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All Chapters of Asymmetry: Chapter 41 - Chapter 50

51 Chapters

41話

「あなたが欲しかったのは、妻じゃない。そこの死にぞこないの面倒を見る家政婦。あなたは私のことを、何にも知らない……! 私はこんな派手な色好きじゃない! 真っ赤で派手な薔薇も、キラキラ輝く宝石も大ッキライ! だって、私に似合わないんだもの……。私が地味な女って思い知らせてくるんだもの……! こんなもの、こんなもの!」 亮子は身につけているイヤリングやネックレス、結婚指輪まで外して床に叩きつけた。「亮子、すまなかった……」 浩二は亮子をきつく抱きしめる。亮子は声を上げて泣きながら、浩二の肩を何度も叩く。「今更遅い、私は、私はあなたを許さないから……!」「許さなくていいから……」 浩二は亮子を更にきつく抱きしめ、背中をさすった。 この後騒ぎを聞きつけた看護師の通報によって警察が来て、亮子は殺人未遂や傷害罪で現行犯逮捕された。 腕を切りつけられた成也は、その場で治療してもらう。幸い浅い傷だったので、縫合など大事にならずに済んだ。 浩二もまだ混乱していることから、成也の治療が終わるとふたりは事務所に戻った。「末安さん、その腕はどうしたのかね?」「実は……」 成也の代わりに、千夏が今回の事件について話した。嫉妬に狂った亮子が楓を殺そうとしたこと、成也が先回りしてそれを止めたこと、そして、亮子の弁護を考えていることも。「なるほど、お手柄だったね、末安さん。明日は有給をあげるから、ゆっくり休みたまえ。本条さん、弁護を止める気はないが、決めるのは依頼人ですぞ」「ありがとうございます、ゆっくりさせてもらいます」「はい、分かっています」 幸男がそれぞれの顔を見ながら言うと、ふたりは大きく頷いた。 2日後、成也は何事もなかったかのように笑顔で出勤してきた。「所長、先生、おはようございます」「おはよう、末安さん。もう出勤してきて大丈夫なのかね? あと2,3日は休んでも構わなかったのだがね」「大丈夫ですよ、大した傷じゃないので」 心配する所長に、成也は笑ってみせる。「末安さん、今回はあなたのおかげで、取り返しのつかないことにならずに済みました。ありがとうございます。それと、ささやかですが、これをどうぞ」 千夏は青い包装紙と金色のリボンでラッピングされた包を成也に手渡す。「ありがとう、先生。早速開けていい?」「はい、開けてください」 千夏が頷
last updateLast Updated : 2026-06-02
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42話

 成也が笹塚法律事務所で働きだして2ヶ月、秋が見え隠れして過ごしやすくなってきた。 千夏と幸男は借金の過払い金問題を解決するのに勤しみ、成也はこども六法を読んで法律について学びながら、時折お茶を淹れたり掃除をしたりして過ごしている。 電話が鳴り、幸男が受話器を手に取る。「はい、こちら笹塚法律事務所です」 幸男は何度か頷き、一瞬顔をしかめると、了承の返事をして電話を切った。「本条さん、末安さん、今すぐ警察署の生活安全課へ行って欲しいんだが、いいかね?」「仕事ですね。どんな依頼だったんですか?」「高校3年生の少年が万引きしてしまったそうだよ。少し厄介な親御さんだから大変だと思うが、君なら大丈夫だろう」「厄介ってどういうことですか?」 今まで黙って勉強していた成也が、顔を上げた。「母親からの電話だったのだが、息子さえよければあとはどうでもいいというタイプだろうね。母親が大げさに言ったのでなければ、とても優秀な息子さんなのだから」「モンスターペアレントってやつですか……。分かりました、気をつけます」「助かるよ。少年の名前は常陰将馬《つねかげしょうま》くんというそうだ」「分かりました、行ってきます」 千夏はカバンを肩にかけると、事務所を出る。成也は本とノートを畳むと、本革手帳を持って千夏についていく。「優等生の万引きとかフィクションでしか聞いたことないよ。ベタに受験のストレスで参考書盗んじゃいました、とか言うのかな」 ニヤつきながら言う成也を横目で見ながら、千夏は呆れ返る。「仕事ですよ、真面目にしてください」「相変わらず堅苦しいなー、本条先生は」 まともに話しても無駄だと悟った千夏は、警察署まで黙々と歩いた。 警察署の受付に行くと、婦警の高坂美月が顔を上げる。清純アイドルのような愛らしい顔で千夏に微笑みかける。「本条先生、お久しぶりです。もしかして、生活安全課にご用事ですか?」「お久しぶりです、高坂さん。よく分かりましたね」「今生活安全課にとんでもないモンスターペアレントが来て、大変なことになってますからね……。ところでそちらの方は?」 美月は頬を染めながら成也を見る。「はじめまして、本条先生の助手兼雑用係の末安成也です」「まぁ、助手がつくなんて先生も出世しましたね」「出世なんかじゃなくて成り行きですよ。ではまた」 ふ
last updateLast Updated : 2026-06-03
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43話

「さっきの婦警さん可愛かったね。てか、知り合いっぽかったけど」「仕事でこうして何度も来てますからね。高坂さんのような女性がタイプなんですか? 向こうも末安さんのこと気になっているようですけど」「全然タイプじゃないよ。むしろ苦手かなー。あぁいう風にあからさまに好意的な目で見られるの、好きじゃないし」「いい加減にしてよね!」 千夏が言葉を返そうとすると、生活安全課からヒステリックな女性の叫び声が聞こえた。ふたりはげんなりした顔を見合わせると、早歩きで生活安全課に入った。「将馬は受験で忙しいんです! あなた達、税金だけじゃなくて将馬の時間まで泥棒するつもり!?」「母さん、落ち着いて」 厚化粧の中年女性が警官達に怒鳴り散らし、目を見張るほどの美少年がそれをなだめている。「すいません、常陰さんですか?」「あなたが弁護士なの? 若いし、おまけに女じゃないの。男なんか連れて歩いちゃって、アテになるのかしら?」 将馬の母親である由紀子は千夏の弁護士バッジと顔を見ると、鼻で笑った。(殴りたい……) 千夏は怒りを抑えて笑顔を作る。「女性弁護士はこの世に多く存在します。それと彼は助手です」「あっそ、そんなのどうでもいいわ。とっととこの石頭の警察達をどうにかしちゃってよ。それがあなたの仕事なんだから。将馬は受験勉強で忙しいの。こんなところでグズグズしてる暇はないんだから」(こいつ……!) 反省どころか、横暴な態度を取り続ける由紀子に腹を立てた千夏は、思わず彼女を睨みつけた。「万引きは犯罪です。犯罪を犯したのなら、罪を償わなければなりません。あなたの息子さんの被害者のためにも、息子さん自身のためにも」「人の息子を犯罪者呼ばわりするだなんて何考えてるのよ!?」 由紀子は厚塗りで白くなった顔を真っ赤にしながら、千夏の両肩を掴んだ。「母さんやめてよ! 弁護士さんの言うとおりだ。どんな理由があっても、僕がしちゃったことは犯罪なんだから。僕ひとりで大丈夫だから、母さんはどこか違うところで待ってて」 将馬は由紀子の腕を振りほどくと、千夏を守るように間に立った。成也は冷めた目でそれを見守る。
last updateLast Updated : 2026-06-03
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44話

「でも!」「母さん、帰ったらまた勉強するから。ね?」 将馬が幼子に言い聞かせるように言うと、由紀子は諦めたように微笑んだ。「将馬がそう言うなら、母さん受付で待ってるわ。あなた達、できるだけはやくに終わらせるのよ」 由紀子は猫なで声で将馬に言ったかと思えば、警官達と千夏を睨みつけて出ていった。「すいません、うちの母が」 将馬は申し訳なさそうに深々と頭を下げる。「いえ、いいんです。それより話を聞かせてもらいたいのですが」「でしたらこちらへどうぞ」 30代の警官は、4人掛けのテーブルを勧めた。千夏達は将馬と向き合う形で座る。別の若い警官が、千夏の前に資料を置く。「今日の13時32分、倉田書店で参考書を2冊万引きしたということで、間違いはありませんか?」「はい。気が動転して、つい……」 将馬はうつむき加減で、ポツポツ喋る。初犯でここまで反省しているのなら、少年院に送られることもないだろう。書類送検で終わり。弁護士の仕事もほとんど無いはずだ。「気が動転するような何かがあったんですか?」 千夏が質問をすると、将馬はすすり泣きをしだした。「友達が、死んだばかりで……。あの本屋さんには正孝とよく行ってたから、あそこにいるうちに色々思い出しちゃって、それで……」 将馬は顔を覆って嗚咽を上げる。「すいません、辛かったですよね」「ほら、お水飲んで」 千夏は将馬の隣に座って背中を擦り、中年婦警が水を持ってくる。「うぅ、ありがとうございます」 将馬は水を飲むと、涙を拭って千夏をまっすぐ見つめる。「僕、気がついたら本を持ったまま外に出ちゃったんです……」「そうだったんですね……。今日はもう帰って大丈夫ですよ。気持ちの整理が必要でしょうから。後日、ゆっくり話しましょう」「はい、分かりました」「連絡先を教えてもらってもいいですか? お母様の連絡先もお願いします」 千夏が手帳を開きながら言うと、将馬は自分と由紀子、家の電話番号を教えてくれた。「ありがとうございます、お気をつけて」「はい……、本当にすいませんでした」 将馬は深々と一礼してから、生活安全課を後にした。成也は相変わらず冷たい目で彼を見る。「もしかして、千夏か?」 名前を呼ばれて顔を上げると、明らかに歳下の警官が目を丸くして千夏を見下ろしている。「どちら様ですか?」 歳下の
last updateLast Updated : 2026-06-03
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45話

「泣いてません! それにしても驚いた。本当に警察官になったんだね」「へへっ、まぁな。ところでそっちは?」 弘泰は得意げになって鼻の下をこすると、成也を見る。成也は綺麗に微笑んでみせた。それは彼がよくする作り笑いとは全く違う、彼の顔を見慣れている千夏でさえ、思わず息を呑むほど綺麗な笑みだ。「はじめまして、本条先生の助手をしている末安成也と申します」「へぇ、助手ねぇ……。ていうか、お前の苗字って確か……」「色々あるの」「あ、悪い……。そうだったよな……」 千夏がピシャリと言うと、弘泰は気まずそうに目を逸した。「あ、そうだ。お前さっきの優等生の弁護、引き受けるのか?」「え? えぇ、そのつもりだけど」 急に真剣な顔をして話し出す弘泰に戸惑いながらも、千夏は頷く。「気をつけろよ。俺はここに異動してきてそんなに経ってないけど、それなりに経験は積んできた。あの優等生は何か隠してる。色々調べておけよ」「ご忠告ありがとう、そうする。じゃあね。行きましょう、末安さん」「はい、先生」 ふたりは生活安全課を後にした。 生活安全課から出て廊下を半分ほど歩いたところで、成也が立ち止まる。「あ、俺忘れ物しちゃった。先生先に事務所戻ってていいよ」 成也は千夏の返事も聞かずに踵を返した。千夏はそんな彼の背を訝しげな目で見つめる。「なんかわざとらしい……」 そうつぶやきながら、近くにあった長椅子に座って成也を待つことにした。「なんだったんだ、あの助手は……」 弘泰は苦虫を噛み潰したような顔をして、ドアをじっと見つめる。嫌味なほど綺麗な成也の笑顔が、頭から離れない。あの笑顔には何か意味があるに違いない。そう思えてならないのだ。 ドアが開き、先程帰ったはずの成也が入ってくるなり弘泰に向かって歩いてくる。弘泰は目を逸らしたい気持ちでいっぱいだったが、ここで逸しては負けな気がしてじっと成也を見た。「すいません、忘れ物をしてしまいまして」 成也は頭をかきながら、恥ずかしそうに笑う。例の笑みと違って親しみのある優しい笑みだ。「忘れ物?」「はい。あ、あった。これこれ」 成也は机の上に置いてある万年筆を手に取ると、安堵の表情を浮かべる。 若いわりには、いい万年筆を使っていると弘泰は思った。万年筆について詳しいわけではないが、安いものではないことくらいはなんとな
last updateLast Updated : 2026-06-03
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46話

「へぇ、万年筆なんて使ってるのか」「先生がプレゼントしてくれたんです。書き心地もいいから、気に入ってるんですよ。何より、本条千夏先生からのプレゼントですしね」 成也は万年筆を唇にあて、例の完璧な笑顔を見せた。その笑みで、弘泰は笑顔の意味と成也の気持ちを悟った。(あぁ、この笑顔は威嚇みたいなものか。んで、こいつも千夏が好きなんだな……) 手強そうなライバルの出現に、弘泰は顔をしかめる。「へぇ、千夏からのプレゼントか。どおりで安っぽいわけだ」 弘泰が精一杯の強がりを言った途端、成也は険しい表情に変わった。「あんたさ、本当に先生の同級生? 俺より年下に見えるけど」「なんだよ、急にデカい態度取りやがって」 氷のように冷たい声にゾッとするも、それを表に出さないように強気で言い返す。「俺先生より3つ下なんだけどさ、子供っぽすぎるよ、あんた」「うっせ、童顔なの気にしてんだからあんま言うな!」 コンプレックスの指摘を非難をすると、成也はうんざりするような、この場が重苦しくなるようなため息を吐いた。「顔もそうだけどさ、俺が言ってるのは中身のことね。鮫島さんさ、先生のこと好きでしょ?」「はぁっ!? ば、馬鹿じゃねーの! 俺が千夏のこと好きとか、あ、ありえねーからっ!」 図星を突かれ、ついどもってしまう。成也はそんな弘泰を見て、冷笑を浮かべる。「わっかりやすいなー。言っとくけど、そんな態度じゃ先生に嫌われるよ? 女の子のことをお前呼ばわりとか論外だから。じゃあね、童貞童顔くん」「んだとぉ!?」 顔を真っ赤にする弘泰を気にすることなく、成也はお騒がせしましたと言って生活安全課から出ていった。 廊下に出ると、千夏が長椅子に座って資料を読んでいる。真剣な顔で資料に目を通す千夏の姿に、成也の頬が緩む。「待っててくれたんだね、先生」「忘れ物はありましたか?」「うん、あったよ。この後どこ行く?」「常陰さんについてもっと知る必要があります。まずは被害にあった倉田書店へ行きましょう。その後は正孝くんという生徒について調べます」 千夏は資料を指先でなぞりながら、予定を話す。成也は隣に座り、資料をのぞき込んだ。資料には簡易的な地図も書かれており、学校と倉田書店の間には塾があった。その塾には将馬と正孝も通っていたようだ。
last updateLast Updated : 2026-06-03
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47話

「本屋の次は、学校の前に塾に行ったほうが良さそうだね」「そうですね、そのルートで行きましょうか」 千夏は資料をしまうと、成也と共に警察署を後にした。 倉田書店は警察署から歩いて15分のところにある。こじんまりした小さな木造建築で、”倉田書店”と書かれた手書きの看板がかけてある。店内に入ると客はまばらで、初老の男性が奥にあるレジカウンターの向こうで座っている。彼が店主の倉田栄作だろう。千夏達に気づくと、店主はゆっくり立ち上がってこちらへ来る。近くに来ると背が高く、175センチの成也とほとんど変わらない。「あなた方は……」「初めまして、笹塚法律事務所の本条千夏と申します。こちらは助手の末安さんです」「弁護人ねぇ……。あの盗人を無罪にしにきたってわけか」 千夏の自己紹介を聞くなり、栄作は軽蔑の目を彼女に向け、鼻で笑った。「いえ、違います。ちゃんと罪を償わせるために、彼がどんな犯罪をどんな風にしたのか聞きに来たんです」 成也は1歩前に出ると、真顔で栄作を見つめながら言う。すると栄作は品定めをするような目で、成也をじぃっと見据える。(ここは末安さんに任せたほうが良さそうね) 加害者の弁護士というと、被害者は栄作のように警戒して何も話さないことがよくある。千夏は彼らを説得するのが苦手で、どう言っていいのか未だに分かっていない。「へぇ、じゃあ例えばあのガキンチョが万引き以外にも犯罪をしてたって言ったら信じるのかい?」「すぐには信じません。調査をして証拠が出たら信じます。もし仮に、常陰くんが人を殺したというのなら、調査します。証拠が出たら信じるし、出なかったら骨折り損だったと笑うだけです」 挑発的に言う栄作に、成也は淡々と答える。栄作はそんな成也を再び見据えると、急に笑いだした。「はははっ、兄ちゃんなかなか肝が据わってるな。どれ、信じて話してみるとするかな。そこの姉ちゃんにも聞いとくが、あのガキンチョを無罪にする気はねえんだな?」「はい、もちろんです。罪を犯した者は裁かれなければいけません」 急に話を振られて驚いたが、千夏は力強く答える。それを見た栄作は満足げに何度も首を縦に振ると、参考書売り場に行って何冊か手に取って振り返る。
last updateLast Updated : 2026-06-03
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48話

「ついてきな」「はい」 栄作の案内で、母屋の居間へ行く。そこでは薄緑のエプロンをつけた30代の女性が、針仕事をしている。素朴な美を湛えた顔は、見ているだけで癒やされる。どうやらシャツのボタンをつけ直しているようで、手には真っ白なワイシャツが握られている。「お客様ですか。今お茶を淹れますね」「それならこの前彼岸でもらったお茶があったろう。それでいい。佳子さん、悪いが少し店番を頼むよ」「はい、分かりました」 佳子はにこやかに返事をすると裁縫箱に道具をしまい、丁寧にたたんだワイシャツと共に部屋の隅に置いた。千夏達に笑いかけると、台所へ行く。「綺麗な方ですね。息子さんの奥様ですか?」 成也が質問すると、栄作は目を細め、嬉しそうに何度も頷く。「あぁ、そうだ。器用で気立てが良くてね。不器用な息子にも、気難しい俺にも、勿体無い嫁だ」「あら、それこそ勿体無いお言葉ですよ」 戻ってきた佳子は、頬をほんのり染めながら言うと、ペットボトルの緑茶3本と茶菓子を置いて店へ出た。 栄作は緑茶をひと口飲んで咳払いをすると、真顔になってふたりの前に参考書を並べる。ほとんど東大対策の参考書で、1冊だけ高校受験の過去問集だ。他の参考書は2,3センチほどの厚さで表紙もシンプルだが、過去問集だけが、桁違いの厚さとカラフルな表紙で浮いている。「あのボンボンは、よくうちで参考書を買っていくんだ。主に、こんなのをな。ちなみにこの本は、あのボンボンが盗んでいったのと同じ本だ」 栄作は東大対策の参考書を指先で軽く叩いた。そして過去問集を見て複雑そうな顔をする。「そちらの過去問集は、常陰くんとどんな関係があるのですか? 調書のように優等生なら、必要ないように思えますが……」 千夏が遠慮がちに聞くと、栄作は苦虫を噛みつぶしたような顔をする。「あのガキンチョ、確か3ヶ月くらい前からだったか? 大人しそうな子を連れてくるようになったんだ。背がちっこくて、いつも俯いてたっけな。離れてるから何言ってたから知らねーが、馬鹿にしてるように見えたな。んで、半月前の木曜日、俺は病院に薬もらいに行ってていなかったんだが、あのガキンチョがこれ買って、おとなしい子の頭を叩いてたんだとよ」 栄作はイラ立ちを隠さず、過去問集の表紙を軽く叩いた。テレビすらついていないせいか、その音はいやに大きく聞こえ、千夏は
last updateLast Updated : 2026-06-03
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49話

「倉田さんがいなかったということは、当時はさっきの佳子さんが店番をしてたんですか?」「いや、せがれの俊二だ。その日は有給消化で休んでたからな、病院に行ってる時だけ店番を頼んだんだ。そうだ、証拠だってあるぞ」 栄作は立ち上がると、店からりんごのマークがついた黒いノートパソコンを持ってきた。栄作は気難しそうな顔をしてパソコンを操作する。「お、あった。これを見てくれ」 栄作がノートパソコンをふたりに向ける。参考書売り場の防犯カメラの映像だ。女子中学生を連れた父親が何冊か本を持って画面から消えるのと同時に、将馬と背の低い少年が参考書の前に来た。彼が正孝だろう。カメラに背を向けて顔は分からないが、将馬に怯えているのは不自然なほどの猫背から伝わってくる。『お前レベルのバカは中学生の過去問をやり直さないとダメ。今の学力じゃ大学受験の勉強しても分かんないだろうから、まずは基礎から始めないと。分かったか? おバカさん』 将馬は嘲笑いながら、分厚い過去問集で正孝の頭を何度も叩く。『いたっ、う、うん、そうだね……。これを買うよ』 正孝がビクビクしながら過去問集を受け取ろうとすると、今度は頬を叩き、押し付けるように手渡した。将馬が画面から消えるのとほぼ同時に、30代の男性が駆け寄ってくる。そこまで見ると栄作がパソコン画面を自分の方へ戻した。「なんて酷い……」「そういやこいつらが通ってる学校で、男子生徒がひとり死んだな。このチビじゃなきゃいいんだが……」 栄作はしかめっ面で画面を見つめる。『気をつけろよ。俺はここに異動してきてそんなに経ってないけど、それなりに経験は積んできた。あの優等生は何か隠してる。色々調べておけよ』「その話、詳しく聞かせてくれませんか?」 ふと弘泰の言葉を思い出し、千夏は前のめりになる。「いやぁ、詳しくって言っても、大したことは知らないぞ?」 栄作は千夏に少したじろぎながら言うと、咳払いをする。成也はそんな千夏を横目で見ながら、手帳を開いた。
last updateLast Updated : 2026-06-03
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50話

「俺が知ってるのは、3年生の男子生徒が何日か前に事故で死んだってだけだ。生徒の顔も名前も知らん。ついでにどんな事故かもな」「事故ですか……。ありがとうございます」「まぁ俺が聞いたのは噂だがな。しかしなんでわざわざそんなこと聞くんだ? その事故死と万引きが関係あるわけじゃあるまいし」 栄作が疑問を口にすると、ふたりは顔を見合わせ、千夏は緑茶をひと口飲んで口を湿らせた。「実は、亡くなったのはさっき映像で叩かれてた子かもしれないんです」「どういうことだ?」「常陰くんは親友の正孝くんが亡くなったショックで、万引きをしたと言っていました。この本屋にはふたりで何度も来たから色々思い出して、気づいたら本を持ったまま外へ出てしまったと」「へぇ。で、姉ちゃんはそれを信じるってのかい?」 栄作は挑発的な目で千夏を見る。今度はたじろぐことなく、首を横に振った。「信じるためにここへ来ましたが、証拠によっては信じません」「弁護士ってのは、無条件に信じて罪人を無実にするろくでもない連中だと思っていたが、考えを改めなきゃいけねーな」 栄作は優しい笑みを見せながら言うと、気持ちを切り替えるように短く息を吐いた。「どうもその話は嘘臭いな。俺が知ってるこのガキンチョは、そんな優男じゃねーよ。アイツに「勉強熱心だな」って声をかけたことがあるんだが、「今のうちに勉強しとかないと安定した将来はありませんから。自営業もいいだろうけど、埃まみれの本に囲まれて暮らすなんてまっぴらごめんですから」なんて言いやがったんだ。他でどう振る舞ってるのか知らんが、人間としては落第生だね、あれは」 当時のことを思い出したのか、栄作は緑茶をひと口飲んで舌打ちをする。「なるほど、確かに褒められた人間じゃありませんね。ところで、万引きした時の映像って見られますか?」 成也は顔を上げず、手帳に何か書き込みながら質問をする。「あぁ、本題はそっちだったな。ちょっと待ってろ」 栄作は再びパソコンを操作してふたりに画面を見せる。参考書売り場で落ち込んだ様子の将馬が本を2冊手に取ると、フラフラした足取りで画面から消える。画面が切り替わり、外から映した店の出入り口。本を抱えた将馬は絶望したような顔で店を出るが、追いかけてきた店主に腕を掴まれて店内へ引っ張られた。「うーん、一応行動と証言は一致してますね……」
last updateLast Updated : 2026-06-03
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