All Chapters of 横領犯にされた経理女は、若頭の金庫を握って元社長を潰す: Chapter 11 - Chapter 17

17 Chapters

第11話:客の会話、女の値段

「愛想で稼げるうちはいい。でも最後に残るのは、客じゃなくて明細よ」  沙耶さんがそう言ったとき、ひなのの顔が引きつった。  更衣スペースの鏡の前。ひなのはまだ二十三だという。明るく笑う子だ。けれど、客単価の話になると、笑顔の角度が崩れる。今月もまた、思ったより手元に残らなかったらしい。  私はまだフロアの補助と裏方を行き来する身分だった。経理に正式に入ったわけではない。ただ店の流れを覚えるために、いろんな場所に立たされる。立たされるたびに、ここがどういう場所か少しずつわかってくる。  夜の店は、思っていたより静かだった。  会社の宴会とは違う。声は低い。笑いも控えめだ。けれど、言葉は半分だけ緩んでいる。その緩んだ半分に、本音が混じる。  フロアの隅で氷を補充しながら、私は客たちの雑談を拾った。  誰が誰に借りを作ったか。どの案件の金が詰まりそうなのか。どの会社が表に出せない接待費を使っているのか。  全部は理解できない。けれど言いよどみと、支払い方法の違いから関係性が見えてくる。立場が上の人間は金額を見ない。立場が下の人間ほど伝票をちらりと見る。借りのある側は、笑い方が少しだけ硬い。  会社の会議室で覚えたものと同じだった。整えられた言葉の裏に、整えられない金がある。  私はそれを、ただ眺めていたわけではない。氷を補充するふりをして、卓の上の関係を読む。誰が支配し、誰が従っているか。金が、それを全部教えてくれる。沈黙の長さも、笑いの間も、本当のことを言っている。  一つの卓で、男が大きく笑っていた。 「いやあ、最近は監査が厳しくてね」  その言葉に、私の耳が反応した。けれど、声の主は三崎さんではなかった
last updateLast Updated : 2026-06-12
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第12話:奥の個室の予約名

 そのとき、別の卓の客が私を見た。 「新しい子?」  軽い品定めの視線だった。露骨ではない。けれど、値踏みの目だ。さっきの黒瀬とは違う、もっと安い目。私はうまく笑えなかった。表情が固まる。  沙耶さんが、自然に間に割って入った。流れるように話題を変え、その視線を逸らす。さすがだ、と思った。  後で、沙耶さんは私にだけ言った。 「そういう顔してると、食われるよ」 「すみません」 「でもね」  沙耶さんは、化粧直しの手を止めずに続けた。 「あんたは、別の場所で値がつくかもね。私たちは顔で値段を守る。あんたは、たぶん違うやり方で守る」  その言葉が、引っかかった。  この店の女たちは、ただ媚びて生きているわけではなかった。みんな自分の値段を守るために戦っている。落とされないように。安く買い叩かれないように。笑顔の下で、それぞれが計算している。  私と、同じだった。  営業が終わり、フロアの灯りが半分落ちた。私は片付けの合間に、送り表とボトル記録、伝票の控えを目にした。  一晩で動く金と情報の量に、息が止まりそうになった。  会社の経費精算より、ずっと生々しい。剥き出しの欲望が、紙の上に並んでいる。誰がいくら使い、誰が誰を接待し、誰が領収を切り直したか。全部、ここに残る。  私は心の中で思った。  ここでも、最後に人を裏切らないのは、記録なんだ。  会社では、その記録が私を裏切った。差
last updateLast Updated : 2026-06-13
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第13話:あの男は客として笑っていた

 予約名を聞いた瞬間、息が止まった。  三崎清隆。  最初は同姓同名だと思おうとした。よくある名前だ。そう言い聞かせた。けれど、九条さんが読み上げた来店時間と人数を聞いて、私の指先が冷たくなった。  会社の社長。私を横領犯にした男。  扉が開いた。  現れたのは、間違いなく本人だった。  質のいいスーツ。柔らかい笑み。会社の朝礼で「誠実な仕事を」と語っていた、あの顔のままだ。何も失っていない。一円も、一日も、失っていない男の顔だった。  隣に取引先らしき男。奥に、若い女が一人。  私の足が、動かなくなった。呼吸が浅くなる。胸の奥が、内側から握り潰されるような感覚。あの会議室の空気が、一瞬で戻ってきた。署名を迫られた、あの机の感触。 「大事にしたくないなら、賢くした方がいい」  あの男の声が、耳の奥でよみがえる。 「下がって」  沙耶さんだった。私の腕を取り、自然な動きでバックへ引いていく。フロアの誰にも気づかれない速さで。 「顔、真っ白よ。出ちゃだめ」  私はうなずくこともできなかった。バックヤードの壁に手をつき、必死で息を整える。怒り。恐怖。屈辱。吐き気。全部が一度に押し寄せて、順番がつけられない。  膝が笑っていた。あの会議室で署名を迫られたときと同じだ。あのとき私は何も言い返せなかった。正しさを並べたのに、全部「取り乱した言い逃れ」に変えられた。組織が一人を囲むとき、正論は音もなく潰される。私はそれを身体で覚えている。 「水、飲む?」  沙耶さ
last updateLast Updated : 2026-06-13
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第14話:見ていた男

 だったら、消えない。  私は、もう一度モニターを見た。三崎の笑顔を、目に焼きつける。今度は、私が観察する側だ。  そのとき、視界の端で、空気が動いた。  奥の通路に、黒瀬が立っていた。  いつからそこにいたのか、わからない。けれど、見られていた。私の白くなった顔も、三崎を見る目も、震える指で控えに書きつける動きも。全部。  黒瀬は何も言わなかった。  ただ私を見ていた。値踏みの目だ。けれど初めて会ったときとは少し違う。何かを測り直しているような目。怯えて崩れる女なのか。それとも、崩れずに数える女なのか。たぶん、それを見ていた。  私は目を逸らさなかった。逸らしたら、また安く見られる気がした。  三崎の卓が片付き、笑い声が遠ざかっていく。あの男は、私がここにいることを知らない。同じ建物の中で、同じ夜に、自分が潰した女が、自分の支払いを記録していることを。  知らないまま、笑って帰っていった。  店を出る前、三崎は若い女の腰に手を回した。  会社では絶対に見せない仕草。  ここでは気が緩むのだろう。  誰も自分を裁けないと信じている男の、無防備な背中。  その油断こそ、私が探していたものだった。  会議室であの男が私に勝てたのは、私が油断していたからだ。  今度は逆になる。   その背中に、私は心の中で告げた。  あなたが消した私を、私はこれから、数えていきます。&nb
last updateLast Updated : 2026-06-14
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第15話:視線を止めた男

 営業後、九条さんに呼ばれた。「黒瀬さんが、話があるって」  事務室の空気は、取り調べに近い緊張があった。黒瀬は椅子に浅く腰かけ、私を見ていた。机の上には、何も置かれていない。それが逆に怖かった。  前置きはなかった。「さっきの客、知り合いか」  即答できなかった。けれど、この男に中途半端な誤魔化しは危険だと、本能でわかった。さっき、私のことを全部見ていた目だ。 「前の勤務先の社長です」 「辞めた理由は」  私は、屈辱を飲み込んだ。 「横領の濡れ衣を着せられました。八十万円の外注費を、私が抜いたことにされて。承認権限なんてないのに。気づいて確認しようとしたら、逆に犯人にされたんです」  黒瀬は黙って聞いていた。同情も、慰めもない。 「そうか」  たった一言で、話は終わった。私は、かえって腹が立った。ひどい話を打ち明けたのに、眉一つ動かさない。哀れみすら、向けてくれないのか。  けれど、黒瀬の次の言葉は、予想を完全に裏切った。 「その男、今日の支払いで、何に気づいた」  慰めでも、説教でもない。観察結果を、聞かれている。頭が、勝手に切り替わった。 「法人カードと現金の併用です。一番偉いのは三崎ですが、金は出していない。出してたのは取引先の方。借りを作らせる側と、作る側が、はっきりしてました」 「他には」 「領収の切り方です。会社名を、はっきり書かせたがらない。一枚だけ別に切らせていました。あれは、後で別の名目に付け替える切り方です」  そこまで言っ
last updateLast Updated : 2026-06-14
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第16話:売上の傷

 その夜、店の売上にズレが出た。  数万円。大きな額じゃない。会計担当のスタッフは「入力ミスかも」と軽く流そうとした。閉店後の事務室は疲れた空気で、誰もが早く帰りたがっていた。  私は横で見ていた。そして引っかかった。  金額のズレより、ズレ方が気になった。整いすぎている。  偶然のミスなら誤差は散らばるはずだ。  ここが多くて、あそこが少なくて。  けれど、このズレは違った。  ある席とある処理だけにきれいに偏っている。  偶然は、こんなに行儀よくない。  整いすぎたものは、必ず人の手が入っている。  これも、会社で覚えたことだった。   口を出すべきか迷った。私はまだ新人同然だ。店のルールも、ろくに知らない。出しゃばれば嫌われる。会社で覚えた処世術が、そう囁いた。黙っていれば、波風は立たない。  でも、会社で黙らなかった私は、切られた。黙った私も、結局は切られた。だったら、どっちでも同じだ。  でも、見過ごせなかった。  私は九条さんにだけ、小さく伝えた。 「このズレ、たぶんミスじゃないです」  九条さんは、最初は半信半疑だった。 「根拠は」  私は、ボトル記録と送り表、伝票の控えを並べた。それから、修正処理の入った時間を指でなぞった。 「同じ席で、同じくらいの額が毎回少しずつ抜かれてます。派手な額じゃない。気づかれにくい額です。それに
last updateLast Updated : 2026-06-15
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第17話:もう一本の手

 それは、誰かの受け売りだった。「感情で動くな。記録しろ」。あの男の言葉が、もう私の中に住み着いている。  黒瀬の口元が、ほんのわずかに動いた。笑った、とは言えない。けれど、何かが緩んだ。 「明日、もう一度、最初から見ろ」  事実上の、実務参加命令だった。  九条さんが、驚いた顔をした。新人同然の女に店の売上を触らせる。異例だ。会計担当のスタッフは露骨に不満そうな顔をしていた。それでも黒瀬は撤回しなかった。  去り際、黒瀬は私に背を向けたまま、低く言った。 「傷を見つける目は、悪くない」  それだけだった。  褒め言葉ではない。評価だ。商品に値段をつける男が、私の能力に初めて値段をつけた。胸の奥が、少しだけ熱くなった。それを気づかれたくなくて、私は資料に目を落とした。  九条さんが、私を見て苦笑した。 「君、たぶん明日から、何人かに嫌われるよ」 「慣れてます」 「でも」  九条さんは、少しだけ真面目な顔になった。 「黒瀬さんに『悪くない』って言わせたの、私の知る限り、二人目だよ」 「一人目は」 「言わない方がいい。気が重くなるから」  その夜、私はメモに書いた。 「店の売上に、継続的な抜き。犯人はたぶん身内。黒瀬から、売上確認の参加を命じられた」  最後に、もう一行。 「会社では、傷を見つけた私が切られた。ここでは、傷を見つけた私が、使
last updateLast Updated : 2026-06-15
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