「あのね」柚希は彼の言葉を遮った。「夫から20億円受け取ったから、もう結構」そう言って電話を切ると、柚希は迷うことなく、送金された大金をそのまま突き返した。電話の向こうの柊馬は、切れた音を聞き、返金の通知を見て、力なく椅子にもたれた。そして、苦痛に満ちた表情で目を閉じた。今の彼女にとって、自分の金など必要ないのだ。傍らにいた弁護士は溜息をつき、柊馬を見た。「手元にある時は大切にせず、失ってから後悔するなんて……何の役に立つというのですか?」……夕暮れ時。トムが車で柚希をマンションまで送った。「ありがとう、トム。送ってくれて助かったわ」車を降りた柚希は、窓から顔を出し、笑顔で礼を言った。「気にしないでください。これから同僚だし、ついでですから」トムは明るく笑って、声を潜めて続けた。「それに、社長じきじきの命令なんですよ。あなたをちゃんと世話して、安全に送り迎えしろ、と。お陰で手当も付いたし、感謝してるのは俺の方ですよ。明日の朝も絶対待っていてくださいね。行きも帰りも、しっかりお世話させてもらわないと困りますから!」「じゃあ……明日の朝ごはん、私が何か持ってくるね。何か食べたいものある?」「サンドイッチでお願いします。ありがとうございます、では、また明日」トムは手を振り、車を発進させた。気分が晴れやかになった柚希は、マンションのエントランスへと向かった。でも、エントランスのところまで来たとき、予想外のことに、一人の男が壁にもたれて立っているのが目に入った。すらりとした長身、引き締まった体格。高級そうな黒いコートを羽織った彼は冷ややかな気品を漂わせており、その顔立ちの整いぶりは思わず息を呑むほどだった。――まさに、炎真だった。彼はトムの車が去った方から視線を戻すと、それを柚希に向けた。その目は、E国の冬の夜の霧よりも重く、深かった。突き刺さるような視線に、柚希は言いようのない気まずさを覚えた。まるで浮気の現場を押さえられたような、ぞっとする感覚があった。いや、気のせいだ。だって二人は、本物の夫婦じゃない。「な、何でここにいるの?」柚希は不安にかられ、無意識にバッグの紐を握りしめた。まさか、炎真はE国まで自分を追いかけてきたのか……もしかして京香との関係が急展開して、結婚
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