Se connecter蒼士が呆然としていると、紗寧のまつ毛がかすかに震え、ゆっくりと目が開いた。大きな瞳には、目覚めたばかりの朦朧とした色が残っている。焦点の定まらない視線が蒼士の顔の上を二度ほどさまよい、やがてゆっくりと止まった。二人の視線が重なる。紗寧が目を瞬かせた。蒼士も目を瞬かせる。次の瞬間、紗寧の顔が一気に赤くなった。耳元から首筋へと赤みが広がり、鎖骨まで淡い桃色に染まっていく。紗寧は慌てて掛け布団を引き上げ、顔全体を覆い隠した。外へ出ているのは、真っ赤になった耳の先だけだった。「み、見ないでください!」くぐもった声が、掛け布団の下から聞こえてくる。蒼士は赤く染まった耳を見つめたあと、視線を下へ移した。紗寧の足の甲に残る青紫色の痕へ目を止め、低くかすれた声で話しかける。「紗寧、昨夜のことは......」「もう言わないでください!」掛け布団の下から、焦りと恥ずかしさの入り交じった声が響いた。「何も聞きたくありませんから......!」蒼士は口を閉ざした。しばらくすると、掛け布団がゆっくりと少しだけ下がり、恥ずかしさで真っ赤に染まった紗寧の顔がのぞいた。蒼士は彼女を見つめた。これまでの人生で、これほど居心地の悪い思いをしたことはない。後ろめたさでいたたまれない一方、紗寧の姿に心を奪われてもいた。「俺じゃない。紗寧、俺は君にあんなことはしない......」紗寧はたまらず彼をにらんだ。呆れを通り越し、笑い出したくなるほどだった。――昨夜あれほどひどいことをしておきながら、まだ認めないつもりなの?本当に......本当に、あんなことまで......昨夜の光景が頭によみがえり、紗寧の顔はゆでだこのように赤くなった。自分が口にした言葉のおかしさに気づき、蒼士は深く息を吸った。「悪かった。夢の中だと......思っていたんだ......」紗寧は再び彼をにらんだ。唇をわずかに尖らせた表情には、悔しさと怒りがにじんでいる。――いくら......いくら夢だと思っていたとしても、自分の足で......あんなことをするなんて!「本当に悪かった......」蒼士はもう一度謝り、何とか埋め合わせをしようとした。「そうだ、水を飲むか?持って――」「結構です。昨夜、
「......落ち着いてください......」紗寧の声は震え、懇願するような響きを帯びていた。だが、蒼士にはまるで届いていなかった。いや、今の彼には、もはや何も聞こえていなかった。この日を、あまりにも長く待ち続けてきたのだ。少年の頃から想い続けてきた女性が、今はおとなしく腕の中へ収まっている。濡れたナイトドレスが肌へ張りつき、その体の輪郭を何もかも浮かび上がらせていた。蒼士は顔を伏せ、紗寧の鎖骨へ口づけた。何度も軽く歯を立て、その肌に赤い痕を残していく。紗寧の体は震えていた。寒いからではない。怖かったのだ。優しく、理性を保ち、ひたすら感情を抑え込む蒼士の姿なら知っていた。だが、こんな蒼士は一度も見たことがない。漆黒の瞳には凶暴なまでの欲望が渦巻いていた。長いあいだ檻に閉じ込められ、ようやく解き放たれた獣のように、理性も自制心もすべて燃え尽きている。紗寧は彼の肩を押し返し、泣きそうな声で訴えた。「どうして......こんなことを......怖いよ......」蒼士の動きが一瞬止まった。顔を上げ、紗寧を見つめる。「おとなしくしてくれないか?」低く響く声は、ひどく艶を帯びていた。蒼士はわずかに眉をひそめた。今夜の夢の中の紗寧が、いつもより言うことを聞かないのが不満らしい。これまでの夢では、何をしても拒まなかった。どんな体勢でも。どれほど激しくしても。すべてを思いどおりにできた。今のように潤んだ大きな目で怖いと訴え、その涙で蒼士の心を鈍らせることもなかった。蒼士はわずかに目を細めた。たとえ夢の中であっても、嫌がる紗寧へ無理強いすることはできなかった。「なら......前は手だったから、今度は足でいいか?」紗寧は呆然とした。手や足とは、いったい何のことだろう。どういう意味なのか。数分後、紗寧はようやくその意味を理解した。だが、もう遅かった............翌朝。蒼士は、頭が割れそうな激痛で目を覚ました。反射的に眉間を揉み、指先でこめかみを強く押さえ、激しい痛みを和らげようとする。意識が少しずつ戻ってきた。昨夜の記憶が、ばらばらの断片となって脳裏へ浮かぶ。格闘場。アイスバス。紗寧からの電話......そのあ
扉の開く音が聞こえたのか、蒼士は目を開けないまま、かすれた声で一言だけ告げた。「氷を」紗寧は慌てて近づき、アイスペールを持ち上げて、氷をいくつか浴槽へ入れた。氷が水面へ落ち、ボチャンと鈍い音を立てる。細かな水しぶきが周囲へ飛び散った。氷を入れていた紗寧の手が、ふと止まる。反射的に蒼士へ目を向けると、漆黒の瞳と真正面から視線が重なった。蒼士は今、体を焼く欲望のせいで意識が朦朧としていた。突然目の前に現れた紗寧を、焦点の定まらない目で見つめている。彼女が本当にそこにいるのか、それとも再び夢を見ているのか、判別できなかった。「紗寧......?」紗寧は慌ててそばへ寄り、手を伸ばして彼の額へ触れた。「具合はどうですか?まだ苦しいですか?」蒼士は答えなかった。瞬きもせず、ただ彼女を見つめている。その視線に居心地の悪さを覚え、紗寧は小さく口を開いた。「ごめんなさい。何も知らなくて......」声が次第に小さくなり、申し訳なさそうな響きを帯びる。「体調が悪いと知っていたら、電話なんてしませんでした......」考えれば考えるほど、紗寧の罪悪感は強くなった。そのぶん、懸命に彼の世話をしようとする。アイスペールからさらにいくつか氷を取り出し、浴槽へ入れた。「氷は足りていますか?もっと入れたほうがいいですか?」蒼士は答えなかった。浴槽の縁へ背を預けたまま、紗寧の顔を見つめている。瞳を覆っていた朦朧とした色は次第に薄れ、代わりに、紗寧には理解できない感情が浮かび始めた。蒼士は考えていた。――横川は入口にいるはずだ。紗寧を浴室へ入れるはずがない。だとすれば、これは夢なのか?蒼士の思考が一瞬、現実から離れた。紗寧の夢を見るのは、これが初めてではない。ここで一緒に暮らすようになってから、何度も同じような夢を見ていた。目を覚ますたび、自分がまるで思春期の少年に戻ったように、衝動的で抑えが利かなくなった気がした。だから、目の前にいる紗寧も夢の中の存在であり、本物ではないのだろう。そう考えた瞬間、紗寧を見る蒼士の目が変わった。もしここが自分の夢の中なら――何をしても許されるのではないか?返事のない蒼士を不思議に思い、紗寧はその顔を見つめた。しかし
「数日って、何日くらいですか?」蒼士は答えなかった。傍らにいた横川が、声を潜めて説明する。「短ければ3日。長ければ......1週間ほどです」1週間。紗寧は指を強く握り締めた。「ほかに方法はないんですか?」横川は首を横に振った。「天川さんによれば、八角様の症状に対して薬は補助的な役割しか果たせません。結局は、ご自身で耐え抜くしかないそうです」蒼士はソファの背にもたれ、目を閉じた。「もういい。黙れ」横川はすぐに口を閉ざした。「八角様、浴室の準備が整いました」そのとき、数人の使用人が恭しく頭を下げながら、浴室から出てきた。蒼士はうなずいて立ち上がると、横目で横川を一瞥した。「入口を見張れ。誰も中へ入れるな」「......かしこまりました」蒼士が立ち去ろうとした途端、紗寧はその手を強く握った。蒼士は彼女の頭を優しく撫でる。「心配するな。君は2階へ戻って、おとなしく寝ていて」「でも......」蒼士はすでに背を向け、浴室へ歩きだしていた。紗寧はその場に立ち尽くし、目の前で浴室の扉が閉まるのを見つめた。胸の奥を何かに塞がれたようで、息苦しくなる。「横川さん、八角さんは帰ってきたとき、まだ平気そうでしたよね?どうして急に......」横川は唇を引き結び、何も答えなかった。紗寧は彼の前まで歩み寄り、顔を上げて見つめる。「本当のことを教えてください」横川は少しためらったあと、口を開いた。「八角様は今日の午後、ずっと格闘場にこもっていて、そのあと数時間アイスバスに浸かっておられました。それで症状はほぼ抑えられていたのですが、奥様から電話があり、急いで戻ってきたため......」紗寧は息をのんだ。――自分のせいなの?自分は、彼の気持ちを確かめたかっただけなのに......こんなことになるなんて、知らなかった。「分かりました。話してくださって、ありがとうございます......」横川は紗寧を見つめ、何かを言おうと口を開いた。だが、結局その言葉をのみ込んだ。そのとき、屋敷の外から何頭もの犬が激しく吠える声が響いた。一人の使用人が青ざめた顔で駆け込んでくる。「横川さん、黒が突然暴れだしました!庭中を走り回って、二人も噛まれています。誰も近づけま
蒼士の指先が、無意識に紗寧の腰を撫でた。薄いシルク越しに、細い腰の線と温かな感触が伝わってくる。胸の奥から込み上げる欲望は、もはや抑えきれないほどに膨れ上がっていた。呼吸は次第に荒くなり、首筋には血管がくっきりと浮かび、今にも破裂しそうなほど張り詰めている。寝室は薄暗く、窓の外からわずかに差し込む冷たい光だけが、紗寧の頬を艶めく赤に染めていた。蒼士はその場で動けなくなった。背筋は張り詰め、全身の筋肉が彼女へ近づけと訴えている。腕の中にいる紗寧の唇は、わずかに開いていた。そこから漂う甘い香りが頬を撫でるたび、理性が少しずつ崩れていく。まつ毛がかすかに震える様子まで、はっきりと見えた。ほんの少し顔を下げるだけで、その柔らかな唇を奪える。だが、二人の唇が触れ合おうとした瞬間、蒼士は強く拳を握り締め、無理やり顔をそむけた。「もう遅い。早く寝ろ......」紗寧は訳が分からないという顔で、蒼士を見つめた。しかし蒼士は逃げるように視線を避け、立ち上がると、彼女を自分の膝から下ろした。「使用人を呼んで、寝室を片づけさせる」紗寧はソファに座ったまま、蒼士の後ろ姿が寝室の外へ消えていくのを呆然と見送った。――蒼士は今......自分を拒んだ?どうして?紗寧は、自分が着ているナイトドレスへ目を落とした。細い肩紐のついたシルク製で、裾は太腿の付け根までしかない。隠すべきところ以外は、ほとんどあらわになっていた。自分の体には、それなりに自信がある。誰もが目を奪われるほどとは言わなくても、見た途端に逃げ出したくなるような体ではないはずだ。それなのに蒼士は......紗寧は下唇を噛み、胸の中に挫折感を覚えた。――自分に魅力が足りないのだろうか。それとも、本当に女性を抱けないのか。だが以前は、明らかに紗寧へ反応していた。では、どうして......そこで紗寧の思考が突然止まった。先ほど自分を引き離したときの蒼士の目。以前にも一度、見たことがある。――まさか蒼士は......発作を起こしているのでは?......紗寧が考え込んでいると、不意に階下から話し声が聞こえてきた。ほかのことを考える余裕もなくなり、急いで服を着替えて階下へ向かう。リビングでは、蒼士
あれこれ考えていると、一筋の光が夜の闇を切り裂き、遠くから庭のヤシの木を照らした。黒は犬小屋の中で立ち上がり、耳をそばだてて2秒ほど音を聞くと、嬉しそうに尻尾を振り始めた。紗寧は深く息を吸う。――来た。黒い高級車が庭へ入ってきた。ヘッドライトが消え、エンジンの低い音も次第に静まっていく。蒼士はドアを開けて車を降りた。落ち着いた足取りで歩き、その顔からは何の感情も読み取れない。黒が尻尾を振りながら駆け寄り、蒼士の脚の周りを2周した。それから顔を上げ、甘えるような声を喉の奥から漏らす。だが蒼士は一瞥もせず、大股で母屋へ向かった。あとに続いていた横川は空気を読み、中へ入らず玄関先で見張ることにした。黒もついていこうとしたが、横川に首輪をつかまれ、引き戻される。「お前はこっちだ。お二人には大事なお話し合いがある」黒は不満そうに歯をむき、尻尾を振りながら走り去った。蒼士は2階へ上がった。廊下の壁灯はまだついており、薄暗い黄色の光が彼の影を長く伸ばしている。寝室のドアは少し開き、その隙間から細い光が漏れていた。蒼士が手を伸ばし、ドアを押し開ける。その瞬間、ベッド脇の暗がりから華奢な人影が飛び出し、勢いよく彼の胸へ飛び込んできた。「八角さん......」紗寧は蒼士の首へ腕を回し、その胸元へ顔を埋めた。か細い声には涙が混じり、怯えた小動物のようだった。「やっと来てくれた......」蒼士は急いで来たため、シャツを一枚着ているだけだった。そのため今は、紗寧の体の柔らかな輪郭まではっきりと感じ取れてしまう。薄いシャツ越しに、彼女の柔らかさと温もりが余すところなく伝わり、胸へぴったりと押しつけられていた。蒼士の瞳が一瞬で暗く沈む。反射的に彼女を引き離そうとし、肩へ手を置いた。だが、指先が滑らかな素肌に触れた瞬間、火傷でもしたように勢いよく手を引っ込める。紗寧の背中は、ほとんど何も覆われていなかった。肩には細いストラップが二本掛かっているだけで、前をかろうじて覆っているにすぎない。背中はすべてあらわになり、美しい形の肩甲骨が浮かんでいた。肌は上質な白磁のように白く、滑らかだった。蒼士の指がわずかに曲がる。指先にはまだ、紗寧の肌の滑らかで温かな感触が残っ
その頃の紗寧は、ちょうど北城空港に到着したところだった。スマホが震える。「もしもし、先輩?」電話の向こうから聞こえてきたのは、中岡の穏やかな声だった。どこか苦笑混じりの響きがある。「紗寧、さっき柏グループ傘下のワールド・エンターテインメントから連絡があってな。総支配人の人選が松田に決まったそうだ」紗寧は足を止めかけたが、すぐにスーツケースを引いて歩き続けた。「そうなんですか」あまりに淡々とした反応だったせいか、中岡は一瞬言葉を失った。「なんだ、その反応は。少しくらい俺のために怒ってくれてもいいだろう?」冗談めかした口調で続ける。「一応、俺は君が推薦し
2日後。紗寧の傷はほとんど癒え、嗄れていた喉も元通りになっていた。その間、真洋が見舞いに来ることは一度もなかった。代わりに届いたのは、港江から母親が送ってきた小包だった。中には、貝原咲良の免許証が入っていた。病室の窓辺に立ち、眼下を流れる車列を見下ろしながら、紗寧はかすかに口元を歪める。それは嘲りにも、諦めにも見えた。その時、ドアが開いた。入ってきたのは天川だった。今日は白衣ではなく、ダークグレーのシャツに袖を肘まで捲っている。いつもの冷ややかさが少し和らぎ、どこか人間味が感じられた。「退院手続きは終わった」彼は書類を差し出す。「もう出られるよ」
――頼まれていた?真洋のことだろうか。紗寧はペン先を止めた。この一年間、彼が自分のために奔走する姿を、彼女はずっと見てきた。国内外の名医を探し回り、治療法を求め続けた。けれど成果はなかなか出なかった。それが半年前、担当医が天川に代わってから、彼女の聴力は少しずつ回復し始めたのだ。だが、なぜだろう。どこか引っかかるものがあった。真洋と天川先生は、それほど親しい関係だっただろうか。普段の診察でも、天川先生が真洋に好意的な態度を見せたことなど一度もない。むしろ、どこか冷淡ですらあった。紗寧は首を傾げながら天川を見上げた。その視線に込められた疑問を察
詩帆の頬には、たちまちくっきりと五本の指の跡が浮かび上がった。彼女は信じられないというように目を見開き、熱を帯びた頬を押さえながら、しばらくしてようやく我に返る。「あなた、よくも......!!」そう叫ぶなり、今度は自分が手を振り上げた。だが紗寧の方が一歩早かった。その手首を掴み取ったかと思うと、次の瞬間――パシンッ!反対の手で、もう一発。鋭い音が部屋に響き渡る。詩帆は勢いよく顔を逸らされ、丁寧に巻かれていた髪が乱れて頬に張り付いた。まるで、自分が立て続けに二発も叩かれたことが理解できていないようだった。個室の中は水を打ったように静まり返る。全員







