灰になった令嬢は宿敵の腕の中で牙を剥く のすべてのチャプター: チャプター 21 - チャプター 30

50 チャプター

21話 恋慕

頭の中が真っ白になる。生きている……。一ノ瀬美緒のお腹の中に居た子供が……。「所在は分かるのか?」そう聞くと日下部が頷く。「既に人をやっています」そう言われて俺は少し考え、そして言う。「美緒には知らせるな、全て秘密裏に進めろ。奪還するんだ、大事な子を」そう言うと日下部が頭を下げて言う。「御意」部屋に一人になり、考える。まだ日が明けてそれ程、経っていない ――普段なら仕事に出向き、退屈な連中を相手に退屈な時間を過ごしている時間帯だ。俺は朝からの激動の動きに少し微笑む。一ノ瀬美緒が俺の人生に現れてから、俺の人生は一変した。あの夜、悪意のある人間の策略だったとしても。一ノ瀬美緒と出会い、関係を持ったあの感覚は、俺のそれまでの人生がいかに退屈だったかを思い知らされる出来事だった。あの夜以降、また退屈な時間を過ごしていた俺にもたらされた一ノ瀬美緒の訃報。失ってしまうかもしれないという可能性について、気付く間もなく失い、俺は喪失感に囚われていたのに。彼女が自ら、俺の元へ飛び込んで来たのだ。そして知らされた事実 ――一ノ瀬美緒は俺の子を妊娠していた可能性があった事、そして既に彼女自身は堕胎手術を受けている事、そのせいでその命は失われたと彼女自身は思っているだろう。その子供が生きているとなれば、それは奪還しない訳にはいかない。美緒の身体はそういう事情を抱えていた訳か……だからあんなに疲弊していたんだと分かると、更に怒りが募る。全てのピースが俺の元に集まって来た。あの夜、一ノ瀬瑛理香と高橋翔太が共謀し、俺と一ノ瀬美緒に関係を持たせた。その根底にあるのは一ノ瀬家の乗っ取りと、一ノ瀬美緒の排除だろう。そして何故、堕胎した後に取り出された命が生かされているのか。一体、何を企てて、何をしようとしていたのか。一ノ瀬美緒はどうやって生き延びたというんだ?その辺りも探りを入れた方が良いだろう。きっと一ノ瀬美緒に手を貸した者が居る筈だ。一ノ瀬華瑛、一ノ瀬瑛理香、一ノ瀬恭介、高橋翔太……全員揃って地獄に送ってやる。◇◇◇一ノ瀬美緒が死んだ。これで私はやっと目的の半分を達成したという訳だ。葬儀から戻って、さすがにその日のうちに一ノ瀬美緒の部屋を片付け始めたら、夫にも、世間にも申し訳が立たない。だから私は片付けたい気持ちをグッと我慢する。
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22話 時系列

鎮痛剤を飲み、ベッドに横になる。堕胎手術を受けたのが一昨日だというのに、もう遥か彼方、昔の事のように感じてしまう。「美緒様」呼ばれてベッドのすぐ傍まで来ていた上原さんを見る。「お医者様から追加のお薬を頂いております。貧血のお薬だそうです」そう言われて私は体を起こし、上原さんが持って来てくれた貧血の薬を飲む。自分の左手薬指にはめられている指輪が光る。(冷たい指輪、氷の契約書……私にピッタリね)そう思い、また体を横たえる。鈍い痛みに顔をしかめる。「何かありましたら、何なりと仰ってください」上原さんはそう言って私に掛かっている寝具を直す。私の身体はボロボロだ。無理をし過ぎたかもしれない。本当ならあの療養所で私は自分の無力さを嘆きながら体を横たえ、そして爆発と共に死んでいた筈だった……。そうだ、爆発。あれは結局、華瑛が仕掛けた事なんだろうか。(そうよね、そうに決まっているわ)けれど……じゃあ何故、堕胎手術を?療養所の爆発に乗じて私を殺すなら、堕胎手術なんてしなくても良かったんじゃない?よみがえる、あの言葉。アレはきちんと残しておけアレと呼ばれたのは私のお腹の中に居た子供の事だろう。まだ小さい命……下腹部に手を当てる……ほんの少しの膨らみがあった筈の場所を撫でる。……待って。おかしい。どう考えても時系列が合わない。私のお腹の中の子供は……私の思っている月齢よりも……。痛む下腹部を気にしながら私は寝返りを打つ。上原さんが静かに待機している。「上原さん」呼ぶと上原さんがサッとベッドの脇まで来る。「何でしょう」そう聞かれて私は言う。「何か書くもの……」そう言いながらふと思い付く。「スマホが欲しいんですけど」そう言うと上原さんが少し微笑み、言う。「征哉様に確認を取って参ります」そう言って一礼し、部屋を出て行く。(そうよね……スマホなんて外部へ連絡が取れるものだものね……)九条征哉は欲しいものは何でも言えと言ったけれど、私に自由は与えてはくれないだろう。それに関しては私自身も覚悟はしている。氷の契約書の通り、私は“生きていた”頃の人間とは接触を持ってはならないし、私自身、そんな人たちと接触しようとは思わない。(何か書くもの、の方が良かったわね……)そう思いながら私は豪奢な天蓋を見つめる。部屋の扉がノックされる。「は
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23話 改竄

「私のスマホの存在がそんなに重要?」そう聞くと九条征哉が言う。「いや、むしろ無い方が都合が良い」そう言われて私は笑う。(そうれはそうでしょうね)九条征哉は私の頭をもうひと撫ですると言う。「美緒、お前の新しい身分を作る……名は何が良い?」そう聞かれて笑う。「私の希望を聞いてくれるの?」九条征哉が口元をほんの少しだけ緩め、言う。「呼ばれたい名があるなら、とそう思っただけだ」私は九条征哉から視線を外し、新しいスマホへと視線を移す。「何でも良いわ、私はもう一度、死んでるんだもの」そう、一ノ瀬美緒は死んで灰になった。私はもう一ノ瀬美緒としての人生を終えたのだ。スマホが立ち上がる。フッと九条征哉が笑った気がして、九条征哉を見る。九条征哉は私を見て、言う。「新しいおもちゃを貰った子供みたいだな」そう言われて私は視線を外し、寝返りを打って九条征哉に背を向ける。(調べたい事があるのよ、どうしても確かめないと)そう思い操作を始めたけれど、九条征哉は私のベッドに腰掛けたままだ。(いつまでそこに居る気なの?)そう思いながらも私はまるで新しいおもちゃを弄る子供のように、最新のスマホの機能を確かめる。「征哉様、お仕事のご予定が」日下部さんがそう言う。九条征哉は私の背中を撫で、立ち上がると言う。「良いか、ゆっくり休むんだ。これは命令だからな」そう言って歩き始め、途中で足を止めて振り向く。「あ、それから。つけたい名前が思い付いたら教えてくれ」そう言って出て行く。(どういう風の吹き回しなの?)そう思いながら私はベッドの中で新しいスマホを操作し、カレンダーを表示させる。私が確かめたかった事、それは時系列だ。スマホのカレンダーが示す日時。そして私が記憶しているあの夜。どう計算しても合わない。どうして私は記憶が飛び飛びなんだろう。そう考え出すと急に胸が苦しくなる。キンと頭が痛くなる。呼吸が荒くなり、冷や汗をかき始める。私の身体に何が起こっているの? どうして私は記憶が混濁しているの?「美緒様……?」傍に居た上原さんが私に声を掛けて来る。「大丈夫ですか? どこか具合が……?」何でも無い、大丈夫だと言わなければ……そう思っているのに、言葉が出て来ない。頭の中が誰かに改ざんされているような気がする。一体、何なの……どういう、事なの
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24話 極秘入院

「美緒様、美緒様」上原さんが私を呼んでいる。返事をしたいのに、頭が痛む。大丈夫、誰も呼ばないで、そう言いたいのに言葉が出ない。すぐにバタバタと誰かが部屋に走って入って来る音が聞こえる。「美緒!」ついさっき、私にスマホを渡して部屋を出て行ったばかりの九条征哉が私を抱き上げる。「大丈夫か? どうした?」優しい声でそう聞く九条征哉に私は顔を歪めて言う。「頭が……痛いの……」涙が出て来る。手が震える。私のそんな手を九条征哉が優しく握る。「大丈夫だ、俺に任せて」九条征哉はそう言って私の額に口付け、私を抱き締める。薄らいでいく意識の中、私の耳には九条征哉の声が聞こえる。「美緒を病院に連れて行く……」◇◇◇腕の中の美緒が意識を失うほんの少し前。「征哉……」俺を呼ぶ美緒の声……。初めて俺を名前で呼ぶ、その声に俺は心が震える。心臓を鷲掴みにされたように苦しく、辛く、そしてこの上なく幸福だと感じる。俺は美緒を抱き締めたまま、言う。「美緒を病院へ連れて行く、車を回せ」美緒を抱き上げ、歩き出す。(一体、美緒の身体に何が起こっているんだ……)足早に歩き、玄関前に付けた車に乗る。「病院だ、うちの息が掛かっているところへ」美緒は世間的にはもう死んでいる人間だ。戸籍上は存在しない。だが美緒の身体の状態を知る為には、以前の美緒のカルテが要る。このまま一旦、美緒を強制的に眠らせ、身体の状態を確認した方が良いだろう。抱き上げた美緒は軽く、細い。抱き締めたら折れてしまいそうな程だ。美緒を抱きくるみながら、俺は言う。「急げ」◇◇◇ロイゼンデリア国際医療センター。車を病院の裏側へ停めさせ、美緒を抱いて院内へ入る。すぐさま駆け寄って来る人物。「九条様」そう言って頭を下げる人物は、ここロイゼンデリア国際医療センターの院長である横山だ。「極秘で入院させる。身体の検査を一通りしろ。本人に悟らせないように、眠らせてからだ」そう言うと横山が頷く。「すぐにお手配を」病院の中を歩き、人目に付かないよう、特別室に入る。美緒をベッドへ横たえると、数人の医師が部屋に入って来て挨拶し、看護師も数人入って来る。「横山」呼ぶと院長が来る。「はい、九条様」俺は数人の医師に囲まれている美緒を見ながら言う。「彼女には事情がある。その事情は知らなくて良い。黙って俺の命
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25話 誤解

「一ノ瀬瑛理香さん、5番診察室へどうぞ」そう言われて私は立ち上がる。今日は検診を受ける日だった事を家の使用人に告げられ、病院へ来た。ロイゼンデリア国際医療センター、この地域では一番大きな病院の産婦人科。ここの産婦人科は病棟自体も綺麗で、最新鋭の機材が揃っている。勤めている医師たちも一流だし、それにイケメンも多い。私を診察してくれる産婦人科の医師もイケメンで、私は鬱々とした気持ちをイケメンの先生たちで癒しに来たのもあった。「うん、順調ですね」お腹の中の子は既に6カ月を超えている。死んだ私の義姉の子とほぼ同時期に私も妊娠が判明したのには、笑ったけれど。そういえばお母様はあの義姉の子供を取り出したとか、何とか言っていたけれど。(そんなもの取り出して、どうするのかしら……?)そう思いながら私は起き上がり、先生に微笑む。診察室を出て、待合室の大きなソファーに座る。ここは予約制だから、待合室もそんなに混んでいない。いつもは静かな待合室なのに、今日に限っては何だか少し騒がしい気がする。人がパタパタと走り回っていて、落ち着かない。そこで私はピンと来る。これは誰か超有名人か、超大物が病院に来ているんだわ私のこういう勘は外れない。一体、誰が来ているのかしら。こんな大病院をバタバタさせるくらいの人だもの、超大物に決まっている。(少し院内を歩いてみようかしら……もしかしたらその超大物と遭遇出来ちゃったりするかもしれないもの)会計を終えた私はそのまま院内を歩いてみる事にした。人の流れを良く見て、スタッフたちの慌て具合や、小走りになっている人たちを観察する。どうやら病院の奥、人の目に付かない特別病棟にその大物は居るらしく、パタパタとスタッフたちが特別病棟へ入って行くのが見える。特別病棟は誰でも入れる訳じゃない。許可証が無いと入れない領域だ。だから超有名人や超大物たちはそこへ行くんだろうけど。私は人を待つ振りをして、耳を澄ませる。コソコソと話す内容で、何か掴めるかもしれないと思ったからだ。「……全身の検査を……」「……どんなに小さいものも見逃さないように……」緘口令を敷いているんだろう、その人物の名を口にする人間など、居る訳が無かった。(時間を無駄にしたわ……)そう思いながら私は歩き出し、その間に電話をして、迎えの車を呼ぶ。病院の正面で車を待ってい
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26話 ネペンテス

呼ばれた医師を病室の外に出し、隣の部屋へ入る。万が一にも美緒に聞かれる訳にはいかない内容だからだ。院長の横山が来て、俺を応接間に呼んだが、それを拒否した。美緒に何かあったらすぐに把握出来る距離にいたかった。隣の空室になっている部屋はすぐにカンファレンスルームのように整えられた。ソファーに座り、聞く。「これはどういう事だ?」そう聞くと医師が言う。「検査の結果によりますと、当該患者様のお身体は大量の薬物によって汚染されていました」そう言われて片眉を上げて聞く。「大量の薬物?」医師が頷く。「はい、ですがどういう訳か、その薬物はお身体全体に回り切る分ほどでは無かった、という事です」言われても意味が分からない。「どういう事だ?」そう聞くと医師が言う。「これは推察になりますので、あくまで参考程度に考えて頂きたいのですが」そう前置きをして続ける。「当該患者様がお薬を摂取していたのは確かですが、それは脳に影響を出すだけで済んだ、もしくは身体中に回る程の量では無かった、という事です」そう言われて俺は言う。「大量の薬物と、そう言ったよな?」そう聞くと医師が言う。「何とも形容しがたいのですが、本当にギリギリの量だった、としか言いようがないですね」そう言いながら医師が数値を示す。「当該患者様が摂取していたのはネペンテスという薬物です」ネペンテス……聞いた事が無い薬物の名だった。「この薬は忘憂剤の一つですが、今回、当該患者様のお身体にあったのは、これの変異種のようなもの」医師がまた数値を示しながら説明する。「通常であれば、この薬品は肝臓への影響が出ます。ですので特に妊娠している妊婦のような方には禁忌とも言われている薬になりますが」そう言って医師が示す数値。「当該患者様の肝臓の数値は正常値に近い。検査の結果、当該患者様は妊娠されていた、というのが数値にも出ていますので、ご本人自らがこの禁忌の薬品を摂取したとは思えませんが、何らかの行動によって、薬品の過剰な摂取を抑止出来ていた、という事です」何らかの行動によって抑止……。「ですので当該患者様におかれましては、脳への影響として、時間経過の差異が生じている可能性があります」そう言われて俺は溜息をつく。なるほどな……だから“この時期”なのだ。半年もの前に仕掛けた罠を発動させたのは。「仮
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27話 無意識の中の……

「良いもの?」お母様がそう聞く。「えぇ、ここでは言えないから屋敷の中へ」そう言ってお母様を連れて屋敷の中に入る。「お父様は?」そう聞くとお母様が言う。「書斎にいらっしゃるわ」そう言うお母様と顔を見合わせる。義姉が死んでからお父様はずっと塞ぎ込んでいる。何がそんなに悲しいのかと思ったけれど、それは私には分からない。だってずっと目障りな存在だったから。お母様と顔を見合わせ、肩をすくめて、私は言う。「お父様にも是非、聞いて頂きたいんですけど」そう言うとお母様は溜息をついて、言う。「書斎へ行きましょう」お母様と共にお父様の書斎へ行く。ドアをノックする。「入れ」そんな声が聞こえて、意外と元気そうな声で少し驚く。書斎に入ると、お父様はデスクに座り、仕事をしていたようだった。「何だ?」お父様は私もお母様も見ずにそう聞く。「お話があります」私がそう言うとお父様は私を見る事無く、言う。「言え」そう言われて私は言う。「今日、妊婦検診で病院に行ったんですけど、その時に病院の中が物々しい雰囲気だったんです。何かおかしいなと思ったんですけど、そのまま病院を出て病院の前で迎えの車を待っている時に、私、見たんです」お父様がやっと視線を上げる。「何をだ?」そう聞かれて言う。「九条征哉を」お父様は一瞬、眉を動かす。「ロイゼンデリア、だったな?」そう聞かれて頷く。「はい、そうです、お父様」お父様は何かを考えるように顎に手を当てる。「何か見たり、聞いたりは?」そう聞かれて私は首を振る。「残念ながら」そう言うとお父様は近くにいた執事の及川に言う。「ロイゼンデリアだ、調べろ」そう命じると、及川が頭を軽く下げて言う。「かしこまりました」及川は私たちの横を通り過ぎる際もきちんと会釈してから書斎を出て行く。「他には?」お父様がそう聞く。「他には何も」そう言うとお父様が言う。「下がれ」そう言われて私はお母様と共に書斎を出る。(期待外れだったわ……何かしらご褒美があると思っていたのに)◇◇◇ロイゼンデリア国際医療センター……その名を聞いて何だか胸騒ぎがした。そこにあの九条征哉が居た……。お嬢様を見失ってから私は全てを諦めて、一ノ瀬の屋敷に戻ったのだ。何食わぬ顔をして。私が居なくてもこのお屋敷はどうにでもなる。それ程までに使
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28話 新しい名

目が覚める。今度はハッキリと認識出来た。ここは病院だ。真っ白な天井、消毒薬の匂い……視線を横に向けると、そこにはタブレットを見ながら難しい顔をしている九条征哉が居た。私がさっき、夢の中で見たあの九条征哉はどこにも居ない。九条征哉はふと、顔を私の方へ向ける。私を見て、無表情のまま聞く。「気分は?」聞かれて私は九条征哉から視線を逸らし、言う。「えぇ、だいぶ、良いわ」実際に目が覚めてからは何だか頭の中がクリアになっているような気がする。そしてこんなふうに病院に入れられたという事は、私の身体を隅々まで調べ上げただろうなと想像出来た。私の身体を隅々まで調べ上げたのなら、私の身体がどんな状態かはもう分かっているだろう。それはつまり、私がどんな手術を受けたのか、知っているという事だ。恥ずかしいのか、苦しいのか、悔しいのか、悲しいのか。自分の感情が分からない。でもただ一つ、分かっている事がある。それはそんな感情をこの男の前で出してはいけないという事だ。「美緒」呼ばれて九条征哉を見る。九条征哉は眉間に皺を寄せて言う。「これからお前は定期的にここで点滴を受けろ。健康状態を維持する為だ、良いな?」まるで余命宣告のようにそう言う九条征哉に私は頷く。「分かったわ」そう言いながら私は寝返りを打って、九条征哉に背を向ける。九条征哉が立ち上がったのが気配で分かる。「それから」そう言って今度はベッドに腰掛けたのが分かった。「お前に新しい名をやる。新しい名は美織だ」そう言われて私は体を天井に向けて九条征哉を見る。「みおり……?」聞くと九条征哉がほんの少し微笑み、言う。「そうだ、旧姓は四季凪、俺と結婚するから九条になるが、な」四季凪と聞いて少し驚く。「四季凪ってあの、四季凪?」そう聞くと九条征哉が笑う。「そうだ、あの四季凪だ」四季凪家……古くは平安の頃から続く、由緒正しい家門。かつては神職もしていたという家だけれど、随分前に姿を消している……。「その名前をどうしてあなたが?」そう聞くと九条征哉が言う。「九条は四季凪に負けずとも劣らない家柄だ。歴史の波に飲まれてしまった四季凪の名跡を俺は管理・保護している。だからそこへ美織という名の女性を一人、入れるくらいは何でも無い」そう言われて私は笑う。(さすがは九条征哉ね)九条征哉は私の目の前
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29話 急襲

病院へ来る。大きな病院だ、見た目は何も変らない。一ノ瀬瑛理香は特別病棟に例の人物が居るようだと言っていた。たくさんの人間に紛れて病院の中を歩く。ここにもしかしたらお嬢様が居るかもしれない……。そう思うと何とも言えない感情が沸き起こって来る。幼い時に香織様が亡くなって、お仕事やその他の家の事情で忙しくなってしまった旦那様の心に隙間に入り込んだ一ノ瀬華瑛。どういう手腕かは分からないが、あっという間に一ノ瀬家へ来て、我が物顔で屋敷の中を歩き回り、一ノ瀬の名字まで手に入れた毒婦。そしてその子供であった瑛理香もまた、幼い頃から巧妙に動く子供だった。だが二人ともに共通していたのは“使用人には気を遣わない”事だった。彼女たちは一切、使用人には気を遣わずに、果ては辛く当たり、辞めさせてしまう事も多々あった。そんな問題行動があったにも関わらず、旦那様は家の事に目を向けなくなってしまった。仕方ない事なのかもしれない。愛する奥様を亡くされ、奥様の面影が残る御屋敷で過ごす時間はとてつもなくお辛かっただろうから。そんな毒婦たちに少しずつ居場所を奪われて行った美緒お嬢様。それでも一生懸命に生きて来られたのだ。香織様譲りの美しさ、儚さ、従順さ……それらを併せ持った美緒お嬢様に瑛理香は嫉妬を隠さなかったし、華瑛もまたそうだった。旦那様、香織様、華瑛の歴史については、本人たちしか知り得ない事も多いだろう。ただ、私は香織様に託された思いがあった。あれはいつだったか……。そうだ、華瑛の結婚した男が亡くなった時だ。あの頃くらいから香織様からは、何度も美緒様について、私に目を向けるよう、言うようになったのだ。◇◇◇体を起こす。病室には誰も居ない。喉の渇きを感じて、周囲を見回す。寝てばかりだと体に良くないと知っている私は、ベッドから出てみる。立ち上がると、意外とスッと立ち上がる事が出来た。体が軽い気がする。頭もスッキリしている。病院の特別室。見回すと部屋の隅に小さなな冷蔵庫があった。そこまで歩いてみる。(うん、大丈夫そうね)そう思いながら冷蔵庫の中を見る。中にはミネラルウォーターが入っている。それを手に取り、蓋を開ける。一口飲んで息をつく。水が体に浸透して行くのが分かる。時計を見る。時間は昼下がりというにはもう遅い時間だ。特別室の窓の外を見る。緑が生い茂り美しい敷地内。特別病
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30話 覇王

目の前の多田が震えている。その程度の覚悟で良くもまぁ、私の前に立ったわね、そう思うと笑える。きっと多田は九条征哉が好きなのだろうと思った。私が屋敷に入った時から、多田は私に対して冷たかったし、何よりもその瞳に宿る九条征哉への恋慕の色が良く分かる。九条征哉は多田にとって神であり、覇王であり、そして心から心酔する恋慕の相手でもあるのだ。そんな男が私のような女を囲い、病院にまで連れて来て、特別室を与えている事が許せないのだろう。私は多田の前に立ち、私に向けている刃を掴むと、自分の喉元にそれを持って来る。喉元に小さなナイフの切っ先が刺さる。チクッと痛みが走る。多田の手は震えている。「どうしたの? 力を入れて押せば、私の喉が裂けて、私を殺せるわよ?」多田の瞳の中の光が曇り、光を失っていく。手がガタガタと震え、顔色が悪くなって行く。多田の手から力が抜け、ナイフが落ちる。カタンとナイフの落ちる音がした次の瞬間、多田はキッと私を睨み、手を振り上げ、振り下ろす。バシン!そんな音がして、私は多田に頬を張られる。「調子に乗るんじゃないわよ!」不意の攻撃で私は口の中が切れてしまった。血の味が口の中に広がる。私は多田を見て微笑む。「それだけ?」そう聞きながら表情を滑り落とし、多田を見下ろす。「私を排除したいのでしょう? 九条征哉の前から消し去りたいんじゃないの?」多田は目に涙を溜め始めている。「この病室の前に誰が立っていたのか、私は知らないけれど、その人間を強制的に排除して、私の前に立った事だけは褒めてあげるわ、でもね」そう言って私は多田を見下ろして微笑む。「やる時は一気にやった方が良いのよ、一思いにね」私にそう言われた多田が顔を歪めて、床に落ちていたナイフを拾うと、それを振り上げた。シュッと風を切る音。ハラハラと落ちる黒い髪……と共に私の左腕から血が流れ始める。拾い上げたナイフをそのまま振り上げたせいで、私への攻撃の焦点がズレて、私の髪と左腕が切られたのだろう。左腕に痛みが走る。(私はどうしたいんだろう……)ふと、そんな考えが頭をよぎる。けれど私に対して悪意を隠さず、向けて来る相手に怯みたくはなかった。(もう弱い自分は御免だわ)腕を切られても動揺すらしない私を見て、多田は体を震わせ、自分自身を鼓舞するように呼吸を震わせ、言う。「死ねば良
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