All Chapters of 娘より間男を選んだ妻へ、無職の俺が一条財閥の後継者だと知っても、もう遅い: Chapter 61 - Chapter 70

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泥船へ引きずり込まれる母

 数日後—— エリカ・パートナーズの社長室に、小刻みに震える足取りで桐島典子が足を踏み入れた。 彼女の手には使い古されたボストンバッグが一つ、大事そうに抱えられている。その中には、先祖代々の故郷の山林を悪徳ブローカーに買い叩かせて得た数十万円と、親戚中を騙して、かき集めた数百万円——彼女の人生に残された正真正銘の全財産が詰め込まれていた。「絵里香……約束通り、お金を持ってきたわよ。これで私も、また本物のセレブに戻れるのね?」 典子はすがりつくような目で、デスクの奥に座る娘を見つめた。 雨の夜に裏路地へ放り出された恨みなど既になかった。目の前にある「億万長者」という幻想のチケットを掴むためなら、彼女はすべてのプライドを捨てる覚悟だった。「ご苦労様、お母さん。さすがね」 絵里香はソファから立ち上がり、優雅な足取りで典子に近づくと、その手からボストンバッグをあっさりと受け取った。「ちょうど良かったわ。明日の調印式のパーティ代と、私が着るオートクチュールのドレス代として、今日どうしても動かせる現金が必要だったの」「ええ、ええ! あの一条隼人が私たちに土下座する日も近いわね! 明日のパーティ、私も最高の服を着ていくわ!」 典子は狂喜の笑みを浮かべ、歓喜の涙を流した。自分が娘の巨大なビジネスパートナーとして認められたのだという、至上の喜び。 しかし、絵里香はバッグの中身を確認すると、氷のように冷ややかな目で母親を見下ろした。「……何言ってるの? お母さんは来ちゃ駄目よ」「え……?」 典子の顔に張り付いていた笑顔が凍りついた。「言ったでしょ。私のブランドに前科者の母親が関わるなんて、イメージに傷がつくのよ。明日、私がサインさえすれば、白鷺銀行から何十億って本融資が振り込まれるんだから。そうしたら、このお金は百倍にして返してあげるわ。だから、それまでは今まで通り、その辺の安アパートで大人しく待ってて」 絵里香にとって、これは騙し取ったわけではない。「明日になれば何十倍にもして返せるのだから、今日だけ都合よく使わせてもらう」という、底なしの勘違いと傲慢な自己正当化だった。「そ、そんな……! 話が違うじゃない! 私を一人にしないで!」 典子は血相を変えて絵里香にすがりつこうとしたが、背後に控えていた屈強な警備員たちに両腕を掴まれ、強引に社長室のドア
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裏社会の防波堤と王の戦略転換

 一条本社ビル、最上階の会長執務室。 分厚い法律資料の束をタブレットに表示させながら、凜が眉間に深い皺を刻んで報告を上げていた。「兄さん。エリカ・パートナーズおよび黒川商会の不正融資に関して、一条法務部が金融庁と地検特捜部へ提出した告発状ですが……。昨夜、揃って『継続捜査』の名目で棚上げにされました」「棚上げ、か」 俺は執務机に頬杖をつき、モニターに映し出された関係図を眺めた。黒川龍臣を中心に伸びる線が、白鷺銀行の頭取、県警の元刑事部長、そして与党の大物議員の名前へと絡みついている。「金融庁の担当窓口は、県警の元刑事部長経由で圧力を受けたようです。地検の主任検事も、後援会を通じて例の議員から『慎重な判断』を求められたと。我が社の顧問弁護士団は、これ以上の追及は時間の無駄になると報告してきています」 凜の声には珍しく苛立ちが滲んでいた。証拠は既に揃っている。それでも法という枠組みの中では、黒川が長年かけて築き上げた癒着の壁が正攻法の一撃をことごとく弾き返してくる。「奴らは裏社会の金で、法という防波堤を買い取っているわけだ」 俺は呟きながら、資料の中の一枚——黒川龍臣から流れた献金の記録を指でなぞった。金額こそ改ざんされているが、資金の出所は一条の解析班がとうに掴んでいる。だが、それを表の場に出すルートそのものが、今は塞がれているのだ。「兄さん、いかがなさいますか。特捜部への働きかけを、さらに上の政治ルートから――」「やめておけ」 俺は短く遮った。「真正面から殴り合っても、買収されている以上、判定は覆らない。時間をかければかけるほど、奴らに証拠隠滅と逃走の猶予を与えるだけだ」 凜が息を呑んで俺を見る。「法で裁けないなら、別の裁き方をすればいい」 俺はタブレットの画面を切り替え、エリカ・パートナーズの経費申請システムへとアクセスした。先日の融資で転がり込んだ百億の残り、そして黒川商会から流れ込む裏金——愚者たちの懐に転がり込んだ金は、まだ十分すぎるほど残っている。「凜、経理監視班に伝えろ。エリカ・パートナーズの経費申請、今後は一切の制限をかけるな。承認速度も上げてやれ」「……えっ? しかし、あの会社の経費はすでに常軌を逸しています。このまま野放しにすれば」「野放しにするんだよ」 俺は口の端を持ち上げた。「法の網を掻い潜る術を持つ悪
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ビジネスクイーンの勘違い宣言

 数日後——都内の外資系高級ホテルで開催された、業界屈指の経済レセプションパーティー。 政財界の有力者や大手メディアの記者が集う華やかな会場の入り口で、絵里香は特注のオートクチュールドレスの裾を揺らし、無数のフラッシュを一身に浴びていた。「桐島社長! エリカ・パートナーズの急成長の秘訣をお聞かせください!」「『未来湾岸総合開発』のフェーズ2へも参入されるという噂は本当ですか!?」 記者のマイクが群がる中、絵里香は完璧な角度で微笑みを作った。 彼女の会社は実質的に不渡り寸前だったが、一条側の経費の承認により、口座には再び湯水のように使える金が溢れていると錯覚していた。黒川商会の裏工作も相まって、彼女の脳内では完全に「自分たちの実力で一条を屈服させた」というシナリオが完成している。「ええ、もちろん事実です。私たちの持つ不動産インフラがなければ、フェーズ2の巨大プロジェクトは一歩も進みません。新時代のビジネスの女王として、私が業界の頂点を牽引していく覚悟ですわ」 絵里香の豪語に記者たちはさらに色めき立つ。 その少し後方で、宝生樹はシャンパングラスを片手に、控えめながらも計算し尽くされた笑みを浮かべていた。(いいぞ、絵里香。もっと目立て。お前が注目を集めれば集めるほど、一条の報復も黒川の執着もすべてお前に向かう。俺が安全に資金を抜き取って逃亡するための最高の囮となってくれ) それぞれの欲望と打算が交錯する中、絵里香は得意げに会場内へと足を踏み入れた。 煌びやかなシャンデリアの下、招待客と談笑しながらフロアを歩いていた絵里香の足が止まった。 会場の最奥、最も格式高いVIPエリア。そこに深いネイビーのビスポーク・スーツを身に纏い、冷ややかな瞳で会場を見渡している男の姿があったからだ。 一条隼人—— そして、その斜め後ろには洗練されたドレス姿の凜が控えている。 絵里香の胸の奥で、歪んだ優越感が脈打った。 かつては自分の稼ぎに寄生するだけの無職のヒモだった男。それが一条のトップだと知った時は恐怖もしたが、今や一条の法的な攻撃は黒川の権力によって完全に無力化されていると思い込んでいる。 さらに、一条の社運を懸けた巨大プロジェクトの首根っこは、自分の会社が握っているのだ。(ここで完全に格付けをしてやるわ。私が上だと、メディアのカメラの前で思い知らせ
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裏で張り巡らされる「巨大なふるい」

 深夜、エリカ・パートナーズが入居するビルの最上階。誰もいなくなったフロアの奥、非常階段近くの空き部屋に、宝生樹は他人名義で借りた小型のサーバー機材を持ち込んでいた。 闇ブローカーを通じて調達したこの回線は、複数の海外プロキシを何重にも経由させてある。万が一のログ解析でも、発信元を辿ることは不可能なはずだ。 絵里香の湯水のような浪費のおかげで、経理の監視は完全に緩みきっている。今なら、会社名義の資産データをいくらでも自由に書き換えられる。「ここまで来れば、あとは一気に頂上まで駆け上がるだけだ」 樹はモニターに向かい、キーボードを叩く指を止めなかった。画面には、エリカ・パートナーズの資産残高を実際の数十倍に水増しした偽造財務データと、複数のペーパーカンパニーを経由させて捏造した『国際的信用実績』の証明書が次々と表示されている。 未来湾岸総合開発・フェーズ2の金融決済プラットフォーム—— その優先出資枠を得るための審査基準は、表向きは鉄壁のセキュリティで守られているように見える。だが樹は審査項目の穴を、もう全部洗い出してあった。 黒川から引き出した金、絵里香から搾り取った金。それらを元手に、樹はこの数週間、水面下で偽装工作を積み重ねてきた。 目的はもはや資金洗浄ではない。 フェーズ2そのものの優先出資者の座を騙し取り、開発利権の一部を自分個人の名義で確保した上で、絵里香にも黒川にも気づかれぬまま海外へ姿を消すことだ。 黒川商会の裏金融資を担保にした架空の海外資産、そして白鷺銀行の副頭取に偽造させた残高証明書。それらを幾重にも組み合わせた申請書類は、素人目にはもちろん、並みの監査部門の目でさえ見抜けないほど精巧に仕上がっていた。 実質五億円にも満たないエリカ・パートナーズの資産を、複数のペーパーカンパニーを経由させることで、帳簿上は三千億円規模の運用実績へと膨れ上がらせる—— 気が遠くなるような偽装の工程を、樹はこの数週間、寝る間も惜しんで組み立ててきたのだ。「絵里香、お前はいい踏み台だった。黒川さん、あなたも散々利用させてもらいましたよ」 樹は嘲笑を浮かべながら、最終確認のエンターキーを押し込んだ。 画面上に緑色の文字列が浮かび上がる。『データ抽出成功——フェーズ2優先出資枠 仮登録完了』「やった。やったぞ! これで俺は名実ともに一条
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狂笑の母と凍てつく裏切り

 京都市郊外、築五十年の木造アパート。 先祖代々の土地も、親戚中から搔き集めた金も、そのすべてを絵里香に差し出した桐島典子は、何もない四畳半の畳の上で一人、恍惚とした表情を浮かべていた。 数日前に受けた電話の記憶を録音でも再生するかのように一人で反芻しながら、典子は誰もいない部屋で独り言を漏らす。「明日には何十億もの融資が下りて、私にも百倍にして返してくれる……絵里香は確かにそう言ったわ」 追い払われた惨めさなど、もはや彼女の中には残っていない。娘の口から飛び出した「億万長者」という響きだけが、腐りきった脳裏に甘い蜜のようにこびりついていた。「ふふ……ふふふっ! 私はもう、あんな安アパートに用はないわ。すぐにでも、あの子の——結衣のおばあちゃんとして、堂々とペントハウスへ迎え入れられる身分になるんだから!」 裁判所が出した接近禁止命令のことなど、典子の頭からはすっかり抜け落ちていた。金さえ手にすれば、優秀な弁護士を雇い直し、どんな命令も覆せる——そんな根拠のない全能感だけが彼女を支配している。 典子は割れたスマートフォンで検索エンジンを開き、「祖父母 面会交流権 弁護士」と打ち込んだ。鮫島に見捨てられたことなど、都合よくすっかり忘れ去っている。「今度こそ、あの子の本当の祖母として堂々と胸を張ってやるわ。前科がどうとか、そんなの大金の前ではどうにでもなるのよ。一条隼人、覚悟しておきなさい」 さらに彼女は、地元の週刊誌に「孫との面会を不当に阻まれた哀れな祖母」として売り込む算段まで、ひとりで浮かれながら練り始めていた。金と権力さえあれば、世論すらも味方につけられると信じて疑わない。 割れた鏡に映る、やつれた自分の顔を見つめながら、典子は数週間前まで身につけていたハイブランドの服を思い出す。 あの生活がまた戻ってくる—— そう思うだけで、みすぼらしい四畳半の現実さえも輝いて見えた。 典子はスマートフォンを握りしめ、狂ったように笑い続けた。「これで私も本物のセレブの母親よ!」 その笑い声は誰もいないカビ臭い部屋の中に、いつまでも虚しく反響していた。               *** 同じ頃。エリカ・パートナーズの社長室では、ソファに深く腰掛け、シャンパングラスを片手にした絵里香がいた。 絵里香は通話履歴を眺めている。「本当に単純な母
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ビジネスクイーンの公開処刑

「皆様、ご注目ください! 我がエリカ・パートナーズは、一条グループが主導する『未来湾岸総合開発・フェーズ2』の金融決済プラットフォームへの初期参入を正式に勝ち取りました!」 都内の大型カンファレンスルーム。無数のカメラのフラッシュが焚かれる中、絵里香は特注の純白のドレスに身を包み、マイクを握りしめて高らかに宣言した。 一時的な口座凍結の解除と、樹が不正に構築した「仮登録」の画面を見ただけで、彼女は完全に「一条の審査を実力で突破した」と思い込んでいる。 数千億、数兆円が動くプロジェクトの核心に食い込んだという全能感。記者たちからの熱狂的な質問を浴びる彼女の脳内は、極上の麻薬を打たれたように痺れきっていた。「我が社が持つインフラ基盤がなければ、この国家規模のプロジェクトは成立しません。つまり、私たちがこの街の、いえ、世界のビジネスを牽引する新しい女王となるのです!」 大言壮語も甚だしいスピーチだが、事情を知らないメディアは『若き女性起業家の歴史的快挙』としてシャッターを切り続ける。 その時だった。 絵里香の視線が熱狂する記者たちの後方——会場の最後尾に立つ人影を捉えてピタリと止まった。 仕立ての良いダークスーツを纏い、感情の読み取れない瞳でステージを見据えている一条隼人。その斜め後ろには、相変わらず涼やかな顔をした凜が控えている。 一条が所有するこのカンファレンスセンターの視察、あるいは単なる偵察のつもりだろうか。絵里香の胸の奥で、どす黒く歪んだ優越感が激しく脈打った。(来たわね、隼人……! 私が一条から利権をもぎ取って、頂点に立つ瞬間を見せつけられる気分はどう?) 絵里香はマイクを持つ手に力を込め、あからさまな優越感の誇示を公衆の面前で容赦なく投げつけた。「ビジネスの世界は、血筋やコネだけで玉座に座った人間が勝てるほど甘くはありません。ましてや長年定職にも就かず、家で主夫ごっこをして他人に寄生していたような無能な人間と、私とは住む世界が違うのです」 実名は出さないものの、あからさまな一条新会長への当てこすりだ。会場の空気が一瞬ざわつくが、絵里香は意に介さず、勝ち誇った笑みを隼人へ向けて放った。「私はもうすぐ、本物のビジネスクイーンになります。実力のない敗者は、いずれ私の靴を舐めて許しを乞うことになるでしょう!」 カメラのフラッシュがさら
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白鷺銀行の暴走と不可視の網

 同じ頃、京都市内の高級料亭の奥深く、重厚な襖で閉ざされた密室。 白鷺銀行の副頭取は目の前に座る黒川龍臣の威圧感に耐えきれず、額から滝のような冷や汗を流していた。「追加の無担保融資ですか……!? し、しかし黒川会長、いくらなんでも、それは無茶です!」 副頭取は震える声で懇願した。「先日、エリカ・パートナーズ名義で百億円を通したばかりです。これ以上の巨額の資金を、しかも一条の監査の目がある中で動かせば、今度こそ金融庁が完全に動きます。私自身の首も……」 しかし、黒川は手元の猪口を傾け、冷え切った凄みのある声で言い放った。「金融庁が怖いのか? それとも、一条の若造が怖いのか?」「そ、それは……」「お前は忘れているようだな。お前が過去に、この黒川商会から、どれだけの裏金を受け取ってきたかを」 黒川の低いダミ声が、密室の空気を極限まで張り詰めさせる。「そのリストが一条の本部、あるいは地検特捜部に渡れば、お前は刑務所の冷たい飯を食うことになる。一条の目を盗んで、もう百億だけ引っ張れ。あの宝生樹が構築している資金洗浄ルートが完成する前に、奴らの手元にある一条の利権ごと、すべての資金をこちらで完全に掌握するための先行投資だ」 黒川の要求は狂気の沙汰だった。一条の巨大な利権を裏から完全に喰い尽くすため、銀行のシステムすらも私物化しようとしているのだ。「で、ですが……」「やれ。これは交渉ではない、命令だ」 黒川の背後に控える屈強な男たちが、無言で一歩前に出る。 完全な暴力による恐怖と過去の弱みを握られた絶望。完全に退路を断たれた副頭取は、ガタガタと震えながらノートパソコンを開き、自らの権限で白鷺銀行のシステムへとアクセスした。(もう終わりだ……。発覚すれば俺は終わりだ……!) だが、ここで黒川に逆らえば、命すら保証されない。 副頭取は恐怖で指を震わせながら、エリカ・パートナーズ名義の口座へ、さらに百億円の追加融資を実行するコマンドを打ち込んでいく。 そして目を固くつむり、震える指で『送金実行』のエンターキーを強く押し込んだ。 画面に『送金処理完了』の文字が浮かび上がる。 副頭取は深く息を吐き出し、虚脱したように項垂れた。               *** だが、彼らが一条の目を盗んで完全犯罪を成し遂げたと確信したその瞬間。 外界から
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国際物流の穴とエリートの偽装

 深夜。エリカ・パートナーズが入居するビルの最上階、誰もいない空き部屋。 宝生樹は暗闇の中で青白いモニターの光を浴びながら、歪な笑みを深めていた。「さて、ここからが本番だ」 彼は『フェーズ2』の金融決済プラットフォームへの仮登録を済ませただけでは満足していなかった。デジタル上の数字を動かすだけでは、いずれ国際的な金融監視網に引っかかるリスクがある。黒川商会の裏金と一条の利権を完全に洗浄し、己のものとするためには、実体を伴う架空の取引が必要不可欠だった。 樹が次に目をつけたのは、フェーズ2の中核を担う、もう一つの巨大システム——国際物流の管理ネットワークである。 彼はあらかじめ闇ルートで用意しておいた、「国際的なエリートコンサルタント」の精巧な偽造IDを用い、海外のペーパーカンパニーを経由して、一条の物流システムへと接続を試みた。「ダミーのコンテナ船に架空の積荷データを紐づけ、決済プラットフォームと連動させる。これで実体のない数百億の金が、合法的な国際取引として世界中を安全に駆け巡るというわけだ」 キーボードを叩く樹の指先が、喜悦に震える。 だが、彼は単なる強欲なだけの詐欺師ではなかった。数々の裏社会のシノギを渡り歩き、自らの手を汚してきた彼には、システムエンジニア顔負けの高度なハッキング技術と、獲物を嗅ぎ分ける野生の勘が備わっていた。「……おかしいな」 樹の指が、画面上を流れるトラフィックの経路データを前にしてピタリと止まる。 一条の強固なセキュリティ網の端に、意図的に開けられたような僅かな隙間——隼人が仕掛けていたダミーポートの存在に、彼は土壇場で気づいたのだ。「なるほど、あえて裏口を開けて誘い込もうという罠か。危ないところだった。だが……俺を舐めるなよ」 樹は即座に手元の暗号化ツールを起動し、自らの侵入ルートを複雑なアルゴリズムで何重にも偽装する。用意された罠を鮮やかに迂回し、一条のセキュリティ網の死角を突いて、別角度の正規ルートからシステム深部への侵入を開始した。               *** 同時刻。外界から完全に隔絶された、一条財閥ペントハウスの緊急対策室。 順調に罠にかかっていたはずの標的の動きを監視していたメインモニターが、突如として耳障りな警報音と共に、毒々しい赤色に染め上げられた。「会長! 異常事態です!」
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水面下の熾烈な電子戦

 耳障りな警告音が鳴り響く、一条財閥ペントハウスの緊急対策室。「会長! 危険です、これ以上は! サーバーを切断しなければ、マスター権限が完全に奪われます!」 サイバーチームのチーフが悲痛な叫びを上げる。 だが、部下を押しのけて自らメインコンソールに座った隼人の指先は滑らかに動き続けていた。「切断すれば、奴は尻尾を巻いて暗闇へ逃げ帰るだけだ。……引きずり込むんだよ、こちら側の深淵にな」 画面上に展開される無数の防衛プログラム。隼人はそれを強固な壁として構築するのではなく、あえて複雑な迷路として再構築していく。 相手のハッキングコードを解析し、その攻撃の矛先を本物のマスターコアから、一条が用意した完璧な仮想空間へと誘導するのだ。               *** 一方、エリカ・パートナーズの非常階段近くの空き部屋。 宝生樹は額から噴き出す汗を拭うことすら忘れ、血走った目でモニターを睨みつけていた。「くそっ、一条のセキュリティ、どうなってやがる……! 破っても破っても、新しい防壁が現れやがる!」 闇ブローカーから調達した小型サーバー機材が、限界近い熱を発して唸りを上げている。 だが、樹の指先もまた、常人離れした速度で暗号解読のコードを打ち込み続けていた。裏社会で数々の企業を食い物にしてきた彼には、システムエンジニアすら凌駕する執念と技術があった。「……そこだッ!」 数十回の試行錯誤の末、樹の視界に、強固な防壁のわずかな綻びが映った。「見つけたぞ……! 防壁の死角」 樹は狂喜の笑みを浮かべ、その隙間へ向けて一気にハッキングプログラムを流し込んだ。 彼が狙うのは単なる資金移動ではない。一条が構築した「金融決済」と「国際物流」のシステム権限そのものを乗っ取り、自分が未来永劫、裏社会の金を動かし続けるための『見えない支配者の座』だった。 何十層にも張り巡らされた暗号化プロトコルを、樹は執念とも呼べる集中力で次々と書き換えていく。彼が用意した偽装IDがシステムの中枢に深く根を下ろし、個人のダミー口座と一条のマスターサーバーが、一本の太い線で完全に連結された。「よし……通った! 一条のシステム中枢に食い込んだぞ!」 樹は暗い部屋の中で、勝利を確信して歓喜の声を漏らした。              ***「……かかりましたね、兄さん」 
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迫り来る狂気と三流週刊誌

 京都市外れにある、カビ臭い四畳半の木造アパート。 桐島典子は、ひび割れたスマートフォンの画面を血走った目で見つめ、ガタガタと歯を鳴らしていた。「……絵里香。私のお金……返して……」 何度電話をかけても、『おかけになった電話番号は現在使われておりません』という感情のないアナウンスが繰り返されるだけだ。娘の絵里香から着信拒否されただけでなく、番号すら変えられたのだと悟る。 先祖代々の土地を売り払い、親戚を騙して、かき集めた数千万円の全財産。それを丸ごと吸い上げられた挙句、再び自分はゴミとして捨てられたのだ。 怒りと絶望で典子は畳を力強く掻き毟る。爪の間から血が滲んでも痛みすら感じない。「許さない……許さないわよ、一条隼人! お前が絵里香を追い詰めるから、私がこんな目に遭うのよ!」 彼女の歪んだ認知では、すべての元凶は隼人だった。自分がヤクザに追われ、娘に裏切られたのも、すべては隼人が一条の権力を笠に着て復讐しているからだと思い込んでいる。 彼から結衣を奪い返し、巨額の慰謝料をふんだくるしか道はない。だが、幼稚園もペントハウスも一条の鉄壁の警備に守られ、一歩近づくだけで警察に突き出される。「金……権力……そうよ、世間を味方につければいいのよ!」 狂気に駆られた典子は手元のスマートフォンで、ある連絡先を検索し始めた。               *** 数時間後、繁華街の裏路地にある薄暗い喫茶店。 典子の向かいに座るのは、ゴシップ記事を専門とする三流週刊誌『月刊真実』のフリー記者、荒木だった。だらしないスーツに身を包み、下卑た笑みを浮かべている。「つまり、一条グループの新しい若き会長が、権力を振りかざして元妻から親権を奪い、おばあちゃんである、あなたから孫を引き離したと?」「ええ、その通りよ! あいつは無職のヒモを装って娘を騙し、精神的な虐待で追い詰めたの! 結衣は母親と私を泣いて求めているのに、ヤクザみたいな警備員を使って私たちを暴力で排除するのよ!」 典子は嘘の涙を流し、持参したハンカチで目頭を押さえた。嘘に嘘を重ね、自らを「巨大な権力に蹂躙される可哀想な被害者」に仕立て上げる。 荒木は手元のボイスレコーダーを回しながら、心の中で舌舐めずりをした。 一条グループの新会長は就任したばかりで、その素性は謎に包まれている。もし「新会長の
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