差し出された杯に手を伸ばしかけて、私は指先を止めた。 離宮の朝は穏やかだった。窓の外では庭師が冬薔薇の枝を整え、遠くの回廊を歩く侍女たちの衣擦れが、扉越しにかすかに聞こえる。何も起きていない日の音だった。けれど、銀の茶壺から注がれた琥珀色の茶と、甘く温かい香りが鼻先に届いた瞬間、指が動かなくなった。 私は杯ではなく、卓の木目を見た。離宮の朝食室の卓だ。白い温室にあった冷たい大理石ではない。「お嬢様」 静かな声に顔を上げると、エレーヌが湯気の立つ杯を少しだけ遠ざけていた。代わりに、冷ました白湯の杯を私の前へ置く。以前なら、その先回りを怪しいと思ったかもしれない。私の顔色を見すぎている、私室の近くにいすぎる、と。 今は違った。 盆を置いたあとも、エレーヌは窓の外と扉の位置を一度ずつ確かめた。その視線の動きには無駄がない。けれど、それを恐れる必要はもうなかった。「ありがとう、エレーヌ」「香りの強いものは、しばらく控えます」「ええ。お願い」 エレーヌは深く尋ねなかった。茶の香りで王太子の温室を思い出したのか、と言葉にして確かめようとはしない。ただ、次に私が手を伸ばしやすい位置へ杯を置き直す。その沈黙が、今はありがたかった。 今日は、アウルが選んだ淡い青のドレスを着ている。白ではない。胸元には過度な飾りもなく、袖口には銀糸が控えめに縫い込まれているだけだった。鏡の前に立った時、エレーヌはいつも通り裾を整え、私はようやく、自分の服を着ているのだと思えた。 扉の外で足音が止まる。 エレーヌが視線だけを動かし、私の後ろへ控えた。以前と同じ侍女の位置だったが、今はその背中が少し頼もしい。「入っても?」 扉越しの声に、私の指先から余計な力が抜けた。「どうぞ」 入ってきたアウルは、私を見るなり少しだけ目を細めた。今日の彼の上衣は、私のドレスより少し濃い青だった。近づいた彼が何も言わず袖口の銀糸を見たので、私はそれが偶然ではないと知った。「似合う」 短い言葉だった。けれど、王宮から帰った日の約束を、彼が覚えていたことはそれだけで分かった。「あなたが選んだ色だもの」「なら、俺の目は悪くないな」 いつもの軽口の形をしていたが、声には無理があった。アウルの視線は私の顔を見たあと、茶器の位置へ移る。温かな茶ではなく白湯を選んでいることに気づいたのだろ
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