All Chapters of 義姉に溺れる夫へ。私はあなたの従兄と再婚するわ: Chapter 91 - Chapter 100

100 Chapters

第91話

柊馬は防護服を身につけ、莉奈を連れて封鎖区域を出た。車は猛スピードで道路を駆け抜けていく。莉奈は安全のためだと言って、柊馬と距離を取り、車のドアにもたれかかった。弱々しい声で呟く。「出られたね……柊馬くん、私はいいから、柚希ちゃんを捜しに行って……彼女が無事だって自分の目で確かめないと、あなたは安心できないでしょ?」柊馬の胸には、複雑な感情が渦巻いていた。彼はきっぱりとした口調で言った。「お前が俺のためにここまでしてくれたんだ。見捨てられるわけがないだろ?今は病気の治療が最優先だから、まずは病院へ行こう。莉奈、俺たちの子供のためにも、お前を失うわけにはいかないんだ」柊馬は国内から専門の医療チームも一緒に連れてきていたのだが、運悪く、彼らも集団感染してしまっていた。そのため、莉奈を病院へ連れていくしかなかった。しかし病院は既に溢れかえっており、大金を積んだところで空き病室が出るはずもない。「すぐに国内から代わりの医療チームを編成して回せ!」柊馬は焦りの中で部下に命じた。莉奈は今にも倒れそうだった。「柊馬くん……もう限界かも。彼らが来るまで持たないかもしれない……」すると、運転手が口を開いた。「社長、病院関係者しか使えないようですが、この病院には特別病室があるらしいです」「関係者?」柊馬は冷徹な眼差しで言い放った。「なら、この病院ごと買い取ればいい」……特別病室の中、菫による懸命な処置と点滴のおかげで、柚希の体温はようやく下がり始めていた。柚希が意識を取り戻すと、まるで身体がばらばらになったかのような痛みを感じた。「お水飲めますか?」ベッドのそばで見守っていた弘が、すぐに立ち上がった。目は真っ赤に充血し、疲れ切った顔をしている。それでも水を注いで、柚希に差し出した。そんな姿を見て、柚希は胸が痛んだ。入院中、途切れ途切れの意識の中でいつも見えたのは、献身的に世話をしてくれる彼の姿だった。柚希はかすれた声で呟く。「あなただってウイルスに感染しているんでしょ?いつ発症するか分からない。このウイルスは体力が勝負なんだから、私の世話ばかりしてないで、ちゃんと休んで。体力を残しておかないと、発症したときに持たないから」弘はわざと軽口を叩いた。「平気ですよ。体力には自信がありますから。みんな次
Read more

第92話

「絶対に嫌です!引きずり出されて殺されたとしても、彼女をここから出しませんから」弘は必死に抵抗した。「高木さん、もう大丈夫だから。高木先生にはもう十分すぎるほど迷惑をかけちゃったし……これ以上迷惑をかけるわけにはいかない……ここを出よう……」ベッドから降りようとしたが、立ち上がる間もなく足から力が抜ける。弘は慌てて彼女を抱き留めた。180センチを超える大柄な男の目が、このときは赤くなっていた。その顔には自責の念が満ちている。「俺が不甲斐ないせいです。もし俺にも金があって、この病院を買い取れていれば……」柚希にはもう、返事をする力さえほとんど残っていなかった。その身体を彼へ預け、弱々しく呟く。「あなたはもう、十分良くしてくれたから……」「急いで!もう到着してしまったみたいですから!」看護師が再び急かした。弘は歯を食いしばり、柚希を横抱きにして、寧々らと共に病室を駆け出した。彼らが廊下へ出た時、向こうから防護服を着た柊馬が、莉奈を抱きかかえて歩いてきた。両者の距離がみるみる縮まっていく。それまで前だけを見ていた柊馬だったが、弘に抱かれた女性の姿がふと視界に入り、目が留まった。顔は見えないが、その細い輪郭がなぜか酷く懐かしく感じられた。心臓が不意に大きく跳ねる。柊馬は思わず歩調を速めた。相手をしっかり確かめたいと、自然に足が前へ出る。二人が近づき……その横顔が少しずつ視界に入ってくる。その瞬間、莉奈が突然、柊馬の腕を強くつかんだ。激しくえずき始める。「うっ!おえっ……」今にも血を吐きそうなほど苦しげだった。「莉奈!」柊馬は驚いて足を止め、すぐに莉奈へ視線を戻した。「大丈夫だ。もうすぐ病室に着く。耐えてくれ!」彼はさらに足を速め、病室へ向かった。そして次の瞬間、ふと我に返り、もう一度弘の腕の中の女性へ振り向く。だが見えたのは、遠ざかっていく弘の背中だけだった。柊馬は一瞬立ち止まった。胸の中に生じた違和感が、どうしても消えない。「柊馬くん、苦しい……」弱々しく涙を流している莉奈。顔には血の気がなく、真っ白だった。柊馬は眉をひそめる。さっきの女性も重症のようだったが、あんなふうに抱き抱えていたということは、夫か恋人だろう……炎真の独占欲からして、柚希を他の男にあんなふ
Read more

第93話

「じゃあ、他に方法があると思いますか?」寧々はもう何も言えず、ただ静かに涙をこぼした。……特別病室。大勢の医師たちが駆けつけ、莉奈一人のために対応に当たっていた。ところが莉奈は治療を拒否する。青白い顔で布団をつかみ、険しい表情で問い詰めた。「この布団、どうしてまだ温かいんですか?さっきまで誰かが使っていたんじゃないですか?」看護師の心臓が跳ねた。柚希たちが出た直後にシーツを取り替えたはずだった。温もりが残っているなんてありえない。「記録ではこの特別病室は使用されていませんでした。なのにベッドが温かいなんて……ちゃんと説明してくれないと、ここで安心して治療を受けられません」柊馬はわずかに眉をひそめた。こんな状況でそこまで気にする必要があるのかとも思った。だが、弱りきった身体で気丈に振る舞う莉奈を見ていると、責める気にはなれない。彼女にとっては、どうしても見過ごせないことなのだろう。「彼女の言う通りにしろ。すぐに調べてこい」柊馬が命じた。責任者の医師は冷や汗を流しながら、慌てて人を連れて調査へ向かった。ほどなくして、菫が無断で息子とその友人たちを特別病室へ入れていたことが判明する。「高木先生も咄嗟の判断だったんです。息子さんとそのご友人がウイルスに感染し、非常に危険な状態で…………」「やっぱり、誰かが使っていたんですね……」莉奈は柊馬の防護服をつかみ、細かく震えながら言った。「私たち、他の病室を奪っちゃったみたい。高木先生に恨まれるかもしれない。もし彼女の息子さんに何かあったら……私を恨んで、治療のときに何かするんじゃ……」莉奈は怯えながら涙を流した。「赤ちゃんにもう会えなくなっちゃう……」柊馬の瞳に冷酷な光が宿った。莉奈の身に少しでも危険を及ぼす芽は、徹底的に摘み取らねばならない。「その医者と関係した看護師は全員クビだ!」「それは……」医師たちの顔色が一斉に変わった。「今はただでさえ、人員不足なんです。それに、高木先生は経験豊かな先生なので、彼女が辞めてしまったら現場が回りません」「これほど重大な規則違反を起こしておきながら、ほかの者まで責任追及しないでいるのは、人手不足を考慮してのことだ」柊馬は責任者の医師を睨みつける。「命令に従え」責任者の医師は何か言おうとしたが、柊馬
Read more

第94話

再び目を覚ますと、柚希は見知らぬリビングにいた。ソファに横たわる体は熱を帯び、骨の髄まで痛みが走る。彼女は必死に身を起こし、霞む目で周囲を見渡した。顔色が真っ青な寧々がソファの端で小さくうずくまっている。マヤは床に倒れ込み、体中にひどい痣ができていた。力尽きて眠っているのか、意識がないのかも分からなかった。マヤのろくでもない夫のハリーの姿はどこにもない。弘もいなかった。気を失っている間に何があったのだ?事態は以前よりも悪化していた。「酒井さん……」柚希は掠れた喉で声を絞り出した。喉にやすりをかけられたような痛みが走る。「何があったの?高木さんは?」寧々もまた症状が出ていたようで、ソファから起き上がる気力もなさそうだった。瞳に涙を溜め、止まらずに泣き続けた。「高木さんの家が病院から近かったので、みんなでここにきたんです。そうしたら、ハリーさんもついてきて、私たちが原因で感染したんだから、責任を取れって暴れて……なのに、ここに着くなり突然高木さんを襲って、薬を全部奪ったんです。高木さんがなんとか抵抗したのですが、やっぱり勝てなくて……洗面所で手当てしてたんですけど、そのまま便座に座ったまま眠ってしまいました……もう限界だったんだと思います……」「最低……!」柚希は怒りで全身を震わせた。だが感情が激しく揺れたせいで咳き込み、視界が何度も暗くなる。「チーフ、私も……もう疲れちゃいました……」寧々の声はますます弱々しくなっていく。「私たち……もうここで死ぬしかないのでしょうか……」「死なない……絶対に死なないから。何かしら方法があるはず……」だが、その力のない慰めは、自分自身にさえ届かなかった。薬がなければ、高熱は彼女たちの命を少しずつ焼き尽くしていく。最後には、誰一人耐えられない。完全な絶望だった。ピコンッ。そのとき、そばで充電していたスマホの画面が突然明るくなった。寧々が弱々しく言う。「チーフ、充電しておきましたよ。家族に電話した方が……」寧々は最後まで言わなかった。だが、その意味は明らかで……別れの連絡をしろということだった。柚希の指が激しく震え始める。E国が封鎖された直後、両親からはすでに連絡が来ていた。そのとき柚希は、自宅にいて外へ出なければ安全だからと安心させた。け
Read more

第95話

柚希は力尽き、玄関に倒れ込んだ。冷たい床に横たわったまま、開け放たれた扉を見つめる。それでも、わずかに安堵していた。少なくとも――寧々たちが助かる可能性は残せた。彼らはまだ自分よりも症状が軽い。薬があれば、きっと生き残れるはずだ。炎真なら、部下の一人に薬を運ばせるものとばかり思っていた。しかし、予想に反して十数分後、炎真本人がやってきた。防護服を身にまとい、光を背にして立つ彼は、まるで救世主のように見えた。朦朧とする意識の中で、柚希は幻覚かと疑う。「私、死ぬのかな……最期におばあちゃんたちじゃなくて、閻魔大王が現れるなんて……」「本気でお前の首を絞めたくなる」口調こそ苛立ちに満ちていたが、すぐに大股で中へ入り、腰を屈めて彼女を抱き上げる。その動作は驚くほど慎重だった。柚希を抱えたまま部屋へ入ると、炎真は冷たい目で室内を素早く見回した。やがて、固く閉ざされた主寝室の扉へ視線を止める。ためらうことなく、彼は強引に足を振り上げた――ドン!激しい音とともに錠が壊れ、ドアが大きく震える。寝室では、ハリーがベッドに寝転がり、呑気にスマホをいじっていた。突然の轟音に飛び起きるなり、怒鳴り散らす。「何しやがる!誰が俺の部屋を蹴破っていいって言った!あいつらだけじゃ殴り足りなかったところだ!今度はお前が痛い目を見たいのか?」ハリーは血走った目で拳を振り上げ、炎真へ殴りかかる。だが、炎真は動じない。柚希を抱えたまま横へ避けると、稲妻のような速さで蹴りを食らわせた。「ぐあぁっ!」悲鳴を上げて吹き飛んだハリーは、壁に叩きつけられて地に伏し、その場で見事に吐血した。痛みで身を丸めるハリーは、もう立ち上がることさえできない。彼の瞳には絶対的な恐怖しかなかった。炎真はそんなハリーへ、もう一瞥すらくれない。柚希をそっとベッドへ寝かせ、自分の胸にもたれさせる。そして持参したバッグから、錠剤と保温ボトルを素早く取り出した。「解熱効果の高い特効薬だ。飲めば熱は下がる」特効薬など、まだ開発されていない。そんな都合のいい薬など、どこにあるというのだ?柚希にも、炎真が安心させるために言っているだけだと分かっていた。それでも素直に口を開ける。薬はひどく苦かった。だが、保温ボトルの水はまだ温かい。柚希はどうにか薬を飲み込ん
Read more

第96話

柚希は自分がどれだけ眠っていたのか分からなかったが、ふと目を覚ますと、そこは弘の家の寝室の天井だった。自分はまだこの場所にいたのか。では、意識が朦朧とする中で自分を抱きしめていた人物は……反射的に隣を探す。だが腕の中にあったのは、大きな苺柄の熊のぬいぐるみだけ。柚希は呆気に取られた。ということは――意識が朦朧としていた間、自分を抱いてくれていた人などいなかったのか……あの安心感は、単なる幻覚だったのか?言いようのない虚無感が胸を掠める。「目が覚めました?」弘が水の入った洗面器を持って部屋へ入ってきた。顔には隠しきれない疲れと心配が浮かんでいる。ごく自然な動作で濡れたタオルを取り、柚希の額や手のひらを優しく拭いた。「熱は下がりましたね。具合はどうですか?」どうやら、ずっと介抱してくれていたのは弘だったらしい。「どうりで、ずいぶん楽になったと思った」柚希は上体を起こす。すると驚くほど、身体のだるさも焼けるような痛みも消えていた。「私……治ったの?」弘はタオルを絞る手を止めた。まつ毛を伏せ、何も答えない。逃げるように水を注ぎ、柚希へ差し出す。「お水でも飲んでください」柚希は不審に思った。自分が回復したのなら、弘がこんな反応をするはずがない。それでも喉の渇きには勝てず、一口飲み込む。しかし、水を飲み込んだ途端、喉に鋭い痛みが走り、思わず激しく咳き込んだ。「ゴホッ!ゲホゲホッ!」喉元から熱い塊が込み上げ、反射的に口を押さえた手を開くと、そこには鮮やかな赤色が広がっていた。血?自分は、血を吐いたのだ。驚いて顔を上げると、弘が自分に背を向けていた。肩がかすかに震え、その横顔には堪えきれない苦痛と悲しみが浮かんでいる。「高木さん……」柚希の心が一気に沈む。「一体、何が起きてるの?」弘は深く息を吸った。それから振り返る。目は真っ赤で、声は嗚咽でままならない。「炎真様が持ってきた薬……確かに効果はありました。酒井さんもマヤさんも熱は下がって、落ち着いています。このままいけば、乗り越えられるでしょう。だけどチーフは……高熱が長く続いて、病状も重かったせいで……炎真様が最高の専門チームをいくつも集めてくれましたが、どの先生方も……チーフはもう……」弘は最後まで言えなかった。だが、
Read more

第97話

弘が本気で自分のことを思ってくれているのは、柚希にも分かっていた。「高木さん、私だって聖人じゃないから、自分を犠牲にして世界を救いたいなんて、そんな大それたことを考えてるわけじゃないの。でも、最後の瞬間まで、自分にできることをやりたい。だって……バイオニックロボットの中核アルゴリズムを完成させれば、少なくとも大勢の人を救えるから。しかし、柚希は真っ直ぐな瞳で彼を見つめ、力強く言い切る。これは私にしかできないことなの。少し苦しいだけで誰かの命が助かるなら、それだけの価値はある。そうすれば、死ぬときに思えるでしょう?私の人生も、無駄じゃなかったって」「でも、今の身体であんな高負荷の作業に耐えられるはずがないじゃないですか!少し疲れるどころじゃない。ものすごく苦しむことになるんですよ……」「柚希、俺と来い」冷たく、低い声が二人の言い争いを遮った。炎真がいつの間にかドアの前に立っていた。白い防護服をまとい、マスク越しに見える目元には隠しきれない疲労が滲んでいる。普段は隙一つなく整った男だが、今は顎に青い無精ひげまで生えていた。それでも、その圧倒的な凛々しさは何一つ損なわれていない。「炎真様!」弘は激しい剣幕で言い返した。「彼女は今、元気そうに見えているだけで、これは単なる一時的な持ち直しです。彼女に残された最後の時間を、幸せに……穏やかに過ごさせてあげてください」炎真は低い声で問いかけた。「ここに無理やり留めておけば、こいつは幸せなのか?」弘は、瞬時に言葉を失った。柚希の胸が高鳴る。炎真を意外そうに見つめた。いつも高慢で冷酷だったはずの彼が、今、自分を最も理解してくれている存在だったからだ。「大丈夫だよ、高木さん」彼女は弘の方を向くと、わざと明るく笑ってみせた。「多少の無理はするかもしれないけど、人生の最後に自分の意義を感じられるなら、私はそれで幸せだし、満足なの」弘は耐えきれず顔を覆い、指の隙間から涙をこぼした。柚希はバスルームに入り、シャワーを浴びた。それからスーツに着替え、念入りにメイクを施すと、晴れやかな表情で外へ向かった。だが、部屋を出た瞬間、廊下でうずくまっていた人影が、急に彼女の方へ這い寄ってきた。芋虫のように、床をずるずると進んでくる。「助けてください……お願いします。薬を一つでいいから
Read more

第98話

彼女は苦しむハリーを見て、それから柚希を見た。指先で服の裾をぎゅっと握りしめ、掠れた声で口を開く。「あの……どうか……夫にも、薬を一粒もらえませんか?」長年連れ添ってきた夫婦の情と、骨の髄まで染みついた弱さ。それが、彼女に夫を見捨てることを許さなかった。柚希は心の中でため息をつく。もともと、本当に見殺しにするつもりはなかった。罰を与えた今、それで十分だろう。柚希は炎真を振り返り、問いかけるような目を向けた。「炎真……」炎真はカバンから薬を出し、手渡す。マヤは急いで歩み寄り、薬を掌の中に強く握りしめた。それを見たハリーは、また横暴な態度がぶり返し、こう急かした。「何ぼさっとしてるんだ?さっさと薬を持ってこい!のろのろするな。治ったら覚えてろよ、痛い目に遭わせてやるからな!」マヤは反射的にビクッと身を縮めた。柚希は眉を寄せ、厳しく言った。「ハリーさん!言っておきますけど、今後マヤさんに指一本でも触れたら、一生車椅子で過ごすことになると思ってくださいね!」ハリーは怖がって口を閉ざしたが、マヤを見る目には、隠しきれない凶暴な光が宿っていた。「マヤさん」柚希は静かに諭すように言った。「できるなら、彼と別れてください」マヤは感情を失ったかのように首を横に振る。「お気遣いありがとうございます。でも私は、もう……慣れてしまったので」哀れに思う。それと同時に、なぜ立ち上がろうとしないのかと腹立たしくもなった。柚希の胸は張り裂けそうに苦しい。だが、彼女自身も残された時間はわずか。家庭内暴力に傷つけられた一人の魂まで救う時間も力も、もう残されていなかった。「炎真……」しかし、柚希は思わず口に出した。「可能なら、マヤさんを助けてあげて……」炎真は断った。「手伝いたければ、自分でやれ」自分にはもう、時間がないのに。柚希は食い下がろうとしたが、防護服の下から見える炎真の疲れ切った表情に、胸が締め付けられた。ウイルスが蔓延して以来、炎真はずっと自分を助けてくれていた。気づけば、頼ることに慣れてしまっていたのだ。それに、炎真に助ける義務なんてない。柚希は自分の軽率さを悔い、唇を噛んだ。頼ることに慣れてはいけなかった。まして、限度を忘れてはならない。……エレベーターに乗ると、柚希は無意識に一番奥に立った。できる限
Read more

第99話

炎真の目にわずかな笑みが宿った。「別に謝ることじゃない」柚希は返事に困った。何と返していいのか分からず、言葉に詰まってしまった。柚希は気まずそうに笑っただけで、背を向けて車に乗り込む。乗車してすぐ、ノクターン財閥に残っている同僚たちに連絡を入れた。今すぐに向かうから、みんなは安全な場所へ退避して、自分と一切接触しないようにと伝えた。手配を済ませ、気合いを入れて仕事を片付けるつもりでいた。しかし窓の外を見ると、道がどうもおかしい。「ちょっと、道が違わない?ノクターン財閥に行きたいんだけど」「間違っていない」炎真は落ち着いた様子で答えた。驚いて彼を見る。「ノクターン財閥に連れて行かないつもり?さっきは分かってくれてるって言ったよね?ねえ、嘘だったの?」炎真は返事をする代わりに、高級感のある黒い招待状を柚希に差し出した。表紙には、特別な品であることを示す金文字が刻まれている。【X-Xウイルス特効薬ファイナルオークション】裏面には薬の詳細が記されていた。つい先ほど開発されたばかりで、すでに臨床試験を終え、有効性も確認されている。ただし製造が極めて困難なため、生産数はごくわずか。製造が極めて難しいため数は少なく、国内分として競売にかけられるのはこの一点だけだそうだ。炎真の低い声が響く。「病気が治ってから、ノクターン財閥に行けばいい」ということは……炎真は自分をオークションへ連れていき、この薬を落札するつもりなのだ!自分を生かすために。マヤへの手助けを断った時のあの言葉、「手伝いたければ、自分でやれ」……あれは冷たく突き放したのではなかった。生き延び、自分の手で助けられるようにする。そう決めていてくれたからこその言葉だったのだ。胸の奥から、言葉にならない感動が込み上げてくる。どうやら……炎真という男を、本当の意味では何一つ理解していなかったのかもしれない。「炎真」声が震えた。「もし私が死なずに済んだら、あなたは一生の恩人だから!馬車馬のように働くからね!」炎真の深い視線が、柚希の顔へ注がれた。「ああ」……オークション会場は、極限まで豪華に設えられていた。空間全体に、金と権力の匂いが漂っている。炎真は柚希をエスコートし、最前列の席に座らせた。柚希がコートを脱ぐと、彼はごく自然にそれ
Read more

第100話

オークションが始まった。ここに参加しているのは、事前審査という高い壁を越えてきた選ばれし者たちだけ。参加者は誰もが莫大な財をなす富豪ばかり。中には全財産を投げ打ち、生き延びるための可能性を買おうとしている者さえいた。開始直後から、価格は凄まじい勢いで跳ね上がっていく。競争は激しく、異常なほど熾烈だった。だが金額が上がり続けるにつれ、資金力の及ばない参加者は一人、また一人と脱落していく。最後に残ったのは、二人の買い手だけ。価格はもはや目を疑うような数字――920億円。柚希は頭が痺れるような感覚を覚えた。とんでもない金額だ。命を救うためとはいえ、あまりにも高すぎる。仮に落札できても、恐れ多くて飲めない気がする……炎真が再び札を上げようとした瞬間、柚希は反射的にその手首をつかんだ。「炎真、もうやめない?こんな大金、私には一生返せない……」炎真は、自分の腕をつかむ彼女の手へ視線を落とした。その声は静かだった。「返さなくていい」そう言うと、迷いなく札を上げる。冷ややかな声が会場へ響いた。「940億円」その瞬間、柚希の胸を、うまく言葉にできない感情が貫いた。金を積むという行為も、ここまで桁が違えば、さすがに格好よすぎる!もう一人の入札者は、すぐには金額を上乗せしなかった。オークショニアの声が響く。「ほかにご入札はございますか?なければカウントダウンに移ります。940億円……940億円2回……940億……」「1000億円!」一人の男が立ち上がり、絶対に譲らないという強気な声を出した。会場がどよめいた。柚希の胸に残っていた希望が、一気に沈む。炎真は険しい表情になり、掲げていた札を捨てると、今度は黒い札を手に取った。これを掲げるということは、他の誰がどれほど高値をつけても、自動的にさらに上乗せし、落札するまで競り続けるという意思表示だった。1000億を超えている今の状況でこの黒札を出せば、恐ろしい金額へ膨れ上がる……正気の沙汰ではない。柚希は慌てて、その手を押さえ込んだ。「炎真、落ち着いて!本当に!」炎真は涼しい顔で彼女を見た。「札を上げるだけだ。この程度で破産はしない」札を上げるだけ?この程度?それでも、柚希は炎真の手を押さえ続ける。「黒札を上げるより、もっといい方法
Read more
PREV
1
...
5678910
SCAN CODE TO READ ON APP
DMCA.com Protection Status