灰になった令嬢は宿敵の腕の中で牙を剥く のすべてのチャプター: チャプター 11 - チャプター 20

50 チャプター

11話 冷たい指輪

そう私が告げると九条征哉の瞳がギラっと光る。「あなたは利用されたんです。一ノ瀬家にも、そして一ノ瀬の家と婚約を結んでいた高橋家にも。そしてこれが一番、重要ですが」そこで言葉を切り、言う。「あなたの想像も出来ないような連中にも、あなたは捨て駒として使われ、捨てられた」九条征哉の組んでいる手が、力がこもってその指先が白くなっている。「やり返したいとは思いませんか?」私がそう言うと、九条征哉はパッと手を離し、言う。「続けろ」そう言われて私は短く息をつく。(上々よ、美緒)心の中で自分を励まし、続ける。「今の私には何もありません。九条征哉様も既にご存知の通り、私は公的に葬られた身です」そう言いながら私は視線を下げる。そうだ、私には何も無い。差し出せるものといえば、それはたった一つ……。「ですから私が九条征哉様に差し出せるのはこの身、一つです」そう言って九条征哉を見る。ここで笑い飛ばされたら、それはもう仕方ない。けれど私は一ノ瀬家の娘、敵対している家の内部情報を持っている。けれど手の内を全て明かすのは賢明じゃない。だからこその提案だった。この男がどう私を見ているのか、私にどんな価値があると判断するのか。「一ノ瀬美緒、あなたは自分の身をこの俺に捧げ、何を得ようと?」そう聞かれ、私は言う。「一ノ瀬家に復讐を……私は一ノ瀬家を完全に潰したい」短くそう言うと、九条征哉は少し考え、そして私を見て微笑む。「……面白い」そう言われて私はホッとする。だからなのか、体の力が抜けて行く。「だが」そういう九条征哉の声に体が強張る。「こちら側からも条件がある」そう言われて私は身を固くしたまま、聞く。「何でしょうか」そう聞くとふっと九条征哉が笑い、言う。「一ノ瀬家に復讐するのは構わない。それに関しては手を貸そう。俺も利用されたままで終わるのは本意では無いからな」そう言って九条征哉が身を乗り出す。「復讐が終わるまで、一ノ瀬美緒、あなたの身も心も俺に捧げて貰う。それでどうだ?」そう言われて私は少し驚く。(身も、心も……?)九条征哉は笑いながら言う。「ただ復讐するだけではつまらないだろう? 俺にとっては一ノ瀬美緒、あなたが居なくても復讐は完遂出来るんだ」そう言って九条征哉は懐から何かを取り出し、それをテーブルに置く。「俺としては一ノ瀬美
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12話 熱

「医者を呼べ! すぐにだ!」気を失った一ノ瀬美緒を腕に抱き、俺は叫んだ。一ノ瀬美緒を抱き上げて、初めて分かる。異常な程に体が軽い、そして異常な程に体が熱い。「熱だ! 熱が高い……部屋の準備を!」俺はそう言って一ノ瀬美緒を抱えて応接室を出る。彼女はどうしてこんなにも軽く、そしてこんなにも熱が出ているんだ……。部屋のベッドに寝かせて、俺は叫ぶ。「早く医者を呼ぶんだ! 急げ!」◇◇◇冷たい感覚がして目を覚める。見れば私はベッドに寝かされていた。医師らしき人物が私の身体に聴診器を当てている。「目が覚めたようですね」聴診器を当てるのを止めた、その人物が心配そうに私を見て聞く。「恐らくは雨に当たったせいだと思われますが……他に何か心当たりはありますか?」そう聞かれて私は苦笑する。思い当たる事ばかりだからだ。そして私は寝かされた布団の中で自分の身体に触れ、診察されたのが上半身だけだと確認する。(良かった……あの事は知られていないようね……)一瞬で色々な事に考えを巡らせて、私は言う。「あの、私、今……」医師に告げると医師は微笑み、頷く。「そうでしたか、それなら体を冷やさないようにしないといけませんね」医師が部屋を出て行く。私はホッと息をつき、それでも高く上がっている熱を感じる。何か熱を下げるものが欲しいけれど、ここは九条家だ。ここに居る全員が私を良く思っていないだろうし、私にとってはここは敵陣でもある。(警戒は怠らないようにしないと……)そう思って寝返りを打つ。不意に部屋のドアが開いて、誰かが部屋に入って来たようだった。「失礼致します」声の主は女性。私はその声に振り返る。そこに立っていたのは、いかにもメイドです、といった格好の女性。私よりも若干、年上だろうか。「私は九条家のメイドたちを総括している多田久美子と申します」そう言われて私は寝返りを打ち、多田さんを見る。「征哉様に申し付かりまして、お世話をさせて頂きます」そう言われて私は言ってみる。「熱が高いんです、なので何か冷たいものを……」そう言うと多田さんは表情一つ変えずに小さく頭を下げる。何も言わずに出て行き、すぐに戻って来る。その手には氷枕があった。「どうぞ」そう言って氷枕を渡される。その態度と言葉を見て、私は察する。(やっぱり歓迎はされていないようね……)気を引き
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13話 反感

頭を下げた私のすぐ横を通り過ぎる征哉様。あの一瞬に私を貫いた“殺気”に私は驚き、そして察した。征哉様は契約相手だとそう仰ったけれど、あの女は既に征哉様のお心を射止めているんだわ。私が頭を上げたその瞬間、日下部さんが私を一瞥する。「どういう理由でお前がそうしたのかは聞かないが、あのお部屋にいらっしゃる方は、お前なんかが何かを考えて対応して良い方では無いんだ、そこを履き違えるなよ」日下部さんはそう言い捨てると、征哉様を追いかけて部屋を出て行く。「では、私はこれで」そう言って医師が退室しようと歩き出し、そしてドアの前で立ち止まり、言う。「あぁ、そうでした。こちらがお薬です」そう言って持っていたカバンから薬を出す。それを受け取ると医師が言う。「私には良く分かりませんが、長くこの九条家と付き合いのある私でもあなたの対応は間違いだったと分かります。ご自分の意志など、捨てた方が身の為ですよ」そう言って医師は微笑み、部屋を出て行く。渡された真っ白な紙の袋を持ったまま、私は立ち尽くした。私・多田久美子はこの九条家に長く勤めている。代々この九条家にお仕えする事が与えられた使命だと思って来たし、今まではずっとこのお屋敷の中で仕事に邁進し、征哉様からも一定の評価も頂いていると自負して来た。このお屋敷の中で仕事するメイドたちを統括し、適材適所で仕事を割り振り、このお屋敷の中の事は全て把握している。だから、私は油断したのだ。先刻、この屋敷に入り込んで来た、あの女 ――あの女は清掃員の格好をしていて、びしょ濡れだった。雨に打たれたまま、この屋敷にやって来たのだろう。何だか血の匂いをさせていて、私は酷くそれを嫌悪した。まさしく全てが美しく統制されたこのお屋敷に入り込んだネズミのように、あの女は異分子だと思ったのだ。征哉様に近付く、そこら辺の小汚い女だと判断した。だから征哉様自らがあの女を抱きかかえ、部屋に入れ、ベッドに運び、医師を呼んだ事に驚きはしたけれど、それは征哉様が女性を放って置けない、お優しい性格だからだと思った。あの女は医師の診察を受け、あの豪華なお部屋のベッドに我が物顔で寝転がり、このお屋敷を取り仕切っている私に言ったのだ。何か冷やすものを持って来い、と。私の中で判断が鈍った ――それはあの女を見下していたから、というのもあるけれど。それよりも何
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14話 氷の契約書

薄っすらと目を開ける。日の光が差し込んでいる。重たい身体、沈み込んで行く意識……。優しく私に触れる誰かの手……触れられた箇所が熱を帯びる……。夢うつつでもここがどこかは分かる。起きなさい、美緒。目を覚ますのよ。自分にそう言い聞かせて私は目を開ける。視界に入って来たのは豪奢な天蓋の装飾。日の光は柔らかく部屋に注ぎ込むようにカーテンで調節されている。「目が覚めたか?」急に声がして私は声の方を見る。そこには九条征哉が居る。九条征哉はベッドのすぐ横に置いてあった椅子に座っていて、まるで一晩中、私を監視でもしていたかのようだ。私が重たい身体を起こそうとすると、九条征哉が立ち上がり、私に手を伸ばし、私を起こす。そのまま私の額に触れ、言う。「ん……粗方、熱は下がったようだが、まだ少し熱があるな」微熱が続くのは私が堕胎手術を受けて、まとも休んでいないからだ。「今は休め」そう言って九条征哉は私に顔を近付ける。「復讐、するんだろう?」そう言われて私は真っ直ぐ九条征哉の瞳を見つめ返す。「えぇ」そう言った私の声が掠れている。九条征哉はそれを聞いてクスっと笑うと、私から離れ、言う。「食べたいもの、飲みたいもの、必要なもの、何でも言うと良い」そう言って九条征哉はベッドヘッドへ手を伸ばす。そこに置かれていたのは昨日の夜、私の前に提示されたあの小箱だ。小箱を手に取った九条征哉は小箱を開けると、その中から指輪を出し、パコンと小箱を閉めると、私の居るベッドに腰掛けて、私に手を差し出す。(私、自ら手を出せ、という事ね)そう思い、私は左手を差し出す。九条征哉は何も言わずに私の左手薬指にその指輪をくぐらせる。そして私の左手の甲に口付けて言う。「まだ契約書を交わしていなかったな」そう言われて私は下を向く。昨日、私が倒れてしまったからだ。九条征哉は私の顎に手を添えて、私の顔を上げさせる。「俺を見ろ」そう言われて九条征哉を見る。その瞳には強い光が宿っている。九条征哉は私から視線を逸らさず、片手を上げる。そこに昨日の九条征哉の部下である日下部という男が一枚の紙を置く。九条征哉はその紙を私に見せる。「契約書だ」そう言われてその紙を見る。九条征哉は私にその紙を渡し、立ち上がる。「第一条、第一項、一ノ瀬美緒、あなたはこの俺、九条征哉と正式に婚姻を結ぶ事とする」九条征哉が
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15話 四面楚歌

そう言われて私は声を上げる。「見直し?」そう聞くと九条征哉が微笑む。「あぁ、そうだ」そう言って九条征哉は私に近付き、言う。「第一条、第一項にあるだろう? 正式に婚姻を結ぶ事とする、と」九条征哉はベッドに腰掛け、私に手を伸ばし、私の頬に触れる。「お前は昨日の夜、俺の元に来た。その時から覚悟はして来たんだろう?」そう言われて俯く。「第二項、君からの契約破棄や、離婚の申し立ては永久に認めない」そう言いながら九条征哉は私の頬に口付ける。ドクンと体が熱をはらむ。心臓が鼓動を早める。ふっと九条征哉が離れ、立ち上がる。「血判を押せ。それ以外は認めない」そう言うと日下部という男が何かを持って来て九条征哉に渡す、九条征哉は胸元からペンを取り出し、私に渡す。サインするしか無い。私はその契約書にサインし、ペンを返す。九条征哉が日下部という男から渡された何かを私に見せる。それは小さな針のついたケースのようなもの。左手の親指をその中へ入れる。チクッと親指に痛みが走る。ケースを外すと親指全体に私の血が付いている。そのまま私は自署の上に血判を押す。その出来に満足したのか、九条征哉は微笑み、膝を付くと、事もあろうか、私の傷付けた親指をその口に含んだ。「ちょっ……」私は驚いて手を引こうとしたけれど、九条征哉はそれを許さず、その口から親指を引き抜くと、言う。「契約成立だ」そう言って契約書を取り上げ、立ち上がり、部屋を出て行く。◇◇◇征哉様があの女の部屋で一晩を過ごし、一睡もせずに看病するだなんて……。何度か私が代わりますと申し上げたにも関わらず、それを断り、私を部屋の外へ出した。それも私に一言も発する事無く、手を払って“出て行け”とゼスチャーするだけ……。あの女の何がそんなに特別だって言うの!それでも私はその場で耐えて、部屋の中の事に気を配る。征哉様に何かあれば私が一番に対処出来るように。夜が明け、起き出したのか、部屋の中から声がする。あの女と交わす契約書の内容が読み上げられている。婚姻を結ぶ……生涯にわたり妻として公の場に……。征哉様は何をお考えなのだろう。本当にあの女に骨抜きにされているというの……?私の中にあった征哉様への忠誠心という名の情が溢れ出す。あの女を追い出さなければ。由緒正しい九条家をお守りしなければ。征哉様が部屋から
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16話 嫉妬、悪意、昏倒

あの女は私に一言“出血量が酷いの”とそう言った。それで何もかもを用意して貰えると、そう思っているの!?バスルームに消えて行くその女の後ろ姿を見ながら、私はスッと表情を滑り落とす。良い度胸だわ、敵陣に入り込んだ異物のクセに。不意に部屋の扉が開く。振り返るとそこには日下部さんが立っている。「美緒様はどこへ?」無表情のままそう聞く日下部さんに私は軽く頭を下げたまま言う。「シャワーを浴びたいとの事で、バスルームへ」私がそう言うと、日下部さんはほんの少し微笑み、後ろを振り返って言う。「手短に、さっさと入れろ」日下部さんがそう言うと、何人もの使用人がドカドカと部屋に入って来て、部屋のクローゼットを開け、中に服や装飾品を手際よく入れて行き、他の使用人たちは部屋に花を運び入れ、部屋を整えて行く。「お前もさっさと美緒様のお支度の準備をしろ」日下部さんにそう言われて私は自分の感情を押し殺し、それに従う。ほんの数分で部屋自体が明るくなり、この部屋があの女の部屋なのだと分かる。屋敷の奥、普段ならお屋敷に来たお客様が入る事も出来ない領域の部屋……この部屋をあの女に与えると言うの?クローゼットに入れられた煌びやかな服や宝飾品たち。私がどれだけ頑張っても手に入れられない高級品。それをあの女は征哉様を誑かして、手に入れている……。「さぁ、下がれ。早く!」日下部さんはそう言って、部屋に残る私を一瞥して言う。「良いか? 決して失礼の無いように、良いな?」そう言って静かに扉を閉める。部屋を見回す。美しく統制のとれたお部屋……それをあの女に渡すなんて……。私の中の悪意が顔を出す。そうよ、何もかもを与えられてはいるけれど、何もかもがあの女の物では無いのよ。恥をかけば良いのよ、血を流しているあの女を見れば、征哉様だって目が醒める筈だわ。◇◇◇温かいシャワーを浴びる。体中の緊張がほぐれて行く。流れ出て行く血の量が多いかもしれない。今、体を労わらないと、この先、私は自分の身体に不調を抱える事になりそうだと思うと、それも怖い。ちゃんと処置してくれたんだろうか……藪医者だったら……もしかしたら私はこの先、子供を産めない体になっているかもしれない……そう想像すると、恐ろしい。下腹部が痛い……チカチカと目の前で光がぶつかり合う感じがして、私はシャワーを浴びながら壁に手を
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17話 人選ミス

目の前であの女が倒れ込む。私はそれをひらりと躱す。ドサッ!!鈍い音がして、女が倒れる。このまま死ねば良いのよ……そうだわ、このまま報告せずに時間を引き延ばして、取り返しのつかない事にでもなれば、この先、苦労して追い出す手間も省けるわ。そう思っていたのに。「美緒!!!」そう声がして振り向く。そこには青い顔をした征哉様が立っていた。征哉様は駆け寄って来て、その女を抱き上げる。「日下部! 医者を呼べ!!」そう命令し、ベッドにその女を運ぶ。日下部さんが部屋を走って出て行く。私は一気に血の気が引く。(マズい、マズいわ……征哉様はいつからあの場にいらっしゃったの?)ベッドにあの女を横たえた征哉様は振り返って私を睨む。「どういう事だ、多田」そう言われて私は言う。「私は別に何も……お嬢様がバスルームから出て来られたので、御髪を乾かして差し上げようと近付いたら……」ツカツカと征哉様が私の前まで歩いて来た。次の瞬間には私の頬が叩かれる。その反動で私は2,3歩後退る。頬が裂けるかと思う程の痛みに私は自分の頬を押さえる。「俺は言った筈だぞ、美緒に敬意を払えない者は必要無いと」私は必死に弁明する。「ですから私は何も!」そう言うと征哉様が部屋を見回す。「……本当に何もしていないようだな」そう言ってツカツカとソファーまで歩き、そこに広げられた雑誌、そして食べかけのお菓子を指差す。「美緒はシャワーを浴びていた筈だ、じゃあ、これは何だ?」聞かれて私は答えに困る。どうせシャワーの間は暇なんだからと、誰も部屋に居ないのを良い事に私はあの女の為に用意された雑誌を眺め、お菓子をつまんでいたのだから。「征哉様、お医者様が」日下部さんが息を切らし、部屋に入って来てそう言う。征哉様は私を睨み付けると、言う。「出て行け」その瞳にははっきりと“殺意”が込められていた、背筋が冷える。私は部屋を走って出る。征哉様から発せられる殺意にゾッとしたからだ。私は何もしていない ――それは正しい。私はあの女の為に何一つしていないのだから。言葉を交わしただけで、指一本触れていない。ツカツカと廊下を歩きながら、私は私に発せられた征哉様のお言葉の意味を考えてハッとする。“出て行け”と征哉様はそう仰った。私は部屋から出て行けという意味に受け取ったけれど、もしかしたらあれはこ
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18話 自省の間

入って来たメイドは静かに一礼し、言う。「上原と申します」俺は上原に命じる。「今すぐに美緒の身支度をしろ」上原は小さく頷いて、パタパタと駆けて行く。「征哉様」日下部が声を掛けて来る。「何だ」聞くと日下部が言う。「美緒様のお召し替えの間、少しお時間を頂いても良いでしょうか」俺はベッドに眠っている美緒を見ながら、後ろ髪を引かれる思いで頷く。「分かった」どうせ美緒の着替えを見張るつもりは無い。部屋に上原が入って来る。「頼んだぞ」そう言って俺は美緒の部屋を出る。廊下を歩きながら聞く。「それで?」そう聞くと日下部が言う。「多田なんですが」そう言われて俺は顔をしかめる。「多田はどこだ?」そう聞くと日下部が言う。「屋敷の最奥、自省の間に」そう言われて俺は頷く。屋敷の最奥、そこは九条家の中でも、人が立ち入らない場所だ。屋敷の中の使用人が何か失敗をした時、自ら反省を促す為に使われる部屋がある。そこは部屋自体に何も無く、本当にがらんとした部屋だ。自省の間に入る。部屋の真ん中に多田が膝を付いていた。「征哉様」多田はそう言って俺を見上げる。その瞳には涙が溜まっている。その涙を見るだけでもイライラする。俺はツカツカと真っ直ぐに多田に向かって歩き、多田の前に立つと、さっき張った頬とは逆の頬を張る。多田が倒れ、床に手を付く。何をしてもイライラは収まらない。「お前は俺が命じた事を真に理解していなかったようだな?」そう言うと多田は頬を押さえながら言う。「私は何も!」そう言われて俺は多田を睨み付ける。「本当にお前は何もしなかったようだな」日下部がタブレットを持って来る。「美緒は下着すらも用意されず、具合が悪くて倒れ込んだ時に、介抱もされなかった。美緒がシャワーを浴びている時に、俺が美緒の為に用意した物を躊躇なく使い、部屋を散らかした」そう言いながらタブレットに映し出される映像を見せる。映し出された映像には美緒がバスルームに消えた後、溜息を付きながらソファーに座り、傍に置いてあった雑誌をめくり、テーブルに用意されていた菓子を摘まむ多田が居た。多田は立ち上がると、その汚れた手でクローゼットを開け、中に入っていた服を数枚手に取り、自分に当てて、鏡を見たりしている。そのままクローゼットにその服を投げ入れ、今度は宝飾品を手に取り、眺め、
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19話 不信

吐き気がする。美緒をあんなふうに扱っておきながら、俺に対しての想いをこんな形で表現するとは。女の嫉妬なんてこんなものだ。俺は立ち上がり、多田を見下ろす。「お前は俺の命令に背いた。何もしなかったとお前は言うが、俺は敬意を払えと言ったんだ。何もするなとは言ってない。従ってお前はもう九条家には不要の人間だ」そう言い放つと多田が俺に縋ろうと手を伸ばす。その瞬間、日下部がサッと動いて、多田が伸ばしたその手を蹴り上げる。「触れるな! 汚らわしい」俺は蹴り飛ばされた多田を一瞥し、踵を返す。歩きながら言う。「これより三日間、自省の間にて反省を促し、それ以降は九条家及び、関係各所から追放だ」そう言って自省の間を出る。叫び声が聞こえた気がしたが、きっと気のせいだろう。(五体満足で屋敷を出られる事に感謝するんだな)そう思いながら俺はその最奥から本屋敷に戻る。◇◇◇温かい……寝返りを打つ。柔らかい感覚……。美緒……誰かの声、すごく優しくて、その声に愛情が込められているのを感じられる……。温かい誰かの手が私の頭を撫でている……。この手は誰の手なの……?不意に感じる不快な痛み……そうだ、私は堕胎手術を受けて……!ハッと目が覚める。豪奢な天井が見えて、現実に引き戻される。そうだわ、私……シャワーを浴びて、具合が悪くなって倒れたんだった……。体を起こす。ベッドに寝かされている……。(誰かが助けてくれたって事?)自分が倒れた場所を見る。シャワールームから出てすぐの場所、そこはもう私が倒れた形跡すら無かった。部屋を見回す。私が倒れる寸前、見たあの光景。多田さんが私に対し、暴言を吐いている最中に見たものは全て、綺麗に片付いている。食べ散らかしたようなテーブルの上のお菓子も、多田さんが投げたソファーの上の雑誌も。そして何よりも、私は今、きちんと下着を付けている。誰かが私を着替えさせたという事だ。ズキズキと痛む下腹部を感じながら、私は冷静に考える。私が倒れ、気を失っている間に、部屋は綺麗に片付き、私は下着を付けられ、ベッドに居る。これを命じたのはおそらく九条征哉だろう。氷の契約書にサインさせ、血判を押した私の血の流れた親指を口に含み、冷たい指輪で私を拘束した男……その男が倒れている私をこんなふうにベッドへ戻したというのだろうか。不意に扉が開く。入って
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20話 命

ベッドに横になって少し経った頃。部屋の扉が開いた。上原さんだろうかと視線を向ける。部屋に入って来たの九条征哉だった。しかもサービングカートを自ら押して。「食事を持って来た」そう言われて私は驚きながらも体を起こす。(何故、九条征哉本人が……?)そう思いながら私は半身を起こし、九条征哉が運んで来た食事を見る。「体調が優れないだろうから、体に優しいものを作らせた」そう言って九条征哉は背後に居る日下部さんに頷いて見せる。日下部さんは微笑んで私の居るベッドにベッド用のテーブルを置き、九条征哉がそのテーブルの上に温かいスープを置く。「貧血のようだな」九条征哉がそう言ってベッドサイドに椅子を置き、座る。さっき私が倒れたのが貧血のせいだと思ってくれているなら、都合が良い。「えぇ、昔からそうなの」そう言って私は自分の不調を隠す。「食べてくれ、貧血が良くなるよう、それ用に作らせた」(一体、九条征哉はどうしたと言うんだろう?)そう思いながらも私は鎮痛剤を飲む為にスープを口にする。「……美味しい」言うと九条征哉が小さく頷く。「それで良い」九条征哉はそう言って後ろに控えている上原さんに視線を送る。上原さんはサッと前に出て、真っ白な薬の入った袋を差し出す。九条征哉がそれを受け取り、言う。「鎮痛剤だ」そう言ってテーブルの上にその袋を置く。(そう言うという事は……痛みがあるという事を知っているのね)正直、九条征哉がそんなところにまで気が回るとは思っていなかった。私個人に対してはそれ程、興味など無いと思っていたから。「多田は……処理済みだ」
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