「うぅ......私にも分かりません......ここに看板があって、そこに......書いてあるのは......」紗寧はいったん言葉を切った。看板の文字を必死に読み取ろうとしているらしい。しばらくしてから、一文字ずつゆっくりと読み上げた。「なかむら......しょくどう......」中村食堂。蒼士はさらに眉をひそめた。「酒を飲んだのか?」「はい......」語尾を長く引く声には、どこか後ろめたそうな響きがあった。「ほんの......少しだけです」「そこで待ってろ。どこにも行くな」「分かりました......」蒼士はすぐに通話を切り、立ち上がってテーブルの上の車の鍵を取った。そして出席者たちを一瞥する。「会議は終わりだ」短く、きっぱりと告げた。そのまま振り返ることなく、大股で会議室を出ていく。黒いスラックスに包まれた長い脚が風を起こし、テーブルの上の資料が数ページめくれた。会議室は数秒間、静まり返っていた。ようやく誰かが、おそるおそる口を開く。「い、いったい何があったんだ?」「分からない。急用ができたように見えるが......」「八角社長が会議中に電話へ出るなんて、初めて見た......」「本当だよ。さっきは心臓が止まるかと思った」副社長は額の汗を拭い、長く息を吐いた。何はともあれ、今日はどうにか切り抜けられたようだ。......蒼士の車は猛スピードで走っていた。黒いマイバッハが車の流れを縫うように進み、エンジンの低い唸りが、いつになく苛立っているように響く。ハンドルを握る手は安定していたが、指の関節はわずかに白くなっていた。顎には力が入り、薄い唇も固く引き結ばれている。中村食堂。カーナビにその店名を入力すると、8軒もの候補が表示された。蒼士は一つずつ確認し、最後に貝原家からそれほど離れていない店へ目を止めた。紗寧の性格なら、酒を飲むためだけにわざわざ遠回りするはずがない。貝原家からの帰り道にある店に違いない。蒼士はアクセルをさらに踏み込んだ。......中村食堂は、目立たない路地にある小さな店だった。外観は古び、看板の蛍光灯も二本切れている。蒼士が路肩に車を止めて外へ出ると、夜風に乗った焼き鳥の煙が一気に押
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