される。 なら、箱を分ける。 広報部時代、炎上を止める側にいたからこそわかる。火消しが一番嫌うのは、情報が一か所に留まらず、同時多発的に別々の場所で発火することだ。 私は宛先の最後に自分の名前を入れた。 水科凛花。 この名前に戻ってくるように。 誰かが勝手に私の言葉を怪文書にしないように。 画面上で、デジタルの数字が『47:59:59』と、音もなくカウントダウンを始めた。 爆弾は、起動した。 私はスマートフォンを閉じ、コートのポケットにしまった。 このデータがばら撒かれれば、天野家は崩壊する。そして同時に、資金洗浄に加担した水科の父も破滅し、私自身も「天野を売った女」として、二度と平穏な生活など送れなくなるだろう。 何もかも、焼け野原になる。 けれど、それでもいい。 誰かの都合の良い筋書きの中で、自分を殺して息を潜めるくらいなら。自分の名前と輪郭を失って、あの『誰も座らない席』の幽霊になるくらいなら。 私は自分の手でこの世界を燃やす。 私はブースを出て、精算を済ませ、再び冬の冷たい大通りへと出た。 ポケットの中には、透が破り捨てていった、あの航空券の残骸と紙幣がそのまま入っている。 これを繋ぎ合わせて空港へ向かえば、私は安全な場所へ逃げられる。この爆弾が爆発するのを、遠い異国の地で眺めていることもできる。 透はそれを望んだ。 自分が全部を背負って潰れるから、君は僕の視界から消えろ
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