Home / ミステリー / Asymmetry / Chapter 31 - Chapter 40

All Chapters of Asymmetry: Chapter 31 - Chapter 40

51 Chapters

31話

「それだけお金使ってたら、そりゃ有名になりますよね……」「リリィが有名なのは、それだけじゃない。今もいんのかなー、アイツ。シュウっていうホストがいたんだ。俺がいた時はナンバーワンだった。リリィの担当はシュウだったんだよ」 シュウの名前を口にした途端、成也の表情が一瞬だけ曇り、声のトーンが少しだけ下がった。千夏はこの僅かな変化を見逃さなかった。「口ぶりからして、そのシュウって人はろくでもない人だったんですね」「はははっ、ご名答。シュウは女達をATMとしか思ってないし、売上上げるためならなんだってする。シュウにすっかり入れ込んだリリィは借金地獄に落ちて、闇金にまで手を出したって噂もある。それで、今じゃ高級デリヘルで働いてるってわけ」 夜の街の闇にゾッとし、千夏の表情はますます暗くなる。「やっぱりホストって怖いですね」「遊び方を知らない人が悪いホストに騙されちゃったらね。さてと、話変えるけど、リリィが来る頃になったら、先生はトイレかお風呂場に隠れてて。この部屋に死角があったらよかったんだけど、ないからさ。流石にベッドの下に隠れさせるわけにもいかないしね。リリィが部屋に入って鍵を締めたら合図するから出て」「本当に急に変わりましたね……。分かりました、そうします」 成也の作戦を聞きながら、いよいよかと気を引き締める。相手は一般女性とはいえ、騙し討ちのようなやり方は気が進まない。どうしても緊張するのと同時に、少しの罪悪感を抱いてしまう。「そろそろ隠れたほうがいいですかね」 千夏は腕時計を見ながら言う。時刻は7時50分、リリィこと奈津子が来るまであと10分しかない。「そうだね、隠れてて」 風呂場へ行こうとしたがくもりガラスだったため、トイレに隠れることにした。便器の蓋を閉めてその上に座り、腕時計をじっと見る。 52分になると、ノックの音が聞こえた。続いて成也がドアを開ける音も聞こえてくる。 千夏は意外だと思いながら耳を澄ませた。風俗嬢は時間にルーズなイメージがあったため、こんなにはやく来るとは思わなかった。「リリィです、よろしくね」 甘えるような声は、写真で見た奈津子と一致しない。本当にあの河合奈津子なのか確認したい衝動にかられるが、じっと我慢する。
last updateLast Updated : 2026-06-02
Read more

32話

「久しぶり、リリィちゃん。俺のこと覚えてる?」「え? えっとぉ……、あ、リョーマくんだ!」「そう、リョーマだよ。またリリィちゃんに会いたくて指名しちゃった」(リョーマ? 源氏名ってやつなのかしら?) 小首を傾げながら、成也の源氏名を心の中でリピートする。リリィの前で勝手に彼の名前を呼ぶのは気が引けた。「嬉しいなあ、さっそくシャワー行こ」「その前に、リリィちゃんと……というより、河合奈津子ちゃんとお話したいんだよねぇ。ねぇ、先生?」「え?」 戸惑うリリィの声が聞こえたところで、千夏はトイレから出てきた。リリィは困惑した顔を千夏に向け、ドアを背にした成也はニヤリと笑った。(末安さんが描きたした通りね……) 目の前にいるリリィは、成也がカラーペンで描きたした奈津子そのものだ。化粧とウィッグは女を別人に変えるというが、あまりにも変わりすぎだ。「初めまして、河合奈津子さん。私は笹塚法律事務所の本条千夏と申します」「え? え? どういうこと、ですか?」 軽くパニックになった彼女は、リリィと奈津子の言葉遣いがごちゃまぜになってしまった。少し可哀想だと思ったが、千夏とて引き下がるわけにはいかない。「ごめんね、奈津子ちゃん。俺ホスト辞めて、今は法律事務所の雑用係やってんだ。それで今取り扱ってる事件で、奈津子ちゃんの写真が出てきたから色々話を聞こうと思って」 奈津子はうつむいて黙り込むと、顔を上げて千夏を見つめた。その顔に甘ったれた風俗嬢の面影はない。「分かりました、その前に洗面所へ行かせてください」「えぇ、どうぞ」 奈津子は浴室のドアを開け、中に入る。化粧でも落としているのか、水音が聞こえてきた。「すごい変わりようだったね。俺、あんなリリィちゃん初めて見たよ」 成也は楽しそうに耳打ちをしてくる。「楽しそうですね」「うん、楽しい。まさかこんな二重生活してる人を生で見る日が来るなんて思ってなかったし」 奈津子の変わりようにテンションを上げる成也は、まるで初めて芸能人でも見た子供のようだと千夏は思った。 5分もすると、金髪ウィッグを外して化粧を落とした奈津子が戻ってきた。素朴な美を持ち合わせたその顔は、秘書の顔だ。「岸本製薬会社で秘書をしている河合奈津子です。まさかリョーマくんが弁護士を連れてくるだなんて、思ってもみませんでした」「ちな
last updateLast Updated : 2026-06-02
Read more

33話

「よく俺達が社長について聞こうとしてるって分かったね」「だって、あの愛妻家もどきの社長が、奥様にあんな写真突きつけられて何もしないわけないもの。きっと弁護士が来るって思ってた。その弁護士があなたを連れてくるだなんて思ってなかったけどね」「どういうことですか?」「すべてお話します。けど、その前に座りませんか?」 奈津子はふたり掛けの椅子をチラリと見ながら言う。千夏達はベッドの脇に、奈津子は浴室前に立ったままだった。「そうですね」「私はベッドに座りますので、おふたりは椅子にどうぞ」 奈津子はふたりに椅子をすすめると、ベッドに腰を掛けた。ふたりも向かい合うように座ると、奈津子は千夏をまっすぐ見つめる。「まず、これだけは言わせてください。社長は奥様を愛していません」「さっきも愛妻家もどきと言ってましたね」「社長が愛しているのは、交通事故で脳死した楓さんです。奥様は当然、そのことに気づいています。社長は新薬の開発に力を入れていて、時間を忘れて研究しています。奥様が心配して迎えに来たことだって何度もあって、それで何度かお話したことがあるんです。1ヶ月前にも、奥様は社長の迎えに来ました。私がいつものように、社長は研究室に閉じ篭っていると話したら、泣き出したんです」 その時のことを思い出しているのか、奈津子の顔は暗い。「その時、奥様はなんとおっしゃったんですか?」「『主人は私を見てくれない。いつも楓楓と言って研究に没頭して帰ってこない。それだけならまだしも、私に似合わない服や化粧品を贈って楓にも似合うだろうなんて』って……」「酷い……」 亮子の似合わない服や化粧を思い出し、心が打たれる。すべては楓役を押し付けられた結果だったのだ。愛した男は他の女性を愛しただけでなく、自分にその女性像を押し付け、世話までさせた。これは屈辱以外の何物でもない。「確かに酷い話だけどさー、どうして不倫現場っぽい写真なんか用意して離婚しようとしたわけ?」「奥様は、亮子さんはこんなに辛いのなら別れたいと言っていたんです。でも、自分で言い出すにしても勇気が出ないって。それで、協力してほしいって言われたんです」「ということは、この計画は亮子さんが立てたということですか?」 千夏の問いに、奈津子は大きく頷いた。
last updateLast Updated : 2026-06-02
Read more

34話

「そうです。社長を待っている間、ふたりで話していたので、亮子さんは私が画像編集できるって知ってたんです。私と社長が外食や外で歩くところを亮子さんが撮って、私が編集しました」「どうしてそこまでしたんですか? 亮子さんの気持ちは確かに分かりますが、それでは河合さんにメリットがないじゃないですか」 これでは奈津子は泥をかぶっただけでメリットがない。下手すればクビにされてしまう。いくら共有する時間が増えて仲良くなったとしても、それだけリスキーな汚れ仕事をする女性には思えなかった。「いえ、メリットならありました。実はストレス解消に、ホストに入れこんでいた時期があったことを、うっかり話してしまったんです。その時の借金があることも。亮子さんは500万払うからって言ってくれたんです」「入れこんでたってことは、もうシュウのところには行ってないわけ?」「えぇ、そうよ。あなたが辞めてすぐだったかしら? お金がないのにシュウに会いに来た女の子がいたの。シュウがその子を突き飛ばして『金のない女に用はない』って言ってるの見て目が覚めたの。こんな男に貢いでバカみたいってね」 奈津子は吹っ切れた笑みを浮かべる。「そっか、よかった。ところで500万で足りた?」「足りないわよ。でも、すごく助かるから協力することにしたの」「へぇ、そうなんだ。借金、はやくなくなるといいね。先生、他に聞きたいこととかある?」「いえ、充分です。ご協力ありがとうございます」「どういたしまして。まさか、ラブホテルで弁護士さんとお話する日が来るなんて思わなかったわ」「えぇ、私もこんな日が来るなんて思いませんでした」 口元に手を持ってきてクスクス笑う奈津子に、千夏は苦笑する。「じゃあ帰ろっか。はい、これ。口止め料込ね」 成也は財布から1万円札を何枚か取り出すと、奈津子に押し付けるように手渡した。「多いわよ」「貴重な話聞かせてもらったからいいの。それじゃあ頑張ってね」 成也は奈津子の肩をポンと叩くと、部屋から出ていく。「あ、待ってください! 今日はありがとうございました」 千夏は奈津子に頭を下げると、慌てて成也を追いかけて部屋を出た。
last updateLast Updated : 2026-06-02
Read more

35話

 廊下に出ると、成也はエレベーターの前で待っていた。「こんなところでひとりにしないでくださいよ……」「ひとりにするつもりないから待ってたんだよ」 ちょうど成也が言い終わると、エレベーターの扉が開いた。ふたりでエレベーターに乗ると、千夏は隣に立つ成也を見上げる。「末安さん、意外と優しいところあるんですね」「何のこと?」「さっきのお金のことですよ。あれ、5万円以上渡してましたよね。口止め料なんて言って、本当は少しでもはやく借金返して欲しくて渡したんじゃないですか?」「まぁね。でも、あれっぽっちじゃ焼け石に水だと思うよ。借金いくら残ってるかは知らないけどさ」 そう言って成也は力なく笑う。「もしそうだとしても、奈津子さんにとってはその気持ちが嬉しかったはずですよ。それに、わずかだとしてもゼロよりはよっぽどいいですから」 千夏が笑顔で言うと、成也は乱雑に頭を掻いた。頬はこころなしか染まっているように見える。「先生ってさ、まっすぐだね」「弁護士ですからね」「それ以前の話だと思うけど」 どういう意味か聞こうとしたところで扉が開き、成也は先に降りて振り返る。「先生、途中まで送ってくよ。ここら辺治安良くないし、先生くらい可愛かったら、スカウトマンが繁華街出てまでスカウトしに来そうだからさ」「送ってくれるのはありがたいですけど、あんまりからかわないでください」「本当のことしか言ってないんだけどなぁ」 お世辞だと分かっていても、男性に口説かれ慣れていない千夏は、つい照れてしまう。彼女が頬を染めると、成也はいたずらっぽく笑って歩き出す。千夏はそんな成也の隣を歩く。「ところで先生の家ってこっから近いの? 駅に行けばいい? それともタクシーつかまえる?」「駅まででお願いします」「OK。ところでこれからどうすんの? 浮気の証拠が偽物だって分かったのはいいけどさ、亮子さんはそこまでして離婚したがってたんでしょ? 俺が亮子さんだったら、もうとっくに離婚してるなーって思うくらいに酷いしさ。てか、証拠捏造の罪で捕まったりしないの? あのふたり」 成也の質問に、千夏は小さく唸る。「そうですね、勉強のために色々話してみましょうか。まずは写真ですが、あの中で証拠になりやすいのはラブホテルに入る写真だけでした。ラブホテルから出る写真がなかったので、正直証拠としては
last updateLast Updated : 2026-06-02
Read more

36話

「貴重な話をありがとう、先生。俺は買い物してから帰るからまたね」 そう言って成也は小さく手を振り、駅を背にして歩き出した。「意外と親切ね」 彼の背を見ながらつぶやき、千夏はハッとする。あんなにクビにしてもらうことを考えていたというのに、いつの間にか成也の意見を尊重し、行動していることに今更ながら驚く。成也を事務所で見つけたばかりの自分が、調査のためとはいえ、彼と一緒にラブホテルに行ったなんて知ったら、卒倒するに違いない。「不思議な人……」 千夏は成也が人混みに紛れて見えなくなると、駅に入って電車を待った。 翌朝、いつもどおりに起きて簡単な朝食を食べた千夏は、制汗剤を念入りに使ってからいつものスーツに着替える。電車に揺られ、汗を流しながら笹塚法律事務所に出勤する。「おはよ、先生」 昨日のように長袖のワイシャツに深緑のネクタイを締めた成也が、にこやかに出迎えてくれる。昨日と違い、金髪だった髪は黒に染まり、縁無しメガネをかけている。「おはようございます、末安さん。ちゃんと髪染めてきたんですね。メガネはどうしたんですか?」「パソコン業務は目が疲れるからね、PCメガネ買ってきたんだ。外暑かったでしょ? 麦茶持ってくるね」 成也が給湯室に入るのを見ると、千夏は自分のデスクに座る。向かいの机に真新しいビジネスバッグがあることから、そこが成也の席なのだろう。「おはよう、本条さん。昨夜は末安くんと行動してみてどうだったかね?」 幸男は給湯室から出てくるなり、千夏に聞く。口元に食べかすがついていることから、朝から甘いものを食べたようだ。きっと成也が入ってきたものだから口周りを拭く暇もなかったのだろう。「おはようございます、所長。そうですね、肝を冷やすこともありますが、着眼点がいいですよ」「そんなに褒められると照れちゃうなぁ」 成也はトレーに3人分の麦茶とクッキーを持ってきながら、ニヤリと笑う。「ただし! 敬語を使わない、でしゃばり過ぎるっていう大きな欠点がふたつもありますけどね!」 千夏が付け足すと、成也はクスクス笑いながら彼女の前に麦茶とクッキーを置く。小皿にのったクッキーは4枚あるが、1皿だけ2枚しかない。「所長はさっきつまみ食いしてたから少ないですよ。あと、口周りについてるんで拭いてくださいね」 成也が麦茶とクッキーを置きながら言うと、幸
last updateLast Updated : 2026-06-02
Read more

37話

「そうだ、先生。岸本さんに連絡すんの?」「えぇ、もちろんです。奥さんの亮子さんが証拠を偽装してまで離婚したいのなら、家庭裁判になりそうですね」「偽装? どういうことかね?」 幸男は麦茶でクッキーを流し込むと、小さな目を鋭くさせた。千夏は昨日の調査で分かったことを、簡潔に伝える。もちろん、ラブホテルに行ったことは伏せて。「なるほど、少々複雑ではあるが、本条さんならどうにかなるだろう。このまま任せるが、何かあったらすぐに相談するように」「はい」 千夏が力強く返事をすると、幸男は満足げに頷き、小皿に手を伸ばす。カスしかのっていない小皿を見て、幸男は肩を落とした。 10時になると、千夏は浩二に電話をかけた。彼からはいつでもかけてきていいと言われているが、できるだけ仕事の邪魔をしたくない千夏は休憩時間にかけるようにしている。『はい、岸本です』「弁護士の本条です。直接お話したいことがあるので、お時間をいただきたいのですが……」『もう何か分かったんですね! 時間を作りますので、あとでショートメール送ります!』 浩二は弾んだ声で言うと、一方的に電話を切ってしまった。「あぁ、もう……」「どうしたの?」 頭を抱えていると、成也がにこにこしながら聞いてくる。その顔はまるで完璧主義者の教師がやらかしたのを見る生徒のようだ。「岸本さん、絶対いい話だって勘違いしてます……。時間が取れ次第ショートメールで知らせてくるそうですが、どう説明したらいいものか……」「そのまま伝えたらいいじゃん」「証拠の写真は偽物で、奥様は偽物を用意するほどあなたと離婚したがっていますって? そんなの言いづらいですよ……」「でも、言うしかないでしょ?」 成也の言っていることは正しい。どんなに言いづらい内容でも、依頼人に言わなければならない。千夏は盛大なため息をつき、がっくりと肩を落とした。 浩二から連絡が来たのは、昼過ぎのこと。15時過ぎに病院の近くにあるファミレスで話をしたいという。千夏は了承のメールを送ると、出前のざる蕎麦を啜っている成也に顔を向ける。「末安さん、3時前になったら出かけますよ。昨日行ったファミレスです」「ん」 成也はそばをくわえたまま頷き、千夏はそんな彼に呆れ返りながら、コンビニで買ってきたサンドイッチにかぶりつく。
last updateLast Updated : 2026-06-02
Read more

38話

 14時45分、千夏は成也を連れてファミレスへ向かった。外は相変わらずうだるような暑さで、額の汗を拭いながら懸命に歩く。「先生! もう来てくれたんですね」 ファミレスの近くで、浩二が嬉しそうに声をかけてくる。どういうわけか、亮子も一緒だ。彼女は千夏を見るなり、不安げな顔をしてハンドバッグを握り直した。その様子を見て、千夏は奈津子が何か話したのかもしれないと思った。「見舞いの帰りなんですよ。妻にも話を聞いてもらおうと思って、一緒に来てもらったんです」 浩二の希望で輝く笑顔を見るだけで、胃がムカムカする。(覚悟を決めなさい、本条千夏。弁護士なんだからこの程度のことで動揺してはダメ) 千夏は自分に言い聞かせると、笑顔をふたりに向けた。「そうだったんですね。外は暑いですし、さっそく中でお話しましょうか」「先生、僕は急用があるのでこれで失礼します」「えっ!?」 成也は胡散臭い笑顔で言うと、一礼してその場から去っていった。途端に心細くなってしまう。「すいません、勝手な助手で。気を取り直してお話しましょうか」 千夏は崩れた笑顔を再構築すると、岸本夫妻と共にファミレスに入った。1番奥の席に座ってドリンクバーだけを頼むと、ウエイトレスはあからさまに嫌な顔をして厨房へ戻る。3人はそれぞれ冷たい飲み物を取ると、千夏はひとりで、岸本夫妻は亮子を廊下側にして並んで座った。「それで、お話というのはなんですか?」 千夏は期待で目を輝かせる浩二の前に、例の写真をすべて並べる。「調査の結果、こちらの写真は偽物でした。偽装したのは、秘書の河合奈津子さんです」「そんな! どうして河合さんがそんなことを……」「奥様の亮子さんに頼まれたからです。そうですよね? 亮子さん」 千夏と浩二の視線が、亮子に集中する。彼女の顔色は一気に悪くなり、あたふたし始める。「そんな、私、私……!」「亮子が!? どうしてそんなことを……」「ご、ごめんなさい、ちょっとトイレに行かせてください!」 亮子はレースがついたハンカチを取り出すと、口元をおおいながらトイレに駆け込んだ。「何がどうなってるんだ……」 浩二はテーブルに肘を立て、頭を抱える。
last updateLast Updated : 2026-06-02
Read more

39話

 楓の病室では、彼女に繋がれた機械達の音が、嫌に大きく、規則正しく響く。引き戸が開き、亮子が入ってくる。似合わない化粧が施された地味な顔は、憎悪で歪んでいる。 楓はハンドバッグから果物ナイフを出し、鞘をゴミ箱に投げ捨てた。「あんたさえいなければ……」 地獄の底から響くような声は、大人しそうな彼女が出したものとは思えぬほどおぞましい。 その頃、気まずい空気の中、千夏はそわそわし続けている。亮子がトイレに行ったっきり戻ってこない。目の前には絶望している浩二が頭を抱えている。 亮子がトイレに行った後、千夏は奈津子から聞いたことを浩二に話した。奈津子がホスト狂いだったことは伏せ、金に困っていたとぼかしながら。 浩二はよっぽど信じたくないのか、千夏がついさっき言ったことを繰り返し質問していたため、かなり時間がかかってしまったというのに、亮子が戻ってくる気配がない。「私、奥様の様子を見てきますね」 気まずい空気に耐えられなくなった千夏が立ち上がるのと同時に、電話が鳴った。ディスプレイを見ると”末安さん”という文字が表示される。勝手にいなくなったことへの怒りが再びこみ上げ、ファミレスにいるというのを忘れて電話に出る。『離して!』 文句を言おうとしたが、電話の向こうで聞こえた女の声に言葉が詰まった。『暴れないでよ! もしもし先生!? はやく病院来てくんない? 楓さんの病室!』 成也は早口で言うと、電話を切ってしまった。千夏は呆然とディスプレイを見つめる。「どうしたんですか?」 電話に出たのに無言で終わった千夏を不審に思った浩二は、訝しげな顔をして聞く。(もしかして、さっきの女性は亮子さん!?)「岸本さん、急いで病院行きますよ! 楓さんが危ないんです!」「なんだって!?」 ふたりは急いでファミレスから出ようとする。千夏はレジに伝票と千円札を叩きつけた。「すいません、お釣り大丈夫です!」 気が急いているせいか、浩二は足をもつれさせながらアスファルトの上を不器用に走る。
last updateLast Updated : 2026-06-02
Read more

40話

「先生、いったい楓に何があったっていうんですか?」「詳しいことは分かりませんが、亮子さんがいます。亮子さんはきっと、楓さんに嫉妬してるんです!」「私のせいだ!」 浩二はそう叫ぶと、速度を上げる。千夏も速度をあげようとするが、高校時代に帰宅部だった彼女は、そんな運動神経は持ち合わせていない。それでも1秒でもはやく病室に着くよう、懸命に足を動かした。 受付なんてする暇もなく、医療関係者達に注意されながら楓の病室に駆け込む浩二。一足遅れて千夏も病室に駆け込んだ。「やめろ!」 浩二の怒声に俯きかけた顔を上げると、手から血を流した成也と汗だくの浩二が、亮子から果物ナイフを取り上げようとしている。浩二が高く上げられた亮子の両腕を掴んで下ろすと、成也がその手に握られていた果物ナイフを取り上げる。「うっ、うぅ……」 凶器を失った途端、亮子は両手で顔を覆い、その場に座り込んだ。「何考えてるんだ! 末安さんに怪我までさせて! 自分が何をしたのか分かってるのか!?」「あなただけには言われたくない! 私を蔑ろにしたあなただけには……!」 亮子は血走った目で浩二を睨みつける。「蔑ろ? 私がいつお前を蔑ろにしたっていうんだ! 半年に1度はお前が行きたいところに旅行に行ったし、月に1回日帰りで行ったろう! それだけじゃない。なんにもない日にだって、花や宝石やら化粧品を」「それは私のためじゃないでしょ!?」 浩二の言葉を、亮子の泣き濡れた声が遮った。彼女が言い返して来るのが予想外だったのか、たじろぐ浩二。「あなた、私の名前最後に呼んだのいつか覚えてる? いっつもお前、おい、なぁ、って……。私の名前を最後に呼んだのは、結婚する前。結婚してからはずーっとお前だのおいだのって。旅行した? 贈り物した? 笑わせないで! あれは私にじゃなくて、そこの女に贈られたものだった。旅行先でも、楓に見せてやりたい、食べさせてやりたい。贈り物贈るたびに、楓にも似合うだろうな、楓も好きそうだ。楓楓楓、楓ばっかり! 私は!? 私は誰なの? あなたの何なの!?」 ずっと溜め込んでいた亮子の怒りに、誰もが言葉を詰まらせる。
last updateLast Updated : 2026-06-02
Read more
PREV
123456
SCAN CODE TO READ ON APP
DMCA.com Protection Status